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2018-01

「Come Back and Stay」 (Paul Young 1983年)




初稿:2008年12月1日

Come Back and Stay (Jack Lee)
※ 曲が始まるまで約40秒あります。


Since you've been gone
君が出て行ってしまってから
I shut my eyes
僕は自分の殻に閉じこもり
And I fantasize
あの日のことを思い出しているだけ
That you're here with me
君と一緒に暮らしていた日々
Will you ever return?
僕の元に戻って来てくれないか
I want be satisfied
君との満ち足りた暮らし
'Till you're by my side
僕には必要なんだ
Don't wait any longer...
もうこれ以上待つことは出来ないよ

Why don't you come back?
僕の元に戻ってきてくれないだろうか?
Please hurry, Why don't you come back?
お願いだから今すぐ,僕の元に戻ってきてくれないだろうか?
Please hurry...
お願いだから今すぐ...


Come back and stay for good this time
僕の元に戻って来て,あの楽しかった日々にもう一度
Come back and stay for good this time
僕の元に戻って来て,あの楽しかった日々にもう一度

When you said goodbye
君がさよならを告げた時
I was trying to hide
僕は何とかしてこの現実から逃れようとした
What I felt inside
僕の中で崩れていったもの
Until you passed me by
君が僕の元から去ってから
You said you'd return
君は戻って来ると言ったよね
You said that you'd be mine
君は私はあなたのものと僕に言ったよね
'Till the end of time
あれが最後だった,そしてそれからずっと僕は
Don't wait any longer!
まだ待ち続けるなんてもうこれ以上出来ないよ!

Why don't you come back?
僕の元に戻ってきてくれないだろうか?
Please hurry, Why don't you come back?
お願いだから今すぐ,僕の元に戻ってきてくれないだろうか?
Please hurry...
お願いだから今すぐ...


Come back and stay for good this time
僕の元に戻って来て,あの楽しかった日々にもう一度
Come back and stay for good this time
僕の元に戻って来て,あの楽しかった日々にもう一度

Since you've been gone...
君が出て行ってしまってから
I opened my eyes
僕は目が覚めた
And I realize
そして本当に分ったんだ
What we had together
僕達が積み上げてきたものの大きさが
Will you ever return?
だから戻って来てくれないか?
I'll have you change your mind
今なら君の心を変えてみせるから
If you won't stay mine
もし僕と一緒にいられなかったとしても
Just love me forever!
僕だけをずっと愛していて欲しいんだ!

Why don't you come back?
僕の元に戻ってきてくれないだろうか?
Please hurry, Why don't you come back?
お願いだから今すぐ,僕の元に戻ってきてくれないだろうか?
Please hurry...
お願いだから今すぐ...
Why don't you come back?
僕の元に戻ってきてくれないだろうか?
Please hurry, Why don't you come back?
お願いだから今すぐ,僕の元に戻ってきてくれないだろうか?
Please hurry...
お願いだから今すぐ...


Just come back and stay for good this time
僕の元に戻って来て,あの楽しかった日々にもう一度
Come back and stay for good this time
僕の元に戻って来て,あの楽しかった日々にもう一度
Come back and stay for good this time
僕の元に戻って来て,あの楽しかった日々にもう一度
Don't ever leave me...
どうかもう僕の元から去らないでくれ..

2013年4月26日
☆ 最初にポール・ヤングの名前を見たのは,Q-Tipsというバンドで1970年代末から80年代初めにかけての2Toneブームがデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズに代表されるノーザン・ソウルの復権とストレイ・キャッツやシェイキン・スチーブンスなどのネオ・ロカ(ビリー)・ブームを呼び込む時代だった。おそらくザ・ジャムの最終盤の活動もこれに影響を与えていたが,ダイアー・ストレイツの「悲しきサルタン」でマーク・ノップラーが描写したロンドンの「管楽器の入っているバンド」のシーンはその曲のヒットの頃には一つの潮流となっていた。

☆ とはいえQ-Tipsはデキシーズほどの成功を収めることなく解散し,ポール・ヤングはソロ活動を始め,ほどなくマーヴィン・ゲイのカバー「Wherever I Lay My Hat (That's My Home)」で1983年7月23日に全英No.1に輝く。この曲はそれに続くシングルとして発表され,全英最高位は4位。

2018年1月31日追記
☆ 音楽の流行も服飾やデザインの流行に似ていて,一定の周期を繰り返すという特徴があるように思う。その理由は温故知新ということで,自分の親の時代に流行っていたものが逆に目新しく感じるということだろう。そしてそこにはゼネレーションの差(進化と言うかどうかは評者次第だと思う)があるので当然アップ・トゥ・デイトされることになる(昨年の山中千尋によるセロニアス・モンクの音楽の解析のように)。

☆ そういう視点から70年代末の英国シーンを見た時,パンクはロックンロールの初期衝動(エルヴィスが自然と腰を回したようなこと)に回帰し,2Toneは60年代後半のカリプソ~レゲエ・ブームを再来させ(ほぼ同時期に米国ではサルサとマイアミ・サウンドがこの動きに同期している),ロックンロールへの本家返りはネオロカビリーになり,プログレッシヴ・ロックとグラム・ロックはニュー・ロマンティックスとネオ・グラムになり,電子音楽はテクノ/エレ・ポップを経てオータナティヴに至る。さらに言えばネオ何とかの類はネオ・モッズブームにまで呼び込んで,こういう状況を百花繚乱というのだろうが,とにかく面白いほど混とんとしていたのが当時の英国シーンだった。

