2017-06

ソングライター・チームの変遷(その2)


イースト・サイド・ストーリー(紙ジャケット仕様)イースト・サイド・ストーリー(紙ジャケット仕様)
(2007/04/25)
スクイーズ

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初出:2010年9月23日 (歌詩表示のみ)

2012年1月31日
☆ 今でこそスクィーズの代表曲になっているこの曲だが,当時は全く売れていない(全英41位,カナダ45位,全米49位,全豪90位,日本に至ってはシングルはおろかアルバムすら当時は未発売)。既にニュー・ロマンティックやファンカラティーナといった新しいポップにニューウエーブが移行しつつあったことも背景にある。ただ流行色の強いブームが去るとこういう曲が「発掘」されるのは良くある話で,この曲もそうやって再評価された。

☆ リード・ヴォーカルは当時スクィーズに加わっていたポール・キャラック。2番の途中に入るヴォーカルはこの曲とアルバムのプロデューサーでもあったエルヴィス・コステロと曲の作者でもあるグレン・ティルブリック。また,バックコーラスはコステロと当時ソロ活動を始めたばかりのポール・ヤング(と英語版Wikipediaのこの曲の解説に書いてあった)。

☆ こうして彼は悔い改めるのだが...というのがこの歌詩(下記参照)。ディフォードとティルブリックが「80年代のレノン/マッカートニー」の異名を取った時期の名作のひとつだ。

2013年7月16日
☆ スクィーズ(Squeeze)の第4作『イースト・サイド・ストーリー』は,LP時代は国内盤すら出なかった。数年前に紙ジャケットで発売された時に逃さず手に入れて本当に良かったと思っている(笑)。アルバムの3曲目に入っている「Tempted」はシングル・カットされたが大したヒットにならなかった(UK #41, Canada #45, US #49, Australia #90)。

☆ この曲のオリジナルは,当時スクィーズのキーボードを担当していたポール・キャラックがリード・ヴォーカルを取っていた。しかし程なくキャラックはスクィーズを脱退(その後一時的に復帰するも再度脱退)し,グレン・ティルブリックが代わりに歌っている。

☆ Wikipediaのこの曲の項を見ると,シングル・カットした時点ではヒットしなかったこの曲だが,その後いろいろな使われ方をしている。バーガーキングやハイネケンはCMソングに使用し,ビデオゲーム(テレビゲーム)の「Grand Theft Auto: Vice City(2002)」や「Rock Band(2007)」に使われている。You Tubeを見る限り,その事がこの曲の評価を歪めているとしか思えず,心が痛む。

☆ アマゾンのレビュアーの多くが指摘しているように,このアルバムはスクィーズの最高傑作と言って良く,その象徴のような佳曲がこの曲だと思う。


2014年5月19日

East Side StoryEast Side Story
(2006/06/22)
Squeeze

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Tempted (Glenn Tilbrook / Chris Difford)


I bought a toothbrush, some toothpaste
歯ブラシと歯磨き粉を買ったんだ
A flannel for my face
顔を拭くフランネルのタオルや
Pyjamas, a hairbrush
パジャマやヘアブラシも買った
New shoes and a case
新しい靴や鞄もね
I said to my reflection
鏡に映った自分にこう言った
Let's get out of this place
さあ,ここから出て行こう

Past the church and the steeple
教会の尖塔の前を通り抜けるのさ
The laundry on the hill
丘のところにある洗濯屋の前を過ぎて
Billboards and the buildings
広告看板やら建物の前を過ぎる頃に
Memories of it still
むかしの記憶がまだ
Keep calling and calling
ぼくのことを呼んでいるだろうが
But forget it all
全部忘れてしまえ
I know I will
そうした方が良いのは分かってるのさ

Tempted by the fruit of another
愚かにも誘惑の果実を口にして
Tempted but the truth is discovered
誘惑された。その事実が明るみにされた
What's been going on
何をどう続ければいいというのか
Now that you have gone
今や君は立ち去ってしまった
There's no other
そこには誰も残っていない
Tempted by the fruit of another
愚かにも誘惑の果実を口にして
Tempted but the truth is discovered
誘惑されただけ。でも,その事実だけが残ったのさ

I'm at the car park, the airport
空港の駐車場に来た
The baggage carousel
手荷物検査場では
The people keep on crowding
人々がいつものように群がっている
I'm wishing I was well
ぼくは自分がもう少ししっかりしてたらと思っている
I said it's no occasion
ぼくは言った。なにも起っちゃいないのさ
It's no story I could tell
きみに言い訳するような話は無いんだよ

