2017-05

「Ain't No Mountain High Enough」(Marvin Gaye & Tammi Terrell 1967年4月20日)


ユナイテッドユナイテッド
1,028円
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☆ 「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」は,アシュフォード&シンプソン(Nickolas Ashford & Valerie Simpson)のペンによる作品で世に知られたヴァージョンは1970年7月16日リリースされたダイアナ・ロスの熱唱(同年9月19日付全米No.1)だが,オリジナルはモータウン史上最高のデュエットだったマーヴィン・ゲイとタミー・テレルのヴァージョン(1967年4月20日リリース)だ。
Ain't No Mountain High Enough (Nickolas Ashford & Valerie Simpson)



☆ Wikipedia(英語版)を見るとアシュフォード&シンプソンは英国のソウル・シンガーであるダスティー・スプリングフィールドからのオファーを断り,彼らの本拠であるデトロイトのレーベルにこの曲を売り込んでいた。この曲を歌った時マーヴィンは28歳,テレルは22歳になろうとするところだった。そして彼女にとって事実上のデビューアルバムがマーヴィンとのデュエット・アルバム『ユナイテッド』であり,1枚のソロアルバムを除き彼女の短いキャリアは常にマーヴィンとのデュエットにあった。

☆ 彼女は癌(脳腫瘍)で亡くなった。僅か24歳の文字通りの夭折だった。

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「You Never Knew Me」 (Magazine 1980年5月=アルバムリリース=)




You Never Knew Me
(Adamson/Formula/Devoto/McGeogh/Doyle)



I don't want to turn around
ぼくは別に物事をひっくり返そうと思ってる訳じゃないんだ
And find I'd got it wrong
ましてそれをより悪くしようなんて
Or that I should have been laughing all along
あるいはその事実にただ苦笑いし続けるような羽目になるなんて
You're what keeps me alive
君がいるから今のぼくがあるというのに
You're what's destroying me
その君が今やぼくの存在を壊し続けている
Do you want the truth or do you want your sanity?
君は真実って奴を知りたいのか,それともまともで居たいだけなのか?

You were hell
君は酷い状況だった
And everything else was just a mess
君の周囲にあった全てがメスのように君の心を切り刻んでいた
I found I'd stepped into the deepest unhappiness
ぼくは自分がとんでもないどつぼに嵌まりつつあるあることは分かっていた
We get back, I bleed into you
ぼく達は元に戻らなければ,君の心に息吹を吹き込まないと
Thank God that I don't love you
おお神様,ぼくは君のことが好きじゃないのさ
All of that's behind me now
いまぼくの背後にあるもののすべてが
Still seems to be above you
いまだに君の上に留まっているかのようだ

I don't know
ぼくは分からないよ
I don't know whether I ever knew you
自分が君のことをキチンと分かっていたのかどうか
But I know you
でもぼくは君のことが分かっている
I know you never knew me
ぼくには分かる。君がぼくのことを決して理解しようとしないことが
I don't know
どうしてだかは分からない
I don't know whether I ever knew you
ぼくが君のことをちゃんと分かろうとしていたのかどうか
But I know you
でもぼくには君のことが分かる
I know you never knew me
ぼくには分かる。君が僕のことを決して分かろうとしないことが

Do you want to
君はどうなんだ

Hope doesn't serve me now
望みの糸もいまや断たれてしまった
I don't move fast at all these days
ぼくはここのところ物事を急がせるような気持ちはすっかり消えてしまった
You think you've understood
君はたぶん分かっているつもりなんだろう
You're ignorant that way
でも君はそういうやり方については全くの無知なんだけれどもね

I'm sorry, I'm sorry, I'm sorry
ぼくが悪かったんだ,そうぼくのせいさ,本当に済まなかった
I'm sorry I can't be cancelled out like this
ぼくがすべての物事をこういうふうに帳消しにできなかったのは悪かった
We had to kill too much
ぼく達はあまりにもお互いを傷つけあってきた
Before we could even kiss
ほんの仲直りのキスをする前にさえ

I don't know
ぼくは分からないよ
I don't know whether I ever knew you
自分が君のことをキチンと分かっていたのかどうか
But I know you
でもぼくは君のことが分かっている
I know you never knew me
ぼくには分かる。君がぼくのことを決して理解しようとしないことが
I don't know
どうしてだかは分からない
I don't know whether I ever knew you
ぼくが君のことをちゃんと分かろうとしていたのかどうか
But I know you
でもぼくには君のことが分かる
I know you never knew me
ぼくには分かる。君が僕のことを決して分かろうとしないことが

Do you want to
君はどうなんだ
Do you want to
Do you want to
Do you want to
Do you want to
Do you want to

Songwriters
BARRY ADAMSON, DAVID TOMLINSON, HOWARD DEVOTO, JOHN MC GEOGH, JOHN E DOYLE
※DAVID TOMLINSONはDave Formulaの本名。

☆ イギリスのバンド,マガジン(Magazine)1980年発表の最高傑作『ザ・コレクト・ユース・オブ・ソープ』の頂点にある作品。「石鹸の正しい使い方」はアルバム内の別の曲に出てくる(笑)。石鹸が意味するモノは米国流の「ソープ・オペラ(昼メロ)」であり,その文脈からはこの曲が一番しっくりくる。

☆ このアルバムのコンセプトは「この時代に悩まされている人々」についての考察であると思われる。だからスライの「サンキュー」があったり,フョードル・ドストエフスキーの影響下にある「ア・ソング・フロム・アンダー・ザ・フロアボーズ」でLPが締めくくられていたりするのだが,この曲に焦点を絞れば「人が人と分かりあうことの難しさ」になると思う。それは単に冷めかけた恋人や夫婦の話ではなく,もっと普遍・一般的な感じがする。


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いやなものはいやだ






☆ 音楽は音楽としてあって欲しい。なんだか訳の分からないことの目的や標的に音楽を使うことは嫌だ,いやだ,すごく嫌だ。音楽を解放してくれ,音楽を自由にしてくれ,音楽を楽しむぼくたち全員を自由にしてくれ,あんたたちの訳の分からない標的から永遠に自由にしてくれ。


I think Linda's pronunciation of 横浜 is PERFECT !

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「Misty」 (Erroll Garner Covered by 松原みき 1984年10月21日=アルバムリリース)


初出:2010年8月9日
Miki Matsubara (Nov.28 1959 ~ Oct.7 2004)

BLUE EYESBLUE EYES
(2009/01/21)
松原みき

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「Misty」(From the Album『Blue Eyes』Released Oct.21 1984)



2017年5月26日付記
☆ 「ミスティ」はアメリカのジャズ・ピアニスト エロール・ガーナー(1923.06.15~1977.01.02)が1954年12月に発表したアルバム『Contrasts(コントラスツ)』に収録された作品。これにジョニーバークが詩をつけてジョニー・マティスが1959年9月にシングルとして発表し全米最高12位を記録するヒットとなり,やがてジャズのスタンダードの1曲となったもの。Wikipedia英語版にあるこの曲のカヴァーを見るとエラ(フィッツジェラルド)やサラ(ヴォーン)はこのシングルが出た59年に早くもカヴァーしており,その他にもアンディ・ウイリアムズやフランク・シナトラなど錚々たる面々が載っている。みき姐の名前は残念ながら無かったが(誰か編集乞う^^;),なぜか川上つよしと彼のムードメーカーズ(フィーチャリング 中納良恵 [EGO-WRAPPIN'] の2010年10月27日リリース『moodsteady』からのカヴァーが載っている(苦笑)。

☆ 「ミスティ」と出だしの3音が全く同じ音という曲がスタンダードにある。「ひき潮(Ebb Tide)」。この曲の英語版Wikipediaではこう記されている。

> The first three notes are identical to the first three notes of the Erroll Garner song "Misty" (1954).

☆ これは昔々「サウンド・イン S」でもネタに使っていたのを見たことがある(あの時はハネケン(羽田健太郎)さんがピアノ弾いてなかったかな?)。「ひき潮」は1953年にロバート・マクスウエルの曲にカール・シグマンが詩を書いたもので,最初はインスト版(下のYouTube参照。どこかで聞いたことないですか?)が出たが,有名なヴァージョンは1965年のライチャス・ブラザーズ盤である。

Ebb Tide(ひき潮) (Frank Chacksfield & His Orchestra 1953年)



Ebb Tide(ひき潮) (The Righteous Brothers 1965年)



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「Still Crazy After All These Years(時の流れに)」 (Paul Simon 1976年3月26日)


初出:2004年11月18日(本ブログ初出:2006年9月23日)

☆ そこは,およそ「音楽」の話題などお呼びでない「場所」だった。
それなのに「彼」は確信して、そんなHNを使っていた。
それが面白くて,しばらく彼の話を聞いていた(正確には「見ていた」)。

☆ 彼の話が結論じみたものになってきたので,チョッとだけ狙いをつけて、コメントを入れた。
もちろん,本題絡みの話を入れた後にさりげなく。

☆ さすがに気付いたらしい。返事が振るっていた。
「こんなところで,こういう話が出来るとは思わなかった。
貴方のような読者がいるから,○は面白い。」
いいえ,こちらこそ。お互い様,かもしれないね。

☆ でもまあ,今となってはこの曲のような話だが。

☆ 遊びの時間は簡単には終わらなくても, 人生の砂時計は既に一度ひっくり返されていることを知る頃になって, 「あの頃」とかいう幻とどうやってつき合っていけばいいのやら, 苦笑いしながらウイスキィ片手にサイモンの歌を聴くのも良さそうな秋の夜長だ。

2011年12月7日
時の流れに(紙ジャケット仕様)時の流れに(紙ジャケット仕様)
(2011/11/23)
ポール・サイモン

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☆ 『時の流れに』はポール・サイモンが久々に旧友アート・ガーファンクルと共演した「My Little Town」が話題になり(ただしこのアルバムのことがきっかけでアートはポールと暫くの間仲違いしていたそうだ)「恋人と別れる50の方法」はそれ以上のヒットとなった。しかしアルバムタイトル曲のこの曲こそが1975~76年のポール・サイモンを真に代表する曲のように思える。



☆ 日本で放送されたBBC製作の彼の75年のライブ。訳詩がついているので曲の雰囲気を味わうにはもってこいかもしれない。直ぐ前に「恋人(ニュアンス的には恋人というよりは「愛人」なんだが)と別れる50の方法」なんて曲を出しておきながらこの歌詩は何だろうね(笑)。でもこの曲は男女のことを歌っている形になっているが,それに仮託したのが旧友であるアート・ガーファンクルとの縁だったとすれば,また違った感慨を持ってしまうかもしれない。しかしデヴィッド・サンボーンの若いこと(36年前なんだから当たり前だけど=汗;)。

2017年5月24日追記
☆ 最初に載せた話は完全にプライヴェートな話。この時期のサイモンの別の曲名を捻ったタイトルのお話だったけれど,それに気付いたギャラリーが皆無でそのため話も空転していて,そろそろお開きが近いと感じたので,まあ人生はStill Crazy After All These Yearsでありますなあ みたいなことを書き込んで上に記した暖かい返事をいただいたというお伽噺。

☆ 後の方はもう少し曲のことも触れなくちゃと思って書き始めたものの,大した展開も見せずに尻切れトンボで終わってしまったという粗製乱造期の典型的なパターン。もっとも偶然見つけたYouTubeをよく見ると(というか聴こえる音で分かってしまうが)キーボードは(リチャード・)ティーのようだし,何となくエリック・ゲイルみたいなギタリストもいるし(笑)この時代のサイモンが東海岸で産み出していたグルーヴが何となく伝わってくる感じがする。ただ興味深いのは,このシングルじたいはマッスル・ショールズのリズム・セクションを導入していて,フェンダー・ローズを弾いているのはバリー・ベケットだし,サックスはマイケル・ブレッカーだったりする(Wikipedia日英版で確認)。



