2017-05

変わるのは、自分から。 「ハロー・トゥデイ〜Hello Today」 (松原みき 1980年)



☆ 1980年。昭和55年。何かの区切りになる年だったのか,そうではなかったのか。日本のポピュラー音楽は2年前にゲーム・チェンジして,歌謡曲がニュー・ミュージックに取って代わられようとしていた。それはベル・カーブを辿るようなピンク・レディー旋風の終焉や山口百恵のファイナル・ステージへの進化が予感させていた。もっとも歌謡曲の側が偶然見つけた切り札も前後して登場する。それによってゲーム・チェンジはポピュラー音楽自体の拡散(分散化)の道を辿る。

☆ ニュー・ミュージックが中村東洋の許から商業的に剥ぎ取られたように,インディーズの走りである東京や福岡のロック・ムーヴメントもいちおうの「商業パッケージ」に絡め取られていった。その商業の枠から離れたところから,後年までしぶとく生き残るミュージシャン(一部は作家になったりしているが)も出てくるが,そういうのもまた別の話である。

☆ 「ハロー・トゥデイ〜Hello Today」は松原みきの3枚目のシングル。と言っても良く意味の分からない2曲連続リリースのデビューから考えると実質的にはセカンド・シングルに等しいかもしれない。かなり早いディスコ・ビートで進行するのは,彼女の「勢い」にポイントを置きたかったからだと思う。ただそれは一歩間違うとディスコ・ビートの欠点である単調さに繋がってしまう。ぐいぐい攻めているはずが,空振りになってしまうこともある。Aメロで畳み込むように歌い,Bメロ(フック)でそれを料理してまたAメロに返すのだが,やはりどこか単調さは抜けない。

☆ 三浦徳子の歌詩も,どこか小さな苛立ちを感じさせる。主人公が東京だとして女友達のいるマドリッドは,確かに1980年では相当な距離感がある(スペインが王政復古したのは1975年)。リーガ・エスパニョーラもサクラダ・ファミリアも知る人ぞ知る存在だった頃のスペインのマドリッドである。作詞家が地名を選ぶ時に彼我の距離の差を強調するなら,それは意識の差を暗喩している。そこにいる彼女には「別の人生」があり,ここにいる主人公には「別の人生」を選ぶことも出来ず,ここに留まっているという感覚(孤独感とも読める)が色濃くある。

☆ 主人公が「何か言ってね」と依存するのは誰だろう?彼女は白い傘を「思い切り」開いて "恋人が欲しい" と「ふと,思う」のである。その暗喩には何より無人島や砂漠に置き去りにされている感があるのだが,一方で動き出す勇気のない自分が鏡に映っているだけなのかもしれない。そう考えていくと「何か言う」べき者は自分自身ではないかとも思われるのだ。そこでタイトルに戻る。「ハロー・トゥデイ〜Hello Today」。朝起きて,鏡を見て,自分に「おはよう」を言う。自由であり独立しているが,何かが足りない。(自分を)支えるものがない。都会は孤独であり,その孤独も自分が選んでいる。自分を変えなければいけないと気づいた友達は今はスペインにいる。きっかけは誰も与えてくれないが,自分が動き出さないと何も変わらない。そういう情景がある。彼女は半分以上気が付いている。そして彼女が見ている鏡の中に映っている彼女自身が出す結論はただひとつ。「変わるのは、自分から。」




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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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