2016-05

「人生の壁(Border Song)」 (エルトン・ジョン 1970年4月24日)



僕の歌は君の歌+3/エルトン・ジョン



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☆ 「人生の壁」はエルトン・ジョンが1970年に発表したシングル。ゴスペルの影響を強く受けた作品であり彼の初期作品の中でも最も優れた作品のひとつである。バーニー・トーピンが詩を書いているが,英語版Wikipediaの解説によると最後の歌詩はエルトン自身が書いている。彼の長いキャリアの中で初めてチャート・インした作品(カナダ:34位、全米:92位)でもある。

> The last verse, written by John himself, seems to support this idea: "Holy Moses, let us live in peace/let us strive to find a way to make all hatred cease/there's a man over there. What's his colour I don't care/he's my brother let us live in peace."

☆ 「人生の壁」の背景には人種間・宗教間の偏見・差別,それに起因する疎外などがある。もちろんこの時代(1970年)であれば,白人と黒人の問題,パレスチナとユダヤの問題,英国ならば北アイルランドの問題,米国ならばヴェトナム戦争などがあった。そして1970年代にはウイメンズ・リブの大きな流れも起こった。

☆ エルトン自身の生き方を思えば,この曲が希求するものは結局のところダイヴァーシティ(多様性の承認)ということではないかと思う。差別や偏見の対象は民族や宗教だけでなく,様々なものがある。壁と言えば国境に万里の長城のような壁を相手側の負担で作らせろという主張をする人物が大国の指導者候補に名乗りを上げているのも2016年の現実のひとつであり,宗教や民族の違いを以て「他人を殺傷する正義」の「口実」に使っている狂信者の集団やその狂信者の横で「人質ビジネス」で戦闘資金を調達するような「軍団」もいる。これらを極端な例外としたところで,何だか至る所に壁ができているのが2016年の現実である。

☆ 金も力も拡声器もない我々がエルトンの声を借りて言えることはただひとつ。

> He's my brother let us live in peace.
(そんな彼もまた我が兄弟なのである。我らに安らぎを。)

Border Song (Elton John / Bernie Taupin)
Produced by Gus Dudgeon

BBC Live 1970年5月22日


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「DANCE(Pt.1)」(1980年6月20日)/「IF I WAS A DANCER(DANCE Pt.2)」



エモーショナル・レスキュー(紙ジャケット仕様)/ザ・ローリング・ストーンズ



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☆ 1980年。RCサクセションを見に行った時,開演前に発売して直ぐのローリング・ストーンズ『エモーショナル・レスキュー』がBGMとして流れていた。A面はかなり聴いた気がするがどこまでかかっていたかはさすがに覚えていない(笑)。




☆ 「ダンス」はそれ自身が「ミス・ユー」のパートⅡみたいな佇まいがある。ただダンス音楽としてはこの曲の方がはるかに洗練されている感じがする。ただローリング・ストーンズに「ソフィスティケイテッド」という賛辞は似つかわしくないとは思うが(爆)。「ミス・ユー」がディスコ・ビートの重さを意識した作りであったのに対して「ダンス」はリズムがキーになっているにも拘らず,重くない。どこか重さが「抜けて」いて,そのさまがソフィスティケイテッドだと思わせるのだ。


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「テイク・ミー・トゥ・ザ・リバー」(トーキング・ヘッズ 1978年)



☆ トーキング・ヘッズのセカンド・アルバム『モア・ソングス(More Songs About Buildings and Food)』に入っているアル・グリーンのカヴァー。ティナのうねるようなベースが格好良い。オリジナルを意識しつつ十二分に粘っこいカヴァーをしたところが面白い。同じような粘っこいカヴァーと言えばシールズ&クロフツをモンスーンに連れ出したようなアイズレー・ブラザーズの「サマー・ブリーズ」を思い出すところ。




☆ トーキング・ヘッズを有名にしたものはニューヨークのシーンというより,この偏屈ぶりにあったような気がする。アート・ロックではなく,ネオ・サイケでもなく,ニュー・ソウルをR&Bとして受け止めた上でそれを馬鹿正直にカヴァーしようとする彼らのスタンスは,少しずつプリミティヴなリズムへの志向を強めていく。それは『リメイン・イン・ライト』やその時期のライブに結実していくが,バンドにはもう一つの課題,今で言うところの「ダイバーシティ(多様性)」の,これまた馬鹿正直な肯定があった。

☆ ヘッズが,あるいはデヴィッド・バーンが偏屈だったのは,80年代という軽い時代には一瞬の光彩のようなものだったかもしれない。

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ダムドのピールセッション(1976年)



The complete session recorded by The Damned on 30 November 1976 for the John Peel show on BBC Radio 1 and broadcast on 10 December 1976.

