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2019-12

【本文記載】「音楽のような風」 (エポ 1985年8月5日)


「音楽のような風」 (エポ 1985年8月5日)



☆ オープンカフェのイメージを最初に感じたのは,スタイル・カウンシル『カフェ・ブリュ』のジャケットあたりじゃなかったかと思う。その頃は既にカフェバーが都会から地方に広がりつつあったし,サントリーは1923で最初のハイボールブームを作り出していた。これも後講釈なんだとは思うが,サントリーがジガーバーを大量出店した頃とカラオケ(クラリオンがせっせと8トラックのカセットが入る機械を増産していた)スナックが流行り出した頃に,バーという業態が高級クラブを除いてオーセンティック・バーを意味するようになったのではないかと思う。しょうもない話だが松本清張の(小説の)時代に出てくるホステスさんは「バーのホステス」さんなんだが,これは今で言えばラウンジのお姐さんあたりになる。すると今で言う「キャバクラのお姐さん」たちは(まだ「ロンドン」のCMが深夜枠で健在だった)旧来のキャバレーのお姐さんたちということになる。

☆ キャバレーの機能は分割され,片方はキャバクラに進化(?)したが,もう片方はたぶん「ライブハウス」に進化した。だから演歌の人達が生きにくくなるわけである。演歌歌手のかつての「営業場所」には,逆毛立てた兄さんだのパンダのようなアイシャドウをした姉さん(1981年頃のニナ・ヘイゲン様参照)だのがたむろしていたわけだから。そして「真っ昼間からお酒も飲めるよ」という業態がレストラン以外にも出てくるようになり,(オーセンティック)カフェが喫茶店とは別に登場することになる。

☆ 「コーヒーを飲む場所」が欧州人にとって持っていた意味は,二重三重に近代国家や現代資本主義の揺籃(ゆりかご)であることはフランス(革命だよ,デムーラン君)だとかオランダ(株式市場)を見れば明快に分かる。そこはまず「情報をやり取りする」場所であり,「意思を表明する場所」であった。だから今のカフェが「おしゃれ一族」のリアルライフ充実(この言葉の短縮後を見るたびに,ぼくは天才 梅津和時が発見した「生活向上委員会」という概念を思い出す=爆=)の場であったとしても,彼ら彼女らの佇まいが既にカフェの本来持っていた意味(「情報」と「意思」)をその服装(と行動)によって「発信」しているという事実を思い,何とも言えない感慨を持つのである(笑)。

☆ 「音楽のような風」の吹く街角のカフェでお茶をするのも一興だが,鏡を見たら諦めるしかないのだろうな。それとも「ワークマン」にいそいそと出掛けて扇風機付きの作業衣でも買い込み,場違いにもリア充な顔でもしてればいいのか(自爆)。

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「夕闇のストラット」 (EPO 1985年3月21日=アルバムリリース)


初出:2016年7月24日
ハーモニー(紙ジャケット仕様)/EPO



¥3,240

Amazon.co.jp



☆ この曲はエポの7枚目のアルバム『HARMONY』の2曲目,1曲目が「オーバーチュア(序曲)」なので事実上の1曲目にあたる。ところでむかし赤鉛筆といえば朱色の鉛筆だった。その赤鉛筆(三菱でもトンボでもどこでもよかった)には "Vermilion" と書いてあった。バーミリオンが朱色で夕焼けの色であることをこの曲を聴いて思い出した。

「夕闇のストラット」 (EPO)



☆ 失恋した瞬間ってどんな気持ちなんだろう。愚問だと思うがやはり考えてしまう。失恋した瞬間はクラッシュ(交通事故)の瞬間と同じで目の前が本当に真っ白になってしまう。真っ白なのは心の中に何も書き込めないからだろう。確か恋に落ちた瞬間だってどこかで「魂を抜かれた」はずなのに,全く同じ力が反対側に働いても同じように「魂を抜かれてしまう」のだ。だから別れを告げた元カレは一刻も早くその場から逃げ出すために車を発進させ,残された主人公は魂を抜かれたまま「ふらつく心を外に見せないように」ふらつき歩く (strut) のだろう。

