2017-07

西海岸幻想とバブルへの階段(らしきもの)




初出:2010年7月17日(一部改稿)
☆ 村田和人の登場は思い切り衝撃だった。それまでフォークとニューミュージックとブルースとロックとパンクとテクノしかなかったところに彼は軽々と舞い降りたのだから。

☆ 当時のいわば「意識高い系」の御仁が,この曲の上っ面(それすら見る「能力」もなかった)だけで,あるところに "西海岸礼賛の軽薄な歌い手に「ホテル・カリフォルニア」の意味も分からないくせに" みたいな暴言を書いていた。1969年にオルタモンドのミック・ジャガーの目の前で何が起きたかとか,でかい音でイーグルスをかけろとフェイゲンとベッカーに言われた仕返しをドンとグレンがどうやったのかとか,そういう事の意味も分かっちゃないそういう奴には「ブライアンン・ウイルソンがいかにサーフィンの達人だったか」と言えば,知った顔で頷くのだろう(爆笑)。

☆ その手の子供だましに引っ掛かるような奴にはミドル・オブ・ザ・ロードを誤解なくこの国でやっていく覚悟など見えもしないし分かりもしないのだ。たぶん死ぬまで。

(注釈)イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」の中で「1969年からここにはスピリッツは置いてない」という歌詩がある理由は,その年の初めにオルタモンドのスピードウエイで開催されたローリング・ストーンズのフリーコンサートの最中に会場警備を引き受けていた「ヘルズ・エンジェルス」がミックを狙撃しようとしていたように見えた黒人少年を殴り殺した事件が起ったこと。
・スティーリー・ダンの『ザ・ロイヤル・スキャム(幻影の摩天楼)』中の曲「Everyhing You Did」の歌詩中に「でかい音でイーグルスをかけろ(Turn up the Eagles the neighbors are listening)」とある。痴話喧嘩のBGMにされたドン・ヘンリーとグレン・フライの仕返しは「ホテル・カリフォルニア」の歌詩の中でこう反撃した。「彼らはそれをスティーリーのナイフで刻もうとしていたが,獣一匹殺せやしなかった(They stab it with their steely knives, But they just can't kill the beast)」
・ブライアン・ウイルソンはサーフィンをしなかったし,水泳は苦手だった。ビーチ・ボーイズでサーフィンと来ればブライアンの弟のデニース・ウイルソン(1944年12月4日 - 1983年12月28日 皮肉なことに水難事故で死去している)。


2017年7月14日追記

「電話しても」 (村田和人 1982年4月21日)


☆ 村田和人が「電話しても」でデビューした頃,ぼくはまだ全然ビーチ・ボーイズを聴いていなかった。当時の知人に傑作だと渡された『ペット・サウンズ』のカセット・テープも,何回か聞いてそのままにしていた。だから上に書いた「意識高い系」氏への皮肉は単純に氏の教条主義的な物言いに反発したに過ぎない(自爆)。

☆ 村田和人(1954年1月2日 - 2016年2月22日)は,ビーチ・ボーイズのベスト盤のタイトルでもある『終わりなき夏(Endless Summer)』を生きたミュージシャンだった。個人的には最初の2枚のアルバムや山下達郎のツアーでのバックヴォーカルなどのイメージが強く,これがまた山下自身が認めていた「夏だ!海だ!タツローだ!」的マーケティングに載ったこと,さらに言えば,山下が自らのレーベルとして立ち上げたムーン・レコードのミュージシャンとして村田のデビューに関わったことがあって,そういうラインに彼の立ち位置が決まっていくこと自体は必然的な面もあったと思う。

☆ 西海岸幻想というものが生まれた時期は60年代後半ではないかと思う。1967年にスコット・マッケンジーが「花のサンフランシスコ(1967年5月13日)」を歌ったことはその象徴かもしれない。RCサクセションの「トランジスタ・ラジオ(1980年10月28日)」の詩で清志郎と思われる主人公が聴いていたベイ・エリアからのホットなナンバーはたぶんマッケンジーの曲やジェファーソン・エアプレインの「あなただけを("Somebody to Love" 1967年4月1日)」だっただろう。

☆ ヒッピー文化がマンソン・ファミリーによるシャロン・テートらの殺害事件やオルタモンドの悲劇で崩壊した後(=だから中西部からやって来たイーグルスに「1969年以来ここにはスピリッツは置いていない」と歌われてしまう),西海岸が日本の青年に与えたものは幻想でしかなかった(そうではなかった人物もいる。例えば少年だった今の孫正義とか)。その幻想はドゥービー・ブラザーズの『ミニット・バイ・ミニット』の中敷きに写っていたマリファナのジョイントみたいなものでしかなかったから(爆)上記のような「教条主義」を生むわけだが,そうではない西海岸は林檎の樹(アップル(コンピューター)・コーポレーション)やフェアチャイルド(セミコンダクター。後にそこからロバート・ノイス,ゴードン・ムーア,アンディー・グローブらがスピンアウトしてインテルを創業する)の成長と共にシリコン・バレーを形成していく。

☆ 山下や村田が良く分かっていたように,西海岸の文化は東海岸に対する対抗文化(カウンター・カルチャー)であり(その恩恵をぼく達もこうして享受しているのだが),東海岸の街角でドゥー・ワップが育ったように西海岸のガレージからサーフィン/ホット・ロッドが,そして80年代にはヘヴィ・メタルが(東海岸からは言うまでもなくラップ/ヒップ・ホップだが)育っていったのである。

☆ そーゆーこと(この書き方も80年代初期っぽいが)を知らずに湘南や千葉の海岸で大きな波を待つ(前者は非常に条件が厳しかった。例えば小田急江ノ島線でサーフボードを運搬することからして^^;)ことの延長線上に西海岸があれば,その先にはやはりバブルっぽいものが波の数ほど抱きしめられたいと待ち構えていたことだろう。

2016年1月10日の演奏(電話しても/村田和人 山本圭右 20160110 T'S studio)




☆ その「意識高い系」氏が存命なら,改めてお尋ねしたいものだ。
「2016年までスピリッツを失わなかったミュージシャンシップをまだ貶めたいのか?」と。
☆ そういえば1967年のL.A.と言えば,ドアーズの「ハートに火をつけて」があった。
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コメント

村田和人

マクセルのCMで、「一本の音楽」が流れたとき、「ライドオンタイム」に続く達郎の曲の起用かと思ったくらいで、プロデュース過剰のような気もしますが、アルバム全体も達郎サウンドと村田和人のボーカル、メロディがマッチして好きでした。

「ボーイズライフ」は、ジャケットこそ、達郎のベスト盤のようですが、サウンド的には変わってきたように思え、自己のバンドを率いるようになったからでしょうか。

ビーチボーイズやイーグルスをめぐる西海岸、LAの音楽は、かなり奥が深く、イーグルスの本を図書館で借りても、なかなか理解できないです。

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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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