2018-07

「12月のエイプリル・フール」 (EPO 1985年11月20日)




「12月のエイプリル・フール」 (作詩・作曲:EPO)



初出:2010年12月21日
☆ 1980年代半ばにいちばんクオリティの高いポップスを提供していたのは,彼女だった。

2017年12月20日追記
☆ クリスマスの歌は「そりあそび(ジングル・ベル)」みたいな子供の歌だった。昭和40年代のの街角に師走がやって来ると,商店街はクリスマスの装飾を始める。といってもカラフルな「モール細工」と電飾の付いたささやかなクリスマスツリーが店頭に並んだだけだった。むしろ子供の目には「クリスマス・ブーツ」と呼んだお菓子の詰合せこそが本命だったような気がする。

☆ クリスマスの曲にトーチソングの変化球を最初に投じたのはユーミンで,セカンドアルバムの『ミスリム』から1974年10月5日に「12月の雨」をシングルカットする。その後もクリスマスの歌はあったかもしれない(大滝(詠一)さんが『ナイアガラ・カレンダー(1977年12月25日)』の最後にちゃっかりしっかり「クリスマス音頭」を入れていたりするが)が,世の中の流れはクリスマスの定番=「ホワイト・クリスマス(ビング・クロスビー 1942年7月30日)」だった。それが変わるのは1983年で,山下達郎が『メロディーズ』(1983年6月8日)から企画盤として「クリスマス・イブ」の12インチ・ピクチャー・シングル(1983年12月14日)を発表してからのこと。

☆ それから「クリスマスの失恋ソング」が出るわ出るわになる直前にエポがほぼ先頭を切って出したのがこの曲ということになる。あとでユーミンがこのコンセプトを使うことに気付いた時は「遅かりし由良之助」で仕方なく彼女はタイトルを一か月早めている(爆)。もっともクリスマスの曲には先達がいて1990年代に入ると「ホワイト・クリスマス」の代わりにジョンとヨーコの「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」が頻繁にかけられるようになるが,原曲がヴェトナム戦争に対する反戦歌のニュアンスを色濃く持つように,90年代以降のこの曲の用いられ方は湾岸戦争や9.11テロへのメッセージという色彩もかなりあったように思われる。

☆ クリスマスの失恋ソングという風変わりの定番ができた背景には恋愛イベント(妙な表現であるが)のある種の象徴として「クリスマス」があり,それを導いたのは間違いなくユーミンの「恋人がサンタクロース」(『SURF&SNOW』(1980年12月1日)収録)だと思われる。石ノ森章太郎が『HOTEL』の中で巨大な孵卵器にたとえたのはバブル最盛期の12月24日ご宿泊様だったが(爆),そういう世の中の空気に対する抵抗が(あるいはwanna beの裏返しの感情が)このジギーな(屈折した)定番にあるようにも思われる。

☆ 昭和も60年に近付くとクリスマスツリーというより電飾そのものが巨大化し,白い雪の装飾もウインドディスプレーの定番と化し,クリスマスブーツやクリスマスケーキはその存在を小さくし,クリスマスデートにその座を譲っていた。これはこの国の繁栄を象徴する出来事のひとつであり,凍えた空に光るオリオン座の代わりに「金色のきらめき」(山下達郎)が街中に降り注いでいたのである。
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「8月17日」 (EPO 1987年4月21日=アルバムリリース)


GO GO EPOGO GO EPO
2,935円
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「8月17日」 (作詩・作曲:EPO)


☆ MIDIがエポの再発をなかなか進めないのでイライラしています(苦笑)。MIDI(Dear Heart)時代は言わば彼女の「商業作品至上主義」時代であり,ミュージシャン・エゴとの相克の時期だったことは,彼女自身が語っているところでもある。でもぼくは先ほどの「」の中から "商業" の2文字を消し去りたいと思う。それほど1985~90年の彼女の作品クオリティは凄かった(それ以降が劣るという意味ではまったくないが)。渋谷陽一もたまに彼女を捕まえて(=番組に呼んで)は「何故だか売れる○○○○,何故か売れないEPO」なんて冷やかしていた(それに対して彼女も「来たな,渋谷陽一」なんて返していて,まあノンビリした時代のようにも見えたのだけれど=笑=)。

☆ ストーンズの真似をしたわけではないだろう「Goning To A Go Go」から賑やかに始まる1987年作品『Go Go Epo』の静かなクロージング曲である「8月17日」は,85年(8月5日リリース)の「音楽のような風」の衣鉢を継ぎつつ,その後の彼女の音楽的方向性(『Supernatural』以降)を先取りしたものがあった。ここには静かに息づく情念がある。それは紅蓮の炎でもなくむしろ蒼い炎と呼んだ方がいいかもしれない。決して醒めているのではなく,ほのかな諦念を孕みつつ,記憶の彼方へと流れつつある「かつての恋人」の姿が映っている。