☆ いちばん最初のダムドは,それこそビッグ・バンそのものだった。1976年つまり40年ほど前にこんなプリミティブなロックンロールが突如ロンドンで甦ったのだ。それってなんだかゾンビ物の映画のような感じだ。同じ70年代でもその前半にあった「ロックンロール・リバイバル」と「パンク」は構造が違った。前者はそのままリヴァイバルであったが,パンクは破壊だった。創造的破壊ではない。ただの破壊だった。




☆ ビッグ・バンと言ったのは,その大爆発そのものに意味があったからで「その後どうなるんだ?」と訊く者には「その質問は不要だ」と答えるしかない。丁度途中の曲で出て来るように,やった事が都合悪かったなら上から「ピー」音を被せておけば良いのである。この「後のことなんか知るか」が「勝手にしやがれ」なのであった。しかしそれにしても「ニュー・ローズ」は今聴いても革命歌だった(笑)。

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ガウチョのクレジットについて


ガウチョ/スティーリー・ダン



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Gaucho ((Becker, Fagen, Jarrett)


☆ スティーリー・ダン1980年11月21日リリースのアルバムタイトル曲は,それより6年前に発表されたキース・ジャレットの曲の一部分を援用しているとして,ジャレットから提訴された。この問題はクレジットにジャレットの名前を載せることで解決を見ている。曲の出だし切り出しの部分が確かに酷似している。これはクレームがついてもやむを得ないと思う。曲の展開については後から出来た作品の方がかなり良い。

Long As You Know Your Living Yours (Keith Jarrett & Jan Garbarek 1974年)



ビロンギング/キース・ジャレット・クァルテット



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喫茶店の黄金時代






☆ あべ静江はよく考えたらミスDJの元祖みたいな存在だと思う。1973年5月25日にリリースされた「コーヒーショップで」(作詩:阿久悠 / 作曲:三木たかし / 編曲:馬飼野俊一)は,名古屋嬢だったしーちゃんを一気に全国区にしてしまったが,この曲の1番に出て来る城が名古屋城ではチョッとイメージが違う感じがある。なんとなく松本城(ということは学生は信州大学)がイメージされてしまうのだけど実際どうだろう?

☆ 阿久悠はこの手の「青春日記帳」の名手で,こういうスケッチ風の抒情詩を書かせると松本隆と双璧だけど,それでもこの時代随一だったなあと思う。1973年という「時代感」は,全共闘のピークから連合赤軍事件を経て,明らかに倦怠感(すぐ後に命名されて「シラケ世代」)に変わっていく一瞬のところだろう。御三家も三人娘も代替わりするのがこの時期で,後の世代が「昭和歌謡」と名付けるのは専らこの70年代がピークとなっていく。




☆ 喫茶店と言えばガロ「学生街の喫茶店」に止めを刺す。Wikipediaにもあるように作詩した山上路夫は具体的な店のイメージを持っていなかったそうだ。興味があるのはこの曲(1972年6月20日リリースだがWikipediaにもあるように実際には73年冬・春シーズン最大のヒットである)のモデルになったお店ではなく,そのお店でかかっていたボブ・ディランの曲が何だったのだろうということ。意外と「Blowin' in the Wind」じゃないかなと思う。というのも日本のフォークブーム(特に70年安保やベトナム反戦に向けた)はプロテスト・ソングとして立ち上がっていること。この反対側にショウビズが用意したグループ・サウンズを持ってくるのは容易いがそんな単純な話でもない。いずれにしてもそういうコアなプロテスト・ソングの系譜が中村東洋らの熱心な支援もあり本来の意味での「ニュー」ミュージックに繋がっていったからだ。

☆ 彼等にとっての「ニュー」は,ヌーベル・ヴァーグなどと同じで,「古き者を打倒し打ち立てるべし」あるいは「それらに代わってしまえ」という意思があった。だからショウビズのコマーシャリズムに再構成(リストラクチャリング)され取り込まれた後に彼等は決したこの言葉を使わなかったのだ。そういう時代の雰囲気にあったボブ・ディランは『ナッシュビル・スカイライン』や『新しい夜明け』ではない気がする。

