2017-10

「Come On Eileen」 (Dexys Midnight Runners 1982年6月25日)~Too Rye Ayeの謎が解ける




☆ アメリカのチャートにしか興味のない人には,80年代を代表する "OHW" の1曲なんだろうが(大ッ嫌いなコトバなので,略称しか書かない),デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズの「カモン・アイリーン」は不思議なテイストを持った作品だった。ケヴィン・ローランドが2トーン・ムーヴメントの掉尾にデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズを率いて英国シーンに登場した時,1960年代の英国北部で好まれたノーザン・ソウルの継承者(New Soul Vision)として彼は名乗りを上げ,ほどなくプレス(音楽紙業界)と徹底的に対立する。2トーン・ムーヴメントもThe (English) BeatとUB40の登場で音楽的段階を進めていたし,スペシャルズは分裂し,マッドネスは我が道を歩み始めた(そういえばそのどさくさの中から出てきたのがバナナラマだったりするのだが)。こうしたムーヴメントの変化と関係ないところで「トランペットがプレイするバンド」(マーク・ノップラー:ダイアー・ストレイツ「悲しきサルタン」の歌詩)が新たなムーヴメントを作り出すのに成功し,天才ケヴィン・ローランドはそれに飽き足らずバンドの方向を勝手に変えてしまう。称して「ケルティック・ソウル」。

Come On Eileen
(Kevin Rowland / Jim Paterson / Billy Adams)



☆ アイルランドにルーツを持つミュージシャンは多い。ジョン・レノンもそうだし,数年前の夏に「Oliver's Army」を解析したエルヴィス・コステロもそうだ。ケヴィン・ローランドもそうしたミュージシャンのひとりとして誰も見たことも聴いたこともない「ケルティック・ソウル」を勝手に創り出してしまった。そのアルバムのタイトルが『Too Rye Aye(女の泪はワザモンだ!!)』という滅茶苦茶な邦題がついたセカンド・アルバムである。この原題,長いこと意味が分からなかったのだが,この間偶然読んだ本にその答えらしきものが載っていた。それもデキシーズとは何の関係もないところに。。。


同書P.101より引用(これは19世紀以降の米国の船乗りの歌について書かれた部分である)
> (前略部分には船上では出身や肌の色による差別は陸上ほどないということが書かれてある) また,多人種間で優秀と認められていたのがハワイ人だった。ハワイ人は現地語でハワイ人を意味する「カナカ」を姓にして歌に登場することが多く,「ジョン・カナカ」といえばハワイ人の水夫のことである。「船長の声が聞こえた気がしたぞ / ジョンカナカナカ / トゥーレイアイ / 仕事はあした 今日は休み / ジョンカナカナカ / トゥーレイアイ」(「トゥーレイアイ」はアイルランドの歌にある合いの手で,特に意味はない)。

☆ これだ。確かに「カモン・アイリーン」の中でもこの言葉は合いの手のように使われているし,意味もない。だとしたら,変な邦題付ける前に素直に『トゥー・レイ・アイ』で邦盤リリースしとけばよかったのだろうけど,それじゃあ誰も意味が分からないことになるのか。この記述を見てピンと来たのは,このアルバムが前作の「ノーザン・ソウル・リヴァイヴァル」から "アイリッシュ海を越え" 「ケルティック・ソウル」と展開を遂げたことだ。つまり
> 「トゥーレイアイ」はアイルランドの歌にある合いの手
だということ。

Notes(Wikipedia英語版より)
最高位(週間)
No.1:全米(ビルボード/キャッシュボックスとも),豪州,ベルギー,アイルランド,ニュージーランド,南アフリカ,スイス,全英
第2位:カナダ、第4位:オランダ、第5位:フランス、第6位:西独 
(年間=1982年)
No.1:全英、第5位:ニュージーランド、第8位:ベルギー、12位:豪州、28位:オランダ、32位:カナダ
(1983年)12位=全米(ビルボード)、13位(キャッシュボックス)
> The song reached number one in the United States on the Billboard Hot 100 charts during the week ending 23 April 1983.
この曲は1983年4月23日付ビルボードHot100の第1位となった。
"Come on Eileen" prevented Michael Jackson from having back-to-back number one hits in the US: "Billie Jean" was the number one single the previous week, while "Beat It" was the number one song the following week.
「カモン・アイリーン」は,マイケル・ジャクソンの二つのナンバーワン・ソング(「ビリー・ジーン」と「今夜はビート・イット」)に挟まれる形でナンバーワンになっている。
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朱夏(その2) 「嵐の季節」 (甲斐バンド 1978年10月5日=アルバムリリース)




「嵐の季節」 (作詩・作曲:甲斐よしひろ)



☆ ライブで叩き上げてきたミュージシャンは絶対的に強い。70年代の日本ではそんなミュージシャン達がごろごろしていた。しかもマネージメントが近いところに集まっていて,それはこの国のショウビズを歌謡曲からニュー・ミュージックを経てJ-POPに移動させる原動力となった。そのラインにいたミュージシャンは井上陽水であり忌野清志郎であり浜田省吾であり山下達郎であり,そして甲斐よしひろだった。このラインの背景にひとつの事務所が浮かんでくるが,今さらショウビズの話はしない。なぜなら名前を挙げたミュージシャン達は全て浮き沈みはあったがライブで徹底的に鍛えられ(生きている者は皆)現役のミュージシャンであるからだ。