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「There, There, My Dear」 (デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ 1980年)



初出:2007年3月13日 をベースに加筆改稿。

☆ そいつらは2トーン・ムーヴメントが終息し始める頃にやってきた。2トーンはイギリスとそのカリブ海の植民地だったジャマイカとの関係線上に起きたムーヴメントの第2世代だった。ここで第2世代と言える理由はその萌芽が既に60年代にあったからだ。いちばん分かりやすいのはビートルズが「オ・ブ・ラ・ディ・オ・ブ・ラ・ダ」でカリプソを取り上げたことだが,例えばマッドネスがファースト・アルバムで敬意を表しているプリンス・バスターやむしろ70年代前半の活動が圧倒的に有名なボブ・マーリィなどの存在があったからだ。しかも帝国主義国たるイギリスは「受け入れるが同化させず放っておく」(佐藤優の指摘)のでジャメイカン・コミュニティがブリクストンとかそういう場所で落ち着く。その辺の暴動に関してはクラッシュのファースト・アルバムのジャケット(裏面)などを見れば分かるし,だから彼らはのこのことジャマイカに行って,酷い目に遭ったと「セーフ・ヨーロピアン・ホーム」のような曲を書く一方で「ブリクストンの銃」みたいな曲も書いている。

☆ 2トーン・ムーブメントじたいは,そうした英国特有の人種や階級の問題を背景にした部分もあった(その代表作がスペシャルズの「ラット・レース」であることは言うまでもない)が,デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズはむしろ60年代のノーザン・ソウルなどの影響を強く受けており,むしろ英国におけるソウル・リヴァイヴァル的な側面が強い。デキシーズが取り上げたジーノ・ワシントンの60年代作品を聴いてみたが,確かにこれはアトランティック・クロッシングした60年代ソウルそのものだった。それを単に復刻するのではなく,「ニュー・ソウル・ヴィジョン」の旗を立てようというケヴィン・ローランドの試みは,時勢の応援もあって本人の思った以上に成功を収める。それは同時にプレス連中の格好のターゲットとなり,デキシーズはデビューアルバム発売に前後して有名なプレス拒絶宣言を出すことになる。その経緯は興味深いところであるが資料(原文)がどこかに消えてしまったので今は記せない(悲)。

There, There, My Dear (Kevin Rowland / Kevin Archer)
全英最高位7位


=ケヴィンの科白の部分のみ訳す=
You see Robin,
分かってくれるかい,ロビン。
I'm just searching for the young soul rebels,
僕はただ若いソウルミュージックの反逆児達を探し続けていたんだ
and I can't find them anywhere.
だけど,そんなヤツ,どこにも居やしなかった
Where have you hidden them?
ヤツらを一体どこへ隠しちまったのさ?
Maybe you should welcome the new soul vision.
でも,おそらく君は
この新しいソウルミュージックの世界を歓迎してくれるだろう
welcome the new soul vision...
新しいソウルミュージックの世界を歓迎してくれるだろう。。。

☆ 天才,ケヴィン・ローランドはここまで成功していた第1期デキシーズをあっさり反故にして,ケルティック・ソウルなる第2期に突入していく。そこでは有名な「カモン・アイリーン」の奇蹟(ワンダー)が起きるが,そのことをぼくの前であまり強調しない方がいいと思う(×××××たくなかったら)。


☆ ちなみにデキシーズが起こしたソウル・リヴァイヴァルの中でQ-Tipsを率いて登場したのがポール・ヤングで,おそらくこのムーヴメントで最も成功したのは彼だろうと思う。

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「Saturday in the Park」 (シカゴ 1972年7月)



シカゴVシカゴV
1,512円
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Saturday in the park (Robert William Lamm)



Saturday in the park
土曜の午後の公園のことだった
I think it was the Fourth of July
あれは独立記念日(7月4日)だったかな
Saturday in the park
とにかく土曜日に公園に行ったのさ
I think it was the Fourth of July
7月4日のことさ
People dancing, people laughing
人々は踊ったり,笑みを交わしたりして
A man selling ice cream
アイスクリーム売りも出ていたっけ
Singing Italian songs
そいつはイタリア語で歌ってるんだ
Eh cumpari, ci vo sunari
なんたら,かんたら
Can you dig it (yes, I can)
あの唄,訳せるかい(まあ,できなくもないか)
And I've been waiting such a long time
そんな具合で,ぼくはずっとそこに立っていたのさ
For Saturday
平和な土曜日を過ごすために

Another day in the park
公園に行ったのはそれとも別の日だったかな
I think it was the Fourth of July
でもやっぱり独立記念日(7月4日)だった気がする
Another day in the park
もしかしたら別の曜日だったかもしれないけど
I think it was the Fourth of July
ともかく7月4日に公園に行った時のことさ
People talking, really smiling
人々は語らい,本当にニコニコしていた
A man playing guitar (play a song, play a song, play on)
ギターを演奏している奴もいた(ある曲を演奏し,別の曲に移り,そんな感じでずっと弾いていた)
Singing for us all (singing for us)
ぼくたちがその歌を一緒に歌うために(ぼくたちのために)
Will you help him change the world
その歌声で彼が世界をほんの少しでも動かせるようにと
Can you dig it (yes, I can)
君もやってみたいかい(たぶん,するんじゃないの)
And I've been waiting such a long time
そんな具合でぼくはずっとそこで過ごしていたのさ
For today
今日,この日のためにね

Slow motion riders fly the colours of the day
スローモーションのライダー達はその日の色に染めながら飛んでいき
A bronze man still can tell stories his own way
日灼(や)けした男は彼のやり方で同じ話をまだ続けている
Listen children all is not lost, all is not lost
子供達よ聞きなさい,まだすべてが失われたわけじゃない,すべてが失われたわけじゃない

Oh no, no
ああ,なんて,ことだ

Forty days in the park
40日の間,公園では
And every day's the Fourth of July
毎日が独立の日のようで
Forty days in the park
40日もの間,公園では
Every day's the Fourth of July
毎日が独立記念日のような感じで
People reaching, people touching
人々は手を伸ばし,お互いに触れながら
A real celebration
本当の祝祭を感じていた
Waiting for us all (waiting for us all)
ぼく達みんなを待っているかのように(待っているかのように)
If we want it, really want it
もしそれを望んでいるのなら,本当に望んでいるのなら
Can you dig it (yes, I can)
そうやってみるかい(まあ,出来るとすればね)
And I've been waiting such a long time
そんな具合でぼくはずっとそこで待っていたのさ
For the day
その日が来ることを
Yeah, yeah, yeah
ああ,そう,だよ

全米最高位3位(ビルボードHot100),カナダ2位,全豪43位

PERSONEL
Robert Lamm – lead vocals, piano
Peter Cetera – lead vocals (chorus), backing vocals, bass
Terry Kath – electric guitar, backing vocals
Lee Loughnane – trumpet
James Pankow – trombone
Walter Parazaider – alto saxophone
Danny Seraphine – drums, congas

英語版Wikipediaより
The line "singing Italian songs" is followed by "Eh Cumpari" and then Italian-sounding nonsense words, in the studio version of the song, rendered in the printed lyrics as "?". Piano, guitar, and vocal sheet music arrangements have often read "improvised Italian lyrics" in parentheses after this line. However, in a film of Chicago performing "Saturday in the Park", at the Arie Crown Theater in Chicago, in 1972, Robert Lamm clearly sings, "Eh Cumpari, ci vo sunari," the first line of a song known as "Eh, Cumpari!", which was made famous by Julius La Rosa in 1953.



Notes:ウォーターゲート事件
1972年6月17日にワシントンD.C.の民主党本部で起きた盗聴侵入事件に始まったアメリカの政治スキャンダル。1974年8月9日にリチャード・ニクソン大統領が辞任するまでの盗聴、侵入、裁判、もみ消し、司法妨害、証拠隠滅、事件報道、上院特別調査委員会、録音テープ、特別検察官解任、大統領弾劾発議、大統領辞任のすべての経過を総称して「ウォーターゲート事件」という。

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ソングライター・チームの変遷(その2)


イースト・サイド・ストーリー(紙ジャケット仕様)イースト・サイド・ストーリー(紙ジャケット仕様)
(2007/04/25)
スクイーズ

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初出:2010年9月23日 (歌詩表示のみ)

2012年1月31日
☆ 今でこそスクィーズの代表曲になっているこの曲だが,当時は全く売れていない(全英41位,カナダ45位,全米49位,全豪90位,日本に至ってはシングルはおろかアルバムすら当時は未発売)。既にニュー・ロマンティックやファンカラティーナといった新しいポップにニューウエーブが移行しつつあったことも背景にある。ただ流行色の強いブームが去るとこういう曲が「発掘」されるのは良くある話で,この曲もそうやって再評価された。

☆ リード・ヴォーカルは当時スクィーズに加わっていたポール・キャラック。2番の途中に入るヴォーカルはこの曲とアルバムのプロデューサーでもあったエルヴィス・コステロと曲の作者でもあるグレン・ティルブリック。また,バックコーラスはコステロと当時ソロ活動を始めたばかりのポール・ヤング(と英語版Wikipediaのこの曲の解説に書いてあった)。

☆ こうして彼は悔い改めるのだが...というのがこの歌詩(下記参照)。ディフォードとティルブリックが「80年代のレノン/マッカートニー」の異名を取った時期の名作のひとつだ。

2013年7月16日
☆ スクィーズ(Squeeze)の第4作『イースト・サイド・ストーリー』は,LP時代は国内盤すら出なかった。数年前に紙ジャケットで発売された時に逃さず手に入れて本当に良かったと思っている(笑)。アルバムの3曲目に入っている「Tempted」はシングル・カットされたが大したヒットにならなかった(UK #41, Canada #45, US #49, Australia #90)。

☆ この曲のオリジナルは,当時スクィーズのキーボードを担当していたポール・キャラックがリード・ヴォーカルを取っていた。しかし程なくキャラックはスクィーズを脱退(その後一時的に復帰するも再度脱退)し,グレン・ティルブリックが代わりに歌っている。

☆ Wikipediaのこの曲の項を見ると,シングル・カットした時点ではヒットしなかったこの曲だが,その後いろいろな使われ方をしている。バーガーキングやハイネケンはCMソングに使用し,ビデオゲーム(テレビゲーム)の「Grand Theft Auto: Vice City(2002)」や「Rock Band(2007)」に使われている。You Tubeを見る限り,その事がこの曲の評価を歪めているとしか思えず,心が痛む。

☆ アマゾンのレビュアーの多くが指摘しているように,このアルバムはスクィーズの最高傑作と言って良く,その象徴のような佳曲がこの曲だと思う。


2014年5月19日

East Side StoryEast Side Story
(2006/06/22)
Squeeze

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Tempted (Glenn Tilbrook / Chris Difford)


I bought a toothbrush, some toothpaste
歯ブラシと歯磨き粉を買ったんだ
A flannel for my face
顔を拭くフランネルのタオルや
Pyjamas, a hairbrush
パジャマやヘアブラシも買った
New shoes and a case
新しい靴や鞄もね
I said to my reflection
鏡に映った自分にこう言った
Let's get out of this place
さあ,ここから出て行こう

