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2020-01

ネ申(ねしん、ねもうす、それともねがみ?) じいさん学 第12講



☆ 「神ってる」と当時の広島東洋カープを率いた緒方孝市が行ったのはつい数年前のことで,「がか」の怒り(注「神がかってる(^^;)」か翌年は...さて,かくも神様をたやすく口にする多神教の人々に関する考察。。。




☆ むかし森喜朗は「日本は神の国」と言って,たいした失言でもないのにマスコミの集中砲火を浴びた。これが「大した失言」かどうかは各自のイデオロギー,信仰,及び宗教観に左右されるため深入りしない(苦笑)。ただこの国に住むかなり多数の人達は「八百万の神様」を無意識に感じているようだ。そうでない人は信仰が明確にある人であり,それが神道でなければ,初詣には行かない(仏教徒はお寺参りするし,それぞれの宗派の教会などには行くだろうが「初詣」ではないだろう)。だから大半の人には初詣もクリスマスやハロウィーンなどと変わらない「季節行事」になっている。

☆ ネ申(「神ってる」も同様)などという言葉も,その文脈の中から出てきている気がする。自分ではどうにもならない力を人間は感じており,それに名前を付けるかどうかという話がここにはありそうだ。英語ならawesome,我が国なら「ヤバい」。この辺りにネ申の居場所がある感じはする。

☆ 人智を超えただとか,超人技だとか,超絶技巧だとか,世界新記録だのギネスブック登録だのと「フツーのヒト」には想像を超えた現実(トリックの有無にかかわらず「実際に眼前で展開される」)があれば,少なくともその人の尺度では「神ってる」ことになる。勿論世の中にはぼくのようなヒネクレ者もいて,わざと揶揄するニュアンス(毒)を隠して平然とそういう「ネ申」賛辞を送る不届き者も山ほどいるとは思う(爆)。

☆ Unbelievableでもincredibleでも構わないのだが,それがプラス方向で感動的であればネ申世界はそこにあるということなのだろう。

Dear God (XTC 1986年8月16日)
(Andy Partridge)



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草のない野球 (じいさん学 第11講)



☆ 中学の頃,国語の先生から「野球」の命名者は正岡子規だという話を聞いた。子規の本名が升(のぼる)だからという話で,これは今(2020年1月)日経の朝刊小説で伊集院静が漱石と子規の話を書いている中でも触れていたが(彼も書いているように)事実ではない。Wikipediaに書いているように中馬 庚(ちゅうまん かなえ)が訳者である。ただ伊集院の小説にも書かれていたが,子規は訳語としてでなく「野球」の語を「ベースボール」の意味で使っていたのも事実である。



☆ ぼくがこどもの頃は「草野球」はある意味男の子(小学生)の遊びの王様だった。もちろん「巨人の星」というまんが(アニメ)の影響がある。第二次世界大戦後,野球はスポーツとしてだけでなく娯楽として映画と並ぶ二本柱だった。それを広めたものはラジオ,そしてテレビの実況放送だったのは間違いない。野球人気を支えた基盤には王・長嶋に代表されるスター選手の存在も確かにある。だけど浜田省吾が歌っているように野球は「投げる,打つ,走る(と捕る)」で構成されたシンプルなゲームだから(そのうち細かなルールブックを必要とするほど複雑化していく),遊びとしての間口が広かったと思う。

☆ こどもの頃に野球ができた別の理由が「空き地」の存在だ。空き地に隣接しているとドラえもんの神成氏のように『ガラス窓をしばしば割られる』という被害も発生するが,そういうことは滅多になく総じてこどもは草野球に興じることができた(軟式球やソフトボール球の存在も大きい)。だかしかし「空き地」には所有者がいて(あるいは所有者が変わって)街の発展と共にそういう場所は徐々に無くなっていった。

☆ その中でリトルリーグ,高校野球,大学野球,実業団野球,プロ野球というレイヤーが生まれ,プロスポーツとしての野球がすそ野を広げていく。草野球はどこかのグラウンドを借りた早朝野球(こどもの頃から草野球に馴染んだおじさん達のスポーツとして)に押し込まれていく。さらにサッカーをはじめとする実業団スポーツのプロ化は野球を娯楽の王様の地位から引きずり落とすことになる。そして昨年「後悔などあろうはずもなく」プロ生活を終えたイチローが草野球を始めた。

☆ 草野球とは言うものの,人工芝,整備されたグラウンド,多目的施設の一つとしてのボールパーク。そういう現実を抱えて「たくさんあるスポーツの一つとして」今日の野球がある現実を見るにつけ,下手っぴ草野球の三振要員だったぼくにはあの草野球の日々がかなり懐かしいものに思えてならない。

Glory Days (Bruce Springsteen 1985年5月5日)




☆ 本当は浜省の「Baseball Kid's Rock」を入れたかったけどオフィシャルが無いので諦めた。あの曲の歌詩と昨年イチローが語った言葉は見事にシンクロしていると思う。

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痛勤のゆくえ(いわゆるひとつの「毎日が遠足」問題) じいさん学 第10講