At my bedside empty pocket
ぼくのベッドの脇はからっぽのポケットだし
A foot without a sock
足は靴下すら履いていない
Your body gets much closer
きみの身体がもっと近づくと
I fumble for the clock
ぼくは思わず時計に手を伸ばしそうになる
Alarmed by the seduction
誘惑された不安に囚われてしまって
I wish that it would stop
その警告音が止んでくれればと思ってしまう

Tempted by the fruit of another
愚かにも誘惑の果実を口にして
Tempted but the truth is discovered
誘惑された。その事実が明るみにされた
What's been going on
何をどう続ければいいというのか
Now that you have gone
今や君は立ち去ってしまった
There's no other
そこには誰も残っていない
Tempted by the fruit of another
愚かにも誘惑の果実を口にして
Tempted but the truth is discovered
誘惑されただけ。でも,その事実だけが残ったのさ

I bought a novel, some perfume
ぼくは小説本と香水を買った
A fortune all for you
君に幸運が届きますようにと
But it's not my conscience
でもそれはぼくの良心からのものじゃなかった
That hates to be untrue
不実だと嫌われるだけのもの
I asked of my reflection
ぼくは鏡に映った自分にこう問いかけるだけ
Tell me what is there to do
ぼくはこれからどこでどうすればいいんだ

Tempted by the fruit of another
愚かにも誘惑の果実を口にして
Tempted but the truth is discovered
誘惑された。その事実が明るみにされたのだ
What's been going on
何をどう続ければいいというのか
Now that you have gone
今や君は立ち去ってしまった
There's no other
そこには誰も残っていない
Tempted by the fruit of another
愚かにも誘惑の果実を口にして
Tempted but the truth is discovered
誘惑されただけ。でも,その事実だけが残ったのさ

Tempted by the fruit of another
愚かにも誘惑の果実を口にして
Tempted but the truth is discovered
誘惑された。その事実が明るみにされたのだ

(Repeat 4 Times and Fade away)



2017年5月19日付記

☆ スクィーズはニューウエイブ・ムーブメントの中でエレポップに近い位置でスタートしたが,本質はキンクスに通じるイギリス人らしいひねりの効いたメインストリーム・ロックだと思う。だからエルヴィス・コステロが彼らをプロデュースするというのはピッタリはまっていると思う(少なくともトッド・ラングレンがXTCをプロデュースしようとしてアンディー・パートリッジと揉めに揉めるなんて話よりは(〃▽〃))。

☆ 上にも書いたように,ディフォード/ティルブリックは80年代のレノン/マッカートニーとまで言われたのだが,日本ではどこで間違ったのか「通好みロック」の列に並ばされてしまい,それでも熱心なファンがいれば来日も出来るわけでそれはそれで目出度い話なのである(苦笑)。スクィーズが通好みで終わったのは彼らがバンドのためのソングライター・チームであったことが最大の原因だろうと思う。


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「1984年の歌謡曲」考(その2 P.217まで)【修正有】




☆ 著者に倣って個人史を書いてみると,このヒトより小学校1個分くらい年上であるぼくは,1983年に就職のため関東地方に行った。イメージは長渕剛「とんぼ」みたいなものである。84年は企業人として2年目ですでに化けの皮は大半剝れた丁稚奉公中といったところか。いま思えば1983年ころの自分を見れば今で言う「意識高い系」の成り損ないのような山出しの田舎者が見えるだろう。でもこの本に挙げられている吉幾三の曲で言えば「俺は田舎のプレスリー」みたいなもので,他人からはあからさまに見えるのに本人だけが見ようともしない部分の塊だった。

☆ 1984年といえば学生の頃は無邪気にアイドル歌謡からニューウエイブまで聴き漁っていた(ただし自分の趣味の範囲内で)が,給料が入るようになりレコードを買うお金は増えたが,その代わりに時間が圧倒的になくなってしまい(寮暮らしだったが,別の部署の先輩との二人部屋。しかも平日の残業は2時間が当たり前),必然的にヒット曲を追いかけるのは無理ということになっていく。だからこの年の終わり頃までで松田聖子や中森明菜を買い続けるのも止めていたし(その割にはXTCとかそういうのは渋谷とか吉祥寺とかまで買いに行くのだった=苦笑=),もともと興味のない曲は聴いていない(チャート番組を見る時間もなくなった。部屋の先輩のテレビを独占するわけにはいかないし)。だから今読んでみても「何とも言えない」曲も多い。そこで自分のコメントできる曲だけ選んで書いていくことになる。