☆ ケヴィン・ローランドが初期のデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズで提示したノーザン・ソウルの復権(New Soul Vision)も,彼らが出てきた2Toneの枠を超えて広がった。あとは2013年の解説に書いている通りで,マーク・ノップラーが「悲しきサルタン」で歌った「トランペットが演奏しているバンド」が全英No.1になったこと(デキシーズの「ジーノ」を指す)がポール・ヤングという英国の80年代を代表するブルー・アイド・ソウル・シンガーのひとりをシーンに押し出したのだから,ブームというものを甘く見てはいけないのである(個人的には彼とシンプリー・レッドのミック・ハックネルがこの時代の双璧であると思うし,この二人は間違いなくこの時代の「ブルー・アイド・ソウル」をアップデイトさせることに成功したと思う)。

最高位
No.1:ベルギー,西独,ニュージーランド,スイス、第2位:蘭
第3位:墺,アイルランド,ノルウェー、第4位:英国、第5位:仏
16位:スウェーデン、18位:豪州、22位:米国(ビルボードHot100)、29位:米(キャッシュボックス)、42位:カナダ

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「めくれたオレンジ」 (東京スカパラダイスオーケストラ 2001年8月8日)




「めくれたオレンジ」 
(作詞:谷中敦 / 作曲:川上つよし / 編曲:東京スカパラダイスオーケストラ)


☆ スカパラを聴いたのはメジャー・デビューの時だったと思う。以前から裏打ちビートのグループはビジネスとかミュート・ビートとかそれなりに知っていたが,このバンドを聴いて「まんま79年のロンドンで通用するよね」と確信した。敢えて言えばあの時代のロンドンと時代背景を共有していないところ(特にスペシャルズやUB40)が差だとは思ったが,彼らが紡ぎ出す音楽は紛うことなくスペシャルズ,マッドネス,セレクターと,2トーンの初期のバンドの音に磨きさらにをかけたものだった。

☆ どういう経緯があったのかよく知らないが小泉今日子が彼らをメジャーに送り出す時に係わりがあったようで,彼女のセンスの良さにも改めて脱帽したものだった。



☆ しかし,たじまんは他の誰にもない色気があるな(笑)。

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ジョジョの街から来た女(The Stone Poneys「Different Drum(悲しきロックビート)」 (1967年9月)




☆ 荒木飛呂彦の「ジョジョの奇妙な冒険」は,ぼくがまだ週刊少年ジャンプを毎週どこかで(そのほとんど全部が喫茶店)読んでいた頃から連載が始まり,気が付いたらレジェンド的作品になっていた。ジョジョといえばビートルズの「ゲット・バック」で,このシングルがリリースされる(1969年4月11日)数年前にジョジョと同じ足取りでアリゾナ州ツーソンから一人の少女がカリフォルニア(ロサンゼルス)にやって来た。20世紀後半の全米ポピュラー音楽界の歌姫のひとりであるリンダ・ロンシュタットである。

☆ ドイツ語で街を意味する言葉にStadt(シュタット)という言葉があるが,Wikipediaの記載を見ると「父方の曾祖父がドイツからの移民」とある。その割にはゲルマン系の顔をしていないのだが,その理由も「曾祖父はメキシコ人と結婚」したからで,Wikipediaはさらに父親が歌手の経験があり,子供たちに幅広く様々な音楽を聴かせたこと,母親も「ギルバート&サリバン(アーサー・サリヴァンとウィリアム・S・ギルバート)の大ファン」で,「リンダもラジオから流れる50~60年代のヒット曲に親しむ」と続いている。

☆ 子供の頃の音楽的経験がキャリアを作るうえでの素養となることは間違いなく,「音楽的背景としてペギー・リーやビリー・ホリデイ、サラ・ヴォーンなどの女性ジャズシンガーが挙げられ、最も影響を受けた歌手としてはメキシコのランチェーラ歌手・ローラ・ベルトランを挙げている」の記述からは彼女が後年スペイン語のアルバムやネルソン・リドルと組んだスタンダード・ジャズ3部作に取り組んだ背景も良く分かってくる。ちなみにギルバート・オ’サリバン(「アローン・アゲイン」「クレア」で有名な英国人歌手)の芸名はギルバート&サリバンから来ている(英国人はこういう芸名の付け方が好きなようで,同時期にデビューしたエルトン・ジョンもこのパターンである)。

☆ そんなリンダがヒッピー文化真っ盛りのロサンゼルスやサンフランシスコにやって来て出会った一人にケニー・エドワーズがいる。この二人と彼女をL.A.に誘ったボビー・キンメルが作ったバンドがストーン・ポニーズ(The Stone Poneys)だった。バンドは66年にキャピトル・レコードと契約し同名アルバムを出すがヒットには至らなかった。めげることなく(☜日本盤のディスクレビューによくある表現を流用)翌67年6月にセカンドアルバム『Evergreen, Volume 2』をリリースする。そこからシングルカットした「Different Drum(悲しきロックビート)」 が彼女のキャリア上の初ヒット(全米最高位 キャッシュボックス:12位,ビルボード:13位、ニュージーランド:第5位,豪州:第9位,カナダ:第18位)となる。

Different Drum (Mike Nesmith)
1967年頃のライブ(21歳頃のリンダ・ロンシュタット!)


