2017-08

朱夏(その2) 「嵐の季節」 (甲斐バンド 1978年10月5日=アルバムリリース)




「嵐の季節」 (作詩・作曲:甲斐よしひろ)



☆ ライブで叩き上げてきたミュージシャンは絶対的に強い。70年代の日本ではそんなミュージシャン達がごろごろしていた。しかもマネージメントが近いところに集まっていて,それはこの国のショウビズを歌謡曲からニュー・ミュージックを経てJ-POPに移動させる原動力となった。そのラインにいたミュージシャンは井上陽水であり忌野清志郎であり浜田省吾であり山下達郎であり,そして甲斐よしひろだった。このラインの背景にひとつの事務所が浮かんでくるが,今さらショウビズの話はしない。なぜなら名前を挙げたミュージシャン達は全て浮き沈みはあったがライブで徹底的に鍛えられ(生きている者は皆)現役のミュージシャンであるからだ。

☆ フォークブームの掉尾を飾るように上京しヒット曲にも恵まれたものの,一時的なブームの後で長いロードで鍛え上げざるをえない時代を越え,ようやく手応えを感じ始めた時,本当のスポットライトが注ぎ込む。それはフォークがニュー・ミュージックとパッケージを変えることで音楽のあり方を変えることを求められる代わりにシーンへの切符を次々に渡されるという状況だった。もともとの「フォーク・ブーム」とは関係無いところから音楽を目指した者達は,語るべき言葉と音を用意しシーンの中に堂々と乗り込んでいく。それは短かった春の次にやって来る「夏の時代」だった。

☆ 誰とは書かないが,この時代にデビューしたある作家のことを思い出す。上目で睨みつける顔を肖像写真に使っていたのは彼が描く小説の世界と濃密な関係があったのだろうが,その地べたからの視線(目線?そんな「へたれたコトバ」は当時存在しなかった)は世の中を捉まえようとする作家の強烈な意思を感じさせた。そういう人は当然今も現役で怒涛の如く書き続けているし,近影をみても本質は変わらない視線に相変わらず射竦(すく)められることになる。

☆ この世界に似ているのだ。このアルバムに流れる甲斐よしひろの視線あるいは視点が。それは明らかに自分の目の前に来た夏を捉まえんとする視点である。この意思があってCMのタイアップは成功を約束されたのであろう。しかし大事なのは露出の機会ではなく,捉まえる意思の強さなのである。

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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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