アッシ―とメッシ―はどこに?
☆ 2010年代に「デートマニュアル」などというものがあるのかどうか知らない。四半世紀近く前のバブル時代だってマニュアル追従「レーダーマン(戸川純^^;)」が女の子の笑い者だったのは事実だし,男と女の場にそれを持ち込んで一発で関係が終わった例なんて掃いて捨てるほどある(爆)。でも前回見たようにイタ飯の知識を自分の舌で会得し親と共有で分不相応なハイソ・カーか,せいぜい脱臭装置で煙草の臭いを消した親父のマークⅡ(X70系など)を用意し,いそいそと白馬の騎士気取りでアッシー君の栄誉に浴した若者は少なからずいたと思う。
☆ でもどこかの美容整形外科ではなく(笑)この時代から「いつか王子様が」と本気で考えていた夢子さんは圧倒的少数派で,バブルのプールをすいすいと泳ぐ皆さんは顎足の不自由なく泳いでいた。それが全てのように思われても困るが(苦笑),一方でそういう揶揄にも拘らずアッシー・メッシーに甘んじた男の子もそれ相当存在したということだ。そういえばバブル末期のビジネスに今のウーバーに近いクルマの時間貸サービスがあった。要するにレンタカーナンバーの「わ」や「れ」でない外車(ポルシェ,フェラーリ,メルセデスなど)を用意して1日オーナーとして貸し出すサービスだっだ。
☆ ユーミンの記述は酒井順子に先を越されており,迫力がない(笑)。確かに『ディライト・スライト・ライト・キス』(1988年11月26日)あたりのインタビューで,彼女はこの本が記しているようなリサーチの後「鶴の巣籠(ごも)り状態」を経て作品に仕上げるということを話していたような気がする。ただ「プロジェクト・ユーミン」としては,『サーフ&スノー』から一貫してリゾートというコンセプトにあり(ホイチョイより早い),バブルに関しては時代の方が追いついた感が強い。だけど彼女の賢いところはオーディエンスと共に成長するという姿勢を90年代まで捨てなかったところにある。それは彼女が若かったころからそういう「跳ねっかえった」部分をベースに持っていたからではないか。彼女は絵空事は書いていないし,ましてや煽ってもいない。それは今でも本質的に変わってないと思う(それにしても酒井順子はもう少し彼女の「曲も聴いて」本を書いてほしかった)。
☆ むしろバブルならリゾートマンションであり日本ではほぼ徒花と化した感のある「コンドミニアム」の盛衰についても触れてほしかった(もっともこれはバブルより「バブル崩壊後」のテーマだったかもしれない。
「女ぎつねon the Run(Original‘‘Big Bowl’’Version)」 (BARBEE BOYS 1987年9月9日=アルバムヴァージョン)
PS.
☆ いまみちともたかが,無意識の中でバブルの本質に触れていることは,バービーボーイズが90年代を乗り越えられなかったという皮肉な事実によっても証明されるかもしれないが,彼らについては別に触れたい。ところで最近映画にもなったこの話(2006年3月刊)は明らかにバブル時代あるいはその直前を描いている。
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☆ それとこの章に出てくる女子の典型と思われる人物のその後を描いたような作品はこんなところにもある。
☆ この世代のオヤジ達の世代は「戦後強くなったのは靴下と女だ」とハラスメントな愚痴を宣(のた)っていたのだが,この曲の中で杏子が「もう結構」と切り捨てた瞬間に,この「ハラスメントな愚痴」は世代間バトンパスを終えたのだろう(自爆)。
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テーマ:Musically_Adrift - ジャンル:音楽