☆ しかしストーン・ポニーズはカントリー・ロックの色合いが濃いが,リンダは些かふっくらしている感じがする(ストーン・ポニーズのファーストアルバムのジャケットなんかもね)。このパフォーマンスを見れば一目で分かるように,ストーン・ポニーズはリンダのためのバンドになっており,68年に出たサード・アルバムはタイトルからして『Linda Ronstadt, Stone Poneys and Friends, Vol. III』になっている。このような経緯で彼女はソロデビュー『Hand Sown ... Home Grown』(1969年3月)に繋がっていくのだが,ケニー・エドワーズはリンダを巡る最重要人物(ミュージシャン編=爆=)のひとりとなっていく。


☆ むかしリンダのファミリーネームは「ロンシュタット」ではなく「ロンシュタッ」だと言い張る人とネットで話をして,内心閉口したことがある。当時からドイツ語なんだけどなあと思っていたのだが,今回それが確認できてよかったよかった。

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「まぼろしの世界(People Are Strange)」 (ザ・ドアーズ 1967年9月)




☆ ドアーズの与えた影響も二世代以上後のロックファンには雑誌の名前(『ストレンジ・デイズ』)くらいにしか残ってないのかもしれない。『まぼろしの世界』はかのデビューアルバム『ハートに火をつけて』ですら廃盤同然の時代にもワーナーパイオニアの洋楽カタログに残っていた(だからその手の洋盤にうるさいレコード屋では目にすることができた)。そして紛らわしいのは同じ邦題「まぼろしの世界」でこの曲がシングルになっていることだ。

People Are Strange (Jim Morrison / Robby Krieger)


People are strange when you're a stranger
Faces look ugly when you're alone
Women seem wicked when you're unwanted
Streets are uneven when you're down

When you're strange
Faces come out of the rain
When you're strange
No one remembers your name
When you're strange
When you're strange
When you're strange

People are strange when you're a stranger
Faces look ugly when you're alone
Women seem wicked when you're unwanted
Streets are uneven when you're down

When you're strange
Faces come out of the rain
When you're strange
No one remembers your name
When you're strange
When you're strange
When you're strange

When you're strange
Faces come out of the rain
When you're strange
No one remembers your name
When you're strange
When you're strange
When you're strange

☆ サイケな時代であれば,この曲の歌詩は「㌧でる最中の幻覚」と捉えてしまえばお終いになるが(笑),ジムが思った以上にこの歌詩には普遍的な力があって,ポスト・モダンの時代に人々がバラバラにされていったあとの景色にも思えてならない。これを「無数のモナドの浮遊」と見るか「ミニマリズムで囲われた私」と見るかは,ロケンロールな主題からはずいぶんズレてしまうが,そういう普遍性の断片をこの「短い繰り返しの詩」は見事に刺しているのである。


☆ でも間違いなくジャックスの『からっぽの世界』の源はここにあると思う。

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「星空のふたり(You Don't Have to Be a Star (To Be in My Show))」 (マリリン・マックー&ビリー・デイヴィス・ジュニア 1976年9月)


愛の誓い愛の誓い
2,138円
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☆ 1976年の暮れはロッド・スチュワート「今夜きめよう(Tonight's the Night (Gonna Be Alright))」のロング・ヒットで終わり(と言いつつ8週目は1977年1月1日付),77年第2週(1月8日)に1週だけNo.1に輝いた夫婦デュオ(というより60年代後半にフィフス・ディメンションの中心メンバーだったと言った方が洋楽ファンには通りが良いかもしれない)マリリン・マックー&ビリー・デイヴィス・ジュニアの名曲「星空のふたり」。このイージーな邦題とは違い(笑),歌詩のイメージはビリー・ジョエルの「素顔のままで」に近い感じがする。

You Don't Have to Be a Star (To Be in My Show) (James Dean / John Glover)


☆ ロッドもある意味ソウルフルな歌手だと思うが,この曲の次のNo.1はレオ・セイヤーの「恋の魔法使い」だし,気が付けば1977年はどっぷりディスコルームのチャートがHot100に定着していたなという感じもする(笑)。しかしグループから中心メンバーがふたり抜けて,最後に結婚するって,なんかチェリッシュみたいだな(爆)。夫婦デュオといえばキャプテン&テニールもいたし,それ以上にさすがこの二人のデュエットは息も合ってるしソウルフルで当時のディスコ(本邦も含めて)ではさぞかし盛り上がっただろうな。ある意味ミュンヘンサウンドや「サタデー・ナイト・フィーヴァー」前夜であるこの時代のディスコはファンクだけでなくこうした歌モノもガンガンかかっていただろうと思うし,80’sのアーバン/スウィート・ソウルに届く寸前のいわば「ブラコン前夜」的なムードも今となっては懐かしく感じる。

お馴染みYouTube名物「Disco Purrfection Version(7:05 ご堪能あれ)」


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「This One's for You」 (スタッフ 1977年)



☆ スタッフ=グルーヴというのが,ぼくの中の定式・公理である。それは6人が共同で作り上げたと言って良い。ひとりひとりが手練れのミュージシャンだから,メインとなるメロディーは誰かが持ってくるとしてそれをジャムセッションのように皆で「いじくり回して」一つの曲に創りあげていく。そのプロセスは何処のバンドでも似たようなものだろうが,スタッフの場合は出来あがったものを聴いてもまだそのジャムセッションの熱気がグルーヴとして刻み込まれているのである。

This One's for You (Richard Tee)


PERSONNEL
Stuff
Richard Tee - Keyboards
Eric Gale, Cornell Dupree - Guitars
Gordon Edwards - Bass, Percussion
Steve Gadd, Chris Parker - Drums, Percussion

