2018-07

あの日の空は、たぶん今日の空。



☆ 不思議に思えるようになるには,それなりに時間が要るのだということを知るには,その頃の僕は若過ぎた。たぶん君や君の友達や恋人も同じように感じるのだろう。どうしてこの退屈な空間の中で無為に時間を過ごさなければならないのかと。それがとんでもない贅沢であることを君達も薄々感じているのだろう。でも感じることはあっても,どうすればいいのかという答えは一向に見えないということも。結局,君達は堂々巡りのようにその時間を消費していく。

☆ 1年が憎らしいほど短いのに,どうしてこのたった1日,いや半日が長いのだろう。まるで人生の総てがそこに放棄されているかのように長ったらしく感じるのだろう。温度計は目盛を上げる代わりに30を軽く飛び越えた数字を示し,退屈しのぎに空を見れば,青いというより薄雲を孕んで水色のように見える。真冬の切りつけるような真っ青な空は其処には無い。湿った生温い風がコッソり体力と気持ちの張りを奪っていく。

☆ 時を隔てて,それでもあの日の空は,たぶん今日の空。人生のコーナーを二つは回って,その割に得るものもなく,この生温い風のように一日を凌ぎながら,不覚にも見上げてしまった空は,やっぱり水色。



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24時間のシンシア



☆ ぼくの基本的な認識では,70年代までは歌手がアイドルをやる時代だったので,アイドル期を超えた女性歌手はそこで引退するか,女優になるか,歌手のままでいるかという選択を迫られていた。たいていの人が女優の道を選んだ。アイドルが出来るくらいだから何処かに華があるわけだし,仕事が面白くなってきた人もいただろうし,当時のショウビズは結婚しても仕事を続けられる数少ない職業の一つでもあったから。

☆ それが変わってくるのは70年代にウーマン・リブと言い,その後ジェンダー論に昇華していった女性・男性論の進展を社会が受容していったからで,(専ら為政者サイドも)いろんな理由があって自由主義社会を「開放」していく戦略を取ったことがその流れに棹差した。で,80年代になるとアイドルが歌手をやる時代に代わっていて,秋元が小泉に歌わせたように「職業としてのアイドル」が確立されると,あとは何でもありの世界になっていく。

☆ 歌手がアイドルをやる時代の歌手の中でもシンシアは知的で自覚的な女性だったと思う。彼女が最終的に一回歌手を辞めたのは(アイドル全盛期の「引退」騒動を除く。その後短期間復帰するが引退と解釈している)詳しい事情は書かないが,そういうショウビズの仕組みに嫌気がさした部分も大きかったと思う。シンシアのアルバムには『午後のシンシア』はあるが『夕方』や『夜』はない(「人恋しくて」,「夜霧の街」と "夜霧のコンサート" は例外)。本当は22時のシンシアも(アルバムという形で)聴いてみたかったし,27時のシンシアだって知りたいと思っただろう。でもたぶんぼくたちは18時より後のシンシアは知らないまま彼女は幕の向こう側に帰っていった。

「春の予感 -I've been mellow-」 (作詩・作・編曲:尾崎亜美 1978年1月21日)
セットからも分かるようにCX「夜のヒットスタジオ」。いうまでもなく直前の歌は「迷い道」(渡辺真知子)。




以下Wikipediaのこの作品の解説より引用
> 1978年、資生堂春のキャンペーン・ソングに起用された本楽曲は、シンガーソングライター・尾崎亜美が他者に楽曲提供をした初めての作品にあたる。作詞・作曲・編曲すべてを尾崎が担当しているが、南沙織の全シングルA面楽曲中、作詞・作曲・編曲すべてが同一の作家によるものは本楽曲のみである。尾崎は同曲で、東京音楽祭ゴールデンカナリー賞作詞賞を受賞した。

近々「遊びに行きます」。しばしのさよなら

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井上陽水 『Negative』 (1987年12月16日)


NegativeNegative
2,500円
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『Negative』
LP A面
01. Negative
02. MOON
03. 恋こがれて
04. 揺れる花園
05. 記憶

