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2019-06

「雨の日と月曜日は(Rainy Days and Mondays)」 (カーペンターズ 1971年4月23日)【7月7日校正2稿】


Rainy Days and Mondays (Paul Williams / Roger Nichols)

Talkin' to myself and feelin' old
Sometimes I'd like to quit, nothin' ever seems to fit
Hangin' around
Nothin' to do but frown
Rainy days and Mondays always get me down

What I've got they used to call the blues
Nothin' is really wrong, feelin' like I don't belong
Walkin' around,
Some kind of lonely clown
Rainy days and Mondays always get me down

Funny, but it seems I always wind up here with you
Nice to know somebody loves me
Funny, but it seems that it's the only thing to do
Run and find the one who loves me
(No one who loves me)

What I feel has come and gone before
No need to talk it out
We know what it's all about
Hangin' around
Nothin' to do but frown
Rainy days and Mondays always get me down

【Short interlude】

Funny, but it seems that it's the only thing to do
Run and find the one who loves me

What I feel has come and gone before
No need to talk it out
We know what it's all about
Hangin' around
Nothin' to do but frown
Rainy days and Mondays always get me down
Hangin' around
Nothin' to do but frown
Rainy days and Mondays always get me down

☆ Wikipedia 英語版のこの曲の解説より
> The song was composed in 1971 by the then fairly unknown composers Roger Nichols and Paul Williams. It was released as the first track on the album Carpenters, popularly known as the Tan Album, and the B-side on the single is "Saturday", written and sung by Richard Carpenter.
> この作品は1971年に当時は全く無名の作詩・作曲家チームだったロジャー・ニコルズとポール・ウイリアムズによって作られた。この曲はTan Albumとして名高いカーペンターズの同名アルバムの1曲目に収録されており,シングルのB面曲「Saturday」は作者でもあるリチャード・カーペンターが自ら歌っている。

☆ プロジェクトとしてのカーペンターズ,またそのキーマンとしてのリチャード・カーペンターの「目利き力」が,このグループを凡百のポピュラーソンググループと隔絶させている。ニコルズ/ウイリアムズ(彼らはどちらも詩と曲が書けるという意味ではレノン=マッカートニーに近いソングライター・チームだと思う)を事実上世の中に送り出した。リチャードの目利き力はこの後レオン・ラッセルやニール・セダカなど様々なソングライターの作品を取り上げていった。

☆ カーペンターズは70年代前半のミドル・オブ・ザ・ロードであり,その正統性がユーミン流に言えばプチブルジョワジー好みの音楽(小市民ポップス=一種のポリティカル・コレクトネスのポピュラー音楽的なアイコン(象徴))としていわれなき(多分にイデオロギーがかった)揶揄と非難を受けてきた。そのことが彼らの音楽の「正当性」を失わせ,現代に至るまで極めてアンダーレイテッドな評価に甘んじていることは度し難いと強く感じている。

☆ 70年代前半にリチャードとカレンが取り上げたのは小市民の「良い子(娘)」のための健全なポップスなどではない。個化・孤独化する都会生活の中でささやかに生きていく人たちに寄り添う音楽だ。その歌詩の主題はミニマリズムを遥か手前で予期しているし,彼ら自身はみずからが受けた「世間的(ステロタイプな)非難や揶揄」を理不尽なものと感じつつ,答えを音楽で示していくと決めた一種の作品至上主義がある。そこには厳しい孤独があり,カレンの死に繋がる非情さもあった。

☆ 時代的誤解と過小評価の問題は60年代だったらビーチ・ボーイズやキンクスも当てはまる。もっともカーペンターズは基本的な立ち位置がショウビズの線上にあるから60年代のバンドの過小評価とはまた別の問題を抱えていると言える。それはロックとソウルを中心とするポピュラー音楽の分化過程に起因している。

☆ ただ彼ら兄妹が見出してレコード盤に刻み込んだ「現在の孤独」は上っ面のポピュラー音楽として消化された後に,パンドラの匣の底に佇んでいる。それは50年近くたった今でも変わらぬ光を鈍く放っている。

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「冷たい雨」 (ハイファイセット 1976年4月20日)


