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2020-02

「In the Gallery」 (Dire Straits 1978年10月7日=アルバムリリース)



In the Gallery (Mark Knopfler)



Harry made a bareback rider proud and free upon a horse
ハリーは荒馬乗り,鞍もつけずに騎乗できるのが彼の誇り
And a fine coal miner for the NCB that was
国営炭鉱の優秀な鉱夫だった
A fallen angel and Jesus on the cross
十字架のイエスと堕天使の姿
A skating ballerina you should have seen her do the skater's waltz
「スケーターズ・ワルツ」の旋律に乗って滑るように踊るバレリーナの姿
Some people have got to paint and draw
人々は彼に本格的な絵画を描くことを勧めていたが
Harry had to work in clay and stone
ハリーは粘土や石の上にそれらを描くしかなかった
Like the waves coming to the shore
だけどそれは波が岸辺に寄せてくるように
It was in his blood and in his bones
彼の血と骨の中に自然と備わった才能だったのだ
Ignored by all the trendy boys in London and in Leeds
ロンドンとかリーズにいる気の利いた坊やたちには無視されても
He might as well have been making toys or strings of beads
彼はおもちゃやビーズ細工を作ることで事足れりとしていたのだ
He could not be in the gallery
彼の作品は画廊を飾るようなものじゃなかった

And then you get an artist says he doesn't want to paint at all
「彼はそんなところに飾られる絵なんか書きたくなかったのさ」と
他の画家たちが言うのを,きみも耳にするかもしれない
He takes an empty canvas and sticks it on the wall
彼は巨大な空白のカンバスを得て,壁に貼り付けている
The birds of a feather all the phonies and all of the fakes
羽ばたく鳥たちの羽根,その全てが嘘偽りに満ちたもの
While the dealers they get together
さてその噂が画商たちの耳に届くころ,彼等は集団で現れる
And they decide who gets the breaks
そして彼らは誰が人気を得るかを決めてしまう
And who's going to be in the gallery
そして誰の作品が画廊に現れるのかまでも決めてしまうのさ

No lies he wouldn't compromise
彼は妥協するための嘘なんかつかなかった
No junk no bits of string
屑も無ければ,線一本の無駄もない
And all the lies we subsidize
そんなウソの全てをぼくらはありがたく誇張して
That just don't mean a thing
何の意味もないことに重大な意味を持たせてしまう
I've got to say he passed away in obscurity
ハリーはひっそりとその生を終わらせたことは言っておくべきだろう
And now all the vultures are coming down from the tree
でも今やハゲワシどもが樹の上から彼の作品群を見下ろしている
So he's going to be in the gallery.
そうやって彼(の作品)は画廊の中に鎮座するようになるのさ

NOTES:
NCB(全国石炭委員会) イギリスの石炭産業を国営化するために設立された法人。1946年の石炭産業国有化法に基づいて設立され、1947年1月1日の「権利確定日」に英国の炭鉱を引き継いだ。1987年、NCBはBritish Coal Corporationと改名され、その後資産が民営化された。

☆ ダイア・ストレイツの同名デビュー・アルバム(邦題『悲しきサルタン』:ちなみに最初の邦題は『ショック』というらしいが,この初版(LP)の「オビ」と「解説」はかなりレアものだろう)のB面2曲目。「悲しきサルタン」がロンドンの下町で売れないセミプロのバンドが(当時は)時代遅れの音楽をプライドを持って演奏する姿を描いたその後で,売れない無名の画家が死んだ後に人気が出てというゴッホみたいな話が描かれているのがこの曲。

☆ ぼくはバンクシーというアーティストをよく知らないのだが,彼の存在とこの曲がリンクする気がしている。バンクシーの作品にえらい値段が付くこと自体が何かのパロディのようで,バンクシーという人だか集団だか良く分からないアーティストもそんな状況を冷ややかに見ている気がする。マーク・ノップラーが淡々と歌うこの曲の主人公ハリーがあの世から同じ目をして「画廊(にたむろする人々)」を見下ろしているかのように。

☆ 絵画といえば原田マハの小説の題材で,直木賞を獲り損なった幾つかの作品も興味深かったし,近刊の『風神雷神』も新聞小説だったこともあってメリハリの効いた文体に俵屋宗達と天正少年使節という絶妙の組み合わせがストーリー・テラーとしての彼女の腕をさらに一段上げたような感覚を抱かせた。ダンス,楽器の演奏,絵画,数学...こういうものの才能を磨く努力をもっと若いうちからやっておくべきだったなと思いながら,小説を読み,CDを聴く毎日だ。

Dire Straits:
John Illsley – bass guitar, vocals
David Knopfler – rhythm guitar, vocals
Mark Knopfler – vocals, lead and rhythm guitars
Pick Withers – drums
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「ロンリー・ハート(Lonely Hearts)」 (クリエーション 1981年4月21日)


☆ 70年代後半の日テレ(AX)は刑事ものと青春ドラマの主題曲の宝庫だった。確かこの時代のテーマ曲ばかりを取り揃えたBOX SETが出た時「ウイッシュリスト」に入れようか真剣に悩んでしまった(笑:結局高すぎたため,やめた)。当時のぼくはラジオっ子だったのでテレビドラマに一向に興味がなく(唯一の例外が再放送ではまった「傷だらけの天使」),これら「主題歌のヒット」はラジオのチャート番組で知るというパターンばかりだった。思えばラジオが「若者のメディア」だった時代なのでラジオの話で盛り上がると「あいつはラジオっ子だから」と認定され,テレビの話題を理由に「外される」こともない良い時代だった。

☆ 日テレの刑事ものはロケの関係からか横浜びいきだった気がする。ぼくはカップス(ゴールデン・カップス)の黄金時代は知らないが,カップスにいた人達のその後については例えば柳ジョージのようにかなり影響を受けたと思う。60年代に竹田和夫が始めた時にはブルース・クリエイションだったのが(これも日テレ絡みとはいえ)「スピニング・トウ・ホールド」の頃はクリエイション、この曲の頃はクリエーションとなんだかジェファーソン・エアプレインみたいな変化(ジェファーソン・エアプレイン→ジェファーソン・スターシップ→スターシップ)だなあと思った。

