2017-07

ポピュラー音楽の分析にも「時間」が必要であることについて



☆ ポピュラー音楽の分析にも時間が必要だ。流行は時間を経ることで,その当時の世相や風俗について伝えてくれる資料となる。流行音楽は他の流行(コンテンツ)同様,専ら消費されることを目的としている。この消費財としての「賞味期限」は長くないが,流行音楽が「その時代の消費財のひとつであった」という事実は,後年「その時代」を理解するうえの手掛かりのひとつとなりうるということも示している。

☆ 1970年代末に近田春夫達が「歌謡曲評論」を試みた背景には,他のジャンルの音楽同様に分析が必要ではないかという「動機」があったと推察される。これはポピュラー音楽の製作者サイドからの控え目な異議申し立てであったには違いないが,いかんせん彼等の活動は常にアップデイトを要求されるという点で「ポピュラー音楽」そのものとあまり変わらなくなってしまった。こういう言い方は先人に失礼かもしれないが「ミイラ取りがミイラになる」という感が無きにしも非ずである。

☆ いまは歌謡曲を例にとったが,ほぼ同様のことはジャズやロックの評論にも通底しているように感じられる。桑原茂たちが「スネークマン・ショー」の中でかつて実在したNHKラジオ第1の音楽番組(その頃はNHK FMに移管していた)をパロって,ロック(音楽)評論の不毛を徹底的に笑い飛ばしているが,いみじくもそのギャグが示している「評論」の限界は,基本的に論者の「美学」に依拠するというところにある。

☆ この「美学」の罠から抜け出すために「時間」が必要になる。それはポピュラー音楽から肝心のポピュラリティを幾分か奪うことにもなるし,別の言い方をすれば病原性物質をワクチンに変えるような効果もあるように思う。このアプローチは,消費財としてのポピュラー音楽に幾つかの消費世代を潜(くぐ)らせ,パラダイム的な意味での「時代の変遷」を経た後で,もう少し客観的な視座からこれを分析することができないかという試みである。別の言葉に置き換えるなら,その音楽(作詩)家がその音楽(詩)を作った背景を可能な限り鳥瞰的に眺めてみるということだ。

そういう考察は,単にポピュラー音楽の分析を深めるだけでなく,ポピュラー音楽じたいをひとつの素材として,その時代を文化(世相・風俗)の面から考察することにもつながるものと考えている。

Pulling Mussels (From The Shell)
(Squeeze / Released 9 May 1980 / Chris Difford / Glenn Tilbrook)



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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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