2017-10

音楽を評論するということ


初出:2007年4月29日 (一部改稿)
☆ 音楽を評論するということには幾つかの側面がある。そのひとつにはその音楽の成り立ちという視座がある。その応用では歌の「ことば」と「曲」を分けて,それぞれの成り立ちを捉えることがある。それはその音楽あるいは作品に至る過程(社会的背景から音楽家の個人史に至るまで)を考察することでもある。

☆ そのような評論の場面において,好ましくない見本が幾つかある。ひとつはまず結論ありきの「論評」である。最初からある結論に到達することを目的とした議論である。例えば「流行歌は低俗だ」という結論があったとして,その結論に向けて自分に都合の良い証拠を探し回るような姿勢である。この実例はさる高名な文芸評論子(彼の業としては新聞記者であった時代が余りにも長いので,文芸評論家としては短命であった。ただし書評氏としては超一流であったことは否定しない)が,自分の勤めていた新聞の中で歌謡曲を罵倒する特集記事を三週間近くに亘り掲載した「百目鬼事件」がその代表である。ぼくは百目鬼恭三郎(注:元朝日新聞記者・「風」の筆名での週刊新潮の書評は有名。故人)を書評家として評価はするが,この時の恨みだけは絶対に忘れない。

☆ 最近もSo-Netのウエブログに似たような記事を見たことがある(注:2007年かどうかは忘れた)。その投稿者はAとBの曲が部分的に似ていることについての反論をさまざまな形で提示していた。その論旨自体は納得性があり興味深く思ったが,ぼくにはその人(性別不詳)が,なぜそこまで「ムキになって否定するのか」がどうしても理解できなかった。「タモリ倶楽部」に「空耳アワー」という名物コーナーがあるが,似たようなフレーズや同音の出だしなどということは音楽にはありふれた話で(「ミスティ」と「引き潮」の最初三音は全く同じとかね),音楽というのはその音のアイディアをどう展開していくかが重要であり,他人のヒット曲のフレーズを無断借用したかどうかに拘るのは,自分はいろんな曲を知っているということを自慢したいからという深層心理の裏返しに過ぎないと思っている。こういうのは「批評ごっこ」であり評論とは何の関係もない。

☆ じゃあお前は「○○万歳(マンセー)」しか認めないのかと問われたら,そちらの方が音楽に限っては「毒が薄い」分マシだろうと答えたい。しかしそれも音楽を評論するという次元には程遠い「批評ごっこ」に過ぎないだろう。かつてぼくが役立たずなアイドル評論を「オリコンウイークリー」に投稿していた頃,「ファンになったら痘痕(あばた)も笑窪(えくぼ)かい?」と罵詈雑言を浴びせたヤツがいた。ぼくはその時は何も書かなかったが,そいつは自分が支持する「だれとかさん」と松田聖子を無理矢理比較したり,別の「だれとかさん」を褒め称えるのに御丁寧にも,もう一度「同じようなこと」を書いたから,チョッとカチンと来て反論したら,そういうことを書いてきた。

☆ 相対主義なんかで音楽を評論した気になるのは,愚の骨頂というより「私は馬鹿でございます」と世界中に宣伝しているようなものである。AとBを比較してどっちが良いなんて「偏差値教育」の成れの果てみたいな話で音楽を語るなよ。それは「スネークマンショー」のネタにもあった「良いものもあれば悪いものもある」のギャグと何ら変わらない。

☆ ぼくは淀川長治さんの映画解説が好きだった。淀長さんは映画が好きで好きでそのままそれを職業にしたようなヒトだった。だから「淀長さんは良いことしか言わない」と当時から良く悪口を書かれていた。でも,好きでもない映画を見て「これはあそこがダメだった」とばかり言って何が面白いのだろう。映画も大衆音楽も娯楽である。娯楽は楽しむものであって,楽しめないものに時間も言葉も費やすべきではない。ぼくは訳知り顔の「自称評論家」よりもどしろうとでも「これが好きなんだ」と言える人の発言の方が余程信用できる。たとえそれが「批評」レベルであったとしても,そっちの方が見ていて役に立つと思う。

☆ 音楽評論(演劇・映画でもそうだが)は,目と耳と頭と心で感じたものを文字で表す作業である。生半(なまなか)な努力では,絶対にオリジナルには勝てない。その厳しさもなくただ「あてがい扶持」を頼って駄文を書き流している「自称評論家」(新聞雑誌記者に多い)を見てると,腹の底から吐き気がする。小僧の感想文に支払う金なんか,どこにもないのだ。
=続く=