☆ 小学校の頃は背中に何かを背負(しょっ)っていた。普通はランドセル(オランダ語のランセル: ransel が訛ったものと言われる)だが,遠足となるとこれがリュックサック(ドイツ語: Rucksack)に変わった。これがそのうちナップサック(ナップザック 英語:ナップサック)に変わる。当時(70年代前半くらいまで)のイメージではナップザックの方はコンパクトでおしゃれという感覚だったかと思う。これがやがて「デイパック」として学生やサラリーマンの間に広がり,携帯電話(スマートフォン)の普及がそれに拍車をかけた。




☆ まだセルラー"ホン"が巨大で,高級セダンのリアにこれ見よがしの自動車電話のアンテナが突っ立ってた時代には電車通勤を嫌う若い人達がデイパックを背負って自転車通勤していた。石田ひかりが初主演したテレビドラマの中でそういう通勤をしていたのを思い出す(『悪女(わる)』:1992年4月18日~6月27日)。このデイパックが通勤電車に増殖したのは先ほども書いたスマホ(特にスマホゲームとSNSの普及)で両手が開いている必要が出てきたからだろう。こうして通勤(退勤)時における「毎日が遠足」問題が発生し,各高校の鞄が手提げ型からデイパック型に変わったことで,これに拍車がかかった。

☆ 毎日が遠足状態で一番困ることは(デイパックを利用しない人間にとって)空間が無駄に使われることと背負っている人間は後ろに目を持っていない(自分の後方を意識しない)ことだ。またそれを意識して例えばバスの座席に座る時にリュックを手に持っている人も降りる時にあまり周囲を気にせずリュックを背負おうとするので無意識に振り回された形になったリュックが後ろや周囲に人に当たるという「事故」が起きる。

☆ そういう訳で「毎日が遠足」問題はここ数年乗車マナー問題の上位を占め続けていた。もっとも電車(特にロングシート型)に乗る人の中には文字通り「肩肘張って(腕組みをして)」自分の領域を出頭する人がいて,あれにもいい加減閉口する。肩幅だったり持っている荷物の幅は物理的に限界があるから左右にはみ出すことは仕方がない。だから譲り合いが大切ですという話になるが,座った途端に腕組みで権利主張されるとこれはどうも...

☆ 逆にスマホ移行で減ってきたのが新聞雑誌による場所取り(実際にランキングを下げている)。だからスマホやタブレットを見ている人が全員ゲームやSNSをやっている訳ではない。また特にワイヤレスが普及してからイヤホンの音漏れも以前に比べれば減ってきたような気もする。こうした「痛勤」問題は首都圏などの複々線化や相互乗り入れの拡充(遂に相鉄が新宿に現れる時代に^^)により減少傾向ではあるけど,まだまだ無くならないような気もする。

「東へ西へ」 (井上陽水)





☆ 通勤に関して日本のサラリーマンのおっさん達が一度だけ「暴動」を起こしたことがある。それは1970年代半ばに埼玉県で起きた。陽水はその頃中央線沿線に住んでいたのだろうと思うが,あの頃の花形103系もすでに引退して久しい。今はなき中央線の支線(下河原線)ではクモハ40系の単行がのんびり走っていた。

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俺様参上 (じいさん学 第9講)

謹賀新年


☆ 昔の学校の校舎は木造だった。地方の名門校などと呼ばれていい気になっている旧制中学から続く高校など「古いこと(=伝統があること)はいいことだ」を引きずっていつまでも木造モルタル建の校舎を使っていた(先月亡くなった中曽根康弘氏が総理大臣の頃くらいからそうした伝統校舎の現代化が始まり(爆),Windows95がブームになる前あたり(細川政権の頃か^^;)にそれはほぼ終了しているようだ)。



☆ 木造モルタル建の校舎の内部はどうなっているか?下手したら廊下も木で出来ているのだが(笑),さすがに小中学校のような「木の廊下」は少数派だっただろう。いずれにしても年に数回この廊下の「ワックス掛け」などという面倒事(苦笑)があり,滑って転ぶ等の実害があったりしたわけだが,それもまた別の話。だけど教室の中は木でできている訳で,そうすると授業に退屈した連中が何をするかは1952年だろうが1982年だろうが大差が無い。落書きである。

☆ 昔からこの年代の男が書く落書きはたわいないものかエロいものと相場が決まっており,たまに哲学や文学が混じっているがぼくがそういう年齢の頃は既にレッドブック入りの絶滅危惧種だった。そう言えばインターネットが広がると「××の落書き」と揶揄するオッサン達がいたが,自分がリア厨だった頃「そういうこと」をしなかったのかと小一時間(以下略)。

「アイリス」 (ORIGINAL LOVE 1997年7月2日=アルバムリリース)


☆ 校舎の落書きに限らず(つまりスプレー落書きのこと)昔の落書きによくあったパターンに「××(人名)参上」というのがあった。参上した「××」がどの程度の御仁であるかは想像に難くないが(爆),インターネットもSNSもない時代の承認欲求の発散なんて,こんな他愛もないモノなのである(苦笑)。