「ロンリー・ハート(Lonely Hearts)」 (作詩:大津あきら / 作曲:竹田和夫)



☆ クリエイション時代,特に「スピニング・トウ・ホールド」の印象が強いので,こんな凄いヴォーカルがいたんだと思ったら(最近教えてもらって)ザ・カーナビーツのアイ高野(アイ たかの、1951年1月12日 - 2006年4月1日)だった。カーナビーツと言えば本家ゾンビーズ(当然ヴォーカルはコリン・ブランストーン)をも圧倒した翻訳ポップスの大傑作「好きさ好きさ好きさ(I Love You)」のあのアイ高野を擁したグループサウンズだけど,確かにティーンエイジャー(彼が16歳の時の歌唱)であれだけの代表曲を持ってしまうことは後年の苦労が理解できる(後年の成功の規模は違うけどスティーヴ・ウインウッドもそうだし)。

☆ でもこの曲はテレビドラマを見ないぼくにとってもワン・アンド・オンリーの記憶に残るヒット曲だ。
【Notes】(Wikipediaの同曲の項より引用)
1981年4月~9月に、日本テレビ系列で火曜日夜21時より放映されたテレビドラマ「プロハンター」の主題歌に採用。また当ドラマ放送中のBGMも、クリエーションが担当した。

オリコンチャート上において、シングル発売当初は伸び悩んだが、1981年夏頃からじわじわと順位を上昇し、週間最高は8位まで上昇。37.7万枚を売上げ、1981年度の年間ランキングは37位。クリエーション(前バンド・クリエイション名義も含めて)としては最大のヒット・シングルである。

TBS系列の『ザ・ベストテン』では、シングル発売から5か月経過後の1981年9月24日放送時第9位に初登場。その後同年10月8日に最高の第8位迄ランクされ、10月22日放送時の第9位迄、合計で連続5週間ランクインされた。

☆ この頃はライヴァル局のタイアップソングでも放送する時代になっていた。それをやれなかった某FMのチャート番組は「スポンサーを元に戻せ」という抗議の葉書が来た(以前のスポンサーはタイアップに関係ない会社だったため)という笑えないエピソードもある。その頃の基準から言えば「タイアップ(=番宣)」でゲストを呼ぶ現代のテレビ局(NHKですらそうなっている)がネット(アマゾン・プライムビデオやネットフリックス)に負けるのも仕方ないように思えてしまう。

☆ テレビを見ていないぼくが言うのもおこがましいけど,この曲が主題歌だったドラマ「プロハンター」のスタッフを見たら主演の二人(草刈正雄と藤竜也)は旬のヒトだし,制作側は村川透,長谷部安春,崔洋一などこの手の作品(映画含む)をリードしていく監督が揃っていて,今のネットフリックスの活況にも似た現場だったんだろうなと思ってしまう。違いがあるとすればその頃の日本はまだ(今に比べても)まだ貧乏で「カネがない分知恵を出す」しかない時代だったのだろうなということだ。

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猫も恋するニャンニャンニャン じいさん学 第16講


☆ 俳句の季語で「猫の恋(行為ではない)」といえば冬,ということになっている。猫の繁殖は年2回らしいのだが,真冬の寒い盛りに桑田佳祐風に言えば「♪耐えてな~お~さ~ら~ 狂える燃えさかる」という訳で,煩(うるさ)いったらありゃしない。今日はそんなニャンコの日でありまする。(嫌猫家の皆様、こちらでご退出を...)



☆ で,猫の恋なのであるが,この従順な素振りを犬の1万分の1も見せない唯我独尊の「野生のモノ」は,その野性を存分に発揮して周囲を困惑に陥れる。戦う雀は人間を恐れないらしいが,狂える燃えさかる猫は人間を気にしない。とはいえ「あまりの熱情エネルギーの高さに耐えかねて(要は「うるさーーーーーーい!」^^;)人間が飛び出してくると,さすがに野生のモノらしく,それまでの情熱を瞬時に振り捨てて逃げ走り去る訳だ。

☆ で,猫の恋の一番の被害者は,その街に新しく連れてこられた飼い犬の子犬かもしれない。只ならぬ殺気と恐ろし気な鳴き声にビビった子犬は吠えて応戦するも,猫の眼中に子犬の姿はなく,たとえあったところで鎖でつながれた犬に何ができると猫の方は本能的に察知しているから,そんな存在は無視して「狂える燃えさかる」。こういう季節を二回ほど経験するともうすでに子犬でなくなった犬の方もすっかり諦めて吠えもしない(勝手に盛ってろバ~カ)となり,静けさを取り戻した街に猫の恋だけが高らかに響き渡るのである。

☆ ニャンニャンというのが猫一般を表していたのが「そうでなくなった事情」は,いろいろ問題があるので省略するが,この言葉がいまだに有効で,しかも一種の擬態として使われているということは猫族にとって名誉な話なのかどうか。村上春樹の初期の短編にあるようにこれは犬猫病院の電話番号(1122=敢えて読み仮名は伏す=自爆)あたりに収めるのが適当と思われるが,皆様如何に?