Past the church and the steeple
教会の尖塔の前を通り抜けるのさ
The laundry on the hill
丘のところにある洗濯屋の前を過ぎて
Billboards and the buildings
広告看板やら建物の前を過ぎる頃に
Memories of it still
むかしの記憶がまだ
Keep calling and calling
ぼくのことを呼んでいるだろうが
But forget it all
全部忘れてしまえ
I know I will
そうした方が良いのは分かってるのさ

Tempted by the fruit of another
愚かにも誘惑の果実を口にして
Tempted but the truth is discovered
誘惑された。その事実が明るみにされた
What's been going on
何をどう続ければいいというのか
Now that you have gone
今や君は立ち去ってしまった
There's no other
そこには誰も残っていない
Tempted by the fruit of another
愚かにも誘惑の果実を口にして
Tempted but the truth is discovered
誘惑されただけ。でも,その事実だけが残ったのさ

I'm at the car park, the airport
空港の駐車場に来た
The baggage carousel
手荷物検査場では
The people keep on crowding
人々がいつものように群がっている
I'm wishing I was well
ぼくは自分がもう少ししっかりしてたらと思っている
I said it's no occasion
ぼくは言った。なにも起っちゃいないのさ
It's no story I could tell
きみに言い訳するような話は無いんだよ

At my bedside empty pocket
ぼくのベッドの脇はからっぽのポケットだし
A foot without a sock
足は靴下すら履いていない
Your body gets much closer
きみの身体がもっと近づくと
I fumble for the clock
ぼくは思わず時計に手を伸ばしそうになる
Alarmed by the seduction
誘惑された不安に囚われてしまって
I wish that it would stop
その警告音が止んでくれればと思ってしまう

Tempted by the fruit of another
愚かにも誘惑の果実を口にして
Tempted but the truth is discovered
誘惑された。その事実が明るみにされた
What's been going on
何をどう続ければいいというのか
Now that you have gone
今や君は立ち去ってしまった
There's no other
そこには誰も残っていない
Tempted by the fruit of another
愚かにも誘惑の果実を口にして
Tempted but the truth is discovered
誘惑されただけ。でも,その事実だけが残ったのさ

I bought a novel, some perfume
ぼくは小説本と香水を買った
A fortune all for you
君に幸運が届きますようにと
But it's not my conscience
でもそれはぼくの良心からのものじゃなかった
That hates to be untrue
不実だと嫌われるだけのもの
I asked of my reflection
ぼくは鏡に映った自分にこう問いかけるだけ
Tell me what is there to do
ぼくはこれからどこでどうすればいいんだ

Tempted by the fruit of another
愚かにも誘惑の果実を口にして
Tempted but the truth is discovered
誘惑された。その事実が明るみにされたのだ
What's been going on
何をどう続ければいいというのか
Now that you have gone
今や君は立ち去ってしまった
There's no other
そこには誰も残っていない
Tempted by the fruit of another
愚かにも誘惑の果実を口にして
Tempted but the truth is discovered
誘惑されただけ。でも,その事実だけが残ったのさ

Tempted by the fruit of another
愚かにも誘惑の果実を口にして
Tempted but the truth is discovered
誘惑された。その事実が明るみにされたのだ

(Repeat 4 Times and Fade away)



2017年5月19日付記

☆ スクィーズはニューウエイブ・ムーブメントの中でエレポップに近い位置でスタートしたが,本質はキンクスに通じるイギリス人らしいひねりの効いたメインストリーム・ロックだと思う。だからエルヴィス・コステロが彼らをプロデュースするというのはピッタリはまっていると思う(少なくともトッド・ラングレンがXTCをプロデュースしようとしてアンディー・パートリッジと揉めに揉めるなんて話よりは(〃▽〃))。

☆ 上にも書いたように,ディフォード/ティルブリックは80年代のレノン/マッカートニーとまで言われたのだが,日本ではどこで間違ったのか「通好みロック」の列に並ばされてしまい,それでも熱心なファンがいれば来日も出来るわけでそれはそれで目出度い話なのである(苦笑)。スクィーズが通好みで終わったのは彼らがバンドのためのソングライター・チームであったことが最大の原因だろうと思う。


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「1984年の歌謡曲」考(その2 P.217まで)【修正有】




☆ 著者に倣って個人史を書いてみると,このヒトより小学校1個分くらい年上であるぼくは,1983年に就職のため関東地方に行った。イメージは長渕剛「とんぼ」みたいなものである。84年は企業人として2年目ですでに化けの皮は大半剝れた丁稚奉公中といったところか。いま思えば1983年ころの自分を見れば今で言う「意識高い系」の成り損ないのような山出しの田舎者が見えるだろう。でもこの本に挙げられている吉幾三の曲で言えば「俺は田舎のプレスリー」みたいなもので,他人からはあからさまに見えるのに本人だけが見ようともしない部分の塊だった。

☆ 1984年といえば学生の頃は無邪気にアイドル歌謡からニューウエイブまで聴き漁っていた(ただし自分の趣味の範囲内で)が,給料が入るようになりレコードを買うお金は増えたが,その代わりに時間が圧倒的になくなってしまい(寮暮らしだったが,別の部署の先輩との二人部屋。しかも平日の残業は2時間が当たり前),必然的にヒット曲を追いかけるのは無理ということになっていく。だからこの年の終わり頃までで松田聖子や中森明菜を買い続けるのも止めていたし(その割にはXTCとかそういうのは渋谷とか吉祥寺とかまで買いに行くのだった=苦笑=),もともと興味のない曲は聴いていない(チャート番組を見る時間もなくなった。部屋の先輩のテレビを独占するわけにはいかないし)。だから今読んでみても「何とも言えない」曲も多い。そこで自分のコメントできる曲だけ選んで書いていくことになる。

特別編Ⅱ 1984年までの松本隆
☆ 「ベタ松本」から「シュール松本」へという著者の個人研究の着眼点は評価できる。だけど「はっぴいえんど」至上主義を引き摺り過ぎているように思えてならない。はっぴいえんどの中での松本,大滝両者の相克が(ヘーゲルの形だけ借りると)アウフベーベンして『A LONG VACATION』に繋がったというステロタイプ(ステレオタイプ)な理解の範囲を超えていないと思う。
☆ 途中で角川春樹の話が出てきて,角川が松本隆がプロデュースした南佳孝のデビューアルバム『摩天楼のヒロイン』を絶賛しているエピソードが記されている。角川はトータル・アルバムとしての『摩天楼のヒロイン』に強い印象を持ち,南がCBSソニーに移って出した『忘れられた夏』で彼を再び見出した。その繋がりが片岡義男原作,浅野温子主演映画『スローなブギにしてくれ』の主題歌に繋がっていく過程は,81年にあった南のコンサートツアー『SILKSCREEN』の冊子で角川自身が書いている。
☆ はっぴえんど から「夏色のおもいで」(チューリップ)や「ポケットいっぱいの秘密」(アグネス・チャン)に移行する70年代中盤の松本は著者の言う「ベタ」でもなければ「シュール」でもない(敢えて言えば前者が前者で後者が後者だ)。評論として割り切る部分があることは理解しているし,ここに書かれているように移行期というものは誰にでもある。だからこそ「シュール」な松本隆が本当に「シュール」だったと言えるのか?フォークに寄り添うアイドル歌手だった太田裕美に76年の時点でいわば四畳半ソングである「しあわせ未満」を書くことは,そのこと自体が「シュール」ではないのか?それは1979年でも84年でもないと反論されれば,返す言葉もないが,まあそういう感想を持ってしまうのである。

#22 薬師丸ひろ子 「メインテーマ」
☆ この評価は「Woman」の前振りのような気がしないでもない。著者も理解しているようにこれは初めから薬師丸と南の二つのヴァージョンを作ることが前提となっていた。だからこの2曲は対で考えないといけない。松本隆も大村雅朗も当然それを前提にしているから「女物=メインテーマ」は,やや受け身のシックに作り,「男物=スタンダード・ナンバー」は,当時の南の志向を反映してアグレッシヴに作っている。

#23 高橋真梨子 「桃色吐息」
☆ 三貴のことばかり延々と描いているので,最近出たこの本を思い出した。


☆ そうじゃなくて曲について語るのに,どうして作曲家の佐藤隆や編曲者の奥慶一の名前がクレジット以外で出てこないんだ?こういう片手落ちが多過ぎるのである。彼は佐藤隆の「北京で朝食を」とか「マイ・クラシック」とかちゃんと聴いているのだろうか?明らかにこれら佐藤作品の線上にこの曲はあり,一方の高橋真梨子には「for you...」から「はがゆい唇」に伸びていく線があって,その交点にこの曲があることは明白であるのに。そういうことが作品評価じゃないのか?じつに面妖な批評である。

#26 小泉今日子 「迷宮のアンドローラ」
☆ この曲が決まった頃,小泉今日子が「やっとまともな曲が歌える」と周囲に話していたという話を聞いたことがある。前回触れた髪の件も,著者の言葉に直せば「自らの内的衝動に正直」ということだろうが,覚悟してショウビズに来たものの,お古やイロモノ路線ばかり「当てがわれてきた」と感じていた彼女のフラストレーションが,やがて自己プロデュース戦略を考えるスタッフ(例えば秋元康とか)とのコラボレーションの中で「自らをアイコン化する」という方向性をようやく得たことを示しているのだと思う。KYON2というコンセプトはまさにそうだ。
☆ 確かにデビュー時から彼女はキョンキョンだったが(笑)それをKYON2と書き換えたところでアイコンとしての小泉今日子が誕生した。Wikipediaの小泉今日子の項目には「1984年頃から大きなタイトル(レコード大賞や有線放送大賞など)をも辞退するようになり、我が道をゆくアイドルになった。」と記されているが,この曲を歌ったことで小泉今日子は歌手としてのけじめをひとつ付けたのだと思う。だから#37 「ヤマトナデシコ七変化」はもはや彼女にとって座興のひとつでしかなかっただろう。だって彼女にとって「迷宮~」のB面が「Dunk」(集英社が学研の「Bomb」に対抗して出した野郎ども向け雑誌)だったことは,同じ年にマドンナが『Like A Vergin』のジャケットの腰ベルトに堂々と「BOY TOY」と記したことのパロディでしかなかったから。期せずして小泉今日子は(よりマドンナを意識していたであろう)松田聖子の上を行ってしまい自らを「ポップアイコンである」と宣言したのである。

特別編Ⅲ 1984年までのサザンオールスターズ
#28 サザンオールスターズ 「ミス・ブランニュー・デイ」
☆ 桑田佳祐が本当に悩んだのは特別篇Ⅲに書かれた時代であることを間違いない。ここから80年代後半まで桑田は今のぼくのような「自称リスナー評論家」を「オリコン小僧」と呼んで敵視していた。命名はおそらくかつてぼくも投稿していた「オリコン・ウイークリー」の常連投稿者たちに対するものだっただろう(笑)。その中の一部は明らかに「よい子の歌謡曲」などに流れているはずだが。しかし見落とすべきでないのは,この時期はサザンの二度目の修業時代だということ。『人気者で行こう』がいわゆる評論家筋に好評だったのはサザンのオールスターズの音楽の幅が広がっていたからで,それは『ステレオ太陽族』で八木正生氏とコラボしたあたりから明らかに広がっていた。
☆ 「JAZZMAN」は確かに名ばかり感があるが(爆),NHK紅白歌合戦を演出で凍らせた「東京シャッフル」には明らかにサザンがジャズから何を学んだかのフィードバックがあったし,ムード歌謡のパロディと思われた「チャコの海岸物語」は,明らかにシングルは歌志向であることを世に問うて成功を収めた例である。
☆ 「ミス・ブランニュー・デイ」のデジタル処理はあるメンバーの不調を補う苦肉の策であったことは良く知られている。あえてそれに触れていないのは武士の情けであろうか?それと爆笑ネタでありながら放禁され,最近YouTubeなどで見かけるようになったPVも,今の世の中では若干の問題を喚起するだろうが,基本は笑い飛ばせるものだ。
☆ 桑田佳祐の魅力はヤバさにある。彼がむかしジョン・レノンのことを「スケベの寸止め」と評したが,寸止めなら桑田も負けていないだろう。彼は「茶化しと反抗の寸止め」である。