LP B面
06. Seventeen
07. 全部GO
08. We are 魚
09. WHY
10. Love you

☆ 『9.5カラット』(1984年12月21日)で井上陽水は当時の日本のポピュラー音楽界に絶対的な地位を得た。それを受けてのスタジオアルバムは世の中の「ある部分」が明らかにバブルに向かいつつあった1987年12月に発売された。このアルバムはCD化はされているが(つまりCD化もされないライブの『東京ワシントンクラブ』には優っているものの)どうやら彼のディスコグラフィーの中では「鬼っ子」扱いにされているようで,Wikipediaの記事(ディスクレビュー)もない。

☆ 実はその取扱いに不満を持っている(爆)。確かにジャケットの「年老いたインディオ」の扮装は「このおじさん,何をとち狂ってまだハロウィーンも定着してなかった昔にこんなコスプレしてるんだろ」 感に満ち溢れていて,この勘違い感がアルバムのタイトルと同じ評価を与えているのかもしれない(だいたいジャケットではボールド(太字)の活字体大文字で書いているタイトルが公式ディスコグラフィーでは大文字小文字の混淆になっているのはどういうわけだ?)。

☆ 当時のインタビューで陽水は歌詩の中で「語感」への拘りを示している。だから妙な韻の踏み方をしている。例えばタイトル曲なら「アラビアン」「メロディアン」「カナディアン」「シビリアン」。たぶん新聞(シビリアン・コントロール)だとかラジオCM(メロディアン・ミニ)で耳に付いた言葉をうまく並べたのだのだろう。考えるまでもなく,怪作「My House」の方法論が駆使されている(爆)。正確には忘れたが「ま・み・む・め・も」なんかが良く「か・き・く・け・こ」は硬いから避けるなんてトヨタの人が見たらがっかりするようなことを話していた(笑=昔トヨタ自動車は全く同じ理由から乗用車の名前に意識的に「か」行を使っている「カローラ・コロナ・クラウン・カムリなど」)。

☆ だけどアルバム全体の印象は,とっ散らかり感が強い。ビートルズの同名アルバム(ホワイト・アルバム)から両極端の曲を削って1枚組にしたような(爆)感じがする。ディジタルっぽいオープニングのタイトル曲からネオアコを感じさせるA②に持ってくるだけでも㌧でいるのが,A➂はまるで「小春おばさん」のリリシズムが蘇ってくるかのようだし,A④→A⑤と流れていくのはまるでアンビエントに歌詩をつけたかのような浮遊感やら「癒し」やらで全く違うアプローチながらウインダム・ヒルがやっていた音楽の「方向性」に非常に近い(念押しするが,音楽そのものではなく,方向性が近い)。

☆ B面は賑やかなポップから始まる。20世紀の歌姫(クラシカルの歌姫)を陽水はあっさり料理して,それが格好良すぎる(もっともこれが誰かの琴線か逆鱗に触れた可能性をぼくは感じていて,それが「鬼っ子」の理由かなと邪推している)。でもこんな感じの音は陽水しかやっていなかった(世界中で)。ある意味ブリティッシュ系の「ひねポップ」に近く,多い言葉数も相変わらずのテキトーな韻の踏み方でとてもスムーズ。B②は陽水がときどき吐き出す重厚系ポップ。このヒト,どこかでブルースに繋がっていたかったみたいで(例えば『ザ・ビートルズ』だったらジョンの「ヤー・ブルース」),でも全体が軽めなのでちょうど良い場所に錘(おもり)が一個入っている感じもする。

☆ でもB➂からは再び「癒し系」に戻ってしまう。とある歌詩から唐突にエーゲ海を彷彿させ,池田満寿夫なんか思い出してしまう(笑)。これはタイトルから韻を踏んでいるしね。B④は彼の作った最も美しい歌のひとつ。そのムードのまま最後の小品B⑤で幕を閉じる。こうしてアルバムを聴いていると美しい曲や賑やかな曲が目立つが,アルバム全体の方向感が見えない。いや本当は聞こえないと評すべきなんだろう。このアルバムの歌詩カードを眺めれば分かる。ある意味このアルバムは「曲の付いた詩」が集まったもの(さだまさしなら,それを「詞華集」と呼ぶかもしれないが,本来の「詞華集」はアンソロジーなので一人ではできない)。

