2017-05

「1984年の歌謡曲」考(その2 P.217まで)【修正有】




☆ 著者に倣って個人史を書いてみると,このヒトより小学校1個分くらい年上であるぼくは,1983年に就職のため関東地方に行った。イメージは長渕剛「とんぼ」みたいなものである。84年は企業人として2年目ですでに化けの皮は大半剝れた丁稚奉公中といったところか。いま思えば1983年ころの自分を見れば今で言う「意識高い系」の成り損ないのような山出しの田舎者が見えるだろう。でもこの本に挙げられている吉幾三の曲で言えば「俺は田舎のプレスリー」みたいなもので,他人からはあからさまに見えるのに本人だけが見ようともしない部分の塊だった。

☆ 1984年といえば学生の頃は無邪気にアイドル歌謡からニューウエイブまで聴き漁っていた(ただし自分の趣味の範囲内で)が,給料が入るようになりレコードを買うお金は増えたが,その代わりに時間が圧倒的になくなってしまい(寮暮らしだったが,別の部署の先輩との二人部屋。しかも平日の残業は2時間が当たり前),必然的にヒット曲を追いかけるのは無理ということになっていく。だからこの年の終わり頃までで松田聖子や中森明菜を買い続けるのも止めていたし(その割にはXTCとかそういうのは渋谷とか吉祥寺とかまで買いに行くのだった=苦笑=),もともと興味のない曲は聴いていない(チャート番組を見る時間もなくなった。部屋の先輩のテレビを独占するわけにはいかないし)。だから今読んでみても「何とも言えない」曲も多い。そこで自分のコメントできる曲だけ選んで書いていくことになる。

特別編Ⅱ 1984年までの松本隆
☆ 「ベタ松本」から「シュール松本」へという著者の個人研究の着眼点は評価できる。だけど「はっぴいえんど」至上主義を引き摺り過ぎているように思えてならない。はっぴいえんどの中での松本,大滝両者の相克が(ヘーゲルの形だけ借りると)アウフベーベンして『A LONG VACATION』に繋がったというステロタイプ(ステレオタイプ)な理解の範囲を超えていないと思う。
☆ 途中で角川春樹の話が出てきて,角川が松本隆がプロデュースした南佳孝のデビューアルバム『摩天楼のヒロイン』を絶賛しているエピソードが記されている。角川はトータル・アルバムとしての『摩天楼のヒロイン』に強い印象を持ち,南がCBSソニーに移って出した『忘れられた夏』で彼を再び見出した。その繋がりが片岡義男原作,浅野温子主演映画『スローなブギにしてくれ』の主題歌に繋がっていく過程は,81年にあった南のコンサートツアー『SILKSCREEN』の冊子で角川自身が書いている。
☆ はっぴえんど から「夏色のおもいで」(チューリップ)や「ポケットいっぱいの秘密」(アグネス・チャン)に移行する70年代中盤の松本は著者の言う「ベタ」でもなければ「シュール」でもない(敢えて言えば前者が前者で後者が後者だ)。評論として割り切る部分があることは理解しているし,ここに書かれているように移行期というものは誰にでもある。だからこそ「シュール」な松本隆が本当に「シュール」だったと言えるのか?フォークに寄り添うアイドル歌手だった太田裕美に76年の時点でいわば四畳半ソングである「しあわせ未満」を書くことは,そのこと自体が「シュール」ではないのか?それは1979年でも84年でもないと反論されれば,返す言葉もないが,まあそういう感想を持ってしまうのである。

#22 薬師丸ひろ子 「メインテーマ」
☆ この評価は「Woman」の前振りのような気がしないでもない。著者も理解しているようにこれは初めから薬師丸と南の二つのヴァージョンを作ることが前提となっていた。だからこの2曲は対で考えないといけない。松本隆も大村雅朗も当然それを前提にしているから「女物=メインテーマ」は,やや受け身のシックに作り,「男物=スタンダード・ナンバー」は,当時の南の志向を反映してアグレッシヴに作っている。

