2017-10

「Only With You(Sing-Along Version)」 (山下達郎 Instrumental 2001年2月=Limited Version)


COME ALONG 3COME ALONG 3
2,376円
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☆ 『カム・アロング3』発売のニュースを聞いた時,思い出したのは『Big Wave』のことだった。『カム・アロング』は最初カセットテープオンリーの企画版として出た。この頃の彼は『For You』でその人気を決定的にしていた(本人の言うところの「夏だ!海だ!タツローだ!(最後の名前はサザンもしくはユーミンに代替可。ただし80年代半ばにはTubeに浚われる)」の時代。一方で達郎と小杉(理宇造)氏はRVC(後のBMGビクター)からの「独立」を果たしつつあった。新譜は出ない以上,既発作品からのコンピレーションしか「売る方法」がなくなる。その制約の中のアイディアがカーステレオ・ユースを狙ったDJ版の制作である。『カム・アロング』では契約期間が残っていたらしい竹内まりやまでゲストに招いての大盤振る舞いではあったが,基本的には「企画物」の範疇の作品と言えたと思う。

COME ALONGCOME ALONG
2,000円
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☆ ムーンレコードを設立し,『Melodies』という80年代に残る名盤を出した達郎に対して古巣の出来たことは,本人の許諾のないまま古いマテリアルで同工異曲を発表するくらいしかなかった。この手の「同工異曲商売」に対しては矢沢永吉が『成りあがり』の中で激しく批判している。後年,矢沢がキャロル時代の作品を全部「取り返した」背景にこれがあったのは間違いないし,山下もRVC時代の作品をコントロールすることができるようになって初めてリマスターを出している(その時に『カム・アロング』も非買品として出している)。

COME ALONG2COME ALONG2
2,000円
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☆ 『カム・アロング2』の発売に対して山下は当時自分が持っていた番組の中で「本人の許諾なしにこうした企画盤を出すこと」を厳しく批判した。それはミュージシャンとして当然の振る舞いであったと思う。ところがそれが後日,意外な波紋を招くことになる。

Only With You (山下達郎)




☆ 『Melodies』の後を受け山下が1984年に出した『Big Wave』は記録映画のサウンドトラックという体裁であったが,テーマ曲は前年のNHK-FMで放送された特別番組で発表された(その時は「魔法を教えて」というタイトルで歌は(おそらく詩も)大貫妙子に覆面歌手(ター坊=彼女のニックネーム)なってもらった)ものである。その他も彼のアルバム未収録作品や既発作品の英語詩だったりだったため,彼が前年批判を加えていた番組のリスナーから「これだって "企画盤" じゃないですか」という批判をされたのである。

☆ 山下は番組で「そうではない」と弁明した。本来なら無視しても良いところを敢えて取り上げたところが彼の筋の通ったところだと思うが,これに懲りてそれから暫くの間は『Big Wave』は「企画物」的なことを山下自身も口にしていた。レコード会社の移籍やまして事業としての立ち上げなどという事情はリスナーには関係のないことであるが,そうした事情や復帰を依頼した竹内まりやのプロデュース方針など山下が当時抱えていたものはかなり多く,またコンサートツアーも例年実施していたこともあって制約は極めて大きかったとも思う。それらを前提に完全な形での「まっさらな」フルアルバムは無理な注文であり,自分に出来ることを考え抜いた末の選択であることは今となれば良く分かる。

☆ 今回の『カム・アロング3』はそうしたこともなく(彼の番組を聞かなくなって久しいので)個人的には唐突感もある。ただ,『3』に合わせて『1』や『2』もリマスターされて発売されたのは悪いことではないと思う。全部ひっくるめて「企画物」であるとは思うが,今は東西のポピュラー音楽家(及びレコード会社)の間で企画物の百花繚乱という「素晴らしい世の中」なので,今さらこれに目くじらを立てるのも,まあ大人げないのかなと静観することにしている(爆)。
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「So Long Mrs.」 (村田和人 1983年6月25日=アルバムリリース)