☆ ハイファイセットには可能性があった。あの時代に本当に「ニューミュージック」(ジャズエイジ・ショウビズからのポピュラー音楽の自立)があったとするならば,彼らやサーカスやイブやタイムファイブやシャイニー・ストッキングスがやっていた音楽がミドル・オブ・ザ・ロードになる「べき」だった。そういう音楽とアイドル歌謡(の製作者達)が競り合うことでこの国のポピュラー音楽は磨かれる可能性はあった。だけどそんなナロー・パスは誰も選ばなかった。その結果が数年前の12月の服部克久氏の発言だったとするならば,これくらい日本のポピュラー音楽にとって「残念な話」もなかっただろう。

「冷たい雨」 (作詩・作曲:荒井由実)

※ このヴァージョンのバンドアレンジはコーダのフェイドアウトを除いてほぼシングルヴァージョンの完コピである。これが当時のバックミュージシャンの「力量」なのだ。

☆ ユーミンが75・6年に話していたようにライター(制作側)に移っていたらどうなっただろう。同じことを山下達郎で考えてもいい。そうすれば日本のポピュラー音楽はもっと豊穣になっていただろうか?残念ながら,ぼくにはそうも思えない。70年代の製作者達に何が足りなかったのだろう。酒井正利氏がいろいろ書いているが,だれかきちんとオーラル・ヒストリーを取るべきではないか?少なくとも酒井氏や高久氏や小杉氏には。いろんな人が物故者になって,この国のポピュラー音楽の興隆期の記録がその人とともに消えていくことは文化的な損失だと思うのだが。

☆ 「冷たい雨」に関して言えば,この曲でユーミンは山本潤子に音域いっぱい声を使わせて彼女のレンジの広さを曲の魅力にしている。高い音階はどうしても声に力が必要になるが,その声の強さ・高さがこの曲の物語の主人公である女性の心の震え,感情の発露と重なっているから聞く人の心を揺さぶるのだ。これはテクニックではあるけれどポピュラー音楽にとって最も重要かつ必要な要素である。個が屹立して「うた」になる時代は,たぶんそうでない時代よりも「うた」にとっては幸せな時代だったのではないか。

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【追記あり】 「グッドラック・アンド・グッドバイ」 (岡崎友紀 1976年4月20日)


☆ アイドルの王道が歌手であったのは1970年代の事だった。理由もあってショウビズのメインストリームが映画からテレビに移行したこと。テレビが映画より低く見られていた理由は「間口が広い」からで,スターが今のようなコモデティ(フツーの人プラスアルファ程度の希少性)になっていく背景には,文字通り「あまねく伝える」ブロードキャスティングのマジックがあった。

70年代アイドルの王道 スカウト⇒モデルもしくは端役⇒注目されて本格プッシュ(歌手もしくは女優)⇒大人気⇒いろいろ...

☆ 子役からスターになる人は現在もたくさんいるが,歌手という経路を選ぶ必要は無くなっている。たまたま本人が「歌が好き」だったり「(役柄も含めて)歌える」という条件を満たすか,気まぐれプロジェクト的に歌手デビューさせるかでもなければ,昔加賀まりこがドリフの聖歌隊で長さんに無理やり独唱させられそうになるという現代で言う「セクハラギャグ」のようなことは起こらない。現役なので敢えて名を伏す某女優を含め歌手だったことが黒歴史の人は70年代アイドルデビュー組には掃いて捨てるほどある(爆)。

☆ で昔の東芝音工(東芝EMI)にはなぜかそういう人がたくさんいて(笑),「Myこれ」あたりで特集していれば面白かったのにとは思うけど,名曲だっていろいろあるのだ。岡崎友紀さんの場合は80年の半分覆面曲「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」(Yuki)が最大のヒット曲だけど,この曲(ユーミンの提供曲で彼女のヴァージョンはセルフカヴァー)だってノンヒットのわりに名曲だ。

☆ 歌に「語り」が入るのはこの時代が最後のほうで(この時期の最高傑作はアン・ルイスのデビュー曲),50年代から続くアイドル・ポップスの歴史の一区切りという意味もあると思う。

「グッドラック・アンド・グッドバイ」 (作詩・作曲:荒井由実)


☆ ここのところ「よいかよ」の人の記事をヤフーで見たり,スージー鈴木がチェッカーズの事を書いてる記事を読んだりしたが,なんか違うんだよね(笑)。まあポピュラー音楽は個人の楽しみ事なので,野暮な話はしたくないけど。