「ネコ・ニャンニャンニャン」(作詩:犀泪弾/作曲:鹿王院嵐山)
あのねのね(1979年2月25日:オリコン最高位 42位)



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「We're an American Band (アメリカン・バンド)」 (Grand Funk 1973年7月2日)


初出:2008年2月10日
We're an American band (Don Brewer)



Out on the road for forty days
40日間のツアーに出たのさ
Last night in Little Rock put me in a haze
(アーカンソーの)リトル・ロックじゃ,目の前に霞がかかったようなザマだった
Sweet, sweet Connie, doin' her act
めっちゃ可愛いコニーがバッチリ決めてくれた
She had the whole show and that's a natural fact
あいつの振る舞いは極上の自然さって奴だった
Up all night with Freddie King
一晩中フレディ・キングとジャムってりゃ
I got to tell you, poker's his thing
お前に伝えたかったぜ,あいつはまるでポーカーをやってるみたいだったって
Booze and ladies, keep me right
アルコールといい女がいりゃあそれでご機嫌さ
As long as we can make it to the show tonight
あとは今夜のステージをバッチリ決めちまえばこっちのものさ

We're an American band
俺達がアメリカン・バンドだ
We're an American band
俺達がアメリカン・バンドだ
We're comin' to your town
俺達がお前の住む街にやって来りゃ
We'll help you party it down
お祭り騒ぎを起こしてやるぜ
We're an American band
俺達がアメリカン・バンドだ

Four young chiquitas in Omaha
(ネブラスカの)オハマじゃ若くてピチピチした娘が四人も
Waitin' for the band to return from the show
俺たちのツアーが来るのを待っている
Feelin' good, feelin' right and it's Saturday night
いい感じさ,バッチリじゃん,おまけに今夜は土曜の夜と来た
The hotel detective, he was outta sight
ホテル探偵には目の届かないところでなきゃ
Now these fine ladies, they had a plan
この可愛い娘ちゃん達にも考えってものがあってね
They was out to meet the boys in the band
バンドのメンバーを連れ出そうって魂胆さ
They said, "come on dudes, let's get it on"
可愛い声で誘うのさ「おいでよ皆,決めに行きましょ」
And we proceeded to tear that hotel down
そうして皆でホテルの中をハチャメチャにしに行くことになる

We're an American band
俺達がアメリカン・バンドだ
We're an American band
俺達がアメリカン・バンドだ
We're comin' to your town
俺達がお前の住む街にやって来たら
We'll help you party it down
お祭り騒ぎを起こしてやるぜ
We're an American band
俺達がアメリカン・バンドだ

We're an American band
俺達がアメリカン・バンドだ
We're an American band
俺達がアメリカン・バンドだ
We're comin' to your town
俺達がお前の住む街にやって来たら
We'll help you party it down
お祭り騒ぎを起こしてやるぜ
We're an American band
俺達がアメリカン・バンドだ

We're an American band
俺達がアメリカン・バンドだ
We're an American band
俺達がアメリカン・バンドだ
We're comin' to your town
俺達がお前の住む街にやって来たら
We'll help you party it down
お祭り騒ぎを起こしてやるぜ
We're an American band
俺達がアメリカン・バンドだ

We're an American band
俺達がアメリカン・バンドだ
We're an American band
俺達がアメリカン・バンドだ
We're comin' to your town
俺達がお前の住む街にやって来たら
We'll help you party it down
お祭り騒ぎを起こしてやるぜ
We're an American band
俺達がアメリカン・バンドだ

We're an American band, wooo
俺達がアメリカン・バンドだ
We're an American band, wooo
俺達がアメリカン・バンドだ
We're an American band, wooo
俺達がアメリカン・バンドだ

【Notes】
リトル・ロック 米国南部アーカンソー州の州都。言わずと知れたクリントン夫妻の出身地であるが,この曲がヒットしていた頃(今から35年前)は,彼らも20代半ば位だった筈である。
オマハ 米国西部ネブラスカ州の州都。知っている人は良く知っている,世界一の投資家ウォーレン・バフェットの出身地。さすがにバフェットはこの曲がヒットしていた頃は既にバークシャー・ハザウエイの社長だった(笑)。





アメリカン・バンドアメリカン・バンド
(2008/12/10)
グランド・ファンク・レイルロード

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☆ 英語版Wikipediaによると,グランド・ファンク・レイルロードというバンド名の由来は,彼らの地元であるミシガン州フリントを経由するグランド・トランク・レイルロードという鉄道会社のもじりだそうだ。また,Wikiには,この曲名の由来もあった。それは彼らが1973年初めにハンブル・パイ(スティーブ・マリオットやピーター・フランプトンが在籍した英国のバンド)と一緒にツアーを行った際のエピソードで,ある日ツアー先で公演がはねた後に二つのグループで飲みに行き,そこでブリティッシュ・ロックとアメリカン・ロックはどっちが優れているかという(いかにもありがちな^^;)論争になった。グランド・ファンクのドラマーであるドン・ブリューワーは,その最中にやおら立ち上がってアメリカン・ロックの先人達(ジェリー・リー・ルイス,ファッツ・ドミノ,リトル・リチャード,エルヴィス・プレスリーら)の名前を並べた後に高らかにこう宣言した。「俺たちゃアメリカのバンドなんだ(We're an American Band)!」

☆ そのことに気を良くしたのか,翌朝ブリューワーがこのエピソードに自分達とグルーピー達との乱痴気騒ぎの話を織り交ぜて作ったのが,この曲「アメリカン・バンド」。トッド・ラングレンがプロデュースしたこのハード・ロックは,1973年9月29日にグループ初の全米No.1ヒットに輝いた(ちなみに直前のNo.1はマーヴィン・ゲイの「レッツ・ゲット・イット・オン」なので「そういう系統の曲」が続けてヒットしていたことになる(爆)。


2020年2月19日

Billboard Hot 100 1973年
7/28 83位(New Entry)→69位(8/4)→57位(8/11)→29位(8/18)→19位(8/25)→11位(9/1)→8位(9/8)→5位(9/15)→2位(9/22)→No.1(9/29)→4位(10/6)→10位(10/13)→12位(10/20)→14位(10/27)→21位(11/3)→34位(11/10)→44位(11/17)→チャート外(11/24)

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「Little Red Corvette」 (Prince 1983年2月9日)



☆ プリンスの名前を知ったのはストーンズのツアー(1981年)のオープニング・アクトに選ばれた時だった。その時のことはWikipediaの彼の項目にこのように記されている。