ひとかけらの夏ひとかけらの夏
2,808円
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☆ それは蒸し暑い夏の夜だった。ぼくは高校の友人の知り合いの彼女(同じ高校を出ていたが面識はなかった)と待ち合わせの約束をしていた。ぼくたちは一度だけデートの真似事をしていた。渋谷で会って当時宇田川町にあったタワレコに寄って,あまりに天気が良かったので神南のNHKを横目に代々木公園まで「ぼんやり」しに行った。帰り道にセンター街の喫茶店でお茶しながら,次の約束をした。その約束の日がその夜だった。

☆ 今さらどこで待ち合わせしたのか忘れてしまった。彼女が勤めていた会社は二重橋の近くで,家は武蔵境の駅から歩いたほうが近い三鷹にあった。ぼくは待ち合わせ場所にほぼ時間通りに着いたが彼女の姿はなかった。1980年代の初めにはソーシャル・ネットワーキング・サービスどころか携帯電話もポケットベルも実用品ではなかった。ぼくはその場所に30分ほど佇んでいた。当時の有名な政治家が「人待ちをするのに30分は待つべきだ」と書いていたのを読んでいたからだ。しかし予想した通り30分は蒸し暑く流れ去り,ぼくは彼女の実家に電話をかけた。彼女の弟とおぼしき男性にどこどこで30分待ったが来なかったので帰りますと伝えてほしい旨告げて,汗と失意に塗れながら帰った(自爆)。

☆ それから数年後,ぼくは関西にいたが,なぜか彼女からエアメイルが来た。誰かお節介なヤツがぼくの転居先を教えたようだった。ぼくは不思議な気持ちでその葉書を読んだが,そこにどんなことが書いてあったかはすっかり忘れてしまった。たぶん差出地であるニューヨークの街のことと一緒に日本に戻ったら結婚する旨が書いてあったような気がする。

☆ どうしてだろう?とぼくは思った。彼女はあの日,残業仕事か会社の友達か将来の結婚相手との時間をぼくに優先した。もしかしたら最初から「けっちん」喰らわすつもりだったのかもしれない(ぼくはそういう状況に慣れていたから,そのことは特に恨めしく感じてはいなかった)。なのにどうして今頃とぼくは思った。この話はこれでお終いで,その後彼女がどういう人生を歩んだのかぼくは知らない。

「So Long Mrs.」 (作詩:安藤芳彦 / 作曲・編曲・歌:村田和人)
KBS (京都放送) 交通安全キャンペーン「第12回京都かたつむり大作戦」(1987年)のライブから


↓ こちらもお奨めします
https://www.youtube.com/watch?v=Knl0kW3Xcj0


☆ でもこのライヴ,師匠(山下達郎)の引用「ビッグ・ウエイブのテーマ(別名「魔法を教えて」)で締めるとはシブいねぇ(゚∀゚)。しかし1987年のKBSってバブル紳士の巣窟だったのでは...それはともかく,こういうシチュエイションの歌では大滝さんの「木の葉のスケッチ」(『EACH TINE』収録。ただし大滝さんの歌の主人公は元ヨメと出逢った)なんかもあるけど,たいてい商店街で出会うことになる彼女は左の薬指にリングをしているんだな。そうでないと歌詩にならないのかもしれないけど,切ないものですなあ。。。

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「夕立」 (井上陽水 1974年9月1日)


二色の独楽二色の独楽
2,160円
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☆ 昔まだアフロヘアーだったころの陽水にどこかのインタビュアーが「どうしてそんな髪形をしているのか」と訊いたので,彼は顔色一つ変えず「あることのしすぎだからです」と答えたそうだ。これはもちろん悪い冗談で,今だったら「なんたらハラスメント」の類である(笑)。陽水がアフロヘアーだったのは75年頃まで(フォーライフレコード設立時)だったような気がする。