☆ フォークブームの掉尾を飾るように上京しヒット曲にも恵まれたものの,一時的なブームの後で長いロードで鍛え上げざるをえない時代を越え,ようやく手応えを感じ始めた時,本当のスポットライトが注ぎ込む。それはフォークがニュー・ミュージックとパッケージを変えることで音楽のあり方を変えることを求められる代わりにシーンへの切符を次々に渡されるという状況だった。もともとの「フォーク・ブーム」とは関係無いところから音楽を目指した者達は,語るべき言葉と音を用意しシーンの中に堂々と乗り込んでいく。それは短かった春の次にやって来る「夏の時代」だった。

☆ 誰とは書かないが,この時代にデビューしたある作家のことを思い出す。上目で睨みつける顔を肖像写真に使っていたのは彼が描く小説の世界と濃密な関係があったのだろうが,その地べたからの視線(目線?そんな「へたれたコトバ」は当時存在しなかった)は世の中を捉まえようとする作家の強烈な意思を感じさせた。そういう人は当然今も現役で怒涛の如く書き続けているし,近影をみても本質は変わらない視線に相変わらず射竦(すく)められることになる。

☆ この世界に似ているのだ。このアルバムに流れる甲斐よしひろの視線あるいは視点が。それは明らかに自分の目の前に来た夏を捉まえんとする視点である。この意思があってCMのタイアップは成功を約束されたのであろう。しかし大事なのは露出の機会ではなく,捉まえる意思の強さなのである。

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ソングライター・チームの変遷(その2)


イースト・サイド・ストーリー(紙ジャケット仕様)イースト・サイド・ストーリー(紙ジャケット仕様)
(2007/04/25)
スクイーズ

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初出:2010年9月23日 (歌詩表示のみ)

2012年1月31日
☆ 今でこそスクィーズの代表曲になっているこの曲だが,当時は全く売れていない(全英41位,カナダ45位,全米49位,全豪90位,日本に至ってはシングルはおろかアルバムすら当時は未発売)。既にニュー・ロマンティックやファンカラティーナといった新しいポップにニューウエーブが移行しつつあったことも背景にある。ただ流行色の強いブームが去るとこういう曲が「発掘」されるのは良くある話で,この曲もそうやって再評価された。

☆ リード・ヴォーカルは当時スクィーズに加わっていたポール・キャラック。2番の途中に入るヴォーカルはこの曲とアルバムのプロデューサーでもあったエルヴィス・コステロと曲の作者でもあるグレン・ティルブリック。また,バックコーラスはコステロと当時ソロ活動を始めたばかりのポール・ヤング(と英語版Wikipediaのこの曲の解説に書いてあった)。

☆ こうして彼は悔い改めるのだが...というのがこの歌詩(下記参照)。ディフォードとティルブリックが「80年代のレノン/マッカートニー」の異名を取った時期の名作のひとつだ。

2013年7月16日
☆ スクィーズ(Squeeze)の第4作『イースト・サイド・ストーリー』は,LP時代は国内盤すら出なかった。数年前に紙ジャケットで発売された時に逃さず手に入れて本当に良かったと思っている(笑)。アルバムの3曲目に入っている「Tempted」はシングル・カットされたが大したヒットにならなかった(UK #41, Canada #45, US #49, Australia #90)。

☆ この曲のオリジナルは,当時スクィーズのキーボードを担当していたポール・キャラックがリード・ヴォーカルを取っていた。しかし程なくキャラックはスクィーズを脱退(その後一時的に復帰するも再度脱退)し,グレン・ティルブリックが代わりに歌っている。

☆ Wikipediaのこの曲の項を見ると,シングル・カットした時点ではヒットしなかったこの曲だが,その後いろいろな使われ方をしている。バーガーキングやハイネケンはCMソングに使用し,ビデオゲーム(テレビゲーム)の「Grand Theft Auto: Vice City(2002)」や「Rock Band(2007)」に使われている。You Tubeを見る限り,その事がこの曲の評価を歪めているとしか思えず,心が痛む。

☆ アマゾンのレビュアーの多くが指摘しているように,このアルバムはスクィーズの最高傑作と言って良く,その象徴のような佳曲がこの曲だと思う。


2014年5月19日

East Side StoryEast Side Story
(2006/06/22)
Squeeze

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Tempted (Glenn Tilbrook / Chris Difford)


I bought a toothbrush, some toothpaste
歯ブラシと歯磨き粉を買ったんだ
A flannel for my face
顔を拭くフランネルのタオルや
Pyjamas, a hairbrush
パジャマやヘアブラシも買った
New shoes and a case
新しい靴や鞄もね
I said to my reflection
鏡に映った自分にこう言った
Let's get out of this place
さあ,ここから出て行こう

Past the church and the steeple
教会の尖塔の前を通り抜けるのさ
The laundry on the hill
丘のところにある洗濯屋の前を過ぎて
Billboards and the buildings
広告看板やら建物の前を過ぎる頃に
Memories of it still
むかしの記憶がまだ
Keep calling and calling
ぼくのことを呼んでいるだろうが
But forget it all
全部忘れてしまえ
I know I will
そうした方が良いのは分かってるのさ

Tempted by the fruit of another
愚かにも誘惑の果実を口にして
Tempted but the truth is discovered
誘惑された。その事実が明るみにされた
What's been going on
何をどう続ければいいというのか
Now that you have gone
今や君は立ち去ってしまった
There's no other
そこには誰も残っていない
Tempted by the fruit of another
愚かにも誘惑の果実を口にして
Tempted but the truth is discovered
誘惑されただけ。でも,その事実だけが残ったのさ

