2017-05

テクノロジーと流行歌


LISTEN!BARBEE BOYS4LISTEN!BARBEE BOYS4
2,520円
Amazon



☆ テクノロジーの進歩の影響をもろに受けることは,ポピュラーソングの宿命だ。だいいち録音や再生方式から違う。ぼくが流行歌を聴き始めた頃の懐メロは戦前の流行歌だったから,みな78回転のSP盤であり再生すればパチパチと焚き火のようなヒスノイズの中から古色蒼然とした演奏と歌が浮かび上がってくるようなものだった。ティーンエイジャーだったぼくは当然こう思った「古臭い」。この古臭さはちょうど図書館や家にある黴臭い本の臭いを感じた時のような感覚だった。ちなみに歌謡曲という言葉は戦時体制になる昭和初期に流行歌という言葉に軍部が文句をつけて言い換えさせられたものである。

☆ 録音のテクノロジーは第二次世界大戦後に飛躍的に向上した。モノラルからステレオ,そしてアナログからディジタル。音声データが1と0で表されるようになると音楽は記号化したように思う。テクノロジーはポピュラー音楽と融合し,それを一面で進化させ,他面で堕落に導いたと思う。その反動が昨今のライブ(興行)中心主義であることは否定しえないが,初音ミクのような存在がそれすら曖昧にさせている。こんな状況では進化論を否定することに宗教的意義を感ずる人の気持ちも分からないでもない。

☆ 流行歌のもう一つの側面は「歌は世につれ」ることだ。これは歌詩の問題ともいえる。ボブ・ディランは結局ストックホルム行き(ノーベル文学賞受賞)を高弟というべきパティ・スミスに依頼した。非常に良い判断で適切な人選だと思う。でもディランの果たした意義を理解しない人にとっては冷笑の対象に過ぎないだろうなとも思う。「ブロウイング・イン・ザ・ウインド」や「ライク・ア・ローリング・ストーン」の詩として持っている意義は流行歌という枠を超え,たぶん古典になる。それはその時代に対して投げかけられたことで,その時代を反射し,時代の息吹を後世に残す「長く有効な鏡」であるからだ。




☆ 流行歌は生き延びていかないといけない。すべてのクラシック音楽は生き延びた流行歌だ。古典音楽権威主義者(あるいは文壇の権威主義者でもいい)達がいかにポピュラー音楽に対して「上から目線」(この吐き気を催す言葉を何とかしてほしい)で臨もうとも,古典とは生き残った流行に過ぎない。だからポピュラー音楽も偉いなどという土俵には乗りたくもないが,それが事実なのである。

☆ 例えば1980年代後半の「バブル」で「トレンディ」な時代(これだけで唾棄する若者も多い)は,いまみちともたかが描いたバービーボーイズの曲達が十二分に体現されている。いまみちの詩は普遍性も高いが,やはりバブル時代という同時代性がより高い。それはバブルの時代と同じように歴史の後景に飛び去ってしまうと途端に古色蒼然の類になるかもしれない(同じことは湯川れい子が書いた小林明子の「恋に落ちて」の歌詩にも言える)。しかし30年ほど経った今から見てもこれらは1980年代後半の日本というひとつの文化(風俗)の姿を遺しているし,それはやがて歴史的な資料に変わっていくかもしれない。流行歌とは本質,そういうものではないのか。そしてその中の運よく生き延びたものがクラシックになっていくのである。例えばアメリカにおけるガーシュウィンのように。

スポンサーサイト

テーマ:Musically_Adrift - ジャンル:音楽

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

«  | HOME |  »

プロフィール

deaconblue

Author:deaconblue
「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

最近の記事

最近のコメント

FC2カウンター

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログランキング

FC2ブログランキング

カレンダー

04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

カテゴリー

月別アーカイブ

RSSフィード

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

最近のエントリ

最近のトラックバック