#32 舘ひろし 「泣かないで」
☆ キャロルとクールスの類比(アナロジー)は誰でも考える。矢沢永吉と舘ひろし(そこまで行けば岩城滉一も入れるべきなんだが)の類比では歌手がメインか役者がメインかという視点に傾きがちで,その議論を避けている点は評価できる。ただせっかく石原プロの話まで出しておきながら「西部警察」に触れてないのはどうしてだろう?「西部警察」の線上だったら当然寺尾聡が出てくる。こっちの類比が抜けている。またこの曲がヒットしたことで舘ひろしが得た最大の収穫は彼が元ヤン(本当は違う。どっちかというと桑名正博タイプのボンボンである)のイメージを脱し「あぶない刑事」で魅せたスタイリッシュなイメージを先行して獲得したことであり,ここに触れてないのは残念だと思う。

特別篇Ⅳ 1984年までの秋元康
☆ バックステージの話を盛っており,それなりに楽しめた。ちなみに「子供達を責めないで」の元歌はいわゆる「褒め殺し」ソングだが,この時点では竹下登はプラザ合意(1985年9月22日)に出かける前の中曽根内閣大蔵大臣なので「褒め殺し」を世間が知らなかったからこういう歌詩になった。今さらながら稲垣潤一「ドラマティック・レイン」は名作(これと「川の流れのように」だけはね)。

#34 ザ・チェッカーズ 「星屑のステージ」
☆ 世代の差を感じるのは用語法にある。「ヤンキー」はまだその頃は大阪中心の関西圏の言葉だった(ミス花子嘉門達夫に「ヤンキーの兄ちゃんの唄」ってのがあったと思う)。この時代は「突っ張り(=ツッパリ)」。今世紀(特に2014年に原田曜平が「マイルドヤンキー」と言い出して以降)の「ヤンキー」は「ツッパリ」とは相当違う。フミヤの「俺の伝説ベストテン」に旧国鉄の順法闘争だかスト権ストかなんかで機動隊のジュラルミンの盾に突っ込んだ話があって,ザ・ベストテンかどっかで「俺達くらいですよ。機動隊の盾に突っ込んだアイドルは」と話していた。だからこの項目だけでなくチェッカーズの項目の「ヤンキー」は「ツッパリ」と読み替えるべし。それ以外はこの指摘にほぼ納得。むしろギミックのない生歌が聴けた「ザ・ベストテン」とか「レッツ・ゴー・ヤング」(NHK)とか,そういう番組で聴くべきなのかもしれない。

#38 大沢誉志幸 「そして僕は途方に暮れる」
☆ 今さらだけど作詩:銀色夏生 / 作曲:大沢誉志幸は,80年代を代表するシンガー・ソングライター・チームのひとつかもしれない(例えば吉元由美=杏里のように)。大沢の代表曲であり,このラインの最高傑作のひとつかもしれない。そしてこの部分が「Wの悲劇」と並んでこの本のハイライトであることも明白だ。ただこの曲を彼の頂点にすることに個人的には異論があって,『SCRAP STORIES』(1987年)が彼の頂点だと思う。

#39 アン・ルイス 「六本木心中」
☆ 自らをアイコン化することに意識的だったのはアニーも同じだと思う。60年代末から70年代初めの弘田三枝子の位置に80年代の彼女はいたと思う。彼女も70年代前半には10年後の小泉今日子同様に「作られたアイドル像」に嫌気がさし,ショウビズとの距離を取ろうとした時代があり,「女はそれを我慢できない」でツッパリ歌謡の姐御版を作り上げ,その路線が「KATANA」(1988年4月21日)あたりまで続いている。もちろんハイライトはこの曲以降なのだが,その前に山下=竹内夫妻と組んだ作品を出したり,友人でもあった三浦百恵を引っ張り出して(W.A.がその動きを邪魔(封殺)したことも有名だが),アン・ルイスというブランドを作り始めていたと言える。しかし湯川れい子の書き方が不足していて彼女にも気の毒だ(個人的には好きじゃないのだが)。湯川が80年代前後から作詩にちょっかいをかけるようになって最初はとてもシュールな詩(「センチメンタル・ジャーニー」松本伊代)と真反対の詩(「街角トワイライト」シャネルズ)の振幅の中から最終的に「恋に落ちて」(小林明子)に辿り着くのだから,申し越しもう少し広い視野で見るべきだろうと思う。

特別篇Ⅴ 1984年までのYMO
☆ まず前提がおかし過ぎる(爆)。「日本の音楽シーンを「ヤンキー」概念から解放したこと それがYMOの功績である」だそうだ。ここでは「ヤンキー」という概念については触れない。しかし触れざるを得ない(苦笑)。著者によれば「知的なことはカッコいい」という機運を、80年代前半からの日本のカルチャーシーンに植え付けたことが音楽性以外の彼らの功績だそうである。
☆ う~ん。でもここはサブカルチャーやポストモダンや脱構築主義でイエロー・マジック・オーケストラを語る場なのかしらん?それでなくてもサブカルと言うならYMOと書いて「イモ」と読んだり,イエロー・マジック・オーケス虎という新種(珍種)のトラだ(確かこれは林美雄のパック・イン・ミュージックの「苦労多かるローカルニュース」ネタだったのではないか。)とか,そういうリスナー達こそサブカルの名に相応しいのではないだろうか。
☆ 音楽として実験音楽,現代音楽,環境音楽,ディスコ音楽にシンセサイザーが多用されるようになり,音楽の自動演奏がテーマに上がってきたこと。テクノの背景にはそれがある。当然工業化の進展とともにハイテクノロジー(高度化技術)が求められるようになったことはあるだろう。反面,はっぴいえんど以降の細野さんが松本さんとは違う形でショウビズとの関係を取り結びながら自分たちの演奏技術で食っていくという,「70年代型バンドマンのあり方」を模索し始めたところにその根源がある。近年,70年代にキャラメル・ママ=ティン・パン・アレーが手掛けたプロジェクトがCD化されているが,そこではバンドマンとしての技量をベースにいかに多くの周辺音楽(その大半はショウビズと絡んでいる)を取り込んでいったかが俯瞰できる。
☆ そうして技量を磨きつつテクノロジーと音楽はどのように融合していくべきかという課題がテクノポップの背景にあった。当時細野さんは「理想的な状態は頭の中で考えたことがそのまま音楽になることだ」という主旨の発言をしているが,ボーカロイドの登場は細野さんの予言を現実化したものと考えたい。せっかくYMOを媒介に考察するのだったらこういう話を書いてほしかった(ただし,いとうせいこう等について触れている部分はその通りだと思う。彼のミニ番組は802開局以前のFM大阪で長く続いたからね)。

#42 井上陽水 「いっそセレナーデ」
#43 安全地帯 「恋の予感」
#44 中森明菜 「飾りじゃないのよ涙は」
☆ 陽水祭りだそうだ。これらは『9.5カラット』(1984年12月21日彼の2枚目のミリオンセラー)に続いていく作品集である。井上陽水に起きたことは「お酒が飲めるようになったこと」。「いっそセレナーデ」がサントリー角瓶のCMソング(本人出演)だったことがその証拠である(笑)。
☆ ぼくはフランキー(フランク・シナトラ)がビロードのような声だとすれば,井上陽水はシルクのような声だと思っている。共に声艶が勝負なのだが,その艶そのものが違う。声域の差もある(陽水の声域はシナトラより高い)。著者は吉田拓郎と比較しているが,それは声質一本でスティーヴィー(ワンダー)とマーヴィン(ゲイ)を比較するようなもので無理がある。この時代の拓郎の功績は篠島のコンサートを成功させ,その会場で長渕剛を表舞台に引っ張り上げたことであろう。
☆ ただ「陽水2.0」の領域については異論がある。それは1984年に突然用意されたのではなく,1981年『あやしい夜を待って』,82年『LION&PELICAN』で既に用意されていた。せっかく沢田研二に触れたのなら1982年の『MIS CAST』にも目配りしてほしかった。そうすれば陽水2.0なるものが1982年にはプロトタイプが出来上がっていて,83年の『バレリーナ』がそこから少し外れていることに気付いたはずだ。
☆ 著者は関西で84年頃から「ミュートマJAPAN」が見られるようになったことを記しているが,「恋の予感」などはさしずめヘヴィ・ローテーションだったことも覚えているかもしれない。この評価はこの本では「Wの悲劇」の次に良く出来ていて,玉置浩二と井上陽水の声質の違いを的確に表現している。ただ『9.5カラット』で陽水はこの北海道から出てきた後輩に挑むようなことはせず,あくまでイノウエさん流の「恋の予感」を歌っている。これの類比は「夏の終わりのハーモニー」のシングルと陽水の『クラムチャウダー』盤を比較すれば容易に解り得ることだ。
☆ 明菜が試みたことは売野雅勇的な「ツッパリ」(「十戒 1984 」の作品としての失敗を認識して)からどのように「変身」するかということだったと思う。この曲で見られる陽水の冷めた視線は同時期の作品で言えば「娘がねじれる時」とか「灰色の指先」とか「カナリア」などに如実に表れている(それがもう少しキツくなると「ミス・キャスト」や「ABCD」になるが,当時の明菜ではここまでは無理)。「飾りじゃないのよ涙は」は彼女の考えと作品とのバランスがうまく一致した成功作だったと思う。
☆ 著者はマイナーコードの明菜とメジャーコードの聖子を比較している。70年代なら一時期の山口百恵と桜田淳子なのだが,結局ジュンペーがマイナーコードに走ったので(「しあわせ芝居」ほか),モモちゃんの勝ちとなる。80年代は「バブルでド明るい」という誤解が蔓延っているのだが,明るい曲が強調されたのはむしろ不況真っ盛りの90年代だったのではないか?
☆ 「♪ダイヤと違うの涙は」の指摘は非常に鋭い。陽水はこの頃出したカセットブックのタイトルを「歌う見人」と名付けていた。見人(けんじん)とは見物人のことだろうが,見人=陽水らしい洞察力であり,その意図を見抜いた中川右介氏の指摘は明察である。

☆ 書けなかった曲について。
・ 松田聖子(#21,#31,#45)については著者の指摘にほぼ同意する。前回「ガラスの林檎 / Sweet Memories」について書いたが,結果としてあそこがセールスも含め松田聖子の頂点であったと思う。作品としては微妙な感もある「ガラスの林檎」を補って余りある「Sweet Memories」は大村雅朗の代表作として永遠に名が残るだろう。

Oh Sherrie (Steve Perry 1984年4月7日)
(Steve Perry / Randy Goodrum / Craig Krampf / Bill Cuomo)
最高位 全米第3位,全加No.1,全豪第5位 ※曲がすぐ聴きたい人は2:05あたりからどうぞ


☆ この本自体はまだ続くのだが,今回膨大に書いたので僕の方はここで打ち止めにする。
書いたところで誰に何の影響も及ぼさないのが無名人(Nobody)の定めなのだから(´_ゝ`)。

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Dancing in the Dark (Bruce Springsteen 1984年5月3日)



初出:2007年4月8日
Dancing In The Dark(Bruce Springsteen)