I'm at the car park, the airport
空港の駐車場に来た
The baggage carousel
手荷物検査場では
The people keep on crowding
人々がいつものように群がっている
I'm wishing I was well
ぼくは自分がもう少ししっかりしてたらと思っている
I said it's no occasion
ぼくは言った。なにも起っちゃいないのさ
It's no story I could tell
きみに言い訳するような話は無いんだよ

At my bedside empty pocket
ぼくのベッドの脇はからっぽのポケットだし
A foot without a sock
足は靴下すら履いていない
Your body gets much closer
きみの身体がもっと近づくと
I fumble for the clock
ぼくは思わず時計に手を伸ばしそうになる
Alarmed by the seduction
誘惑された不安に囚われてしまって
I wish that it would stop
その警告音が止んでくれればと思ってしまう

Tempted by the fruit of another
愚かにも誘惑の果実を口にして
Tempted but the truth is discovered
誘惑された。その事実が明るみにされた
What's been going on
何をどう続ければいいというのか
Now that you have gone
今や君は立ち去ってしまった
There's no other
そこには誰も残っていない
Tempted by the fruit of another
愚かにも誘惑の果実を口にして
Tempted but the truth is discovered
誘惑されただけ。でも,その事実だけが残ったのさ

I bought a novel, some perfume
ぼくは小説本と香水を買った
A fortune all for you
君に幸運が届きますようにと
But it's not my conscience
でもそれはぼくの良心からのものじゃなかった
That hates to be untrue
不実だと嫌われるだけのもの
I asked of my reflection
ぼくは鏡に映った自分にこう問いかけるだけ
Tell me what is there to do
ぼくはこれからどこでどうすればいいんだ

Tempted by the fruit of another
愚かにも誘惑の果実を口にして
Tempted but the truth is discovered
誘惑された。その事実が明るみにされたのだ
What's been going on
何をどう続ければいいというのか
Now that you have gone
今や君は立ち去ってしまった
There's no other
そこには誰も残っていない
Tempted by the fruit of another
愚かにも誘惑の果実を口にして
Tempted but the truth is discovered
誘惑されただけ。でも,その事実だけが残ったのさ

Tempted by the fruit of another
愚かにも誘惑の果実を口にして
Tempted but the truth is discovered
誘惑された。その事実が明るみにされたのだ

(Repeat 4 Times and Fade away)



2017年5月19日付記

☆ スクィーズはニューウエイブ・ムーブメントの中でエレポップに近い位置でスタートしたが,本質はキンクスに通じるイギリス人らしいひねりの効いたメインストリーム・ロックだと思う。だからエルヴィス・コステロが彼らをプロデュースするというのはピッタリはまっていると思う(少なくともトッド・ラングレンがXTCをプロデュースしようとしてアンディー・パートリッジと揉めに揉めるなんて話よりは(〃▽〃))。

☆ 上にも書いたように,ディフォード/ティルブリックは80年代のレノン/マッカートニーとまで言われたのだが,日本ではどこで間違ったのか「通好みロック」の列に並ばされてしまい,それでも熱心なファンがいれば来日も出来るわけでそれはそれで目出度い話なのである(苦笑)。スクィーズが通好みで終わったのは彼らがバンドのためのソングライター・チームであったことが最大の原因だろうと思う。


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「1984年の歌謡曲」考(その2 P.217まで)【修正有】




☆ 著者に倣って個人史を書いてみると,このヒトより小学校1個分くらい年上であるぼくは,1983年に就職のため関東地方に行った。イメージは長渕剛「とんぼ」みたいなものである。84年は企業人として2年目ですでに化けの皮は大半剝れた丁稚奉公中といったところか。いま思えば1983年ころの自分を見れば今で言う「意識高い系」の成り損ないのような山出しの田舎者が見えるだろう。でもこの本に挙げられている吉幾三の曲で言えば「俺は田舎のプレスリー」みたいなもので,他人からはあからさまに見えるのに本人だけが見ようともしない部分の塊だった。

☆ 1984年といえば学生の頃は無邪気にアイドル歌謡からニューウエイブまで聴き漁っていた(ただし自分の趣味の範囲内で)が,給料が入るようになりレコードを買うお金は増えたが,その代わりに時間が圧倒的になくなってしまい(寮暮らしだったが,別の部署の先輩との二人部屋。しかも平日の残業は2時間が当たり前),必然的にヒット曲を追いかけるのは無理ということになっていく。だからこの年の終わり頃までで松田聖子や中森明菜を買い続けるのも止めていたし(その割にはXTCとかそういうのは渋谷とか吉祥寺とかまで買いに行くのだった=苦笑=),もともと興味のない曲は聴いていない(チャート番組を見る時間もなくなった。部屋の先輩のテレビを独占するわけにはいかないし)。だから今読んでみても「何とも言えない」曲も多い。そこで自分のコメントできる曲だけ選んで書いていくことになる。