☆ ところでスティックスの83年作品に『Kilroy Was Here』(1983年2月22日)がある。このアルバムは邦題が『ミスター・ロボット - キルロイ・ワズ・ヒア -』となっていることからも分かるように(笑)アルバムトップ曲「Mr. Roboto」(注:Robotではない)が本邦リスナーの度肝を抜いた(再爆)。Wikipedia英語版のこの曲の項にはわざわざ次の記述がある。

The Japanese lyrics at the beginning of the song are as follows:

どうもありがとうミスターロボット (Dōmo arigatō misutā robotto)
また会う日まで (Mata au hi made)
どうもありがとうミスターロボット (Dōmo arigatō misutā robotto)
秘密を知りたい (Himitsu o shiritai)

The lyrics translate into English as follows:

Thank you very much, Mr. Roboto
Until the day we meet again
Thank you very much, Mr. Roboto
I want to know your secret

☆ とまあ,安川電機やファナックの人が耳にしたら何かしらの感慨を抱きそうな歌詩で(爆)リズムとの関係からこの日本語はややたどたどしく「ドモ・アリガット・ミスター・ロボット」と聞こえる気がする(再爆)が,お話は原題に戻る。

☆ Kilroy was here(キルロイ参上)という成句についてWikipedia(英語版)はこう書いている。

> Kilroy was here is an American symbol that became popular during World War II, typically seen in graffiti.
「"キルロイ参上"は第二次世界大戦を通じ有名になったアメリカの象徴で,典型的には落書きとして見られたものである。」

☆ という訳で洋の東西を問わず「俺様参上」は典型的落書きなのであるが,話はここで終わらない。第二次世界大戦が終わり,米軍(占領軍)が日本に「進駐」すると,「キルロイ参上」は日本各地の米軍施設に「参上」した。その中のひとつが福岡市郊外(現在の春日市)の米軍キャンプに書かれていたが,その落書きを興味を持ってみていた一人の日本人がいた。その人は米軍キャンプ(PX)の指定商人として当時春日原にあったベースに出入りしていた。

☆ 彼は後年飛行機の機内食や給食事業,中でも有名なものはファミリーレストラン事業だが,それで全国に知られる(城山三郎がモデル小説を書いている)ことになるが,その彼が作った会社が「キルロイ特殊貿易株式会社」で,この会社はその後転変を経て「キルロイ興産株式会社」となっている。彼の名は江頭匡一,会社は現在ロイヤルホールディングス株式会社という名前になっている(小説の名前は『外食王の飢え』。ファミレスはもちろんロイヤルホストである)。

Mr. Roboto (Dennis DeYoung)
Released February 11, 1983



Billboard Hot100 1983
2/12:40位(New Entry) ⇒ 2/19 34位 ⇒ 2/26 24位 ⇒ 3/5 20位 ⇒ 3/12 13位 ⇒ 3/19 10位 ⇒ 3/26 7位 ⇒ 4/2 7位 ⇒4/9 5位 ⇒ 4/16 3位(最高位) ⇒ 4/23 3位 ⇒ 4/30 4位 ⇒ 5/7 8位 ⇒ 5/14 16位 ⇒ 5/21 23位 ⇒ 5/28 31位 ⇒ 6/4 49位 ⇒ 6/11 72位 ⇒ 6/18 100位以下

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【迎春講座】 元旦はいつから元旦か



☆ 元旦は元日の早朝のことだ。元旦の旦の字は見て分かるように太陽が地平線(水平線)の上に姿を見せる様子を示している。だから1月1日の午前2時頃(気の早い人達が「初詣」をさっさと済ませて家でお酒を飲むとかそういうことをしている時刻)は太陽が地平線の下にあるから元旦ではない(笑)。「元日の夜明け前」というしかない。

☆ 群馬県の新春を彩る(笑)「ニューイヤー駅伝」の号砲が鳴る頃は,確かに元旦といえるかもしれない。では今年も頑張る小売業者が元日9時から「ニューイヤーセール」を始めればどうなるか?

◎ 元日、朝9時から開催!
△ 元旦(朝9時)から開催!  ○にならない理由は下記参照。
× 元旦、朝9時から開催! 
⇒ 「元旦の朝」は,トートロジー(同語反復:「頭が頭痛だ」の類)なのでボツorz...

☆ ところが「元旦」を「元日」のことだと思っている人は意外に多く,「元旦の夜」などという湯川学氏が聞いても「あり得ない」表現が随所にみられるのが何ともお茶目なお正月,なのである。
A HAPPY NEW YEAR (作詩・作曲:松任谷由実/編曲:松任谷正隆 1981年11月1日=アルバムリリース)





謹賀新年


☆ 日本人は地名に弱く(笑)同語反復の嵐である。(例) サハラ砂漠=「サハラ」じたいが「砂漠」の意。リオ・グランデ川=米墨国境を流れるこの大河(=リオ・グランデ)も「大河 川」になってしまっている。今では恥ずかしいのか誰も口にしないが,タイの首都バンコクを流れる「メナム・チャオプラヤー」のことを昔の日本人は「メナム川」と言っていた。正月早々こんな話で締めても良いのだろうか?「ラデツキー行進曲」の手拍子と一緒にお忘れ下され(爆)。

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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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