Production
Arranged by Stuff
Produced by Stuff, Van McCoy & Charles Kipps
Recorded & Mixed by Alan Varner & Alec Head; assisted by Don Berman & Ramona Janquitto
Published by Bloody Music Inc


☆ この曲と「勝手にしやがれ」「津軽海峡冬景色」「UFO」「秋桜」「思秋期」「アン・ドゥ・トロワ」が同じ年の作品なんだよね~。

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「スノーフレイクの街角」 (杏里 1988年12月14日)


ANRI the BESTANRI the BEST
3,292円
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初出:2010年12月22日(YouTube のキャプション)

☆ 杏里にとって気の毒だったことは,夏女のインパクトが余りに強かったことかもしれない。だが,彼女が吉元由美と作り上げた世界は,夏冬関係なく「あの時代」の息吹を残している。

2013年1月20日(YouTube のキャプション)

☆ いまさら言うのもなんだけど,杏里の声って本当に真直ぐ届く声だと思う。

「スノーフレイクの街角」
(作詩:吉元由美、作曲:ANRI 編曲:小倉泰治)
23th Single 1988年12月14日



☆ スノーフレイクはサラサラした雪で北海道のニセコとかああいう場所が外国からのスキー客がたくさん来るようになったのは,あそこに降る雪質がサラサラしているからだという話を聞いたことがある。確かに日本海を越えてすぐ降る雪は湿気を含み重い。長万部とかあの辺の雪はシベリア直送なんだろうか(ウインタースポーツというより冬という季節が苦手なので,ぼくには良く分からない)。

☆ この歌,1番と2番が時系列になっている。1番は二人が出会って恋に落ちた時間,2番は主人公が恋人を喪った後の時間。これは吉元由美が『Boogie Woogie Mainland』(1988年5月21日)のA面→B面で使ったテクニックを1曲の中に纏めたもの。この展開を持ったトーチソングをミディアム・テンポのダンスチューンでまとめたANRIの曲作りも冴えているし,フュージョンっぽくコーダを締めた小倉泰治のアレンジも秀逸だと思う。ここまで揃ってヒットしないのは(苦笑),最初のキャプションに書いたことのせいだろう。吉田美和が名乗りを上げる前の冬にはユーミンが女王のように君臨していたからね(苦笑)。

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ぼくの話を聞いてくれないか(「Girl」 The Beatles 1965年12月3日=アルバムリリース)


ラバー・ソウルラバー・ソウル
2,700円
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☆ このアルバムの日本語タイトルはほんの少しだけひねりがある。革底靴だから「ラバーソール」と書けば良いものをわざと「ラバー・ソウル」と書いて,発音的には別物の"Lover"や"Soul"と引っ掛けている。もちろん長いこと引っかかったクチで(自爆)「そんな俺様が釣られクマー」であったことは恥ずかしながら認めざるを得ない(再爆)。

Girl (Lennon–McCartney)


Is there anybody going to listen to my story
誰かぼくの話を聞いてくれないか
All about the girl who came to stay?
むかし一緒にいた女の子の話なんだ
She's the kind of girl you want so much it makes you sorry
その娘(こ)は君だって一緒に居たいと思った結果,残念なことになるようなタイプで
Still, you don't regret a single day
それでも彼女と一緒にいた日々を一日だって後悔させないような娘なんだ

Ah, girl, girl, girl
ああ,ガール...

When I think of all the times I tried so hard to leave her
あの幸せな日々を思うたび,ぼくはどうにかして彼女の思い出から離れようとするのだけれど
She will turn to me and start to cry
彼女がもしかしたら戻ってくるんじゃないかと思うと,思わず泣けてくるんだ
And she promises the earth to me and I believe her
だけど彼女はできそうもないことをぼくに約束して,ぼくはそれを信じるしかなくて
After all this time I don't know why
今ごろになっても,ぼくには何故なのか分からないままなんだ

Ah, girl, girl, girl
ああ,ガール...

She's the kind of girl who puts you down
彼女は君をこき下ろすことができるタイプの娘さ
When friends are there,
たとえ友だちの前だったとしてもね
You feel a fool
君は自分が愚か者のように感じるだろう
When you say she's looking good
彼女が「その服,あなたに似合ってるわ」なんて言ったとしても
She acts as if it's understood.
彼女はそれがあたかも当然のことのように振舞うのさ
She's cool, ooh, ooh, ooh
彼女は格好良すぎる,ホントに...

Ah, girl, girl, girl
ああ,ガール...

Was she told when she was young that pain would lead to pleasure?
彼女はもっと若かった頃に「痛みは喜びにつながる」と誰に言われたのだろう?
Did she understand it when they said
その言葉の意味をその時の彼女は本当に理解したのだろうか
That a man must break his back to earn his day of leisure?
人は休息の日のために懸命に努力するという言葉を聞いた時
Will she still believe it when he's dead?
彼女は彼が死んでもなお,その言葉を信じているのだろうか?

Ah, girl, girl, girl
ああ,ガール...