☆ 喫茶店のフォーマットはこの時代に確立した,と書けばそれは嘘っぱちである。そもそもの形の喫茶店は60年代には出来上がっていた。ただ70年代に入ると大衆化していった。理由は明白で外食が産業としての産声を上げ,(昼間に)外で食べることや飲むことの敷居が低くなったのである。



☆ しーちゃんのようつべのコメントで沢口靖子と比較しているコメントが若干あったが,このジャケから見れば卓見かもしれない。

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タモリ的(序)



タモリと戦後ニッポン [ 近藤正高 ]



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☆ 「笑っていいとも」のテレフォン・ショッキング・ゲストに小田和正を指名したのは,記憶違いでなければ明石家さんまだった。さんまと小田の繋がりはおそらく関西のラ・テ局絡みだろうと思う。また,どちらもゴルフをやっている。オフコースというバンドの名前だってOffになってるように,その当時のエリートのレールから外れたという宣言の他にゴルフをする人の言うスライスとかフックとかそういう意味もあるだろう。でなければ自分たちのアルバムタイトルに『フェアウエイ』とは名付けるまい。

☆ 静かな対談番組として有名なものは高倉健が出たある番組(あまりにも有名だが見ていない)とこの時のテレフォンショッキングがあるらしい。実際,話をかみ合わせる努力をどちらもしなかったように思う。ただこれはハブとマングースとかアイヴァンがGIジョーと出会った(クラッシュの曲名)というのとはちょっと違って,どちらとも妙に照れてしまって話を出せない,接ぎ穂がないという状態であったという印象がある。

☆ 「Mr.Tamori's Show」(当時のオールナイトニッポン水曜第1部)でタモリがやっていた口撃(この言葉も絶滅危惧種だ)の対象は基本的にはネタだったと思う。ただそのベースには「好き・好かん」があった。この「好かん」は「嫌い」とはちょっと違う。文字通り「好かんものは好かん」というとっても私的なものだ。当時のディスク・ジョッキーを「パーソナリティー」と称していたが,アメリカのトークラジオのように語り手の「個性」がそのまま番組の個性であったので,個人的な好き嫌いがそのまま電波に乗ってリスナーに届きそれが流行(翌朝の学級での話題)になっていく構造があったと思う。

☆ タモリ的な「好き・好かん」は,ある意味椎名誠ワールド的(創刊期の「本の雑誌」に集った面々のエートス的なものをそう言っている)にも近かった。そのメンタリティーは幾分旧来型のジェンダー論を引きずり「男らしいか否か」という一点に集約される。これは彼と同郷である武田鉄矢にも通底していて,武田流に言うところの「あんた女々しかよ(=博多弁のニュアンスでは「お前はちっとも(態度・行動・やってることが)男らしくない」)」は,タモリの「やさしさの安売り」口撃とほぼ同じレベルの話だった。

☆ そこで口撃の対象とされたのが,メジャー化戦略が当たって(当人達が望まないまま)時代の顔になっていったオフコースでありさだまさしであった。面白いことをひとつ指摘しておくと,タモリは自分の仕事で繋がりの出来た人間を基本的にその対象から外している。典型例が水曜第2部を受け持った松山千春で,松山のファンがさだ,(南)こうせつと続いた軟弱フォーク批判の俎上に松山が入るのを懸念していたが,タモリは番組の中でそれをあっさり否定している。

☆ タモリのオールナイトニッポンでの語りは,話がどんどん漂流する「レーモン・スボンの弁護(モンテーニュ『エセー』)」型で,話し始めて10数分経ったあたりで「ところで俺,何の話をしてるんだっけ」みたいなオチになることが多かった。この漂流話法は基本的にスクリプト無しで喋っていく関西のヒトの言う「しゃべくり」の典型であり,当時も今もそう認識している人は少ないだろうが,あれは一つの話芸(徳川夢声的な意味においての)です。

PS.タモリの「名古屋口撃」は初期ネタで著名だが,当時から「偉大なる田舎」であった名古屋に対する九州人のやっかみ(主にロケーションの問題=博多駅から出る夜行列車の行き先は大半が大阪か東京で名古屋ではない。また当時のブルートレイン「あさかぜ」は名古屋では乗客停車はしない。)だった。またネタの中に最近建て替えられた「大名古屋ビルヂング」が出て来るのは鉄男で知られるタモリが新幹線に乗って車窓からその名前を見たからだろう(今はJRセントラルタワーズがあるのでたぶん不可能)。


