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2019-12

「ロンドン・コーリング」の謎


☆ 同名アルバム(1979年12月14日リリース)のタイトル曲(同12月7日リリース)であり,パンクロック(とこの時期のクラッシュをカテゴライズすること自体が無駄なのだが)のモニュメントと呼んで良いこの曲は,曲がリリースされたポスト・パンク/ニュー・ウエイブ期へのストラマーの疑念と気概が示されている。今年出たどこぞのポップ歌手のアルバム風の構成を持つ「周年盤」ですら,その気概が風化していないことを少しは示していると「音楽旧車會」の末席を汚す身としては思い込んでいるのだが。

☆ この曲には当時1979年の世界が直面していたことが様々な形で描かれている。そこに通底するものは「核」であり「放射能」であるのだが,前者は米レーガン政権が仕掛けた軍拡競争(その目的はソ連経済を破綻に追い込むことで,それが成功した時にフランシス・フクヤマは「世界の終わり?」という論文を書いた)であり,後者はいみじくも映画『チャイナ・シンドローム』の現実化と擬せられた米スリーマイル島原子力発電所事故である。

☆ 「ロンドン・コーリング」でジョーが描いた事実は例えばこんなVerseに現れる。

> The ice age is coming, the sun's zooming in
> Meltdown expected, the wheat is growing thin
> Engines stop running, but I have no fear
> 'Cause London is drowning, and I live by the river

が,最初の節を見てほしい。
「氷河期が近づき,太陽は接近している」
何だこりゃ?

☆ そこから後は分かりやすい。「炉心溶融の恐れが発生」はスリーマイルの事故で,「小麦の不作」は文字通り(これがソ連を崩壊に追い込む「十分条件」となった)だ。ここでひとつ前の節に戻る。小麦の不作はなぜ起きたか?専門家ではないので調べきれなかったが冷害だったのではないかと思う。

☆ 今は若きグレタ・トゥンベリの活躍もあって「地球温暖化」が「ヤバくね?」を超えた問題になりつつあると認識され始めている。ところが1970年代後半までは「温暖化」とは対照的に「寒冷化」を主張する向きもあった。皮肉なことにクラッシュの歌が出た79年頃からは査読に値する気候変動に関する論文は「気候温暖化」に焦点を当てたものが大部分を占めるようになった。また農作物の収穫を左右する気候変動の要素として「エル・ニーニョ/ラ・ーニャ」がクローズアップされたため「寒冷化」説はいよいよ力を失ってしまったように見える。

☆ そういう訳でジョー(ストラマー)は小麦の不作→冷害→地球寒冷化説(学術論文よりマスコミ報道が多かったという)と発想し,一方で太陽が少しずつ巨大化している(例のン十億年後に超新星爆発を起こすがその前に地球は膨張した太陽に呑み込まれる)説も知っていて,両者を繋げたのだと思う。そこから伺えるものは「マスコミ報道」への疑問であり「真実はどこだ?」という怒りである。ちなみにWikipediaのこの曲の解説によると最後の節「ロンドンは沈みかけているが,オレは河の傍(そば)で生きてるぜ」とは
> テムズ・バリアー建設の影響でテムズ川が氾濫し、ロンドン中心部が水没するのではないかという懸念による という。

☆ 「ロンドン・コーリング」はファーストの頃の敢えて剥き出しにした怒りを叩きつけるスタイルから,怒りと絶望を内に秘めつつ現状と戦っていくという気概(アチチュード)を示したものだ。この姿勢こそがジョーのパンクであり,この曲がパンク/ポスト・パンクの時代を超えて生き続ける理由でもあると思う。

London Calling (Joe Strummer / Mick Jones)


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・・・としての日本 (じいさん学 第8講)


☆ その誤解は40年前に始まって,今では自嘲的自縛と化している。その名は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」。




☆ ぼくが通っていた大学には教養課程というものがあった。これはどうも旧制高校を引き継ぐもののようで,要は自分の専攻に進む前に今でいう「リベラル・アーツ」を学びなさいということのようだ(と今さらながら理解する。さらにこの仕組が米国による戦前の教育体系(そこから優秀な日本人たちがアホな戦争をおっ始めたという理解の元に,それ)を徹底的に解体するという目論見に対する「さりげない抵抗」だったと理解される)。

☆ その教養課程に社会学の先生がいて前期の「夏休み課題図書」として指定されたのがハーバード大学の社会学の泰斗であるエズラ・ヴォーゲル教授の最新刊(当時,しかも大ベストセラー)『ジャパン・アズ・ナンバーワン―アメリカへの教訓』(エズラ・F.ヴォーゲル 著, 広中和歌子, 木本彰子 訳 TBSブリタニカ 1979年6月刊)だった。で,その本を手に取った時は今でいう「日本礼賛本」の類かなあと思ったのだが,読んでみるとどうも違う。全体として日米の社会の仕組を比較して「こういう点が日本の優れた点だ」という趣旨で書かれている。

☆ 米国の実態は知らなかったが黒柳徹子女史が大騒ぎしていた「ニューヨーク大停電」(1977年7月13日)なんてことがあったので「あれっ,アメリカって日本より "進んだ国" のはずなのにどうしてだろう?」と思う部分はあった。ヴェトナム戦争の影響は大きかったことはそれなりに理解していたが(その後コッポラ「地獄の黙示録」やらストーン「ディアアンター」などで嫌というほど知らされる),ヴォーゲル教授の本を読むとどうやらそれだけでもないらしいということだけは分かった。

The End (The Doors)



☆ 確かにこの本を読んでいると面映いというかくすぐったい部分はある。だけどそこで止めてしまって「日本礼賛本」と思い違いをすることがいちばんの問題だった。これも後で分かったことだが,ヴォーゲル教授が試みたのはいわばストラテジストが行う戦略分析のような作業だったのだ。経営分析でお馴染みのSWOTに従って考えれば,この本に記されている日本の強み(Strength)は米国に応用できるか,逆にこの本に記されていない日本の弱み(Weakness)は何か,それは米国の強みとなりうるか?そういう分析をしているのである。

☆ アメリカは良くも悪しくもプラグマティズムの国である(佐藤優によれば「啓蒙主義」の後,「ロマン主義」を経ていないことが原因だという)。こういう分析を受け止め,アメリカは「ヴェトナム(敗戦)後」の戦略を立てていった。表のフォーカスはソ連邦だが裏の狙いは日本と西独の弱体化にあったと思う。どこぞのアメリカスクールの諸氏はそのことを熟知していたのではないか?ついでにいえば日米合同委員会はどうなんだなんてお話がヤバい方向に進むから今年はこれでバックレよう(笑)。

Apocalypso (The Monochrome Set 1980)





☆ ☝聴いていると,たじまんが80年代の終わりにレッド・カーテン/OLでやりたかった音の断片が分かりそうな気がする。

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「Gold」 (Spandau Ballet 1983年8月5日=英,11月1日=米)


