2017-08

総括しろと言ったのは(アルバート)アイラーか(アルフレッド)アドラーか(自爆)




☆ 書いているうちに何がなんだか分からなくなる現象がある。タモリの「オールナイト・ニッポン(Mr.TAMORI's SHOW)」のしゃべくりなんかはその典型だったが(爆),この連載もどきもそういうものに陥っている(自爆)。この本の分析はそれなりにいいところを衝いているのだが,残念ながらデータ出典の採り方がいまひとつで,例えばこの数カ月くらい「週刊新潮」がひっそり連載している当事者関係者のオーラル・ヒストリーの方が面白い。そんなことを書いてはせっかくここまで纏めた著者に悪いかもしれないが,それなりに地道の宣伝したつもりなのでご容赦願いたい(#^.^#)。

☆ バブルの陽気さについて著者の指摘は分からなくもない。佐藤優ではないが(彼はこの時代モスクワにいてバブルとポストモダンの洗礼を受けてないことを強調する。また投資を含む投機に嫌悪感を持っていると思われる),時代の分析力(読み込む力とそれを為政者・指導者に伝える力。要は「インテリジェンス」に括られそうだ)が足りな過ぎた。イイオモイというものはなかなか記憶から離れないのである。だからバブルから10年近く経っても護送船団方式の幻想と出世双六の誘惑に負けて「ノーパンしゃぶしゃぶ」なんて醜聞でエリート様が自滅していくのである。

☆ そういうものはそういうものとして「したたかに現実を見ていく(見抜く)力」,誰がゲームチェンジャーで誰がルールを作ろうとしているのか。それに割り込めないにせよ,彼等に一目置かせるにはどうすれば良いのか。こういうことを考え抜くのが「現実主義」であろう(そういう意味で高坂正堯教授は正しかった。不肖な弟子が「自称保守論壇」で喚いているが)。現実を忘れることは必要であっても,そこから距離を保つ努力はしなければいけないのである。これがバブルの苦い教訓だった気がする。

☆ その文脈で「オヤジギャル」を見ればジェンダーの分解過程であり,この発想の延長線にはオトコオンナ(どこかの元大臣になったばかりの政治家を彷彿させるが)しか生まれない。またU野T鶴子女史を筆頭とするフェミニスト諸姉もジェンダーフリーには及んでいないとしか思えない。バブルとは背伸びして崖から落ちた日本の「背伸び時代」だったのではないだろうか。そんな気がする。



=了=


☆ しかしこのタイトル,中上健次にもお嬢様にも見せられたもんじゃない(恥)。
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そろそろまとめなくちゃ




1.24時間戦えますかのファースト・ヴァージョン
☆ 著者も正確に書いているように(P.191),時任三郎が自分の芸名をもじった牛若丸三郎太として「勇気のしるし」(作詩:黒田秀樹、作曲:近藤達郎)を歌ったのは,リゲインの発売後1年近く経った1989年5月だった。ちなみにこれを見たからかどうかは知らないが,時任三郎の芸名をもじることをした人はもう一人いる。言うまでもなく「警部補 古畑任三郎」のシリーズを書いた三谷幸喜だ(爆)。で,リゲインの最初のCMは「24時間戦えますか」とディジタル音声で問いかけるもので,どことなくテイストが後のケンミンの「アンドロメタビーフン」(知っている人は知っている90年代CMの怪作)に似ていた(再爆)。

2.閑話休題(Wikipediaの記述について)
☆ Wikipediaの「バブル時代」の項目にこういう指摘がある。

> バブルを描いた娯楽作品など
> 当時制作され、時代の空気を反映している作品
> 楽曲J.BOY(浜田省吾) - 1986年9月4日に発売された同名アルバムのタイトル曲。バブル経済に浮かれる日本を冷静に描いている。

☆ 編集してもよかですか(爆)。浜田省吾については別に書くことになるが,この曲よりも適した作品があるので差し替えたい(再縛)。
※楽曲 詩人の鐘(浜田省吾) - 1990年6月21日に発売されたアルバム『誰がために鐘は鳴る』の収録曲。バブル景気に浮かれる日本を冷静に捉えた楽曲。
なお,曲の解説の後半部分は『誰がために鐘は鳴る』の同曲の解説をそのまま引用した(再爆)。