I get up in the evening, and I ain't got nothing to say
俺は夕方に起き出す,でも何も手に入れることはできない
I come home in the morning, I go to bed feeling the same way
俺は明け方過ぎに家に戻り,同じ気分を引きずりながら寝床に就く
I ain't nothing but tired, man I'm just tired and bored with myself
俺はただ疲れているんじゃない。そうとも,俺は自分という存在にいい加減ウンザリしているんだ
Hey there baby, I could use just a little help
だからベイビー,俺にささやかな救いの手を差し出させてくれないか

You can't start a fire, you can't start a fire without a spark
お前の心に火を点けられないのなら,ただの一瞬でも心がときめかないというのなら
This guns for hire even if were just dancing in the dark
たとえ闇の中で踊るようなものだとしても,この俺を使ってみてくれないか

Message keeps getting clearer, radios on and I'm moving round the place
つけっぱなしのラジオからの音がハッキリ分かるようになると,俺は所在無くそのあたりを動き回る
I check myself out in the mirror I wanna change my clothes my hair my face
姿見に映った自分を見ながら俺は思う。この衣装も,この髪型も,この顔も全部変えてしまいたい!と。
Man I ain't getting nowhere just sitting in a dump like this
そうさ,俺はどこへも行けないまま,ここにただ座ったままで年老いていくなんてゴメンだぜ
There's something happening somewhere baby I just know that there is
どこかで何かが始まろうとしているのさ。ベイビー,俺にはそれが分かるんだ

You can't start a fire, you can't start a fire without a spark
お前が自分の心に火を点けられないのなら,ただの一瞬でも心がときめかないというのなら
This guns for hire even if were just dancing in the dark
たとえ闇の中で踊るようなものだとしても,この俺を使ってみてくれないか

You sit around getting older there's a joke here somewhere and it's on me
お前はここで大人しく年老いていくつもりかい,そんな冗談を言う前に俺がいるじゃないか
I'll shake this world off my shoulders come baby this laughs on me
俺が世間をアッと言わせてやるさ,だからついて来いよ。ベイビー,俺を笑ってもいいから

Stay on the streets of this town and they'll be carving you up alright
この町の街角で大人しくしてれば,世間がお前を良くしてくれるとでも言うのかい
They say you got to stay hungry hey baby Im just about starving tonight
世間はお前はひもじい思いをするだけと言うだろう,ベイビー。だけど俺は今夜飢え死にしそうなんだ
I'm dying for some action I'm sick of sitting round here trying to write this book
俺は今,動き出したいんだ。もうこんな所に座って夢の続きを綴っているのに飽き飽きしてるんだ
I need a love reaction come on now baby give me just one look
俺には愛情の反応が必要なんだ,だからベイビー。俺を一瞬見つめたらついて来いよ

You can't start a fire sitting 'round crying over a broken heart
お前が自分の心に火を点けられないのなら,座ったまま破れたハートで泣き濡れ続けるのなら
This gun's for hire even if we're just dancing in the dark
たとえ闇の中で踊るようなものだとしても,この俺を使ってみてくれないか

You can't start a fire worrying about your little world falling apart
お前が自分の心に火を点けられないのなら,お前の小さな世界が引き裂かれたままなのを悩んでいるのなら
This gun's for hire even if we're just dancing in the dark
たとえ闇の中で踊るようなものだとしても,この俺を使ってみてくれないか

Even if we're just dancing in the dark
たとえ闇の中で踊るようなものだとしても
Even if we're just dancing in the dark
たとえ闇の中で踊るようなものだとしても
Even if we're just dancing in the dark
たとえ闇の中で踊るようなものだとしても

Hey baby
さあ,ベイビー


2017年5月15日付記




☆ 『スプリングスティーン自伝』にも書かれており,念のために英語版Wikipediaでも確認したが,ブライアン・デ・パルマが監督したこの曲のMVは1984年6月28・29日にミネソタ州セント・ポールで行われた公演の実況で撮られている。28日は純粋にビデオ撮影のために使われ,翌29日が「ボーン・イン・ザ・USAツアー」の初日だったそうである。ビデオの最後にスプリングスティーンが客席からピックアップしたのは(当初彼は知らなかったと自伝に書いてあったが)実は若い女優だったコートニー・コックスである。

Dancing In The Dark(Bruce Springsteen)
最高位 全米2位(ビルボードHot100 4週間),キャッシュボックスとラジオ&レコーズはNo.1
ちなみにボスのNo.1を阻んだのはDuran Duran 「The Reflex」(6月30日)とPrince 「When Doves Cry(ビートに抱かれて)」(7月7日~8月4日)である。
カナダNo.1(別のチャートでは3位),スウェーデン・アイルランド・ニュージーランド第2位,南アフリカ第4位,豪州第5位,ノルウェー第7位,フィンランド11位,イタリア12位,全英28位,全仏36位(日独他不明)

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「春だったね」 (よしだたくろう 1972年7月21日=アルバムリリース)



初出:2012年3月28日
元気です。元気です。
(2006/04/05)
よしだたくろう

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☆ フォーク・ソングという事になっているが,たくろう節の典型であるこの曲は,いま聴くと典型的なソフト・ロックのようなアレンジだ。

「春だったね」(作詩:田口淑子 作曲:吉田拓郎)


2015年4月10日
元気です。/吉田拓郎
¥2,376 Amazon.co.jp


☆ 吉田拓郎はフォークであってフォークでない。1972年の世の中で言いはしなかっただろうが,これは拓郎の脱フォーク宣言の曲だと捉えられる。フォークが60年代に持ちえた意義を70年安保と共に喪ったとは言わない。そうではなく,ボブ・ディランがそうであったように,あるいはクラッシュのジョー・ストラマーがそうであったように(両者の方向性はある面で同一,別の面では正反対であると付言する),よしだたくろうもまた,フォークの「枠」から,一歩進みだしていた。それは音楽家(作曲家)吉田拓郎のスタートであり,事実この後すぐにレコ-ド大賞受賞曲を作曲して,その名声は一瞬にして定まった(まあ私生活は別として=爆=)。

☆「春だったね」は『元気です』のオープニング曲である。『青春の詩』でも『人間なんて』でもそうだが,彼はフォークを起点にしたが,音楽的なアプローチはアルバムの中でいろいろ試している。この時代から長く続く「批判的批評」なるものに「魂を売った」の類があるが,人間としての立ち位置と作曲家としての欲求は別のものであり,そういう事を理解しないのは一種の教条主義ではないかと思う。この曲はフォークの衣を着ているが,アレンジでも分かるようにソフト・ロックである。もっと平たく言うなら「ポピュラー音楽」である。

2017年5月12日
☆ 「春だったね」の詩は田口淑子という人が書いている。ぼくは残念ながらこの曲が出来た経緯を知らない。だからこの人のことも全然わからない(少なくともWikipediaで検索する限り)。ただ,この詩は最初から男の側を意識して書かれた詩だろうなということは分かる。このしょうもないシリーズのいちばん最初に書いたように,男にとっての恋愛にはスタンダールが指摘したようなそういう一面がある。言ってはならぬ話とは思うが(苦笑)生殖の最後の判断だってオトコの場合は頭でジャッジしているのだから。そこがザルツブルグでなかったとしても一度頭の中に生じた「小枝」はなかなかなくならない。反面,「そこに拘泥(こだ)わること」は,男のジェンダーに基本的に反する。反すると分かっていながらそれに執着していくからストーカーになる。

☆ 女の子の生理はもう少し複雑であると思う。それは「産む性」の本質は選択する性であるからだと思う。その個体にとって最も有利優等と思われる個体を維持保存することが本能の中に備わっているのではないかと思う。ぼくは学者でも何でもないので,どこかで目にしたり聞きかじったことを話しているだけなのかもしれないが,出だしの歌詩

(女の子の時制) 僕を忘れた頃に
(男の子の時制) 君を忘れられない そんな僕の手紙が着く

は,そういう厳然とした事実を示していないか?

☆ 女の子だって困るのである。終わった後に未練たらたらされても。本能的ジャッジが終わっていることをナチュラル・セレクション(自然淘汰)と呼べば残酷に過ぎるだろうか?

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「1984年の歌謡曲」考(その1 P.78まで)




☆ 最初に断らなければいけないことがある。この本は偶然知って購入したので著者の前著である『1979年の歌謡曲』を読んでいない。この本を読んだ方が『1984年の歌謡曲』に対するクリアーな評価ができる気はしているのだが,今からでは間に合わないので(だって今書きたい=モノ申したいんだもん(´∀`*))とりあえずそのまま書くことにする(=∀=)。

その1
#1 安全地帯 「ワインレッドの心」
☆ 本のコンセプトから外れるが,この曲の作詩をした井上陽水の解釈を比較してみると良い。陽水の『9.5カラット』のボツタイトルは『俺の方が上手い』だったらしいが(笑=だから9曲に自分が上手いというプラス0.5で9.5カラットになった=),この曲の歌い方でもそれは現れている。それは『9.5カラット』よりもライブ盤の『クラムチャウダー』の方がより良く分かるだろう。作詩家の目では歌の主役である「彼女」の脆(もろ)さ・儚(はかな)さを歌うには,情熱的に歌い上げるのではなく,静かに少しだけ距離をもって歌うことが似合っているのだ。

#2 わらべ 「もしも明日が」
☆ 言っていることは分かるが評価基準が意味不明である。この曲自体の持つ力を素直に評価してもこうなると思うが。

#3 中森明菜 「北ウイング」
☆ 明菜のシングルは「サザン・ウインド」までは買った(笑。ちなみに聖子は「ハートのイアリング」くらいまで)。ここに示された新たな事実も興味深いが,中森明菜は「どうやって自分をプロデュースしていくか」を考えた一人だったと思う。その事情はたぶん小泉今日子と五十歩百歩だったと思う(スタッフが貧弱)が,小泉が自分をアイコンとするという戦略を見つけていったのに対して,中森はあくまで「歌手・中森明菜」はどうあるべきかということが原点にあったのだろう。

#4 アルフィー 「星空のディスタンス」
☆ 著者の意見にほぼ同感である。アルフィーのベタなフォーク(「無言劇」とか)を知っているので,「メリー・アン」を聴くと「セパレイト・ウエイズ」(ジャーニー)が頭に浮かぶぼくもチョッとキツめのこの評価は良く分かる(笑)。

#5 テレサ・テン 「つぐない」
☆ この評価は今見ると?である。確かに当時,日本歌謡界に復帰した時期の鄧麗君は相当アンダーレイテッドだった。これをひっくり返したのはカラオケスナックでの長~い経験による(爆)。それにしても著者の取り上げている後期麗君の綺羅星のような歌謡曲群のきっかけはこの曲であり,もう少し「位置付け」を評価すべきではないのかと思う。それにしても「愛人歌謡」とはよく言ったものだ。それが60年代からずう~と続くある種の歌謡曲(=夜のお姐さん世界作品)のラインに位置付けるべきである。愛人歌謡というなら島津ゆたかの曲とかそういうのを挙げるべきだろう。

#6 チェッカーズ・ザ 「涙のリクエスト」
☆ 福岡の音楽シーンは市内,北九,久留米に大別される。チェッカーズはプロとして上京する前は久留米のシーンで活動していた。著者の取り上げ方はビートルズの下手なもじりだが,案外,図星の部分もある。あと「ギザギザハートの子守唄」の「退屈退治」のコピーに触れたのは秀逸(関西でもやっていたのか,(ミュートマ)JAPAN?)。