初出:2007年5月4日 (大幅改稿)



☆ いまは閉鎖され跡形もなくなったとある音楽サイトに書かれた投稿があった。

☆ ぼくもあの「集団リンチ事件」のことを忘れないし,目が黒い限り絶対に許さない。そして事の顛末を書き連ねることで「音楽を評論すること」の本質について彼等「職業音楽評論家」達に刃(やいば)を突きつけたいと骨の髄,腹の底から考えているからである。

☆ 事の起こりは,このアルバムである。



☆ このアルバムでトーキング・ヘッズの四人は,アフリカン・アメリカンのリズム隊を大胆に導入した。その傾向は,このアルバムの前の作品『Fear of Music』に既に現れていた。おそらくその後のTom Tom Clubの作品から考えて,デヴィッド・バーン(David Byrne:Guitarist/vocalist)の趣味というより,ヘッズのリズム隊を受け持っていたクリス・フランツ(Chris Frantzd:rummer)とティナ・ウエイマウス(Tina Weymouth:bassist)の嗜好だったと考えられる。





☆ このリズム隊のアプローチに噛みついた人物がいる。当時『Rocking On』編集長だった渋谷陽一だ。その評価は酷評そのものだった。記事を持っている訳ではないので正確には書けないが,アフリカン・リズムを安直に導入したそのアプローチを「クソだ」と批判した。ぼくは詳しい事情は知らないから,ヘッズの方法論がクソだと渋谷が断じた論拠には賛成しかねる。少なくともその後のヘッズやトムトムクラブのアプローチを見る限り,導入したものを消化して血肉としたことは事実であり,その結果が『Speaking in Tongues』で初めてヘッズは米国でのポピュラリティを得ることになった。



☆ しかしこの「トーキングヘッズはクソだ」に極めて不快感を感じた評論家がいた。今野雄二である。今野にしてみれば自分の美学,言い換えれば自分の顔にクソを塗られた思いであっただろう。その怒りは解らないでもない。しかし,率直に物言いをした渋谷に対して今野の反撃は明らかに陰湿だった。今野は渋谷に直接反論する代わりに,渋谷お気に入りのミュージシャンの個別攻撃を開始した。坊主憎けりゃ袈裟(けさ=坊さんの法衣)まで憎しという訳だろうが,それでは議論にはならない。今野には悪いがまさしくオカマの喧嘩である(爆)。

☆ 結論を言えば,ぼくも「ヘッズがクソだ」と言った渋谷の目の方が節穴だったとは思う。しかし,今野のやり方は昨今(注:2007年現在)どこぞの国の「裏サイト」で流行っているような低脳を絵に描いたようなやり方だと思う。ファンの多い(レッド・)ゼップは批判できないから,ロバート・フリップを悪し様に腐す様は,やはり大のオトナのやる事とは思えなかった。

☆ 当然,一国一城の主である渋谷は自分の雑誌で今野を個人攻撃した。曰く「何か流行りそうなものがあれば,今野雄二が太鼓を叩いてやって来る」。これまた完膚なきまでに相手を叩きのめす悪し様な目を背けたくなるような感情の塊のような「中傷記事」だった。結局こうやって渋谷と今野の対立はそれぞれの拠点である『Rocking On』と『ミュージック・マガジン』の間の壮絶な内ゲバとなったのである。

※ゲバとはドイツ語のGewalt(暴力)のことで,内ゲバとは反体制の学生運動が分裂する中で,かつて共闘していたセクト同士が相手を攻撃し,しまいには暴力団の出入りのような実力行使に走っている(現在も続いており,公安警察がそれをマークしている)行為を指す。ここではもちろん最大級の皮肉として引用した。

☆ その文脈の中で,最初に引用した『Don't Stand Me Down』の集団リンチ事件が勃発した。当時の『ミュージック・マガジン』には四人のレビュアーがひとつのアルバムを合評する「クロスレビュー」と言うコーナーがあったが,そこを舞台にあろうことか『ミュージック・マガジン』の編集長であり発行人(注:当時)である中村とうよう(東洋)本人が先頭に立って,上に引用したような言論暴力を振るったのである。

☆ だからぼくはあれ以来『ミュージックマガジン』を手に取っていない。『レコード・コレクターズ』は興味深い特集が幾つもあったが,今まで一冊も買ったことがない。これからも買わないだろう(注:この措置は大滝詠一氏の追悼号をもって解除した)。ただし中村東洋が岩波新書から出した『ポピュラー音楽の世紀』だったか,あの本だけは参考のために買った(注:数年前に読了したが非常に参考になる本だった)。そして90年代を過ぎて,ぼくはこの忌まわしい思い出と共に「ポピュラー音楽の世紀」に自ら幕を下ろした積りだった。