3.バブルはマホとマハの時代だった。



☆ バービーボーイズを前回出した時,実はいまみち(イマサ)が描いたバブル時代の男女の姿は大昔のイスパニアにいたマホやマハの現代版じゃないのかと思ったのだ。マハと聞いてプラド美術館にある2枚の絵(書こうと思ったがやっぱ止めておこう。前とか後とか=自爆=)を思い出した人がいたかもしれないが,それはフランシスコ・デ・ゴヤの一生を巡る堀田善衛の長い長い評伝本を読んでいた途中で気が付いた。

☆ もちろん,いまみちはその時代の男女の姿を描いているので,別に古(いにしえ)のスペイン王国を持ち出さなくても,花のお江戸の鯔背(いなせ)なお兄さんと粋なお姐さんを思い出しても構わないのだが,バブルの時代の全盛期に江戸情緒をジャパネスク(ジャポネスク)などと呼んで振りまわしたお歴々がいるので,むしろ崩れ方ならこっちのほうが近い気がしたマホとマハに目が行ったという具合である。

4.ハナモク
☆ バブルのいちばん強力な時代にはオジサン週刊誌に「男なら自分の小遣いくらい株で稼げ」といった㌧でもない連載もあったし(爆笑),それが一番バブル的な出来事のような気もする。別の例を出せば地上げで建てたビルを転売するためにすぐに壊した話というのもあったが(経済やくざ的発想であるが,なんとなくジョン・メイナード・ケインズ的でもある=爆=),もうひとつ,この時代のキーワードに「ハナモク」があったことを指摘しておく。

☆ ハナモクの対語は花金である。つまり週休二日制が定着したバブル期には木曜日の夜を遊びつくしても金曜日を乗り切ればあと2日休めるというもの凄いポジティブ思考が存在したのである。これも前回さらっと触れた坪井千夏嬢(当時)が実在していれば間違いなく先頭に立って実践していただろう(再爆)。

5.まとめ
☆ 高度経済成長の末期に井上陽水は「東へ西へ」で経済成長の歪みを皮肉ったのだが,バブルの時はオリバー・ストーン監督映画『ウォ-ル街』でマイケル・ダグラスが扮したゴードン・ゲッコーが株主総会で宣(のたま)った「グリード・イズ・グッド(貪欲は善である)」がトリクルダウンして国民のかなりの部分の「気分」に浸透していたという気がする。その「東へ西へ」はバブル後に時任三郎の後を受けリゲインのCMキャラクターになった本木雅弘がカヴァーし,それを聞いたらしい陽水がセルフカヴァー集『ガイドのいない夜』(1992年11月20日)で再度カヴァーした。この曲のキャッチボールが,この国のバブルの景色のようにも思える。

「Diamonds」 (作詩:中山加奈子 / 作曲:奥居香)





☆ マホとマハは戦前にもあった(江戸時代の江戸にもいた)。戦前ならモボとモガで,江戸時代は鯔背と粋だ(この「粋」は女性限定。対語として「鯔背(いなせ)」がある)。だから桑田佳祐が「いなせなロコモーション」を書いたのは実に正しい。ロコモーションは総じて鯔背の仕事であるから(爆)。
☆ バブルが過ぎれば,「あの人たち勝手放題して日本をこんなにしちまって」と恨まれるけれど,やってる時は皆何も考えちゃいないのだろうと思う(阿久悠の「青春時代」の歌詩のように)。この曲でもさらっと歌っているように「何も悪いことしてないよ」と言いたいのだろうね。当事者達は。いや,もしかしたら「Diamonds」のプリプリは,「ジギー・スターダスト」のボウイをバブル日本(Japan)に連れてきて性転換したようなものなのかもしれない。それは単純な開き直りなどではなく,本当に本質としてキラキラ(ギラギラ)したものに触れていた時間だったのかもしれないのである。

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アッシ―とメッシ―はどこに?