特別編Ⅱ 1984年までの松本隆
☆ 「ベタ松本」から「シュール松本」へという著者の個人研究の着眼点は評価できる。だけど「はっぴいえんど」至上主義を引き摺り過ぎているように思えてならない。はっぴいえんどの中での松本,大滝両者の相克が(ヘーゲルの形だけ借りると)アウフベーベンして『A LONG VACATION』に繋がったというステロタイプ(ステレオタイプ)な理解の範囲を超えていないと思う。
☆ 途中で角川春樹の話が出てきて,角川が松本隆がプロデュースした南佳孝のデビューアルバム『摩天楼のヒロイン』を絶賛しているエピソードが記されている。角川はトータル・アルバムとしての『摩天楼のヒロイン』に強い印象を持ち,南がCBSソニーに移って出した『忘れられた夏』で彼を再び見出した。その繋がりが片岡義男原作,浅野温子主演映画『スローなブギにしてくれ』の主題歌に繋がっていく過程は,81年にあった南のコンサートツアー『SILKSCREEN』の冊子で角川自身が書いている。
☆ はっぴえんど から「夏色のおもいで」(チューリップ)や「ポケットいっぱいの秘密」(アグネス・チャン)に移行する70年代中盤の松本は著者の言う「ベタ」でもなければ「シュール」でもない(敢えて言えば前者が前者で後者が後者だ)。評論として割り切る部分があることは理解しているし,ここに書かれているように移行期というものは誰にでもある。だからこそ「シュール」な松本隆が本当に「シュール」だったと言えるのか?フォークに寄り添うアイドル歌手だった太田裕美に76年の時点でいわば四畳半ソングである「しあわせ未満」を書くことは,そのこと自体が「シュール」ではないのか?それは1979年でも84年でもないと反論されれば,返す言葉もないが,まあそういう感想を持ってしまうのである。

#22 薬師丸ひろ子 「メインテーマ」
☆ この評価は「Woman」の前振りのような気がしないでもない。著者も理解しているようにこれは初めから薬師丸と南の二つのヴァージョンを作ることが前提となっていた。だからこの2曲は対で考えないといけない。松本隆も大村雅朗も当然それを前提にしているから「女物=メインテーマ」は,やや受け身のシックに作り,「男物=スタンダード・ナンバー」は,当時の南の志向を反映してアグレッシヴに作っている。

#23 高橋真梨子 「桃色吐息」
☆ 三貴のことばかり延々と描いているので,最近出たこの本を思い出した。


☆ そうじゃなくて曲について語るのに,どうして作曲家の佐藤隆や編曲者の奥慶一の名前がクレジット以外で出てこないんだ?こういう片手落ちが多過ぎるのである。彼は佐藤隆の「北京で朝食を」とか「マイ・クラシック」とかちゃんと聴いているのだろうか?明らかにこれら佐藤作品の線上にこの曲はあり,一方の高橋真梨子には「for you...」から「はがゆい唇」に伸びていく線があって,その交点にこの曲があることは明白であるのに。そういうことが作品評価じゃないのか?じつに面妖な批評である。

#26 小泉今日子 「迷宮のアンドローラ」
☆ この曲が決まった頃,小泉今日子が「やっとまともな曲が歌える」と周囲に話していたという話を聞いたことがある。前回触れた髪の件も,著者の言葉に直せば「自らの内的衝動に正直」ということだろうが,覚悟してショウビズに来たものの,お古やイロモノ路線ばかり「当てがわれてきた」と感じていた彼女のフラストレーションが,やがて自己プロデュース戦略を考えるスタッフ(例えば秋元康とか)とのコラボレーションの中で「自らをアイコン化する」という方向性をようやく得たことを示しているのだと思う。KYON2というコンセプトはまさにそうだ。
☆ 確かにデビュー時から彼女はキョンキョンだったが(笑)それをKYON2と書き換えたところでアイコンとしての小泉今日子が誕生した。Wikipediaの小泉今日子の項目には「1984年頃から大きなタイトル(レコード大賞や有線放送大賞など)をも辞退するようになり、我が道をゆくアイドルになった。」と記されているが,この曲を歌ったことで小泉今日子は歌手としてのけじめをひとつ付けたのだと思う。だから#37 「ヤマトナデシコ七変化」はもはや彼女にとって座興のひとつでしかなかっただろう。だって彼女にとって「迷宮~」のB面が「Dunk」(集英社が学研の「Bomb」に対抗して出した野郎ども向け雑誌)だったことは,同じ年にマドンナが『Like A Vergin』のジャケットの腰ベルトに堂々と「BOY TOY」と記したことのパロディでしかなかったから。期せずして小泉今日子は(よりマドンナを意識していたであろう)松田聖子の上を行ってしまい自らを「ポップアイコンである」と宣言したのである。

特別編Ⅲ 1984年までのサザンオールスターズ
#28 サザンオールスターズ 「ミス・ブランニュー・デイ」
☆ 桑田佳祐が本当に悩んだのは特別篇Ⅲに書かれた時代であることを間違いない。ここから80年代後半まで桑田は今のぼくのような「自称リスナー評論家」を「オリコン小僧」と呼んで敵視していた。命名はおそらくかつてぼくも投稿していた「オリコン・ウイークリー」の常連投稿者たちに対するものだっただろう(笑)。その中の一部は明らかに「よい子の歌謡曲」などに流れているはずだが。しかし見落とすべきでないのは,この時期はサザンの二度目の修業時代だということ。『人気者で行こう』がいわゆる評論家筋に好評だったのはサザンのオールスターズの音楽の幅が広がっていたからで,それは『ステレオ太陽族』で八木正生氏とコラボしたあたりから明らかに広がっていた。
☆ 「JAZZMAN」は確かに名ばかり感があるが(爆),NHK紅白歌合戦を演出で凍らせた「東京シャッフル」には明らかにサザンがジャズから何を学んだかのフィードバックがあったし,ムード歌謡のパロディと思われた「チャコの海岸物語」は,明らかにシングルは歌志向であることを世に問うて成功を収めた例である。
☆ 「ミス・ブランニュー・デイ」のデジタル処理はあるメンバーの不調を補う苦肉の策であったことは良く知られている。あえてそれに触れていないのは武士の情けであろうか?それと爆笑ネタでありながら放禁され,最近YouTubeなどで見かけるようになったPVも,今の世の中では若干の問題を喚起するだろうが,基本は笑い飛ばせるものだ。
☆ 桑田佳祐の魅力はヤバさにある。彼がむかしジョン・レノンのことを「スケベの寸止め」と評したが,寸止めなら桑田も負けていないだろう。彼は「茶化しと反抗の寸止め」である。