↑なかなか健闘しているカヴァー

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「一人ぼっちの世界(Get Off of My Cloud)」(1965年9月25日=米、10月22日=英)



December’s Children/Rolling Stones



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Get Off of My Cloud (Jagger/Richards)




I live in an apartment on the ninety-ninth floor of my block
おれはアパートの99階に住んでいる
And I sit at home looking out the window
部屋で寛いでいる時はじっと外の景色を眺めているのさ
Imagining the world has stopped
この小うるさい世の中がどっかでピタッと静まってくんねえかなって思いながら
Then in flies a guy who's all dressed up like a Union Jack
ところが連合王国旗みたいなのを身に纏ったミョーな野郎が突然やって来て
And says, I've won five pounds if I have his kind of detergent pack
こう言いやがる。「この洗剤買ったら5ポンド当たったぜ」とかなんとか

I said, Hey! You! Get off of my cloud
おれは言ってやった「おい!お前!とっとと消えてくんないか
Hey! You! Get off of my cloud
おい!お前!とっとと消えてくんないか
Hey! You! Get off of my cloud
おい!お前!とっとと消えてくんないか
Don't hang around 'cause two's a crowd
この一人ぼっちの(雲上の)世界にゃ
On my cloud, baby
2人いるってのは混み過ぎなんだよ」

The telephone is ringing
電話が鳴り始めたから出てやった
I say, "Hi, it's me. Who is it there on the line?"
おれは訊いた「おれだけど,なんか用あんの?」
A voice says, "Hi, hello, how are you?"
声の主はこう言う「よう,どうだい,儲かってるの?」
Well, I guess I'm doin' fine
まあな,ボチボチってとこさ。
He says, "It's three a.m., there's too much noise
ヤツは続けた「今さあ午前3時なんよ,おたくから喧しい音がするわけ。
Don't you people ever wanna go to bed?
良い子は皆おねんねの時間って思わない?
Just 'cause you feel so good, do you have
おたくが絶好調なのは勝手だけどさ。
To drive me out of my head?"
あたしの頭の中にまでブッ飛んでくるのは止めてくんない?」

I said, Hey! You! Get off of my cloud
おれは言ってやった「おい!お前!とっとと消えてくんないか
Hey! You! Get off of my cloud
おい!お前!とっとと消えてくんないか
Hey! You! Get off of my cloud
おい!お前!とっとと消えてくんないか
Don't hang around 'cause two's a crowd
この一人ぼっちの世界にゃ
On my cloud, baby
2人いるってのは混み過ぎなんだよ」

I was sick and tired, fed up with this
おれは絶不調で気分優れず,いい加減うんざりしたもんで
And decided to take a drive downtown
街までひとっ走りしてやることにしたのさ
It was so very quiet and peaceful
静かで平和な世界には
There was nobody, not a soul around
小うるさいのの姿もなく,安らぐには丁度良さそうだったんで
I laid myself out, I was so tired and I started to dream
おれはその場に横になって,ほんのひと時安らぎの夢見心地でいたのさ
In the morning the parking tickets were just like
そしたら朝になって気が付くと駐車違反の切符が
A flag stuck on my window screen
おれの車の窓にしっかと貼ってありますたとさ。

I said, Hey! You! Get off of my cloud
おれは言ってやった「おい!手前(てめえ)!とっとと消えてくんないか
Hey! You! Get off of my cloud
おい!手前!とっとと消えてくんないか
Hey! You! Get off of my cloud
おい!手前!とっとと消えてくんないか
Don't hang around 'cause two's a crowd
この一人ぼっちの世界にゃ
On my cloud, baby
2人いるってのは混み過ぎなんだよ」

Hey! You! Get off of my cloud
「おい!お前!とっとと消えてくんないか
Hey! You! Get off of my cloud
おい!お前!とっとと消えてくんないか
Hey! You! Get off of my cloud
おい!お前!とっとと消えてくんないか
Don't hang around, baby, two's a crowd...
この一人ぼっちの世界にゃ,2人いるってのは混み過ぎなんだよ...」

Note: "get off of my cloud" 文字通りなら「おれの中にある雲を取っ払ってくれ」。でもここは「雲」なのは目の前の「お前」なので,「とっとと消えてくれ(失せろ)」程度の意味。

全米No.1(1965年11月6,13日)
全英No.1(1965年11月4,11,18日)

