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2020-01

「Heart and Soul」 (Huey Lewis and the News 1980年8月30日)



Heart and Soul (Mike Chapman / Nicky Chinn)


☆ 80年代アメリカン・ロックのメインストリーマーのひとりであるヒューイ・ルイスはロンドンから戻った1979年に彼のバンドThe Newsとデビューアルバムを制作,翌80年7月25日にリリースした(『Huey Lewis and the News』)。ボズ・スキャッグスのプロデューサーでもあるビル・シュネーがプロデュースしたこのアルバムは,全米的なヒットには至らなかったが,彼等のサーキット・エリアであるサンフランシスコ(ベイ・エリア)での人気を固めるのに奏功した。

☆ 彼らが全国区の人気を得たのはロバート・ジョン "マット" ラングがプロデュースしたセカンド・アルバム『Picture This(ベイ・エリアの風)』(1982年1月29日/全米最高位:13位)と先行シングル「Do You Believe in Love(魔法を信じるかい)」(82年1月22日/全米最高位:7位)からだ。そして名実ともに1980年代を代表するメインストリーム・ロックの名作でありバンドの代表作でもある『Sports』(1983年9月15日/最高位No.1:84年7月29日/1984年年間No.2/RIAA認定7× Platinum)という「お化けアルバム」からのファースト・シングルがこの「Heart and Soul」だ。

Billboard Hot 100 1983~84年
9/10 83位(New Entry)→69位(9/17)→55位(9/24)→49位(10/1)→38位(10/8)→30位(10/15)→23位(10/22)→19位(10/29)→18位(11/5)→15位(11/12)→12位(11/19)→8位(11/26)→8位(12/3)→15位(12/10)→21位(12/17)→36位(12/24)→36位(12/31)→53位(1/7)→65位(1/14)→69位(1/21)→91位(1/28)→チャート外(2/4)

最高位
全米(キャッシュボックス):10位、カナダ:12位、豪州:25位
ベルギー:30位、西独:39位、オランダ:41位
ニュージーランド:41位、フランス(84年):56位
英国(85年):61位

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リード・ベース : ティナ・ウエイマス



モア・ソングスモア・ソングス
(2006/02/22)
トーキング・ヘッズ

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☆ トーキング・ヘッズの話を聞いたのは「ださい大学のヒップな同級生」からだった。「いけてる音楽」は,ぼくにとってはアイドル歌謡曲同様「ポピュラー音楽」の一ジャンルでしかなかったが,それでも興味深い音楽は次から次に生まれていた。そういう「いけてる音楽」には先導者(インフルエンサー)がいて「音楽評論家」などという有り難そうな肩書を持った宣伝マンの彼等からどれだけの音楽を仕入れたか分からない(笑)。

Take Me to the River (Al Green / Mabon "Teenie" Hodges)
Talking Heads cover 1978 (全米最高位:26位[Billboard Hot100])


I don't know why I love her like I do
All the changes you put me through
Take my money, my cigarettes
I haven't seen the worst of it yet

I wanna know that you'll tell me
I love to stay
Take me to the river, drop me in the water
Take me to the river, dip me in the water
Washing me down, washing me down

I don't know why you treat me so bad
Think of all the things we could have had
Love is an ocean that I can't forget
My sweet sixteen I would never regret

I wanna know that you'll tell me
I love to stay
Take me to the river, drop me in the water
Push me in the river, dip me in the water
Washing me down, washing me

Hug me, squeeze me, love me, tease me
Till I can't, till I can't, till I can't take no more of it
Take me to the water, drop me in the river
Push me in the water, drop me in the river
Washing me down, washing me down

(Instrumental)

I don't know why I love you like I do
All the troubles you put me through
Sixteen candles there on my wall
And here am I the biggest fool of them all

I wanna know that you'll tell me
I love to stay
Take me to the river and drop me in the water
Dip me in the river, drop me in the water
Washing me down, washing me down.

(Instrumental)

☆ 彼らのセカンド・アルバム『モア・ソングス(More Songs About Buildings and Food)』(1978年7月14日)から唯一のシングルだった「テイク・ミー・トゥ・ザ・リバー」はアル・グリーンのカヴァーでちょうどその頃グリーンが東京音楽祭でグランプリだったかを獲ったので,オリジナルをさんざん探したが「70年代ニュー・ソウル」のカタログがディスコ系に駆逐(と言う前に「洋楽のカタログ」は「輸入盤屋」に行くしかなかった(行っても地方では知れていたし,行けばパンク/ニューウエイブに引き込まれた(爆))されていてその恩恵に与るのはいつもの通り前世紀末頃からということになってしまった(苦笑)。

Live 1980


☆ この曲の背骨はベースのティナ・ウエイマスにある。オリジナルのアル・グリーン盤を先に聴いている「ニューソウル・ファン」には意外なほどスローでモタッとした演奏だと感じただろう。これは原曲を「分解して再構成した」結果だと思う。それはこのアルバムのジャケット(Wiki英語版の翻訳:529枚のクローズアップポラロイド写真で構成されるバンドのフォトモザイク)を音楽的に再製したものだと言えると思う。

☆ 70年代末のベーシストの中でティナ・ウエイマスは異彩を放っていた。トーキング・ヘッズ自体が「アート系のお洒落族」というパブリック・イメージがあったし(誰かさんがそれを増幅した^^;),ニューヨーク・パンクのシーンから出てきたと言ってもどこか「一線を画す」ところがあったのは確かだと思う。でも今さらながらティナのステディなベースラインがバーンの個性的かつ頼りなさげ(特にオリジナルを歌っているアル・グリーンと比較...なんかしちゃだめか(苦笑))なヴォーカルをガッチリ支えていた。

☆ 少なくともこの曲ではティナがまさにバンドの音をリードしていたと思う。それは例えば『8:30』の「バードランド」でジャコ(パストリアス)が突っ走ってバンドをリードしていくという意味とは違う意味で「リード・ベース」なんだと思うのだ。

1980年ローマでのライヴ
※このライブになると『リメイン・イン・ライト』~『ザ・ネーム・オブ・ザ・バンド(実況録音盤)』の頃のアプローチを先取りしていると思う。それはバーンの考えた今日的に言えば「ダイヴァーシティに基づくユニティ」であり,その時代に小さな祭を起こした「音楽評論家の下らない論争」とはかなり違う相貌を持っていることが今だったら良く分かる(爆)。ただしティナは後背に一歩退く形になってしまうが。


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ネ申(ねしん、ねもうす、それともねがみ?) じいさん学 第12講



☆ 「神ってる」と当時の広島東洋カープを率いた緒方孝市が行ったのはつい数年前のことで,「がか」の怒り(注「神がかってる(^^;)」か翌年は...さて,かくも神様をたやすく口にする多神教の人々に関する考察。。。