初出:2011年5月8日

True: Special EditionTrue: Special Edition
(2010/06/21)
Spandau Ballet

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Gold (Gary Kemp)


追記:2019年12月25日
☆ ニュー・ロマンティックスというムーヴメントは英国では一種のアイドル的ムーヴメントだった。70年代で言えば似たようなムーヴメントはグラム・ロックになると思う。両者に共通していることは,バンドが主導権を握り(デヴィッド・ボウイすら "ジギー・スターダスト" として彼のバンド「スパイダーズ・フロム・マース」を率いていた)ティニー・ホッパーと謗(そし)られながら,優れた楽曲を残していることではないか。

☆ 『ザ・クイーン・イズ・デッド』を発表した頃のジョニー・マー(ザ・スミス ギタリスト)のインタビューで彼が「歌が上手い歌手」として(肯定的ではなく)引用したのがトニー・ハドレーであったように,バンドとしてのスパンダー・バレエは人気実力が相まって充実した作品を送り出していた。このバンドはニュー・ロマンティックスの中でエレポップ的なデビューをしたが(好敵手だったデュラン・デュランもまた同じく),途中からファンク/ソウルに音楽的方向性を変えていった。理由はハドレーのヴォーカルにある。彼の力量でエレポップは「役不足」だった。

Gold (LIVE The Old Grey Whistle Test 1983)



☆ ぼくの個人的印象は1970年代のアイドル歌謡(日本)の最も良い部分が実はここに飛んでいったように思えてならない(笑),大貫憲章などは苦い顔をしていたが(爆),彼らの創った音はポピュラー音楽的分かり易さ(それは70年代日本の歌謡曲が同時並行的に米英のポピュラー音楽を即座に吸収して自家薬籠中の物にしたような)であり,実はこの流れは00年代以降のK-POPに明らかに繋がっていると感じている(もちろんそれは「メロディ系」「作品至上主義」的な音楽に限られるが)。

Gold live at IOW Festival 2010


Spandau Ballet
Tony Hadley (lead vocals)
Gary Kemp (lead guitar, backing vocals)
Martin Kemp (bass guitar, backing vocals)
Steve Norman (saxophone, backing vocals)
John Keeble (drums, backing vocals)

最高位
2位:英国 3位:フランス,オランダ 4位:スペイン
8位:ニュージーランド 9位:豪州 12位:カナダ(アダルトコンテンポラリー:27位)
29位:全米(Billboard Hot100,ダンス:8位・アダルトコンテンポラリー:17位)
※ダイアトーン・ポップス・ベスト10でNo.1になっているはず(^^)


Merry Christmas

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「Peg(麗しのペグ)」 (Steely Dan 1977年11月)


初出:2015年2月6日(抄訳:2019年12月23日)

彩(エイジャ)彩(エイジャ)
(2011/10/12)
スティーリー・ダン

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Peg (Walter Becker / Donald Fagen)



I've seen your picture
きみの出た映画を見ていたよ
Your name in lights above it
きみの名前は光り輝いていたね
This is your big debut
これは華麗なデビュー作
It's like a dream come true
長い間の夢が叶う瞬間だ
So won't you smile for the camera
だからさ,もっとステキな微笑みでカメラを見てご覧
I know they're gonna love it
みんな絶対,きみのことが気に入るようになるから

I like your pin shot
きみの「奇跡の一枚」はぼくのお気に入りさ
I keep it with your letter
きみからの手紙と一緒に大切にしてるよ
Done up in blueprint blue
青写真を現実のものにして
It sure looks good on you
きみにとってはとても良いことのように見えるね
And when you smile for the camera
だからきみがカメラに微笑みかけたなら
I know I'll love you better
ぼくはきみのことをもっともっと気に入るだろうね

Peg
麗しのペグ
It will come back to you
その名はきみの元に降りて来るだろう
Peg
麗しのペグ
It will come back to you
その名はきみの元に降りて来るだろう
Then the shutter falls
そしてシャッター音の鳴り響く中
You see it all in 3-D
きみはその全てを3D映画の中に見るだろう
It's your favorite foreign movie
お気に入りの外国映画みたいにね

☆ 感覚を文字にすることは,どの感覚の場合も難しい。例えば身体の不調を医師に告げる時がそうだ。あるいは食べ物や飲み物を褒める時がそうで,名画や名曲や名作について話すときもそうだ。もっともあらゆる場合に使える最強の形容詞「ヤバい」で済むといえば済むかもしれないが,言語の豊饒さという点で些かの寂寥感を覚える(爆)。

Aja: Classic Album [DVD] [Import]Aja: Classic Album [DVD] [Import]
(2006/10/03)
Steely Dan

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☆ この曲の有名な間奏(Jay Graydonの名を一躍有名にした)でもそうで,これに比すべきギター・プレイはダンの作品なら例えば「キッド・シャールメイン」でのラリー・カールトンのプレイになるだろう。われわれは完成品としてのアルバムを聴くので,その第一印象がこのヴァージョンになるのだが,このヴァージョンに落ち着くまでの過程(上記DVDでも触れている)を見ると,音楽が(アレンジを含む全体像として)どのように出来上がっていくか,その醍醐味を知るというか一端に触れることが出来るように思う。

2019年12月23日追記

Billboard Hot 100 1977~78
11/19 87位(New Entry)→83位(11/26)→71位(12/3)→60位(12/10)→49位(12/17)→44位(12/24)→44位(12/31)→40位(1/7)→36位(1/14)→32位(1/21)→28位(1/28)→20位(2/4)→44位(2/11)→15位(2/18)→13位(2/25)→12位(3/4)→11位(3/11)→32位(3/18)→59位(3/25)→ランク外(4/1)

PERSONNEL
Donald Fagen - lead vocals
Michael McDonald - backing vocals
Paul Griffin - Fender Rhodes electric piano, backing vocals
Tom Scott - lyricon
Victor Feldman, Gary Coleman - percussion
Jay Graydon - lead guitar
Steve Khan - rhythm guitar
Don Grolnick - clavinet
Chuck Rainey - bass guitar
Rick Marotta - drums

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続・あの話はどこに行った (じいさん学 第7講)



☆ ほぼ定番化した言い方を使うと(自爆)「ぼくがこどもの頃の」有力な「情報収集ルート」に理容室(理髪店とも散髪屋ともいう)があった。理容室そのものではなく,そこに置いてある「少年向け週刊漫画雑誌」に用があったのである。


👆 Not "Funny" but "Forty"

☆ その頃は「少年マガジン」と「少年サンデー」が二枚看板で,「少年ジャンプ」や「少年チャンピオン」は新興勢力。基本は「マガジン」か「サンデー」どちらかを見ている図だった。今は連載漫画がそのほとんどを占めている少年漫画雑誌も,昔は「それ以外」のコーナーが若干だけ存在した。まだビンボーな世の中なので投稿欄はなく,役に立つのかどうかは不明だが購入意欲だけはそそられる通信販売の宣伝が巻末にあるというのが定番だったような気がする。

