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2019-08

「雨の日と月曜日は(Rainy Days and Mondays)」 (カーペンターズ 1971年4月23日)【7月7日校正2稿】


Rainy Days and Mondays (Paul Williams / Roger Nichols)

Talkin' to myself and feelin' old
Sometimes I'd like to quit, nothin' ever seems to fit
Hangin' around
Nothin' to do but frown
Rainy days and Mondays always get me down

What I've got they used to call the blues
Nothin' is really wrong, feelin' like I don't belong
Walkin' around,
Some kind of lonely clown
Rainy days and Mondays always get me down

Funny, but it seems I always wind up here with you
Nice to know somebody loves me
Funny, but it seems that it's the only thing to do
Run and find the one who loves me
(No one who loves me)

What I feel has come and gone before
No need to talk it out
We know what it's all about
Hangin' around
Nothin' to do but frown
Rainy days and Mondays always get me down

【Short interlude】

Funny, but it seems that it's the only thing to do
Run and find the one who loves me

What I feel has come and gone before
No need to talk it out
We know what it's all about
Hangin' around
Nothin' to do but frown
Rainy days and Mondays always get me down
Hangin' around
Nothin' to do but frown
Rainy days and Mondays always get me down

☆ Wikipedia 英語版のこの曲の解説より
> The song was composed in 1971 by the then fairly unknown composers Roger Nichols and Paul Williams. It was released as the first track on the album Carpenters, popularly known as the Tan Album, and the B-side on the single is "Saturday", written and sung by Richard Carpenter.
> この作品は1971年に当時は全く無名の作詩・作曲家チームだったロジャー・ニコルズとポール・ウイリアムズによって作られた。この曲はTan Albumとして名高いカーペンターズの同名アルバムの1曲目に収録されており,シングルのB面曲「Saturday」は作者でもあるリチャード・カーペンターが自ら歌っている。

☆ プロジェクトとしてのカーペンターズ,またそのキーマンとしてのリチャード・カーペンターの「目利き力」が,このグループを凡百のポピュラーソンググループと隔絶させている。ニコルズ/ウイリアムズ(彼らはどちらも詩と曲が書けるという意味ではレノン=マッカートニーに近いソングライター・チームだと思う)を事実上世の中に送り出した。リチャードの目利き力はこの後レオン・ラッセルやニール・セダカなど様々なソングライターの作品を取り上げていった。

☆ カーペンターズは70年代前半のミドル・オブ・ザ・ロードであり,その正統性がユーミン流に言えばプチブルジョワジー好みの音楽(小市民ポップス=一種のポリティカル・コレクトネスのポピュラー音楽的なアイコン(象徴))としていわれなき(多分にイデオロギーがかった)揶揄と非難を受けてきた。そのことが彼らの音楽の「正当性」を失わせ,現代に至るまで極めてアンダーレイテッドな評価に甘んじていることは度し難いと強く感じている。

☆ 70年代前半にリチャードとカレンが取り上げたのは小市民の「良い子(娘)」のための健全なポップスなどではない。個化・孤独化する都会生活の中でささやかに生きていく人たちに寄り添う音楽だ。その歌詩の主題はミニマリズムを遥か手前で予期しているし,彼ら自身はみずからが受けた「世間的(ステロタイプな)非難や揶揄」を理不尽なものと感じつつ,答えを音楽で示していくと決めた一種の作品至上主義がある。そこには厳しい孤独があり,カレンの死に繋がる非情さもあった。

☆ 時代的誤解と過小評価の問題は60年代だったらビーチ・ボーイズやキンクスも当てはまる。もっともカーペンターズは基本的な立ち位置がショウビズの線上にあるから60年代のバンドの過小評価とはまた別の問題を抱えていると言える。それはロックとソウルを中心とするポピュラー音楽の分化過程に起因している。

☆ ただ彼ら兄妹が見出してレコード盤に刻み込んだ「現在の孤独」は上っ面のポピュラー音楽として消化された後に,パンドラの匣の底に佇んでいる。それは50年近くたった今でも変わらぬ光を鈍く放っている。

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「トランジスタ・ラジオ」 (RCサクセション 1980年10月28日)



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(2005/11/23)
RCサクセション

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初出:2011年11月1日

☆ 『RHAPSODY』とその年のソロツアーで,RCサクセションは(BUCK-TICKよりも早く^^)現象になった。そこでシングルもステーション・プレイを意識した(なにせその前のシングルは「勤労青少年の就労意欲を殺ぐ」ため一部で放送差し止めされてしまった。実にシケてるぜ,ボス)という訳でもないだろうが,ここに1980年というより1970~80年代を代表する名曲が誕生したのは慶賀の至りである。



