2017-10

「Purple Rain」 (Prince 1984年9月26日)




初出:2012年11月2日

Purple Rain (Prince)
I never meant 2 cause u any sorrow
I never meant 2 cause u any pain
I only wanted 2 one time see u laughing
I only wanted 2 see u laughing in the purple rain

Purple rain purple rain
Purple rain purple rain
Purple rain purple rain

I only wanted 2 see u bathing in the purple rain

I never wanted 2 be your weekend lover
I only wanted 2 be some kind of friend
Baby I could never steal u from another
It's such a shame our friendship had 2 end

Purple rain purple rain
Purple rain purple rain
Purple rain purple rain

I only wanted 2 see u underneath the purple rain

Honey I know, I know, I know times are changing
It's time we all reach out 4 something new
That means u 2
U say u want a leader
But u cant seem 2 make up your mind
I think u better close it
And let me guide u 2 the purple rain

Purple rain purple rain
Purple rain purple rain

If you know what Im singing about up here
Cmon raise your hand

Purple rain purple rain

I only want 2 see u, only want 2 see u
In the purple rain

Words : 2 = to,4 = for,u = you

Notes:(From English Wikipedia)
> After recording the song, Prince phoned Jonathan Cain from Journey asking him to hear it, worried it might be too similar to "Faithfully", a Journey single composed by Cain which had recently been in the charts. Cain reassured Prince telling him the songs only shared the same four chords.
☆ この曲のレコーディング後,プリンスはジャーニーのジョナサン・ケインのところへ電話をかけ,この曲を聴かせたうえで,ケイン作のジャーニーのヒット曲「フェイスフリー」に似てないだろうかと尋ねた。それに対してケインは「似てるとしてもそれは同じ4つのコードを使っているからだよ」と言い,彼を安心させたという。

2017年8月19日付記
☆ 7月8日付のJapan Mail Mediaで作家の冷泉彰彦氏がプリンスの死に関して非常に興味深い指摘をしている。
引用元 JMM [Japan Mail Media] No.957 Saturday Edition(2017年7月8日)
■ 『from 911/USAレポート』第745回
「アメリカを蝕む鎮痛剤中毒の闇」冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住)