☆ むかし森喜朗は「日本は神の国」と言って,たいした失言でもないのにマスコミの集中砲火を浴びた。これが「大した失言」かどうかは各自のイデオロギー,信仰,及び宗教観に左右されるため深入りしない(苦笑)。ただこの国に住むかなり多数の人達は「八百万の神様」を無意識に感じているようだ。そうでない人は信仰が明確にある人であり,それが神道でなければ,初詣には行かない(仏教徒はお寺参りするし,それぞれの宗派の教会などには行くだろうが「初詣」ではないだろう)。だから大半の人には初詣もクリスマスやハロウィーンなどと変わらない「季節行事」になっている。

☆ ネ申(「神ってる」も同様)などという言葉も,その文脈の中から出てきている気がする。自分ではどうにもならない力を人間は感じており,それに名前を付けるかどうかという話がここにはありそうだ。英語ならawesome,我が国なら「ヤバい」。この辺りにネ申の居場所がある感じはする。

☆ 人智を超えただとか,超人技だとか,超絶技巧だとか,世界新記録だのギネスブック登録だのと「フツーのヒト」には想像を超えた現実(トリックの有無にかかわらず「実際に眼前で展開される」)があれば,少なくともその人の尺度では「神ってる」ことになる。勿論世の中にはぼくのようなヒネクレ者もいて,わざと揶揄するニュアンス(毒)を隠して平然とそういう「ネ申」賛辞を送る不届き者も山ほどいるとは思う(爆)。

☆ Unbelievableでもincredibleでも構わないのだが,それがプラス方向で感動的であればネ申世界はそこにあるということなのだろう。

Dear God (XTC 1986年8月16日)
(Andy Partridge)



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「Slip Slidin' Away」 (ポール・サイモン 1977年10月)



初出:2013年3月5日(歌詩のみ)




Slip Slidin' Away (P.Simon)

Slip slidin' away
Slip slidin' away
You know the nearer your destination
The more you're slip slidin' away

I know a man
He came from my home town
He wore his passion for his woman
Like a thorny crown
He said Dolores

I live in fear
My love for you's so overpowering
I'm afraid that I will disappear

Slip slidin' away
Slip slidin' away
You know the nearer your destination
The more you're slip slidin' away

I know a woman
Became a wife
These are the very words she uses
To describe her life
She said a good day
Ain't got no rain
She said a bad day's when I lie in bed
And think of things that might have been

Slip slidin' away
Slip slidin' away
You know the nearer your destination
The more you're slip slidin' away

And I know a fa-ther
Who had a son
He longed to tell him all the reasons
For the things he'd done
He came a long way
Just to explain
He kissed his boy as he lay sleeping
Then he turned around and headed home again

Slip slidin' away
Slip slidin' away
You know the nearer your destination
The more you're slip slidin' away

God only knows
God makes his plan
The information's unavailable
To the mortal man
We're working our jobs
Collect our pay
Believe we're gliding down the highway
When in fact we're slip slidin' away

Slip slidin' away
Slip slidin' away
You know the nearer your destination
The more you're slip slidin' away

Slip slidin' away
You know the nearer your destination
The more you're slip slidin' away
Mmm...

2020年1月23日

☆ 1978年の今頃のチャートを見るためBillboard Hot100 の78年1月21日付を見ていた。このネタは「その頃のチャート」で使いまわせるのだが(自爆),ポール・サイモンのこの曲は最高位近くの第6位にいた。この週を見てると7位「ヘイ・ディニー」(ショーン・キャシディ),11位「浮気なスー」(レイフ・ギャレット),14位「ラブ・イズ・シッカー・ザン・ウォーター」(アンディ・ギブ)とこの当時の米国アイドル男性歌手御三家が顔を合わせている。もちろんNo.1の「ベイビー・カム・バック」(プレイヤー)は本邦A.O.R.ファンのネ申曲だし(爆),『サタデー・ナイト・フィーバー』旋風が始まったばかりのビージーズ「愛はきらめきの中に」が2位。ドリー・パートン「Here You Come Again(愛のほほえみ...だったと思う)」が3位となかなか面白いチャート。

☆ これはサイモンが米CBSレコードに一区切りつけた『グレイテスト・ヒッツ(エトセトラ)』からの曲で,個人的にはかなり好きな曲。下手に訳そうと思ったが最近の多忙に負けて時間が取れなかった(自爆)。

PERSONNEL

Paul Simon - vocals, acoustic guitar
Richard Tee - Fender Rhodes
Anthony Jackson - bass guitar
Steve Gadd - drums
Ralph MacDonald - temple blocks, triangle, tambourine, shakers
The Oak Ridge Boys - backing vocals

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「波(Wave)」 (アントニオ・カルロス・ジョビン 1967年9月=アルバムリリース)


初出:2013年8月23日

WaveWave
(1990/10/25)
Antonio Carlos Jobim

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☆ トム・ジョビンの『波』のジャケット写真は元々は上記の緑色のものだった。しかしなぜか理由は分からないが,今は下にあるオレンジ色のものに代わっている。

波
(2013/06/19)
アントニオ・カルロス・ジョビン

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☆ 我が国でジョビンに比すべき作曲家は誰だろうと考えてみたが,古賀政男か服部良一だろうなと思った。その音楽が成立した民族的背景を考えれば古賀メロディーだろうが,音楽の位置(ボッサ・ノヴァ)の近似性からだと服部良一かもしれない。

☆ ジョビンのどこが魅力的かといえばそのピアノのタッチだろう。この曲では間奏のピアノのタッチが実に官能的だと思う。

PERSONNEL:
Lewis Eley, Paul Gershman, Louis Haber, Julius Held,
Emanuel Green, Leo Kruczek, Harry Lookofsky,
Joseph Malignaggi, Irving Spice, Louis Stone,
Raoul Poliakin, Gene Orloff (violin),
Harvey Shapiro, George Ricci, Charles McCracken,
Abe Kessler (cello),
Joseph Singer (french horn),
Urbie Green, Jimmy Cleveland (trombone),
Raymond Beckenstein, Romeo Penque, Jerome Richardson (flute, piccolo),
Antonio Carlos Jobim (piano, guitar),
Ron Carter (bass), Claudio Slon (drums),
Dom Um Romao, Bobby Rosengarden (percussion),
Claus Ogerman (arrange, conduct)

2015年5月13日(2020年1月21日追記)

波
(2014/06/11)
アントニオ・カルロス・ジョビン

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☆ ジョビンがCTIレーベルに残した作品は,昔であれば「イージーリスニング」の言葉で括られたと思うが,今の時代から評価し直しするならば「60年代末に既にそこにあったフュージョン」であり「20年早かったウインダム・ヒル的世界」だったかもしれない。この曲を見つけて英語詩をつけて歌ったフランク・シナトラはさすがと言うべきであると思う。

