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2017-12

「千年紀末に降る雪は」 (キリンジ 2000年11月8日=アルバムリリース)


33
(2000/11/08)
キリンジ

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2012年12月30日記
☆ エリザベス女王が "Annus Horribilis(恐ろしくひどい一年)" と漏らしたのは今から20年前(1992年)の年の暮れのことだった。女王はなお健在であるが,わが国にとっての酷い一年は大英帝国のそれに勝るとも劣らないように思う。2012年はどん詰まりだったのか「どん詰まり一丁目一番地」だったのか,それはもっと先になってみないと分からない。

☆ 年の暮れに思い出す曲の一つにキリンジ「千年紀末に降る雪は」がある。この作品もまた「ねじれたクリスマス・ソング」ではあるが,堀米高樹の人物観が良く出ていると思う。

KIRINJI 19982008 10th Anniversary CelebrationKIRINJI 19982008 10th Anniversary Celebration
(2008/12/10)
キリンジ

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☆ このベスト盤が高樹、泰行の兄弟別に編まれていることが,今年届いた残念な知らせ(補注:泰行のキリンジ脱退決定)の伏線になったのかどうかは良くわからない。ただ「段ボールの宮殿」から「Drifter」まで一直に伸びた線は,まぶしい。

2013年9月28日記
アルカディアアルカディア
(2000/01/19)
キリンジ

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KIRINJI 10th Anniversary~SPECIAL SHOWCACE FINAL @Billboard Live TOKYO


「千年紀末に降る雪は」(作詩・作曲 堀込高樹)

戸惑いに泣く子供らと嘲笑う大人と
恋人はサンタクロース 意外と背は低い
悲しげな善意の使者よ

あいつの孤独の深さに誰も手を伸ばさない
歩行者天国 そこはソリなんて無理
横切ろうとするなんて気は確かかい?
「赤いオニがきたよ」なんて洒落てみるか

遅れてここに来たその訳さえ言わない
気弱なその真心は哀れを誘う
永久凍土の底に愛がある
玩具と引き替えに何を貰う?
My Old Friend.慰みに真っ赤な(ひいらぎ)の実をひとつどうぞ
さあ、どうぞ

砂漠に水を蒔くなんておかしな男さ
「ごらん、神々を祭りあげた歌も、貶める言葉も今は尽きた。」
千年紀末の雪に独り語ちた

君が待つのは世界の良い子の手紙
君の暖炉の火を守る人はいない
永久凍土の底に愛がある
玩具と引き替えに何を貰う?
My Old Friend.慰みに真っ赤なの実をひとつどうぞ
さあ、どうぞ

帝都随一のサウンドシステム 響かせて
摩天楼は夜に香る化粧瓶
千年紀末の雪!
嗚呼、東京の空を飛ぶ夢をみたよ

君が待つのは世界の良い子の手紙
君の暖炉の火を守る人はいない
この永久凍土も溶ける日がくる
玩具と引き替えに都市が沈む
My Old Friend.慰みに真っ赤なの実をひとつどうぞ

知らない街のホテルで静かに食事
遊ばないかと少女の娼婦が誘う
冷たい枕の裏に愛がある
夜風を遠く聞く 歯を磨く
My Old Friend.慰みに真っ赤なの実をひとつどうぞ
さあ、どうぞ

キリンジさん『千年紀末に降る雪は』の歌詞

ムラサキ☆サンセットムラサキ☆サンセット
(2001/11/07)
キリンジ

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33
(2000/11/08)
キリンジ

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2016年12月24日記
☆ メジャーデビューシングルがクリスマスソングの極南(2016年12月8日参照)だったことと関係があるのかどうかは知らないが,その曲をも超えたキリンジのクリスマス・ソングの極北を2016年のクリスマス・プレゼントの代わりにここに置いておく(笑)。

☆ 堀米高樹がキリスト者なのかどうかは知らないが,この曲の歌詩はサンタクロースやクリスマスの関する伝説に関する高い見識が実は隠れている。最初にユーミン(「恋人はサンタクロース」)が出てくるのはジャブみたいなお約束で(爆),キリンジの歌詩分析サイトの一切を見る前に分かった事だけ書いておこう(自爆)。

↓ 君が待つ世界の良い子の手紙(英文)の書き方
https://eikaiwa.weblio.jp/column/knowledge/santa-claus-letter

↓ 玩具と引き換える意味 ☜ 残念ながらリンク切れでした。
http://www.1xmas.com/about/post.html

↓ 柊(ひいらぎ)の実の意味
http://www.y2asmr.net/xmaskazari.html

↓ 少女の娼婦の意味
http://www.pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM006.html

☆ 摩天楼が化粧瓶であった時代は,おそらく山下達郎が「あしおと」を発表した1983年から変わっていないだろうから(そうでないと資生堂に合わせる顔が無いということもあるけれど),三菱地所が「見に行こう」と若い女の子に言わせる前(つまり丸ビルが建て替えられる前)からずっとそうだったのだろう。この曲の舞台は中央通りと晴海通りが交わるあたりにあった歩行者天国以外に考えられないのだけれど,永久凍土には東京砂漠(もちろん前川清時代のクールファイブの曲でバブル期まで某建設会社のテーマソングだった)の比喩であるし(苦笑),最後に沈んでしまう永久凍土は「日本沈没」以外の何でもないし(堀米兄はSF世代の申し子であろうし=苦笑=)。そして曲の最後にそんな状況をあっさり横に置く描写が出てくるところは「Drifer」にも通じている。この最後のあっさりとした冷や水のような歌詩が,コーダの長い余韻を招くのである。まさにクリスマス・ソングの極北と言って良いのだと思う。
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Whitney Elizabeth Houston (August 9, 1963 - February 11, 2012)



初出:2012年2月12日(一部改稿)
R.I.P. Whitney Elizabeth Houston (August 9, 1963 - February 11, 2012)
そよ風の贈りものそよ風の贈りもの
(2006/11/22)
ホイットニー・ヒューストン、ジャーメイン・ジャクソン 他

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「Greatest Love All」 (1986年5月14日)
Greatest Love All (Music:Michael Masser / Lyrics: Linda Creed)


☆ 上に示したホイットニー・ヒューストンのデビューアルバムの日本盤ジャケットは,彼女がシンガーである前にモデルとして活動していたことを示す証拠だ。母親のシシー・ヒューストンを始め,親戚にディオンヌ・ワーウィックがいてアレサ・フランクリンとも浅からぬ縁であった彼女は,まさにサラブレッドとして華やかに登場し,そのソウルフルな力強い声でたちまちにトップシンガーの地位を得た。当時ぼく達はまだソウル・ミュージックの本質を知らなかったが,彼女の登場は格好の道標(みちしるべ)となった。ちなみに米国盤のジャケットは下のものになる。

Whitney Houston: The Deluxe Anniversary EditionWhitney Houston: The Deluxe Anniversary Edition
(2010/01/26)
Whitney Houston

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☆ やがて彼女の力強いヴォーカルをマンネリと感じ始めた頃から,順風満帆であったその人生に翳りがさし始める。理想の組み合わせと思われたボビー・ブラウンとの結婚は,彼のDVなどが原因で破綻した(本国版Wikipediaに記されていた,彼女の死を知らされたボビーのコメントには感慨深いものがあった)。『ボディ・ガード』(92年)でスクリーンを魅了するも,90年代後半からは新しい歌姫達に道を譲っていった(またぼく自身が新しい音楽を追いかけなくなった)。そういったことは,おそらく彼女のメンタル面に厳しいダメージを与えただろう。依存症のニュースで見た彼女の姿は,第一線のエンターテイナーとして生き(サバイバルし)つつも,その身も心も疲れ果てていたのではないかと思う。

☆ 48歳という人生は今の世の中では明らかに短い。しかし(マイケル・ジャクソンもそうであったように)彼女の残した幾つもの歌唱は永遠に記憶の中に残っていくだろう。

ホイットニー・ヒューストン バービー人形

2013年7月10日(一部改稿)
「そよ風の贈りもの(You Give Good Love)」 (Whitney Houston 1985年2月22日)

☆ ホイットニーの母シシー・ヒューストンはスウィート・インスピレーションズのリード・ヴォーカルだった(アトランティック・ソウルの廉価盤再発の一環でアルバムが出た)。
スウィート・インスピレイションズスウィート・インスピレイションズ
(2012/10/03)
ザ・スウィート・インスピレーションズ

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☆ 母親のデビューが1967年で彼女のこの曲はそれから18年目ということになる。当時ホイットニーについて入っていた情報は,モデル(実際に10代の頃からモデルとして活動している)出身で母親も歌手,伯母に当たるのがトップ歌手のディオンヌ・ワーウィック(この曲の翌年「That's What Friends Are For」で第一線の歌手であることを強く感じさせた)。つまりサラブレッドにして美形という今どきなら「ゴリ押し」とか言われそうなプロフィールだった(笑)。