特別編Ⅱ 1984年までの松本隆
☆ 「ベタ松本」から「シュール松本」へという著者の個人研究の着眼点は評価できる。だけど「はっぴいえんど」至上主義を引き摺り過ぎているように思えてならない。はっぴいえんどの中での松本,大滝両者の相克が(ヘーゲルの形だけ借りると)アウフベーベンして『A LONG VACATION』に繋がったというステロタイプ(ステレオタイプ)な理解の範囲を超えていないと思う。
☆ 途中で角川春樹の話が出てきて,角川が松本隆がプロデュースした南佳孝のデビューアルバム『摩天楼のヒロイン』を絶賛しているエピソードが記されている。角川はトータル・アルバムとしての『摩天楼のヒロイン』に強い印象を持ち,南がCBSソニーに移って出した『忘れられた夏』で彼を再び見出した。その繋がりが片岡義男原作,浅野温子主演映画『スローなブギにしてくれ』の主題歌に繋がっていく過程は,81年にあった南のコンサートツアー『SILKSCREEN』の冊子で角川自身が書いている。
☆ はっぴえんど から「夏色のおもいで」(チューリップ)や「ポケットいっぱいの秘密」(アグネス・チャン)に移行する70年代中盤の松本は著者の言う「ベタ」でもなければ「シュール」でもない(敢えて言えば前者が前者で後者が後者だ)。評論として割り切る部分があることは理解しているし,ここに書かれているように移行期というものは誰にでもある。だからこそ「シュール」な松本隆が本当に「シュール」だったと言えるのか?フォークに寄り添うアイドル歌手だった太田裕美に76年の時点でいわば四畳半ソングである「しあわせ未満」を書くことは,そのこと自体が「シュール」ではないのか?それは1979年でも84年でもないと反論されれば,返す言葉もないが,まあそういう感想を持ってしまうのである。

#22 薬師丸ひろ子 「メインテーマ」
☆ この評価は「Woman」の前振りのような気がしないでもない。著者も理解しているようにこれは初めから薬師丸と南の二つのヴァージョンを作ることが前提となっていた。だからこの2曲は対で考えないといけない。松本隆も大村雅朗も当然それを前提にしているから「女物=メインテーマ」は,やや受け身のシックに作り,「男物=スタンダード・ナンバー」は,当時の南の志向を反映してアグレッシヴに作っている。

#23 高橋真梨子 「桃色吐息」
☆ 三貴のことばかり延々と描いているので,最近出たこの本を思い出した。


☆ そうじゃなくて曲について語るのに,どうして作曲家の佐藤隆や編曲者の奥慶一の名前がクレジット以外で出てこないんだ?こういう片手落ちが多過ぎるのである。彼は佐藤隆の「北京で朝食を」とか「マイ・クラシック」とかちゃんと聴いているのだろうか?明らかにこれら佐藤作品の線上にこの曲はあり,一方の高橋真梨子には「for you...」から「はがゆい唇」に伸びていく線があって,その交点にこの曲があることは明白であるのに。そういうことが作品評価じゃないのか?じつに面妖な批評である。

#26 小泉今日子 「迷宮のアンドローラ」
☆ この曲が決まった頃,小泉今日子が「やっとまともな曲が歌える」と周囲に話していたという話を聞いたことがある。前回触れた髪の件も,著者の言葉に直せば「自らの内的衝動に正直」ということだろうが,覚悟してショウビズに来たものの,お古やイロモノ路線ばかり「当てがわれてきた」と感じていた彼女のフラストレーションが,やがて自己プロデュース戦略を考えるスタッフ(例えば秋元康とか)とのコラボレーションの中で「自らをアイコン化する」という方向性をようやく得たことを示しているのだと思う。KYON2というコンセプトはまさにそうだ。
☆ 確かにデビュー時から彼女はキョンキョンだったが(笑)それをKYON2と書き換えたところでアイコンとしての小泉今日子が誕生した。Wikipediaの小泉今日子の項目には「1984年頃から大きなタイトル(レコード大賞や有線放送大賞など)をも辞退するようになり、我が道をゆくアイドルになった。」と記されているが,この曲を歌ったことで小泉今日子は歌手としてのけじめをひとつ付けたのだと思う。だから#37 「ヤマトナデシコ七変化」はもはや彼女にとって座興のひとつでしかなかっただろう。だって彼女にとって「迷宮~」のB面が「Dunk」(集英社が学研の「Bomb」に対抗して出した野郎ども向け雑誌)だったことは,同じ年にマドンナが『Like A Vergin』のジャケットの腰ベルトに堂々と「BOY TOY」と記したことのパロディでしかなかったから。期せずして小泉今日子は(よりマドンナを意識していたであろう)松田聖子の上を行ってしまい自らを「ポップアイコンである」と宣言したのである。