Wave (Antonio Carlos Jobim) ※発売時のジャケットは緑色



☆ ちなみにこの曲の英語版Wikipediaの「Notable recordings」一覧には名だたる歌手に混じって日本人で唯一松原みきの名前が挙がっているのが興味深い。

「WAVE」 (Covered by 松原みき 1984年10月21日=アルバムリリース)
(Antonio Carlos Jobim / Arranged by Norio MAEDA)



※同じ曲。今はこのオレンジ色でA&Mのロゴ入りのものに変わった。



☆ いつも同じことを書いているのだが,間奏のジョビンのピアノ・タッチが実に官能的だと思う。彼はブラジル人らしくエピキュリアンのところがあって艶話もある(例えば日本のピアノは女性のように云々とか)。60年代のジャズシーンなど全く僕の理解の外にあるのだが,モダン・ジャズがバップからフリーを経てエレクトリック・ジャズ(クロスオーヴァー/フュージョン)に移っていったのだろうとは思っている(ジャズおじさん達にこの一文が見つかりませんように^。^;)。

☆ ジョビンがこの作品を書いた頃はボッサ(ノヴァ)は既に名前ほどノヴァな(新しい)音楽ではなくなっていたが,ワールド・ミュージックの先駆としての位置を彼の音楽は得ていただろうと思う。「カフェで聴くお洒落な音楽」という誤解と共にボッサが定着したのは,彼等に続く世代には「困ったレッテル」だったとも思う。でもこのピアノタッチはエピキュリアンの奏でる究極の快楽のようでもある(こんなこと書くから...)

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草のない野球 (じいさん学 第11講)



☆ 中学の頃,国語の先生から「野球」の命名者は正岡子規だという話を聞いた。子規の本名が升(のぼる)だからという話で,これは今(2020年1月)日経の朝刊小説で伊集院静が漱石と子規の話を書いている中でも触れていたが(彼も書いているように)事実ではない。Wikipediaに書いているように中馬 庚(ちゅうまん かなえ)が訳者である。ただ伊集院の小説にも書かれていたが,子規は訳語としてでなく「野球」の語を「ベースボール」の意味で使っていたのも事実である。



☆ ぼくがこどもの頃は「草野球」はある意味男の子(小学生)の遊びの王様だった。もちろん「巨人の星」というまんが(アニメ)の影響がある。第二次世界大戦後,野球はスポーツとしてだけでなく娯楽として映画と並ぶ二本柱だった。それを広めたものはラジオ,そしてテレビの実況放送だったのは間違いない。野球人気を支えた基盤には王・長嶋に代表されるスター選手の存在も確かにある。だけど浜田省吾が歌っているように野球は「投げる,打つ,走る(と捕る)」で構成されたシンプルなゲームだから(そのうち細かなルールブックを必要とするほど複雑化していく),遊びとしての間口が広かったと思う。

☆ こどもの頃に野球ができた別の理由が「空き地」の存在だ。空き地に隣接しているとドラえもんの神成氏のように『ガラス窓をしばしば割られる』という被害も発生するが,そういうことは滅多になく総じてこどもは草野球に興じることができた(軟式球やソフトボール球の存在も大きい)。だかしかし「空き地」には所有者がいて(あるいは所有者が変わって)街の発展と共にそういう場所は徐々に無くなっていった。

☆ その中でリトルリーグ,高校野球,大学野球,実業団野球,プロ野球というレイヤーが生まれ,プロスポーツとしての野球がすそ野を広げていく。草野球はどこかのグラウンドを借りた早朝野球(こどもの頃から草野球に馴染んだおじさん達のスポーツとして)に押し込まれていく。さらにサッカーをはじめとする実業団スポーツのプロ化は野球を娯楽の王様の地位から引きずり落とすことになる。そして昨年「後悔などあろうはずもなく」プロ生活を終えたイチローが草野球を始めた。

☆ 草野球とは言うものの,人工芝,整備されたグラウンド,多目的施設の一つとしてのボールパーク。そういう現実を抱えて「たくさんあるスポーツの一つとして」今日の野球がある現実を見るにつけ,下手っぴ草野球の三振要員だったぼくにはあの草野球の日々がかなり懐かしいものに思えてならない。

Glory Days (Bruce Springsteen 1985年5月5日)




☆ 本当は浜省の「Baseball Kid's Rock」を入れたかったけどオフィシャルが無いので諦めた。あの曲の歌詩と昨年イチローが語った言葉は見事にシンクロしていると思う。

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「ムーンライト・サーファー」 (石川セリ 1979年)



「ムーンライト・サーファー」 (作詩・作曲:中村治雄)



☆ この曲のことをいろいろ調べてみたら(そういうことができる良い時代になった),かなり興味深かった。本人が陽水夫人だとか長女も歌手だとかそういうことは元々知っていたし,これがPANTAの作品であることも昔から知っていた。この一文だけでも相当ツッコミどころがあるのが面白いが,そういうのはじいさん探偵の余技みたいなものだ。

☆ Wikipediaを見てると,彼女の同学年に浜田省吾と山下達郎がいることが分かる(ちなみにこの三人の中では彼女が「お姉さん」になる)。PANTAはこの曲だとか松原みきに書いた曲だとかソロアルバムの『KISS』だとか彼のキャリアの中では最も商業音楽に近い立ち位置の時期でサヨク友達(笑)の平岡正明が思わず「パンタ、もとにもどれ」なんて一文を雑誌(『MM』か『本の雑誌』)に載せていた。

☆ イントロの70年代後半風からサビのラヴァーズ(ブルービートというか裏打ちというか)まで曲がスタイリッシュに決まっていて,『1980X』は何処に行ったんだという平岡の嘆息も分からないでもない(爆。ちなみにX=9であることは歴史が証明している)。でも「作家魂」ってそういうものでしょ(再爆)。

☆ この曲の「ゆらぎ感」は専ら彼女のヴォーカルによるところだけど,70年代前半の「湘南ソング」が割とアクの強い平山三紀「真夏の出来事」だったとすると,茅ケ崎の君(桑田佳祐)が占める前の「湘南」の風景はこの曲とかユーミンの「天気雨」なんかが近い感じがする。それにしても真夏に茅ケ崎から鎌倉まで湘南道路を走るのは当時は酔狂としか言いようがなかった(爆)。

☆ 「ムーンライト・サーファー」のB面は南佳孝の「ミッドナイト・ラブコール」(彼の『モンタージュ』に収録),あの頃って誰もが彼女に曲を書こうとしていて,それも粒ぞろいだから,ステディ(陽水)がいても,やっぱり「かぐや姫」だったのだろう(このネタで「ラブアタック」を思い出せればたぶんおそらく50代以上^^;)。

☆ でもこの曲,ちゃんと歌詩を見れば「挽歌」なんだな。そういうところも奥が深いと思う。



PS.敢えて「真冬のサーファー」に触れない作戦(自爆orz...)