You Give Good Love (La La)


☆ Wikipedia英語版のエピソードによると,この曲は当初ロバータ・フラックのところに行く予定だった。が,ホイットニーのプロデューサーだったカシーフ(Kashif)は,この曲がホイットニーにあっているのではないかと感じ,レコード会社(アリスタ)に進言し,彼女のシングルとなったそうだ。曲は新人の事実上のデビュー曲(実際は3枚目のシングル)としては恵まれたスタートを切り,全米最高位3位となり一躍注目の的となった。

☆ そして次のシングル「Saving All My Love for You(すべてをあなたに)」が全米No.1(1985年10月21日)に輝き,彼女の栄光の日々が名実ともに始まることになる。

「Saving All My Love For You(すべてをあなたに)」(1985年8月13日)
Saving All My Love For You (Michael Masser / Gerry Goffin)


最高位
No.1:全米,全英,アイルランド、第5位:ニュージーランド,スイス
第7位:仏、第8位:加,アイスランド、第10位:ノルウェー
12位:墺、16位:蘭、18位:西独、20位:豪

2017年12月29日追記
☆ ホイットニー・ヒューストンはその悲劇的な最期が衝撃を与えたが,彼女とアニタ・ベイカーが80年代のレディ・ソウルだったことは疑うまでもない(シャーデー(・アドゥ)はその次の世代の先駆者であると考えている)。彼女達は60~70年代の先達を引き継ぐ存在であり,なかでもホイットニーはサラブレッドと形容されたように音楽一家の血を受け継ぐものであった(偶然だが先月取り上げたグラディス・ナイト・アンド・ザ・ピップスの「夜汽車よ!ジョージアへ」は彼女の母親であるシシー・ヒューストンの持ち歌である)。また彼女の出世作である「Saving All My Love For You(すべてをあなたに)」は,米国を代表する作詩家ゲリー・ゴフィンの80年代の代表作でもある。

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井上陽水 『Negative』 (1987年12月16日)


NegativeNegative
2,500円
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『Negative』
LP A面
01. Negative
02. MOON
03. 恋こがれて
04. 揺れる花園
05. 記憶

LP B面
06. Seventeen
07. 全部GO
08. We are 魚
09. WHY
10. Love you

☆ 『9.5カラット』(1984年12月21日)で井上陽水は当時の日本のポピュラー音楽界に絶対的な地位を得た。それを受けてのスタジオアルバムは世の中の「ある部分」が明らかにバブルに向かいつつあった1987年12月に発売された。このアルバムはCD化はされているが(つまりCD化もされないライブの『東京ワシントンクラブ』には優っているものの)どうやら彼のディスコグラフィーの中では「鬼っ子」扱いにされているようで,Wikipediaの記事(ディスクレビュー)もない。

☆ 実はその取扱いに不満を持っている(爆)。確かにジャケットの「年老いたインディオ」の扮装は「このおじさん,何をとち狂ってまだハロウィーンも定着してなかった昔にこんなコスプレしてるんだろ」 感に満ち溢れていて,この勘違い感がアルバムのタイトルと同じ評価を与えているのかもしれない(だいたいジャケットではボールド(太字)の活字体大文字で書いているタイトルが公式ディスコグラフィーでは大文字小文字の混淆になっているのはどういうわけだ?)。

☆ 当時のインタビューで陽水は歌詩の中で「語感」への拘りを示している。だから妙な韻の踏み方をしている。例えばタイトル曲なら「アラビアン」「メロディアン」「カナディアン」「シビリアン」。たぶん新聞(シビリアン・コントロール)だとかラジオCM(メロディアン・ミニ)で耳に付いた言葉をうまく並べたのだのだろう。考えるまでもなく,怪作「My House」の方法論が駆使されている(爆)。正確には忘れたが「ま・み・む・め・も」なんかが良く「か・き・く・け・こ」は硬いから避けるなんてトヨタの人が見たらがっかりするようなことを話していた(笑=昔トヨタ自動車は全く同じ理由から乗用車の名前に意識的に「か」行を使っている「カローラ・コロナ・クラウン・カムリなど」)。

☆ だけどアルバム全体の印象は,とっ散らかり感が強い。ビートルズの同名アルバム(ホワイト・アルバム)から両極端の曲を削って1枚組にしたような(爆)感じがする。ディジタルっぽいオープニングのタイトル曲からネオアコを感じさせるA②に持ってくるだけでも㌧でいるのが,A➂はまるで「小春おばさん」のリリシズムが蘇ってくるかのようだし,A④→A⑤と流れていくのはまるでアンビエントに歌詩をつけたかのような浮遊感やら「癒し」やらで全く違うアプローチながらウインダム・ヒルがやっていた音楽の「方向性」に非常に近い(念押しするが,音楽そのものではなく,方向性が近い)。

☆ B面は賑やかなポップから始まる。20世紀の歌姫(クラシカルの歌姫)を陽水はあっさり料理して,それが格好良すぎる(もっともこれが誰かの琴線か逆鱗に触れた可能性をぼくは感じていて,それが「鬼っ子」の理由かなと邪推している)。でもこんな感じの音は陽水しかやっていなかった(世界中で)。ある意味ブリティッシュ系の「ひねポップ」に近く,多い言葉数も相変わらずのテキトーな韻の踏み方でとてもスムーズ。B②は陽水がときどき吐き出す重厚系ポップ。このヒト,どこかでブルースに繋がっていたかったみたいで(例えば『ザ・ビートルズ』だったらジョンの「ヤー・ブルース」),でも全体が軽めなのでちょうど良い場所に錘(おもり)が一個入っている感じもする。

☆ でもB➂からは再び「癒し系」に戻ってしまう。とある歌詩から唐突にエーゲ海を彷彿させ,池田満寿夫なんか思い出してしまう(笑)。これはタイトルから韻を踏んでいるしね。B④は彼の作った最も美しい歌のひとつ。そのムードのまま最後の小品B⑤で幕を閉じる。こうしてアルバムを聴いていると美しい曲や賑やかな曲が目立つが,アルバム全体の方向感が見えない。いや本当は聞こえないと評すべきなんだろう。このアルバムの歌詩カードを眺めれば分かる。ある意味このアルバムは「曲の付いた詩」が集まったもの(さだまさしなら,それを「詞華集」と呼ぶかもしれないが,本来の「詞華集」はアンソロジーなので一人ではできない)。

☆ 私事になるが,この時期ぼくは阪神間に住んでいた。有川浩が小説にしなかった方の阪急電車(今津北線)の沿線で阪神競馬場といえばピンと来る人も多いが,そこから関西学院の方に上がったというより関西学院の裏側に住んでいた。梅田で飲み過ぎて神戸線の最終に乗ると西宮北口で宝塚方面の「乗り合い営業」中のタクシーに見知らぬ人たちと乗り合わせて,割安なお金を支払って降りた後川沿いに上っていくという優雅な日は数えるほどもなかったが,まあそういう暮らしをしていた。

☆ 80年代(特に後半)はバブルの時代だと言うが,その刷り込みはエズラ・ヴォーゲルの本を日本礼賛本と勘違いしているのと同じくらい「ずれた」ことだと思う。踊った人にはバブルだったろうと思う(夏に見た許永中の手記は面白かった)が,大半の人は関係のないもので(だから『ダンス・ダンス・ダンス』が,実際に見てもないのにあそこまでバブルの本質を衝いていたのは村上春樹の取材力なのか何なのか良く分からないまま感心してしまった)後で気分を振り返れば「あれがバブルだったなあ」とは言える。それを自分が体験したこととごちゃ混ぜにすることは間違っている。ましてそれを前提に本や論文を書いたりするのは後生を誤らせるから厳に慎むべきだと思う。とまれ「あの時代」の空気はこのアルバムだったり,『Keisuke Kuwata』だったり『Listen!Barbee Boys4』だったり『PSYCHOPATH』だったり『Boogie Woogie Mainland』だったりするので,こういう作品を聴いていると,どうしてもバブルという時代を思い出してしまうのである。

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「Winter Wonderland」 (Sung by Ella Fitzgerald)



Winter Wonderland (Richard B. Smith / Felix Bernard)



Sleigh bells ring, are you listening?
In the lane, snow is glistening
A beautiful sight, we’re happy tonight
Walking in a Winter Wonderland

Gone away is the bluebird
Here to stay is a new bird
He sings a love song, as we go along
Walking in a Winter Wonderland

In the meadow we can build a snowman
And pretend that he is Parson Brown
He’ll say, "Are you married?"
We’ll say, "No, man,
But you can do the job while you’re in town."