#7 杉山清貴&オメガトライブ 「君のハートはマリンブルー」
☆ 彼等が所属していたのは日テレの資本が入っていたVapだったから,最初の曲(「サマー・サスピション」)ではザ・トップテンにも出ていたし,それなりにタイアップは揃っていた。この曲での著者の「康珍化の歌詩」の特徴分析は非常に優れている。

特別編Ⅰ 1984年までの沢田研二
☆ ノーコメント。この時代の渡辺プロダクションについては基本的に話したくない。

#8 松田聖子「Rock'n Rouge」
☆ 間違っているかもしれないが,「(アイドル)歌手=化粧品デーモデル」の第1号ではなかったか?この後は小泉今日子とか国生さゆりとか80年代には豊富で90年代は吉田美和までチャレンジした(爆)。著者の指摘はほぼ正しい。ただし「Sweet Memories」は最初からの両A面曲ではない。最初は「ガラスの林檎」のB面だった(初期盤シングル所有)。その後サントリーがペンギンのアニメーションCMを使いその曲が「Sweet Memories」だったから両A面にして出し直したのである(後期盤シングル所有)。結果として大村雅朗の代表曲にもなり,彼が早世した直後に松田聖子がトリビュートとしてライブでこの曲を披露したのは有名はエピソードである。しかしこの話はこの本の主題からは外れている(´∀`*;)ゞ。

#9 吉川晃司 「モニカ」
☆ この曲(パロディ)を紹介する「ひょうきんベストテン」で司会役のS(現在一般人のため当時の芸名をイニシャル化)が歌詩の一部を使って下ネタをしきりと言っていたことでも有名な曲(自爆)。というより,Nobodyをノーボディ(無名人)から有名にした曲。確かに著者の指摘のようにこの曲から「憎まれそうなNewフェイス(麻生祐未!)」までのキッコーは佐野元春のコピー的なノリはあったと思う。それだけなら不快に感じるところ,この評価はその辺の細かいところまで触れており,なかなか良い内容だった。

#10 郷ひろみ 「2億4千万の瞳」
☆ 井上大輔(その後井上忠夫に戻した)についての記述で「ネグレスコ・ホテル」(BORO)に触れてないのは残念過ぎる。歌詩についての分析はほぼ同感。

#11 小泉今日子 「渚のはいから人魚」
☆ これは小泉が可哀想だ。確かに秋元康だったら「なんてったってアイドル」だろうし,いまだにそれで食っているのだから感想も感慨の欠片もないが,小泉がその氏名も含めて康珍化を当初物凄く嫌っていた(ヘアスタイルぶつ切り事件)のは良く知られた話だ。「そういう曲」で人気を確立した過程はダイアナ・ロス(譜面をもらってガッカリした「愛はどこに行ったの」が全米No.1になってスプリームス(シュープリームス)の快進撃が始まった)に似ている。半笑いは著者の独創だろうが,自作の言葉に溺れてないか?

#12 しぶガキ隊 「喝!」
☆ ノーコメント。これは聴いてないので。

#13 中原めいこ 「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」
☆ カネボウ化粧品のCMコピーに関する分析はさすがだと思ったが,少し穿ち過ぎの感もあった。つまり曲の分析ではなくギョーカイ分析に終始していることだ。中原めいこについて書くならせめて川島なお美に提供した「GEMINI」あたりから書き起こすのがシンガー・ソングライターに対する礼儀だろう。

#14 中森明菜 「サザン・ウインド」
☆ 先に書いたようにこの曲が明菜のシングル個人的買い納めの作(自爆)。イエスの「ロンリーハート」は曲は知っているが,そんなところまでは気付きもしなかった。イエスというバンドにもバグルスやZTTレーベルの曲調にも興味が持てなかったからだ。それにしても明菜は相当色んな音を聴きこんでいたのだと思った(誰かが平岡正明に教えてあげればよかったのに)。

#15 小林麻美 「雨音はショパンの調べ」
☆ この曲のレビューは世代の違いもあるが全く承服できない(爆笑)。確かにガゼボの曲は名曲の類ではないし,こうした原曲を離れた日本語翻案というのも80年代には古めかしくもあったかもしれない。しかしそれをティセ(セイコーの女性向けウォッチ)のCMと無理やり結びつけて一面的な評価をされても,ああこの人は当時CBSソニーが20代の若いサラリーマンをターゲットに早朝の時間帯にこの曲だとか浜田省吾の「Money」だとかのスポットを売ったいたことも知らなければ,小林麻美のPV(時々YouTubeで見かけるがいつも削除されている)のエロティズムも全然知らずに,90年代後半の古内東子とかを評する感覚でこれを書いているなというのが見えてしまうからである。
☆ ついでに言えば「雨音はショパンの調べ」のシングルジャケットのイラストを表紙にした(もう少し下の方まで描いていた)彼女のエッセイ集『あの頃,ショパン』なんてのがあったことも多分知らないだろうな。

#16 岡田有希子 「ファースト・デイト」
☆ ユッコのデビュー曲である。この曲もミュートマJAPANで何度も見た。竹内まりやの作品として低い評価だが,それはないだろう。竹内がユッコが亡くなった後で1992年に出した『Quiet Life』の中でわざわざ献辞を付けて彼女への提供曲「ロンサム・シーズン」をセルフカヴァーしたのはなぜか?そういうことも考えずに軽々しく書くべきではないと思う(確かに広末涼子のアイドルデビュー曲は指摘の通りだと思うが^^;)。
☆ それから86年の事に関しても写真週刊誌の話なんか書いてほしくなかった。あの頃はそういう「配慮のない」時代だった。だからこそ久米宏が「ニュースステーション」で「若い人たちにお願いする。決して死んではいけない。」と呼びかけたのだ。個々の時代にはその時代特有の背景があり,後生がそれを評価するときはそういう時代周りのことには留意すべきであり,まして「くちびるNetwork」ではなく「ファースト・デイト」を評するのにその話ばかり持ち出すのは下種の勘繰り以外の何でもなく,もはや批評の名にも値しない。著者がショウビズやそこから生まれるものを対象にモノを書いて食っていくつもりならこのことを一生肝に銘ずるべきであると,ぼくは考える。


↑ 7位の曲に注目

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「The Glamorous Life」 (Sheila E. 1984年7月4日)




☆ まず頭に浮かぶのは中村真理さんが「ビルボード トップ40」で紹介してくれたワーナー洋楽部の偉大なる宣伝コピー「シーラ・Eは、いいらしい。」(爆)。この曲はプリンスのペンによる作品で英語版Wikipediaの解説では当初はヴァニティ(1959.1.4~2016.2.15)のために用意されたとある。確かに『パープル・レイン』の時はアポロニア6に移っていたが,その前にはヴァニティ5を殿下はサポートしていたので,曲の出自はそういうことらしい。

The Glamorous Life (Prince)



☆ このYouTubeにはシングル盤のジャケットが写っているが,彼女はパーカショニストのPete Escovedoを父に持つ自身もパーカショニストであり(従って彼女の"E"とはEscovedoのイニシャル),彼女を見てパーカッション格好良いと思った女の子も少なからずいたと思う。下にあるようにクラブプレイ用の長尺盤もあり,それが奏功したのか,ビルボード・ホット・ダンス・クラブ・プレイ・チャートではNo.1に輝いている(8月18日,25日)。でも真夏の盛りにはピッタリなホットな曲を少しハスキーなシーラ・Eがパーカッションを叩きまくりながらクールに歌っているのは実にサマになる。まったく「シーラ・Eは、いいらしい。」(再爆)。

The Glamorous Life (club edit)



☆ とはいえ,この曲は「パーカッションの見本市」のような曲である。殿下の歌詩もなんだかマドンナの「マテリアル・ガール」を彷彿とさせるところがあって(そう言えば殿下はイーグルスのように遠慮することなく「茶色のメルセデス」なんて歌詩を入れているけど,その方面からクレームがついたという話は無いようだ)実に84年のミネアポリス一派は暴れまくったんだなという感慨を持つ一方で,やはりこの曲はラップ=ヒップホップの直前の時代の作品だなあという気もする。

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後期ROXY MUSIC三部作=3= "AVALON"



初出:2006年5月5日
☆ 『Avalon』というアルバムを聴いて最初に気付くことは,リズムキレのよさだ。特に,リマスターした盤はドラムスやパーカッションが立ち上がってくるのが目に見えるほどである。これは前作『Flesh+Blood』で明らかになった音の奔流とでもいえる傾向にアクセントを加えることで,より全体を引き立たせようという意図があったのだろう。

☆ 『Avalon』は,ロキシー・ミュージックという異形のバンドの到達した場所である。だから,そのことを以て彼らの最高傑作と評されることに激しく抵抗するファンがいてもやむを得ないと思う。そこに広がる音は悪く言えばイーズィ・リスニングと聴きまごうばかりのスムーズィな音である。しかし,『Flesh+Blood』の時にも書いたように,フェリーマンザネラマッケイの三人はあたかもドナルド・フェイゲンウォルター・ベッカーが行った作業に似たことを企てていた。

☆ 『Avalon』が制作される前にスティーリー・ダンは,苦心惨憺の産物『Gaucho』を発表し,事実上の解散に陥った。更にジョン・レノンが凶銃に斃れたことに衝撃を受けたフェリーは,ジョンのソロ時代の作品をカヴァーしたロキシー・ミュージック名義のシングル "Jealous Guy" をリリース。実に皮肉なことにロキシー・ミュージック全英No.1ヒットとなった。これら一連の出来事が『Avalon』の前奏曲になったと決めつける訳にはいかないが,前史として軽視できないと思う。

☆ アルバムのオープニングを飾るのは "More Than This"。このキャッチーな作品は,アルバムからの先行シングルとしてカットされ,全英チャートを賑わせた。しかし,この曲に「夜に抱かれて」などというおぞましい邦題をつけたレコード会社の担当はいったい何を考えていたのか。小一時間問い詰めるどころか,小突き回したい(爆笑)。

☆ "More Than This"はイントロの強いアタックから引っ張っていく強さを感じる。『Flesh+Blood』の出だしが10カウント・アップだったのと比較しても,彼らの,自ら創り出す音に対する自信の深さを感じる。この曲ではフェリーの軽くファルセットをかけた声すら,ひとつのインストゥルメント(楽器)として,全体の中に溶け込んでいる。ブライアン・フェリーという人は,基本的にロキシー・ミュージックフロント・マンであり続けた。それはイーノ追い出した一件からも容易に理解されるが,その彼がここに来て,自らの声すら全体役割一部にする。つまり一歩退いた位置から全体の音作りを行っている。これがロキシー・ミュージックの辿り着いた地点なのだ。

☆ "More Than This"にはそんな特徴があるにも拘らず,作品全体のスムーズな流れと,アクセントをつけるパーカッション立って聴こえるようなミックス(ボブ・クリアマウンテン!)の力量のせいで,全体の幕開けを告げる役割を果たしている。その中でコーダ部分で潮が引くようにフェイド・アウトさせるフェリーキーボードが奏でる主旋律に,このアルバム全体テーマ暗喩として窺うことが出来る。

☆ 2曲目"The Space Between"は,ロキシー流ファンク。前作『Flesh+Blood』でも,ニュー・ロマンティックスなどの当時のイギリスの音楽シーンにおける新しい傾向とシンクロしていることを指摘したが,やはりここでも相互作用のようなものを感じる。直接,この作品が影響を与えたとは思わないが,例えばレベル42に代表されるブリティッシュ・ファンクや,ニュー・ロマンティックスでは特にスパンダー・バレエの諸作品(『True』,それ以上に『Parade』)に影響を与えていると思う。興味深いのは,このファンクの傾向といえば翌年(83年)に,デヴィッド・ボウイナイル・ロジャースと組んで『Let's Dance』を成功させたことにも繋がっているようにも感じる。