☆ ジョンの歌い方には「奔放な女の子と振り回されっぱなしの主人公のため息」がきこえるが,ビートルズの曲の中ではもっともフォークっぽく聞こえるこの曲からは,片想いの彼岸と此岸の絶望的な距離を感じるところもある。

☆ こういう「気持ちのすれ違い」は,例えばケニー・ロギンスとマイケル・マクドナルドの曲「What a Fool Believes」なんかを思い起こさせるのだが,70年代の曲が明らかに破綻してしまったカップルのその後を描いているのに対し,この曲では「そういう物語の入り口にすら届いていない」主人公の憂鬱を感じてしまうのである。

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「Thank you for Sending me an Angel(天使をありがとう)」 (トーキング・ヘッズ 1978年7月14日)


モア・ソングスモア・ソングス
1,851円
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☆ トーキング・ヘッズのセカンド・アルバム『モア・ソングス(More Songs About Buildings and Food)』の冒頭を飾るスピード感溢れる曲。ヘッズの初来日は『フィア・オブ・ミュージック』のツアーでたぶん日本青年館(このクラスのバンドがツアーをするにはちょうど良いキャパシティだった)での公演だったと思う。なぜそれを知っているかというと,その当時(まだ全国に4つしかなかった)民放FM局で日曜の夜に放送していた「ゴールデン・ライブ・ステージ」という番組で聴いたから。

☆ 海賊盤には縁が出来にくかった(笑)地方の洋楽ファンにはたまにNHKのテレビやFMでオンエアされる番組同様,非常に有難い番組だった。どういう繋がりでオンエアが決まるのかまで知らなかったが,これと思ったバンドがこの番組でかかるのをFM雑誌片手に楽しみにしていた。当時はFM雑誌の黄金時代で最盛期には4誌も出ていた。そしてそういう雑誌のコンテンツとして,いろんなミュージシャンの対談や連載などがあったが今ではそれ自体が貴重なポピュラー音楽史の資料となっている。

Thank you for Sending me an Angel (David Byrne)


☆ 上のようつべはおそらく「フィア・オブ・ミュージック」のツアーで来日した時と同じセットと思われ,この曲はアンコール曲(セット・リストのいちばん最後)で演奏されている。ぼくはこの曲を聴くとネコ科の動物が獲物に跳びかかる時に身体を縮めるあの動作を思ってしまう。それくらいテンションが凝縮された曲であり演奏だと思う。


☆ この記事を書くためにWikipediaを調べていたが,デヴィッド・バーンが英国人とは知らなかった(驚)。

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「恋のかけひき(Don't Pull Your Love)」 (ハミルトン,ジョー・フランク,アンド・レイノルズ)


恋のかけひき

☆ このグループはメンバーの名前を並べただけのネーミングで,今ではこういう名前は法律事務所や会計事務所くらいしか見あたらないが(笑)よく考えたらベック,ボガート,アンド・アピスだってそうだったから70年代にはまだ結構あったのかもしれない。ラジオでグループ名を聞いた時,ジョー・フランクがジョーとフランクの二人だと勘違いし4人組だと勝手に思い込んでいてあとで笑われたことがある(笑)。

Don't Pull Your Love (Brian Potter / Dennis Lambert)


☆ この曲が出た頃(1971年5月リリース)のタイトルの流行りは「恋の"なんとか"」で,原題にもLoveが入っているから何となく納得できるところ。このタイトルや曲調から思いつくのはエジソン・ライトハウス「恋のほのお」だが,どちらの曲も歌詩の内容を上手く掬い上げた邦題でこの頃の洋楽の宣伝マンのセンスの高さが光っていると思う。

the group appearing on the show Solid Gold, in 1988


☆ このグループはブルー・アイド・ソウルともソフト・ロックとも取れる(後者の位置づけが多いが朗々と歌い「こぶし」のようなビブラートを利かせるダン・ハミルトンのヴォーカルは「オン・ステージ」以降のエルヴィス・プレスリーの影響を受けた一連のミュージシャン(言うまでもなくトム・ジョーンズやエンゲルベルト・フンパーディンク)の系列に置いても良いように思える。こういう朗々系のヴォーカルは日本でも布施明,尾崎紀世彦,にしきのあきらなど掃いて捨てるほどいたのだが,当時は歌い手はこうあるべしという基準のようなものがあったかのようである。だから歌は誰がどう歌おうと自由だというオータナティヴとしてのシンガー・ソングライターのブームが反対側から生起することになる。

NOTES
最高位 No.1:カナダ,米(キャッシュボックス)、第4位:全米(ビルボード Hot100)、10位:豪、19位:ニュージーランド


☆ このグループ最大のヒットは1975年の「Fallin' in Love」(全米No.1(ビルボード/キャッシュボックス))だが,実はトミー・レイノルズはこの曲がリリースされるかなり前にグループを離れていたという。

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「雨に泣いてる・・・」 (柳ジョージ&レイニーウッド 1978年12月1日)




☆ ニュー・ミュージックがフォークから来ているポピュラー系とロック系に再分解し,ニューウエイブありテクノありと分裂を続ける中で正統派のブルースロックを引っ提げて柳ジョージ&レイニーウッドはシーンに出てきた。基本は60年代までのR&B,言い換えればニュー・ソウル以前の黒人音楽とそれに影響された白人ロックがベースにある。それってそのまま(ゴールデン)カップスのことじゃないかと言われれば「まあその通り」ということになり,70年代前半のブルース/R&B系ロックシーンが関西中心に動いていたのに対して関東は横浜のサーキットがあり,九州は異端児然としてサンハウスがいたという観がある。

