2017-08

1987年のソウル・レディー


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☆ 「う、ふ、ふ、ふ、」(1983年2月5日)で先輩格の竹内まりやに劣らぬブレイクを果たしたことが,エポにとって良かったことなのかどうなのか。それは彼女がそれからの80年代におそらく心の中で血を流しながら,届け続けた贈り物のような諸作品を聴けば,少なくとも悪いことではなかった。彼女がこの時代に残した作品集は,80年代,まだJ-POPという言葉のなかったこの国のポピュラー・ソングの最高点(少なくともその同じ高み)を示している。

DOWN TOWNラプソディー (14thシングル 1987年3月10日)



☆ 正式なクレジットはない(Mr.Soul Manのクレジット有り)が,デュエット相手は言うまでもなく鈴木雅之。思えば姉貴だとか菊池桃子だとかいろんな人とデュエットしているマーチンだが,これは彼のデュエット・シングルでは初期の方じゃないかな。

☆ ざっくり30年を振り返ってみて,80年代にはソウル歌手も大きく変わっていったと思う。70年代のレディ・ソウル達はカーリーにしたり姐御系(もちろんアリーサ・フランクリンやチャカ・カーンがお手本)の「直系」感が強かった。ジャンルは違うが山田詠美もまったく「それ系」の香りがプンプンしていた(そのエイミーも今では高校の現代国語の教材になっている)。

☆ 流れが変わったのはディスコ・クイーンでドナ・サマーがクローズアップされた70年代末あたりからで,この頃いちばんソウル系にアプローチしていたのが岩崎宏美だという事実もある。つまりフォークやロックが「ニュー・ミュージック」と呼ばれだしたのに呼応するように,ソウル/ディスコがブラック・コンテンポラリーに変わっていった。カルメン・マキや金子マリから宮本典子や葛城ユキを経てこちらに移った先にはエポや杏里や彩恵津子らがいた。もちろんそれらの流れとは別格で吉田美奈子がいるのだが。

☆ 杏里はディスコ/ソウルをベースにダンス音楽としてのソウルを吉元由美と一緒に鍛え上げていった。エポと彩恵津子は60年代からのソウル本流に再訪している。それはスウィート・ソウルをベースとしながら80年代のポピュラー音楽のあり方と歌詩にも重きを置いたアプローチであった。本来的なソウル・ファンからの評価はまだ高くないと思う。どういう音楽を選び,織り込んでいくにせよ,これはポピュラー音楽という大きな縛りの中のアプローチでもあるからだ。


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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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