☆ 3曲目 "Avalon" は,アルバムのタイトル曲だが,ここではブラック・コンテンポラリーの色合いすら感じさせる。ここでも隅々まで行き渡る音の奥行きが美しい。初期のロキシーはアバンギャルドである代わりに音的には隙間の多いものだった。それに対して,この曲は隙間を丁寧に音とリズムで埋め尽くしている。埋め尽くしてはいるが華美でもなく,必要なもの必要なところ綺麗はまっている感じがする。

☆ 4曲目 "India" は,"Avalon"と次の "While My Heart Is Still Beating" を繫ぐブリッジ。単純なメロディーが続くが,そのまま5曲目 "While My Heart Is Still Beating" のイントロの役割を果たしている。

☆ 5曲目 "While My Heart Is Still Beating" はロキシー・ミュージックらしい哀調が冴えるナンバー。でもその哀調は例えば "A Song For Europe" の重々しさとは異なり,必要な音が必要なところに整理されている感じがする。LP時代はここまでがA面

☆ 6曲目 "The Main Thing" は,この後のフェリーのソロにも引き継がれるような曲。こういうリズムを彼は重視するようになっていく。しかしリズムを中心としたこの曲は,ロキシーの諸作品の中でも異彩を放っている。7曲目 "Take A Chance With Me" は,前の曲とうって変わって,神秘的インタールードの後に,短いイントロから入っていく。 "The Main Thing" のリズム重視のムードをいったん冷まして,ニュートラルまでもっていったと判断したところから, "Take A Chance With Me" が始まるという構成になっている。前後の曲の違いを念頭において,単純に繫ぐのではなく,一息入れることがアルバム全体の流れを損なわないようにするという効果となっている。

☆ 8曲目 "To Turn You On"。このあたりからアルバムは終点に向けて走り出す。その構成は『Abbey Road』 のB面後半のメドレーにも似ている。ロキシーがそのことを意識していたかどうかは分からない。しかし,アルバムとそれを携えたツアーをもってロキシー・ミュージックはその歴史を終えたことを思うと,このあたりまで来るとちょっとした感慨を覚えてしまう。

☆ 余談だけど,今でも幸運だったと思うのは,『Avalon』のツアーを見ること(しかもかなり前の方の真ん中の席で!)が出来たことだ。ステージの袖で今からステージに出るぞというフェリーさんの姿を垣間見ることが出来たのは実に幸運だった。それにしてもロキシーの三人は揃って背が高くて,近くで見ると気圧される感じがしたのも懐かしい。

☆ 9曲目 "True To Life" 。フェリーのソロ作からのシングル "Slave To Love" にも一脈通ずる作品だ。しかし,あとでこの "Slave To Love" が,後日㌧でもない映画(= "9 1/2Weeks"1986年)で使われるとはフェリーさんも努々(ゆめゆめ)思わなかったことだろう(爆)。"To Turn You On"ともども余韻強い曲で,ロキシー・ミュージックというバンドが辿り着いた高みをここに示している。音が,ヴォーカルが,パーカッションが,ギターが,キーボードが,ベースが,アレンジが,そしてマスタリングが,全てがその場所を指し示している。

☆ 10曲目 "Tara" は,余韻のような短いインストゥルメンタル。この音が消えていく時,ロキシー・ミュージックは改めてその終焉を告げる。後に残る寄せて返す波の音は,伝説の地 Avalonに我々が降り立ったことを示している。ここにブライアン・フェリーの強い個性が作り出した音の世界はいったんの大団円を迎えるのである。

後期ロキシー・ミュージックとは何だったのか。口の悪い評論家は,フェリーのソロ・アクトを隠蔽したものだという。残念ながらそれは全くの見当はずれだ。ロキシー・ミュージックという名の下に集ったフェリーマンザネラマッケイの三人が改めて彼らの音楽を再構成し,さらに磨きをかけ,この時代で最も洗練された音楽に仕立て上げたのだ。それは一聴すると単なるスムーズ・ミュージックのように聴こえるかもしれない。しかし,仕立ての良い服も着こなしてみなければその真の価値が分からないように,後期ロキシー・ミュージックが発表した三枚のアルバム聴き込むほどにその価値輝かせることに気付くだろう。おためごかしなダンディズムなんて薄っぺらな評価ではなく,最高作品を追い求めたミュージシャンたち静かな熱情をほんの少しでも拙文から感じてもらえれば嬉しく思う。


2017年5月5日付記
More than This (Bryan Ferry)

最高位 ノルウェー2位,全英・全仏・全豪・アイルランド・スイス6位,スペイン10位,ニュージーランド12位,ベルギー13位,スウェーデン17位,イタリア21位,ドイツ24位

☆ 今さらながら,アヴァロンというコンセプトを考えた時,ロキシー・ミュージックが残した航跡を辿る旅だったのかなあという気がしている。アヴァロンが行き着く先であったかどうかは分からない。ただロキシーのデビュー盤のあの「やんちゃぶり」はここには何処にもない。それは大人になったなどという月並みな言葉ではない。また11年前に既に確認しているようにこのグループが音を通じて映像を表現することに成功していたのだろうと思えるのだ。

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後期ROXY MUSIC三部作=2= "FLESH+BLOOD"



初出:2006年5月4日

☆ 『FLESH+BLOOD』は『Manifesto』の翌年に発表された作品であるのに,前作に見られた過去のロキシー・ミュージックを彷彿とさせるものが綺麗さっぱり取り払われていた。そこにある隅々まで磨き上げられた音は,あたかもドナルド・フェイゲンウォルター・ベッカーが『Aja』で体現した音がコンコルドに乗って大西洋を越えていったかのような感がある。それはかつてこのアルバムのレビューを書いた今野雄二が評したように,最初の "In the Midnight Hour" のイントロでフェリーが "1","2"...とテンカウントする間に催眠状態に誘い込むかのようでもある(この評は今野が書いたロキシーのレビュー内容で唯一ぼくが評価に値すると思う評である)。

(注記)実際は逆で,フェリーとマンザネラとマッケイがニューヨーク/パワーステーションでボブ・クリアマウンテンと創りあげたと言った方が正解だろう。

☆ オープニングから劇場をイメージさせる"In the Midnight Hour"は,ご存知ウイルソン・ピケットスティーブ・クロッパーの作品。今年64歳で亡くなったピケットの精力的な歌とは対照的に,テンカウントのイントロで始まるこの曲はゆったりした河のように流れ,その音は屹立した世界を見せる。ここではニューウエイブの中から生まれてきた耽美主義・審美主義的な傾向にロキシーなりの反応を見せていることが分かる。もともとロキシー・ミュージックというバンドはイーノが離れた後,フェリーの美的感覚が強くカラーとして出ていた。しかし,再結成後のロキシーは,その基本的なトーン維持したまま,よりポップな審美主義を意識していたように感じる。

80年代初めからムーブメントになりつつあったニュー・ロマンティックスは,いわば1周遅れてきたグラムであり(その時期,本当にネオ・グラムというムーブメントもあった。前者は商業的に成功し,後者バウハウスとかニュアンスはかなり異なるがジョイ・ディヴィジョンとか=は,90年代のグランジ・ロックまで影響を及ぼしている),ロキシー・ミュージック復活時機を得たものといえた。しかし,それは結果論に過ぎず,彼らはあくまでも彼らのスタンスで彼らのフィールドに立っていた。それはこの曲を含むカヴァー曲が単純なカヴァーに留まらず,ロキシー・ミュージックというフィルターを通して彼らなりに昇華した音として目の前に出されていることからも分かるだろう。

☆ そのことは2曲目 "Oh Yeah" で明らかになる。1曲目の速度を上げることも落とすこともなく,緩やかに流れていく。それは当時やたらと言われたソフィスティケイテッドという表現がピッタリだったし,まがうことなきAORそのものだ。この評価は,ロキシーのファン,AORファンのいずれをも貶めるものでは無い。それは研ぎ澄まされ,奥行きを持ち,ポール・キャラックの印象的なストリングスをバック・トーンにする音を通じてひとつの世界が,物語が出来上がっているということなのだ。

☆ このアルバムの特徴は,だいたい3,4分の曲が多く極端に長い曲が無い。これはシングル・カットを意識したのかもしれない。3曲目 "Same Old Scene" はシングルカットされたが,後からサウンドトラックに収録されて,再度シングルカットされた1曲だと思う。また,前作『Manifesto』と比べると,歌詞が長くなっている気がする。このように,このアルバムでは物語を紡ぎ出そうというアプローチが感じられ,それはロキシーとしての最後の作品となった『Avalon』を経て『Boys And Girls』,『ベイト・ノワール』と続く80年代のブライアン・フェリーのソロ活動へ引き継がれていく。

☆ 4曲目 "Flesh and Blood" アルバムのタイトル曲は重厚な感じがロキシーらしさを感じさせるが,ここでもアラン・スペナーのよく歌うベースが,以前とは違う印象を与えている。LP時代のA面最後の曲でもある5曲目 "My Only Love" も "Same Old Scene" の系統にある美しく印象的な曲。ここでは,アンディ・ニューマークがドラムスを叩き,アラン・シュワルツバーグサイモン・フィリップスがパーカッションとしてクレジットされている。豪華すぎるが,どういうことなのか(^^;)。。。この後数年間は,フェリーといえばこんな感じの曲というイメージがある。

☆ 6曲目 "Over You" はアルバムからシングル・カットされた実にポップでわかりやすい曲。印象的なキーボードはフェリー自身による。アルバム全体に流れるゆったりしたテンポがここでも曲のアクセントとなっているが,強いリズムがそれを感じさせない。この辺のアクセントの取り方はボブ・クリアマウンテンのエンジニアリングの力量だろう。そしてフェイドアウト/フェイドインで次の7曲目 "Eight Miles High(霧の8マイル)" に続く構成も秀逸だ。

☆ その "Eight Miles High" は,Byrds(バーズ)のカヴァー。サイケデリックの黎明期の名曲としても有名なこの曲を,オリジナルとは違った角度でミステリアスなムードだけをうまく残しながら手堅く料理している。この辺は "In the Midnight Hour" の処理にも似ていて,単なるカヴァーではなく,その素材にロキシー・ミュージックというスパイスを利かせながら,ニューベル・キュイジーヌに仕上げてしまったという感じだ。

☆ 8曲目 "Rain,Rain,Rain" は,やっぱりロキシー・ミュージックにはこんな曲調の曲が必ず1曲は入るよねというタイプの曲(笑)。ちょっとシンコペートした裏打ちリズムだが,ロキシー・ミュージック的な。。。という比喩しか思いつかないほど彼らのオリジナリティを感じる。9曲目 "No Strange Delight" もそう。ただ,曲で語られる物語は別として,やはりアルバム全体の流れがこのあたりで少々途切れてしまう感じがする。単独ではそんなに悪い曲では無いのだけど,最初から聴いてくるとどうしても途切れた感じがする。この辺を更に突き詰めてシームレスにしてしまったのが『Avalon』なのだが。。。

☆ その "No Strange Delight" も重たい渾沌の余韻を振り切るように,最後の曲10曲目 "Running Wild" が始まる。 "Running Wild" は,『FLESH+BLOOD』というアルバムを締める曲というだけでなく,これから先のブライアン・フェリーの音の傾向を示唆した作品である。そこに現れた緩やか穏やかな音の流れ,すみずみまで研ぎ澄まされた音への感覚,リズムとメロディが一体に調和する,まさにひとつの美意識で築きあげた世界がそこにある。ある意味,桃源郷であり,現実を遠く忘れさせる力のある物でもあるが,あくまでも有限作り物としての運命からは逃れられない世界が,そこにある。