☆ で,順当に考えても「暇ネタ」欄としか思えない「それ以外」のコーナーは「と学会」が喜ぶような怪しいネタの宝庫だったような気がする。「子供だまし」といっては怒られるが,確かにそこには迷信やら怪しげな噂などがてんこ盛りになっていた気がする。たいてい「怖い話」が混じっており,イラストだけで想像がつく場合はページを取りあえず飛ばし,あとで怖いもの見たさにそのページを開けて深く後悔する(夢に出てきませんように)というのがお決まりか(苦笑)。

☆ 後年,その「与太話」と思われていた話のひとつに思いがけない真相があった。それは「象の墓場」の話だ。ぼくが覚えている「もっともらしい説明」のあらすじはこうである。

> 年老いた象は決められた場所に行き,そこで死ぬ。その場所は象しか知らない。

☆ なんだかこんな話だったと思う。当然子供だったぼくは怖いと感じると同時に印象に残りました。ところがこれは大嘘で,真相は次の通り。

> 象牙の密猟者が他の者を近づけないようにでっち上げた話です。

☆ たぶん今世紀に入ってからだったと思うがアフリカの自然保護に関する番組の中でこの説明を聞いた時,ビックリはしなかったが,池上彰氏的「そうだったのか」感はありました(爆)。

☆ このほか知名度の高い迷信では「宮形の霊柩車を見たら親指を隠せ」とか(そのせいか,宮形は激減した),夜に爪を切ると云々とか蜘蛛は夜見ると不吉で朝は縁起が良いとか(網を張ってずっとそこにいたらどうするんや?),まあたくさんありました。だから「フェイクニュース」などは子供のうちに「慣れておく」必要がある気がしなくもない。

☆ あと,子供の喧嘩(言い合い)で相手の強引さを非難する時に「ファッショだ」とか使っていたし(意味も分からず),スタンドプレーが過ぎる仲間をオミットする(Omit=除く)とも言っていた。こどもは「どこかで」(親の嫌がる)こういう言葉を仕入れて,意味も分からず無邪気に使うものだと思っている。ただ言葉の使い方の「ベース」ができていなければ,それはことばの「乱れ」になり「崩壊」になる。この辺の塩梅が難しいのである。

Super Safari (Native Son 1979年)


PERSONNEL
Takehiro Honda: Fender Rhodes Piano, Hohner D-6 Clavinet, Yamaha CP 70 Solina Celesta
Kohsuke Mine: Tenor Saxophone, Soprano Saxophone
Motonobu Ohde: Electric Guitar
Tamio Kawabata: Electric Bass
Hiroshi Murakami: Drums



☆ 久しぶりに「スーパー・サファリ」聴いたけど,ファストラインに入ってからが,やっぱり格好良いなあ。

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1981年12月19日付 Billboard Hot100


Hot10
1 Physical Olivia Newton-John (10週No.1:'81 11/21~'82 1/23)
2 Waiting For A Girl Like You  Foreigner 最高位2位
3 Let's Groove Earth, Wind & Fire 最高位No.1
4 Oh No Commodores 
5 Young Turks Rod Stewart
6 I Can't Go For That(No Can Do) Daryl Hall John Oates 最高位No.1
7 Why Do Fools Fall In Love Diana Ross
8 Harden My Heart Quarterflash
9 Don't Stop Believin' Journey
10 Leather And Lace Stevie Nicks With Don Henley

☆ オリヴィアの最大ヒット曲にして,実は80年代最大のヒット曲でもある「Physical」は大人ディスコとワークアウト風の装い(それまでの健康優良児イメージを崩すことなく「実はあっち系路線」に見事に着地した)で「バカ受け」。その煽りを食らった「悲劇の2位」がフォリナーの「Waiting For A Girl Like You」(曲のイメージを印象づけるシンセサイザーはトーマス・ドルビーが弾いている)。ロッドの「燃えろ青春(Young Turks)」はこの時代の「トンでも邦題」のひとつ。ただしこれ原題が「若いトルコ人」と読めるので,どう考えても「青年トルコ党(19世紀後半にトルコでオスマン支配の絶対主義に反発した1つ以上の反政府グループのメンバー)」なんだが,実はそこから転じて「組織や政党内で過激な改革を求める急進派や反逆的な若手」という意味があるという。つまり「叛逆児たち」みたいな意味に収まるようだ(ビリー・アイドルみたいだな=笑=)。

☆ 6位「I Can't Go For That(No Can Do)」は『Private Eyes』(1981年9月1日)からのセカンド・シングルで,当時絶頂にあったホール&オーツのミディアム・ナンバー。翌年にアルバムタイトル曲に続いてのNo.1となる。7位ダイアナ・ロス「Why Do Fools Fall In Love(恋は曲者)」は言うまでもなくFrankie Lymon & the Teenagers1956年の大ヒット曲(1956年1月10日:最高位 Hot100 6位,R&B No.1)のカヴァー。8位「Harden My Heart」は紅一点のOrinda Sue "Rindy" Rossがリード・ヴォーカルとサキソフォンを受け持つという当時の変則スタイルで注目を浴びた新人バンド。サックスを効果的に使った曲は70年代後半から増えてきた(アル・スチュワート「イヤー・オブ・ザ・キャット」ジェリー・ラファティー「霧のベーカー・ストリート」など)そしてこのバンドと「ダウンアンダー」の雄メン・アット・ワークの登場で一大ムーヴメントとなる。チャートの下位を見ると後年「メインストリーム・ロック」といわれるタイプの曲が揃っており,ニューウエイヴが分裂・拡散していた全英チャートと好対照だ。

☆ 自分の記憶が正しければクォーターフラッシュはデヴィッド・ゲフィンのゲフィン・レコーズからの第一弾ではなかったかと思う。ゲフィンはこの後80~90年代に数多のヒットを出し,その中の一人と結婚し離婚したが,まあそれはいいか(^^;)。

I Can't Go For That(No Can Do) (Sara Allen / Daryl Hall / John Oates)


Harden My Heart (Marv Ross)


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「How Deep Is Your Love(愛はきらめきの中に)」 (Bee Gees 1977年9月)


初出:2007年12月10日

サタデー・ナイト・フィーバーサタデー・ナイト・フィーバー
(2007/09/26)
サントラ、クール&ザ・ギャング 他

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☆ 『サタデー・ナイト・フィーバー』を発表したのはRSOというレーベルだったが,翌78年の同社のボーナスは社員に家一軒と自動車一台だったと当時,小林克也が話していた。あたしはその放送を聞いただけで,真偽のほどは知らない。ただ,数年後,この好景気の反動からRSOレーベルは倒産してしまう。これもどこかで記事を見ただけで実際のところは分からない。はっきりしているのは,この2枚組のサウンドトラックが「物凄く売れた」という事実と,これをきっかけに80年代前半までやたらサウンドトラックアルバムが売れる時代が来るということである。