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1985年1月12日付 Billboard Hot100


Hot10
1 Like A Virgin Madonna(No.1 4週目:登場9週目)
2 All I Need Jack Wagner(先週6位:登場13週目)
3 The Wild Boys Duran Duran(先週2位:登場11週目)
4 Sea Of Love The Honeydrippers(先週3位:登場14週目)
5 We Belong Pat Benatar(先週5位:登場12週目)
6 You're The Inspiration Chicago(先週9位:登場9週目)
7 Run To You Bryan Adams(先週8位:登場11週目)
8 Cool It Now New Edition(先週4位:登場17週目)
9 Valotte Julian Lennon(先週10位:登場13週目)
10 Born In The USA Bruce Springsteen(先週11位:登場10週目)

☆ No.1は炸裂中のマドンナ「ライク・ア・ヴァージン」。この曲といえばヴェネチアのゴンドラとライオンというくらいPVが有名(アル・ヤンコビックがすかさずパロディ化。本邦でも「俺たちひょうきん族」でしっかり冴えないパロディをやっていた。チャートを見るとパット・ベネターの健闘が光る(この頃はアイドル的人気もあった)。ハニードリッパーズは80年代風スーパーグループのはしりで,後年のトラヴェリング・ウィルベリーズに繋がるような感じもする。シカゴはピーター・セテラ在籍末期(デヴィッド・フォスターとの共作)作品。

☆ この年をリードするひとりとなるブライアン・アダムスが7位。代表作『レックレス』からの第1弾シングル。次作「Somebody」は最高位11位とHot10を逃すがその次の「Heaven」でNo.1を獲る。ニュー・エディションは当時一番人気のあった黒人若手グループ(同名アルバムの最初の曲)勿論後年ソロとなるボビー・ブラウンを擁していた(それ以上はあまり言いたくない)。ジュリアン・レノンもあまり多くは語りたくない。チャート上はショーンに勝っているようなイメージはある。ボスは言うまでもなく同名アルバムから3枚目のシングルであり,こちらもアルバムの冒頭を飾る作品。

Run To You (Bryan Adams / Jim Vallance)



Valotte (Julian Lennon / Justin Clayton / Carlton Morales)



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痛勤のゆくえ(いわゆるひとつの「毎日が遠足」問題) じいさん学 第10講



☆ 小学校の頃は背中に何かを背負(しょっ)っていた。普通はランドセル(オランダ語のランセル: ransel が訛ったものと言われる)だが,遠足となるとこれがリュックサック(ドイツ語: Rucksack)に変わった。これがそのうちナップサック(ナップザック 英語:ナップサック)に変わる。当時(70年代前半くらいまで)のイメージではナップザックの方はコンパクトでおしゃれという感覚だったかと思う。これがやがて「デイパック」として学生やサラリーマンの間に広がり,携帯電話(スマートフォン)の普及がそれに拍車をかけた。




☆ まだセルラー"ホン"が巨大で,高級セダンのリアにこれ見よがしの自動車電話のアンテナが突っ立ってた時代には電車通勤を嫌う若い人達がデイパックを背負って自転車通勤していた。石田ひかりが初主演したテレビドラマの中でそういう通勤をしていたのを思い出す(『悪女(わる)』:1992年4月18日~6月27日)。このデイパックが通勤電車に増殖したのは先ほども書いたスマホ(特にスマホゲームとSNSの普及)で両手が開いている必要が出てきたからだろう。こうして通勤(退勤)時における「毎日が遠足」問題が発生し,各高校の鞄が手提げ型からデイパック型に変わったことで,これに拍車がかかった。

☆ 毎日が遠足状態で一番困ることは(デイパックを利用しない人間にとって)空間が無駄に使われることと背負っている人間は後ろに目を持っていない(自分の後方を意識しない)ことだ。またそれを意識して例えばバスの座席に座る時にリュックを手に持っている人も降りる時にあまり周囲を気にせずリュックを背負おうとするので無意識に振り回された形になったリュックが後ろや周囲に人に当たるという「事故」が起きる。

☆ そういう訳で「毎日が遠足」問題はここ数年乗車マナー問題の上位を占め続けていた。もっとも電車(特にロングシート型)に乗る人の中には文字通り「肩肘張って(腕組みをして)」自分の領域を出頭する人がいて,あれにもいい加減閉口する。肩幅だったり持っている荷物の幅は物理的に限界があるから左右にはみ出すことは仕方がない。だから譲り合いが大切ですという話になるが,座った途端に腕組みで権利主張されるとこれはどうも...

☆ 逆にスマホ移行で減ってきたのが新聞雑誌による場所取り(実際にランキングを下げている)。だからスマホやタブレットを見ている人が全員ゲームやSNSをやっている訳ではない。また特にワイヤレスが普及してからイヤホンの音漏れも以前に比べれば減ってきたような気もする。こうした「痛勤」問題は首都圏などの複々線化や相互乗り入れの拡充(遂に相鉄が新宿に現れる時代に^^)により減少傾向ではあるけど,まだまだ無くならないような気もする。

「東へ西へ」 (井上陽水)





☆ 通勤に関して日本のサラリーマンのおっさん達が一度だけ「暴動」を起こしたことがある。それは1970年代半ばに埼玉県で起きた。陽水はその頃中央線沿線に住んでいたのだろうと思うが,あの頃の花形103系もすでに引退して久しい。今はなき中央線の支線(下河原線)ではクモハ40系の単行がのんびり走っていた。

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「Lowdown」 (ボズ・スキャッグス 1976年6月)


初出:2013年9月10日
シルク・ディグリーズシルク・ディグリーズ
(2013/03/06)
ボズ・スキャッグス

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☆ 今でこそAORを代表する名盤のように紹介される『シルク・ディグリーズ』だが,発売された当初はさほど注目を浴びたわけでなかった(最近出ているこのアルバムの邦盤にはその辺の解説も書かれていると思う)。アルバムからの先行シングル「イッツ・オーヴァー」はビルボードTop40にようやく顔を出した(最高位38位)のが精一杯だった。ところがクリーブランドのあるR&BステーションのDJがシングルカットもされてなかった「ロウダウン」を気に入って,何度もエアプレイしたことがきっかけとなり,この曲をかけるR&B局が増えていった。

☆ その話が伝わった米コロムビアは恐る恐るこの曲をシングル・カットしたのが76年6月。すると燎原の火のようにとは言わないが(笑)たちまち火がついて彼自身全く縁のなかったTop10ヒット(最高位第3位,R&B/ディスコチャート最高位第5位)となり,32歳の遅咲きヴェテラン・ミュージシャンを一気にトップ・スターの座に押し上げた。