☆ たぶん我々はその世界の端っこに足を踏み入れ,しばしのまどろみを得るのだろう。癒しということばで軽々しくは言いたくないが,邯鄲の夢のようなまどろみを与え,ロキシー・ミュージックは,最後の地へと向かう。


2017年5月4日付記
In the Midnight Hour (Wilson Pickett, Steve Cropper)


☆ ウイルソン・ピケットの「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」がビルボードR&BシングルのNo.1に輝いたのは1965年8月7日。前後のNo.1ソングはフォー・トップス「アイ・キャント・ヘルプ・マイセルフ」とジェームズ・ブラウン「パパズ・ガット・ア・ブランニュー・バッグ(パパのニューバッグ)」である。ロキシーのカヴァーはそれから15年を経たものである。11年前にこの曲を評した「ポップな審美主義」は今見ても的を外してはいないと思う。

☆ 審美主義やその言葉自体の持つ重さ(重苦しさ)はポップ・アートの世界では脱構築されていると思う。そういうモノが出てきた時には「アニメとどこが違うのか」みたいな現代美術とアニメーションの双方に対して失礼なアナクロニズムに属する評価もしばしば見られたようだが,今ではそれが開き直って「審美主義がポップでなくて何のさ」みたいな傾向にあるのはご愛嬌だと思う。たぶんその変化の過程にはディジタル化という要素が大きかったと思う。アンディー・ウォーホールや細野晴臣の頭の中にしかなかったものが,今では簡単にコピーされ(あるいはヴォーカロイドさん達の姿を借りて)世界中に果てしなくばら撒かれているのである。これは「ある種の審美主義の終わり」であり,今野雄二がそれに殉じたくなった気も分からないではない。でもぼくたちはだらしなく(あるいは不甲斐なく)その現実を是として受け入れるしかなく,そんな立場から1980年には少し早すぎたフェリーさんの「ポップな審美主義」を自家薬籠中の物として何食わぬ顔で消費し尽くしているのである。


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後期ROXY MUSIC三部作=1= "MANIFESTO"



初出:2006年5月3日
☆ 最近とんと聞かなくなったが,一時期,永田町を席捲したマニフェストもこのアルバムタイトルと同じ綴り(=言葉)だ。そういえば北川教授がまだ三重県政を司っていた頃にブレア内閣が選挙の際に掲げたマニュフェストを参考にしたのは難くないが,ブレア自身が若い頃フェリーさんを聴いていたかどうかまでは,こちらでは見当もつかない。しかし,このアルバムの頃,ロキシーが全英チャートでいかに活躍していたかを知れば,トニー・ブレアが若い頃に耳にしていなかったとは,まあ考え難い(笑)。

☆ ジャケットが示唆するように,これは作り物の世界である。マニュフェスト(マニフェスト)は文字通りロキシー・ミュージックの復活宣言と取られたが,むしろ今から見ればブライアン・フェリーによる作り物世界への傾倒宣言だったと思わざるを得ない。まあ今野雄二大先生的なダンディズム(=本家のダンディズムとは全く関係ない,曰く言い難いミョーな言葉として)の体現というヘンテコリンな評価が定着した中,このレーベルを剥ぎ取る努力は無駄にも見えるので(苦笑),言いたい方には勝手に仰有いませ。

☆ ロキシー・ミュージックが登場したフィールドはグラム・ロックだ。グラマラスなロックとは,世間(つまり権威)を挑発するかのような派手な化粧に覆われた偽悪の世界である。ここでは2曲目のTrashに文字通りその残滓が窺える。タイトル曲の重さは,ニューウエイブの一部にも通暁したロキシーの音の美意識の現れだが,むしろ彼らの後期の成功を支えたのは3曲目Angel Eyesや8曲目Dance Awayのようなディスコでもヒットしたダンス・ナンバーだ。これらはヒット・チャートに並んでいても何の違和感の無いポップ・ナンバーだ。

☆ ブライアン・フェリーに何らかの美意識を感じる人にとっては4曲目のStill Falls The Rainのような曲が後期ロキシー・ミュージックを代表する曲だということになるだろう。ここでフェリーがジキルとハイドに託したものは,ズルい男の身勝手さなのだろうが,そんな男も小娘に振り回された挙句がTrashになってしまうところが面白い。でも印象深いリフで終わっていくこの曲はたぶん『MANIFESTO』のベスト・トラックだろう。

☆ 5曲目Stronger Through the Yearsは,ポール・キャラックとおぼしきキーボードで始まるややヘヴィ目のナンバー。昔のロキシーとは色合いが異なるアバンギャルド臭が感じられる。これはむしろニュー・ウエイブからオータナティブに移っていく流れに呼応しているようにも感じる。もともとイーノを擁した最初期のロキシーは尖んがったバンドという強烈な印象をシーンに与えて登場したのであるから,ここでアバンギャルド風の音作りをやっても本家帰り的な印象を覚える。ロキシーの場合は,ここから尖った部分を綺麗になめしてしまい,美しい余韻だけをその場に残すような音作りに変わっていく。

☆ LP時代のB面1曲目でもある6曲目Ain't That Soも,そういうアプローチを感じさせる。ブルージィな主旋律を飾る音は漆器のように幾重にも塗り重ねられて深み奥行きを持っていく。音と音が重ねられる中で数少ない言葉のイメージが膨らんでいく。後期のロキシーはこういうアプローチに突き進んでいくのだが,これはその習作という感じがする。

☆ 7曲目My Little Girlはインパクトの強い2曲の間に埋もれて印象が弱い。8曲目は先にも触れたDance Away。後期ロキシー・ミュージックを代表するヒットチューンのひとつであり,ポップでキャッチーというヒット曲の見本のような作品でもある。だからといってフェリーさんがディスコ音楽ににじり寄ったのではなく,その時期のロキシー・ミュージックが作ったダンス・ヒットという点ではLove Is A Drugのようなタイプの曲だと言ってもいいだろう。ただ,後期ロキシーの曲は,いかにも緩やかな流れのようなスムーズさを湛えていて,そのあたりが個性になっている。

☆ 9曲目Cry,Cry,Cryもポップで力強いリズムで押してくるナンバー。この曲あたりになると,ロキシー・ミュージックというよりフェリーがソロ名義でやっていた音に近いような感じがする。実際,ソロアルバムが不評でロキシー再編という皮肉な評価も当時,聞こえていた(アルバムや2枚のシングルのヒットであっという間にそういう批評は消し飛んでしまった)。10曲目,アルバムの最後の曲Spin Me Round。タイトルから受けるイメージとは異なり,美しい小品に仕上がっている。オルゴールに例えた自分自身の音がゆっくりと途絶えていくさまを表しながら,アルバムは幕を閉じる。みごとな構成だ。

☆ 『MANIFESTO』は,確かに後期ロキシー・ミュージックの始まりの作品である。だが,そこにはまだ試行錯誤や顔合わせ的な意味もあっただろうし,取りやめになったフェリー自身のソロ作品からの延長線上のものも含まれていたのかもしれない。しかし,ここに再び集まったフェリー,マンザネラ,マッケイの三人が改めてロキシー・ミュージックの名の下に,70年代末から80年代初めにかけて遺した音楽は,その美しさを永遠に留めることになる。旅はまだ,始まったばかりだ。

2017年5月3日付記
Still Falls the Rain (Ferry, Manzanera)


☆ 10年以上前に書いたものを今ごろ見返してみると,こっ恥(ぱ)ずかしいところも多々あるが(苦笑),人間の美意識なんて,そう簡単には変わらないものだなという気もする。やはりここに置かれたロキシーの音は多分に心地良い。そしてその心地良さと裏腹に歌詩の中身が自分の冴えない人生に反響しながら,沁みてくる。そして現実世界は(この感慨は「近ごろの若い者は」系と同じく,いつ・どんな時代でも同じなんだろうと思うが)息をするほどに悪くなっていく。自分が年齢(とし)ばかり食って,その美意識とは反対方向に進むにつれて,自分の見ている景色に出てくる後世代もまた劣化が著しいように思える。若者からすれば「お前自身の劣化度合いが目糞を嗤う糞そのものだろう」と毒づかれそうだが,その前にこの国の責任ある立場なる者たちの劣化度合いを言っているので,ゆめゆめ早とちりしないように。またそれは,そんな「責任ある立場」にすら相手にされないようなゴマメが夜中の孤独な犬のように吠えているだけだということもまた先刻承知であることは付言しておく。


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「その春」の使者 について



愛しのニコレット愛しのニコレット
(2008/05/28)
ニコレット・ラーソン

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☆ ニコレット・ラーソン(1952.07.17~1997.12.16)がニール・ヤングの「溢れる愛(Lotta Love)」を引っ提げてデビューした頃,ぼくはしがない受験生だった。彼女の曲がビルボードやキャッシュ・ボックスでトップ10に入った頃(最高位第8位),ぼくは偶然に助けられて受験を突破していた。だから「溢れる愛」は僕にとっては幸運の女神のような曲だったのだろう。

Lotta Love (Neil Young)

1978年10月リリース
最高位8位(ビルボード/キャッシュボックス/レコードワールド)
※かつての三大誌が揃って同じ最高位というのは珍しい気がする。
※全米のイージーリスニングチャートと全加アダルト・コンテンポラリーチャートではNo.1
その他の国の最高位 カナダ4位,豪州11位,ニュージーランド22位

☆ それは当時の感覚で言うなら,この曲のイントロが,ぼくにとっての冬の終わりであり,春の扉を開く音だったのだと思う。その曲がヒットしている時期,時代が個人的な記憶に織り込まれているのだと思う。後年作者であるニール・ヤングのヴァージョンも聴いたが,テッド・テンプルマンのプロデュースは彼女に当時のアーバン・ソウルのセンスを思い切り振りかけた(彼がドゥービー・ブラザーズにやったように)。そしてシングル・カットに際してインパクトのあるサックスをイントロにもってきたことも幸いしたのだと思う。

☆ この曲はシンプルな構造でAメロ(A→A)→Bメロ(B→B’)で,間奏の後にブリッジが入る。アルバムヴァージョンのイントロはサックスの前から始まっているが,シングルではサックスのところから始まる形にショートカットしている。それはちょうどブリッジの後と同じなのでいわばメロディがサークル状(A→A→B→B’→ブリッジ→A →リピート&フェイドアウト)になっているともいえる。そこが良いのである。

☆ アメリカのポピュラー音楽で人気のある女性歌手は割とクセ声の人が多い。ニコレットの声を聴いていると,スティーヴィー・ニックスやベリンダ・カーライルの様な少しザラッとした声質がいかに当時(1970年代後半~80年代後半)の全米で人気があったかに気付かされる。またこうした声質のヴォーカルは必然的に「強い歌唱」に走る傾向があり,それもまたステーション向きだったのかもしれない。

Lotta Love (Neil Young) ※Disco Purrfection Version



☆ 非常に申し訳ないのだが,ぼくにとってのニコレット・ラーソンはこのデビュー曲とデビュー盤に尽きてしまい,その後の彼女は残念ながら亡くなるまでほぼ未聴である。それでも今回,これを書くために曲を浴びるように聴いた(シングル,アルバム,そして上の長い長いディスコ・ミックス)が,思い出されるのは1979年春のことでしかなく,それも断片的な光景でもない,ラジオから流れてくるのこの曲だったり,やけに暖かく感じたあの春の陽気だったり,そういうことだけだった。

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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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