☆ 1977年末の全米チャートは,デビー・ブーンとアンディ・ギブの二人の若いミュージシャンが話題を浚っていた。前者はパット・ブーンの娘で後者はビージーズのギブ兄弟の弟だったが,ともかくも凄いブームだったことには間違いない。デビーのスロー・バラード「You Light Up My Life」はいま聴いても良い曲(ただし邦題の「恋するデビー」は何とかして欲しい^^)で,前年のロッド・スチュワートを超える長期No.1ヒットとなった。

☆ そんな訳で,シングルチャートで大旋風が起こっていた頃,アダルト・コンテンポラリー・チャートに居座っていたのが,ビージーズのこの曲である。これも今聴いてもやはり良い曲だ。しっとりとしたモデレートなバラードだ。もっとも世間的にはこの次のシングルから「大フィーバー」となってしまうのだが。

How Deep Is Your Love
(Barry Gibb / Robin Gibb / Maurice Gibb)


☆ フィーバー期の日本(笑)でビージーズに向けられた冷たい視線は,「小さな恋のメロディ」の反動が大きい。しかしビージーズのダンス路線はこの曲よりも前に「ジャイブ・トーキン」で全米No.1を奪取した時から始まっていたから,洋楽のチャートマニアには「何を今さら...」てな優越感があったかもしれない。 「"ジャイブ・トーキン"とか"ユー・シュッド・ビー・ダンシン"が全米でヒットしてたの,知らなかったの?」てな具合だ。嫌なガキだねぇ(爆)。

☆ フィーバー話は別の機会に譲るとして,この曲。アダルト・コンテンポラリーチャートではダントツの一位だった。同じ頃リンダ・ロンシュタッドがロイ・オービソンの美しいバラード「ブルー・バイユー」でこれを猛追するも届かず。リンダマニア(当時)としては悔しい思いをしたということも今となってはちと懐かしい。30年経ってギブ兄弟の二人も早世したアンディの後を追うように今は亡く,ビージーズという美しいコーラスグループはもうその影も形も残っていない。それが世の倣いゆえ,凡庸な聴き手としてはただ「あの日」の感傷に浸りながら,しばしその声を愛でるだけである。


2019年12月16日付記

☆ この曲が『サタデー・ナイト・フィーバー』の爆発的ブームの扉を開いた事実は,ビルボードHot100のチャートからも容易に分かる。

Billboard Hot 100 1977~78年
9/24 83位(New Entry)→49位(10/1)→34位(10/8)→24位(10/15)→20位(10/22)→15位(10/29)→11位(11/5)→9位(11/12)→6位(11/19)→3位(11/26)→3位(12/3)→3位(12/10)→2位(12/17)→No.1(12/24)→No.1(12/31)→No.1(1/7)→2位(1/14)→2位(1/21)→7位(1/28)→7位(2/4)→10位(2/11)→10位(2/18)→10位(2/25)→10位(3/4)→15位(3/11)→35位(3/18)→33位(3/25)→32位(4/1)→48位(4/8)→49位(4/15)→55位(4/22)→55位(4/29)→59位(5/6)→ランク外(5/13)

☆ No.1こそ3週だが(理由はデビー・ブーン「You Light Up My Life」のメガヒットや先に紹介済みのクリスタル・ゲイル「Don't Make My Brown Eyes Blue」のような有力曲に上位進出をしばらく阻まれたこと)Hot10在位17週は驚異的だし,その後も30位台で踏みとどまるなど,大ヒット曲特有の面白い現象を示している。

最高位
No.1:全米(ビルボード,キャッシュボックス,ラジオ&レコーズ),ブラジル,カナダ,チリ,フィンランド,フランス
第2位:全米(レコードワールド),アイルランド,イタリア,南ア
第3位:豪州,英国  第4位:スウェーデン 第5位:ノルウエー
第6位:ベルギー,ニュージーランド 第7位:スペイン
第8位:オランダ 第21位:西独 不明:日本

ビルボード・オールタイム・チャート(1958–2018)第42位


☆ 77年末~78年初には「長寿曲」が目立った。後で田中康夫が有名にしてくれたポール・デイヴィス「I Go Crazy」は,その後ソフト・セル「Taited Love」に抜かれるまでHot100在位最長を誇ったし,この曲だってニューエントリーから33週もHot100に留まっていて,なおかつHot40には26週(半年!)も留まっていた。

【ご参考】
Linda Ronstadt ベストチャート(本文参照)
1977年12月17日付
1.You Light Up My Life (Debby Boone)
2.How Deep Is Your Love (Bee Gees)
3.Blue Bayou (Linda Ronstadt)
4.Don't It Make My Brown Eyes Blue (Crystal Gayle)
5.It's So Easy (Linda Ronstadt)

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去年のクリスマス (じいさん学 第6講)



☆ 西洋と東洋では時間の流れ方が異なるところがある。輪廻転生を前提にするかしないかということなのだが,輪廻転生が円環を描く(ただし「生まれ直し」ではない)のに対し,一神教に多い「最後の審判」待ちパターンは直線状となる。もっとも円環も直線も個別の人間を取ればすべて直線状であり(生まれ→死ぬ),鴨長明が『方丈記』の冒頭で呟いた通り,元の水たらぬ「大河の一滴」達は直線の時間軸の上を歩んでいくことになる。




☆ ジョージ・マイケル(George Michael、1963年6月25日 - 2016年12月25日)畢生(ひっせい)の名作は「ラスト・クリスマス(Last Christmas)」(1984年12月15日=日本)だろうが,これも時間が直線状に流れることを意味している。先ほど書いたようにこの曲のリリース日は12月15日で,1984年のクリスマスは10日先にある。だから1984年12月15日の段階で「最後に来た」クリスマスは去年1983年12月25日になる。だからこの曲名を直訳すれば「去年のクリスマス」となり,タイトルからも失恋の歌と想定できてしまうのである。

☆ このあたりは中学生の英語の授業で出てくる話なのだが,英語を単語で覚える癖がついているとなかなかピンと来ない。「Last Summer」なら考えるまでもなく「去年の夏」と出てくるのに「ラスト・クリスマス」ではこうならないのは,最初に書いた「時間感覚」の差なのではないかと思ってしまう。

☆ トヨタ自動車の「ものづくり」を象徴するコトバ(元「和製英語」)に「ジャスト・イン・タイム」がある。大野耐一氏がこの言葉を生み出したのかは寡聞にして(つまり「知識不足で」)知らないが(笑),英語的時間軸で見れば「ジャスト・オン・タイム=パンクチュアル=時間に正確な」となるだろう。トヨタがその「先」を見ていたのは単純に「正確な時間」では「何かあった時に間に合わない」というリスクを孕んでいることを読んで,「正確な時間に達する前」にという意味をこの「和製英語」の中に持たせたからだ。