#23 高橋真梨子 「桃色吐息」
☆ 三貴のことばかり延々と描いているので,最近出たこの本を思い出した。


☆ そうじゃなくて曲について語るのに,どうして作曲家の佐藤隆や編曲者の奥慶一の名前がクレジット以外で出てこないんだ?こういう片手落ちが多過ぎるのである。彼は佐藤隆の「北京で朝食を」とか「マイ・クラシック」とかちゃんと聴いているのだろうか?明らかにこれら佐藤作品の線上にこの曲はあり,一方の高橋真梨子には「for you...」から「はがゆい唇」に伸びていく線があって,その交点にこの曲があることは明白であるのに。そういうことが作品評価じゃないのか?じつに面妖な批評である。

#26 小泉今日子 「迷宮のアンドローラ」
☆ この曲が決まった頃,小泉今日子が「やっとまともな曲が歌える」と周囲に話していたという話を聞いたことがある。前回触れた髪の件も,著者の言葉に直せば「自らの内的衝動に正直」ということだろうが,覚悟してショウビズに来たものの,お古やイロモノ路線ばかり「当てがわれてきた」と感じていた彼女のフラストレーションが,やがて自己プロデュース戦略を考えるスタッフ(例えば秋元康とか)とのコラボレーションの中で「自らをアイコン化する」という方向性をようやく得たことを示しているのだと思う。KYON2というコンセプトはまさにそうだ。
☆ 確かにデビュー時から彼女はキョンキョンだったが(笑)それをKYON2と書き換えたところでアイコンとしての小泉今日子が誕生した。Wikipediaの小泉今日子の項目には「1984年頃から大きなタイトル(レコード大賞や有線放送大賞など)をも辞退するようになり、我が道をゆくアイドルになった。」と記されているが,この曲を歌ったことで小泉今日子は歌手としてのけじめをひとつ付けたのだと思う。だから#37 「ヤマトナデシコ七変化」はもはや彼女にとって座興のひとつでしかなかっただろう。だって彼女にとって「迷宮~」のB面が「Dunk」(集英社が学研の「Bomb」に対抗して出した野郎ども向け雑誌)だったことは,同じ年にマドンナが『Like A Vergin』のジャケットの腰ベルトに堂々と「BOY TOY」と記したことのパロディでしかなかったから。期せずして小泉今日子は(よりマドンナを意識していたであろう)松田聖子の上を行ってしまい自らを「ポップアイコンである」と宣言したのである。

特別編Ⅲ 1984年までのサザンオールスターズ
#28 サザンオールスターズ 「ミス・ブランニュー・デイ」
☆ 桑田佳祐が本当に悩んだのは特別篇Ⅲに書かれた時代であることを間違いない。ここから80年代後半まで桑田は今のぼくのような「自称リスナー評論家」を「オリコン小僧」と呼んで敵視していた。命名はおそらくかつてぼくも投稿していた「オリコン・ウイークリー」の常連投稿者たちに対するものだっただろう(笑)。その中の一部は明らかに「よい子の歌謡曲」などに流れているはずだが。しかし見落とすべきでないのは,この時期はサザンの二度目の修業時代だということ。『人気者で行こう』がいわゆる評論家筋に好評だったのはサザンのオールスターズの音楽の幅が広がっていたからで,それは『ステレオ太陽族』で八木正生氏とコラボしたあたりから明らかに広がっていた。
☆ 「JAZZMAN」は確かに名ばかり感があるが(爆),NHK紅白歌合戦を演出で凍らせた「東京シャッフル」には明らかにサザンがジャズから何を学んだかのフィードバックがあったし,ムード歌謡のパロディと思われた「チャコの海岸物語」は,明らかにシングルは歌志向であることを世に問うて成功を収めた例である。
☆ 「ミス・ブランニュー・デイ」のデジタル処理はあるメンバーの不調を補う苦肉の策であったことは良く知られている。あえてそれに触れていないのは武士の情けであろうか?それと爆笑ネタでありながら放禁され,最近YouTubeなどで見かけるようになったPVも,今の世の中では若干の問題を喚起するだろうが,基本は笑い飛ばせるものだ。
☆ 桑田佳祐の魅力はヤバさにある。彼がむかしジョン・レノンのことを「スケベの寸止め」と評したが,寸止めなら桑田も負けていないだろう。彼は「茶化しと反抗の寸止め」である。