☆ ただこの曲は,当時から誤解されすぎていたRCサクセションや忌野清志郎(の詩の世界)にとってある程度の解毒剤になったのも事実だろう。確かにこれは,文句をつけられたら大学だ(大学に授業は無いと思うが)とごまかせる程度の反抗はある。でもそういうツッパリではなく,どこか懐かしさに溢れた曲でもあった。世はラジオ・パーソナリティ全盛時代。そのうちミスコンとパーソナリティーが結合して今のギョーカイ・ブームに変貌してしまうのだが,この曲には一切関係ない。そしてこのラジオがキャッチしたのはたぶんこんな曲だろう。

「あなただけを(Somebody To Love)」 (Jefferson Airplane 1967年)



「ヒッピー・ヒッピー・シェイク(Hippy Hippy Shake)」(スウィンギング・ブルー・ジーンズ 1964年)



☆ 1980年にはじゅうぶん懐かしい曲達だった。

2019年5月24日追記

☆ 忌野清志郎が亡くなって10年経つという。毎年やっていたメモリアルも今年で一区切りつけたそうだ。「トランジスタ・ラジオ」の温かみは「ある世代」と一緒にフェイド・アウトしていくのだろう。フェイド・アウトするということは「美化する」ことになっていく。何処かの国(この国以外にも山ほどある)の御目出度い政治家達は安っぽい夢を見せることで安い投票用紙が手に入る魔法を知っていると嘯(うそぶ)いているが,そんな「きみ」たちにはこれらの「ヒット曲」は縁がないモノであってほしいと,心の内側で小さく呟きたくなる。(何せ新聞の政治面の片隅にある首相動静に夫妻でユー▲▽のコンサートを見に行ったなどという文字を見つけることくらいゾッとすることもないのだから(爆笑))。

「見つめあう恋 (There's A Kind Of Hush)」(ハーマンズ・ハーミッツ 1967年)


☆ それ(「夏だサザンだユーミンだ」からここまで来たのか安倍晋三君)はともかく,「トランジスタ・ラジオ」。キヨシローが5月に亡くなったことも関係あるのか,ぼくのイメージするこの曲,主人公が高校の屋上でふかしている煙草の煙が消えていくのは5月の青空のような気がしてならない。トランジスタラジオと言えば,70年代に入る頃にソニーがスカイセンサー(良い名称だと今でも思う)を出したのを皮切りにBCL(Broad Cast Listening = 短波・中波放送受信)が大流行した。たぶんアマチュア無線の流行が影響していてハム(ham=アマチュア無線家)になるほど勉強しなかった安楽マニア(ぼく含む)がベリカード(Verification Card=受信確認証)目当てにドッと参入したというおはなしで,昨今「御朱印」を頂くためだけに神社参りをしている人たちと本質は変わらない。

☆ 「現代用語の基礎知識」で有名な自由国民社が当時そうしたBCLer目当てに「ランラジオ」という雑誌を出していて,国内中波放送局のタイムテーブルとベリカードの写真だけで構成されているかのような雑誌だった(そういうことは勿論ない)。そのBCLブームに続くFMブームの際にFM雑誌が最盛期は4誌くらい出ていたが,あの雑誌も3分の1はタイムテーブルで,しかも当時は放送局の免許が下りるのに各地の利害調整に手間がかかるという「田中派利権誘導政治」の時期だったので(爆)JWaveやFM802どころか全国に民間FM局はJFN発祥の4局しかなかったのである。これでどんな差別化ができるだろうか?

☆ それが出来てしまうのである。例えば出版元が音楽之友社だったら何だかんだ言ってクラシック音楽様とオーディオマニアには優位性があったし,後発誌ほどロックやポピュラー音楽の方を向いていったが,ある時その中の某誌が気付いて,邦楽/洋楽のチャートを載せるようになってからFM雑誌はチャートマニア御用達になっていく。そしてさらに全国紙の新聞が土曜版のネタに週刊番組表を掲載するようになってこの競争はピークを迎えるのである。

☆ でもその頃にはポピュラー音楽は「偶然ラジオで聴くもの」からレコードを買って(友達から借りて⇒貸レコード屋で借りて)カセットテープに録音してテープレコーダーやコンポーネントステレオやカーステレオで聴くものに進化していった。その時既に忌野清志郎が描いた「トランジスタ・ラジオ」の世界は,オリジナルの光景からフェイド・アウトしていたのだろう。