☆ ストラットといえばお天道様の下を普通に歩いている時のネコの歩き方を思い出す🐈。あの歩き方は何かに似ていると思ったら,ネコ科の猛獣(トラでもライオンでもいい)のフツーの時の歩き方だった。そういえばこの曲よく聴くと,低音を強調して4ビートでノッシノッシしている。

☆ クルマで逃げ出す(と言っては酷かな?そうでもないと思うが)元カレを見送るシチュエイションは,この時代の女の子の歌詩の代表的パタンのひとつだった。まだクルマがレジャーの王様で「デートカー」だとか「ハイソ・カー」などという死語が「カフェバー」や「プールバー」といった同類と共に,王様のような顔をしてふんぞり返っていた時代だった。

2019年6月7日追記
☆ 1985年の夏頃から数年間,『HARMONY』はぼくの車に常備されたカセットの一本だった。そんじょそこらのヘヴィロテを蹴散らすくらいにね。『COMPACT-CLUB』は別のカセットに入れてこれもよく聴いていた。山下達郎が大昔「サタデー(時代の)ソングブック」でいみじくも指摘したようにポピュラー音楽というものは,それをリアルタイムで聴いたリスナーの生活習慣(生活記録と言うか記憶と言うか...)と深く結び付く。ただそれだけなら,そういう音楽は即時に「懐かしのメロディー」となっていく。

☆ 山下のテーゼはそうした「音楽の使われ方」への彼なりの厳しい抵抗で,「エヴァーグリーンなポピュラー音楽」こそが彼の理想(の音楽)であろうと,ぼくは考えている。ある朝,クラシック音楽を聴きながらウォーキングすることで健康増進しましょう的なサイトでたまたまモーツァルトの作品が聞こえてきたのだが,その時ふと「この音楽が王様や貴族達にとっての "ポピュラー(遊興)音楽"だった」頃のことを考えてみた。

☆ そうするとこの曲はモーツァルトの「センス」が様々な形で表れていて興味深いと思った。彼は少なくとも初見の一回ではギャラリーを翻弄し(というか「おちょくりまくって」)楽しんだ筈だからである。王様達がこの次はこう展開するだろうとぼんやり考えている(初見の曲なんて誰だってそういう風にボーっと聞いているものだ)ところを逆手にとって引っ掻き回しているのである。この譜面ができた時ウォルフガンク・アマデウス・モーツァルトは大笑いしたに違いない「しめしめ,してやったり」と。

☆ もし音楽に「エヴァグリーン」の要素があるとするならば,その音楽を仕上げた瞬間の音楽家の心の中に「それ」があるかどうかということではないかと,ぼくは考えている。

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「夏の約束」 (EPO 1988年8月10日)





☆ この曲は,ぼくにとっての「1988年のシングル・オブ・ザ・イヤー」。もっとも塩ビ盤がCDに切り替る微妙な時期なので,この曲じたいはカセット・シングル「サマー・ギフト」の収録曲というこれまた非常に微妙な位置づけでリリースされている(苦笑)。この頃の彼女が「求められていた姿」と「進みたい姿」の間で引き裂かれそうになっていたことはそれなりに知られているが,彼女自身は半分開き直りの心境でアルバム『FREE STYLE』('88年8月21日)~『Super Natural』('89年7月21日)の路線に舵を切った。

☆ 縁あって(チケットが手に入り)この時期に彼女のステージを2度見る機会があった。片方は大阪(たぶんフェスティバルホール)
,もう片方はちょうど『sparks』(1989年3月21日)のライブを収録した東京(新宿厚生年金会館だったよね)。奇しくもこの二つの会場は後年無くなってしまった(フェスティバル・ホールは建て替えられて復活)。そういう意味でも印象深い。