#32 舘ひろし 「泣かないで」
☆ キャロルとクールスの類比(アナロジー)は誰でも考える。矢沢永吉と舘ひろし(そこまで行けば岩城滉一も入れるべきなんだが)の類比では歌手がメインか役者がメインかという視点に傾きがちで,その議論を避けている点は評価できる。ただせっかく石原プロの話まで出しておきながら「西部警察」に触れてないのはどうしてだろう?「西部警察」の線上だったら当然寺尾聡が出てくる。こっちの類比が抜けている。またこの曲がヒットしたことで舘ひろしが得た最大の収穫は彼が元ヤン(本当は違う。どっちかというと桑名正博タイプのボンボンである)のイメージを脱し「あぶない刑事」で魅せたスタイリッシュなイメージを先行して獲得したことであり,ここに触れてないのは残念だと思う。

特別篇Ⅳ 1984年までの秋元康
☆ バックステージの話を盛っており,それなりに楽しめた。ちなみに「子供達を責めないで」の元歌はいわゆる「褒め殺し」ソングだが,この時点では竹下登はプラザ合意(1985年9月22日)に出かける前の中曽根内閣大蔵大臣なので「褒め殺し」を世間が知らなかったからこういう歌詩になった。今さらながら稲垣潤一「ドラマティック・レイン」は名作(これと「川の流れのように」だけはね)。

#34 ザ・チェッカーズ 「星屑のステージ」
☆ 世代の差を感じるのは用語法にある。「ヤンキー」はまだその頃は大阪中心の関西圏の言葉だった(ミス花子嘉門達夫に「ヤンキーの兄ちゃんの唄」ってのがあったと思う)。この時代は「突っ張り(=ツッパリ)」。今世紀(特に2014年に原田曜平が「マイルドヤンキー」と言い出して以降)の「ヤンキー」は「ツッパリ」とは相当違う。フミヤの「俺の伝説ベストテン」に旧国鉄の順法闘争だかスト権ストかなんかで機動隊のジュラルミンの盾に突っ込んだ話があって,ザ・ベストテンかどっかで「俺達くらいですよ。機動隊の盾に突っ込んだアイドルは」と話していた。だからこの項目だけでなくチェッカーズの項目の「ヤンキー」は「ツッパリ」と読み替えるべし。それ以外はこの指摘にほぼ納得。むしろギミックのない生歌が聴けた「ザ・ベストテン」とか「レッツ・ゴー・ヤング」(NHK)とか,そういう番組で聴くべきなのかもしれない。

#38 大沢誉志幸 「そして僕は途方に暮れる」
☆ 今さらだけど作詩:銀色夏生 / 作曲:大沢誉志幸は,80年代を代表するシンガー・ソングライター・チームのひとつかもしれない(例えば吉元由美=杏里のように)。大沢の代表曲であり,このラインの最高傑作のひとつかもしれない。そしてこの部分が「Wの悲劇」と並んでこの本のハイライトであることも明白だ。ただこの曲を彼の頂点にすることに個人的には異論があって,『SCRAP STORIES』(1987年)が彼の頂点だと思う。

#39 アン・ルイス 「六本木心中」
☆ 自らをアイコン化することに意識的だったのはアニーも同じだと思う。60年代末から70年代初めの弘田三枝子の位置に80年代の彼女はいたと思う。彼女も70年代前半には10年後の小泉今日子同様に「作られたアイドル像」に嫌気がさし,ショウビズとの距離を取ろうとした時代があり,「女はそれを我慢できない」でツッパリ歌謡の姐御版を作り上げ,その路線が「KATANA」(1988年4月21日)あたりまで続いている。もちろんハイライトはこの曲以降なのだが,その前に山下=竹内夫妻と組んだ作品を出したり,友人でもあった三浦百恵を引っ張り出して(W.A.がその動きを邪魔(封殺)したことも有名だが),アン・ルイスというブランドを作り始めていたと言える。しかし湯川れい子の書き方が不足していて彼女にも気の毒だ(個人的には好きじゃないのだが)。湯川が80年代前後から作詩にちょっかいをかけるようになって最初はとてもシュールな詩(「センチメンタル・ジャーニー」松本伊代)と真反対の詩(「街角トワイライト」シャネルズ)の振幅の中から最終的に「恋に落ちて」(小林明子)に辿り着くのだから,申し越しもう少し広い視野で見るべきだろうと思う。