☆ この情景はなんだろう。黄昏,夏の日差しは強い余熱を残しながら去りつつある。それは主人公の終わった恋の余熱に似ている。友達にも戻れないままふたりは別れていく。失ったもの,失いつつあるもの,失ってしまってもう取り戻せないもの,そんなさまざまな感情が日差しの余韻と共に熱を保ちつつ,少しずつ消えていく情景だ。その切なさがアルバム全体の幕を下ろすに相応しい余韻だと言えるのだろう。



☆ きょうの小ネタ。メールボックスにアナゾンAnazon)」というところから「発送の連絡」が来ていた(爆)。

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「夕闇のストラット」 (EPO 1985年3月21日=アルバムリリース)


ハーモニー(紙ジャケット仕様)/EPO



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☆ この曲はエポの7枚目のアルバム『HARMONY』の2曲目,1曲目が「オーバーチュア(序曲)」なので事実上の1曲目にあたる。ところでむかし赤鉛筆といえば朱色の鉛筆だった。その赤鉛筆(三菱でもトンボでもどこでもよかった)には "Vermilion" と書いてあった。バーミリオンが朱色で夕焼けの色であることをこの曲を聴いて思い出した。

「夕闇のストラット」 (EPO)



☆ 失恋した瞬間ってどんな気持ちなんだろう。愚問だと思うがやはり考えてしまう。失恋した瞬間はクラッシュ(交通事故)の瞬間と同じで目の前が本当に真っ白になってしまう。真っ白なのは心の中に何も書き込めないからだろう。確か恋に落ちた瞬間だってどこかで「魂を抜かれた」はずなのに,全く同じ力が反対側に働いても同じように「魂を抜かれてしまう」のだ。だから別れを告げた元カレは一刻も早くその場から逃げ出すために車を発進させ,残された主人公は魂を抜かれたまま「ふらつく心を外に見せないように歩く(strut)」のだろう。

☆ ストラットといえばお天道様の下を普通に歩いている時のネコの歩き方を思い出す🐈。あの歩き方は何かに似ていると思ったら,ネコ科の猛獣(トラでもライオンでもいい)のフツーの時の歩き方だった。そういえばこの曲よく聴くと,低音を強調して4ビートでノッシノッシしている。

☆ クルマで逃げ出す(と言っては酷かな?そうでもないと思うが)元カレを見送るシチュエイションは,この時代の女の子の歌詩の代表的パタンのひとつだった。まだクルマがレジャーの王様で「デートカー」だとか「ハイソ・カー」などという死語が「カフェバー」や「プールバー」といった同類と共に,王様のような顔をしてふんぞり返っていた時代だった。

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1987年のソウル・レディー


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¥2,935

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☆ 「う、ふ、ふ、ふ、」(1983年2月5日)で先輩格の竹内まりやに劣らぬブレイクを果たしたことが,エポにとって良かったことなのかどうなのか。それは彼女がそれからの80年代におそらく心の中で血を流しながら,届け続けた贈り物のような諸作品を聴けば,少なくとも悪いことではなかった。彼女がこの時代に残した作品集は,80年代,まだJ-POPという言葉のなかったこの国のポピュラー・ソングの最高点(少なくともその同じ高み)を示している。

DOWN TOWNラプソディー (14thシングル 1987年3月10日)



☆ 正式なクレジットはない(Mr.Soul Manのクレジット有り)が,デュエット相手は言うまでもなく鈴木雅之。思えば姉貴だとか菊池桃子だとかいろんな人とデュエットしているマーチンだが,これは彼のデュエット・シングルでは初期の方じゃないかな。

☆ ざっくり30年を振り返ってみて,80年代にはソウル歌手も大きく変わっていったと思う。70年代のレディ・ソウル達はカーリーにしたり姐御系(もちろんアリーサ・フランクリンやチャカ・カーンがお手本)の「直系」感が強かった。ジャンルは違うが山田詠美もまったく「それ系」の香りがプンプンしていた(そのエイミーも今では高校の現代国語の教材になっている)。

☆ 流れが変わったのはディスコ・クイーンでドナ・サマーがクローズアップされた70年代末あたりからで,この頃いちばんソウル系にアプローチしていたのが岩崎宏美だという事実もある。つまりフォークやロックが「ニュー・ミュージック」と呼ばれだしたのに呼応するように,ソウル/ディスコがブラック・コンテンポラリーに変わっていった。カルメン・マキや金子マリから宮本典子や葛城ユキを経てこちらに移った先にはエポや杏里や彩恵津子らがいた。もちろんそれらの流れとは別格で吉田美奈子がいるのだが。

☆ 杏里はディスコ/ソウルをベースにダンス音楽としてのソウルを吉元由美と一緒に鍛え上げていった。エポと彩恵津子は60年代からのソウル本流に再訪している。それはスウィート・ソウルをベースとしながら80年代のポピュラー音楽のあり方と歌詩にも重きを置いたアプローチであった。本来的なソウル・ファンからの評価はまだ高くないと思う。どういう音楽を選び,織り込んでいくにせよ,これはポピュラー音楽という大きな縛りの中のアプローチでもあるからだ。


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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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