☆ インとオンは位置関係が異なる。例えばビートルズの曲で「ルーシーはダイヤモンドを持って空に浮かんでいる」から「イン・ザ・スカイ」であり,これが「オン・ザ・スカイ」なんてことになれば,ルーシーは天地創造の神様の隣で空の上に位置することになりかねない(笑)。最近も「ルーシー」のひとりが「世間を騒がせて」いたが,やっぱりお天道様の下(On the Road)は,空の中(In the Sky)なのである。
Lucy In The Sky With Diamonds (Lennon-McCartney)

Covered by Elton John (1974年11月18日)




☆ エルトン盤のこのシングルはなぜか33回転になっていた(シングルレコードの回転数はふつう45回転だった)。音質をうんぬんという話を聞いたことがあるが理屈が分からない(笑)。だって同じビートルズの曲でも「ヘイ・ジュード」は45回転で7分あったわけだし(エルトン盤は6分16秒)...しかしこのヴァージョン途中にレゲエ風シンコペーションを入れたりしてなかなかやるものです。

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「Kiss of Life」 (SADE 1993年4月26日)


初出:2011年12月6日(2019年12月12日内容修正・追加)

SADE Kiiss of Life Cover

☆ シャーデーは寡作なバンドである。最初の三作こそ1984年(『ダイヤモンド・ライフ』)85年(『プロミス』)88年(『ストロンガー・ザン・プライド』)と続いたが,92年に『Love Deluxe』を出した後は,2000年『Lovers Rock』2010年『Soldior of Love』というペースだ。ライブも少なく,今年(注:2011年)10年ぶりのツアーを行っていて,今月(注:12月)の豪州,そして最後にドバイで終了ということで東アジアの予定はなかったのが残念だ。

Kiss of Life (1993年4月26日)
(Sade Adu /Stuart Matthewman / Andrew Hale / Paul Spencer Denman)


☆ この曲は『Love Deluxe』からの3枚目のシングルとして1993年4月にリリースされた。今回のツアーセット・リストにも入っている秀逸な小品である。このアルバムの後比較的長い休止時期があったのは彼女の個人的な事情(子育てなど)があったようだが,その辺の事情は最新のコンピレーション盤である『The Ultimate Collection』のライナーノーツに詳しい。興味がある方は是非一読を。

最高位
Billboard Hot100:78位,Hot R&B/Hip-Hop Songs:10位,Adult Contemporary:20位、全英:44位

アルティメイト・コレクション(初回生産限定盤)(DVD付)アルティメイト・コレクション(初回生産限定盤)(DVD付)
(2011/06/22)
シャーデー

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☆ こうやって聴いていると彼女の作品の中で最もクワイエット・ストーム色が強い作品だと思う。シャーデーはロンドンのクラブシーンから彗星のように登場したのでどうしても「お洒落系」と思われてしまうが,彼女(アドゥ)自身は明らかにそういう系ではなく,もっとナチュラルというかロハス的な人のように感じられる。シーンとの距離の取り方も意識的だし,70年代の後半にジョン(レノン)がやったことをもっとナチュラルな形でやり遂げてしまったような印象がある。ぼくにとってはそれは悪くないことだと感じられる。

シャーデー: ラヴァーズ・ライヴ [DVD]シャーデー: ラヴァーズ・ライヴ [DVD]
(2002/06/19)
シャーデー

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☆ 90年代に「クラブ」じゃなくて「大人ディスコ」があったら,こんな感じで踊る人がたくさんいたんだろうなと思う(^_^)。

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「Honey Coral Rock」 (Stuff 1979年)


ライヴ・スタッフ/スタッフ
¥1,080 Amazon.co.jp


初出:2015年4月13日

☆ All Musicなどを筆頭とする欧米音楽メディアが軽視しているが,日本では全く異なる高評価されたバンドのひとつがスタッフだと思う。スタッフの評価はあちらでは「優雅な課外活動」くらいなものだろう。腕っこきの売れっ子ミュージシャンが自分たちのやりたい音楽をやっているという図式が「優雅な課外活動」なんてステロタイプな評価につながるのは仕方がない。でもスタッフの最大の功績は,さまざまな音楽が重なり合い(クロスオーバー),混じりあった(フュージョン)時代に,音楽でいちばん大切なものは技巧ではなくグルーヴだということを身をもって示したことにあるのではないかと思う。

☆ 確かにスタッフは1980年あたりの東海岸のシーンの一断面ではある(3年くらい前の東京におけるキャラメル・ママ/ティン・パン・アレーのように)。しかし例えばポール・サイモンの『時の流れに』に聴かれるように,ミュージシャンの個性を引き立てながら独自の色合いは決して失わない,このバランスこそが腕っこきの腕っこきたるゆえんであり,ミュージシャンのバックという制約から解き放された時,スタッフのグルーヴは大きなうねりとなってシーンに足跡を残したのである。

Live:新宿厚生年金会館大ホール 1977年11月19日



2019年12月09日追記
☆ 「Honey Coral Rock」 はエリック・ゲイル(September 20, 1938 – May 25, 1994)の作品で彼のソロ作品にも同名の曲があるが,同名異曲という気がする。

『More Stuff』に収録のヴァージョン(5:09)



ゲイルのソロ作品『Negril』に収録の曲(4:02)




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あの話はどこにいった? (じいさん学 第5講)


☆ ローマ教皇フランシスコが来日した日の夜(2019年11月23日),NHKニュースを見ていたら,それまで「ローマ法王」という呼称を使っていたのを,今回から「ローマ教皇」に改める(政府の呼称変更に右に倣えしたとか云々)と話していた。確かにぼくがこどもの頃はパウロ六世が「法王」だったかと思うが,ずっと「ローマ法王」と呼んでいた。でもこれはおかしいのである。




☆ ローマ教皇は塩野七生の書名にあるように『神の代理人』であるから「法」は関係ない。だいたいここで「法」といえば,ユダヤ教の「律法」だったりイスラム教のそれだったりする。おそらく「法王(法皇でもない)」という呼称は仏教系の呼称に倣ったのだろう。だがしかし,正しい表現をすることは必要なことだ。とはいえ,ぼくたちが中学・高校で世界史を学んだ時にはいろいろな「変化」があった。

☆ 例えばユリウス・カエサル。この "塩野七生女史の永遠の憧れ人" は,ぼくがこどもの頃は英語読み(であることも当時は知らなかった)のジュリアス・シーザーだった。シーザーはシェイクスピアの戯曲ではシーザーだが,ローマ人であるがゆえ「ユリウス・カエサル」であるという理屈を当時聞いたことはなく(笑)シーザーの胸像の写真の下に「カエサル」と書いてあるのを見て最初は「?!」と思ったものだ。

