2017-09

後期ROXY MUSIC三部作=1= "MANIFESTO"



初出:2006年5月3日
☆ 最近とんと聞かなくなったが,一時期,永田町を席捲したマニフェストもこのアルバムタイトルと同じ綴り(=言葉)だ。そういえば北川教授がまだ三重県政を司っていた頃にブレア内閣が選挙の際に掲げたマニュフェストを参考にしたのは難くないが,ブレア自身が若い頃フェリーさんを聴いていたかどうかまでは,こちらでは見当もつかない。しかし,このアルバムの頃,ロキシーが全英チャートでいかに活躍していたかを知れば,トニー・ブレアが若い頃に耳にしていなかったとは,まあ考え難い(笑)。

☆ ジャケットが示唆するように,これは作り物の世界である。マニュフェスト(マニフェスト)は文字通りロキシー・ミュージックの復活宣言と取られたが,むしろ今から見ればブライアン・フェリーによる作り物世界への傾倒宣言だったと思わざるを得ない。まあ今野雄二大先生的なダンディズム(=本家のダンディズムとは全く関係ない,曰く言い難いミョーな言葉として)の体現というヘンテコリンな評価が定着した中,このレーベルを剥ぎ取る努力は無駄にも見えるので(苦笑),言いたい方には勝手に仰有いませ。

☆ ロキシー・ミュージックが登場したフィールドはグラム・ロックだ。グラマラスなロックとは,世間(つまり権威)を挑発するかのような派手な化粧に覆われた偽悪の世界である。ここでは2曲目のTrashに文字通りその残滓が窺える。タイトル曲の重さは,ニューウエイブの一部にも通暁したロキシーの音の美意識の現れだが,むしろ彼らの後期の成功を支えたのは3曲目Angel Eyesや8曲目Dance Awayのようなディスコでもヒットしたダンス・ナンバーだ。これらはヒット・チャートに並んでいても何の違和感の無いポップ・ナンバーだ。

☆ ブライアン・フェリーに何らかの美意識を感じる人にとっては4曲目のStill Falls The Rainのような曲が後期ロキシー・ミュージックを代表する曲だということになるだろう。ここでフェリーがジキルとハイドに託したものは,ズルい男の身勝手さなのだろうが,そんな男も小娘に振り回された挙句がTrashになってしまうところが面白い。でも印象深いリフで終わっていくこの曲はたぶん『MANIFESTO』のベスト・トラックだろう。

☆ 5曲目Stronger Through the Yearsは,ポール・キャラックとおぼしきキーボードで始まるややヘヴィ目のナンバー。昔のロキシーとは色合いが異なるアバンギャルド臭が感じられる。これはむしろニュー・ウエイブからオータナティブに移っていく流れに呼応しているようにも感じる。もともとイーノを擁した最初期のロキシーは尖んがったバンドという強烈な印象をシーンに与えて登場したのであるから,ここでアバンギャルド風の音作りをやっても本家帰り的な印象を覚える。ロキシーの場合は,ここから尖った部分を綺麗になめしてしまい,美しい余韻だけをその場に残すような音作りに変わっていく。

☆ LP時代のB面1曲目でもある6曲目Ain't That Soも,そういうアプローチを感じさせる。ブルージィな主旋律を飾る音は漆器のように幾重にも塗り重ねられて深み奥行きを持っていく。音と音が重ねられる中で数少ない言葉のイメージが膨らんでいく。後期のロキシーはこういうアプローチに突き進んでいくのだが,これはその習作という感じがする。

☆ 7曲目My Little Girlはインパクトの強い2曲の間に埋もれて印象が弱い。8曲目は先にも触れたDance Away。後期ロキシー・ミュージックを代表するヒットチューンのひとつであり,ポップでキャッチーというヒット曲の見本のような作品でもある。だからといってフェリーさんがディスコ音楽ににじり寄ったのではなく,その時期のロキシー・ミュージックが作ったダンス・ヒットという点ではLove Is A Drugのようなタイプの曲だと言ってもいいだろう。ただ,後期ロキシーの曲は,いかにも緩やかな流れのようなスムーズさを湛えていて,そのあたりが個性になっている。

☆ 9曲目Cry,Cry,Cryもポップで力強いリズムで押してくるナンバー。この曲あたりになると,ロキシー・ミュージックというよりフェリーがソロ名義でやっていた音に近いような感じがする。実際,ソロアルバムが不評でロキシー再編という皮肉な評価も当時,聞こえていた(アルバムや2枚のシングルのヒットであっという間にそういう批評は消し飛んでしまった)。10曲目,アルバムの最後の曲Spin Me Round。タイトルから受けるイメージとは異なり,美しい小品に仕上がっている。オルゴールに例えた自分自身の音がゆっくりと途絶えていくさまを表しながら,アルバムは幕を閉じる。みごとな構成だ。

☆ 『MANIFESTO』は,確かに後期ロキシー・ミュージックの始まりの作品である。だが,そこにはまだ試行錯誤や顔合わせ的な意味もあっただろうし,取りやめになったフェリー自身のソロ作品からの延長線上のものも含まれていたのかもしれない。しかし,ここに再び集まったフェリー,マンザネラ,マッケイの三人が改めてロキシー・ミュージックの名の下に,70年代末から80年代初めにかけて遺した音楽は,その美しさを永遠に留めることになる。旅はまだ,始まったばかりだ。

2017年5月3日付記
Still Falls the Rain (Ferry, Manzanera)


☆ 10年以上前に書いたものを今ごろ見返してみると,こっ恥(ぱ)ずかしいところも多々あるが(苦笑),人間の美意識なんて,そう簡単には変わらないものだなという気もする。やはりここに置かれたロキシーの音は多分に心地良い。そしてその心地良さと裏腹に歌詩の中身が自分の冴えない人生に反響しながら,沁みてくる。そして現実世界は(この感慨は「近ごろの若い者は」系と同じく,いつ・どんな時代でも同じなんだろうと思うが)息をするほどに悪くなっていく。自分が年齢(とし)ばかり食って,その美意識とは反対方向に進むにつれて,自分の見ている景色に出てくる後世代もまた劣化が著しいように思える。若者からすれば「お前自身の劣化度合いが目糞を嗤う糞そのものだろう」と毒づかれそうだが,その前にこの国の責任ある立場なる者たちの劣化度合いを言っているので,ゆめゆめ早とちりしないように。またそれは,そんな「責任ある立場」にすら相手にされないようなゴマメが夜中の孤独な犬のように吠えているだけだということもまた先刻承知であることは付言しておく。


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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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