☆ 昔から曲名だけは知っていたという曲の代表がジェファーソン・エアプレイン「あなただけを」だった。当方リアルタイムで「あなただけを」と言われると'76年だったかのあおい輝彦の第2次ブームの幕開けになったハワイアン風(テイストの)歌謡曲だったらピンとくるし,この曲の原題「Somebody To Love」は圧倒的にクイーンの「愛にすべてを」の原題(同名異曲)になってしまう。まあそこが60年代と70年代の違いで2010年代のきょうび「何の話ですか,オジサン?」という羽目に陥ってしまうだろう。

☆ その流れで言えばハーマンズ・ハーミッツの「見つめあう恋」だって'76年のカーペンターズのカヴァーになる(この曲をアルバムタイトルにした同名アルバムには例の超名曲「青春の輝き(I Need to Be in Love)」が収録されている)。たぶんリチャードがアレンジしているのだろうが,彼はハーマンズ・ハーミッツの60年代の品行方正ヴァージョンを骨格は変えないまま70年代らしい軽快で切れの良い曲に仕上げている。

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「Do You Believe In Love」 (Huey Lewis And The News 1982年1月22日)



☆ ヒューイ・ルイス&ザ・ニューズの出世曲で,全米最高位7位。アイスランドのチャートでは最高位2位。ちなみに英国では「The Power of Love」と両A面で発売された85年に最高位9位を記録している。この曲とアルバム『Picture This(ベイエリアの風)』でステップを踏んだ彼らは『SPORTS』と「The Power of Love」でトップに立つが,コアなファンはこの曲の思い入れも強い。確かにこの曲は彼らのロック・バンドとしての要素とコーラス・グループとしての要素の二つが上手くミックスされており,高いレベルでバランスを保っているからだろう。

Do You Believe in Love (Robert John "Mutt" Lange)



☆ 興味深く思ったのは曲の作者ロバート・ジョン "マット"ランジで,彼の名前はモーターズのファースト・アルバムのプロデューサーとして知っていたし,AC/DCやデフ・レパードなどハード/メタル系のバンドの80年代の進撃を支えた人という認識があった。しかしこの曲のポップ・センスは作曲家としての彼の力量を示す好例だと思う。

☆ ヒューイ・ルイスに関してはくどくど書くこともない。パンク/ニューウエーブの強風吹き荒れるロンドンでエルヴィス・コステロらと親交を結んでいた時の長髪をサックリ切って,ヤッピー然としたスタイルでメインストリーム・ロック(特に西海岸ロック)の80年代における形を示したその活動は,ある意味80年代の「ポスト・モダン」時代のロックを指し示すものであり,これをポピュラー音楽全体の視座で見ればキング・オブ・ポップという80年代のマイケル・ジャクソンへの評価もまた正鵠を得たものと言えよう。

☆ ポスト・モダンの時代におけるポピュラー音楽の方法論が入念かつ綿密なターゲットユーザーセグメントの把握と彼らの日常生活へのリーチにあったことは,これが90年代半ばまでに使い果たされて捨てられるまで使い続けられたことからも良く分かる。そしてそうしたポピュラー音楽の産業化は常にオータナティヴというマイナーな対抗軸を生み出し,それがポピュラー音楽の分裂を加速化させ「歌が世に連れ」た時代を終焉させた。

☆ その過程は「おもしろうて,やがて悲しき」であったとは思うが,少なくとも80年代初頭に感じた「風」が,結果はともかく「何か新しいもの」をその時代の若者世代に予感させたことだけは事実だろうと思う。もっとも後生の冷たい視線からは「そうやって使い果たしたのは誰の責任なのか?」というカードを突きつけられるのだろうが。



☆ それにしてもクラシックやジャズの素養もある村上春樹が,どうしてこの時期のヒューイ・ルイス&ザ・ニューズを贔屓するのか(謎)。もっとも彼の場合,90年代以降のポピュラー音楽に対する造形も相当に深いことを知ってるが。ビーチ・ボーイズ前後から始まる西海岸の命脈の先にこのバンドを見ているからなのだろうか。

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この辺りから、メインストリーム・ロックの時代になる。



Jump(Released December 21, 1983)
(Eddie Van Halen, Alex Van Halen, Michael Anthony and David Lee Roth)



☆ 最近(曲が発表されて35年以上経つ)になっても,どこかのCMがコッソリ使っているこの曲。当時の渋谷陽一なら明快に「産業ロック」と決定したと思うが(それも,むべなるかな。),2019年の今から思えば,この辺りからメインストリーム・ロックというものが生まれてきたような気がする。