2019年7月20日追記
☆ 多メディア化は,より多くの人をスタジオ(昭和の御代なら「ブラウン管」)の向こう側に送り出したが,同時に上に書いたようにタレントというコモデティの総量を増すこととなり,小学生の「憧れの職業」がプロ野球・サッカー選手から「ユーチューバー」になったことがその一つの象徴だろうと思う。

☆ 希少性というものは,希少であるから「何かをすること」に意義があるのであり,昔から敵意を持った言葉として使われてきた「ジャリタレ(これは単に「年が若いのでちやほやされているタレント」という意味の他に「道に転がっている砂利のように "どこにでもある(レベルの顔なのにテレビに出ている)" 程度のタレント」というかなり悪意に満ちた意味がある)」がいま風に言えばコモデティということになるのである。

☆ 一般人との垣根の低さに加え「自分表現手段」という武器(多くの場合,銃刀類のように容易に凶器となる)が人口に膾炙した結果,タレント(一括りにされて気の毒な人間国宝級 [ただし若い頃の「やんちゃ」は無いことになっている例が多い] からかなりヤバいご商売まで含む)は常時評価の対象であり,ちょっとでも気に入らないタレントが何か失策をした途端に「炎上」して「廃業」に至る羽目に陥る。最近よく見かける女性をターゲットにしているらしい某サイトは「嫌いなタレント」についても語ろうと煽っているが,マイナス情報を書き散らして書き散らした本人以外の誰の生産性が上がるのか?ハッキリ言って嘆かわしい。多様性ということに不感症なのだ。気に入らない人間でも直接的な危害を与えない限り放置する。リスクマネジメントの基本なのだけど人間の本性はそれをなかなか許容してくれない。

☆ 槇原敬之が書いた「世界に一つだけの花」という曲は,さまざまに解釈されている。ぼくの解釈では,この曲は「多様性」を謳っているのだと思う。誰かが書いていたように,確かに花屋の店頭に並ぶまでの間に花卉(かき)は選別されているかもしれないが,寅さんなら「それを言っちゃあ,おしめえよ」。主人公はあくまで通りかかった花屋の店頭で見た花のさまざまな姿を見て,多様性がもっと大事にされる世界になればよいと思ったのではないか。一人一人が唯一のものであるというメッセージは,他者を押しのけるのでもなければ,1位になれない言い訳(「2位じゃダメなんですか」)でもないと思う。

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「雨のステイション」 (ハイ・ファイ・セット 1977年2月5日=アルバムリリース)



きょうのニュース(2019年6月14日)

チケット高額転売が禁止に。チケット不正転売禁止法 施行

「チケットの高額転売」が禁止される。2019年6月14日からチケット不正転売禁止法がスタートし、興行主等による販売価格を超える価格での転売が禁止となる。違反時の罰則は、1年以下の懲役もしくは100万円以下の罰金、またはその両方。

人気のコンサートや舞台、スポーツイベントなどのチケットを、業者や個人が買い占め、オークションやチケット転売サイトなどで定価を上回る価格で販売する「高額転売」の対策としてチケット不正転売禁止法が制定された。

高額転売の問題は、「本当に必要としている消費者にチケットが回らない」、「興行主や出演者などに対価が払われない」など。加えて、転売時の代金支払いトラブルや、公演中止や延期時の保証が不十分といった課題もある。

チケット不正転売禁止法では、国内で行なわれる映画、音楽、舞踊などの芸術・芸能や、スポーツイベントなどのチケットのうち、興行主の同意のない有償譲渡を禁止する旨が明示された座席指定等がされたチケット(特定興行入場券)の不正転売等を禁止している。

特定興行入場券の条件は、以下の3点。

・販売に際し、興行主の同意のない有償譲渡を禁止する旨を明示し、その旨が券面(電子チケットは映像面)に記載されていること
・興行の日時・場所、座席(または入場資格者)が指定されたものであること
・例えば、座席が指定されている場合、購入者の氏名と連絡先(電話番号やメールアドレス等)を確認する措置が講じられており、その旨が券面に記載されていること

同法では、特定興行入場券の不正転売と不正転売を目的とした入場券の譲り受けを禁止。違反した場合の罰則は、1年以下の懲役もしくは100万円以下の罰金またはその両方。

チケットを購入した公演に急用でいけなくなった場合は、正規のリセールサイトでの転売を推奨。正規リセールサイトでは、興行主の同意を事前に得ているため、定価での転売が行なえる。

なお、招待券などの無料で配布されたチケットや、転売を禁止する旨の記載がないチケット、販売時に購入者や入場資格者確認が行なわれていないチケット、日時のないチケットなどは、特定興行入場券には該当しない。そのため、チケット不正転売禁止法の対象外となる。

Impress Watch,臼田勤哉

最終更新:6/14(金) 0:00 Impress Watch

http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/ticket_resale_ban/index.html

「雨のステイション」 (作詩・作曲:荒井由実)
3rd アルバム 『Love Collection』(1977年2月5日)収録


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犬吠埼に犬はいたか?