☆ 2010年代に「デートマニュアル」などというものがあるのかどうか知らない。四半世紀近く前のバブル時代だってマニュアル追従「レーダーマン(戸川純^^;)」が女の子の笑い者だったのは事実だし,男と女の場にそれを持ち込んで一発で関係が終わった例なんて掃いて捨てるほどある(爆)。でも前回見たようにイタ飯の知識を自分の舌で会得し親と共有で分不相応なハイソ・カーか,せいぜい脱臭装置で煙草の臭いを消した親父のマークⅡ(X70系など)を用意し,いそいそと白馬の騎士気取りでアッシー君の栄誉に浴した若者は少なからずいたと思う。

☆ でもどこかの美容整形外科ではなく(笑)この時代から「いつか王子様が」と本気で考えていた夢子さんは圧倒的少数派で,バブルのプールをすいすいと泳ぐ皆さんは顎足の不自由なく泳いでいた。それが全てのように思われても困るが(苦笑),一方でそういう揶揄にも拘らずアッシー・メッシーに甘んじた男の子もそれ相当存在したということだ。そういえばバブル末期のビジネスに今のウーバーに近いクルマの時間貸サービスがあった。要するにレンタカーナンバーの「わ」や「れ」でない外車(ポルシェ,フェラーリ,メルセデスなど)を用意して1日オーナーとして貸し出すサービスだっだ。

☆ ユーミンの記述は酒井順子に先を越されており,迫力がない(笑)。確かに『ディライト・スライト・ライト・キス』(1988年11月26日)あたりのインタビューで,彼女はこの本が記しているようなリサーチの後「鶴の巣籠(ごも)り状態」を経て作品に仕上げるということを話していたような気がする。ただ「プロジェクト・ユーミン」としては,『サーフ&スノー』から一貫してリゾートというコンセプトにあり(ホイチョイより早い),バブルに関しては時代の方が追いついた感が強い。だけど彼女の賢いところはオーディエンスと共に成長するという姿勢を90年代まで捨てなかったところにある。それは彼女が若かったころからそういう「跳ねっかえった」部分をベースに持っていたからではないか。彼女は絵空事は書いていないし,ましてや煽ってもいない。それは今でも本質的に変わってないと思う(それにしても酒井順子はもう少し彼女の「曲も聴いて」本を書いてほしかった)。

☆ むしろバブルならリゾートマンションであり日本ではほぼ徒花と化した感のある「コンドミニアム」の盛衰についても触れてほしかった(もっともこれはバブルより「バブル崩壊後」のテーマだったかもしれない。

「女ぎつねon the Run(Original‘‘Big Bowl’’Version)」 (BARBEE BOYS 1987年9月9日=アルバムヴァージョン)


PS.
☆ いまみちともたかが,無意識の中でバブルの本質に触れていることは,バービーボーイズが90年代を乗り越えられなかったという皮肉な事実によっても証明されるかもしれないが,彼らについては別に触れたい。ところで最近映画にもなったこの話(2006年3月刊)は明らかにバブル時代あるいはその直前を描いている。



☆ それとこの章に出てくる女子の典型と思われる人物のその後を描いたような作品はこんなところにもある。





☆ この世代のオヤジ達の世代は「戦後強くなったのは靴下と女だ」とハラスメントな愚痴を宣(のた)っていたのだが,この曲の中で杏子が「もう結構」と切り捨てた瞬間に,この「ハラスメントな愚痴」は世代間バトンパスを終えたのだろう(自爆)。

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ブームとはストラテジーであった(笑)




☆ CX(フジテレビ)の月9(説明するまでもなく「欽ドン」の後を受けたドラマ枠)がいまだに続いている(そろそろ過去形か)若手の登竜門となっていったのは,1987年度第4クール(1988年1月4日 - 3月21日)の「君の瞳をタイホする!」あたりからだろうと思う。橋本以蔵、関澄一輝が脚本を書き,山田良明、大多亮がプロデュースしたこの作品で名を挙げたのは三上博史と工藤静香だろうとぼくは思うが,その三上博史のキャラクターがマニュアル先行型と分類しているエピソードがドラマの中にあった。