「雨に泣いてる・・・」


☆ でも柳ジョージはともかく,上綱克彦も石井清登も横浜のシーンから出てきた訳ではない。この二人がそれぞれ音楽的な核になっていたのがこのバンドだと思うが,やはりフロントマンとしての柳の存在が大きくなりすぎてしまった時点からバンドのバランスが崩れていったのではないのかなと思う。とは言えフォーク系のニューミュージックが旋風を巻き起こし,RCサクセションは廃盤に捨て置かれていた78年暮れ,ショーケンのバックアップ(彼が主演したTVドラマの主題歌)を得たとはいえ,この曲(元はセカンド・アルバムのタイトル曲。英詩を日本語詩に替えてのシングル・カット)を見過ごさなかった日本のポピュラー音楽シーンは「ニューミュージック」の「次」を見つけ出そうとしていた。

☆ シングルを聴いても,どうしてもフロントマンとしての柳のヴォーカルや「泣き」のギターに耳が行ってしまうのだが,この一部の隙もない引き締った演奏やコーラスにバンドの力量の高さは容易に分かる。それをいやというほど感じさせるのはテンポを落とすブリッジ部分で,ここに彼らのブルース・ロックの解釈が現れているのだが,どうしてもその次のギターソロに耳を奪われてしまう。このギャップが最終的にバンドの命取りになったとは思うが,この曲の段階ではまだまだそういうことを少しも感じさせない。やはりバンドとしても勝負曲だという意識もあったのかもしれない。

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ジャッキー・ウイルソン(Jack Leroy "Jackie" Wilson Jr.、1934年6月9日 - 1984年1月21日)




☆ ジャッキー・ウイルソンの名を知ったのは,ケヴィン・ローランドのおかげである。デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズが1982年の『Too Rye Aye』でヴァン・モリソンの10年前の作品「Jackie Wilson Said (I'm in Heaven When You Smile)」をカヴァーしたからだ。

Jackie Wilson Said (I'm in Heaven When You Smile) (Van Morrison)


☆ モリソンのこの曲は彼のアルバム『セント・ドミニクの予言(Saint Dominic's Preview)』(1972年7月)のオープニング曲で,アルバムに先行する形で1972年1月29日にシングルがリリースされ,全米61位,全加65位というヒットを記録している。



☆ ケヴィン・ローランドはこのアルバム『Too Rye Aye』のレビューでこの曲のカヴァーを褒めているが,デキシーズの第2作のコンセプトである「ケルティック・ソウル」と前作をつなぐ線上にヴァン・モリソンのこの曲があったことはアルバムの他の作品を見ても良く分かる。当時は穴埋めのためにこの曲を取り上げたとみられていたが,いまレビューすると,この曲がアルバムに入るのは必然であることが良く分かる。

Jackie Wilson Said (I'm in Heaven When You Smile) (Van Morrison)
Covered and performed by Kevin Roland and Dexy's Midnjght Runners 1982




☆ では,彼らが語るジャックー・ウイルソンとはどんなミュージシャンなのか?Wikipediaを見てみる。
> ジャック・リロイ・“ジャッキー”・ウィルソン・ジュニア(Jack Leroy "Jackie" Wilson Jr.、1934年6月9日 - 1984年1月21日)は、アメリカのソウル/R&Bの歌手。1934年6月9日ミシガン州デトロイト出身、1984年1月21日にニュージャージー州マウント・ホリーで肺炎が原因で死去した。
> 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第26位。
> 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第69位。
> サム・クック、ジェームス・ブラウンと並び、ソウルのパイオニアの一人とされる。ビリー・ワード&ザ・ドミノスに在籍、1950年代末頃からソロ活動を開始。1957年にブランズウィックと契約し「リート・プティ」でデビュー。この作品は、モータウンの設立者のベリー・ゴーディJr.が関わっており、その後も作品を提供している。特にヒットしたのが、1958年の「ロンリー・ティアドロップス」で、R&Bチャート1位となり、ポップス・チャートでは7位を記録した。ウィルソンのこの頃のサウンドは、モータウン・サウンドの原形となっていると言われる。
> 代表曲の一つである「リート・プティ」は、ウィルソンの死去から2年後の1986年12月27日付全英シングルチャートで1位を獲得。1957年の発売当時は1位を獲得していないため、1957年11月16日付で同チャートに初登場して以来29年1か月後の1位という記録を達成した。

Reet Petite (Berry Gordy, Roquel Billy Davis, Gwen Gordy Fuqua)


☆ 実際1986年12月の全英チャートで「Caravan of Love」(The Housemartins)と「Jack Your Body」(Steve 'Silk' Hurley)に挟まれる形で(この年のクリスマス週にあたる)12月21日に1週だけこの30年近く前の曲(1957年9月リリース)が1位になっている。本邦で言うならば今週のNo.1に荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」が輝くような怪挙である(爆)。

☆ この曲以上に彼の代表曲とされる「Lonely Teardrops」(1958年11月17日)もベリー・ゴーディが作家に名を連ねており,先に示したようにWikipediaでは「モータウン・サウンドの原形」と評価している。

Lonely Teardrops
(Berry Gordy / Roquel "Billy" Davis / Gwendolyn Gordy)




2018年1月6日付記
☆ ジャッキー・ウイルソンの「ロンリー・ティアドロップス」は1990年代に入る頃に「ニューローク・ロック&ソウル・レビュー」(スティーリー・ダンが再結成されるきっかけとなった)の中でボズ・スキャッグスがカヴァーしている。このコンサートでD.F.,ボズ,マイケル・マクドナルドが顔を揃えたことが後年(2010年)The Dukes of Septemberに結実したのかもしれない。

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ロックのことば(1) ちゃんと税金払ってるぜ(RCサクセション 1980年4月5日 久保講堂)