Lowdown (Boz Scaggs / David Paich)




☆ ボズ・スキャッグスというミュージシャンはR&Bやサザン・ソウルをルーツに持っている(だから今世紀に入ってのジャズやソウル・アルバムへの展開は良くわかる)。またそのスウィート・ヴォイスは「バラードうたい」としては超一品である。つまり彼の歌は概して「重い」。ところが「ロウダウン」という歌だけが例外的に「軽い」のである。それが偶然選ばれたことで彼は世に出ることとなった。音楽の神様の気紛れには違いないのだろうが,なかなか興味深いことだと思う。ちなみにこの曲は1976年度のグラミー賞で最優秀R&B楽曲賞を獲得しているが,これは彼の獲得した唯一のグラミーである。


2020年1月9日付記

☆ 去年(2019年11月17日)スティーヴ・ミラー・バンド「ロックン・ミー」のチャートを追いかけた時に気付いたが,この2曲のヒットのピークは近い。周囲を見渡せば「シェイク・ヤ・ブーティー」「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」「ディスコ・ダック」「運命'76(ザ・フィフス・オブ・ベートーヴェン)」など,まさにこの年でなければ出なかったであろうナンバー・ワン・ヒットがゾロゾロ(笑)。その中で異彩を光るのが『昼顔』ソング(爆)「アフタヌーン・ディライト」だったりする非常に騒々しいチャートだが,まだ前半はウイングスの「シリー・ラブ・ソング(心のラブ・ソング)」の長期No.1があり,お終いの方にはスティ-ヴ・ミラーのところでも触れたロッドの「今夜決めよう(トゥナイツ・ザ・ナイト)」がでんと控えている。

Billboard Hot 100 1976
7/3 82位(New Entry)→70位(7/10)→66位(7/17)→56位(7/24)→46位(7/31)→36位(8/7)→27位(8/14)→22位(8/21)→16位(8/28)→9位(9/4)→7位(9/11)→6位(9/18)→5位(9/25)→5位(10/2)→3位(10/9:最高位)→3位(10/16)→4位(10/23)→25位(10/30)→33位(11/6)→33位(11/13)→41位(11/20:3rd Single "What can I say":85位New Entry)→44位(11/27)→チャート外(12/6)

"What can I say"
11/20 85位(New Entry)→72位(11/27)→60位(12/6)※以下略(最高位42位)

☆ この曲が「特別なヒット」になったのは音楽の神様に導かれたのは確かだろうが(すべてのヒット曲(出世曲)に共通する)やはりディスコ音楽のカテゴリにピタッとはまるホワイト・ソウルだったことが大きいと思う。ボズ的には最初のシングル「イッツ・オーバー」の熱唱の方が似合っていたし,「何と言えばいいんだろう(What can I say)」もアルバムの中では割とアップテンポな曲だ(だから最後のシングルは「リド・シャッフル」になる)。要はダンスフロア向きの曲を選んでシングルカットしている。

☆ ところが日本では「港の灯(ハーバー・ライツ)」だったり「二人だけ(ウイアー・オール・アローン)」のようなどっちかといえばチークタイム向けの曲(笑)が大当たりして(CBSソニー洋楽部もちゃっかり「ソフト&メロウ」なんて名付けて)ボズ=ミスターA.O.R.みたいなイメージができあがったという気がする。結果論としてどちらもボズ・スキャッグスであるし,初期のソウルフルな歌唱のボズも現在の彼もまたボズ・スキャッグスという懐の深いミュージシャンの一部なんだなあと思っている。

PERSONNEL

Boz Scaggs – lead vocals
David Paich – keyboards
Fred Tackett – guitar
Louis Shelton – guitar
David Hungate – bass
Jeff Porcaro – drums
Carolyn Willis – background vocals
Marty McCall – background vocals
Jim Gilstrap – background vocals
Augie Johnson – background vocals
Joe Wissert – producer

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「水無し川」 (かまやつひろし 1975年11月)


初出:2012年3月11日

☆ ムッシュにとって『あゝ、我が良き友よ』(1975年4月5日)は,フォークの時代にごった煮の音楽世界を出しましたという作品だったのだろう。実際に「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」の「語り」は,シャンソン的というよりどこか東洋的幽玄を思わせる。「シンシア」でのよしだたくろうとのコラボから始まり,フォーク・ビレッジ(当時はスポンサーがライオンになっていたと思う)の司会(今でいえばDJというよりキャスター的)とこのアルバム。シングル「我が良き友よ」の懐古趣味的ヒットと一連の流れがあって,一方で「フォーライフ・レコード」旗揚げ事件から始まるショウビズに対するニューミュージックという「居場所」の登場と音楽よりそれを担う若者たちの意識が変化していく中,松本隆=吉田拓郎作品でフォーマットはフォークだが,意外と歌の中身はそういう世代の本音を見ていた感もあった。

「水無し川」(作詩:松本隆 / 作曲:吉田拓郎 / 編曲:瀬尾一三)



☆ 本音といえば,離婚騒動を抱えていた吉田拓郎が作品至上主義的シングル「となりの町のお嬢さん」で自身のフォーライフ旗揚げをしたことにこの曲を引用して,こっちの歌詩に拓郎のホンネがあるよね,なんてクレジットも見ずに若者(当時)は知ったか話で盛り上がったものだった。そういう連中が拓郎の次のシングルに飛び付いたのは言うまでもない。ただ,瀬尾一三の編曲によるこの曲のコーダは「明日に向かって走れ」的ではあるなあ。

2020年1月7日付記

☆ 松本隆は「都会の人」であり,彼がこの時代に描いた『微熱地図』は,都会人の目で見た「都会に来て,そこに住む人々の生活模様」だった気がする。それは阿久悠や阿木燿子的「時代の気分」とは微妙にずれていて,この「ずれ」は,はっぴいえんど以降の「割と普遍的な物語」を描いていくという彼の一貫した姿勢だという気もする(この時代の松本隆作品で「その色」が最も出ているのは筒美京平と組んだ太田裕美の一連の作品だと思う)。

☆ 瀬尾一三が上手くアレンジして都会っぽさを出しているものの,この曲は当時も今も「フォーク」と呼びならわされてきたポピュラー音楽のカテゴリにすっぽりとはまる作品だと思う。そのことは作曲者の吉田拓郎も意識していただろうと思うし「拓郎節」に見合ったフォークの形にしたのは,かまやつさんが拓郎と組んでヒットさせた「シンシア」の延長線上にこの曲を置けば男のメンタリティとしての「やさしさ」に触れざるを得ないからだろう(主人公の相手役の女のヒトは「黒い長髪」だし^^)。