#32 舘ひろし 「泣かないで」
☆ キャロルとクールスの類比(アナロジー)は誰でも考える。矢沢永吉と舘ひろし(そこまで行けば岩城滉一も入れるべきなんだが)の類比では歌手がメインか役者がメインかという視点に傾きがちで,その議論を避けている点は評価できる。ただせっかく石原プロの話まで出しておきながら「西部警察」に触れてないのはどうしてだろう?「西部警察」の線上だったら当然寺尾聡が出てくる。こっちの類比が抜けている。またこの曲がヒットしたことで舘ひろしが得た最大の収穫は彼が元ヤン(本当は違う。どっちかというと桑名正博タイプのボンボンである)のイメージを脱し「あぶない刑事」で魅せたスタイリッシュなイメージを先行して獲得したことであり,ここに触れてないのは残念だと思う。

特別篇Ⅳ 1984年までの秋元康
☆ バックステージの話を盛っており,それなりに楽しめた。ちなみに「子供達を責めないで」の元歌はいわゆる「褒め殺し」ソングだが,この時点では竹下登はプラザ合意(1985年9月22日)に出かける前の中曽根内閣大蔵大臣なので「褒め殺し」を世間が知らなかったからこういう歌詩になった。今さらながら稲垣潤一「ドラマティック・レイン」は名作(これと「川の流れのように」だけはね)。

#34 ザ・チェッカーズ 「星屑のステージ」
☆ 世代の差を感じるのは用語法にある。「ヤンキー」はまだその頃は大阪中心の関西圏の言葉だった(ミス花子嘉門達夫に「ヤンキーの兄ちゃんの唄」ってのがあったと思う)。この時代は「突っ張り(=ツッパリ)」。今世紀(特に2014年に原田曜平が「マイルドヤンキー」と言い出して以降)の「ヤンキー」は「ツッパリ」とは相当違う。フミヤの「俺の伝説ベストテン」に旧国鉄の順法闘争だかスト権ストかなんかで機動隊のジュラルミンの盾に突っ込んだ話があって,ザ・ベストテンかどっかで「俺達くらいですよ。機動隊の盾に突っ込んだアイドルは」と話していた。だからこの項目だけでなくチェッカーズの項目の「ヤンキー」は「ツッパリ」と読み替えるべし。それ以外はこの指摘にほぼ納得。むしろギミックのない生歌が聴けた「ザ・ベストテン」とか「レッツ・ゴー・ヤング」(NHK)とか,そういう番組で聴くべきなのかもしれない。

#38 大沢誉志幸 「そして僕は途方に暮れる」
☆ 今さらだけど作詩:銀色夏生 / 作曲:大沢誉志幸は,80年代を代表するシンガー・ソングライター・チームのひとつかもしれない(例えば吉元由美=杏里のように)。大沢の代表曲であり,このラインの最高傑作のひとつかもしれない。そしてこの部分が「Wの悲劇」と並んでこの本のハイライトであることも明白だ。ただこの曲を彼の頂点にすることに個人的には異論があって,『SCRAP STORIES』(1987年)が彼の頂点だと思う。

#39 アン・ルイス 「六本木心中」
☆ 自らをアイコン化することに意識的だったのはアニーも同じだと思う。60年代末から70年代初めの弘田三枝子の位置に80年代の彼女はいたと思う。彼女も70年代前半には10年後の小泉今日子同様に「作られたアイドル像」に嫌気がさし,ショウビズとの距離を取ろうとした時代があり,「女はそれを我慢できない」でツッパリ歌謡の姐御版を作り上げ,その路線が「KATANA」(1988年4月21日)あたりまで続いている。もちろんハイライトはこの曲以降なのだが,その前に山下=竹内夫妻と組んだ作品を出したり,友人でもあった三浦百恵を引っ張り出して(W.A.がその動きを邪魔(封殺)したことも有名だが),アン・ルイスというブランドを作り始めていたと言える。しかし湯川れい子の書き方が不足していて彼女にも気の毒だ(個人的には好きじゃないのだが)。湯川が80年代前後から作詩にちょっかいをかけるようになって最初はとてもシュールな詩(「センチメンタル・ジャーニー」松本伊代)と真反対の詩(「街角トワイライト」シャネルズ)の振幅の中から最終的に「恋に落ちて」(小林明子)に辿り着くのだから,申し越しもう少し広い視野で見るべきだろうと思う。