☆ 福岡から上京した井上陽水が忌野清志郎と出会ったのは渋谷にあった「青い森」というフォーク喫茶だった(昨年,ある番組にゲストに出た陽水がそう話すのを見た)。このお店はフォークからロックに移り変わっていく1970年代の日本のポピュラー音楽にとって最も重要な場所のひとつとなった。古井戸/RC・泉谷しげる・陽水という流れ(ホリプロやキティ・レコーズが背後にいる)がここから生まれているのは確かだ。

☆ 話が泉谷に脱線するが,彼がデビューした頃のプロフィールでは出身地が青森になっている。実際には彼の親の代で青森から上京しているので事実は異なるんだが,当時のノリとしてフォークは地方出身者の方がサマになるという㌧でもない発想でこうなったという都市伝説がある。これは半分当たっているが,泉谷からすれば「青い森」で皆と出逢っているのだから出身地が「青い森」→「青森」でもそんなに不都合なことはなかったのかもしれない(笑)。

☆ キヨシローとRCの浮き沈みはWikipediaをはじめあちこちに書かれていて,概ね正しい。興味深かったのは吉見祐子の再発運動に応じた数少ないレコード店にハイド・パイパー・ハウスがあったことで,山下達郎がここでRCのレコードを見た可能性は低くない(彼の音楽性から考えて東芝音工時代のRCの曲には触れる機会がなかった)と思う。

☆ それにしても「ちゃんと税金を払っているぜ」と歌うセンスは凄い。確かにキヨシローは陽水に書いた曲が『氷の世界』に収録されていたから,陽水ほどではないにしろ印税も入ってきただろうし(その辺の経緯は「あきれてものも言えない」で歌われている),サラリーマン諸氏よりは税金を払わされただろうとは思う。それがあったからフォーライフ騒動のあおりを食らって「日干しにされた」時期も何とか生きていけたのだとはいえるが,この歌詩にはその辺の感情が間違いなくこもっていて,傍から見れば「煽りワード」のようにしか見えないこの言葉も歌っている本人にとってはリアルなものであるといえるのだ。

ブン・ブン・ブン (作詩・作曲:忌野清志郎)


☆ この曲はスタジオレコーディングには向かなかったようで,最も優れたこのヴァージョンしか知らない。もっともこれ一つあればじゅうぶんだと思う(笑)。


☆ 元日の続きのような話。ぼくたちは「あの街」のことを「イーン」と呼ぶが,オーストリアやドイツの人は「ヴィーン」と呼び,英語圏では「ヴィエナ」となる。たぶん最初に聞いた人が聞き間違えたか読み方が分からずローマ字読みしたのがそのまま残ったのだと思う。こういう例は人名にはすごく多い。ロナルド・レーガンのように,本人が申し出て読み方を変えた(リーガン→ーガン)例が無い訳でもないが,ルーズヴェルト(ーズヴェルト)だとかマイルス(マイル)・デイヴィスだとかデュアン(デュえいン)・オールマンだとかアレサ(アーサ)・フランクリンだとか山ほどある。そういえばドイツを代表する総合電機メーカーのことを「シーメンス」と呼んで久しいが,あれも戦前に「シーメンス事件」が起きる前はちゃんと「ーメンス」と呼んでいた筈だ。なぜなら古河組(今の古河機械金属の前身)がジーメンスと合弁で作った会社がいまも有力メーカーとして残っているからで,その会社は古河の「」とジーメンスの「」を取って「富士電機(製造)」と言ったし,そこから分かれた会社は「富士通」と今でも名乗っているからである。とか書いてたら今朝(1/3)の日経(今日は朝刊のみの日)にシーメンスの創始者をヴェルナー・フォン・ジーメンスと正確に表記していたので,念のためWikipediaを見てみると,英語圏ではシーメンスと呼んでいるらしい。となってくると話はトヨタ自動車のようなもので聞き取りやすいように清音で呼ばれるようになったのかもしれない。かようにシーメンスは自社がそう呼んでいる以上これが正しいのかなと改めて思っていたら年末年始休暇が終わってしまった(自爆)。

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開学の辞



☆ ポピュラー音楽とか,それを聴いていた自分周りの話をテキトーに書き散らして何年か経つわけですが,今年から暫らくはその度合いを強めて「よりテキトーなブログ」を目指すことにしました(笑)。昔は「まんが大学」だとか「洋酒大学」なんて気の利いたお店があったものですが,漫画(アニメーション)や洋酒(発酵・醸造)がまっとうな学問になってしまった今,ポピュラー音楽だってまっとうな学問になれば良いと思っています(そうなる資格はあるように思います)。

☆ ディジタルな世の中ではMOOCSのように才能と機会があれば学問の方が門戸を開いているようですが,どーでもいいことを書き連ねるこのブログは「No MOOCS」とでも名乗っておくのが良いと思います(自爆)。新年を期して,どーでもいい産業大学どーでもいいこと学部をここに開学します。

Johann Strauss I - Radetzky-Marsch, Op. 228


USSR Ministry of Culture Symphony Orchestra & Pavel Kogan の「Radetzky March, Op. 228

Wikipediaの関連項目より引用
> 『ラデツキー行進曲』(ラデツキーこうしんきょく、ドイツ語: Radetzky-Marsch)作品228は、ヨハン・シュトラウス1世が作曲した行進曲。