Later on, we’ll conspire
As we dream by the fire
To face unafraid the plans that we made
Walking in a Winter Wonderland

Are you listening?
Snow is glistening
A beautiful sight, we’re happy tonight
Walking in a Winter Wonderland

In the meadow we can build a snowman
And pretend that he is Parson Brown
He’ll say, "Are you married?"
We’ll say, "No, man,
But you can do the job while you’re in town."

Later on, we’ll conspire
As we dream by the fire
To face unafraid the plans that we made
Walking in a Winter Wonderland

【個人史「クリスマス」を認識したもの 時期 現在の生息状況】
① クリスマスツリー(家庭用:電飾付き) 
1960年代半ば以降 絶滅危惧(イエロー)
①' クリスマスツリー(店舗・街頭など) 
1970年代半ば以降 隆盛・繁茂
② クリスマスソング(聖歌・讃美歌など) 
1960年代半ば以降 定住
➂ クリスマスブーツ(お菓子のアソート) 
1960年代半ば以降(※靴下含む) 絶滅危惧(レッド)
④ クリスマスケーキ(デコ/アイス・デコ) 
1960年代半ば/70年以降 絶滅危惧(イエロー)
⑤ クリスマスプレゼント 
1960年代半ば以降 隆盛・繁茂
⑥ クリスマスソング(ポピュラー音楽) 
1970年代以降 定住
⑦ クリスマスカード 
1970年以降 絶滅危惧(イエロー)
⑧ クリスマスリース 
1980年代半ば以降 定住
⑨ クリスマス狂騒曲/クリスマスバブル 
1980年代半ば/1987年以降 絶滅

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The Christmas Song (Robert Wells / Mel Tormé 1944年)



The Christmas Song(Merry Christmas to You)
Nat King Cole 1961


Lyrics
Chestnuts roasting on an open fire,
Jack Frost nipping at your nose,
Yuletide carols being sung by a choir
And folks dressed up like eskimos.

Everybody knows a turkey and some mistletoe
Help to make the season bright.
Tiny tots with their eyes all aglow
Will find it hard to sleep tonight.
They know that Santa's on his way
He's loaded lots of toys and goodies on his sleigh
And ev'rymother's child is gonna spy
To see if reindeer really know how to fly.

And so I'm offering this simple phrase
To kids from one to ninety-two
Although its been said many times,
Many ways: "Merry Christmas to you"

And so I'm offering this simple phrase
To kids from one to ninety-two
Although its been said many times,
Many ways: "Merry Christmas to you"

☝ You Tube 投稿者 Walter Tan 氏のNote ☟
"The Christmas Song (Merry Christmas to You)" is a classic Christmas song written by Mel Tormé and Bob Wells in 1944 and was first recorded by The King Cole Trio in 1946. The song was recorded again in stereophonic version with a full orchestra conducted by Ralph Carmichael using the same arrangement for Nat King Cole's The Christmas Song album in 1961.

2014年12月19日記

☆ いろいろなことを考えていて,その大部分が思いつき倒れになってしまう。今月の初め頃は確かクリスマス・ソングはどう変遷したのかみたいなテーマが浮かんでいた。メル・トーメの「クリスマスの歌」が1944年頃の作品だと知り(映画『カサブランカ』も同年作品),確かにこんな国を敵に回しちゃならなかったなと思うのは,その場所からあまりにも離れたところにいるからなのか。

☆ クリスマス・ソングといえば20年くらい前から「そりあそび(ジングル・ベル)」を街の中で聞かなくなった。それより更に20年くらい前なら嫌と言うほど聞かされていた。ちょうど甲斐よしひろが「かりそめのスウィング」で歌ったように,その頃はまだ商業資本の集積は大きくなく,人々は10円玉を持って公衆電話に並び,バタークリームでもちゃんとデコレーションしてあってチョコレートの薄いプレートと苺が載っていれば,それなりに幸せなクリスマスケーキだった時代だ。

☆ 「そりあそび」が俳句の季語のように街中のありふれた光景だった頃,クリスマスはまだ子供たちの手にあった。少なくともキリンジが柊(ひいらぎ)の実と交換する前のクリスマスだった。そしてクリスマスプレゼントを抱えた子供がそのまま思春期を過ぎ,豊かさを抱きしめながら退屈し始めると,クリスマスが本格的にコマーシャルなものになっていく。いろんな歌が旋(つむじ)風を巻き起こしながらその後押しをした。それもまた幸せな光景のひとつだったかもしれない。

☆ クリスマスは神の恩寵であろう。キリスト者にとっては少なくとも。言うまでもなくその贈り物は救世主だったのだから。しかし物質世界には救世主はいなくなって,その代りのマテリアル・ガールズが元気印の看板をもらって扇を広げながらお立ち台の上で踊っていたりするのだが,そんな時代にクリスマスがトーチ・ソングのメッカになってしまったのは弱者救済だったのか?

☆ 企画倒れといえばクリスマスソング「現在・過去・未来」というのもあった。たぶんいちばん未来にあるのが,前の年のクリスマスのころを思い出しているワム!の曲だったりするんだったかな。80~90年代のプレイリストがあれば誰にでも思いつきそうな特集だった。

☆ やっと時間が出来てボツ企画のことに思いを馳せていると,まあ今年のクリスマスは「衆議院総選挙と寒波にしてやられた」で終わりそうな気配が濃厚になっていて,何だか気の毒な気がする。いまごろぶつぶつ文句を言っても何も始まらないのだが,それくらいならもう少し時間と場所をずらしてこんな締め方があってもいいかもしれない(苦笑)。

The Christmas Song
(Chestnuts Roasting on an Open Fire) Mel Tormé


2015年12月14日記

☆ メル・トーメの「ザ・クリスマス・ソング」。最初に意識して聴いたのは,竹内まりやが『REQUEST』でカヴァーしていたからだったと思う。その頃はオリジナルがどうとかいう話は知らなかった。だからAll MusicとWikipediaとYou Tubeにはいくら感謝してもし足りない。しかし,以前も書いたことがあるがこの曲。1944年作品なのである。枢軸国側の戦局が完全に悪化した年の暮れに敵さんはこんな曲でクリスマスを祝っていたのである。

☆ そういえば淀川長治氏は「カサブランカ」のことを「ただのメロドラマです。」と切って捨てていたが,本当はそれだけじゃない。作品の舞台は確かに北アフリカのモロッコではあったが,その背後に「いったんドイツに屈したフランス(モロッコもフランス領サハラの一角)」という微妙な立場がある。映画の最後に捨てられるワインはビシー政権を暗喩しているし,あの映画の本質はメロドラマの衣を被せた戦意高揚映画だった。だからもと軍国少年の淀川氏は不快を催したに違いないと,ぼくは思っている。

☆ カサブランカといえばバーティ・ヒギンズの歌なんだろうが,70年代だったら先日からしつこく紹介しているアル・スチュワートの曲のイメージが強い。ただ「カサブランカ」のモデルがやがて今のEUに繋がり,フランス領サハラからはフォーサイスの『ジャッカルの日』を彷彿とさせるアルジェリア独立戦争から現在の状況(あえて中身は言わん)までずっと繋がっているように思う。

☆ しかしクリスマスの曲と言いながら「ホワイト・クリスマス」も「クリスマス・イブ」も主人公が思うようにいかない事を語る曲なんだなあ。。。

2015年12月22日記

☆ クリスマスの歌を分類する。なお曲名に「クリスマス」という固有名詞が入っている曲の一覧表はウィキペディアのCategoryクリスマスソングを参照のこと。

分類1 クリスマスという時候を歌ったもの
 ①そりあそび(ジングル・ベル)
 ②赤鼻のトナカイ
分類2 クリスマスというイベントを歌ったもの
 ①ホワイト・クリスマス(ビング・クロスビー)
 ②ザ・クリスマス・ソング(メル・トーメ)
分類2.1 分類2×メッセージ
 ①Happy Xmas (War Is Over)(ジョン・レノン&オノ・ヨーコ)
分類3 クリスマスイベント×恋愛 アッパー系(♡)
 ①All I want For Christmas is You(マライア・キャリー 1994年)
 ②恋人がサンタクロース(松任谷由実 1980年)
 ③双子座グラフィティ(キリンジ 1998年) 
分類4 クリスマスイベント×恋愛 ダウナー系(💔)
 ①12月の雨(荒井由実 1974年)
 ②クリスマス・イブ(山下達郎 1983年)
 ③12月のエイプリル・フール(EPO 1985年)
 ④サイレント・イブ(辛島美登里 1990年)





☆ 最後にジュディ・ガーランドとメル・トーメのクリスマス・ソングで締めます。1963年。ジョン.F.ケネディのいないクリスマス。


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「'Heroes' (英雄夢語り)」 (デヴィッド・ボウイ 1977年9月23日)


