2017-10

うたかた(三の舞)





☆ アルビン・トフラーの描いた「プロシューマー」は,様々なヴァリエイションを生むことになる。その一つは数年前に持て囃された「ノマド」だし形を変えればベンチャー企業家だってそうかもしれない。知的生産に絞り込めばアイフォーンのアップルのように生産せずに製品を企画する生き方などプロシューマー的生き方かもしれない。でも「究極のプロシューマー」は内田樹などが嘆息する「消費しか知らない若者」ということになるし,そういう人達にちゃっかり商売をしようとすればホイチョイ・プロダクション(ズ)のような生き方がそうかもしれない。


☆ バブルに向かう時代の空気の一つに「ニュー・アカデミズム」があった。しかし,70年代から「ニュー何とか」という言葉がどれだけ使い捨てされたことだろう。「ニュー・ファミリー」然り「ニューミュージック」然り。


☆ 1970年代くらいまでの「戯画」で「変わり者」は哲学書(なぜかジャン=ポール・サルトルの名前だけ書いてあったりする)を手に小難しいことを話すのがステロタイプ(ステレオタイプ)だった。80年代に哲学はどこかに行ってしまう(そんなことはないことは2000年代の中島義道などを見れば分かるけど)。その代りにニュー・アカデミズムが風の又三郎のようにやって来て,すぐにニュー・エイジに入れ替わった(歌舞伎みたいに)。


☆ その時代の「動力」となったキーワードが「感性」である。今ごろこの言葉を使えば一笑に付されるだろうが,マッキンゼーやボストン・コンサルティング・グループにフィーが払えない連中は仕方がないので代用していた。哲学の後退と感性の興隆は,元々軽佻浮薄を促進しつつあった世相を強力に後押ししたと思う。後者の目から見て前者は嘘っぽく見えたか「ダサい(この時代に起源をもつ言葉でもある)」。もっと世の中は軽やかに乗り越えられる筈だという根拠のない自信が出来上がりつつあった。それは今だったら「レジリエンス」と呼ばれる「たおやかさ」には進まず,むしろとんねるずの素人芸のような勢いとしたたかさに進んでいく。

☆ 山本七平ではないが,日本という国は「空気」のあり方がそのまま時代を作ってきた印象がある。必ずしもそれは日本人に普遍化させられないことだと橘玲は言うが,バブルからその破裂までの日本と今の日本とを見て共通するものを考えた場合,ぼくには前者に軍配を上げざるを得ないのだ。

You Spin Me Round (Like a Record) (Dead or Alive 1984年11月5日)





R.I.P. Peter Jozzeppi "Pete" Burns(5 August 1959 – 23 October 2016)
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コメント

バブル前後

ホイチョイ講座を読んだり、映画を見て、スキーへ行った時代、ハートカクテルを読みながら、浅田彰や栗本慎一郎も買いました。

「構造と力」は何度読んでも理解できず、「相対原論」も文章が頭に入ってこない状態で、線型代数学なんかのほうが、わかりやすい気がしました。

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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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