2017-06

ラスト・パス


初出:2008年7月29日
(YouTube削除のため省略)
2011年9月24日
白いページの中に&モア・トラックス白いページの中に&モア・トラックス
(2004/12/16)
柴田まゆみ

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☆ 1990年代の半ばまで,この曲は封印されていた。復刻盤ドットコムというサイトで「復刻不可能曲リスト」の常連だった。理由は知らない。ただ現在この曲の版権を持っているテイチクがオムニバスの中にこっそりこの曲を入れることに成功して,ようやく(というより初めてCDで)聴くことができた。
「白いページの中に」 (作詩・作曲:柴田まゆみ 編曲:古川健次)
1978年8月25日リリース 最高位23位(オリジナル・コンフィデンス調べ)



☆ この曲が好きなので,ここでも何度か取り上げている。彼女が結局プロ活動をしなかった理由や今世紀になって突然封印を解いてアルバムを出した理由は知らない(Wikiもなかった)。ただ,あの暑かった夏のことや硬派で鳴らしていた同級の男がなぜかこのフォーク・ソングを好きで聴いていたことなどを脈絡無く思い出させる。なにもいいことの無かった17歳にもなぜか甘酸っぱい曲なのである。

2017年6月5日追記
☆ 直前に書いている話。同じ高校に「サッカー小僧」がいた。この曲が好きだという話を彼から直接聞いたのではない。彼はぼくをガリ勉野郎と思っていたし,ぼくは彼を硬派気取りと思っていた。気が合うはずがない。互いにとっての上策は「相手にしないこと」である。

☆ この曲の話を耳にした前だったか後だったか忘れてしまった。その日の体育の時間はサッカーだった。ぼくはなるべくボールの来ない場所(後衛)を守り,彼は当然のようにフォワードにいた。試合中ぼくの所にボールが来る機会はほぼなかった。その唯一の時,ぼくの前方は大きく開いていてそこには彼しかいなかった。ぼくは考えることもなく,どうせこっちには蹴らないだろうという顔をしていた彼に向けてロングボールを送った。ボールは誰もいない空間を真っ直ぐ彼の方へ飛んでいき,彼はそれを受けて言った「ナイス・パス」。

☆ その後,彼は六大学に進んだが,その頃の友人から聞いた話では大学ではサッカーとは全く関係のないサークルに入っていたそうだ。この話はこれでお終いである。人生にはこんなこともあるということだ。あれはたぶん僕が彼に送った最初で最後のパスだったのだろう。いまとなってはこの曲と同じで苦くも甘くもない思い出として残っている。


☆ 上のYouTubeの投稿者のコメントによると,彼女はこの曲を出した後,直ぐに結婚・引退したそうだ。また複数のブログで確認したが,2004年に発売された音源は1992年に収録されたものだという。
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ムッシュのこと



☆ 平日の夜から深夜に移る時間帯に「フォーク・ビレッジ」という番組があった。70年代の半ばになる少し前(要はこのブログ主の年齢がそのあたりで止まった頃)から聴いていたが(爆)。その番組のホストDJがムッシュだった。スパイダース(バンドとしてはGSよりも早く始まっている)の作品はGSブームの名作は良く知っていたが,ぼくがラジオで聴き始めた頃のムッシュは何となく親しみを覚える人というイメージだった。たまたま「シンシア」がヒットした頃からその番組を聴いていたのでこのアルバムが一番思い出深い。

あゝ我が良き友よ


☆ 「我が良き友よ」は吉田拓郎の作品ではあるが,ここで描かれている無頼はヒッピーやフーテンの時代よりも古い旧制高校の世界のようで興味深かった。破帽・マント・高下駄でデ・カン・ショの時代である。明らかにこの時代の人間がエスタブリッシュメントになりつつある時に,それに対する異議申し立てとして物申した時代の代表選手のような拓郎がこの曲を書いたことは,違和感はなかったが何となく面白くは感じた。たぶんそれはムッシュが飄々と歌っているからだろうと思う。

「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」 (作詩・作曲:かまやつひろし 編曲:Greg Adams)



☆ 『あゝ我が良き友よ』は,かまやつさんがいろんな仲間と作った作品で,個人的にはその創られ方がリンゴ・スターの『Ringo!』みたいな作品だと思っている。その中で彼の自作曲がシングルのB面に入っている。曲に関するデータなど知らないままラジオから流れてくる曲を聴いていたものだが,Wikipediaで見るとこの曲(シングル発売1975年2月5日)の演奏はタワー・オブ・パワーだという。RCサクセションが『シングルマン』をレコーディングしたのが1974年12月-75年3月とあるので,時期的にも符合していてこちらも興味深い。