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1,512円
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☆ 1970年代の終わり頃までデヴィッド・ボウイの表記は "デヴィッド・ボウイー" だった。今はなくなったけど長音符がついていた。こんな小さな拘りを大事にしていた感もある(これは軽んじて発言しているわけではない)。まあ甲斐よしひろはこれを聴いて自分の曲のイメージを得たのかもしれないが,衛星放送をNHKが始めた頃の人にとっては夜の映画劇場のテーマ曲かもしれない。

☆ デヴィッド・ボウイの評価は本人が亡くなった後の今でもまだ定まっていないと思っている。ベスト盤にCHANGESと名付けたくらい「スタイルを変えることがスタイル」だった60年代から70年代の彼は,ミュージシャンと同等のパフォーマーであり,それは同時にショウマンでもあったと思う。これに関してはミック・ジャガーも負けてはいないところであるが,スクリーンに関しては70年代後半にはボウイの勝利が確定していた。さらに言えば宝焼酎がCMのオファーに成功して,ジギー・スターダストを知らない人にも「デヴィッド・ボウイというタレントがいる」くらいの認識をもたらしたのもこの頃である(それが80年代になって最大の効果を示すベースとなった)。

'Heroes' (David Bowie / Brian Eno)


I, I will be king
And you, you will be queen
Though nothing will drive them away
We can beat them, just for one day
We can be Heroes, just for one day

And you, you can be mean
And I, I'll drink all the time
'Cause we're lovers, and that is a fact
Yes we're lovers, and that is that
Though nothing will keep us together
We could steal time, just for one day
We can be Heroes, for ever and ever
What d'you say?

I, I wish you could swim
Like the dolphins, like dolphins can swim
Though nothing, nothing will keep us together
We can beat them, for ever and ever
Oh we can be Heroes, just for one day

I, I will be king
And you, you will be queen
Though nothing will drive them away
We can be Heroes, just for one day
We can be us, just for one day

I, I can remember (I remember)
Standing by the wall (by the wall)
And the guns shot above our heads (over our heads)
And we kissed, as though nothing could fall (nothing could fall)
And the shame was on the other side
Oh we can beat them, for ever and ever
Then we could be Heroes, just for one day

We can be Heroes
We can be Heroes
We can be Heroes
Just for one day
We can be Heroes

We're nothing, and nothing will help us
Maybe we're lying, then you better not stay
But we could be safer, just for one day

Oh-oh-oh-ohh, oh-oh-oh-ohh
Just for one day

☆ ベルリン3部作とはいうがここでもやはりサウンドは変わっていく。その変化についていけない米国(「フェイム」や『ヤング・アメリカン』をすっかり忘れた)を除いてそれなりにセールスを収めていたのがこの時代の彼だと思う。ぼくにはイーノのアンビエント・ミュージックに馴染んでなかったこともあったし,Wikipediaの解説にも書いてあったようにパンク/ニューウエイヴの方を向いていたので,オールド・ウエイヴとは思っていなかったが(笑)キチンと聴いていなかった。だいたいこの頃に彼やイギー・ポップや(パンク寄りだけど)ラモーンズとかをちゃんと聴いていなかったのがいまから思えばしくじったなと思う(同じことを英国内シーンでいえばグレアム・パーカーとかドクター・フィールグッドとか)。

☆ 『'Heroes' (英雄夢語り)』のジャケットを撮った鋤田正義氏がボウイが亡くなった後に追悼した記事を読んだことがあるが,構図や色彩など全てにおいて彼のアルバム・ジャケットの中で一番のものだろうとぼくは思っている。彼がジャケットや音で示したものは「ある種の格好良さの顕われ方」であり,沢田研二や忌野清志郎は間違いなくこの時代の彼のスタイル(音楽だけではない)を学んで自分のものにしていたと思う。で,歌詩の
We can be Heroes
Just for one day
が,1978年の甲斐バンド「HERO」になり,最後は彼自身に還ってきて『The Next Day』(2013年3月8日)になったんだろうと思う。

'Heroes' (Live Version "A Reality Tour" 2003)


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「12月のエイプリル・フール」 (EPO 1985年11月20日)




「12月のエイプリル・フール」 (作詩・作曲:EPO)



初出:2010年12月21日
☆ 1980年代半ばにいちばんクオリティの高いポップスを提供していたのは,彼女だった。

2017年12月20日追記
☆ クリスマスの歌は「そりあそび(ジングル・ベル)」みたいな子供の歌だった。昭和40年代のの街角に師走がやって来ると,商店街はクリスマスの装飾を始める。といってもカラフルな「モール細工」と電飾の付いたささやかなクリスマスツリーが店頭に並んだだけだった。むしろ子供の目には「クリスマス・ブーツ」と呼んだお菓子の詰合せこそが本命だったような気がする。

☆ クリスマスの曲にトーチソングの変化球を最初に投じたのはユーミンで,セカンドアルバムの『ミスリム』から1974年10月5日に「12月の雨」をシングルカットする。その後もクリスマスの歌はあったかもしれない(大滝(詠一)さんが『ナイアガラ・カレンダー(1977年12月25日)』の最後にちゃっかりしっかり「クリスマス音頭」を入れていたりするが)が,世の中の流れはクリスマスの定番=「ホワイト・クリスマス(ビング・クロスビー 1942年7月30日)」だった。それが変わるのは1983年で,山下達郎が『メロディーズ』(1983年6月8日)から企画盤として「クリスマス・イブ」の12インチ・ピクチャー・シングル(1983年12月14日)を発表してからのこと。

☆ それから「クリスマスの失恋ソング」が出るわ出るわになる直前にエポがほぼ先頭を切って出したのがこの曲ということになる。あとでユーミンがこのコンセプトを使うことに気付いた時は「遅かりし由良之助」で仕方なく彼女はタイトルを一か月早めている(爆)。もっともクリスマスの曲には先達がいて1990年代に入ると「ホワイト・クリスマス」の代わりにジョンとヨーコの「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」が頻繁にかけられるようになるが,原曲がヴェトナム戦争に対する反戦歌のニュアンスを色濃く持つように,90年代以降のこの曲の用いられ方は湾岸戦争や9.11テロへのメッセージという色彩もかなりあったように思われる。

☆ クリスマスの失恋ソングという風変わりの定番ができた背景には恋愛イベント(妙な表現であるが)のある種の象徴として「クリスマス」があり,それを導いたのは間違いなくユーミンの「恋人がサンタクロース」(『SURF&SNOW』(1980年12月1日)収録)だと思われる。石ノ森章太郎が『HOTEL』の中で巨大な孵卵器にたとえたのはバブル最盛期の12月24日ご宿泊様だったが(爆),そういう世の中の空気に対する抵抗が(あるいはwanna beの裏返しの感情が)このジギーな(屈折した)定番にあるようにも思われる。

☆ 昭和も60年に近付くとクリスマスツリーというより電飾そのものが巨大化し,白い雪の装飾もウインドディスプレーの定番と化し,クリスマスブーツやクリスマスケーキはその存在を小さくし,クリスマスデートにその座を譲っていた。これはこの国の繁栄を象徴する出来事のひとつであり,凍えた空に光るオリオン座の代わりに「金色のきらめき」(山下達郎)が街中に降り注いでいたのである。

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☆ あんたの時代も良かった(たぶん...)




☆ この本に出てくる曲の9割は曲名を知っていて,8割は曲のイントロかその一部が思い出せて,6割以上の曲はだいたい思い出せて,ほぼ全部思い出せる曲は3割以上は間違いなくあった(笑)。この本はぼくにとって「殆ど脳内ジュークボックス」のような本で読んでいる間はかなり楽しかった(自爆)。

☆ 著者が指摘しているようにヒットメーカーが歌手を育てる時代が1970年代の途中まであった。これは映画と同じで,専属制度による囲い込みがあったからだろう。囲い込む理由は興行が暗黒街と繋がっていたからで有り体に言えばヤクザのシノギ(シマ)を荒らされないようにすることがベースにあった。そういう世界を英語ではモンキー・ビジネスと呼ぶが,今ごろになってモンキー・ビジネスの「内部通報」などが起こっていて40年遅いだろっとは思うが,40年前にはいろんな強面(こわもて)の面々が現役バリバリだったし,その辺のユルさはプレ・コンプライアンス期(前カンブリア紀みたい)だったので仕方がない。ところが仕方がない話が「仕方が無いじゃ済まない」となったのが米国ショウビズ界のセクハラ告発で,今さらながらクリーンアップせざるを得ないだろう。

☆ 話がとんでもない方向に脱線してしまったが(苦笑)例えば著者が指摘する阿久悠が桜田淳子を(歌手として)どう育てようとして,そのアプローチがどこからズレていったかについては明察であると思う。今って世の中が幼稚化していると思うので,20歳くらいでも淳子や百恵の16,7歳の頃とあまり変わり映えがしない気がする。その線で行くと20歳前後に出てきて10年やっても,40年前だったら25歳前後の感覚でしかなく,それがマンネリ化して40歳になっても若者扱いされる男性「アイドル」など気の毒な気がしてしようがない。そういう意味でのスピード感は『LIFE SHIFT』ではないが人生のステージが伸びた分だけ落ちているのかもしれない。

