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2019-09

ロック人文政経学(1) 偉大な兄弟に「持株会社」は似合わない




☆ 『1984(年)』で,ジョージ・オーウェルが「偉大な兄弟」と描いたのは『動物農場』で言えばナポレオン(という登場キャラクター=豚)だろうが,明らかにスターリンのことを指している。『1984』はスターリンの粛清や記憶抹消といったふるまいを描いているが,オーウェルが「予言」したことはインターネットの登場で簡単に実用化された。我々の近くにはそういう発展で無理に統一を図ろうとする小国と超大国が存在しているが,それは今日の課題ではない。

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☆ ジャニス・ジョプリンが加わっていたバンドの名前をビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーと名付けたのは,スターリンが死んでも「スターリン的なもの」は大なり小なり「世界中のあらゆる組織・集団」に巣くう不治の病であることを(自らのバンド名で)皮肉ったものと言えよう。

☆ ところで今日び "Holding Company" というと「持株会社」というのが通り相場になっている。まあマーケットの話だから「通り相場」でも仕方がないが(笑),これは違うだろ。これはどう考えても「偉大な兄者と(その)取り巻き連中」でしかない。偉大な兄者が偉大である所以は取り巻き連中とガッチリ固まって利権を独占しているからなのだが,ジャニスのところはそうじゃなかったことは歴史が証明している。もっとも国名や元首の名前は挙げないが,世界中にこういう連中は満ち溢れているようで。さてジャニスでも聞いて今日はお終いにしようか。悪かったね。ホワイトデイにこんな話して。



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☆ ところで☝のYou Tubeでジャニスの持ってるマイク・スタンドはとても振り回せる代物じゃなかった。これから5,6年も経つとユーミンがロッド・スチュワートのマイク・プレイをうっとりして見たり,まだ若かった西城秀樹がそれに挑戦したりする時代になる。


☆ 最近,扁平なナレーションを売り物にしているナレーターが一人いる。あの声を聞いていると吐き気がする。ジャニスもたぶん一緒だろうと思いたい。あと4回ほどで遊びに行きます。
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ロックのことば(2) あの娘,本当に彼と行っちゃったの? (1964年)



☆ パンク/ニューウエイブ史上最大の「問いかけ」は,1960年代のガール・グループが発した。シャングリラス(The Shangri-Las)1964年No.1ヒットLeader of the Packの冒頭の問いかけ "Is she really going out with him?" である。
Leader of the Pack (Dee Snider)


☆ 1960年代にアメリカにヘルズ・エンジェルスがいたように,日本にもカミナリ族という暴走族の元祖がいた。さすがに70代で旧車會をなさっているご機嫌なシルヴァー人材がどの程度現存しているかは,ぼくも寡聞にして知らない。ただ直訳の「暴走族のリーダー」では当時の世相や交通警察関係のリアクションを見るまでもなく邦題としては些(いささ)か不適切であったので,「黒いブーツでぶっ飛ばせ」というやや無難なタイトルに落ち着いている。

☆ この曲の直前(1964年10月31日~11月21日)のNo.1がスプリームス(シュープリームス)のセカンド・ナンバー・ワン曲「Baby Love」なので,ガール・ポップの競演の感がある。ただ今回はシャングリラスの話ではないので,曲の作者が80年代に(こちらも)カルト的人気を誇ったハード・ロック・バンドのツイステッド・シスターを率い,セルフカヴァーしているなんて話も含めてここまでにしておきたい。

☆ 十二支で一回りした1976年,この囁きは大西洋を越えてロンドン・パンクを発火させる。言うまでもなくザ・ダムド「ニュー・ローズ」(1976年10月26日)冒頭の囁きである。

New Rose (Brian James)