> トランプ大統領は就任以来、多くの大統領令を発令しており、その多くはイスラム教信者の多い国からの入国禁止など極端な政策であったり、オバマ時代の政策を「引っくり返す」ためのものでした。ですが、3月29日に発令された「オピオイド濫用と戦う特別委員会設置令」は違います。
(中略)
> このオピオイドというのは鎮痛剤です。原材料はケシの実から抽出される成分ですから、モルヒネやアヘンの仲間ですが、米国では鎮痛剤として広く使われています。勿論、強い薬ですから医師の処方が必要です。では、どうして濫用が社会問題になっているのかというと、何よりもオーバードース(過剰摂取)による死亡事故が激増しているからです。
(中略)
> 一体どうしてこんな深刻な事態になってしまったのでしょうか?
> 1つには、余りにも安易に処方がされ続けたという問題があります。オピオイドは1990年代に鎮痛効果のある処方箋薬として利用が拡大し、21世紀に入ると製薬ロビーの活動などもあって、使用量がどんどん増えていったのです。本来は、末期ガンの緩和ケアなど、激しい痛みへの対処に使う薬ですが、例えば手術後の疼痛管理、出産後、骨折などといった中レベルの痛みの管理から、更には腰痛や慢性疼痛などの管理にまで処方箋が乱発されていきました。
(中略)
> 2つ目の問題は、行政がかなり甘かったということがあります。後述するフェンタニルの浸透という2016年以降、そしてその実態が明らかになってきた現在は「臨戦態勢」という雰囲気が出てきましたが、それ以前のオピオイド中毒だけの時点では「厳罰主義」が取れていなかったのです。
(中略)
> 3つ目ですが、昨年から急速に増えているフェンタニル、あるいは更に強力なカーフェンタニルという合成薬剤の問題があります。これはオピオイドの100倍あるいは1000倍という効果があり、それこそ皮膚を通じて吸収されただけでも効果があることから、末期ガン患者の緩和ケアなどに「しか」使えない強い薬です。ですから、これは、処方箋の乱発で出回っているのではありません。
> 今現在言われているのは、中国の化学メーカーが大量生産している薬剤が、主として2つのルート、1つはメキシコ経由、1つはカナダ経由で北米に入ってきているという説です。メキシコ経由のものは「大口」であって、一度に大量の薬剤が送られるとか、同時に錠剤製造マシンをセット販売するケースもあるというような報道があります。またカナダの場合はチェックが厳しいので乾燥剤のパックに詰めて偽装した小口のものが入ってきているそうです。
> どうして中国から入ってくるのかというと、中国では経済成長に従って近代的な医療が爆発的に普及した一方で、モルヒネとかオピオイドなどの「麻薬に類する」鎮痛剤に関しては厳しい規制があったわけです。そこで例えば手術後の痛みの緩和や、末期ガンなどの場合に投与する鎮痛剤としては「麻薬由来」のものではなく「純粋に人工的なもの」であれば認可されていたという米国とのカルチャーの違いがあったと考えられます。
> そこで当局の監視を逃れた一部のメーカーが、国際物流システムに乗せて北米への密売をやっていたようで、この件に関してはオバマ政権が中国に対して厳しい取り締まりを申し入れるとともに、カーフェンタニルの流通禁止措置を要求し、中国も事態を重く見て協調しているわけですが、既に相当量が流入しているのです。
> 具体的には、地下市場においてヘロインに混ぜて流通させるということですが、NBCの報道によれば現在この「フェンタニル混入のヘロイン」の「震源地」というのは、オハイオ州のモンゴメリー郡(郡庁所在地はデイトン)だそうで、人口50万の郡で、今年2017年の1月から5月で800人死亡(推定値、前年比では倍増)という悲惨な状況になっています。
> モンゴメリー郡の保安官事務所は、毎日運び込まれる死体を検死する一方で、徹底的な取り締まり体制を敷いているのですが、州間高速道路70号線75号線の交差する場所という、交通の「便利さ」が災いしてどんどん薬剤が流入する状況だそうです。
> 昨年2016年の4月に亡くなった歌手のプリンスの場合も、演奏家につきものの関節痛に対して鎮痛剤を処方される中で中毒症状に陥り、最終的にはフェンタニル混入の薬剤を服用して死亡しています。プリンスの場合は、フェンタニル混入の危険な薬剤であるにも関わらず錠剤の形状はオピオイド系の中程度の強度のものに似せていた「偽薬」であったようですが、服用に至った経緯はまだ良く分かっていません。
> いずれにしても、処方箋の乱発、行政の対応の甘さ、そして強力なフェンタニルの地下市場における爆発的な浸透という3つの要素が重なることで、年間7万から8万の死者という異常な事態になっているのです。ちなみに、死因は過剰摂取ですが、具体的には基本的に呼吸中枢をやられての呼吸不全による死亡です。

(後略)

☆ この記事は抑えた筆致でプリンスが薬禍の犠牲者である印象を与えている。そのことはせめてもの救いではあるが,いろいろなことを考えさせられた。彼の『パープル・レイン』の30周年盤が3年遅れ(かつミュージシャン自身の死後)発表されたことをせめてもの慰めに,改めて彼とその音楽的業績を追悼したいと思う。

R.I.P. Prince Rogers Nelson(June 7, 1958 – April 21, 2016)
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☆ 『パープル・レイン』の30周年盤を聴いて思うのは「音がクリアになった」こと。例えば「When Doves Cry」などアナログ時代に聴いていたあの熱っぽい湿気の高さがすっかり取り払われて,非常にスッキリしている。それは「薄味」になったということではなく,この湿度高く妙にユルいファンクが,革新さを増して迫ってくる感覚があった。『パープル・レイン』は無意識のターゲットである『スリラー』に対置した曲があって,「When Doves Cry」は「ビリー・ジーン」,「Let's Go Crazy」は「(今夜は)ビート・イット」,タイトル曲はタイトル曲と言えると思う。当然ミネアポリス勢は若さをトレードマークに革新を叫ぶ訳だが(苦笑),その意図が今回のリマスターでより明確に輪郭を掴めることは素晴らしいと思う。唯一素晴らしくないことは,そこに殿下の姿がないことである。殿下にはあっちでもマイケルと張り合ってもらいたい,「俺の方が凄いんだぜ」と。

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むらさきな雨に塗(まみ)れて



☆ 亡くなって初めてプリンス(以下「殿下」という。)が本名だと知った。R.I.P.(ご冥福をお祈りします)の名の下に冗談みたいなプライスタグや冗談みたいなようつべが並んでいるので,今日はそういうものは一切紹介しない。

☆ プリンスという名のミュージシャンの存在を知ったのは(ローリング)ストーンズの全米ツアー。殆ど無名のミュージシャンがヘッドライナーとして起用されたという話題の主が彼だった。70年代のストーンズはキースがヘロヘロ(名前のとおりのヘロイン中毒)だった割には結構活発だった。良く考えれば毎年なにがしかアルバム出していたからね。ストーンズ。だから渋谷御大みたいなストーンズ・ウォッチャーには早くからその存在は知られていたと思う。