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1987年のソウル・レディー


GO GO EPO/EPO



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☆ 「う、ふ、ふ、ふ、」(1983年2月5日)で先輩格の竹内まりやに劣らぬブレイクを果たしたことが,エポにとって良かったことなのかどうなのか。それは彼女がそれからの80年代におそらく心の中で血を流しながら,届け続けた贈り物のような諸作品を聴けば,少なくとも悪いことではなかった。彼女がこの時代に残した作品集は,80年代,まだJ-POPという言葉のなかったこの国のポピュラー・ソングの最高点(少なくともその同じ高み)を示している。

DOWN TOWNラプソディー (14thシングル 1987年3月10日)



☆ 正式なクレジットはない(Mr.Soul Manのクレジット有り)が,デュエット相手は言うまでもなく鈴木雅之。思えば姉貴だとか菊池桃子だとかいろんな人とデュエットしているマーチンだが,これは彼のデュエット・シングルでは初期の方じゃないかな。

☆ ざっくり30年を振り返ってみて,80年代にはソウル歌手も大きく変わっていったと思う。70年代のレディ・ソウル達はカーリーにしたり姐御系(もちろんアリーサ・フランクリンやチャカ・カーンがお手本)の「直系」感が強かった。ジャンルは違うが山田詠美もまったく「それ系」の香りがプンプンしていた(そのエイミーも今では高校の現代国語の教材になっている)。

☆ 流れが変わったのはディスコ・クイーンでドナ・サマーがクローズアップされた70年代末あたりからで,この頃いちばんソウル系にアプローチしていたのが岩崎宏美だという事実もある。つまりフォークやロックが「ニュー・ミュージック」と呼ばれだしたのに呼応するように,ソウル/ディスコがブラック・コンテンポラリーに変わっていった。カルメン・マキや金子マリから宮本典子や葛城ユキを経てこちらに移った先にはエポや杏里や彩恵津子らがいた。もちろんそれらの流れとは別格で吉田美奈子がいるのだが。

☆ 杏里はディスコ/ソウルをベースにダンス音楽としてのソウルを吉元由美と一緒に鍛え上げていった。エポと彩恵津子は60年代からのソウル本流に再訪している。それはスウィート・ソウルをベースとしながら80年代のポピュラー音楽のあり方と歌詩にも重きを置いたアプローチであった。本来的なソウル・ファンからの評価はまだ高くないと思う。どういう音楽を選び,織り込んでいくにせよ,これはポピュラー音楽という大きな縛りの中のアプローチでもあるからだ。


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ミドル・マンの頃



ミドル・マン/ボズ・スキャッグス
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☆ ボズ・スキャッグス1980年作品『ミドル・マン』はデヴィッド・フォスターの名を一躍高めた作品と言ってよい。フォスターはこのアルバムでこの曲のようなバラードから「ブレイクダウン・デッド・アヘッド」のようなシャッフルまでさまざまなタイプの曲を書き分けている。クレジットを見るとプロデューサーのビル・シュネイも最後の曲に顔を出しているのがご愛嬌だ。

☆ デヴィッド・フォスターといえばバラードというイメージは,この曲やアースの「アフター・ザ・ラブ・ハズ・ゴーン」とかチャカ・カーンの「スルー・ザ・ファイヤー」みたいな名曲が80年代前半に大量にリリースされたからかもしれない。実際,日本のボズ人気は「ロウダウン」のヒットに遅れたこともあって,このアルバムがドンピシャだった。ある意味AORと言えば『シルク・ディグリーズ』よりも『ミドル・マン』だとも指摘できる。前者はやはり彼のその作品に至る全体図であり,後者はソフト・アンド・メロウという括りでの代表作と言って良いのではないかと思うからだ。もちろんアルバムタイトル曲やシングル・カットされた「ブレイクダウン・デッド・アヘッド」。先ほども触れたアルバムの掉尾を派手に飾る「ユー・ガット・サム・イマジネイション」のような曲も揃っているから,アルバム全体として非常にバランスの取れた作品ともいえる。




☆ 本当のところ,「ユー・キャン・ハブ・ミー・エニイタイム」とペアになるべき曲はこのアルバムには無く,このアルバムのすぐ後にリリースされた映画『アーバン・カウボーイ』に収録された「ルック・ホワット・ユーヴ・ダン・トゥ・ミー」なのだろう。この2曲は2枚のアルバムを追いかけるようにリリースされた彼の『ヒッツ!』に仲良く収録されているが,やはりフォスターの手柄と感じてしまう。

Hits/Boz Scaggs
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事情があってしばらくお休みします。

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deaconblue

Author:deaconblue
「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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