☆ ローズは言うまでもなく英国(イングランド)を指し,そこだけ拡張すると一種の革命歌やプロパガンダと曲解されそうだが,ブライアン・ジェイムズがやりたかったのは単なる破壊であって,そこから先のことはクラッシュだとかストラングラーズ(やや怪しいが)に任せておけという感じだったのだろう。それにしてもプロデュースしたニック・ロウの英断(笑)で一切手の入ってない一発録りが「パンク」の本質を遠慮なく示しているのだが,デイヴ・ヴァニアンは何の思い付きでこのセリフを口にしたのだろうか?そしてこの囁きを聞いてそれをそのまま曲にしてしまった(1978年9月/再発:1979年5月3日)者がいる。ジョー・ジャクソンだ。

Is She Really Going Out with Him (Joe Jackson)


☆ ジャクソンは曲のモチーフとしてこのセリフを使っているだけだが,彼の音楽履歴から考えてもシャングリラズスのオリジナルは間違いなく耳にしていると思う。しかし曲を書くきっかけはどう考えてもデイヴ・ヴァニアンの囁きでとしか思えない。こうしてこの「問いかけ」はジャクソンのデビュー曲名としてパンク/ニューウエイブ史にその名を刻むことになったのである。

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ロックのことば(1) ちゃんと税金払ってるぜ(RCサクセション 1980年4月5日 久保講堂)



☆ 福岡から上京した井上陽水が忌野清志郎と出会ったのは渋谷にあった「青い森」というフォーク喫茶だった(昨年,ある番組にゲストに出た陽水がそう話すのを見た)。このお店はフォークからロックに移り変わっていく1970年代の日本のポピュラー音楽にとって最も重要な場所のひとつとなった。古井戸/RC・泉谷しげる・陽水という流れ(ホリプロやキティ・レコーズが背後にいる)がここから生まれているのは確かだ。

☆ 話が泉谷に脱線するが,彼がデビューした頃のプロフィールでは出身地が青森になっている。実際には彼の親の代で青森から上京しているので事実は異なるんだが,当時のノリとしてフォークは地方出身者の方がサマになるという㌧でもない発想でこうなったという都市伝説がある。これは半分当たっているが,泉谷からすれば「青い森」で皆と出逢っているのだから出身地が「青い森」→「青森」でもそんなに不都合なことはなかったのかもしれない(笑)。

☆ キヨシローとRCの浮き沈みはWikipediaをはじめあちこちに書かれていて,概ね正しい。興味深かったのは吉見祐子の再発運動に応じた数少ないレコード店にハイド・パイパー・ハウスがあったことで,山下達郎がここでRCのレコードを見た可能性は低くない(彼の音楽性から考えて東芝音工時代のRCの曲には触れる機会がなかった)と思う。

☆ それにしても「ちゃんと税金を払っているぜ」と歌うセンスは凄い。確かにキヨシローは陽水に書いた曲が『氷の世界』に収録されていたから,陽水ほどではないにしろ印税も入ってきただろうし(その辺の経緯は「あきれてものも言えない」で歌われている),サラリーマン諸氏よりは税金を払わされただろうとは思う。それがあったからフォーライフ騒動のあおりを食らって「日干しにされた」時期も何とか生きていけたのだとはいえるが,この歌詩にはその辺の感情が間違いなくこもっていて,傍から見れば「煽りワード」のようにしか見えないこの言葉も歌っている本人にとってはリアルなものであるといえるのだ。

ブン・ブン・ブン (作詩・作曲:忌野清志郎)