☆ そんなぼくが今頃になってポピュラー音楽のレビューを書くことが出来るのは,やや皮肉な気持ちがする。ただ,だからこそ,これは言っておきたいのだが,音楽評論は「独立したひとつの所為」である。それをどんな形であれ「他の目的に利用するな」。それをやった者は魂をどこかに売り飛ばした者である。そんなヤツの「評論」は金輪際読まない。読みたくもない。そしてぼくは自分の目が黒いうちはそんな評論はただの一本だって書きたくない。それが自分の心を捉えた流行音楽というものへの最低限の礼儀であると,ぼくは思っている。今回,名を挙げて断罪した何人かの音楽評論家は確かにぼくの音楽観に多かれ少なかれ影響を与えてきた。ぼくはそのことまで「都合良く消去」したりはしない。しかし,彼等がやったことは,ぼくの心を深く傷つけた。そのことは事実だし,何度でも書くが,目の黒いうちは,絶対にそのことをぼくは忘れない。それが音楽評論の真似事をやっている駄文書きの最低限のプライドであるから。

2017年9月13日追記



☆ これを書いた後でぼくが耳にした話はもっと下らない「おはなし」だった。当時(ヘッズが『'77』でメジャーシーンに登場した頃)から渋谷と今野はそれぞれの見地からこのグループの音楽的前衛性と将来性を評価してきた。例えば今野はイギリスでXTCが登場した時に「イギリスのトーキング・ヘッズのようなバンド」と評していた(もっとも今野がバリー・アンドリュース在籍時のXTCを知っていたかどうかは分からない)。

☆ ぼくが聞いた話は『リメイン・イン・ライト』での黒人ミュージシャンとのコラボを渋谷は当初評価していたものの,今野のべた褒め評価を知ってその評価を変えたというものだ。今野は故人だし今さら渋谷に訊くわけにもいかない(この辺「問題のレベル」も含めて桑田佳祐と長渕剛の確執に実によく似ている)。きっかけがどうであれ,この人々が「やらかした」ことは音楽評論どころか「音」を「楽しむ」ことの極北にしかなりえないと,ぼくは感じている。

☆ 音楽とはその音楽を作り出す者とそれを聴く者との対話である。対話が成立しないのであれば,その音楽を聞かなければよく,そのことを他人に伝える必要もない。そもそも対話になっていないのだから,評価などできるはずもない。それでは音楽評論家という職業は成立しないじゃないかというなら,それは甘い認識だ。

☆ 淀川長治氏が真のプロフェッショナル映画評論家だった理由は,どんな映画(ヒットしなくても,逆にヒットしたけど世間的には駄作とされる作品)でも,どこか評価に値するシーンを見つけ出す(映画を最後まで集中的に見ていかないと見つからないだろう)ところにあった。それは無理やり「帳面消し」をしているからではない。彼が映画が好きで「映画の魅力」を信じているからである。評論でメシが食いたければそこまで相手を好きになるしかないのだ。

☆ この記事を書いた後,奇しくも当事者の二人(今野雄二,中村東洋)が同じ死に方(自死)をした。だからどうだとは言わない。生き残ったぼくは,自分の音楽の聴き方を示すことで死者に対しても正当に抗議を続けていく。それは彼らが愛した音楽が,ぼくのそれと「同じ天に存在すること」をぼくが信じているからである。ポピュラー音楽の未来のために,僕は誇りを持って敢えてこの旧稿を再びここに示すのである。


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幻の30年



☆ 2016年の30年前は1986年で日本のポピュラー音楽にとって重要な意味を持つ数枚の作品が発表された年である。30年後にその亡霊のようなビジネスが高額限定盤になって出揃っている。たぶんその幾つかを1セットだけ買うのだろう。ただ一度,自分が生きていたことを確認するだけに聴き返すために。

☆ そうしてぼくは亡霊達を買うのだろう。哀れなレコード会社のモンキービジネスに浄財を出すために。そして捻じ曲げられ修正された幻の30年に哭くだろう。声も上げずに。そんなものどこかの国のノーベル賞と五十歩百歩に違いない。であるから墓石の下の骨となったアイドルのように。ぼくたちは幻の30年を嗤うだろう。とてもささやかな声で。その蟒蛇(うわばみ)を売りまくっている恥知らずの勝者を横目にしながら。

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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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