☆ こういう話はたくさんある。今ではイスラム教と言っている宗教も,ぼくがこどもの頃(今日は基本的にこんな話が続く^^;)には「回教」と言われていた。回教とは何か?ウイグル(回紇や回鶻といった表記がある)族の宗教という意味だろう。世界史の教科書には唐代にシルクロード経由で様々な宗教が伝播していることが書かれており,祆教(ゾロアスター教),景教(ネストリウス派キリスト教),明教(マニ教)があった。イスラム教は当初「清真教」と呼ばれたが,ウイグルの人々が多く改宗したことから「回教」になったとWikipediaには書いてある。

☆ そういう意味で名称というものは正しいものに直した方が何かと都合が良いのだが,なかなかそうは問屋が卸さない。ある時,とある文学者がローズヴェルト(米国大統領。伯父の方はクマのぬいぐるみでお馴染みテディことセオドア・ローズヴェルト,甥はF.D.Rことフランクリン・デラノ・ローズヴェルト)が未だに「ルーズヴェルト」と表記されているのはおかしいと新聞のコラムに書いていたが,本人が別の箇所を書き間違えていたため,ぼくをはじめとする数人の問合せを受けて次号で訂正されていた。

☆ 人やモノの名前の呼び方は実際にその発音を聞かないと何とも言えない。数字はディジットなのに「デジタル」が定着し,マイルズ・デイヴィスは何時までたっても「マイルす」だと村上春樹氏は異議を唱え続けているし,オーストリアの首都はいつまでたってもヴィーンでもヴィエナ(英語読み)でもない「ういーん」だし。とキリがない。

You Know My Name (Look Up The Number) (Lennon / McCartney)




☆ この曲で終わらせる以上「最終回」ではないという覚悟の顕れであります(自爆)。

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【再掲】 全曲解説 「松原みき ベストコレクション」


初稿:2008年8月30日(閉鎖サイトのリンク消去済)

松原みきベスト・コレクション松原みきベスト・コレクション
(2008/07/16)
松原みき

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1. あいつのブラウンシューズ
2. It's So Creamy
3. Jazzy Night
4. 真夜中のドア/Stay With Me
5. SEE-SAW LOVE(シーソー・ラブ)
6. 愛はエネルギー
7. 三人で踊らない
8. Howa Howa Shuwa Shuwa -宇宙ネコの舌ざわり-
9. 夕焼けの時間です
10. WASH(ウオッシュ)
11. -CUPID-
12. Bay City Romance
13. 恋にお招ばれ
14. Caribbean Night
15. Love for Sale
16. ニートな午後3時
17. ハロー・トゥデイ(Hello Today)

☆ 松原 みき(まつばら みき、1959年11月28日 - 2004年10月7日)は歌手、作詞家、作曲家。 これはウィキペディアの書き出し。彼女が故人となって久しいが,初期の二枚を除いてオリジナルアルバムは再CD化されておらず,同時代の多くのミュージシャンやアイドルシンガー達が次々に「復活」しているのとは対照的にずっと忘れられた存在だった。同世代人でもあるあたしは,偶然彼女がデビューした頃から知っていたのでその事を長く残念に思っていた。まして彼女が所属していたシー・ソーというレーベルのディストリビュータでもあったポニー・キャニオンは「ぼくらのBEST」シリーズでこうした再評価の先頭に立ってきた会社だったから,その思いは特に強かった。今回,曲がりなりにも全期間から選曲されたBEST盤が登場したので,1曲ずつ思うところを書いてみようと思う。ベストが出ても本人がプロモートに登場することは永遠にない。だからこそ,この場所で思いのたけを少し語っても,天国の彼女が微笑んでくれるならそれで良いと思っている(いまさら迷惑だとは思って欲しくない^^;)。

=以下はウィキと最後に載せるサイトの記述を参考にしながら自分の記憶を加えて書いた=

1. あいつのブラウンシューズ
☆ セカンドアルバムに先行して発表された4枚目のシングル。杉真理の手による,ちょっとカントリー風味のあるポップな作品。amazonのレビュアー氏も指摘しているが,シングルヴァージョンだろうと思われる(アルバムは別ヴァージョン)。

2. It's So Creamy
☆ デビューアルバム『Pocket Park』(ちなみにこれは彼女が当時所属していた事務所の名前である)からの選曲。「真夜中のドア」に続くA面2曲目がこの曲だった。最初の曲のインパクトが強いのでそれを和らげるスムーズィな作品。

3. Jazzy Night
☆ セカンド・アルバム『who are you?』(小文字で書くのはThe Who1978年の偉大なる同名アルバムと区別するため^^)のA面最後(5曲目)に入っていた曲で,後に1981年に前後の脈略なくシングル・カットされた。ジャズィというコンセプトが彼女のバックグラウンドを見た三浦徳子(作詞家)のイメージであることは明らか。

4. 真夜中のドア/Stay With Me
☆ 作詞:三浦徳子,作・編曲林哲司というヒット・メイカーのペンによる,記念すべき彼女のデビュー曲。1979年,レコーディングの時は20歳そこそこの新人歌手だったのだが,とてもそうと思えない素晴らしいヴォーカルだ。この曲については稿を改めた方が良いので詳しくは書かないが,バッキングのパーソネルくらい(たぶんギターソロは松原正樹,ベースは後藤次利)書いて欲しかった。パラシュートのバッキングで一番有名な作品は松田聖子のデビューアルバム『SQUALL』だが(実際,新人歌手の松田にヴォーカルを取らせたパラシュートのアルバムという観がある=笑=),この作品の松原はバックに負けてない。どころか,伸びやかに歌い切っている。色々言うヤツがいるが,林哲司の作・編曲がキマッているのは事実だ。文句無く1979年の新人歌手のトップに立つべき作品だった。

5. SEE-SAW LOVE(シーソー・ラブ)
☆ 81年春のタイアップが不発に終わり,彼女にとって迷路に入る時期に発表された通算8枚目のシングル。4枚目のアルバム『myself』にも収録。最初に書いたようにシー・ソーは彼女が所属していたレーベルの名前。偶然だろうがちょっと冗談めかしている。このアルバム,実はAORファンには必聴盤の一枚である。なぜかと言えばL.A.の名うての手だれであるドクター・ストラット(Dr.Strut)が全面的にバックを買って出ているからだ。そのことは彼らが全曲に編曲家としてクレジットされていることからもわかる。こうした当時のAORやフュージョン的なサウンドは松原みきという歌手にはとても居心地の良いものだったのではないかと思う。この曲での彼女のヴォーカルは水を得た魚のように跳ねているから。

