2018-02

「真夜中のドア」の「真夜中」を追う


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真夜中のドア〜Stay With Me (作詩:三浦徳子 / 作・編曲:林哲司)


☆ ぼくはこの曲の「時制」のことを考えていた。曲に描かれているエピソード「真夜中のドアをたたき 帰らないでと泣いた」「あの季節」は何時か?というお話だ。

☆ 何時だか分からないからその時点をXとする。曲を辿ると「あなたの心」が「離れていった」のは「二度目の冬が来て」からである。冬の途中で年が変わるのが北半球特有の厄介さなので(苦笑),ある理由からその時点Xを2月としておく(理由はあとで)。すると後は引き算の世界で,Xから見ると2年前の春~秋がこの二人が出会った時点となる。そういうことがありそうなのは(学齢)新年度の4月だとか夏休み~新学期である7~9月とかになる。曲のリリースが1979年11月5日なので,1977年の7月あたりに仮置きしておく。で,そこで出逢ったふたりはその年(77年)の冬はハッピーに通過し,78年の冬には(詩の展開上)彼氏の心が離れて,79年2月にはこのカップルは破綻している。

☆ ここで「2月」と書いた謎解き。といってもこれは完全な「後付け」であり,だいいちみき姐のファンなら気付いているかもしれない。答えは同じ三浦徳子が書いた「ニートな午後3時」(1981年2月5日)の歌詩の中にある。「テーブル囲むお茶の時間に 何気なく問い詰めた」のはFebruaryだったでしょ。そしてその「次の週には」「8階」の彼女の「部屋から消えていた」のであるから。

☆ そうすると彼女が「真夜中」に「たたく」のは誰の,どこのドア?普通に考えたら「(元)彼氏の部屋」になるだろう。でもそれは成り立たない。だって彼女は「帰ってきて」とは泣いてなくて「帰らないで」と泣いているからだ。自分の部屋でもなく彼の部屋でもない。だけどドアがあるものは部屋だけじゃない。彼氏の車のドアかもしれない。そして彼はその車に乗って「新しい彼女」の元へ「帰ってしまう」のである。これだと「帰らないで」の方向は合う。

☆ ところで以前「ニートな午後3時」をプロファイルした時,「ある日突然」電話をしてきた彼は「西5番街」(ニューヨークだか何処かの地下街のようだ)で待ってると言い,彼女は「私は(そこに)居ない」と書いた。あの時書いたように,これは居留守ではなく彼女の意思表示なのである。だってこの時点の彼女は過去という「花束」を「歩道に」「まき散らして」しまうヒトなのである。巻き散らかされた花束は彼女の足跡と同じものであり,記憶か記録でしかない。そして「未来を愛して」いる彼女がそれを宣言したのはApril。この二つに1979年(もしくは「ニートな午後3時」がリリースされた1981年)という年号を嵌め込めばお終いである。

☆ もっとも1981年を取り上げるとすれば「真夜中のドア」で彼女が元カレに出くわすのは81年の11月になり,はてさて珈琲の染みがついたグレイのジャケットを二冬も愛用する人なのだろうかという気がしなくもない。まあ「相変わらず」なんだからその辺は大目に見るか(爆)。






☆ あと歌詩で時制が難しそうなのは「私は私 貴方は貴方」(と言ってた)、「恋と愛とは違うものだよ」(と言われた)会話があった「ゆうべ」のこと。結局これは破綻した年の冬に二人が偶然出会って話をしたということでけりがつくと思う。先ほどの結論は変わらず,昨夜(ゆうべ)は1979年もしくは1981年の11月頃で丸く収めてしまおうと思う(破綻したカップルを丸く収めてどうするんだ^^;)。




☆ しかしこの曲の後藤次利のベースはよくもまあチョコチョコ動くなあ。あと何回でも言っておくけど,彼女がこの曲をレコーディングした時は初めてのレコーディングに挑む19歳だったということ。これは特にスージー鈴木氏に強調しておきたい(爆)。
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「―Cupid―」 (松原みき 1981年4月21日=アルバムリリース)


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☆ 松原みきが日本のポピュラー音楽がJ-POPと呼ばれる時代には早すぎた存在だったことは今さら言を俟たないだろう。どんな世界にも先駆者はいて,そのかなりの者は「栄光無き存在」で終わる。栄光があればよいのではない(だってひとたび何かあれば地に引き摺り下ろして石までぶつけようと手ぐすね引いて待っている者たちまでいる始末だから)。しかし栄光がないが故に,それが悔しいが故に,ある人達にとっては忘れ難い存在となる人もまたいる。ファンとは平たく言えばそういう存在なのだろう。