> 1981年には『Controversy(邦題:戦慄の貴公子)』を発表。同名シングルがインターナショナルチャートにランクインする。この時期に、ローリング・ストーンズの前座としてツアーに帯同していたが、公演によっては、物(キャベツ等)を投げつけられるなどストーンズ目当ての客からのブーイングを受けた。当時、ストーンズの楽屋を訪れたデヴィッド・ボウイが、トイレで泣いているプリンスの姿を見掛けたため、以後の自身のツアーでは前座ミュージシャンをつけることをやめたというエピソードが残っている。

> その当時、オープニングアクトに起用したミックジャガーは、「お前達はプリンスがどれだけ凄いか分からないだろう」と言ったと言われている。

Little Red Corvette (Prince)PV



☆ ミックのエピソードは取って付けた感もあるが(笑),思えばストーンズの70年代のオープニング・アクトはスティーヴィー・ワンダーが務めたこともあり(その後の黄金時代は言うまでもない),黒人音楽の先端に対するミックの嗅覚は,この域の渋谷陽一が評価した通りである。とはいえ,プリンスというミュージシャンが浮上してくることは当時のぼくには予想がつかなかった。

アルバム・ヴァージョン(5:03)



☆ この曲がリリースされた83年冬春シーズンは,マイケル・ジャクソンの2曲(「ビリー・ジーン」/「今夜はビート・イット」),デヴィッド・ボウイ「レッツ・ダンス」,アイリーン・キャラ「フラッシュダンス...ホワット・ア・フィーリング」といったダンスフロア系の曲とポリス「見つめていたい」,シャーリーン「愛はかげろうのように」などの歌モノ,トーマス・ドルビー「彼女はサイエンス」やアフター・ザ・ファイヤー「秘密警察」みたいなエレポップ系と百花繚乱。アイドル系でデュラン・デュラン,カルチャー・クラブ,カジャグーグーなど80’sブリティッシュ・インヴェンジョンの真っ盛りだった。

☆ その中でプリンスのこの曲が頭角を現してきた時(歌詩を知らんもんで^^;)「プリンス?...ああ,あのストーンズの前座に出てた気持ち悪い兄ちゃんか(爆)」なんて軽く見ていた。それが大間違いと分かるのは翌年のこととはいえ(苦笑),曲としてはいま聴いても魅力的。コベット(シボレーのスポーツタイプ車)の比喩はRCサクセション「雨上がりの夜空に」みたいなもので,実際1950年代にこの愛称のコベット(コルベットとかコーベットと呼ぶ人も多い)があったと聞く。

Billboard Hot 100 1983
2/26 66位(New Entry)→62位(3/5)→54位(3/12)→37位(3/19)→38位(3/26)→24位(4/2)→19位(4/9)→17位(4/16)→12位(4/23)→10位(4/30)→9位(5/7)→8位(5/14)→6位(5/21:最高位)→6位(5/28)→8位(6/4)→14位(6/11)→26位(6/18)→36位(6/25)→51位(7/2)→61位(7/9)→73位(7/16)→86位(7/23)→ランク外(7/30)

ちなみに曲の創作エピソードとして英語版Wikipediaにはこういう話が記されている。

> Prince got the idea for the song when he dozed off in band member Lisa Coleman's 1964 pink Mercury Montclair Marauder after an exhausting all-night recording session.
殿下がこの作品の着想を得たのは,徹夜のレコーディング・セッションが終わったある晩,バンドメンバーのリサ・コールマンが所有する64年型フォード・マーキュリー・モントクレア・アマローダーの車中でうとうとしていた時だった。
> The lyrics came to him in bits and pieces during this and other catnaps. Eventually, he was able to finish it without sleeping.
この曲の歌詩は彼がその晩に何度か繰り返したうたた寝の中で見たシーンの断片が集まってきたものだった。結局彼はそのまま眠ってしまうことなく,曲を仕上げることができたのだった。

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カラフルな19世紀 じいさん学 第15講



☆ 昔も今も意味不明なことには内輪の事情というものがあるもので...



☆ クリームの「サンシャイン・ラブ(Sunshine Of Your Love 米:1967年12月,英68年9月 リリース)」が収録されている彼らのセカンド・アルバムは『Disraeli Gears(ディズレーリ・ギアーズ)』が原題だが,意味不明を察した日本のレコード会社はジャケットの極彩色と彼らのファースト・アルバム『Fresh Cream(フレッシュ・クリーム)』を無理やり結び付けて『カラフル・クリーム』という意味不明な邦題で売り出した(👇笑)。まあ確かにクリーム(という名前のバンド)の極彩色(カラフル)なレコードではあるのだが(爆),世界史,特に19世紀英国史(ヴィクトリア女王の時代ですな)をかじった人間なら別のことに気が付く。

「Sunshine Of Your Love」
(Pete Brown / Jack Bruce,Eric Clapton)



☆ イギリスとアメリカは二大政党制の国だと言われていて,イギリスの方はかなりあやしくなってきたが今でも一応そういう形になっている。アメリカはずっと共和党と民主党だが,イギリスは19世紀と20世紀では組み合わせが異なってくる。片方はBrexitを強行した保守党なのだが,カウンターパートが異なる。19世紀は自由党(今の英:自由民主党の源流)であり,20世紀以降は労働党だ。で,その保守党の党首かつ英国首相を二度務めた政治家の名前がベンジャミン・ディズレーリ(Benjamin Disraeli, 1804年12月21日 - 1881年4月19日,在任:1868年、1874年 - 1880年)で,その名が何故か彼の時代の百年後に同じ国のロック・バンドのアルバムタイトルになっているのである。ちなみにディズレーリの好敵手である労働党党首はウィリアム・グラッドストン(William Ewart Gladstone 1809年12月29日 - 1898年5月19日,在任:第一次: 1868年-1874年、第二次: 1880年-1885年、第三次: 1886年、第四次: 1892年-1894年)。

☆ ちなみにベンジャミン・ディズレーリは若い頃に小説を出版した経験はあるが,機械工学に関する業績は特に残していない(爆)。この謎解きは『ディズレーリ・ギアーズ』についてのWikipedia英語版に書いてある。