☆ 「夕立」は「氷の世界」を裏返した作品だと思う。この頃は歌謡曲とフォークしかなかったので,この曲の括りは「フォーク」だったが,「氷の世界」同様にこれはソウルっぽいロックというしかない。ちなみに中村とうようの雑誌名を業界が乗っ取った「ニュー・ミュージック」という言葉は既に存在していたので,これからは「ニューファミリー」が「ニューミュージック」を聞く「ニューライフ」だとシャープの人(当時)は思ったかもしれない(笑)。ちなみに中村とうようがシャープが70年代後半にコーポレート・サインとして使っていたコピー「New Life Now」を死ぬほど毛嫌いしていたのは有名な話である。

「夕立」 (作詩・作曲:井上陽水、編曲:星勝)
(NHKホールライブ 1982/3/7)



☆ 井上陽水は矢沢永吉などと同じビートルズ・チルドレンだと思うが,忌野清志郎と親しかったせいか,この時期はかなりソウルフルである。後日RCを聴きだした頃,陽水が一種のゲートウエイの役割を果たしたかなと思う。

☆ 気になったことがあったので,例の役立たず(うたまっぷ)でこの曲の検索をした。しかしやはり役立たずにはこの曲が収録されていなかった。オワコンやなあ,うたまっぷ○| ̄|_。

☆ それで「歌詞タイム」で調べるとこうあった。
Wah・・・夕立だ

☆ このWahという部分も当時よく訊ねられていた。「あそこはなんと歌っているんですか?」。イノウエさんは「適当に歌っています」と答えたかったのだろうが前者のような「問題」にしたくなかったのか「さあ自分でもわかりません」とか答えて煙に巻いていた(笑)。個人的にはWaopと聞こえる。


☆ 最初に書いた「インタビュー」の話。質問者はアフロヘアーという髪型を知らず,「どうして髪の毛がそんなにチリチリなんですか?」と尋ねたのだったと思う。
☆ 今だったらYouTubeで70年代の「Soul Train」の動画が山ほどあるので,アフロヘアーが「ソウル革命」の一つの象徴であることは容易に分かると思う。陽水の髪型=ソウルとくれば出所は清志郎かなとおもうけれど,寡聞にして清志郎のアフロヘアーは見たことがない(たぶんしたこともないと思う)。ちなみに個人的に一番インパクトのあったアフロヘアーはロサンゼルスのレコーディングから帰ってきた時(だったと思う)の山口百恵で,周囲がすぐに元の髪型に戻させた(のではないだろうか=爆)。

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西海岸幻想とバブルへの階段(らしきもの)




初出:2010年7月17日(一部改稿)
☆ 村田和人の登場は思い切り衝撃だった。それまでフォークとニューミュージックとブルースとロックとパンクとテクノしかなかったところに彼は軽々と舞い降りたのだから。

☆ 当時のいわば「意識高い系」の御仁が,この曲の上っ面(それすら見る「能力」もなかった)だけで,あるところに "西海岸礼賛の軽薄な歌い手に「ホテル・カリフォルニア」の意味も分からないくせに" みたいな暴言を書いていた。1969年にオルタモンドのミック・ジャガーの目の前で何が起きたかとか,でかい音でイーグルスをかけろとフェイゲンとベッカーに言われた仕返しをドンとグレンがどうやったのかとか,そういう事の意味も分かっちゃないそういう奴には「ブライアンン・ウイルソンがいかにサーフィンの達人だったか」と言えば,知った顔で頷くのだろう(爆笑)。