☆ ムッシュの番組では当然,彼の新譜が1曲ずつ紹介されたが,その時からすごく気になっていた曲だった(改めて今聴いてみると曲のニュアンスが,ある曲=思い出そうとしているのだが浮かんでこない=のフレーズに結びついてしまう)。ゴロワーズやジタンには縁がなかったが(ジタンを知ったのはちあき哲也が書いた「飛んでイスタンブール」(庄野真代)の出だしのところ。その後F1カーで嫌というほど見た=笑=),この曲が後年(お馴染みの90年代)再評価されたというのも良く分かる。これは「語り系ソウル」(バリー・ホワイトとかがやったらサマになるあれ)の流れの作品だが,シブ格好よすぎるのである。やっぱりムッシュは大人だった。

☆ ぼくにとってムッシュは初めて知った時から大人だったし,そのままの大人(良い方に良い方に重ねていった見本のような人)だった。改めてご冥福をお祈りします。

R.I.P. かまやつ ひろし / ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かまやつ ひろし)、1939年1月12日 - 2017年3月1日)

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「氷の世界」 (井上陽水 1973年12月1日=アルバムリリース)



「氷の世界」 (井上陽水)



初出:2008年3月2日

氷の世界氷の世界
(2006/10/04)
井上陽水

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☆ 「氷の世界」は35年前に出た井上陽水の4作目のアルバムタイトル曲で,彼の地元ではシングル・カットもしていないこの曲がリクエストだけでヒットチャート上位にランクされたという逸話を持つ。4分10秒のこの曲,当時は陽水の立ち位置である「フォーク・ソング」という扱いを受けていた。しかし,当時からこの曲は典型的なフォークの曲とは全然違う作品であると感じていた。その理由を今,改めて考えてみる。

☆ 結論から先に書けば,この曲は日本語のロックの線上に置くべき作品だということだ。当時のロック評論家たちは,このアルバムから先行カットされ大ヒットしながらも歌手が頑としてヒットチャート番組に出演しなかった「心もよう」を聴いて「典型的なフォーク作品」かつ「オンナゴコロ系」の女々しい作品と断じて,『氷の世界』というアルバム全体にそのことを先入観として持ってしまった。その「予断」が「ロック」と「フォーク」を無意味にカテゴライズする当時の風潮で固定化し,更にこのアルバムが当時としては驚異的なミリオンセラーに駆け上がってしまったことで,感情的に固定化されてしまった。

☆ だが『氷の世界』というアルバムは,そうした一面的な評価では到底御しがたい「作品の塊」であった。おそらく『氷の世界』をフォークという「くびき」から解き放っているのは,上京した陽水が偶然友達になった忌野清志郎の影響だろう。実際,二人の交流が「帰れない二人」に結実しているのは有名なエピソードになったが,それはRCサクセションが80年代にライブバンドとして揺るぎない名声を得た後のことだった。そしてその頃の陽水は,離婚やマリファナ事件から立ち直る途上だった。

☆ 「氷の世界」は不十分ではあるけど,16ビートで作られている。この曲をロック評論家たちは当時ちゃんと聴いたのだろうか?8ビートの「ロックン・ロール・リバイバル」ですらこの時期の日本のロックの最前線だった(キャロルやダウン・タウン・ブギウギ・バンドを指す)。はっぴいえんどは解散したばかりだから,いちばん最前線にいたのは(鈴木)茂になる。当時のロック・シーンよりもずっと先に「氷の世界」の音があることは瞠目すべきだろう。

☆ 「氷の世界」のもう一つの特徴。それは陽水の歌詞にある。昔からこの曲の歌詞じたいは平凡なものだという指摘があるが,歌詞の並びは画期的だ。7=5調をベースにしているからだ。最初の部分を取り出してみよう。

窓の外では (7) リンゴ売り (5)
声を嗄らして (7) リンゴ売り (5)
きっと誰かが (7) ふざけて (4)
リンゴ売りの (6) 真似をして (5)
いるだけなんだろう (9)

☆ この7=5調は勿論「言葉のノリ」を重視したためで,歌詞じたいの意味より音(リズム)に言葉を載せるというアプローチと考えた方が良い。陽水が意識してこのような言葉遣いをしたのは,それ以降の彼の「言葉遣い」を見ても分かる。この点でこの曲は画期的だった。「日本語のロック論争」とは全く別のところで,日本語を洋楽のリズムとメロディに載せるというアプローチが「成功していた」と言えるからだ。