☆ その肌触りが何とも心地良かったのは当時も今もあまり変わるところが無い(世代的なものだとは思っている)。だから「昭和歌謡」なんて言葉を好きなように使う人達には「この曲も広い意味での "昭和歌謡" だよ」と伝えたい。なぜならこの曲には今はない戦後昭和のエートスというかメンタリティがあるから。

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俺様参上 (じいさん学 第9講)

謹賀新年


☆ 昔の学校の校舎は木造だった。地方の名門校などと呼ばれていい気になっている旧制中学から続く高校など「古いこと(=伝統があること)はいいことだ」を引きずっていつまでも木造モルタル建の校舎を使っていた(先月亡くなった中曽根康弘氏が総理大臣の頃くらいからそうした伝統校舎の現代化が始まり(爆),Windows95がブームになる前あたり(細川政権の頃か^^;)にそれはほぼ終了しているようだ)。



☆ 木造モルタル建の校舎の内部はどうなっているか?下手したら廊下も木で出来ているのだが(笑),さすがに小中学校のような「木の廊下」は少数派だっただろう。いずれにしても年に数回この廊下の「ワックス掛け」などという面倒事(苦笑)があり,滑って転ぶ等の実害があったりしたわけだが,それもまた別の話。だけど教室の中は木でできている訳で,そうすると授業に退屈した連中が何をするかは1952年だろうが1982年だろうが大差が無い。落書きである。

☆ 昔からこの年代の男が書く落書きはたわいないものかエロいものと相場が決まっており,たまに哲学や文学が混じっているがぼくがそういう年齢の頃は既にレッドブック入りの絶滅危惧種だった。そう言えばインターネットが広がると「××の落書き」と揶揄するオッサン達がいたが,自分がリア厨だった頃「そういうこと」をしなかったのかと小一時間(以下略)。

「アイリス」 (ORIGINAL LOVE 1997年7月2日=アルバムリリース)


☆ 校舎の落書きに限らず(つまりスプレー落書きのこと)昔の落書きによくあったパターンに「××(人名)参上」というのがあった。参上した「××」がどの程度の御仁であるかは想像に難くないが(爆),インターネットもSNSもない時代の承認欲求の発散なんて,こんな他愛もないモノなのである(苦笑)。

☆ ところでスティックスの83年作品に『Kilroy Was Here』(1983年2月22日)がある。このアルバムは邦題が『ミスター・ロボット - キルロイ・ワズ・ヒア -』となっていることからも分かるように(笑)アルバムトップ曲「Mr. Roboto」(注:Robotではない)が本邦リスナーの度肝を抜いた(再爆)。Wikipedia英語版のこの曲の項にはわざわざ次の記述がある。

The Japanese lyrics at the beginning of the song are as follows:

どうもありがとうミスターロボット (Dōmo arigatō misutā robotto)
また会う日まで (Mata au hi made)
どうもありがとうミスターロボット (Dōmo arigatō misutā robotto)
秘密を知りたい (Himitsu o shiritai)

The lyrics translate into English as follows:

Thank you very much, Mr. Roboto
Until the day we meet again
Thank you very much, Mr. Roboto
I want to know your secret

☆ とまあ,安川電機やファナックの人が耳にしたら何かしらの感慨を抱きそうな歌詩で(爆)リズムとの関係からこの日本語はややたどたどしく「ドモ・アリガット・ミスター・ロボット」と聞こえる気がする(再爆)が,お話は原題に戻る。

☆ Kilroy was here(キルロイ参上)という成句についてWikipedia(英語版)はこう書いている。

> Kilroy was here is an American symbol that became popular during World War II, typically seen in graffiti.
「"キルロイ参上"は第二次世界大戦を通じ有名になったアメリカの象徴で,典型的には落書きとして見られたものである。」

☆ という訳で洋の東西を問わず「俺様参上」は典型的落書きなのであるが,話はここで終わらない。第二次世界大戦が終わり,米軍(占領軍)が日本に「進駐」すると,「キルロイ参上」は日本各地の米軍施設に「参上」した。その中のひとつが福岡市郊外(現在の春日市)の米軍キャンプに書かれていたが,その落書きを興味を持ってみていた一人の日本人がいた。その人は米軍キャンプ(PX)の指定商人として当時春日原にあったベースに出入りしていた。

☆ 彼は後年飛行機の機内食や給食事業,中でも有名なものはファミリーレストラン事業だが,それで全国に知られる(城山三郎がモデル小説を書いている)ことになるが,その彼が作った会社が「キルロイ特殊貿易株式会社」で,この会社はその後転変を経て「キルロイ興産株式会社」となっている。彼の名は江頭匡一,会社は現在ロイヤルホールディングス株式会社という名前になっている(小説の名前は『外食王の飢え』。ファミレスはもちろんロイヤルホストである)。

Mr. Roboto (Dennis DeYoung)
Released February 11, 1983



Billboard Hot100 1983
2/12:40位(New Entry) ⇒ 2/19 34位 ⇒ 2/26 24位 ⇒ 3/5 20位 ⇒ 3/12 13位 ⇒ 3/19 10位 ⇒ 3/26 7位 ⇒ 4/2 7位 ⇒4/9 5位 ⇒ 4/16 3位(最高位) ⇒ 4/23 3位 ⇒ 4/30 4位 ⇒ 5/7 8位 ⇒ 5/14 16位 ⇒ 5/21 23位 ⇒ 5/28 31位 ⇒ 6/4 49位 ⇒ 6/11 72位 ⇒ 6/18 100位以下

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According to the hardline 2020...


初出:2013年5月1日(歌詩など追加)
「If You Let Me Stay」 (Terence Trent D'Arby 1987年)
T.T.D.T.T.D.
(2002/03/20)
テレンス・トレント・ダービー

商品詳細を見る


☆ 80年代シーンはその前半はMTVの普及でMV(PV)全盛時代になった。それをベースにした80年代後半は様々なタイプのアーティストがデビューし,瞬く間に人気を攫っていった。その中には90年代も引き続き活躍したものもいれば,そうでなかった者もいる。

If You Let Me Stay (Terence Trent D'Arby)



[Spoken]
Sweetheart listen
I know the last few pages
Haven't been good for the both of us
And I've caused you a lot of grief
But put those bags down, o.k.?
Before you make a decision like that
Please just listen to me
'Cos I don't want you to leave
I definitely don't want you to leave
Just hear me out


Honey, don't leave me now
With my head on my shoulders wrong
Have I done something wrong for you to leave?

I know I've been careless, girl
And I must apologize
I'll try better next time, baby
If you let me stay

But if you let me stay - I'll say what I should have said ...
If you let me stay - I should have said I love you ...
If you let me stay - And I should have said it from my heart ...
If you let me stay

Honey, don't compensate
for my indiscretions, dear
Tell me it's not too late
That I'd love to hear

If you walk out on me
You will see a grown man cry
I didn't miss my water
'til my world ran dry.