☆ 私事になるが,この時期ぼくは阪神間に住んでいた。有川浩が小説にしなかった方の阪急電車(今津北線)の沿線で阪神競馬場といえばピンと来る人も多いが,そこから関西学院の方に上がったというより関西学院の裏側に住んでいた。梅田で飲み過ぎて神戸線の最終に乗ると西宮北口で宝塚方面の「乗り合い営業」中のタクシーに見知らぬ人たちと乗り合わせて,割安なお金を支払って降りた後川沿いに上っていくという優雅な日は数えるほどもなかったが,まあそういう暮らしをしていた。

☆ 80年代(特に後半)はバブルの時代だと言うが,その刷り込みはエズラ・ヴォーゲルの本を日本礼賛本と勘違いしているのと同じくらい「ずれた」ことだと思う。踊った人にはバブルだったろうと思う(夏に見た許永中の手記は面白かった)が,大半の人は関係のないもので(だから『ダンス・ダンス・ダンス』が,実際に見てもないのにあそこまでバブルの本質を衝いていたのは村上春樹の取材力なのか何なのか良く分からないまま感心してしまった)後で気分を振り返れば「あれがバブルだったなあ」とは言える。それを自分が体験したこととごちゃ混ぜにすることは間違っている。ましてそれを前提に本や論文を書いたりするのは後生を誤らせるから厳に慎むべきだと思う。とまれ「あの時代」の空気はこのアルバムだったり,『Keisuke Kuwata』だったり『Listen!Barbee Boys4』だったり『PSYCHOPATH』だったり『Boogie Woogie Mainland』だったりするので,こういう作品を聴いていると,どうしてもバブルという時代を思い出してしまうのである。

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☆ あんたの時代も良かった(たぶん...)




☆ この本に出てくる曲の9割は曲名を知っていて,8割は曲のイントロかその一部が思い出せて,6割以上の曲はだいたい思い出せて,ほぼ全部思い出せる曲は3割以上は間違いなくあった(笑)。この本はぼくにとって「殆ど脳内ジュークボックス」のような本で読んでいる間はかなり楽しかった(自爆)。

☆ 著者が指摘しているようにヒットメーカーが歌手を育てる時代が1970年代の途中まであった。これは映画と同じで,専属制度による囲い込みがあったからだろう。囲い込む理由は興行が暗黒街と繋がっていたからで有り体に言えばヤクザのシノギ(シマ)を荒らされないようにすることがベースにあった。そういう世界を英語ではモンキー・ビジネスと呼ぶが,今ごろになってモンキー・ビジネスの「内部通報」などが起こっていて40年遅いだろっとは思うが,40年前にはいろんな強面(こわもて)の面々が現役バリバリだったし,その辺のユルさはプレ・コンプライアンス期(前カンブリア紀みたい)だったので仕方がない。ところが仕方がない話が「仕方が無いじゃ済まない」となったのが米国ショウビズ界のセクハラ告発で,今さらながらクリーンアップせざるを得ないだろう。

☆ 話がとんでもない方向に脱線してしまったが(苦笑)例えば著者が指摘する阿久悠が桜田淳子を(歌手として)どう育てようとして,そのアプローチがどこからズレていったかについては明察であると思う。今って世の中が幼稚化していると思うので,20歳くらいでも淳子や百恵の16,7歳の頃とあまり変わり映えがしない気がする。その線で行くと20歳前後に出てきて10年やっても,40年前だったら25歳前後の感覚でしかなく,それがマンネリ化して40歳になっても若者扱いされる男性「アイドル」など気の毒な気がしてしようがない。そういう意味でのスピード感は『LIFE SHIFT』ではないが人生のステージが伸びた分だけ落ちているのかもしれない。

☆ 「カサブランカ・ダンディ」については再掲を含め過去5回くらい書いているので,今回は書かないが,どうしてボギーが出てきたのかを考えてみるとウディ・アレンの映画もあったし,アル・スチュワートの曲(「イヤー・オブ・ザ・キャット」にピーター・ローレが引用されていること)もあった。この辺がヒントになったかなと。