☆ 「カサブランカ・ダンディ」については再掲を含め過去5回くらい書いているので,今回は書かないが,どうしてボギーが出てきたのかを考えてみるとウディ・アレンの映画もあったし,アル・スチュワートの曲(「イヤー・オブ・ザ・キャット」にピーター・ローレが引用されていること)もあった。この辺がヒントになったかなと。



☆ でも実際,歌謡曲の歌詩が先生だったことはあって,この曲や翌年の「プレイバックPart2」(山口百恵/作詩:阿木燿子)から何となくハードボイルドって小説ジャンルに興味を持ったのは個人史です(苦笑)。

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「Reach Out (I'll Be There)」 (The Four Tops 1966年8月18日)




☆ フォー・トップスの代表曲であるこの作品は,60年代モータウン作品の中でも特にテンションの高い作品である。リーバイ・スタッブスのヴォーカルは硬質でロック的であり,オペラ的であるとAll Musicの評者であるエド・ホーガンは絶賛しているが(Wikipedia英語版)全面的に賛成したい。イントロから強い磁力で惹きつけ,Aメロから高いテンションをぶつけ一気にトップに持っていくスタッブスの歌唱は,タンバリンが印象的なモータウン・リズムとピタッと符合し強烈なうたの世界を形作っている。

Reach Out (I'll Be There)
(Holland–Dozier–Holland)


Now if you feel that you can't go on (can't go on)
Because all of your hope is gone (all your hope is gone)
And your life is filled with much confusion (much confusion)
Until happiness is just an illusion (happiness is just an illusion)
And your world around is crumbling down, darlin'

(Reach out) Come on girl reach on out for me
(Reach out) Reach out for me
Hah, I'll be there with a love that will shelter you
I'll be there with a love that will see you through

When you feel lost and about to give up (to give up)
'Cause your best just ain't good enough (just ain't good enough)
And your feel the world has grown cold (has grown cold)
And your drifting out all on your own (drifting out on your own)
And you need a hand to hold, darlin'

(Reach out) Come on girl, reach out for me
(Reach out) Reach out for me
Hah, I'll be there to love and comfort you
And I'll be there to cherish and care for you

(I'll be there to always see you through)
(I'll be there to love and comfort you)

I can tell the way you hang your head (hang your head)
You're not in love now, now you're afraid (you're afraid)
And through your tears you look around (look around)
But there's no peace of mind to be found (no peace of mind to be found)
I know what your thinking
You're a loner, no love of your own, but darling

(Reach out) Come on girl reach out for me
Reach out, just look over your shoulder
I'll be there to give you all the love you need
And I'll be there you can always depend on me
I'll be there

☆ この曲はアソシエイションの「チェリッシュ」に代わり,1966年10月15日に全米No.1(ビルボード/キャッシュボックス)に輝き,ビルボードでは翌週(10月22日)も連続でNo.1だった。これに代わり1位に立ったのが?(Question Mark) & the Mysteriansの「96粒の涙」。なお全英では10月29日から11月12日まで3週間1位に輝き,ビーチ・ボーイズの「グッド・バイブレーションズ」にその座を譲っている。

☆ ちなみに全米で唯一1位を獲れなかったのがレコード&ワールド誌(最高位2位)。その他の国の最高位は,アイルランド2位,カナダとオランダが6位(オランダは別に8位のものも),ベルギー10位,ニュージーランド11位,西独13位,豪州62位,イタリア68位。

☆ フォー・トップスはこの曲までが絶頂期で60年代後半は少し苦戦する。確かに全米の?& the Mysteriansや全英の(ビーチ・ボーイズというよりシングル曲としての)「グッド・バイブレーションズ」が示すものは60年代前半のモータウンやマージービートとは明らかに異なる音楽の流れが押し寄せていることだった。



☆ まあどうでもいいことだが「Reach Out」の歌詩の中に,彼らが追い抜いた曲名である「チェリッシュ」が出てくる。

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「I'm a Party」 (マガジン 1980年5月=アルバムリリース)




☆ マガジンのサード・アルバムはある意味このバンドにとっての正念場だったと思う。デビュー・アルバムで彼らはパンク以降の音楽の方向性を明示し,セカンド・アルバムはそれをさらに進めようとした。その試みに対するプレス(音楽紙業界)の評価は「労働者階級のピンク・フロイド」という誰が見ても逆上しそうなものだった。後にハワード・ディヴォートがソロ・アルバムを出した際のインタビューでマガジン時代の音楽を「ヘヴィな審美主義」と評しているが(その傾向はむしろLuxuria時代にこそ感じるが),少なくとも前作よりは軽い音をバンドとプロデューサーのマーティン・ハネット(31 May 1948] – 18 April 1991)は目指していたと思う。

I'm a Party
(Barry Adamson, Howard Devoto, John Doyle, John McGeoch and David Tomlinson)


I'm such and such
私は斯斯云々(かくかくしがじか)
I'm a scream
私は一種の雄叫(おたけ)び
Bad choices take me to task
酷(ひど)い選択の結果
とんでもない仕事を押し付けられ
You'll see
お分かりですかな
I'll take out the car
そこの車を持ち出すことになるが
But nobody'll want to crash
誰も衝突事故なんて望んじゃないでしょう
Take me with you
あなたと一緒に連れて行ってくださいな
(I'm a parry)
(私もその一味)
I don't know where I've been
だがしかし,どこにいたなんてとんと覚えちゃいない
So all things being equal
ですから須(すべか)らく物事は平等でして
(I'm a parry)
(私もその一味)
I won't know where we're going
その割にはこれから何処へ行こうとしてるのか
見当もつきませぬ

You could do me a favour
もし助けていただけるのでしたら
Do whatever you want to
あなたがしたいどんなこともしていいですから
I will let you hurt me
私はあなたが私を害するように仕向けるでしょうか
Because I know it hurts you
その理由は
そうすることであなた自身を傷つけることになるからですよ
It hurts you
そう,あなた自身を

What you say goes
あなたの言葉が罷(まか)り通っている限り
(I'm a parry)
(私もその一味)
All over the town
この街中にその威令が罷り通る限り
I fell into you
私はあなたに従っていくだけ
(I'm a parry)
(私もその一味)
I keep up with all that's coming down
そこに下される指示に坦々と従っていくでしょう
So, what's shaking!
それで,最近はいかがでした!
(I'm a parry)
(私もその一味)
You've got me racing, you've got me racing
あなたが私を無意味な競争に追い立てる
競争の中に追い立てる
The sound of a siren
警報は街中に響き渡り
In all the spaces between
あらゆる隙間を埋めていくかのよう

You could do me a favour
もし助けていただけるのでしたら
Do whatever you want to
あなたがしたいどんなこともしていいですから
I will let you hurt me
私はあなたが私を害するように仕向けるでしょうか
Because I know it hurts you
その理由は
そうすることであなた自身を傷つけることになるからですよ
It hurts you
そう,あなた自身を

(間奏)

You could do me a favour
もし助けていただけるのでしたら
Do whatever you want to
あなたがしたいどんなこともしていいですから
I will let you hurt me
私はあなたが私を害するように仕向けるでしょうか
Because I know it hurts you
その理由は
そうすることであなた自身を傷つけることになるからですよ
It hurts you
そう,あなた自身を

(I'm a parry)
(私もその一味)
I know it hurts you
私はそれがあなた自身を傷つけることを知っていますよ
(I'm a parry)
(私もその一味)

Repeat and fade

☆ バンドとしてのマガジンがこのアルバムで目指したものは,前2作に見られた個人を出発点とするミニマリズム的心象風景ではなく,個人と社会(ここでは家庭のような基礎単位から政治(権力)闘争に揺れる企業内社会までが含まれる)との「関係性」で,そこにバンドの歌詩のテーマが移ったことは注目すべきである。その背景には前作に寄せられたステロタイプな批判への反省があったことは疑う余地はない。社会との関係性というテーマで見るならば70年代初頭のニュー・ソウルは明らかに黒人社会が米国で抱えていた問題の反映だったし,パンクでもピストルズやクラッシュには明らかに社会との関係性(現実としての社会問題=それを解決しようとしない政治への批判を含め)があった。またポール・ウエラーもスタイル・カウンシルでニュー・ソウルを80年代にアップデートさせながらこの問題を取り上げている。

☆ ディヴォートらは確かに「ヘヴィな審美主義」に社会性の「眼」を与えようとし,このアルバムでは確かにそれは成功している。ただアルバムの価値が認められ始めた頃には既にバンドは空中分解した後だった。マガジンというバンドに悲劇があるとすればたぶんその一点だったのだろうと思う。