特別篇Ⅴ 1984年までのYMO
☆ まず前提がおかし過ぎる(爆)。「日本の音楽シーンを「ヤンキー」概念から解放したこと それがYMOの功績である」だそうだ。ここでは「ヤンキー」という概念については触れない。しかし触れざるを得ない(苦笑)。著者によれば「知的なことはカッコいい」という機運を、80年代前半からの日本のカルチャーシーンに植え付けたことが音楽性以外の彼らの功績だそうである。
☆ う~ん。でもここはサブカルチャーやポストモダンや脱構築主義でイエロー・マジック・オーケストラを語る場なのかしらん?それでなくてもサブカルと言うならYMOと書いて「イモ」と読んだり,イエロー・マジック・オーケス虎という新種(珍種)のトラだ(確かこれは林美雄のパック・イン・ミュージックの「苦労多かるローカルニュース」ネタだったのではないか。)とか,そういうリスナー達こそサブカルの名に相応しいのではないだろうか。
☆ 音楽として実験音楽,現代音楽,環境音楽,ディスコ音楽にシンセサイザーが多用されるようになり,音楽の自動演奏がテーマに上がってきたこと。テクノの背景にはそれがある。当然工業化の進展とともにハイテクノロジー(高度化技術)が求められるようになったことはあるだろう。反面,はっぴいえんど以降の細野さんが松本さんとは違う形でショウビズとの関係を取り結びながら自分たちの演奏技術で食っていくという,「70年代型バンドマンのあり方」を模索し始めたところにその根源がある。近年,70年代にキャラメル・ママ=ティン・パン・アレーが手掛けたプロジェクトがCD化されているが,そこではバンドマンとしての技量をベースにいかに多くの周辺音楽(その大半はショウビズと絡んでいる)を取り込んでいったかが俯瞰できる。
☆ そうして技量を磨きつつテクノロジーと音楽はどのように融合していくべきかという課題がテクノポップの背景にあった。当時細野さんは「理想的な状態は頭の中で考えたことがそのまま音楽になることだ」という主旨の発言をしているが,ボーカロイドの登場は細野さんの予言を現実化したものと考えたい。せっかくYMOを媒介に考察するのだったらこういう話を書いてほしかった(ただし,いとうせいこう等について触れている部分はその通りだと思う。彼のミニ番組は802開局以前のFM大阪で長く続いたからね)。

#42 井上陽水 「いっそセレナーデ」
#43 安全地帯 「恋の予感」
#44 中森明菜 「飾りじゃないのよ涙は」
☆ 陽水祭りだそうだ。これらは『9.5カラット』(1984年12月21日彼の2枚目のミリオンセラー)に続いていく作品集である。井上陽水に起きたことは「お酒が飲めるようになったこと」。「いっそセレナーデ」がサントリー角瓶のCMソング(本人出演)だったことがその証拠である(笑)。
☆ ぼくはフランキー(フランク・シナトラ)がビロードのような声だとすれば,井上陽水はシルクのような声だと思っている。共に声艶が勝負なのだが,その艶そのものが違う。声域の差もある(陽水の声域はシナトラより高い)。著者は吉田拓郎と比較しているが,それは声質一本でスティーヴィー(ワンダー)とマーヴィン(ゲイ)を比較するようなもので無理がある。この時代の拓郎の功績は篠島のコンサートを成功させ,その会場で長渕剛を表舞台に引っ張り上げたことであろう。
☆ ただ「陽水2.0」の領域については異論がある。それは1984年に突然用意されたのではなく,1981年『あやしい夜を待って』,82年『LION&PELICAN』で既に用意されていた。せっかく沢田研二に触れたのなら1982年の『MIS CAST』にも目配りしてほしかった。そうすれば陽水2.0なるものが1982年にはプロトタイプが出来上がっていて,83年の『バレリーナ』がそこから少し外れていることに気付いたはずだ。
☆ 著者は関西で84年頃から「ミュートマJAPAN」が見られるようになったことを記しているが,「恋の予感」などはさしずめヘヴィ・ローテーションだったことも覚えているかもしれない。この評価はこの本では「Wの悲劇」の次に良く出来ていて,玉置浩二と井上陽水の声質の違いを的確に表現している。ただ『9.5カラット』で陽水はこの北海道から出てきた後輩に挑むようなことはせず,あくまでイノウエさん流の「恋の予感」を歌っている。これの類比は「夏の終わりのハーモニー」のシングルと陽水の『クラムチャウダー』盤を比較すれば容易に解り得ることだ。
☆ 明菜が試みたことは売野雅勇的な「ツッパリ」(「十戒 1984 」の作品としての失敗を認識して)からどのように「変身」するかということだったと思う。この曲で見られる陽水の冷めた視線は同時期の作品で言えば「娘がねじれる時」とか「灰色の指先」とか「カナリア」などに如実に表れている(それがもう少しキツくなると「ミス・キャスト」や「ABCD」になるが,当時の明菜ではここまでは無理)。「飾りじゃないのよ涙は」は彼女の考えと作品とのバランスがうまく一致した成功作だったと思う。
☆ 著者はマイナーコードの明菜とメジャーコードの聖子を比較している。70年代なら一時期の山口百恵と桜田淳子なのだが,結局ジュンペーがマイナーコードに走ったので(「しあわせ芝居」ほか),モモちゃんの勝ちとなる。80年代は「バブルでド明るい」という誤解が蔓延っているのだが,明るい曲が強調されたのはむしろ不況真っ盛りの90年代だったのではないか?
☆ 「♪ダイヤと違うの涙は」の指摘は非常に鋭い。陽水はこの頃出したカセットブックのタイトルを「歌う見人」と名付けていた。見人(けんじん)とは見物人のことだろうが,見人=陽水らしい洞察力であり,その意図を見抜いた中川右介氏の指摘は明察である。