☆ 昨晩(2019.06.08)の「ブラタモリ」。銚子の特集で興味深かった。タモリという人は地理と地学がそうとう得手のようで,小学生の頃からそういうことに興味があったのだろうと思われる。船舶免許にしても地理(地形)と地学(気象)の知識がベースに無いといけないから,もしかして昔は船乗りになりたかったのかもしれない(盟友らしき井上陽水の曲で言えば「つめたい部屋の世界地図」や「能古島の片思い」のように)。

☆ 銚子といえば銚子電鉄がお約束のように協賛。野田のキッコーマンと並ぶ銚子のヒゲタ醤油も遠慮がちな紹介の後細かく登場。千葉都民ならぬ千葉県民には溜飲を下げた人も少なくないもの思われる(笑)。で番組の最初のほうで詳しく説明していた「犬吠埼」のでき方と漁港としての銚子港のアドバンテージはなかなか興味深かったし,外川が元々の漁港であること(それを思えば銚子電鉄がどうしてできたのかも理解できる)や銚子港がヒゲタ醤油の尽力で出来上がった過程など地元の人でないとわからない知見がたくさんあって見応えのある番組だった。

☆ しかし犬吠埼と言う割に猫ばかりめだつ番組だった。タモリだからそれで良いのだが。

総武本線305D 急行犬吠3号水郷3号 キハ28・キハ26-400番台 新宿駅 音声のみ
Posted by 津村利治



☆ 大昔,総武本線は中央本線同様新宿が起点になっていた(それ以前の総武鉄道時代は両国なのだろうと思う)。当時たまたま通っていた学校の屋上から中央線(オレンジ)と緩行線(イエロー)の線路を見下ろすことができたので101系や103系の国電に交じって安房鴨川行きの「うち房」「外房」,銚子・鹿島神宮行きの「犬吠」「水郷」を見かけることがあった。内房線になる当時の房総西線だけが電化されていて「うち房」は電車(東海色の165系)で,「外房」「犬吠」「水郷」はキハ28系のディーゼルカーだった。

☆ 「犬吠」と「水郷」は単独運行されず併結列車だったと思う。その後L特急の「あやめ」になったのではないか。このL特急というのも急行をなくすために作った(料金上げ=国鉄赤字対策)と思われ,口の悪い鉄道雑誌記者たちは「L特急のLは,LocalのL(急行時代とほとんど変わらない表定速度を揶揄している)」などと書いていた。

☆ Wikipediaの内房線の記述を見ると,165系の安房鴨川行き「うち房」は1971年7月1日から72年7月14日までの運用だったようで,1976年にたった1年間だけ東京に住んだ時にその実運用を見られたことは奇跡的な話だったようだ。

165系 リバイバル急行 総武本線
Posted by 青梅電気鉄道


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最終定義



アイドル

普通の女の子(男の子)では

ありませぬ








☆ 本文に名宛しなかったのは武士の情けだよ(爆笑)。

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「夕闇のストラット」 (EPO 1985年3月21日=アルバムリリース)


初出:2016年7月24日
ハーモニー(紙ジャケット仕様)/EPO



¥3,240

Amazon.co.jp



☆ この曲はエポの7枚目のアルバム『HARMONY』の2曲目,1曲目が「オーバーチュア(序曲)」なので事実上の1曲目にあたる。ところでむかし赤鉛筆といえば朱色の鉛筆だった。その赤鉛筆(三菱でもトンボでもどこでもよかった)には "Vermilion" と書いてあった。バーミリオンが朱色で夕焼けの色であることをこの曲を聴いて思い出した。

「夕闇のストラット」 (EPO)