> Drummer Ginger Baker recalled how the album's title was based on a malapropism which alluded to 19th-century British Prime Minister Benjamin Disraeli:
クリームのドラマーだったジンジャー・ベイカーは当時のことを思い出し,アルバムのタイトルが,とある言い間違いの結果,19世紀の英国首相を務めたベンジャミン・ディズレーリを思い起こされるような名前になったかをこう語った。
> You know how the title came about – Disraeli Gears – yeah? We had this Austin Westminster, and Mick Turner was one of the roadies who'd been with me a long time, and he was driving along and Eric [Clapton] was talking about getting a racing bicycle. Mick, driving, went 'Oh yeah – Disraeli gears!' meaning derailleur gears...We all just fell over...We said that's got to be the album title.
「どうしてアルバムタイトルが『ディズレーリ・ギアーズ』になったのかって?当時俺たちはオースチン・ウエストミンスター(注:自動車の車名)を持っていて,ローディーのひとりだったミック・ターナーって奴が俺と長いこと一緒にいたのさ。で,ある時,奴がエリック(クラプトン)と遠乗りに出掛けた時,クラプトンがレース用の自転車が欲しいという話をし始めたんだ。
「その時にミックの奴が車を運転しながらこう言った "おい,それってディズレーリ・ギアの付いてるやつだろ...あいつはderailleur gears(ディレイラー・ギアーズ:変速ギア)と言うつもりで言いそこなったんだ...それが皆んなに大受けして,「じゃあ,アルバムタイトルもそれでいこうぜ」ってなことになったのさ」

☆ 70年代ブリティッシュ・ロックのヘンテコリンな邦題はたいてい直訳が原因(その代表的なものはデヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』とピンク・フロイドの『アトム・ハート・マザー』あたりが双璧(爆)だが,原題のせいで邦題の作題に苦しんだと思われるものはその後も続いており,ひと頃はこれをネタに取り上げていた。

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1976年2月14日付 Billboard Hot100


Hot10
1 50 Ways To Leave Your Lover Paul Simon
(No.1 2週目:登場9週目)
2 Love To Love You Baby Donna Summer
(先週2位:登場11週目)
3 You Sexy Thing Hot Chocolate
(先週2位:登場11週目)
4 Theme From S.W.A.T. Rhythm Heritage
(先週8位:登場14週目)
5 Sing A Song Earth, Wind & Fire
(先週5位:登場13週目)
6 I Write The Songs Barry Manilow
(先週4位:登場14週目)
7 Love Rollercoaster Ohio Players
(先週6位:登場14週目)
8 Love Machine(Part 1)The Miracles
(先週11位:登場17週目)
9 Breaking Up Is Hard To Do Neil Sedaka
(先週10位:登場10週目)
10 Evil Woman Electric Light Orchestra
(先週13位:登場14週目)

☆ バレンタインデーの週次チャートに相応しくないNo.1がポール・サイモン「恋人と別れる50の方法」(笑。ちなみに一番相応しいと思う2月14日付No.1は何度か書いたようにボン・ジョヴィ「リヴィング・オン・ア・プレイヤー」:1987年)。当時から「50も歌ってない」とか「恋人じゃなくて愛人だろ」などという穏やかではないコメントも流れていた(爆)。

☆ 2位「愛の誘惑」はまだ色モノ路線に近かった時代のドナ・サマー。もっともミュンヘン・ディスコの基本サウンドは構築済みで翌年以降のブレイクの基礎となったTop 3ヒット。ディスコ系が強いのは3位ホット・チョコレートや5位アース,ウインド,アンド・ファイヤー,7位オハイオ・プレイヤーズ,8位ミラクルズと一目瞭然。その中で異彩を誇る「反逆.のテーマ"Theme from S.W.A.T."」は言うまでもなく当時の人気TV番組『特別狙撃隊S.W.A.T.』からのヒットで「効果音楽」として使われる寿命で言えば,この10曲の中では断トツだろう。

☆ 『魂』で日本でもブレイクし始めたアースとじわじわジェフ・リン色を濃くしてきたE.L.O.に挟まれるようにエルトン・ジョンの支援を受けて大復活したニール・セダカが昔(1962年)の曲「悲しき慕情」のリメイクでチャートを飾っているのも興味深い。この年にカーペンターズもこの曲を取り上げており,ちょっとしたブームになった。

Theme from S.W.A.T. (Michael Omartian, Steve Barri)



Love Machine(Part 1 & 2)
(William Griffin / Warren Moore)



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「How long will it last」 (Stuff 1976年=アルバムリリース)


STUFF "Japan Debut" [ How long will it last / Live ]
Tokyo Harumi 1977

Harumi Tokyo Japan. April 10.1977 / ローリング ココナッツ レビュー ジャパン
東京晴海国際貿易センター東館(ドーム)
PERSONNEL
Richard Tee - Acoustic piano
Cornell Dupree - Eelectric guitar
Gordon Edwards - Bass
Chris Parker - Drums, percussion

YouTube Posted by pampa777




☆ 『スタッフ!(同名デビューアルバム)』LPのB面トップの曲。このライブのスタッフは作曲者でもあるゲイルといつもだったら絶対居そうなガッドを欠けた4名の演奏だが,その演奏が速い!この曲は確かに『スタッフ!』の中ではファスト・チューンなのだが,それにしてもこの疾走感は何だろうという気がする。

How long will it last (Eric Gale)



STUFF are :
Richard Tee - Hammond B-3 Organ, acoustic and electric piano
Cornell Dupree - Acoustic and electric guitars
Eric Gale - Acoustic and electric guitars
Gordon Edwards - Bass, percussion
Chris Parker, Steve Gadd - Drums, percussion

☆ スタッフは日本で特に好まれたバンドだったと思う(米国では東海岸に偏っていた)。それは手練れのミュージシャンがセッションを延長させたようなグルーヴで自分たちの好きな音楽を創りだしていったからだと思う。バンド好きのためのバンドには,こういうタイプもあると思うのだ。