☆ こういう曲をリアルタイムに経験出来て良かったと思う。そして今,改めてこの曲について考えたことをこうして書き表す場所が出来たことにも感謝したいと思う。

氷の世界 [12 inch Analog]氷の世界 [12 inch Analog]
(2007/08/08)
井上陽水

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2013年2月10日

☆ 1973年の秋に何かが起こった。それはテレビに出て来ようともしない20代半ばの無名の青年の曲が有線放送やレコード売上げの上位に入り始めたことだった。井上陽水という名の青年はそれまでにも数枚のアルバムと映画に採用されたマイナーヒットを1曲持っていたが,彼がこの秋(1973年9月21日)に発売した「心もよう」という曲は,いつのまにか大ヒットした。しかし,本人がテレビに出て来ない。彼にとって幸いだったのは当時はまだ黒柳徹子が歌謡曲番組の司会をしていなかったことかもしれない。フジテレビの「今週のヒット速報」やNETの「ベスト30歌謡曲」は仕方なく曲名と歌手名だけを表示していた。

☆ こうして井上陽水は14年後にBUCK-TICKがそういい始める遥か前から「現象」になり始めた。シングルヒットの歌手の曲を聴くにはアルバムがいいと言う者もいたし,「心もよう」的な世界を期待してアルバムを買った者もいたし,それを口実に彼女を自宅に誘いたい者(これが一番多かったと推測される=爆=)がこぞってアルバムを買った。結果として「日本で初めてミリオンセラーになったLPレコード(アルバム)」が生まれることになる。

☆ そしてアルバムが発売されると井上陽水の出身地である福岡のラジオ局ではシングルカットもしていないこの曲のリクエストが届き始めた。1974年の年初に「氷の世界」は居並ぶシングル曲に混じってその放送局のヒットチャートの上位に顔を出した。

☆ 「氷の世界」はシュールな曲で,フォーマットがフォークで中身はロック(ソウルでもある)という点で明らかにこの時代の「オルタナティブ」だった。そしてこの時代最大の予言でもあったことがこの曲の3番の歌詩にあり,アルバムが出て1年後に佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞している(核爆)。この曲がもう一つ予言しているのは同じ3番の前半部分で「人の傷つけ方」がわからないものが増えてしまった現代の殺人事件模様である。

☆ 『氷の世界』の再発盤(中古盤)を買う時の注意事項。1996年以前に発売されたアルバムの中には本来7曲目に入っているべき「自己嫌悪」という作品が不当にも削除されている盤があるので,その盤は「買ってはいけない」。

2014年6月21日

氷の世界-40th Anniversary Special Edition (DVD付)氷の世界-40th Anniversary Special Edition (DVD付)
(2014/05/21)
井上陽水

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☆ いま聴いてもLP時代のA面とB面との差に愕然とさせられる(笑)。日本で初めてのミリオンセラー・アルバムであるこの作品は,大胆にソウル・ミュージックのエッセンスを導入した曲が何曲か含まれるA面とそれまで2枚のオリジナルと1枚のライブで示された(抒情派)フォークとしてのB面が併存している。つまり何の統一もない作品だ(爆)。歌手としての井上陽水の真骨頂は,先行シングルとして発売されテレビに一切出演しないままレコード売上げを伸ばしていった「心もよう」にある。余談だがこの曲名を知ったのは当時CXで放送していた「ゴールデン歌謡情報(もうこっちの名前になっていたと思う。旧名は「今週のヒット速報」=当然オリジナル・コンフィデンスが協力していた)」でのこと。その頃はいっぱしのヒット曲通だったリア厨のぼくの目に見慣れない曲名として「心もよう」が表示されていたのが最初だった。

☆ そのうちこれは「井上陽水という福岡出身のフォーク歌手の曲である」ことが分かって興味を持つようになった。その頃は本人がテレビに出なくても,ラジオのヒットチャートで曲はすぐに聴くことができた。正直言って「ん?」というのが,最初の感想(爆)。しかしアルバムタイトル曲(彼の地元では勝手にリクエストが送られてシングルでもないのにチャートの上のほうにまで来たという)を聴いて,これは凄いと思った。いま思えば「氷の世界」はソウルである。少なくとも「ソウルフルな作品」である。その頃にはアルバムは爆発的に売れ始めていた。これも渋谷陽一説では(笑)女の子を部屋に呼ぶためのアイテムとしてステレオセットと共に普及した(爆)ということらしいが。

☆ 「氷の世界」は「あかずの踏切」から「帰れない二人」までの3曲の流れやタイトル曲は明らかにソウル・ミュージックの強い影響がある。陽水がたまたま(忌野)清志郎と仲が良かったということもあっただろう。「帰れない二人」はRCの「スローバラード」と事実上の双子だし,ショウビズ事情の巻き添えでRCが不遇をかこった時期にも清志郎が食いっぱぐれることがなかったのは,彼がRCの『RHAPSODY』の中おん「あきれてものも言えない」の中で描いている通り(有り体に言えば,あの曲に出てくる「香典」は「帰れない二人」の印税のこと)。