☆ 当時かなり彼女に肩入れしていた渋谷陽一が時々自分の番組のゲストに彼女を呼んでは「不思議と売れる××××(4文字でリードヴォーカルが女の子のバンド),不思議と売れないEPO」などと言っては彼女を凍らせていたが(爆=この話は既出^^;),<尖(とん)がったもの=差別化>命の「ポスト・モダン」時代(エラ)じたいに意識的(ほとんど本能的)に距離を置こうとした彼女のスタンスではそれもまた致し方なかったのだろうと思う。

☆ そのことは例えば大阪のステージでのMCだったと思うがシングル「三番目(みっつめ)の幸せ」(1987年10月21日)」のタイアップ(某化学会社の新規事業部門)に触れて,曲のオファーで「主人公(当然女性だが)」の年齢,家族構成,現状(4大卒で総合職=男女雇用機会均等法の時代です^^;,親と同居して通勤etc)などなどの想定条件を出されて,彼女の日常生活のシーンを切り取った作品で...なんて一時期のソ連かどっかの演劇界で流行った手法みたいなオーダーがかかっていたことを話していた。

☆ 「三番目の幸せ」を聴く限り,そういうセグメンテーションに基づく「課題」を彼女は楽々パスしているのだが,そういうオファーばかりが来るようでは困ったことになるのは言うまでもない。もっともこの曲(ヒットに至らず)の効果があったかは判らないが,某社の新規事業は今では先発会社を合併して同社の主力事業部門に成長しているから,彼女の「ライターとしての力」もその成功の一端を担っていたのだと思ったほうが良いのかもしれない。

☆ とはいえ,この「矛盾」が一度大きくなり過ぎたのは事実で,その「反動」を経て90年代以降の彼女の活動に繋がっていくことになる。



PS. そういえば,この頃なぜか「洋盤のカセット・シングル」というものがタワレコなどに置いてあり,石川町(本当は元町なんだけど,京浜東北線を降りるのはいつも関内じゃなくて石川町=つまり中華街にはあとから行く経路)あたりで2・3個買った(例えばティアーズ・フォー・フィアーズ「ソウイング・ザ・シーズ・オブ・ラブ」なんか)。

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「12月のエイプリル・フール」 (EPO 1985年11月20日)




「12月のエイプリル・フール」 (作詩・作曲:EPO)



初出:2010年12月21日
☆ 1980年代半ばにいちばんクオリティの高いポップスを提供していたのは,彼女だった。

2017年12月20日追記
☆ クリスマスの歌は「そりあそび(ジングル・ベル)」みたいな子供の歌だった。昭和40年代のの街角に師走がやって来ると,商店街はクリスマスの装飾を始める。といってもカラフルな「モール細工」と電飾の付いたささやかなクリスマスツリーが店頭に並んだだけだった。むしろ子供の目には「クリスマス・ブーツ」と呼んだお菓子の詰合せこそが本命だったような気がする。

☆ クリスマスの曲にトーチソングの変化球を最初に投じたのはユーミンで,セカンドアルバムの『ミスリム』から1974年10月5日に「12月の雨」をシングルカットする。その後もクリスマスの歌はあったかもしれない(大滝(詠一)さんが『ナイアガラ・カレンダー(1977年12月25日)』の最後にちゃっかりしっかり「クリスマス音頭」を入れていたりするが)が,世の中の流れはクリスマスの定番=「ホワイト・クリスマス(ビング・クロスビー 1942年7月30日)」だった。それが変わるのは1983年で,山下達郎が『メロディーズ』(1983年6月8日)から企画盤として「クリスマス・イブ」の12インチ・ピクチャー・シングル(1983年12月14日)を発表してからのこと。