But if you let me stay - I'll say what I should have said ...
If you let me stay - I should have said I love you ...
If you let me stay - And I should have said it from my heart ...
If you let me stay

Your pretentions aim for gullible fools
And now who needs you anyway?
I'll get mine elsewhere I taught the school
You will regret it some day!

If you let me stay - I'll say what I should have said - ...
If you let me stay - I should have said I love you ...
If you let me stay - And I should have said it from my heart ...
If you let me ...
'Cause I need yah I'm not a man
Without you baby whoah!

Let me stay - I'll say what I should have said - ...
If you let me stay - I should have said I love you ...
If you let me stay - And I should have said it from my heart ...
If you let me ...

Come back to me baby - I can't do without you baby, baby, baby, baby
(If you let me)stay - I'll say what I should have said - ...
If you let me stay - I should have said I love you ...
If you let me stay - And I should have said it from my heart ...

☆ テレンス・トレント・ダービィ(今は改名しサナンダ・マイトレイヤ)もそうした一人で,そのソウルフルな歌唱はデビューの地であるロンドンから海を渡り母国アメリカへ広がった。ノーザン・ソウル以来の伝統を持つ英国好みのシンガーと言えるのかもしれない。彼や同時期にデビューしたスイング・アウト・シスターなどは明らかにロンドンのクラブ・シーンの興隆を伝える第1.5世代だった(第一世代はスタイル・カウンシルやシャーデー,ワーキング・ウイークなど)。

2020年1月3日付記
☆ テレンスのデビューアルバム,題名を直訳すると『テレンス・トレント・ダービィによる強硬路線へのご招待』あたりか。あまり目出度くもないのだが,2020年となったこの1年は彼のアルバムタイトルのようなHardlineが我々の眼前に待ち構えているような気がする。

☆ Hardline(=強硬路線/強硬論)は実にこの数年,世界のあらゆるポピュリズム政治家や活動家(ポピュリズムだけとは限らない)の間でHardlineは大流行(おおはやり)だ。Hardlineが流行るのは昔むかしユーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』で描き出したように「Political Correctness」に代表されるタテマエへの飽き(タテマエが広がっていく=肩身が狭くなる=割に,そこから得られるものが分からない)だったり,そうしたストレスの解消手段が手軽に手に入るようになった(これがIT革命の本質でもあった)。

☆ 決断と責任の間には緊張関係が必要だ。権威主義などが象徴する「責任なき決断」は責任に対する暴力的対抗手段を招くことは,世界中の何処の国でも見られたことだし,実際に見られている(政治的・宗教的・社会的「異邦人」に対する差別・攻撃・弾圧など)。このHardlineを意識しながらHard Lifeを送ることになるのだろうと漠然と考えている。



☆ この記事は変則記事で,本来の曲の解説を解体して「今年の覚悟」を書いている。前半部分に下手な訳詩を加えた記事をいずれ別カテゴリで再掲したい。

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DTBWB「カッコマン・ブギ」のプロファイリング




カッコマン・ブギ
(作詩:奥山恍伸 / 作曲:宇崎竜童 1975年3月25日)
※タイトルをクリックすると同曲の「うたまっぷ」歌詩が別窓表示



初出:2007年1月21日(2020年1月2日リンク切れ修正)

☆ 「スモーキン・ブギ」で当てたダウン・タウン・ブギウギ・バンドが,余勢を駆って送り出した第二弾。。。ところが本来はB面だった曲が大当たりして,更に運命が変わってしまうところが激動の70年代に相応しい(笑)。ところでこの曲の歌詞は,ハヤリモノのオンパレードなので,分解する。

・ 銀座原宿六本木・・・今も昔もファッションというとこの辺り。渋谷新宿池袋に出番はなく,青山代官山は三下扱い。。。ということだろうか。逆にフォーク系は表参道原宿(吉田拓郎→山田パンダ「風の街」)となる。

バギー・パンツ(baggy pants)は,かつて存在したYahoo!ビューティーのファッションディクショナリーによると(以下の引用解説も全て同),オックスフォード・バッグスを原型として生まれた、股上が深く、ヒップから裾にかけて極端に太いシルエットをもつパンツ。バッグ(袋)のように太いというところから名付けられたもので、特に'73年頃に流行したことが知られている。また、これの裾を絞ってテーパード・シルエットとした感じのものをバギー・トップやトップ・パンツ、トップ・バギーなどとよんでいる。

ヒップボーンも同じ解説から類似項目の「ヒップ・ハンガー」を見ると,ヒップにひっかけてはく感じからこうよばれる股上の浅いパンツの総称。別に腰骨にひっかけてはく感じからヒップボーン・パンツ、また股上(ライズ)が浅いところからローライズ・パンツの名もある。’60~’70年代の若者向きのパンツに多く見られたもので、俗にローライザーともよばれた。ちなみに股上の深いタイプはハイライザーという。

・ ここでヒップ・ボンというのは腰骨のこと。腰骨のところで引っ掛けるようにズボン(ジーンズ)を履くのが当時ツッパリ連中の間で流行りだした。やがて昨年(2019年)の大晦日の「笑ってはいけない」に出てきたボンタンみたいな不細工な流行のツッパリファッションを経て,ヒップ・ホップ以降の兄(あん)ちゃんの流行品になっていく。

・ アフロヘアー。ひと言で言えばパパイヤ鈴木みたいな髪型。70年代の終盤(に,ジョン・トラボルタが出てくる)まで圧倒的にディスコで流行った。なんせ山口百恵ですら一度だけ挑戦した(数日で元に戻されてしまったが^^;)という記録が残っている。

・ ラメラメシャツ。ラメが入っているシャツ。。。では解説になってないか(笑)。ラメクロス (lame-cloth)を引用しておくと,金属糸(ラメ、ラメ糸)を部分的に使った織物のこと。金属糸には、金、銀、アルミなどの箔を、漆で和紙にはり合せた切箔のものと、これを普通糸と撚り合わせたものがある。最近はポリエステル・フィルムにアルミを蒸着したものなどが多い。用途はイブニング・ドレス、ブラウス、縁飾り、婦人用帽子、袋物など。

ロンドン・ブーツ (London boots)。当然1号2号は関係ない。これも引用する。底とヒールが極端に厚く高くなったロング・ブーツで、’70年頃にロンドンでうまれ、当時流行ったグラム・ロックのミュージシャンたちによって履かれたことから一般化した。ユニオン・ジャック(英国の国旗)や爬虫類(はちゅうるい)を部分使いにしたものなど、派手に過激な感じのものが代表的で、主にベルボトム・ジーンズと組み合せて用いられた。’70年代の代表的な風俗ファッションのアイテムで、現在でもロックを愛好する人たちの一部で見られる。