「―Cupid―」 (作詩:三浦徳子 / 作曲:伊藤銀次 / 編曲:大村雅朗)


☆ その潜在的な力量,表現力,ヴォイシング全てを取っても,松原みきのあまりにも早過ぎる頂点である。あまりにも早過ぎて,かえって永遠になることもあると,凡庸なファンのひとりとしては思ってしまう。


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 「Jazzy Night」(松原みき Album :1980年9月21日/Single:1981年12月5日)






☆ これはsunny1600vrさんが2008/11/25 にアップロードしたもの。作成者コメントは「松原みきさんの「Jazzy Night」、そのアルバム版とシングル版のミックスです。ステレオ再生できたなら、左がアルバム版、右がシングル版です。バッキングはほぼ同じですが、歌い方と終わり近くの歌詞がちょっとだけ違います。」とある。

Album Version(左チャンネル)
作詞:三浦徳子/作曲:林哲司/編曲:林哲司(3:47)
PERSONEL
.富樫春生(keyboards)、難波弘之(keyboards)、岡沢茂(bass)、林立夫(drums)、今剛(E. guitar)、斎藤ノブ(percussion)、数原晋(trumpet)、岸義和(trumpet)、新井英治(trombone)、ジェイク・H・コンセプション(A. sax)

Single Version(右チャンネル)
☆ YouTubeの解説にあるとおり,詩を少し変え,歌だけ入れ直しているヴァージョンと推定。YouTubeのwhatanelegantladyさんの指摘には説得力がある(後述)。シングルカットは最後の方で一音だけ(意識的に)トーンを変え,コーダが7秒弱早いように思う。

☆ この時期の彼女の作品は何となく「ふらつき感」があった。元々ニュー・ミュージックという制約の中で歌手を始めた彼女だったが,素養にジャズやソウルがあることはあまり表面に出していなかった。当時のシーンを見れば,例えばソウル的な部分が出せた例は渡辺真知子だし,もう少しフェミニンな場所には門あさ美がいたし,(本人の意志と裏腹に)もっとアイドル的な場所には石川優子や竹内まりや,EPOがいた。だからといって沢田聖子みたいにフォークに寄り添う線は最初から無い訳で,場所を確保するのが難しかったのだと思う(同じ悩みはとみたゆう子なんかにもあった筈)。でなければ旧作2曲でシングルにするという典型的急場しのぎは無かったんじゃないかと思う。

☆ 今さら考えても無駄なことであるが,女性歌手でこういうシングルが出る時は結構ヤバい場合がある。典型的には歌手の方から「煮詰まったので(精神的にも肉体的にも疲れてしまったので)少しお休みをいただきます」的な話が出てくる場合だ(強いて名を挙げないが70年代のトップ・アイドル歌手に頻出したケース)。でも彼女の場合そういう形跡はない。何というかプロデュースの側の迷いがそのまま作品に出ている感じなのだ。

☆ 三浦徳子が書いた「Jazzy」という言葉には,歌詩にも1か所さりげなく出てくるが,明らかに「ブルー」という感覚がある。蔭とか,翳とか。オリジナルが収録されているセカンド・アルバム『Who Are You?』はどちらかと言うとニュー・ミュージックのフィールドに「クセ球を投げ込みたかった」感(例えば「夕焼けの時間です」)はあるけれど,結果的に混ざってしまった直球的な作品(「Rainy Day Woman」やこの曲)の方が記憶に残る作品だった。その作品集の中に置けば「Jazzy Night」は端正な作品で,You Tubeでwhatanelegantladyさんの指摘する「アルバムバージョンは気だるく歌っているので好きではありません」という感想は,最初に書いたブルーという感覚を彼女が意識的に表現したからだろう。当然シングルにする場合(しかも歌を入れ直している),もっとインパクトのあるというか,この曲の場合ならコントラストを強めた歌い方になる訳で,両者の違いはそういうところにあるのではないかと思う。



「うたまっぷ」って,どんだけ使えないサイトになってしまったのやらorz...