☆ それから「クリスマスの失恋ソング」が出るわ出るわになる直前にエポがほぼ先頭を切って出したのがこの曲ということになる。あとでユーミンがこのコンセプトを使うことに気付いた時は「遅かりし由良之助」で仕方なく彼女はタイトルを一か月早めている(爆)。もっともクリスマスの曲には先達がいて1990年代に入ると「ホワイト・クリスマス」の代わりにジョンとヨーコの「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」が頻繁にかけられるようになるが,原曲がヴェトナム戦争に対する反戦歌のニュアンスを色濃く持つように,90年代以降のこの曲の用いられ方は湾岸戦争や9.11テロへのメッセージという色彩もかなりあったように思われる。

☆ クリスマスの失恋ソングという風変わりの定番ができた背景には恋愛イベント(妙な表現であるが)のある種の象徴として「クリスマス」があり,それを導いたのは間違いなくユーミンの「恋人がサンタクロース」(『SURF&SNOW』(1980年12月1日)収録)だと思われる。石ノ森章太郎が『HOTEL』の中で巨大な孵卵器にたとえたのはバブル最盛期の12月24日ご宿泊様だったが(爆),そういう世の中の空気に対する抵抗が(あるいはwanna beの裏返しの感情が)このジギーな(屈折した)定番にあるようにも思われる。

☆ 昭和も60年に近付くとクリスマスツリーというより電飾そのものが巨大化し,白い雪の装飾もウインドディスプレーの定番と化し,クリスマスブーツやクリスマスケーキはその存在を小さくし,クリスマスデートにその座を譲っていた。これはこの国の繁栄を象徴する出来事のひとつであり,凍えた空に光るオリオン座の代わりに「金色のきらめき」(山下達郎)が街中に降り注いでいたのである。

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「8月17日」 (EPO 1987年4月21日=アルバムリリース)


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2,935円
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「8月17日」 (作詩・作曲:EPO)


☆ MIDIがエポの再発をなかなか進めないのでイライラしています(苦笑)。MIDI(Dear Heart)時代は言わば彼女の「商業作品至上主義」時代であり,ミュージシャン・エゴとの相克の時期だったことは,彼女自身が語っているところでもある。でもぼくは先ほどの「」の中から "商業" の2文字を消し去りたいと思う。それほど1985~90年の彼女の作品クオリティは凄かった(それ以降が劣るという意味ではまったくないが)。渋谷陽一もたまに彼女を捕まえて(=番組に呼んで)は「何故だか売れる○○○○,何故か売れないEPO」なんて冷やかしていた(それに対して彼女も「来たな,渋谷陽一」なんて返していて,まあノンビリした時代のようにも見えたのだけれど=笑=)。

☆ ストーンズの真似をしたわけではないだろう「Goning To A Go Go」から賑やかに始まる1987年作品『Go Go Epo』の静かなクロージング曲である「8月17日」は,85年(8月5日リリース)の「音楽のような風」の衣鉢を継ぎつつ,その後の彼女の音楽的方向性(『Supernatural』以降)を先取りしたものがあった。ここには静かに息づく情念がある。それは紅蓮の炎でもなくむしろ蒼い炎と呼んだ方がいいかもしれない。決して醒めているのではなく,ほのかな諦念を孕みつつ,記憶の彼方へと流れつつある「かつての恋人」の姿が映っている。

☆ この情景はなんだろう。黄昏,夏の日差しは強い余熱を残しながら去りつつある。それは主人公の終わった恋の余熱に似ている。友達にも戻れないままふたりは別れていく。失ったもの,失いつつあるもの,失ってしまってもう取り戻せないもの,そんなさまざまな感情が日差しの余韻と共に熱を保ちつつ,少しずつ消えていく情景だ。その切なさがアルバム全体の幕を下ろすに相応しい余韻だと言えるのだろう。



☆ きょうの小ネタ。メールボックスにアナゾンAnazon)」というところから「発送の連絡」が来ていた(爆)。

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Author:deaconblue
「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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