☆ 書けなかった曲について。
・ 松田聖子(#21,#31,#45)については著者の指摘にほぼ同意する。前回「ガラスの林檎 / Sweet Memories」について書いたが,結果としてあそこがセールスも含め松田聖子の頂点であったと思う。作品としては微妙な感もある「ガラスの林檎」を補って余りある「Sweet Memories」は大村雅朗の代表作として永遠に名が残るだろう。

Oh Sherrie (Steve Perry 1984年4月7日)
(Steve Perry / Randy Goodrum / Craig Krampf / Bill Cuomo)
最高位 全米第3位,全加No.1,全豪第5位 ※曲がすぐ聴きたい人は2:05あたりからどうぞ


☆ この本自体はまだ続くのだが,今回膨大に書いたので僕の方はここで打ち止めにする。
書いたところで誰に何の影響も及ぼさないのが無名人(Nobody)の定めなのだから(´_ゝ`)。

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「1984年の歌謡曲」考(その1 P.78まで)




☆ 最初に断らなければいけないことがある。この本は偶然知って購入したので著者の前著である『1979年の歌謡曲』を読んでいない。この本を読んだ方が『1984年の歌謡曲』に対するクリアーな評価ができる気はしているのだが,今からでは間に合わないので(だって今書きたい=モノ申したいんだもん(´∀`*))とりあえずそのまま書くことにする(=∀=)。

その1
#1 安全地帯 「ワインレッドの心」
☆ 本のコンセプトから外れるが,この曲の作詩をした井上陽水の解釈を比較してみると良い。陽水の『9.5カラット』のボツタイトルは『俺の方が上手い』だったらしいが(笑=だから9曲に自分が上手いというプラス0.5で9.5カラットになった=),この曲の歌い方でもそれは現れている。それは『9.5カラット』よりもライブ盤の『クラムチャウダー』の方がより良く分かるだろう。作詩家の目では歌の主役である「彼女」の脆(もろ)さ・儚(はかな)さを歌うには,情熱的に歌い上げるのではなく,静かに少しだけ距離をもって歌うことが似合っているのだ。

#2 わらべ 「もしも明日が」
☆ 言っていることは分かるが評価基準が意味不明である。この曲自体の持つ力を素直に評価してもこうなると思うが。

#3 中森明菜 「北ウイング」
☆ 明菜のシングルは「サザン・ウインド」までは買った(笑。ちなみに聖子は「ハートのイアリング」くらいまで)。ここに示された新たな事実も興味深いが,中森明菜は「どうやって自分をプロデュースしていくか」を考えた一人だったと思う。その事情はたぶん小泉今日子と五十歩百歩だったと思う(スタッフが貧弱)が,小泉が自分をアイコンとするという戦略を見つけていったのに対して,中森はあくまで「歌手・中森明菜」はどうあるべきかということが原点にあったのだろう。

#4 アルフィー 「星空のディスタンス」
☆ 著者の意見にほぼ同感である。アルフィーのベタなフォーク(「無言劇」とか)を知っているので,「メリー・アン」を聴くと「セパレイト・ウエイズ」(ジャーニー)が頭に浮かぶぼくもチョッとキツめのこの評価は良く分かる(笑)。

#5 テレサ・テン 「つぐない」
☆ この評価は今見ると?である。確かに当時,日本歌謡界に復帰した時期の鄧麗君は相当アンダーレイテッドだった。これをひっくり返したのはカラオケスナックでの長~い経験による(爆)。それにしても著者の取り上げている後期麗君の綺羅星のような歌謡曲群のきっかけはこの曲であり,もう少し「位置付け」を評価すべきではないのかと思う。それにしても「愛人歌謡」とはよく言ったものだ。それが60年代からずう~と続くある種の歌謡曲(=夜のお姐さん世界作品)のラインに位置付けるべきである。愛人歌謡というなら島津ゆたかの曲とかそういうのを挙げるべきだろう。

#6 チェッカーズ・ザ 「涙のリクエスト」
☆ 福岡の音楽シーンは市内,北九,久留米に大別される。チェッカーズはプロとして上京する前は久留米のシーンで活動していた。著者の取り上げ方はビートルズの下手なもじりだが,案外,図星の部分もある。あと「ギザギザハートの子守唄」の「退屈退治」のコピーに触れたのは秀逸(関西でもやっていたのか,(ミュートマ)JAPAN?)。

#7 杉山清貴&オメガトライブ 「君のハートはマリンブルー」
☆ 彼等が所属していたのは日テレの資本が入っていたVapだったから,最初の曲(「サマー・サスピション」)ではザ・トップテンにも出ていたし,それなりにタイアップは揃っていた。この曲での著者の「康珍化の歌詩」の特徴分析は非常に優れている。