☆ 失恋した瞬間ってどんな気持ちなんだろう。愚問だと思うがやはり考えてしまう。失恋した瞬間はクラッシュ(交通事故)の瞬間と同じで目の前が本当に真っ白になってしまう。真っ白なのは心の中に何も書き込めないからだろう。確か恋に落ちた瞬間だってどこかで「魂を抜かれた」はずなのに,全く同じ力が反対側に働いても同じように「魂を抜かれてしまう」のだ。だから別れを告げた元カレは一刻も早くその場から逃げ出すために車を発進させ,残された主人公は魂を抜かれたまま「ふらつく心を外に見せないように」ふらつき歩く (strut) のだろう。

☆ ストラットといえばお天道様の下を普通に歩いている時のネコの歩き方を思い出す🐈。あの歩き方は何かに似ていると思ったら,ネコ科の猛獣(トラでもライオンでもいい)のフツーの時の歩き方だった。そういえばこの曲よく聴くと,低音を強調して4ビートでノッシノッシしている。

☆ クルマで逃げ出す(と言っては酷かな?そうでもないと思うが)元カレを見送るシチュエイションは,この時代の女の子の歌詩の代表的パタンのひとつだった。まだクルマがレジャーの王様で「デートカー」だとか「ハイソ・カー」などという死語が「カフェバー」や「プールバー」といった同類と共に,王様のような顔をしてふんぞり返っていた時代だった。

2019年6月7日追記
☆ 1985年の夏頃から数年間,『HARMONY』はぼくの車に常備されたカセットの一本だった。そんじょそこらのヘヴィロテを蹴散らすくらいにね。『COMPACT-CLUB』は別のカセットに入れてこれもよく聴いていた。山下達郎が大昔「サタデー(時代の)ソングブック」でいみじくも指摘したようにポピュラー音楽というものは,それをリアルタイムで聴いたリスナーの生活習慣(生活記録と言うか記憶と言うか...)と深く結び付く。ただそれだけなら,そういう音楽は即時に「懐かしのメロディー」となっていく。

☆ 山下のテーゼはそうした「音楽の使われ方」への彼なりの厳しい抵抗で,「エヴァーグリーンなポピュラー音楽」こそが彼の理想(の音楽)であろうと,ぼくは考えている。ある朝,クラシック音楽を聴きながらウォーキングすることで健康増進しましょう的なサイトでたまたまモーツァルトの作品が聞こえてきたのだが,その時ふと「この音楽が王様や貴族達にとっての "ポピュラー(遊興)音楽"だった」頃のことを考えてみた。

☆ そうするとこの曲はモーツァルトの「センス」が様々な形で表れていて興味深いと思った。彼は少なくとも初見の一回ではギャラリーを翻弄し(というか「おちょくりまくって」)楽しんだ筈だからである。王様達がこの次はこう展開するだろうとぼんやり考えている(初見の曲なんて誰だってそういう風にボーっと聞いているものだ)ところを逆手にとって引っ掻き回しているのである。この譜面ができた時ウォルフガンク・アマデウス・モーツァルトは大笑いしたに違いない「しめしめ,してやったり」と。

☆ もし音楽に「エヴァグリーン」の要素があるとするならば,その音楽を仕上げた瞬間の音楽家の心の中に「それ」があるかどうかということではないかと,ぼくは考えている。

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「Sometimes Bubba Gets Down」 (Stuff 1980年 Live at Mikell's New York)


初出:2015年6月18日

モア・スタッフ/スタッフ
¥1,080 Amazon.co.jp


Sometimes Bubba Gets Down (Chris Parker)



☆ 邦題を「ブラザーがのった時」というこの曲は,クリス・パーカーの作品でCD化されているミケールズのライブでも冒頭に収録されている。スタジオ盤は4分足らずの短さだが,当時からライブではこんな感じで延々とグルーヴを聴かせていたのだろう(笑)。まったく,このうねるグルーヴがなくてスタッフはないだろうし,ソリッドなフュージョンがクロスオーバーに代わる前のひとときを代表する音だと思う。

イン・ニューヨーク/スタッフ
¥1,080 Amazon.co.jp


2019年6月1日追記




Richard Tee (Piano), Cornell Dupree & Eric Gale (Guitars), Gordon Edwards (Bass), Steve Gadd (Drums), Chris Parker (Percussion)

☆ 「リチャード・ティーのようなピアノ」を弾きたい人は多いと思うが,ティーのコピーを超えることは至難の業だろうと思う。

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deaconblue

Author:deaconblue
「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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