☆ この与太シリーズの中途で示した「見栄講座」(1983年)やマル金・マル貧で一世を風靡した「金魂巻」(渡辺和博 1985年)のように世の中を二分法(90年代後半から「勝ち組/負け組」となり,2010年代には「1%対99%」になった)で見る風潮は,まあ昔からあるのだが,バブルの時代は「背伸びしたら何とかなるんじゃないか」という時代でもあったような気がする。その背伸びの仕方が(ここで名を挙げて悪いとは思うが)「Hot Dog Press」的なものや「Big Tommorow」的なものに集約されていたのがこの時代だったような気がする。一方でそういうマテリアル・ワールドにウンザリした連中をニュー・エイジが捉え始めていたのがこの時代とも思えるのだ。

☆ さて,そこでテキストに戻る(爆)。2章のタイトルが全てを表していて「ブーム=必死」。例の「必死だな(藁)」の,元祖・本家みたいなものである。イタ飯が鯛めしでもスパゲッティ屋(壁の穴とか洋麺屋とか。ちなみに先月創業者が亡くなったピエトロが洋麺屋を始めたのは1980年)でもないものに昇格していった(その割に全国に名を馳せたのはデザートのティラミスだったりする訳だが)という本書の指摘はまあ正しい。ちなみにイタ飯が飽きられる頃にエスニックブームになり,90年代前半の冷夏とコメ不足の時には鯛めしならぬタイ米が登場したりするが,まあそれは別の話。

☆ 合コン,合ハイは80年前後のキャンパスにもあった。要は(これを書くと御年配の世代から糾弾されるのだが)70年安保で全共闘が崩壊して新左翼運動が四分五裂した後の「キャンパス=ワンダーランド」世代の「サークル文化」が一気に全盛期に突入した頃には,そんなものは標準装備されていたのである(本書でもその辺を後付けで補足している)。ちなみにとんねるずの「一気」(言うまでもないが「一気飲み」に引っ掛けた合コンソング)は1984年12月リリースだ。

☆ ステイタスと言うならハイソ・カーになる。これだって最初はカミナリ族からの長きを誇るスパルタン・スポーツ車全盛だったのが,1978年にマツダがロータリースポーツRX-7を出したあたりから風向きが変わり始め,1982年11月にホンダ・プレリュード(AB/BA1型)が出て,ラベルの「ボレロ」をBGMに颯爽と走る姿はFF車ということと関係ないクルマの価値を多くの人に見出させた。そう。これが「ハイソ・カー」の文字通りはしりだった。

☆ 思うにハイソ・カーの頂点にあったのは2代目トヨタ・ソアラ(Z20型 1986年1月発売)だった。この車はセンチュリー(トヨタ)とかプレジデント(日産)とかデボネア(三菱)といった社長御用達車を除き日本で最も値段の高いクルマ(普通乗用車)だったから。そのあと日産がスカイラインGT-Rを復活させたり(BNR32型 1989年5月)して,日本の自動車価格の上限は少しずつ上昇していくようになる。で,バブルの頃にはBMW3シリーズ(E30型 1982年 - 1994年)が「六本木のカローラ」などという渾名を貰い(爆),その頃は存在したサーブなどをホイチョイの人達が妙な試験紙にしていた(女の子が付き合う男の影響を受けて外車の名前を憶えていく時のプロセスとかいう話=再爆=)。

☆ バンドブームにつても言及されているが,これはどっちかと言えばバブル直後という印象が強い。バブルの頃までは個人的にはエピック・ソニーのバンドやミュージシャンの印象が強い。むしろその前史としてのボウイーやBUCK-TICKを挙げるべきじゃないかとも思う。ところで赤坂小町って知ってますか(笑)。昨年まで復活していたPの前身バンド名です。

☆ スキーについては上越新幹線と関越自動車道,あとはトマムやサホロなんかのイメージが強い。そうとう後の話だが「ウゴウゴ・ルーガ」の「きょうのことば」に「関越渋滞」というのがあった(爆)。リゾートマンションの「いま」を思えば遠い昔の記憶である。

☆ ファッションは良く分からないのでパス。ただ音楽系だったら80年代には渋谷の宇田川町(タワレコの最初の店があった)やその周辺,吉祥寺,西新宿(ブートの宝庫)あとは南青山(都88系統の進路沿いに「ハイド・パイパー・ハウス」が見えていた)とかの印象が強い。




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バブルのファッション(第1章)より(その1かな?)