A Tribute to "STUFF" - How Long Will It Last


NOTES:
Gt: Hideaki Ishikawa
Gt: Shoji
Key: Shinya Fujita
Dr: Satoshi Ishikawa
Ba: Hideshi Hamazaki

March 22 2014, at KJ Hall, Hamamatsu, Japan
You Tube posted by hdc921




☆ 「ローリング・ココナツ・レビュー」のCD(スタッフの出演部分のみの1枚もの)が昨年出ていて,この記事を書いている時に気が付いて購入し,ついさっきまで聴いていた。この公演では(エリック)ゲイルと(スティーヴ)ガッドを欠いている4ピースのスタッフだったが,デュプリーとクリス・パーカーがゲイルとガッドの穴を埋める熱演だった。最後に「蛍の光」をスタッフが演奏するという豪華な「おまけ」(ティーがこのスコットランド民謡を弾いた音源はたぶん世界中でこれだけだろう)つき。最後の方に盛り上がって笛がやたら鳴らされていて(誰が鳴らしているか不明)これがニューヨーク(ボトムラインとかミケールズ)だったら多分つまみ出されたと思うけど(爆)あの70年代後半の「吹っ切れ感」がよく出ていて,それも良かった。


PS.だけどこのコンサートを企画した泉谷しげるの頭には拓郎の「つま恋」や岡林信康が見に行った本家ボブ・ディランの「ローロング・サンダー・レビュー」があったのだと思う。そんな泉谷には明らかに先見の明があって,この数年の幸せそうな野外フェス全盛時代の遥か彼方の先駆者であったのだなあと思う。

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中国風邪(チャイナかぜ) じいさん学 第14講



☆ 横浜港の近くにクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」が到着したのが2月3日で,6日には鶴見区の大黒ふ頭に着岸し,食料・燃料等の物資の補給が行われたが,乗客乗員約3,700人は厚生労働省の要請で約2週間,船から降りられず,制限された生活が続いているという(産経新聞2020年2月6日配信記事)。欧米の一部メディアはこれを取り上げ批判めいた報道をしているのを見たが,厚労省も必死の対応(一種の「カスハラ自殺」まで出ている)であり,欧州で中国人だけではなく中国人と間違われた日本人も「排斥」されている事実がある以上,この手のポリティカル・コレクトネスには吐き気がすると言わざるを得ない。




☆ 一方で欧州は中世の「ペスト禍」がDNAの中に織り込まれているのだろうという感慨を持つ。ここで感情的になるのであれば池上彰氏が学生に読ませたようにA.カミュ『ペスト』を読ませる方がよほど知性の鍛錬になるだろうと思う。カミュの名を見てムルソー(『異邦人』)かJ.P.サルトル(『革命か反抗か』)しか思い浮かばないのであれば,いや全然ピンと来ないのなら,なおさら。

☆ 2008年に「リーマン・ショック」が起きた時,当時のF.R.B.(米連邦準備制度理事会)前議長だったA.グリーンスパンは「100年に一度(起こるか起こらないか)の事態」と言ったらしいが,ちょうど今から百年少し前に「スペインかぜ(Spanish Flu)」と呼ばれたパンデミックが発生している。

☆ その名に反して「スペインかぜ」の発生源(1918年3月)はアメリカ合衆国であるという。Wikipediaの解説によれば

> 「スペインかぜ」という名称は、英語: Spanish Flu (influenza) に対する日本語の訳語として作られたものであり、第一次世界大戦時に中立国であったため、情報統制がされていなかった、スペインでの流行が大きく報じられたことから名付けられた

☆ スペインかぜの病原体についてもWikipediaの解説で見ていく。

> スペインかぜの病原体は、A型インフルエンザウイルス(H1N1亜型)である。ただし、当時はまだウイルスの分離技術が十分には確立されておらず、また主要な実験動物であるマウスやウサギに対しては病原性を示さなかったことから、その病原体は不明であるとされた。ヒトのインフルエンザウイルスの病原性については1933年にフェレットを用いた実験で証明された。その後、スペインかぜ流行時に採取された患者血清中にこの時分離されたウイルスに対する抗体が存在することが判明したため、この1930年頃に流行していたものと類似のインフルエンザウイルスがスペインかぜの病原体であると考えられた。その後、1997年8月にアラスカ州の凍土より発掘された4遺体から肺組織検体が採取され、ウイルスゲノムが分離されたことによって、ようやくスペインかぜの病原体の正体が明らかとなった。

> これにより、H1N1亜型であったことと、鳥インフルエンザウイルスに由来するものであった可能性が高いことが証明された。よって、スペインかぜはそれまでヒトに感染しなかった鳥インフルエンザウイルスが突然変異し、受容体がヒトに感染する形に変化するようになったものと考えられている。つまり、当時の人々にとっては全く新しい感染症(新興感染症)であり、スペインかぜに対する免疫を持った人がいなかったことが、この大流行の原因だと考えられている。

☆ この記述が意味するところを考えてみると「鳥インフルエンザウイルス」という存在がクローズアップされてくる。今回の「コロナウイルス」報道でよく引き合いに出されるSARS(重症急性呼吸器症候群=2002~03年)にしても,その10年後に中東地域で流行したMERSにしてもコロナウイルスの一種である。ちなみにこのウイルスの名前がコロナという理由は(Wiki引用)「表面に花弁状の突起があり、太陽のコロナ(王冠)のように見えることから命名された」とあり,トヨタが昔発売していた小型乗用車やストーブ,ヒーター,クーラーを発売しているメーカーの名前と同じ語源になる(両社にはまったく「いい迷惑」だとは思うが)。

☆ これらコロナウイルスのパンデミックの強度はスペインかぜが最強で(何せ相手の正体が知れていなかった),新聞報道にもあるように今回のモノはSARSほどは強くないという。しかし致死率の数字があり犠牲者が多く出ている(その中にはウイルスの毒性を警告した中国人の医師もいる)訳で,寒い季節の間は「寒い日々」が続くことになるのだろう。