☆ でも実際,歌謡曲の歌詩が先生だったことはあって,この曲や翌年の「プレイバックPart2」(山口百恵/作詩:阿木燿子)から何となくハードボイルドって小説ジャンルに興味を持ったのは個人史です(苦笑)。

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「Only With You(Sing-Along Version)」 (山下達郎 Instrumental 2001年2月=Limited Version)


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☆ 『カム・アロング3』発売のニュースを聞いた時,思い出したのは『Big Wave』のことだった。『カム・アロング』は最初カセットテープオンリーの企画版として出た。この頃の彼は『For You』でその人気を決定的にしていた(本人の言うところの「夏だ!海だ!タツローだ!(最後の名前はサザンもしくはユーミンに代替可。ただし80年代半ばにはTubeに浚われる)」の時代。一方で達郎と小杉(理宇造)氏はRVC(後のBMGビクター)からの「独立」を果たしつつあった。新譜は出ない以上,既発作品からのコンピレーションしか「売る方法」がなくなる。その制約の中のアイディアがカーステレオ・ユースを狙ったDJ版の制作である。『カム・アロング』では契約期間が残っていたらしい竹内まりやまでゲストに招いての大盤振る舞いではあったが,基本的には「企画物」の範疇の作品と言えたと思う。

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☆ ムーンレコードを設立し,『Melodies』という80年代に残る名盤を出した達郎に対して古巣の出来たことは,本人の許諾のないまま古いマテリアルで同工異曲を発表するくらいしかなかった。この手の「同工異曲商売」に対しては矢沢永吉が『成りあがり』の中で激しく批判している。後年,矢沢がキャロル時代の作品を全部「取り返した」背景にこれがあったのは間違いないし,山下もRVC時代の作品をコントロールすることができるようになって初めてリマスターを出している(その時に『カム・アロング』も非買品として出している)。

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☆ 『カム・アロング2』の発売に対して山下は当時自分が持っていた番組の中で「本人の許諾なしにこうした企画盤を出すこと」を厳しく批判した。それはミュージシャンとして当然の振る舞いであったと思う。ところがそれが後日,意外な波紋を招くことになる。

Only With You (山下達郎)




☆ 『Melodies』の後を受け山下が1984年に出した『Big Wave』は記録映画のサウンドトラックという体裁であったが,テーマ曲は前年のNHK-FMで放送された特別番組で発表された(その時は「魔法を教えて」というタイトルで歌は(おそらく詩も)大貫妙子に覆面歌手(ター坊=彼女のニックネーム)なってもらった)ものである。その他も彼のアルバム未収録作品や既発作品の英語詩だったりだったため,彼が前年批判を加えていた番組のリスナーから「これだって "企画盤" じゃないですか」という批判をされたのである。

☆ 山下は番組で「そうではない」と弁明した。本来なら無視しても良いところを敢えて取り上げたところが彼の筋の通ったところだと思うが,これに懲りてそれから暫くの間は『Big Wave』は「企画物」的なことを山下自身も口にしていた。レコード会社の移籍やまして事業としての立ち上げなどという事情はリスナーには関係のないことであるが,そうした事情や復帰を依頼した竹内まりやのプロデュース方針など山下が当時抱えていたものはかなり多く,またコンサートツアーも例年実施していたこともあって制約は極めて大きかったとも思う。それらを前提に完全な形での「まっさらな」フルアルバムは無理な注文であり,自分に出来ることを考え抜いた末の選択であることは今となれば良く分かる。

☆ 今回の『カム・アロング3』はそうしたこともなく(彼の番組を聞かなくなって久しいので)個人的には唐突感もある。ただ,『3』に合わせて『1』や『2』もリマスターされて発売されたのは悪いことではないと思う。全部ひっくるめて「企画物」であるとは思うが,今は東西のポピュラー音楽家(及びレコード会社)の間で企画物の百花繚乱という「素晴らしい世の中」なので,今さらこれに目くじらを立てるのも,まあ大人げないのかなと静観することにしている(爆)。

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Author:deaconblue
「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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