特別篇Ⅴ 1984年までのYMO
☆ まず前提がおかし過ぎる(爆)。「日本の音楽シーンを「ヤンキー」概念から解放したこと それがYMOの功績である」だそうだ。ここでは「ヤンキー」という概念については触れない。しかし触れざるを得ない(苦笑)。著者によれば「知的なことはカッコいい」という機運を、80年代前半からの日本のカルチャーシーンに植え付けたことが音楽性以外の彼らの功績だそうである。
☆ う~ん。でもここはサブカルチャーやポストモダンや脱構築主義でイエロー・マジック・オーケストラを語る場なのかしらん?それでなくてもサブカルと言うならYMOと書いて「イモ」と読んだり,イエロー・マジック・オーケス虎という新種(珍種)のトラだ(確かこれは林美雄のパック・イン・ミュージックの「苦労多かるローカルニュース」ネタだったのではないか。)とか,そういうリスナー達こそサブカルの名に相応しいのではないだろうか。
☆ 音楽として実験音楽,現代音楽,環境音楽,ディスコ音楽にシンセサイザーが多用されるようになり,音楽の自動演奏がテーマに上がってきたこと。テクノの背景にはそれがある。当然工業化の進展とともにハイテクノロジー(高度化技術)が求められるようになったことはあるだろう。反面,はっぴいえんど以降の細野さんが松本さんとは違う形でショウビズとの関係を取り結びながら自分たちの演奏技術で食っていくという,「70年代型バンドマンのあり方」を模索し始めたところにその根源がある。近年,70年代にキャラメル・ママ=ティン・パン・アレーが手掛けたプロジェクトがCD化されているが,そこではバンドマンとしての技量をベースにいかに多くの周辺音楽(その大半はショウビズと絡んでいる)を取り込んでいったかが俯瞰できる。
☆ そうして技量を磨きつつテクノロジーと音楽はどのように融合していくべきかという課題がテクノポップの背景にあった。当時細野さんは「理想的な状態は頭の中で考えたことがそのまま音楽になることだ」という主旨の発言をしているが,ボーカロイドの登場は細野さんの予言を現実化したものと考えたい。せっかくYMOを媒介に考察するのだったらこういう話を書いてほしかった(ただし,いとうせいこう等について触れている部分はその通りだと思う。彼のミニ番組は802開局以前のFM大阪で長く続いたからね)。