☆ 今朝来た日経新聞の一面はコロナウイルスが中国本土でどのように発生分布しているかを示す図表が大きく掲載されていた。これを見ていると中国という大きな国のどの都市が何処にあるか改めて良く分かった。日頃「文字情報」として読む地名もこうして図示されると全体の位置関係が見えてくる。「スペインかぜ」が米軍基地を中継地として(米国の対独宣戦を契機に)欧州全体に広がっていったkとと,今回の武漢(ウーハン)が中国でも四通八達の中心地にあることは類比として印象的である。パンデミックが発生している温州は記事にもあるように華南の省都であり日本で言えば「近江商人」のような人々の拠点であるから,ここがパンデミックの「るつぼ」と化して武漢同様の「閉鎖」に至る事情も何となく分かる。そして危機対応能力の高さを示すのが上海や北京の発生者数である(つまりは事実上の封鎖)。

☆ こうしたことを読み解いていくと「ダイヤモンド・プリンセス」号の扱いは拙い面も多くあるが,こうせざるを得ないと言わざるを得ず,軟禁状態に近い船内のケアは今後の事態の参考にもなるので,しっかり対応してほしいなと思ってしまう。こんな事態を「千載一遇」と(ほぼ46年前の石油ショック時と変わらない)いけずな商売をしている人達がいるが,放っておくべきだろう。あとで冷たい目で見ればいいのだ。大事なことは事態が沈静化するまで無理をしないことであり,沈静化への努力は再発防止の観点を見失ってはいけないということだ。政治家が下らないことは十分わかっているが,この事態「そのもの」を政争の具(愚)とせぬよう,強く推奨しておく。

Winter Time (Steve Miller)
From Steve Miller Band's Book of Dreams(Released May 1977)



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それでも乃木坂辺りでは,カノジョはイイオンナだったね。



「メランコリー」(梓みちよ 1976年9月21日)
作詩:喜多條忠 / 作曲:吉田拓郎 / 編曲:萩田光雄



☆ 昭和40年代の女性歌謡には後の演歌に連なる流れがあった。平たく言えば「夜の女性達の労働歌(ある意味でのブルース)」だった。この流れは昭和50年代になると前世代を受ける形で八代亜紀などが先導する演歌を志向することになるが、その背景には70年代(昭和46~55年)に歌謡曲が「日向(ひなた)に出ていった(=アイドル/ティーンズ歌謡の発展)」があったからだ。例えば歌謡曲に転じた後の伊東ゆかりやいしだあゆみ,梓の後輩でありアイドル歌謡のはしりと言えた小柳ルミ子あたりまでが,70年代歌謡の非演歌部分を背負っていたが,それを象徴したのがつい先日亡くなった梓みちよであり,彼女と同郷の好敵手でもあった中尾ミエであろう。

☆ 70年代を通じ旧来の意味での「歌謡曲」は解体し,演歌とニューミュージック(Jポップ)に分化した。そのプロセスで多くの女性歌手が女優に転じたが,孤塁を守る歌手も数名居た。梓やちあきなおみがそう言えると思う。特に「二人でお酒を」(1974年3月25日)以降の彼女は独壇場に近かった。それでも1980年に明確なポピュラー音楽の「代替わり」があり,それを目にした彼女は「やりたいことだけやる」生き方を選んだ。だから,ぼくの視点から見た梓みちよは70年代最後の「歌謡曲歌手(トップシンガー)」ということになると思う。ご冥福をお祈りいたします。



☆ 「メランコリー」の2番のサビ(きょうのタイトルに使っている)を聴いているとCXのドラマ「お水の花道(1999年1月6日 - 3月24日)の最終回を思い出す。昼間の仕事に替わった五月(一色紗英)が明菜(財前直見)達とすれ違う,最後のシーン。あれは,切なくて,良かった。

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「Three Time Loser」 (Rod Stewart 1975年8月15日=アルバムリリース)



Three Time Loser (Rod Stewart)



☆ その頃ぼくの家では朝日新聞を取っていた。朝日の販売店の人の売り方が上手だったからかは知らないが「週刊朝日」とか「朝日こども新聞」(これはぼくの強い希望^^)まで取っていた。だからロッドのこのアルバム『Atlantic Crossing』が何曜日か忘れたけど夕刊のディスクレビューに載っていて数年後の『Blondes Have More Fun』(1978年7月17日)に大ブーイングを浴びせた某音楽評論家が絶賛レビューを書いていたことを記憶している(爆)。「こども新聞」はあまり役に立たなかったが,「週刊朝日」は紀信の表紙写真館だとか「デキゴトロジー」だの「恨ミシュラン」だのという現在のぼくを形成する重要な養分を大量に吸収させていただいた(再爆)。そして親父が日本経済新聞を取るようになり(その頃は見向きもしなかった),ぼくも大学の専攻の関係で朝日新聞の国際面を読むようになった。

☆ ブレイディみかこという人は,ぼくと少し地縁のある人らしい。彼女の本の断片からパンク少女の面影が漂ってくる。彼女が生活しているイギリスは,ぼくが朝日新聞を読んでいる頃から「階級社会」であることが知られていたし,パンク/ニューウエイブを「理解」する上でも,それは重要な前提だった。ロッド・スチュワートのこのアルバムジャケットを見ても,ステージそのままの衣装でサッカーボールを小脇に抱え酒をまき散らしながら摩天楼に歩を進める彼の歩みは「ロックスター化フットボールの選手でなければ」(下の階級から)這い上がることができないと言われた当時(現代も似たようなもので,ブレイディの本を読めば「異相の平等国家」だったはずの本邦もインターネットの助力を受けた新自由主義によって間違いなく階級分化していることが分かる。

☆ であるとすれば,絵に描いたような「イロオトコ」を演ずるスチュワートのこの歌詩は裏側に痛烈な自虐を孕んでいるものであり,たかが「3回振られた(Three Time Loser)」くらいじゃ済まない現実と,そんな現実への反抗としての放蕩があるようにも思えてそれはそれで滋味深く感じたりするのである。