6. 愛はエネルギー
☆ 彼女のセカンド・シングルで,もちろんデビューアルバムにも収録(B面2曲目)。このシングルは後年,先ほどの「Jazzy Night」とカップリングで再発された。余談だが,この(オリジナルの)シングルジャケットは,当時WPB誌に彼女が初お目見えした時のグラビアショットのアウトテイクと思われる(衣装が同じだから)。デビュー曲と同じ作詞・作・編曲で,デビューの翌月に早くも発売されたが,これはごく普通の「ニュー・ミュージック風」作品。

7. 三人で踊らない
☆ これも4枚目のアルバム『myself』にも収録された曲。こんなスムーズな曲でも彼女のヴォーカルは滑らかで輝いている。松原みきという歌手はどちらかと言えばハスキィでスモーキィなヴォーカルが魅力だが,こんなシルキィなヴォーカルを取ったこともあることは特筆したい。

8. Howa Howa Shuwa Shuwa -宇宙ネコの舌ざわり-
☆ セカンド・アルバム『who are you?』はちょっと変な手触りがある。大真面目なA面に比べておもしろおかしい世界が展開されている(その中に彼女自身がペンを取った曲が入り,後半の作家としての活動の起点でもある)。お遊びとして軽く流すもよし。でもこのコンピレーションアルバム中,最長の作品なので,評価が分かれるかもしれない。

9. 夕焼けの時間です
☆ これもセカンド・アルバム『who are you?』B面からの選曲。amazonのレビュアーの不満点にCD化された音源からの重複が多いというのがあったが,逆に言えば今までCD化されていない音源が1曲だけCD化されることはまさか無いだろうと期待を持ってしまう。そんな意味でこの作品が意外に健闘すれば「ぼくらのBEST」の中に入ってくれるかもしれない。でもこの曲の彼女のシルキィ・ヴォイスは結構気に入っている。

10. WASH(ウオッシュ)
☆ これは初CD化された音源かもしれない。 「SEE-SAW LOVE」のカップリング曲。これも『myself』のセッションで収録された1曲なので,A.O.R.っぽさに溢れる作品だが,当時のシーンが「フュージョン」と呼ばれたように,ポップ・ロック・ブラックミュージック・ジャズといったいろんな音楽が交差(クロスオーヴァー)して,松原みきというヴォーカリストを触媒にしながら融合(フュージョン)していることがわかる。とても素直でチャーミングなヴォーカル。初CD化なら嬉しい限りである。

11. -CUPID-
☆ 3枚目のアルバム『CUPID』のタイトル曲で,B面のトップにあった曲。このアルバムはA面はDr.Strutを擁し初のL.A.録音。ただし全体のプロデュースはアレンジャーの大村雅朗氏が受け持っているようで,全曲のアレンジにクレジットされている。個人的にはこの曲の松原みきのヴォーカルは好きだ。この囁くようなコケティッシュでシルキィでありながらスモーキィでもある千変万化のヴォーカルは,そこいらの歌自慢のジャズ方面のお姐さま方を遥かに凌駕していた。

12. Bay City Romance
☆ 5枚目のアルバム『彩』からの作品。当時のイメージだとザ・ホテル・ヨコハマから見える氷川丸を思い出させる。前の曲もそうだが,こういう曲を歌わせた時の松原みきのヴォーカルは別人のようにうまい。Aメロからサビに入る短いブリッジの歌い方など凡庸な歌手ならさらっと歌い流してしまうところを,感情を細かく詰めながら小さく丁寧に畳み込んでいく。だから,サビになると押し詰めた感情が解放され,伸びやかに聴こえるのだ。それがサビの最後の切れを良くする。テクニックというより持って生まれた感性の鋭さ,天賦の才能というしかない。そしてこのヴォーカルをもう二度とリアルに耳にすることが出来ないのだ。そのことは限りなく寂しい。

13. 恋にお招ばれ
☆ キャニオン時代の最後のアルバム『LADY BOUNCE』(オリジナルとしては9枚目)からの作品。カシオペアの向谷実がアレンジを担当し野呂一生や和泉常寛の名前も見える。アルバム自体がちょっと毛色の変わった作品であり,ファンの評価も分かれている。ただしジャケットはこれが一番というの(デビュー盤の裏ジャケットもなかなかよかった)が通り相場のようである。ちょっと悪戯っぽくキャプキャピした感じが彼女のイメージにはミスマッチだ。本当は結構こんな感じの女性だったのかもしれない。

14. Caribbean Night
☆ 帯についていたコピーが「お・ま・た・せ!」だった『COOL CUT』(オリジナルとしては7枚目のアルバム)からの選曲。彼女はミュージシャンのアイドル的なところがあるのか,色々なミュージシャンがプロデュースを手掛けている。このアルバムは元四人囃子の森園勝敏がプロデュースしている。ちょっと異国情緒なのは「Bay City Romance」にも通じているが,こちらはもっと「熱帯」ふう。こういう曲ではクールでハスキィでなくスウィートでちょっとウエッティなヴォーカルが聴けるのも楽しい。

15. Love for Sale
☆ 今回ようやく音源が登場した8枚目のオリジナルにして初の全曲カヴァーアルバム『Blue Eyes』の冒頭を飾るコール・ポーターの名曲。彼女がジャズ畑の秘蔵っ子的な存在であったことを改めて思い起こされるこの『Blue Eyes』は,彼女のディスコグラフィー上も単なる「企画物」として流されてしまうが,とんでもない。これこそ再発が一番に待たれる作品だと思う。その証拠にこのアルバムをプロデュースしたのは他ならぬ前田憲男氏であるからだ。他の歌手が「ミュージック・フェア」や「サウンド・イン・S」に出て来てスタンダードを歌っても「ゲスト」に過ぎない。でもこのアルバムの松原みきは,たとえ「サウンド・イン・S」でEVEやタイム・ファイブを従えても楽々と歌い切ってしまうだろう。それくらいの力はあるということを明瞭に示している。一日も早い,再発を望む。若いジャズを志す女性歌手の卵達のためにも。

16. ニートな午後3時
☆ 5枚目のシングル。「資生堂 '81春のキャンペーンソング」としてヒットが期待されたが,カネボウの矢野顕子(「春先小紅」)に惨敗を喫し,恐らく彼女のその後のキャリアに暗い影を落とすきっかけとなってしまった曲。悪い曲ではない。三浦徳子の描く女性は,80年代に入ったばかりのこの時代の女性に相応しい「自立した女」であった。結局こういう女性が80年代をリードしていき,朝日新聞あたりが「元気印」などとヨイショしながらバブル崩壊を招いていくのだが(女性にも朝日新聞にも何の罪も無い)。小田裕一郎の曲もエッジが効いていて悪くない。あえて言えば矢野顕子という「相手」と彼女が関わっていたYMOの盛時で時期も悪かった。そういう事に過ぎない。