> 作曲者の最高傑作といわれ、クラシック音楽全体でみても有数の人気曲である。曲中に観客の手拍子が入るのが特徴。1848年革命の最中に、当時はオーストリア帝国領であった北イタリアの独立運動を鎮圧したヨーゼフ・ラデツキー将軍(ヨハン・ヨーゼフ・ヴェンツェル・フォン・ラデツキー伯爵 Johann Joseph Wenzel Graf Radetzky von Radetz, Jan Josef Václav (H)Radecký z (H)Radče 1766年11月2日 - 1858年1月5日)を称えて作曲された。将軍は1849年3月23日のノヴァーラの戦いにおけるサルデーニャ王国軍への勝利によっても知られる。

> ヨハン・シュトラウス1世が1848年に作曲した『ラデツキー行進曲』は、同年に北イタリアの独立運動の鎮圧に向かうラデツキー将軍を称えて作曲された。このように、ラデツキーはイタリアの独立運動に対しては苛烈な態度で臨み、1857年から58年にかけてエンリコ・タッツォーリら9人を処刑している、しかし民衆からはかえって反感を買うこととなり、彼らは「ベルフィオーレの殉教者(イタリア語版)」として独立運動の象徴となった。

> なお、ラデツキーがミラノから持ち帰ったカツレツが、ヴィーナー・シュニッツェルになったともいわれる。

> 当時イタリア半島では民族統一運動が盛んで、オーストリア帝国領であった北イタリアでは「ドイツ民族からの独立」を目指して激しい闘争が繰り広げられていた。1848年7月、ヨーゼフ・ラデツキー将軍の率いるオーストリア陸軍がこれの鎮圧に成功した。この勝利を記念するために、「イタリアで戦った勇敢なる将兵の賞賛と傷病兵への募金を兼ね、寓意的、象徴的表現と格別な啓蒙を意図した大勝利感謝祭」が8月31日に開かれることとなった。

> シュトラウスはこの祝典のために新曲を依頼され、作曲に取りかかった。かつての楽団員ですでに独立していたフィリップ・ファールバッハ1世の協力を得て、ウィーンの民謡を2つ採り入れて、わずか2時間で完成したといわれる。大変な好評を博したが、この行進曲によってシュトラウスは文句なしに君主制支持者のレッテルを張られることになった。以後シュトラウスのコンサート会場は、多くの士官と「国民自衛団」の市民で埋め尽くされたという。この行進曲のおかげで政府軍の士気は大いに高揚し、のちに政府側の人々からこのように言われた。

「 ウィーンを革命から救ったのは、ヨハン・シュトラウスである。 」

> それまではワルツ『ローレライ=ラインの調べ』(作品154)がシュトラウスの代表作とみられていたが、この『ラデツキー行進曲』が初演後たちまちシュトラウスの既存のすべての作品の影を薄くしてしまった。

> この行進曲はやがてオーストリア帝国の愛国の象徴として扱われるようになり、息子ヨハン2世の『ハプスブルク万歳!』や、ヨハン2世とその弟ヨーゼフの合作による『祖国行進曲』など、ハプスブルク帝国を賛美するさまざまな楽曲にモチーフが採り入れられている。熱心な王党派として知られた作家ヨーゼフ・ロートは、この曲名を借用した『ラデツキー行進曲』という名高い小説を1932年に発表している。

> 帝政が廃止された現在のオーストリア共和国でも国家を象徴する曲であり、国家的な行事や式典でたびたび演奏されている。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるニューイヤーコンサートでは、1958年以降は2005年を除いて(スマトラ島沖地震の犠牲者へ弔意を示すため)、毎年プログラムのアンコールの最後の曲として、必ず演奏される曲として知られている。


☆ ちなみにこのコンサートでラデツキー行進曲を初めて振ったイタリア人はクラウディオ・アバド(1988年)だろうと思う。

☆ この時節にこの曲を聴くと,パブロフの犬のように手拍子打ちたくなるのは何故だ(爆)。
謹賀新年

2018年1月2日追記
☆ 現代政治の眼で見た場合,今のオーストリア共和国の内政が極右の自由党を引き込んだ形で31歳のセバスティアン・クルツが率いる国民党が多数を占める連立政権になっているわけですが,ハインツ・クリスティアン・シュトラッヘが率いる自由党は内政・外交の主要ポスト(内相・外相・防衛相)を押さえており,若いクルツの失政を待っている気配が濃厚です。あまり思い出したくないのですが,連合王国でデーヴィッド・キャメロンがやらかした失政(Brexitのこと)を思えば心配になるところも大きい。ところで,このオーストリア自由党にまつわる映画としてリリアーナ・カヴァーニ監督1974年作品「愛の嵐」(百恵ちゃんのシングルではない^^;)があるそうです。驚いたことにこのR15と思われる芸術作品はテレビ放映されているそうです。ぼくは地元の名画座で「ヴィスコンティ映画祭」があった時に関連作品としてこの映画がかかっていたことを覚えていて,おかげでこの映画じたいがヴィスコンティ監督の作品と誤解していました(ただしWikipediaを見るとヴィスコンティはこの作品を絶賛していたという)。政治向きの話なのでわざと小さな字でダラダラ書いてるのですが,オーストリーの右傾化がこの作品(「ラデツキー行進曲」)に国威発揚の類としての変なレッテルを貼られないことを切に祈ります。この曲は「一月一日(いちげつ いちじつ)」(♪年の始めの 例(ためし)とて~ので始まる,千家尊福作詩・上真行作曲)の歌曲)のようなもので,思想と関係なく新年を寿(ことほ)ぐ曲であって欲しいから。タモリ流に言えば「思想の無い音楽」であって欲しいので。。。

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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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