☆ デザイナーズ/キャラクターズの全盛期は確かにバブルと一致する。ディスコの黒服と言えばピンと来る中年以降の御仁も少なくないだろう。しかし〇Ⅰ〇Ⅰや109がせっせとこれらの洋服を売り,村上春樹と安西水丸がその舞台裏を覗いていた頃(興味ある方は『日出る国の工場』(1987年4月1日=現在は新潮文庫収録)を見られたし),世はバブル景気のまだ入り口だった。バブル景気がバブル経済とイコールにならない理由はこの年の10月に「ブラックマンデー」が発生し,一時的に経済危機状況に陥ったからだ。そのためM副総裁が「乾いた薪の上に座っている」と警告してもS総裁は公定歩合を上げることができなかった訳で,後の「鬼平」の危惧どおり経済は暴走を始めていた。だからこの時点ではバブル景気の第一波から第二波に移行する腰折れ期になっていたというのが実情であろう。何かだんだん口調がマーケット・アナリスト(それもエリオット波動の説明)口調になってきた(#^.^#)。

☆ 朝シャンの話が出ているが,バブルのさなかにライオンが「ちゃん リン シャン(by 薬師丸ひろ子)」ことソフトインワンを発売し(1989年3月),朝シャンの時短に貢献したことも忘れ難い(爆)。ところでこのDCブランドに関するこの本の整理はこんな感じだ。

「こうして,1989年になるとDCブランドをさして「定番」という言葉が,よく用いられるようになってくる。(略)」P.28。

☆ ひとことで言えばマンネリブランド化したということだろう。DCも発端は最先端のモードだったが,例えばファイブフォックスなんかを見ても分かるように企業として資本主義のレールの上に乗る以上ブランドのマンネリ化(=ブランド範囲拡大。まず児童向けブランドの創出)は必要なことであり,90年代末の子供服を席巻したナルミヤインターナショナルが彗星になりつつあるのは年齢層を上に拡大することの難しさなのだろうと思う。

☆ それでも(トゥーリアの死亡事故=1988年1月5日)にもかかわらずボディコンはお立ち台に生き延びた。例えばヴェルファーレはバブルの後1994年12月のオープンである。だからワンレングスとセットになったボディコンはバブルどまりだったかもしれないが,年齢層を微妙に下げながら(ギャル文化とシンクロしつつ)ボディコン・ミニスカ・扇子の三点セットはその次の世代までは生き延びたのである。

☆ この本では別のところで触れていたと思うが,「ファッション=お洒落」がドラマから拡散していくのもこの時代だ。CX木曜劇場「抱きしめたい!」(1988年7月7日~9月22日)が火付け役だっただろうと思う。あの頃からのドラマにはクレジットの後の方で「衣装協力」がずらりと並び,これがファッション雑誌の役割を果たしていた。そういうお洒落の「トレンド」はいつの時代にもあるのだけれど,80年代後半からは「マーケット・イン」的なタイアップが主流となる(そこから「スタイリスト」や「ハウスマヌカン」といった職業が認知されるようになる)。タイアップの全盛時代(特にポピュラー音楽で)はバブル崩壊後の90年代前半だが,この時代にその素地ができた。つまり強い購買力を持ったF1F2層が消費をリードし始めたのである。

Never Gonna Give You Up (Rick Astley 1987年6月1日)
(Mike Stock, Matt Aitken, and Pete Waterman)





☆ 前回のバナナラマほどじゃないが,バブルと言うとストック/エイトキン/ウォーターマンが思い浮かぶ。リック・アストレーは顔と声が微妙にアンマッチな気がするが,まあどうでもいいか(笑)。トレヴァー・ホーンのZTTからこのチームを経てユーロビートに行ったという路程があり,その間ボディコンは不滅だった(と思うので,ぼくは著者とは少し考えが違うんだな)。
【2017.07.02 補遺】リック・アストレーの声を改めて聴いていて,彼が座った場所にはトニー・ハドレー(スパンダー・バレエ)がいたのかなと思った。確かにこの時期にスパンダー・バレエはセールスを落として所属レコード会社(クリサリス)と揉めることになる。

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Author:deaconblue
「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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