☆ そして玄田なんたらとか言う「学者のオッサン」が英国から「NEET」なんて「クズな略号」を仕入れては「学業」と称して「喧伝した」ばかりに,この曲,そして松原みきの名前までが地に堕された事には,腹立たしさを超えて殺気を覚える。だからこの曲についてはレビューは書けないし,書かない。
【2019年12月5日付記 その後別稿にてこの曲についても記載しています。】

17. ハロー・トゥデイ(Hello Today)
☆ これもシングルだけの曲。1980年4月に発表されたサード・シングルで,B面の「街はいつもパーティね」は大村雅朗のペンであるが思い切りマンハッタン・トランスファーしている(笑)。そのせいか,その後のツアーではこの曲(「街はいつもパーティね」)ではなく「トワイライト・ゾーン」をしっかり歌っていた(それも良かった)。少し前に「夜スタ」と思われる「You Tube」を見つけたので紹介したことがある。

☆ アルバムの選曲としては『REVUE』(オリジナルとしては6枚目)とビクター移籍後唯一のアルバム(歌手としてのキャリア上も最後のオリジナルアルバム)『Wink』が抜けているのが不満。また「倖せにボンソワール」や「Paradise Beach」が抜けているのは残念に思う。

☆ でもこうして本当に久しぶりに松原みきの音源を聴いていると,彼女が歌手として遺して来たもののほんの一部でも世の中に出る機会を得たことを嬉しく思う。歌手として,後年は作家として才能の全てを開花させる機会を得られないまま,若くして病で亡くなった彼女のことを思うと,この作品集がきっかけになって,少しでも多くの人に彼女のミュージシャンとしてのメッセージが届けばいいと思う。もう二度と花束をステージの上にいる彼女に手渡すことは出来ないのだから。。。

2019年12月5日付記
「愛はエネルギー」 (1979年12月5日 作詩:三浦徳子 / 作曲:林哲司)



☆ 奇しくもリリースから40年経ちました。まあそう意味では懐メロですね。

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「Special to Me」 (Bobby Caldwell 1978年)


Special to Me (Bobby Caldwell / Marsha Radcliffe)


Wikipedia(英語版)の彼の項目に,ものすごく興味深いことが書いてある。

> Bobby Caldwell was born in Manhattan, but grew up in Miami.
ボビー・コールドウエルはマンハッタン生まれだがマイアミで育った。
> His mother sold real estate and one of her clients was reggae singer Bob Marley; Caldwell and Marley became friends.
彼の母親は不動産売買をしており,その顧客の一人にレゲエ・シンガーのボブ・マーリィがおり,コールドウエルはマーリーと仲良くなった。
> Growing up in Miami exposed Caldwell to a variety of music such as Haitian, Latin, reggae and R&B.
マイアミで育つ中,コールドウエルはさまざまな音楽の影響を受けた。それはハイチ音楽,ラテン音楽,レゲエ,そしてリズム&ブルースだった。

☆ この記述は彼が単にAOR(アメリカではアダルト・コンテンポラリー・ミュージックになるとわざわざ注釈がついている)やブルー・アイド・ソウルで売ってきた訳でも,目先を変えるためにレゲエに挑戦した訳でもないことが分かる。そしてこの解説にはさらに興味深いことが書いてある。

> Singer Boz Scaggs advised Caldwell to write songs for other musicians after TK Records shut down.
ボズ・スキャッグスは(コールドウエルがレコードを出していた)TKレコーズが倒産した後で彼に他のミュージシャンに曲を書くことを提案した。

> Caldwell wrote "The Next Time I Fall", which became a hit for Amy Grant and Peter Cetera,and songs for Roy Ayers, Chicago, Natalie Cole, Neil Diamond, Roberta Flack, Al Jarreau and Boz Scaggs.
コールドウエルは "The Next Time I Fall" という曲を書きエイミー・グラントとピーター・セテラ(元シカゴ)がデュエットしたその曲はヒットを記録した。彼はまたロイ・エアーズ,シカゴ,ナタリー・コール,ロバータ・フラック,アル・ジャロウそしてボズ・スキャッグスに曲を提供した。

☆ ボビー・コールドウエルが出てきた時,ボズ・スキャッグスのコピーであるかのような冷めた見方があった。だからボズが80年代前半の休息期間を経てボビーの「ハート・オブ・マイン」をタイトルにしたアルバムを発表した時,それらの人が腰を抜かしたのは言うまでもない(笑)が,Wikipediaのこのエピソードは,もっと知られても良いのではないかと思う。

☆ このWikipediaの記述から分かったことが幾つかある。

(1) ボビー・コールドウエルがTKレコードからデビューした理由
→・マイアミに住んでいて,そこにあった独立系レーベルだった。
 ・KC&ザ・サンシャインバンドが大当たりして新人を抱える余力があった。
 ・R&B,ソウル系の音に強く,ボビーの音楽志向に合っていた。
→だから白人であることが分からないようジャケットをイラストにした。
(翌年,テキサス州サンアントニオ出身のミュージシャンが同じ手法を用いた。クリストファー・クロスだ。)

(2) ボズがボビーの作品を取り上げた理由
→・TKレコードが81年に破産した時,ボズ自身が一時リタイア中で音楽から離れていた。
(聞いた話ではロブスター料理のお店などをやっていたらしい。)
 ・ボズ自身,ヒットを掴むまで下積みが長かったし,AORも,この時は既にトレンドでなかった。
(この時代は明らかにビート優位のダンス音楽の時代(そこにMTVが割り込んでくる)であり,ブルー・アイド・ソウルは「ロックン・ソウル」のホール&オーツやピーター・セテラ時代のシカゴなどを数少ない例外として,総じて不振となり始めていた。)
 ・ボズはボビーの作曲能力を評価していた。

『Bobby Caldwell』(1978)
Billboard Top200
189位(New Entry:1978.11.18)⇒最高位21位('79.3.10・17)

Album PERSONNEL
Bobby Caldwell – vocals, keyboards, guitar, bass
Benny Latimore – keyboards
Alfons Kettner – guitar
Steve Mele – guitar
George "Chocolate" Perry– bass
Richie Velazquez – bass
Ed Greene – drums
Harold Seay – drums
Joe Galdo – drums

☆ この曲は日本では「まるでシングルのように」エアプレイがかかっていた人気曲だ(実際にシングルになっていた👇)。アルバムのオープニングでブルー・アイド・ソウルの定番のような滑らかな魅力的な作品だ。





☆ 上のYouTube(CBSソニーがディストリビュートしたTK盤シングルの方)コメント欄が当時六本木などのデスコでお遊びになったお歴々の暖かいメッセが見られ「時代」を感じさせる。ま,一方にはこの手の輩を「なんクリ野郎」と呼んで締めてた人達(その可能性が高いのがゲージツ家のクマこと篠原勝之氏など)もおった訳で,この時代までは軟派と硬派という分類が有効だったと思わざるを得ない(爆)。

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Author:deaconblue
「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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