PERSONNEL

Magazine
Howard Devoto – vocals
John McGeoch – guitar
Barry Adamson – bass guitar
Dave Formula – keyboards
John Doyle – drums

Additional personnel
Laura Teresa – additional backing vocals
Raphael Ravenscroft (uncredited) – saxophone on "I'm a Party"


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「Thanks For Christmas」 (The Three Wise Men 1983年11月21日)


The Three Wise Men

注) 今回の記事については以下のサイトも参考にしています(訳詩などもそちらを参照ください)。
http://long-live-xtc.seesaa.net/article/381702796.html



Thanks For Christmas (Balthazar/Kaspar/Melchior)


☆ このシングルを見つけたのは宇田川町時代のタワレコだったと思う。シングル盤にポップだったかで(XTC変名)とか書いてあった気がする。もっともXTCの棚にあってジャケットに仮装姿の3人がいれば,ああこれはXTCのクリスマス・シングルだくらいの見当はつくので有難く買い上げさせていただいたのであった(爆)。

☆ 上記『チョークヒルズ&チルドレン』ではP.191にこの曲の前後の話が出てくる。本によるとこの曲はアンディが「ただの遊びで作った」そうだ。「ずっとカセットにほったらかしになっていた」曲だが「作っていてすごく楽しかった」との記述がある。ところでThe Three Wise Menといってもキリスト教に関心の無い人も多いだろうから,Wikipediaの「東方の三博士」を紹介する。

> 東方の三博士(とうほうのさんはかせ)とは、新約聖書に登場し、イエスの誕生時にやってきてこれを拝んだとされる人物。東方の三賢者(とうほうのさんけんじゃ)または東方の三賢人(とうほうのさんけんじん)という呼称も多い。
> 『マタイによる福音書』2:1-13に博士たちについて記されているが、「占星術の学者たちが東の方から来た」としか書かれておらず、人数は明記されていない。彼らはヘロデ大王に「ユダヤ人の王としてお生まれになったかた」について尋ね、ベツレヘムへたどりつく。彼らはイエスを見て拝み、乳香、没薬、黄金を贈り物としてささげた(この贈り物の数から「三人」とするのが定着した)。ヘロデ大王は幼子を見つけたら、自分に知らせるようにと彼らに頼むが、彼らは夢のお告げを聞いてヘロデ大王のもとを避けて帰った。
> 三博士の名は、西洋では7世紀から次のような名が当てられている:
メルキオール Melchior (黄金。王権の象徴、青年の姿の賢者)
バルタザール Balthasar (乳香。神性の象徴、壮年の姿の賢者)
カスパール Casper (没薬。将来の受難である死の象徴、老人の姿の賢者

☆ スペルが微妙に違うが「Thanks For Christmas」の作詩・作曲に三人の博士の名が見える(爆)。お遊びは大真面目にやるものという鉄則に沿って,なかなか良い出来だが,『チョークヒルズ&チルドレン』の記述を見ると
> ラジオでいくつかオンエアされ、その正体に関する根拠のない噂(フィル・コリンズが歌ってドラムズを叩いているというものもあった)も提供したが、見事、シングルは早々に姿を消した。
とまあ,XTC的なオチとなっている(爆)。だけとコリン・モールディングがザ・カーナル名で出したシングルも一度CD化された(このシングルはXTC関係でいちばんレアなもののひとつ)が,これがCDになったという話は寡聞にして知らない。YouTube様様と言うべきなのかどうか○| ̄|_

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こんにちは⇔さよなら (「Hello, Goodbye」(The Beatles 1967年11月27日)


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Hello, Goodbye (Lennon–McCartney)


You say yes, I say no,
きみは応と言い,ぼくは否と言う
You say stop, and I say go, go, go,
きみは止まれと言い,でもぼくは言う 進め,進め,進め
Oh no.
ああまあ
You say goodbye and I say hello, hello, hello,
きみがさよならと言えば,ぼくはこんにちはと言う,やあやあ
I don't know why you say goodbye, I say hello, hello, hello,
だってぼくは分からないから. なぜきみはさよならを言うの
ぼくはこんにちはを言うよ,やあやあ
I don't know why you say goodbye, I say hello.
だってぼくは分からないから. なぜきみはさよならを言うの
ぼくはこんにちはと言うよ

I say high, you say low,
ぼくはイイ感じと言い,きみはサイテーとこたえる
You say why, and I say I don't know.
きみはどうしてって訊くけど,そんなことぼくにも分かんないよ
Oh no.
ああまあ
You say goodbye and I say hello, hello, hello.
I don't know why you say goodbye, I say hello, hello, hello,
I don't know why you say goodbye, I say hello.

Why, why, why, why, why, why,
いったいどうしてなのかい
Do you say goodbye.
きみはさよならって言おうとするの
Oh no.
ああまあ
You say goodbye and I say hello, hello, hello.
I don't know why you say goodbye, I say hello, hello, hello,
I don't know why you say goodbye, I say hello.

You say yes, I say no,
You say stop and I say go, go, go.
Oh, oh no.
You say goodbye and I say hello, hello, hello.
I don't know why you say goodbye, I say hello, hello, hello,
I don't know why you say goodbye, I say hello, hello, hello,
I don't know why you say goodbye, I say hello, hello, hello,

Heyla heba helloa
Heyla heba helloa
Heyla heba helloa

☆ 1967年のビートルズのシングルは3枚「Strawberry Fields Forever/Penny Lane」(2月13日)、「All You Need Is Love(愛こそはすべて)/Baby, You're a Rich Man」(7月7日)、(「Hello, Goodbye/I Am the Walrus」(11月27日)。そして次の「Lady Madonna/The Inner Light」が68年初の作品(3月15日)となる。この間の5月26日に『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』が出ていて,この年がビートルズの頂点の年だったろうなあとは40年経った後のしみじみとした感想である。だからという訳でもないだろうが,PVの4人はサージェント・ペパーズの衣装を着ている。

☆ この年からのシングル4枚を見ると,前半の2曲はジョンが書き,この曲と68年の「レディ・マドンナ」はポールが書いている。ぼく達はビートルズがこの後どういう経過を辿って70年に至ったかをそれなりに知っているので,この曲を一種の分水嶺と見ることもできるし,そういう視点から見てしまうと歌詩じたいにも含むところを感じてしまう。その見立て自体は後付けであり,あまり意味のあることとは思わないが,意味が無いなりに感慨を覚えてしまう部分もあるのだ。



☆ その昔,ラジオに中学生向けの学習番組があった。ちゃんとテキストもあって1日30分(それなりに予習したうえで)テキストを開いてラジオを聞いていれば(実際にはラジカセで録音してもらったものを塾から帰った後に聞いてることも多かった)それなりに勉強になった。講師は都立高校とかの先生で(今考えると役所に兼職の届け出なんかもしていたんだろう),ゆっくり目の話し方で分かりやすくためになった。とまあ45年くらい前には「ラジオで勉強する時代」もあったのだ(もっとも,そうやって親から仕入れたラジオ(カセット)は,やがて貴重な情報源兼遊び友達と化していくのだが=自爆=)。

☆ その番組(英語)の教材にビートルズのこの曲があった。曲がリリースされて5年少しで教育番組に使おうという先生や放送局のセンスは今でも凄いと思うが(こういう強(したた)かな志が無くなっていったのがこの国の教育じゃないのかなとも思ってしまう),確かにシンプルな英語である(もっともhighとlowの "深読み" なんて「生徒」は勿論,「先生」の方も全く気付かなかっただろうとは思うが)。でも吉田拓郎の歌ではないが,確かにぼく(やこのラジオ放送を聞いていた生徒達)にとっては「ビートルズが教えてくれた」英語であったのだ。ちなみに拓郎のその歌には「女王陛下(Her Marjesty)」が出てくるのは,彼らもまた『アビー・ロード』を最後までキチンと聴いていたことの証明になるだろうと思う(笑)。

PERSONNEL
The Beatles
Paul McCartney – double-tracked lead vocal, backing vocal, piano, bass, bongos, conga
John Lennon – backing vocal, lead guitar, Hammond organ
George Harrison – backing vocal, lead guitar
Ringo Starr – drums, maracas, tambourine, backing vocal (over coda)

Additional musicians and production
Kenneth Essex – viola
Leo Birnbaum – viola
George Martin – producer
Geoff Emerick – sound engineer
Ken Scott – sound engineer

最高位
No.1:米(ビルボード、キャッシュボックス)、英、豪、加、蘭、仏、ノルウェー、西独
第2位:墺、ベルギー、アイルランド、スイス、 

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「It's the Same Old Song」 (The Four Tops 1965年7月9日)