#42 井上陽水 「いっそセレナーデ」
#43 安全地帯 「恋の予感」
#44 中森明菜 「飾りじゃないのよ涙は」
☆ 陽水祭りだそうだ。これらは『9.5カラット』(1984年12月21日彼の2枚目のミリオンセラー)に続いていく作品集である。井上陽水に起きたことは「お酒が飲めるようになったこと」。「いっそセレナーデ」がサントリー角瓶のCMソング(本人出演)だったことがその証拠である(笑)。
☆ ぼくはフランキー(フランク・シナトラ)がビロードのような声だとすれば,井上陽水はシルクのような声だと思っている。共に声艶が勝負なのだが,その艶そのものが違う。声域の差もある(陽水の声域はシナトラより高い)。著者は吉田拓郎と比較しているが,それは声質一本でスティーヴィー(ワンダー)とマーヴィン(ゲイ)を比較するようなもので無理がある。この時代の拓郎の功績は篠島のコンサートを成功させ,その会場で長渕剛を表舞台に引っ張り上げたことであろう。
☆ ただ「陽水2.0」の領域については異論がある。それは1984年に突然用意されたのではなく,1981年『あやしい夜を待って』,82年『LION&PELICAN』で既に用意されていた。せっかく沢田研二に触れたのなら1982年の『MIS CAST』にも目配りしてほしかった。そうすれば陽水2.0なるものが1982年にはプロトタイプが出来上がっていて,83年の『バレリーナ』がそこから少し外れていることに気付いたはずだ。
☆ 著者は関西で84年頃から「ミュートマJAPAN」が見られるようになったことを記しているが,「恋の予感」などはさしずめヘヴィ・ローテーションだったことも覚えているかもしれない。この評価はこの本では「Wの悲劇」の次に良く出来ていて,玉置浩二と井上陽水の声質の違いを的確に表現している。ただ『9.5カラット』で陽水はこの北海道から出てきた後輩に挑むようなことはせず,あくまでイノウエさん流の「恋の予感」を歌っている。これの類比は「夏の終わりのハーモニー」のシングルと陽水の『クラムチャウダー』盤を比較すれば容易に解り得ることだ。
☆ 明菜が試みたことは売野雅勇的な「ツッパリ」(「十戒 1984 」の作品としての失敗を認識して)からどのように「変身」するかということだったと思う。この曲で見られる陽水の冷めた視線は同時期の作品で言えば「娘がねじれる時」とか「灰色の指先」とか「カナリア」などに如実に表れている(それがもう少しキツくなると「ミス・キャスト」や「ABCD」になるが,当時の明菜ではここまでは無理)。「飾りじゃないのよ涙は」は彼女の考えと作品とのバランスがうまく一致した成功作だったと思う。
☆ 著者はマイナーコードの明菜とメジャーコードの聖子を比較している。70年代なら一時期の山口百恵と桜田淳子なのだが,結局ジュンペーがマイナーコードに走ったので(「しあわせ芝居」ほか),モモちゃんの勝ちとなる。80年代は「バブルでド明るい」という誤解が蔓延っているのだが,明るい曲が強調されたのはむしろ不況真っ盛りの90年代だったのではないか?
☆ 「♪ダイヤと違うの涙は」の指摘は非常に鋭い。陽水はこの頃出したカセットブックのタイトルを「歌う見人」と名付けていた。見人(けんじん)とは見物人のことだろうが,見人=陽水らしい洞察力であり,その意図を見抜いた中川右介氏の指摘は明察である。

☆ 書けなかった曲について。
・ 松田聖子(#21,#31,#45)については著者の指摘にほぼ同意する。前回「ガラスの林檎 / Sweet Memories」について書いたが,結果としてあそこがセールスも含め松田聖子の頂点であったと思う。作品としては微妙な感もある「ガラスの林檎」を補って余りある「Sweet Memories」は大村雅朗の代表作として永遠に名が残るだろう。

Oh Sherrie (Steve Perry 1984年4月7日)
(Steve Perry / Randy Goodrum / Craig Krampf / Bill Cuomo)
最高位 全米第3位,全加No.1,全豪第5位 ※曲がすぐ聴きたい人は2:05あたりからどうぞ


☆ この本自体はまだ続くのだが,今回膨大に書いたので僕の方はここで打ち止めにする。
書いたところで誰に何の影響も及ぼさないのが無名人(Nobody)の定めなのだから(´_ゝ`)。
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コメント

1984年

この本は、こちらのブログで初めて知りましたが、79年を扱った前著もあるとのことで、79年と84年は著者にとっては特別な年なのか、歌謡曲にとってエポックメイキングな時期なのか、リアルタイムの自分には、毎年、いろいろあったという印象ですが。

図書館で借りようと思ったら、予約0名だったのが、一晩で5名の予約が入り、こちらの読者の方かもしれません。

それで、とりあえず本屋さんで立ち読みしたところ、もっと多くの曲を取り上げて欲しい反面、1曲について、もっと掘り下げてほしくもあり、名盤紹介本と同様に、もどかしくなります。

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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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