☆ その手の子供だましに引っ掛かるような奴にはミドル・オブ・ザ・ロードを誤解なくこの国でやっていく覚悟など見えもしないし分かりもしないのだ。たぶん死ぬまで。

(注釈)イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」の中で「1969年からここにはスピリッツは置いてない」という歌詩がある理由は,その年の初めにオルタモンドのスピードウエイで開催されたローリング・ストーンズのフリーコンサートの最中に会場警備を引き受けていた「ヘルズ・エンジェルス」がミックを狙撃しようとしていたように見えた黒人少年を殴り殺した事件が起ったこと。
・スティーリー・ダンの『ザ・ロイヤル・スキャム(幻影の摩天楼)』中の曲「Everyhing You Did」の歌詩中に「でかい音でイーグルスをかけろ(Turn up the Eagles the neighbors are listening)」とある。痴話喧嘩のBGMにされたドン・ヘンリーとグレン・フライの仕返しは「ホテル・カリフォルニア」の歌詩の中でこう反撃した。「彼らはそれをスティーリーのナイフで刻もうとしていたが,獣一匹殺せやしなかった(They stab it with their steely knives, But they just can't kill the beast)」
・ブライアン・ウイルソンはサーフィンをしなかったし,水泳は苦手だった。ビーチ・ボーイズでサーフィンと来ればブライアンの弟のデニース・ウイルソン(1944年12月4日 - 1983年12月28日 皮肉なことに水難事故で死去している)。


2017年7月14日追記

「電話しても」 (村田和人 1982年4月21日)


☆ 村田和人が「電話しても」でデビューした頃,ぼくはまだ全然ビーチ・ボーイズを聴いていなかった。当時の知人に傑作だと渡された『ペット・サウンズ』のカセット・テープも,何回か聞いてそのままにしていた。だから上に書いた「意識高い系」氏への皮肉は単純に氏の教条主義的な物言いに反発したに過ぎない(自爆)。

☆ 村田和人(1954年1月2日 - 2016年2月22日)は,ビーチ・ボーイズのベスト盤のタイトルでもある『終わりなき夏(Endless Summer)』を生きたミュージシャンだった。個人的には最初の2枚のアルバムや山下達郎のツアーでのバックヴォーカルなどのイメージが強く,これがまた山下自身が認めていた「夏だ!海だ!タツローだ!」的マーケティングに載ったこと,さらに言えば,山下が自らのレーベルとして立ち上げたムーン・レコードのミュージシャンとして村田のデビューに関わったことがあって,そういうラインに彼の立ち位置が決まっていくこと自体は必然的な面もあったと思う。

☆ 西海岸幻想というものが生まれた時期は60年代後半ではないかと思う。1967年にスコット・マッケンジーが「花のサンフランシスコ(1967年5月13日)」を歌ったことはその象徴かもしれない。RCサクセションの「トランジスタ・ラジオ(1980年10月28日)」の詩で清志郎と思われる主人公が聴いていたベイ・エリアからのホットなナンバーはたぶんマッケンジーの曲やジェファーソン・エアプレインの「あなただけを("Somebody to Love" 1967年4月1日)」だっただろう。

☆ ヒッピー文化がマンソン・ファミリーによるシャロン・テートらの殺害事件やオルタモンドの悲劇で崩壊した後(=だから中西部からやって来たイーグルスに「1969年以来ここにはスピリッツは置いていない」と歌われてしまう),西海岸が日本の青年に与えたものは幻想でしかなかった(そうではなかった人物もいる。例えば少年だった今の孫正義とか)。その幻想はドゥービー・ブラザーズの『ミニット・バイ・ミニット』の中敷きに写っていたマリファナのジョイントみたいなものでしかなかったから(爆)上記のような「教条主義」を生むわけだが,そうではない西海岸は林檎の樹(アップル(コンピューター)・コーポレーション)やフェアチャイルド(セミコンダクター。後にそこからロバート・ノイス,ゴードン・ムーア,アンディー・グローブらがスピンアウトしてインテルを創業する)の成長と共にシリコン・バレーを形成していく。