特別編Ⅰ 1984年までの沢田研二
☆ ノーコメント。この時代の渡辺プロダクションについては基本的に話したくない。

#8 松田聖子「Rock'n Rouge」
☆ 間違っているかもしれないが,「(アイドル)歌手=化粧品デーモデル」の第1号ではなかったか?この後は小泉今日子とか国生さゆりとか80年代には豊富で90年代は吉田美和までチャレンジした(爆)。著者の指摘はほぼ正しい。ただし「Sweet Memories」は最初からの両A面曲ではない。最初は「ガラスの林檎」のB面だった(初期盤シングル所有)。その後サントリーがペンギンのアニメーションCMを使いその曲が「Sweet Memories」だったから両A面にして出し直したのである(後期盤シングル所有)。結果として大村雅朗の代表曲にもなり,彼が早世した直後に松田聖子がトリビュートとしてライブでこの曲を披露したのは有名はエピソードである。しかしこの話はこの本の主題からは外れている(´∀`*;)ゞ。

#9 吉川晃司 「モニカ」
☆ この曲(パロディ)を紹介する「ひょうきんベストテン」で司会役のS(現在一般人のため当時の芸名をイニシャル化)が歌詩の一部を使って下ネタをしきりと言っていたことでも有名な曲(自爆)。というより,Nobodyをノーボディ(無名人)から有名にした曲。確かに著者の指摘のようにこの曲から「憎まれそうなNewフェイス(麻生祐未!)」までのキッコーは佐野元春のコピー的なノリはあったと思う。それだけなら不快に感じるところ,この評価はその辺の細かいところまで触れており,なかなか良い内容だった。

#10 郷ひろみ 「2億4千万の瞳」
☆ 井上大輔(その後井上忠夫に戻した)についての記述で「ネグレスコ・ホテル」(BORO)に触れてないのは残念過ぎる。歌詩についての分析はほぼ同感。

#11 小泉今日子 「渚のはいから人魚」
☆ これは小泉が可哀想だ。確かに秋元康だったら「なんてったってアイドル」だろうし,いまだにそれで食っているのだから感想も感慨の欠片もないが,小泉がその氏名も含めて康珍化を当初物凄く嫌っていた(ヘアスタイルぶつ切り事件)のは良く知られた話だ。「そういう曲」で人気を確立した過程はダイアナ・ロス(譜面をもらってガッカリした「愛はどこに行ったの」が全米No.1になってスプリームス(シュープリームス)の快進撃が始まった)に似ている。半笑いは著者の独創だろうが,自作の言葉に溺れてないか?

#12 しぶガキ隊 「喝!」
☆ ノーコメント。これは聴いてないので。

#13 中原めいこ 「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」
☆ カネボウ化粧品のCMコピーに関する分析はさすがだと思ったが,少し穿ち過ぎの感もあった。つまり曲の分析ではなくギョーカイ分析に終始していることだ。中原めいこについて書くならせめて川島なお美に提供した「GEMINI」あたりから書き起こすのがシンガー・ソングライターに対する礼儀だろう。

#14 中森明菜 「サザン・ウインド」
☆ 先に書いたようにこの曲が明菜のシングル個人的買い納めの作(自爆)。イエスの「ロンリーハート」は曲は知っているが,そんなところまでは気付きもしなかった。イエスというバンドにもバグルスやZTTレーベルの曲調にも興味が持てなかったからだ。それにしても明菜は相当色んな音を聴きこんでいたのだと思った(誰かが平岡正明に教えてあげればよかったのに)。

#15 小林麻美 「雨音はショパンの調べ」
☆ この曲のレビューは世代の違いもあるが全く承服できない(爆笑)。確かにガゼボの曲は名曲の類ではないし,こうした原曲を離れた日本語翻案というのも80年代には古めかしくもあったかもしれない。しかしそれをティセ(セイコーの女性向けウォッチ)のCMと無理やり結びつけて一面的な評価をされても,ああこの人は当時CBSソニーが20代の若いサラリーマンをターゲットに早朝の時間帯にこの曲だとか浜田省吾の「Money」だとかのスポットを売ったいたことも知らなければ,小林麻美のPV(時々YouTubeで見かけるがいつも削除されている)のエロティズムも全然知らずに,90年代後半の古内東子とかを評する感覚でこれを書いているなというのが見えてしまうからである。
☆ ついでに言えば「雨音はショパンの調べ」のシングルジャケットのイラストを表紙にした(もう少し下の方まで描いていた)彼女のエッセイ集『あの頃,ショパン』なんてのがあったことも多分知らないだろうな。

#16 岡田有希子 「ファースト・デイト」
☆ ユッコのデビュー曲である。この曲もミュートマJAPANで何度も見た。竹内まりやの作品として低い評価だが,それはないだろう。竹内がユッコが亡くなった後で1992年に出した『Quiet Life』の中でわざわざ献辞を付けて彼女への提供曲「ロンサム・シーズン」をセルフカヴァーしたのはなぜか?そういうことも考えずに軽々しく書くべきではないと思う(確かに広末涼子のアイドルデビュー曲は指摘の通りだと思うが^^;)。
☆ それから86年の事に関しても写真週刊誌の話なんか書いてほしくなかった。あの頃はそういう「配慮のない」時代だった。だからこそ久米宏が「ニュースステーション」で「若い人たちにお願いする。決して死んではいけない。」と呼びかけたのだ。個々の時代にはその時代特有の背景があり,後生がそれを評価するときはそういう時代周りのことには留意すべきであり,まして「くちびるNetwork」ではなく「ファースト・デイト」を評するのにその話ばかり持ち出すのは下種の勘繰り以外の何でもなく,もはや批評の名にも値しない。著者がショウビズやそこから生まれるものを対象にモノを書いて食っていくつもりならこのことを一生肝に銘ずるべきであると,ぼくは考える。


↑ 7位の曲に注目

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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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