☆ この曲はスタジオレコーディングには向かなかったようで,最も優れたこのヴァージョンしか知らない。もっともこれ一つあればじゅうぶんだと思う(笑)。


☆ 元日の続きのような話。ぼくたちは「あの街」のことを「イーン」と呼ぶが,オーストリアやドイツの人は「ヴィーン」と呼び,英語圏では「ヴィエナ」となる。たぶん最初に聞いた人が聞き間違えたか読み方が分からずローマ字読みしたのがそのまま残ったのだと思う。こういう例は人名にはすごく多い。ロナルド・レーガンのように,本人が申し出て読み方を変えた(リーガン→ーガン)例が無い訳でもないが,ルーズヴェルト(ーズヴェルト)だとかマイルス(マイル)・デイヴィスだとかデュアン(デュえいン)・オールマンだとかアレサ(アーサ)・フランクリンだとか山ほどある。そういえばドイツを代表する総合電機メーカーのことを「シーメンス」と呼んで久しいが,あれも戦前に「シーメンス事件」が起きる前はちゃんと「ーメンス」と呼んでいた筈だ。なぜなら古河組(今の古河機械金属の前身)がジーメンスと合弁で作った会社がいまも有力メーカーとして残っているからで,その会社は古河の「」とジーメンスの「」を取って「富士電機(製造)」と言ったし,そこから分かれた会社は「富士通」と今でも名乗っているからである。とか書いてたら今朝(1/3)の日経(今日は朝刊のみの日)にシーメンスの創始者をヴェルナー・フォン・ジーメンスと正確に表記していたので,念のためWikipediaを見てみると,英語圏ではシーメンスと呼んでいるらしい。となってくると話はトヨタ自動車のようなもので聞き取りやすいように清音で呼ばれるようになったのかもしれない。かようにシーメンスは自社がそう呼んでいる以上これが正しいのかなと改めて思っていたら年末年始休暇が終わってしまった(自爆)。

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開学の辞



☆ ポピュラー音楽とか,それを聴いていた自分周りの話をテキトーに書き散らして何年か経つわけですが,今年から暫らくはその度合いを強めて「よりテキトーなブログ」を目指すことにしました(笑)。昔は「まんが大学」だとか「洋酒大学」なんて気の利いたお店があったものですが,漫画(アニメーション)や洋酒(発酵・醸造)がまっとうな学問になってしまった今,ポピュラー音楽だってまっとうな学問になれば良いと思っています(そうなる資格はあるように思います)。

☆ ディジタルな世の中ではMOOCSのように才能と機会があれば学問の方が門戸を開いているようですが,どーでもいいことを書き連ねるこのブログは「No MOOCS」とでも名乗っておくのが良いと思います(自爆)。新年を期して,どーでもいい産業大学どーでもいいこと学部をここに開学します。

Johann Strauss I - Radetzky-Marsch, Op. 228


USSR Ministry of Culture Symphony Orchestra & Pavel Kogan の「Radetzky March, Op. 228

Wikipediaの関連項目より引用
> 『ラデツキー行進曲』(ラデツキーこうしんきょく、ドイツ語: Radetzky-Marsch)作品228は、ヨハン・シュトラウス1世が作曲した行進曲。

> 作曲者の最高傑作といわれ、クラシック音楽全体でみても有数の人気曲である。曲中に観客の手拍子が入るのが特徴。1848年革命の最中に、当時はオーストリア帝国領であった北イタリアの独立運動を鎮圧したヨーゼフ・ラデツキー将軍(ヨハン・ヨーゼフ・ヴェンツェル・フォン・ラデツキー伯爵 Johann Joseph Wenzel Graf Radetzky von Radetz, Jan Josef Václav (H)Radecký z (H)Radče 1766年11月2日 - 1858年1月5日)を称えて作曲された。将軍は1849年3月23日のノヴァーラの戦いにおけるサルデーニャ王国軍への勝利によっても知られる。

> ヨハン・シュトラウス1世が1848年に作曲した『ラデツキー行進曲』は、同年に北イタリアの独立運動の鎮圧に向かうラデツキー将軍を称えて作曲された。このように、ラデツキーはイタリアの独立運動に対しては苛烈な態度で臨み、1857年から58年にかけてエンリコ・タッツォーリら9人を処刑している、しかし民衆からはかえって反感を買うこととなり、彼らは「ベルフィオーレの殉教者(イタリア語版)」として独立運動の象徴となった。

> なお、ラデツキーがミラノから持ち帰ったカツレツが、ヴィーナー・シュニッツェルになったともいわれる。

> 当時イタリア半島では民族統一運動が盛んで、オーストリア帝国領であった北イタリアでは「ドイツ民族からの独立」を目指して激しい闘争が繰り広げられていた。1848年7月、ヨーゼフ・ラデツキー将軍の率いるオーストリア陸軍がこれの鎮圧に成功した。この勝利を記念するために、「イタリアで戦った勇敢なる将兵の賞賛と傷病兵への募金を兼ね、寓意的、象徴的表現と格別な啓蒙を意図した大勝利感謝祭」が8月31日に開かれることとなった。