☆ 山下や村田が良く分かっていたように,西海岸の文化は東海岸に対する対抗文化(カウンター・カルチャー)であり(その恩恵をぼく達もこうして享受しているのだが),東海岸の街角でドゥー・ワップが育ったように西海岸のガレージからサーフィン/ホット・ロッドが,そして80年代にはヘヴィ・メタルが(東海岸からは言うまでもなくラップ/ヒップ・ホップだが)育っていったのである。

☆ そーゆーこと(この書き方も80年代初期っぽいが)を知らずに湘南や千葉の海岸で大きな波を待つ(前者は非常に条件が厳しかった。例えば小田急江ノ島線でサーフボードを運搬することからして^^;)ことの延長線上に西海岸があれば,その先にはやはりバブルっぽいものが波の数ほど抱きしめられたいと待ち構えていたことだろう。

2016年1月10日の演奏(電話しても/村田和人 山本圭右 20160110 T'S studio)




☆ その「意識高い系」氏が存命なら,改めてお尋ねしたいものだ。
「2016年までスピリッツを失わなかったミュージシャンシップをまだ貶めたいのか?」と。
☆ そういえば1967年のL.A.と言えば,ドアーズの「ハートに火をつけて」があった。

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ラスト・パス (「白いページの中に」(柴田まゆみ 1978年8月25日)


初出:2008年7月29日
(YouTube削除のため省略)
2011年9月24日
白いページの中に&モア・トラックス白いページの中に&モア・トラックス
(2004/12/16)
柴田まゆみ

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☆ 1990年代の半ばまで,この曲は封印されていた。復刻盤ドットコムというサイトで「復刻不可能曲リスト」の常連だった。理由は知らない。ただ現在この曲の版権を持っているテイチクがオムニバスの中にこっそりこの曲を入れることに成功して,ようやく(というより初めてCDで)聴くことができた。
「白いページの中に」 (作詩・作曲:柴田まゆみ 編曲:古川健次)
1978年8月25日リリース 最高位23位(オリジナル・コンフィデンス調べ)



☆ この曲が好きなので,ここでも何度か取り上げている。彼女が結局プロ活動をしなかった理由や今世紀になって突然封印を解いてアルバムを出した理由は知らない(Wikiもなかった)。ただ,あの暑かった夏のことや硬派で鳴らしていた同級の男がなぜかこのフォーク・ソングを好きで聴いていたことなどを脈絡無く思い出させる。なにもいいことの無かった17歳にもなぜか甘酸っぱい曲なのである。

2017年6月5日追記
☆ 直前に書いている話。同じ高校に「サッカー小僧」がいた。この曲が好きだという話を彼から直接聞いたのではない。彼はぼくをガリ勉野郎と思っていたし,ぼくは彼を硬派気取りと思っていた。気が合うはずがない。互いにとっての上策は「相手にしないこと」である。

☆ この曲の話を耳にした前だったか後だったか忘れてしまった。その日の体育の時間はサッカーだった。ぼくはなるべくボールの来ない場所(後衛)を守り,彼は当然のようにフォワードにいた。試合中ぼくの所にボールが来る機会はほぼなかった。その唯一の時,ぼくの前方は大きく開いていてそこには彼しかいなかった。ぼくは考えることもなく,どうせこっちには蹴らないだろうという顔をしていた彼に向けてロングボールを送った。ボールは誰もいない空間を真っ直ぐ彼の方へ飛んでいき,彼はそれを受けて言った「ナイス・パス」。

☆ その後,彼は六大学に進んだが,その頃の友人から聞いた話では大学ではサッカーとは全く関係のないサークルに入っていたそうだ。この話はこれでお終いである。人生にはこんなこともあるということだ。あれはたぶん僕が彼に送った最初で最後のパスだったのだろう。いまとなってはこの曲と同じで苦くも甘くもない思い出として残っている。


☆ 上のYouTubeの投稿者のコメントによると,彼女はこの曲を出した後,直ぐに結婚・引退したそうだ。また複数のブログで確認したが,2004年に発売された音源は1992年に収録されたものだという。

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deaconblue

Author:deaconblue
「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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