☆ とまあ素人目にもこれくらいのエピソード(ほかにも「言葉狩りエピソード」とか愉快でないものも)があるのに,この周年盤もまた「まともな解説」のひとつもなかった。確かに書けない話も多いのかもしれないが,こういう「周年盤」で本当に良いのだろうか?ただ文字で書けない分,DVDに収録されたドキュメンタリーを見てくれということかもしれないが,やはり納得できない。これが外国のミュージシャンだったらしっかり日本人が解説を書いているのだよ。どうして自分の国のミュージシャンだったら書けないの?この頃から存在してテレビにゃ出てくる「音楽評論家」は何もレビュー出来ないの?なんかおかしいよね。そう思います。

☆ この周年盤にはもう一つ不満がある。「桜三月散歩道」の「赤塚不二夫まんがNo.1シングルズ・スペシャル ヴァージョン」が抜けているのが不満だ。

赤塚不二夫のまんがNo.1シングルズ・スペシャル・エディション赤塚不二夫のまんがNo.1シングルズ・スペシャル・エディション
(2006/11/23)
オムニバス、少年A 他

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2017年2月8日
☆ 実は「氷の世界」と対になっている作品がある。「心もよう」の次の次のシングル「夕立」がその曲。

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女の子達のブルーズも知らずに



☆ 1970年代前半には何でもかんでもフォークと呼ばれていた。今さら思えば「フォーク」と言えば聞こえが良かっただけのことだ。いかにもショウビズらしい表現じゃないかと思う。それに気付いてなかったのは『ニュー・ミュージック・マガジン』なども同様(あえて同罪とは言わない。みな同じ穴の狢ではないか)だった。とりあえずフォーク歌手の着ぐるみを着せられてリスナーに差し出されても彼女達(りりィだったり浅川マキだったり金子マリだったり吉田美奈子だったりカルメン・マキだったりたぶん中島みゆきも)の本質はブルーズにあったのだと思う。それを知らないのは男達が "You are all the same."(ジョー・ジャクソン「It's It's Different For Girls」)だからだろう。

「風のいたみ」 (りりィ)



☆ 1970年代前半最強のバック・バンドだったというバイバイ・セッション・バンドを従えてのライブだろうと思う。彼女が亡くなった時,肺がんと聞いて気の毒だったけれど,そうだろうなとも思ってしまった。R.I.P.


PS.みゆきは別にしても,それ以外のソウル・レディのロール・モデルはジャニス(ジョップリン)だろう。ジャニスと言えば彼女のことを書かなければいけないようだ。周年盤も出るし(笑)。=つづく=

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「こぬか雨」 (伊藤銀次 1977年5月25日=アルバムリリース)


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☆ 40年くらい前はよく夕立が降っていた。陽水が「夕立」をリリースしたのは1974年9月1日で,この頃は夕立は毎日のように降ったものだ。ところがここ数年,夏がより暑くなると共に酷い夕立が時々降るようになってきた。スコール系の曲だったら松田聖子のデビューアルバムのタイトル曲とか山下達郎の「スプリンクラー」とか,まあいろいろあるのだけれど(笑),そういう激しい雨(ボブ・ディランやらモッズなんかが思い出される)じゃなければ銀次のこの曲も風情があって良い。

こぬか雨(作詩/作曲:伊藤銀次)
うたまっぷ 「こぬか雨」




コーラス編曲:大貫妙子、ホーン&ストリングス編曲:坂本龍一
THE BAND
斉藤ノブ (Perc)
上原裕 (ds)
田中章弘 (b)
緒方泰男 (Key, g)

坂本龍一 (Key)
高橋知己 (sax)
向井滋春 (tb)
妹尾隆一郎 (harp)
村松邦男 (g)
国吉征之 (H)
島田耕 (dobro)

大貫妙子 (cho) Through the Courtesy of CROWN Records
大上留利子 (cho)
Sentimental City Romance (cho)

☆ 粉糠雨(小糠雨)は霧雨のもっと細かいもののようなイメージがある。この頃の銀次の言葉のセンスは頭抜けていた(『ナイアガラ・トライアングル(Vol.1)』参照)。「こぬか雨」を最初にカヴァーしたのはEPOで,ぼくも彼女のヴァージョンで知った。『DEADLY DRIVE』が2008年に再発(紙ジャケ)でようやく手にしてオリジナルを聴くことができた。その途中には山下達郎(シングス・シュガー・ベイブ)の素晴らしいヴァージョンもあった。

☆ 1970年代後半。確かにショウビズは新しい「方向性」を探していたと思う。アイドル歌謡が方法論として確立されると,そこには陳腐化の罠が待ち受けていた。ヒトはみな年を取るという当たり前のことが障壁となっていた。そういう世間に付かず離れずで「ニューミュージック」が商業ベースに乗り始めていた。しかし「ここにはスコールさえもない」と銀次が嘆声を呟く場所はまだ,世間様には発見されていなかったのである。

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deaconblue

Author:deaconblue
「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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