☆ 敢えて載せてないが実にナンパな歌詩で(爆),しかもご丁寧にもロッド本人のペンによるという(笑)。このミディアムでバチッと決めるグルーヴは後年も「Hot Legs」なんかがあって,ぼくの一番好きな彼の曲のラインだ。

Album PERSONNEL
Rod Stewart – vocals
Pete Carr – acoustic guitar and electric guitar on Sailing
Jesse Ed Davis – guitars
Steve Cropper – guitars
Fred Tackett – guitars
Jimmy Johnson – guitars
Barry Beckett – keyboards
Albhy Galuten – keyboards
Booker T. Jones – Hammond organ
Donald "Duck" Dunn – bass
Lee Sklar – bass
Bob Glaub – bass
David Hood – bass
David Lindley – mandolin, violin
Al Jackson, Jr. – drums, percussion
Roger Hawkins – drums, percussion
Nigel Olsson – drums, percussion
Willie Correa – drums, percussion
The Memphis Horns – trumpet, trombone, saxophone
Cindy & Bob Singers, The Pets & The Clappers – backing vocals
String arrangements by Arif Mardin and James Mitchell

Album Charts
【最高位】
No.1:豪州、ノルウェー、英国
2位:オランダ
5位:スウェーデン
9位:米国(Billboard 200)
11位:西独
18位:スペイン
21位:カナダ
23位:イタリア
87位:日本(オリコン)
※あのフォーク/ニューミュージック旋風の中,まだまだ無名だった彼が洋楽でオリコン100位内に入ったのは当時としては快挙に近い。

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「縮み」志向は続くよ、どこまでも。 じいさん学 第13講



☆ 以前ここでエズラ・ヴォーゲル教授の本について感想を書いたが,あの本(『ジャパン・アズ・ナンバーワン』)から数年後に日本人の「文化」を考察した興味深い本が刊行された。李御寧(イ・オリョン)教授の著『「縮み」志向の日本人』だ。



☆ この著書については松岡正剛氏の「千夜千冊」1188夜(2007年6月6日付)に深い読み込みと考察があるので,興味のある人はそちらを参照願いたい。この本が出た時,ぼくを含むかなりの数の日本人はタイトルだけで軽い不快感を得た。それが『ジャパン・アズ~』で自ら示したような「浅い感情」であることは今さら言うまでもない(自爆)。

☆ この作品は「近接するが母体が異なる立場から見た日本文化への考察」であり,セカンド・オピニオンと捉えることで,われわれ日本人(と日本人はよく書くが,この表現自体も少しアヤシイ)に第三の視座を与えるという意味においてヴォーゲル教授の本と同じように「ありがたい著書」であると今は思っている。ただしイ教授はあくまで学者さまであるので,視座がややアカデミックであり,ここでぼくが書くような与太話にはそぐわない。松岡氏の分析は流石であるが,反論部分は文化人類学と政治外交論が混在しており少し物足りない(ぼくは日本の「拡大志向」は「縮み」の裏返し=「満蒙は日本の生命線」論のように・・・と考察している。ただ同様な傾向は教授の母国である大韓民国にもまた顕著に存在する。それを考えれば地域性や国民性に帰すべき議論ではなく,むしろ「人間の本性」論ではないかと感じるが,まあこんなところで幾ら吠えても考察してもしようがない訳で(自爆))。

9 to 5 (Dolly Parton 1980年11月10日)
Billboard Hot100 No.1:1981年2月21日付



☆ 「縮み志向」自体はアホのように現代の我が国に繁茂している(アラン・グリーンスパン老なら "Irrational Exuberance"と言う^^)。一番顕著なのが続きドラマのタイトル。もう10年くらい前から制作側が短くされることを意識したような長ったらしいタイトルをつけ,それを「作業的・画一的」に4文字程度に短縮して行き渡らせている。

☆ ただこの「縮み志向」には理由があって,おそらくツイート(=ツイッターの制限語数)を意識してのことだろう。それはイ教授が分析したような美学ではなく,実学と言うか日本人のクセを読んだ所為とも思われる。だったら最初から短くすればよいのだが,そういうことはバラエティ番組のタイトルで使うくらいだ。

9 to 5(Morning Train)
(Sheena Easton 1980年5月16日=英、1981年2月=米)
Billboard Hot100 No.1:1981年5月2日,9日付


☆ タイトルの短縮でピンと来るのは(その時代がリアルタイマーだからという理由もあるが)ぼくの場合は池田理代子の「ベルサイユのばら」だ。あれが「ベルばら」なのはコミックが連載されていた頃からなのか,宝塚の舞台にかかった頃なのかは知らないが,気付けば「ベルばら」で通っていた。オトコ趣味の方でこれに比肩するのは日産自動車のスカイライン2000GTだとか,トヨタ自動車のトヨタ800だとかいすゞ自動車のベレットGTだとか本田技研工業のS800だとか,揃ってクルマ系だ。まあ動くものだったら蒸気機関車の形式でもD51(デコイチ,のちに訛ってデイチで人口に膾炙),8620(ハチロク。大正起源のこの機関車の略称の方がトヨタ・カローラのAE86形式よりよほど古い),9600(キューロク)などであろうか。

☆ 「縮み」志向はイ教授に指摘された時に直感したように「小さく纏まっている」というイメージを抱かせる。日本人と半島人(韓国人・朝鮮人)を背丈で比較すれば,この時代は間違いなく勝ち目がなかったこともある(苦笑)。そういう無意識が反発に繋がったことは,たぶん間違いなさそうだ(自爆)。でも「縮み」志向の本が出た頃、既に英米文学で「ミニマリズム」が存在したことを思えば,文化の第三者的視座という評価とは別に,これが人間の指向性の一つの要素として(グラデーションはあるだろうが)ある程度の普遍性を持っているのではないかと睨んでいる(爆)。

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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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