☆ 「It's the Same Old Song」は「I Can't Help Myself (Sugar Pie Honey Bunch)」に続いてリリースされたシングルで,前作ほどの大ヒットにはならなかったが,全米最高位5位(ビルボード。キャッシュボックスは6位)、全英でも34位のヒットとなった。この曲はホランド=ドジャー=ホランドを代表するリズムパターンのひとつであることは過去何度か触れてきた。切れの良いリズムと這うようなベースが醸し出す雰囲気は後に「モータウン調(ビート)」と呼ばれることになる。いま聴いてもベースラインが格好良すぎる(笑)。

It's the Same Old Song (Holland–Dozier–Holland)


☆ ザ・クラッシュが1980年12月12日にリリースした3枚組大作『サンディニスタ!』の最初の方に「ヒッツヴィルU.K.」という曲が入っている。このヒッツヴィルとはベリー・ゴーディJr.がモータウン・レコーズの本社を最初に置いたミシガン州デトロイトの地名であり,彼らはモータウンを通じて黒人音楽そして黒人運動のパワーを感じたことを歌っている。ヒッツヴィル=モータウンが英国をヒット(打撃)したと歌うクラッシュは(この曲のリードはミック・ジョーンズだったと思う),そこから二つのルーツ(ロックンロールのルーツである黒人音楽と政治運動のルーツである公民権運動)に辿り着くのである。

☆ 一方モータウン調は強力なリズム・パターンとして70年代までポピュラー音楽に大きな影響を与えていた(この話は既出につき今回は略したい)。

「ヒット曲がきこえる」 (Covered by Original Love)


☆ きょうは田島君に敬意を表して訳詩は省略したい(笑)。



☆ 以前色々書いたように,この曲のイントロは色んな曲に使われているが,最近になって間奏が大滝さんの「バチュラー・ガール」(稲垣潤一・大滝詠一)に引用されていることに気付いた。

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「Accidents Will Happen」 (Elvis Costello & The Attractions 1979年5月4日)




Accidents Will Happen (Elvis Costello)


Oh I just don't know where to begin
Though he says he'll wait forever
It's now or never
But she keeps him hanging on
The silly champion
She says she can't go home
Without a chaperone

Chorus:
Accidents will happen
We only hit and run
He used to be your victim
Now you're not the only one
Accidents will happen
We only hit and run
I don't want to hear it
'Cause I know what I've done

There's so many fish in the sea
That only rise up in the sweat and smoke like mercury
But they keep you hanging on
They say you're so young
Your mind is made up but your mouth is undone

(Chorus)

And it's the damage that we do
And never know
It's the words that we don't say
That scare me so

There's so many people to see
So many people you can check up on
And add to your collection
But they keep you hanging on
Until you're well hung
Your mouth is made up but your mind is undone

(Chorus)

I know, I know... (repeat)

Written by
Elvis Costello

Performed by
Elvis Costello & The Attractions

Produced by
Nick Lowe

Musicians
Elvis Costello - vocals, guitar
Steve Nieve - keyboards
Bruce Thomas - bass
Pete Thomas - drums

Recorded
August-September 1978, Eden Studios, London

最高位 全英:28位


☆ そういえば,このアルバムが出た79年10月にブロンディの出したアルバム『Eat to the Beat(恋のハートビート)』の中に「Accidents Never Happen」て曲が入っているが何かの当てこすりだろうか(爆)。

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「Please Come Home For Christmas(ふたりだけのクリスマス)」 (Eagles covered 1978年11月27日)




☆ Wikipedia(英語版)でこの曲を見る。「Please Come Home For Christmas」はアメリカのブルーズ・シンガーでピアニストでもあるチャールズ・ブラウンが1960年に発表した作品で,翌61年の12月にチャート入りした。ブラウンがジーン・レッドと共作したヴァージョンは1962年に最高位76位となったのを皮切りにクリスマスシーズンに9度チャート入りし,72年にはNo.1になっている(と書いてあるが疑問がある。ビルボードはクリスマス・ソングをチャート(Hot100)に入れない決まりが90年代頃まであったような記憶がある)。

☆ イーグルスのヴァージョンが出たのは1978年のことで,『ホテル・カリフォルニア』の余韻も醒め,「新曲はまだか」的な雰囲気が「ポパイ」や「ホット・ドッグ・プレス」に煽られた「にわかカリフォルニア(西海岸)ブーム」が花盛りの本邦に満ち溢れていた頃にこの知らせが届いた。この選曲はドン・ヘンリ-の好みだったのかなあと思われる。いかにも彼の好きそうなブルージーなロッカ・バラードに仕上がっているからだ。

☆ で「イーグルスの新曲買ったぞ」と自慢したいために洋盤屋に並んで(日本盤シングルが600円の頃に)500円くらいのお金を出してシングルを買い,A面に満足してB面でズッコケるというのが,このシングルの当時の正しい楽しみ方だったと思われる(爆)。B面の「Funky New Year」はナイアガラのノベルティものが大好きなヒト以外,あまり楽しみようもない「お遊び」曲だったから(再爆)。

Please Come Home For Christmas
(Charles Brown / Gene Redd)
Millennium Tour Las Vegas 1999/12/29


Bells will be ringing this sad sad news
この悲しい知らせの向こうで華やかに鐘の音が鳴り響く
Oh what a christmas to have the blues
こんな辛い気持ちになるなんて,なんてクリスマスになってしまったんだ
My baby's gone
あの娘は行ってしまった
I have no friends to wish me greetings once again
取り残されたぼくにはふたたびのお祝い状を一緒に待つ友達すらいない
Choirs will be singing (ooh...) silent night
そして聖歌が歌われる,きよしこの夜と
Christmas carols (ooh...) by candlelight
ろうそくの灯のもとで,クリスマスの聖歌たちが歌われるとき
Please come home for christmas
どうかきみにクリスマスを祝うために戻ってきてほしいのだ
Please come home for christmas
ふたりだけのクリスマスを祝うために
If not for christmas by new year's night
クリスマスがだめならば大みそかの夜までには

Friends and relations send salutations
友達や近所の人達が挨拶を交わし合い
Sure as the stars shine above
空には幾つもの星が輝いている
But this is christmas yeah christmas my dear
だけど,今日はクリスマスなのに,ねえクリスマスだっていうのに
The time of year to be with the one you love
一年の中で最も心を寄せる人と一緒に過ごすべき時だというのに

So won't you tell me (ooh...) you'll never more roam
だからぼくに伝えてくれないか,もうこれ以上離れて生きていかないと
Christmas and new years (ooh...) will find you home
クリスマスと新年を迎える家の中には,君の姿があって欲しいのだ
There'll be no more sorrow no grief and pain
これ以上,悲しみや苦しみや痛みを感じていたくない
And I'll be happy christmas once again
そしてぼくはこの手にもう一度倖せなクリスマスを取り戻したいのだ

(Guitar Solo)

Ooh there'll be no more sorrow no grief and pain
And I'll be happy christmas once again

☆ ところで,この邦題は捻っていると思う。イーグルスのラブソングだから歌詩の意味も取らずに「ふたりだけのクリスマス」と名付けたと思ってはいけない(笑)。雪の降らないカリフォルニアの少年が東海岸や西欧のクリスマスを夢見る曲のタイトルが「ホワイト・クリスマス」だったことを思い出すべきだ。このタイトルは逆説なのだある。去って行った恋人に戻って来て二人だけでクリスマスと新年を祝おうよという未練たっぷりの曲だと書いたら元も子もなくなる(爆)。クリスマスのセンチ(メンタル)なムードに感傷を加えてブルージーに歌っているので,70年代のユーミンを皮切りとする「クリスマスのトーチ(💔)ソングとは一線を画している。昔のヒトはかように奥ゆかしかったのである。

NOTES
最高位 蘭:5位,スウェーデン:15位,全米:18位(ビルボードHot100、なお1995年のアダルト・コンテンポラリーで15位の記録もある),ベルギー:19位,ニュージーランド:28位,全英:30位

Please Come Home For Christmas- Don Henley, Clint Black, & Lyle Lovett
Bass Hall 11/28/2017


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「スモール・タウン(Small Town)」 (ジョン・メレンキャンプ 1985年11月2日)


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☆ 最初(「青春の傷あと(Hurts So Good 1982年4月)」がヒットした頃)ぼくはこの人の本名がジョン・クーガーだと思っていた。後で知ったのはこの変てこりんな(まるでリングネームのような)芸名を本人はたいへん嫌っていたが,この芸名で大ヒット(最高位:全米第2位)してしまったので容易に改名しにくくなってしまった。その結果妥協案として85年の『スケアクロウ』から本名と芸名を並記したジョン・クーガー・メレンキャンプになった(その後91年の『Whenever We Wanted』から,ようやくジョン・メレンキャンプ名で作品を発表することができるようになった)ということだった。