・ いちばん分かりやすい例は,デヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』(及びそのジャケット)だろう(爆)。興味深いのは,当時70年代前半。日本ではロックだけでなくフォークをやっていたミュージシャンの間でもベルボトム・ジーンズと厚底のロンドンブーツは定番に近かった。要するに誰にでも流行っていたのである。



・ スリーピース。今はチョッキと言ったら嗤われるというより骨董品でも見る目で見られるようだが(苦笑),ヴェストとチョッキは絶対に違うものだと思っている。ジャケット+チョッキ+スラックス。この三つ揃い(スリーピーセズ)が本当のスリーピースだろう。ちなみにヴェストの解説を見ると,「胴着、チョッキ」の意で、シャツなどの上に着用する袖のない胴着のこと。イギリスではウエストコート、フランス語ではジレという。まあそういうことなのである。

= ここから2016年11月26日追記・2020年1月2日再掲 =
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの謂れはここに示したWikipediaで見てもらうとして,70年代前半のロックンロール・リバイバルを代表する三つのバンド(キャロル・クールス・DTBWB)のひとつである。ロックンロール・リバイバルはロックという複雑化しつつある音楽(プログレッシブ・ブルーズ・ハード・ソフト)に対するアンチテーゼであり,一面でニュー・ソウルに対するファンクの対抗(ジェームズ・ブラウンやスライやラリー・グレアムやジョージ・クリントンなど)やドゥー・ワップ・リバイバル(ディオン)とも相通じる部分があった。またその本質が反商業化であればパンク・ロックの胎動とも言えたし,ことさら日本ではまるでジェームズ・ディーンの『理由なき反抗』の亡霊の如く「ロック=不良の音楽」という馬鹿げた図式(モット・ザ・フープルが「ロックンロール黄金時代」で罵倒した)が罷り通っていた。その辺の今に延々と続くくだらないパターナリズムを反映したエピソードは,NHKとキャロルの因縁とか掃いて捨てるほどあるが,ここでは書かない。

☆ 確かにジェームズ・ブラウンを見に行った若き日の山下達郎がリーゼントのお兄さん達に長髪を引っ張られたなんて物騒な時代(70年安保の熾火かもしれない)ではあったが,宇崎竜童のやりたかったことはブルーズ・ロックの現在形であり,ファーストアルバムから発禁食らって何となく強面イメージが出来た不幸もあり(音の方向性は全然違うが頭脳警察みたいだ),そこから転じたブギウギ作品群は逆に軽薄短小を先取りしつつ,(後年の宇崎のベースとなる)世相風刺をしっかり挟み込んだ作品集でもあった。

☆ 今で言う「スマート」や「クール」の語源は,1950年代後半の石原裕次郎の時代(それは同時にロックンロールやロカビリーの親世代でもある)なら「いかす」で,(その変形のリバイバルが90年代の「いかすバンド天国」),それから長いこと「格好良い⇒カッコイイ」がそれに代わった。そういえば「ダサい」が生まれたのはこの少し後である。ここに描かれた70年代の流行服飾風俗は何となく一巡して(コギャルの愛した「どデカブ-ツ」などの変異はしたが)90年代後半に)その一巡も終わり,今はまたダサい状態に近いのかもしれない。で,この曲のエンディングがエルヴィスのパロディで終わるのもそうした世代感の反映でもあると思う。

☆ ツナギ(自動車工場の整備服)が象徴するのは,揃いの衣装がなくてという懐事情とは別に,この音楽が誰に支持されていたかの象徴でもある。それは結果として宇崎や矢沢を長年困らせることにもあったが,上から目線の連中よりは...とは思ってしまう。この時代にはまだ「敵」なるものがそれなりに見えていた時代で,全員を豊かにするという幻想作戦が効果を発揮したことが,それを見失させ,「No.1としての日本」という冷静な分析本をよく読みもせずにのぼせ上がった挙句が平成大バブルとガラバゴス・ジャパンであったとすれば,これほどカッコワルイことも無いであろう。





☆ ざっくりの生歌生演奏でこれくらいだから,当時の「プロミュージシャン」に要求されるものはそれなりに厳しかったとも言える。とはいえ伴奏は結構締っていると思う。あと曲間の早口言葉はハナモゲラ的ではあるが勿論無関係。



☆ ロックンロール・リヴァイバルが米国で流行らなかった理由は,ディスコとアメリカン・ハード・プログレッシヴ(後のメインストリーム・ロック)とアメリカン・メタルのせいだろうと思う。ニューヨーク・パンクはどっちかといえばアート/サイケデリック・ロック色が強く,シンプルなロックンロールはラモーンズ,モダン・ラヴァーズ,ハートブレイカーズあたりになるのだろう。

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【迎春講座】 元旦はいつから元旦か



☆ 元旦は元日の早朝のことだ。元旦の旦の字は見て分かるように太陽が地平線(水平線)の上に姿を見せる様子を示している。だから1月1日の午前2時頃(気の早い人達が「初詣」をさっさと済ませて家でお酒を飲むとかそういうことをしている時刻)は太陽が地平線の下にあるから元旦ではない(笑)。「元日の夜明け前」というしかない。

☆ 群馬県の新春を彩る(笑)「ニューイヤー駅伝」の号砲が鳴る頃は,確かに元旦といえるかもしれない。では今年も頑張る小売業者が元日9時から「ニューイヤーセール」を始めればどうなるか?

◎ 元日、朝9時から開催!
△ 元旦(朝9時)から開催!  ○にならない理由は下記参照。
× 元旦、朝9時から開催! 
⇒ 「元旦の朝」は,トートロジー(同語反復:「頭が頭痛だ」の類)なのでボツorz...

☆ ところが「元旦」を「元日」のことだと思っている人は意外に多く,「元旦の夜」などという湯川学氏が聞いても「あり得ない」表現が随所にみられるのが何ともお茶目なお正月,なのである。
A HAPPY NEW YEAR (作詩・作曲:松任谷由実/編曲:松任谷正隆 1981年11月1日=アルバムリリース)





謹賀新年


☆ 日本人は地名に弱く(笑)同語反復の嵐である。(例) サハラ砂漠=「サハラ」じたいが「砂漠」の意。リオ・グランデ川=米墨国境を流れるこの大河(=リオ・グランデ)も「大河 川」になってしまっている。今では恥ずかしいのか誰も口にしないが,タイの首都バンコクを流れる「メナム・チャオプラヤー」のことを昔の日本人は「メナム川」と言っていた。正月早々こんな話で締めても良いのだろうか?「ラデツキー行進曲」の手拍子と一緒にお忘れ下され(爆)。

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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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