☆ 70年代のストーンズのヘッドライナーと言えば,スティーヴィー(ワンダー)が有名だけど,殿下の場合は,最初から一切妥協しない殿下スタイルだったようで(笑)ステージに上がったは良かったが,ストーンズ目当ての観客から散々な目に遭わされたという話は聞いたことがある。確かにこのステージに出た20代前半に殿下の音楽世界はほぼ完成しており,そうなると後は周囲がその世界を受け入れるかどうかという問題になる訳で,何の予備知識もなくヘッドライナーに殿下が出てきたら「帰れ!」ってなことになるだろう(ちょうど篠島で(吉田)拓郎のヘッドライナーをやった長渕剛のように)。

☆ そういう訳で「そういうヒト」がいるということは分かっていたのだが(爆)その人の作品に本当に気付いたのは『1999』の頃だった。出世曲「リトル・レッド・コルベット」やタイトル曲がヒットして初めて認識した。「ああ,あの時のストーンズのヘッドライナーだった...」って,殿下に対してずい分な物言いだこと(苦笑)。

☆ その次は言うまでもない「When Doves Cry(ビートに抱かれて)」の全米No.1。この時もこう思った。「この邪魔な曲がなければボス(「ダンシング・イン・ザ・ダーク」)が1位になっているのに(再爆)」。とまあ,この時期の殿下って,ずいぶんアンダーレイテッドな扱いだった。さすがにイロモノ扱いからは脱していたが,「When Doves Cry」の強烈な存在感,このベターっとした暑苦しさ(再々爆)は,今までどこでも聴いたものでもなく,明らかに全てが新しい音でもあった。前年の83年にマイケル(ジャクソン)がダンス音楽をそれまでのDISCO時代から別次元にする画期を創造したが,その「メインストリーム・ダンス/ディスコ」に対するミネアポリスの回答は,さらに新しい次元のダンス音楽の創造だった。

☆ このあたりから『サイン・オブ・ザ・タイムズ』までが,リスナーとしてのぼくの殿下歴である。「When Doves Cry」の暑苦しさを一掃した「Let's Go Crazy」は殿下に対する評価を一転させた。このバクダンみたいな曲は,プリンスというミュージシャンがソウルであり,ダンス音楽であり,ロックであり,結局はその全てがプリンスという名の下に統合された音楽であるということを知らしめたからだ。

☆ 『オフ・ザ・ウォール』と『スリラー』でクインシー・ジョーンズを駆使しながら(としか思えない)余人を以て代え難いレベルにダンス音楽(当然ダンスそのものもそこに含まれる)を導き,言うなれば殿堂を築いたのがマイケルだった。ところが気が付くとマイケルの殿堂の隣に全く別の,しかも同レベルの高さを誇る殿堂が築かれてしまった。そういうインパクトは確かにあった。

☆ もちろん彼らのあり方(縮れ毛にパーマをかけ白人のように振舞うがごときパフォーマンス)に厳しいというか冷めた目で批判する向きは少なくなかった。それはたぶん60年代後半から70年代にかけての「ニュー・ソウル」ムーブメントに対する反動としての(言い換えるとカウンター・カルチャーとしてのフォークが商業化された「ニュー・ミュージック」に変化したことへの生理的反発と同根のもの)批判だったと言えよう(そういう発言をした著名氏を,ぼくも確かに知っている)。

☆ それはしかし外見的スタイル(見栄え)の問題であり,彼らが革新していったダンス音楽という点から再評価すれば,著名氏の批判にかかわらず,あれは確かに70年代の「ニュー・ソウル」の血脈を受け継ぐものであったと,ぼくは考えている。

☆ 映画の『パープル・レイン』はありがちなビルトゥングス・ロマンで,出来の良い映画というより,その昔お正月にやっていたバラエティ番組の豪華スクリーン版的なところだったかもしれない。だが,本人の自己満足だったかどうかは別にして(爆),ミネアポリスという地方都市(その割には連邦準備銀行なんかがあるので,それなりに枢要な都市なのだろうが)の音楽シーンが活写されていたのも事実であり,そういう記録としては十分に意義のある作品だったと思う。

☆ たまたま数日前にシーナ・イーストンのことを書いた際に『サイン・オブ・ザ・タイムズ』に触れたが,実際,殿下が,ぼくとほぼ同世代ということは見落としていて,少し感じるところがあった。

R.I.P. Prince Rogers Nelson(June7, 1958 - April21, 2016)

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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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