☆ みき姐の今回のベスト&レアのレア曲にマンハッタン・トランスファーが元ネタの曲があって,どうせ歌うなら本家を歌えばいいと思いながらコンサートに行くと,彼女もそう思っていたのか,「トワイライト・トーン」をセット・リストの中に入れていた(-∀-)。

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「10カラット・ラブ」 (松原みき 1981年4月21日=アルバムリリース)


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☆ 『―Cupid―』は,松原みきを「ニュー・ミュージック」からどうやって離陸させるかという1980~81年にはいささか難問だった問題に対する回答としてのアルバムだった。この当時,こんなアプローチで先行していたのはジャズ畑の笠井紀美子くらいだったのではないか。どちらも答えは「フュージョン」だったわけだが,その時点で10年のキャリアがあり,押しも押されぬ日本の代表的女性ジャズシンガーのひとりだった笠井がハービー・ハンコックの元に飛び込んでむしろ引っ掻き回すほどの活躍を見せた(アルバム『バタフライ(with ハービー・ハンコック)』1979年)のに対し,足掛け3年目の松原は物怖じせずに西海岸のフュージョン・グループDr.STRUTと渡りあっている。この辺はソロデビュー盤の半分をシカゴで録った1976年の山下達郎に相通ずる部分をも感じてしまう。

「10カラット・ラブ」 (作詩:三浦徳子 / 作曲:亀井登志夫 / 編曲:大村雅朗)



☆ 一聴すれば解るが,これはファンク・ジャズ・ヴォーカルである。それも,もの凄くファンキーでソウルフルなヴォーカルをぶつけている。さっきの笠井紀美子との類比で言えば,笠井がハービー・ハンコックの音を再度バラバラにして自分の音を再構築してみせたのに対して,松原は物怖じすることなく堂々とファンキーなフュージョン・サウンドと互角に渡り合っている。この時点で松原みきは軽々と「ニュー・ミュージック」の壁を飛び越えているのだが,残念なことにこの「音」は当時の「ニュー・ミュージック」のシーンには数年分早過ぎた。好きじゃない言い方だがアーティスティックであり過ぎたのだと思う。それはいささか前衛風のアルバム・ジャケットやら同世代の女流作詩家達と張り合う中で,やや先鋭化してしまった三浦徳子の詩とも相まって,アイドルに近い「王道」を彼女に望んでいた時代のニーズとの「ずれ」を逆に見せてしまったのかもしれない。

PERSONEL
Dr.STRUT David Woodford (sax.)
Claude Pepper (drums)
Peter Freinberger (bass)
Tim Weston (guitar)
Kevin Bassinson (keyboards)
Everett Bryson (percussion)

数原晋 (trumpet), 岸義和 (trumpet), 小林正弘 (trumpet), 新井英治 (trombone), 中沢忠孝 (trombone), 井口秀夫 (trombone), 杉本勝行 (trombone), 向井滋春 (trombone solo)



This column is dedicated to Mr. Tencarara (Author of 永遠の歌姫~松原みきを想う~テンキャララの後悔日誌)

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「Misty」 (Erroll Garner Covered by 松原みき 1984年10月21日=アルバムリリース)


初出:2010年8月9日
Miki Matsubara (Nov.28 1959 ~ Oct.7 2004)

BLUE EYESBLUE EYES
(2009/01/21)
松原みき

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「Misty」(From the Album『Blue Eyes』Released Oct.21 1984)



2017年5月26日付記
☆ 「ミスティ」はアメリカのジャズ・ピアニスト エロール・ガーナー(1923.06.15~1977.01.02)が1954年12月に発表したアルバム『Contrasts(コントラスツ)』に収録された作品。これにジョニーバークが詩をつけてジョニー・マティスが1959年9月にシングルとして発表し全米最高12位を記録するヒットとなり,やがてジャズのスタンダードの1曲となったもの。Wikipedia英語版にあるこの曲のカヴァーを見るとエラ(フィッツジェラルド)やサラ(ヴォーン)はこのシングルが出た59年に早くもカヴァーしており,その他にもアンディ・ウイリアムズやフランク・シナトラなど錚々たる面々が載っている。みき姐の名前は残念ながら無かったが(誰か編集乞う^^;),なぜか川上つよしと彼のムードメーカーズ(フィーチャリング 中納良恵 [EGO-WRAPPIN'] の2010年10月27日リリース『moodsteady』からのカヴァーが載っている(苦笑)。

☆ 「ミスティ」と出だしの3音が全く同じ音という曲がスタンダードにある。「ひき潮(Ebb Tide)」。この曲の英語版Wikipediaではこう記されている。

> The first three notes are identical to the first three notes of the Erroll Garner song "Misty" (1954).

☆ これは昔々「サウンド・イン S」でもネタに使っていたのを見たことがある(あの時はハネケン(羽田健太郎)さんがピアノ弾いてなかったかな?)。「ひき潮」は1953年にロバート・マクスウエルの曲にカール・シグマンが詩を書いたもので,最初はインスト版(下のYouTube参照。どこかで聞いたことないですか?)が出たが,有名なヴァージョンは1965年のライチャス・ブラザーズ盤である。

Ebb Tide(ひき潮) (Frank Chacksfield & His Orchestra 1953年)



Ebb Tide(ひき潮) (The Righteous Brothers 1965年)



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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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