> シュトラウスはこの祝典のために新曲を依頼され、作曲に取りかかった。かつての楽団員ですでに独立していたフィリップ・ファールバッハ1世の協力を得て、ウィーンの民謡を2つ採り入れて、わずか2時間で完成したといわれる。大変な好評を博したが、この行進曲によってシュトラウスは文句なしに君主制支持者のレッテルを張られることになった。以後シュトラウスのコンサート会場は、多くの士官と「国民自衛団」の市民で埋め尽くされたという。この行進曲のおかげで政府軍の士気は大いに高揚し、のちに政府側の人々からこのように言われた。

「 ウィーンを革命から救ったのは、ヨハン・シュトラウスである。 」

> それまではワルツ『ローレライ=ラインの調べ』(作品154)がシュトラウスの代表作とみられていたが、この『ラデツキー行進曲』が初演後たちまちシュトラウスの既存のすべての作品の影を薄くしてしまった。

> この行進曲はやがてオーストリア帝国の愛国の象徴として扱われるようになり、息子ヨハン2世の『ハプスブルク万歳!』や、ヨハン2世とその弟ヨーゼフの合作による『祖国行進曲』など、ハプスブルク帝国を賛美するさまざまな楽曲にモチーフが採り入れられている。熱心な王党派として知られた作家ヨーゼフ・ロートは、この曲名を借用した『ラデツキー行進曲』という名高い小説を1932年に発表している。

> 帝政が廃止された現在のオーストリア共和国でも国家を象徴する曲であり、国家的な行事や式典でたびたび演奏されている。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるニューイヤーコンサートでは、1958年以降は2005年を除いて(スマトラ島沖地震の犠牲者へ弔意を示すため)、毎年プログラムのアンコールの最後の曲として、必ず演奏される曲として知られている。


☆ ちなみにこのコンサートでラデツキー行進曲を初めて振ったイタリア人はクラウディオ・アバド(1988年)だろうと思う。

☆ この時節にこの曲を聴くと,パブロフの犬のように手拍子打ちたくなるのは何故だ(爆)。
謹賀新年

2018年1月2日追記
☆ 現代政治の眼で見た場合,今のオーストリア共和国の内政が極右の自由党を引き込んだ形で31歳のセバスティアン・クルツが率いる国民党が多数を占める連立政権になっているわけですが,ハインツ・クリスティアン・シュトラッヘが率いる自由党は内政・外交の主要ポスト(内相・外相・防衛相)を押さえており,若いクルツの失政を待っている気配が濃厚です。あまり思い出したくないのですが,連合王国でデーヴィッド・キャメロンがやらかした失政(Brexitのこと)を思えば心配になるところも大きい。ところで,このオーストリア自由党にまつわる映画としてリリアーナ・カヴァーニ監督1974年作品「愛の嵐」(百恵ちゃんのシングルではない^^;)があるそうです。驚いたことにこのR15と思われる芸術作品はテレビ放映されているそうです。ぼくは地元の名画座で「ヴィスコンティ映画祭」があった時に関連作品としてこの映画がかかっていたことを覚えていて,おかげでこの映画じたいがヴィスコンティ監督の作品と誤解していました(ただしWikipediaを見るとヴィスコンティはこの作品を絶賛していたという)。政治向きの話なのでわざと小さな字でダラダラ書いてるのですが,オーストリーの右傾化がこの作品(「ラデツキー行進曲」)に国威発揚の類としての変なレッテルを貼られないことを切に祈ります。この曲は「一月一日(いちげつ いちじつ)」(♪年の始めの 例(ためし)とて~ので始まる,千家尊福作詩・上真行作曲)の歌曲)のようなもので,思想と関係なく新年を寿(ことほ)ぐ曲であって欲しいから。タモリ流に言えば「思想の無い音楽」であって欲しいので。。。

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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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