☆ ぼくの思う「メインストリーム・ロック」は,明るく明快でありながら一定の重さを保っているロックンロール作品ということになる。この「(音の)重さ」がポイントで,それが強調されるようになる背景はカセット・テープレコーダーの普及と音質向上があると思う。言い換えるとアナログ時代の最後の音的変化(音そのものの変化はカセットテープの進化があり,音を聴く環境の変化には当然カーステレオとウォークマンの普及)がある。

☆ ヴァン・ヘイレンの当時のビジュアルを見ると腕にタトゥーもないし(よく見てないからかな?),80年代のヘヴィーメタルの嵐が吹く前のハード・ロックののんびり感がある気がする。「ジャンプ」という曲はエディがキーボードとギターでキーとなるメロディを作り上げているが,CM好みのインパクトあるイントロから流れ出すメロディはギターソロを除けばどこか「もったり感」があるし,その辺が例えば初期パンクのエッジの効き過ぎた鋭さ(=音的には脆い)と好対照だ。当然ニュー・ウエーブの連中からは「オールド・ウエーブ」と嗤われていたけれど,音の傾向を別とすればハード・ロックがミドル・オブ・ザ・ロードに立つことで「メインストリーム・ロック」が生まれたという構造は否定しがたい。

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「風をあつめて」 (はっぴいえんど 1971年11月20日=アルバムリリース)【追記あり】


初出:2012年5月6日
風街ろまん風街ろまん
(2009/02/18)
はっぴいえんど

商品詳細を見る


↓ うたまっぷ「風をあつめて」(はっぴいえんど)
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=53844


☆ 松本隆がこの歌詩を書いた頃は,まだ東京都電があちこちを走っていたのだろう。2012年の今から40年ほどの年月を振り返れば「昭和の東京」の光景と見えるかもしれないが,若い4人の音楽家の東京の原風景がそこに見えてくる。流行歌=歌謡曲という絶対的なショウビズの本流に対するオータナティブとしての「はっぴいえんど」は,作詩家に転じた松本隆を筆頭に,本流だったものを「取りこんで」行く形で日本の音楽業界の鳥瞰図を変えていく。




☆ 改めてこの曲を聴いているとタイムレスな瑞々しさを感じる。日本が世界に誇って良いソフト・ロックの名作だ。

2019年1月26日付記

☆ 上の記事を書いた時の松本隆(のポピュラー音楽に対するかかわり)に関する理解は基本的に変わっていない。はっぴいえんどはソフトロックであるとか(自分で書いているけど(#^.^#)),日本(語)の「ロックの在り方」などという話題が,それこそ風の彼方に消えた後になってもこの作品に作品の命が宿り続けているということは,ポピュラー音楽における「普遍性(不易)」ということを感じさせる。詩も曲も確かに抒情に流れているが,基本的には叙景の反映としての叙情,すなわち心象風景を描くという松本の作詩の方法論は情緒や心情そのものに依存した(阿久悠まで続いた)それまでの「流行歌の歌詩」の文法に対する穏やかなプロテスト(もしくはオルタナティブ)の提示であったと思う。だからこの作品世界は「抒情派フォーク」の前には置けない。むしろ都会人としての視野でフォークソングの歌詩を書いていた岡本おさみに近い。心情に依存しないという意味は,そこに話者(作詩家)の視座があるということだ。それまでの流行歌が「世に連(つ)れた」ことへの穏やかな否定なのである。この曲の考え抜かれたさりげなさ(曲もアレンジも)こそが,その歌詩に寄り添っている。その幸福なマリアージュがエバーグリーンを作ったのだろうと思う。



☆ 少し前にテレビ番組に松本隆が出ていて,いま神戸に住んでいるらしい。松本は風街を本当は「風都市」にしたかったらしいのだが,事務所の名前に取られて(彼は激怒したらしい)結果として風街に落ち着いた。神戸といえば隣町(本当に神戸市東灘区の隣町である)出身の村上春樹のデビュー作は「風の歌を聴け」だし。

☆ 摩天楼の衣擦れって格好良いね。朝焼けから太陽が昇っていくとその光を浴びて高層ビル(この時代には少なかっただろう)の影が伸びていく。その景色が「摩天楼の衣擦れ」だね。この感覚ははっぴいえんど終焉と並行して彼が南佳孝と組んだ『摩天楼のヒロイン』にダイレクトで繋がっていく。その後松本は20数年後にクミコと組んで『AURA』でもう一度それを再現するのだが(『摩天楼のヒロイン』の周年盤のライナーに松本がそのことを書いていてぼくはチョッとだけ得意に感じた)。

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deaconblue

Author:deaconblue
「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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