☆ ジョン・メレンキャンプは合衆国の中西部インディアナ州の小さな町に生まれた。だからこの曲は彼の自叙伝的な作品でもある。そう言えば少し前出たこの本を読んでいて気が付いたことがあった。


☆ 名前のとおり代表的農機具であるトラクターをその生い立ちから世界各国(本邦も当然一章割かれている)での利用の変遷を辿ったものだが,第二次世界大戦後の米国の状況を読んでいて,ふと気付いたことがあった。この本の134ページのあたりで米国のトラクター産業の斜陽化,「ドナルド」と誤記されているがいわゆるレーガノミックスで貿易自由化が進んだ80年代に米国の農家は深刻な不況に陥ったことがかかれている。

☆ 実はメレンキャンプがこのアルバムのテーマに掲げたもののひとつに都市と農村,繁栄する金融業と疲弊する農業,そして荒廃する故郷に対する思いとか一方的に繁栄を享受する者への隠しようのない怒りといったものが,通奏低音として流れている。メレンキャンプのファンなら知っていることだが,彼や同時代のカントリー音楽の頂点にいたウイリー・ネルソンらは「ライブ・エイド」(1985年7月13日)に出演したボブ・ディランの発言をきっかけに「ファーム・エイド」という有名なチャリティー・コンサートを行っている(1985年9月。その後もたびたび開催されている)。ちなみにメレンキャンプはディランのデビュー30周年コンサートでは(1992年10月16日)ヘッドライナーを務め「ライク・ア・ローリング・ストーン」を熱唱している。

Small Town (John Mellencamp)



☆ ジョン・クーガーはポスト・(ブルース)スプリングスティーンという売り込みで見事に成功したのだが,ジョン・メレンキャンプは確かにスプリングスティーンのような行動するロックンローラーではある。ただ東海岸のサーキットから出てきたスプリングスティーンと異なり,ヒルビリーと言っては失礼かもしれないが,中西部の田舎育ちであることを強く自覚していたメレンキャンプは実はスターダムに上る前から,自分というものを強烈に持っていたミュージシャンだったのだと思う。

☆ 1985年はぼくの音楽リスナー暦の中ではかなり収穫の多い一年だった。ポール・ヤング,ジョン・メレンキャンプ,ティアーズ・フォー・フィアーズ,いずれも何枚かのアルバムを出しヒットも持っていたミュージシャンだが,その中でも最良の作品群に巡り合えた一年だったから。メレンキャンプにとって唯一不幸だったのは,このシングル(全米最高位6位)の次の作品「R.O.C.K. in the U.S.A.」(1986年)が惜しくも最高位2位で終わったことだろう。

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「I Can't Help Myself (Sugar Pie Honey Bunch)」 (The Four Tops 1965年4月23日)



☆ 1960年代の前半をリードしたのはロックとソウルだ。この若い音楽は若い表現者,若い製作者,若く野心的な経営者に支えられそれまで大人が独占し大人が差配(つまりエルヴィスのように大人が認めたら一人前=クリスマス・アルバムが出せる=になる)する世界だった。マルクス主義をかじった人なら直ぐに「搾取」という言葉に辿り着くだろう。70年代半ばに本邦のフォークソングから同じムーブメントが立ち上がったわけだが,アメリカの黒人たちはドゥー・ワップの時代にそれを見つけた。それをポピュライズした成功者がベリー・ゴーディーであり,彼のレーベルタムラ/モータウンである。

I Can't Help Myself (Sugar Pie Honey Bunch)
(Brian Holland / Lamont Dozier)


☆ この曲は1965年6月19日から7月3日まで3週間全米No.1になった。直前のNo.1曲はスプリームス(シュープリームス)「Back in My Arms Again」その前はビーチ・ボーイズの「Help Me, Rhonda」もうひとつ前はビートルズの「Ticket to Ride(涙の乗車券)」。逆に直後のNo.1曲はバーズの「Mr. Tambourine Man」(オリジナルはボブ・ディランの作品)で,その次がローリング・ストーンズの「(I Can't Get No) Satisfaction」でその次がハーマンズ・ハーミッツの「I'm Henery the Eighth, I Am(ヘンリーⅧ世君)」だ。

☆ チャートから分かることはブリティッシュ・インヴェンジョンとモータウンが四つに組んで,そこにブライアン・ウイルソンとマイク・ラブが率いるビーチ・ボーイズがその地位を保つべく頑張っているという構図である。つまりハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスやフランク・シナトラに代表される大人の音楽が入り込む余地が,No.1曲に関しては無くなっているということだ。

☆ ところでこの歌詩。初期ビートルズの曲のように若々しい。ひと言でいえば「自分のアイドルを見つけた男の子の心の弾み」をそのまま曲にしている。ドゥー・ワップの時代にペンギンズの「Earth Angel(アース・エンジェル)」という,まるで「橋本環奈の"天使過ぎる"画像を偶然見つけたヲタ」のような(爆)名曲(1954年10月)があるが,歌詩の背景はまるでその世界である。でも笑ってはいけない。同じような「男の子のときめく」世界は,つい2年前にビートルズが「抱きしめたい」で表現しているのだ。

☆ モータウン・ビートとはホランド=ドジャー=ホランドの作品に聞かれるもので,タイプは二つある。この曲のようなビートがひとつで,もうひとつはスプリームスの「恋はあせらず(You Can't Hurry Love)」で使っているものだ。フォー・トップスはリード・ヴォーカルのリーバイ・スタッブスがいわゆる「剛速球投手型」のぐんぐん押してくるヴォーカルなので,必然的に前者のビートに代表曲が揃っている。

PERSONEL
Lead vocals by Levi Stubbs
Background Vocals by Abdul "Duke" Fakir, Renaldo "Obie" Benson, Lawrence Payton,
and The Andantes: Jackie Hicks, Marlene Barrow, and Louvain Demps
Instrumentation by The Funk Brothers and the Detroit Symphony Orchestra (strings)
Written by Brian Holland, Lamont Dozier, and Edward Holland, Jr.
Produced by Brian Holland and Lamont Dozier

☆ このモータウンの「サウンド・プロダクション」はその後も長期にわたってブラック・ミュージックの枠を超えポピュラー音楽制作の模範となった。今のExile(米国チャートマニアのために敢えて識別して「本邦グループの」と付けておく)ファミリーもまた,その範に倣(なら)っていることは明白である。それほど有効で効果的なサウンド・プロダクションであり,ビートルズに代表されるバンドがロックンロールをロックに引き上げた「革命」だったとすれば,モータウンの音作りはリズム&ブルースをポピュラー音楽に格上げした「革命」だったとも言えるのではないかと思う。

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いま、ここにしかない、出逢い。


TRUTHTRUTH
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☆ なんかリクルートの企業コピーの下手なパロディだなあ(自爆)。人間にはどうしようもないことが幾つかある。まずその筆頭は生物なんで死んでしまうこと。それから生まれる時代や場所を選べないこと。変な言い方だが「産ませる側」が人工授精などで選ばせることができると思っても「生まれる側」にとっては同じことである。だから人間はそういう制約を「所与のもの」として生きていくしかない。

☆ 生まれる時代によって出会う人も変わってくる。1940年代後半から50年代前半に生まれた人の中のある者は,どこかで長嶋茂雄と出会っていて大滝さんや糸井さんのようにミスターを尊敬することになる。1960年周りで生まれたぼくにとってはミスターに当たる存在が音速の貴公子アイルトン・セナである。ぼくより少し下の世代であればキング・カズ(三浦知良)になるのだろう。確かにミスターや貴公子やキングはそれに興味の無い人にとっては異称に過ぎない。この当事者意識(別の言い方であれば湯川れい子のエルヴィスだったり,かなり多くの人にとってのビートルズであったり,それよりは少ない人にとってのピストルズだったりジョイ・ディヴィジョンだったり,ヒップ・ホップやグランジだったりするのだろう。

TRUTH (安藤まさひろ)


☆ このライブ演奏を見ていると,それぞれのミュージシャンが自分の音にかなり集中しているのが分かる。そんなの当たり前だろと思うかもしれないが,安藤まさひろを筆頭にその集中の度合いが凄いのである。単にノリでやっているのとは違う。トランスして踊ってる人たちもさぞかし気持ち良かっただろうと思う。それくらい高いカタルシスをもたらしているのは演奏の集中度が並のものじゃないからだろう。

☆ バブルという時代は明らかに過剰に発散した時代であり,どこまでのこのバカ騒ぎができるか(嫌なたとえだがある種の薬物の過剰摂取を彷彿させる。だからいまだに蛇蝎の如く扱われるのだろう)という時代でもあった。災難なのはそういう環境になかった(早く生まれ過ぎて/まだ生まれていなくて/何も享受することなく時代に翻弄だけされて)人達だけれど,そういう非情さこそが「時代性」であるのだと思う。

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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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