特別編Ⅲ 1984年までのサザンオールスターズ
#28 サザンオールスターズ 「ミス・ブランニュー・デイ」
☆ 桑田佳祐が本当に悩んだのは特別篇Ⅲに書かれた時代であることを間違いない。ここから80年代後半まで桑田は今のぼくのような「自称リスナー評論家」を「オリコン小僧」と呼んで敵視していた。命名はおそらくかつてぼくも投稿していた「オリコン・ウイークリー」の常連投稿者たちに対するものだっただろう(笑)。その中の一部は明らかに「よい子の歌謡曲」などに流れているはずだが。しかし見落とすべきでないのは,この時期はサザンの二度目の修業時代だということ。『人気者で行こう』がいわゆる評論家筋に好評だったのはサザンのオールスターズの音楽の幅が広がっていたからで,それは『ステレオ太陽族』で八木正生氏とコラボしたあたりから明らかに広がっていた。
☆ 「JAZZMAN」は確かに名ばかり感があるが(爆),NHK紅白歌合戦を演出で凍らせた「東京シャッフル」には明らかにサザンがジャズから何を学んだかのフィードバックがあったし,ムード歌謡のパロディと思われた「チャコの海岸物語」は,明らかにシングルは歌志向であることを世に問うて成功を収めた例である。
☆ 「ミス・ブランニュー・デイ」のデジタル処理はあるメンバーの不調を補う苦肉の策であったことは良く知られている。あえてそれに触れていないのは武士の情けであろうか?それと爆笑ネタでありながら放禁され,最近YouTubeなどで見かけるようになったPVも,今の世の中では若干の問題を喚起するだろうが,基本は笑い飛ばせるものだ。
☆ 桑田佳祐の魅力はヤバさにある。彼がむかしジョン・レノンのことを「スケベの寸止め」と評したが,寸止めなら桑田も負けていないだろう。彼は「茶化しと反抗の寸止め」である。

#32 舘ひろし 「泣かないで」
☆ キャロルとクールスの類比(アナロジー)は誰でも考える。矢沢永吉と舘ひろし(そこまで行けば岩城滉一も入れるべきなんだが)の類比では歌手がメインか役者がメインかという視点に傾きがちで,その議論を避けている点は評価できる。ただせっかく石原プロの話まで出しておきながら「西部警察」に触れてないのはどうしてだろう?「西部警察」の線上だったら当然寺尾聡が出てくる。こっちの類比が抜けている。またこの曲がヒットしたことで舘ひろしが得た最大の収穫は彼が元ヤン(本当は違う。どっちかというと桑名正博タイプのボンボンである)のイメージを脱し「あぶない刑事」で魅せたスタイリッシュなイメージを先行して獲得したことであり,ここに触れてないのは残念だと思う。

特別篇Ⅳ 1984年までの秋元康
☆ バックステージの話を盛っており,それなりに楽しめた。ちなみに「子供達を責めないで」の元歌はいわゆる「褒め殺し」ソングだが,この時点では竹下登はプラザ合意(1985年9月22日)に出かける前の中曽根内閣大蔵大臣なので「褒め殺し」を世間が知らなかったからこういう歌詩になった。今さらながら稲垣潤一「ドラマティック・レイン」は名作(これと「川の流れのように」だけはね)。

#34 ザ・チェッカーズ 「星屑のステージ」
☆ 世代の差を感じるのは用語法にある。「ヤンキー」はまだその頃は大阪中心の関西圏の言葉だった(ミス花子嘉門達夫に「ヤンキーの兄ちゃんの唄」ってのがあったと思う)。この時代は「突っ張り(=ツッパリ)」。今世紀(特に2014年に原田曜平が「マイルドヤンキー」と言い出して以降)の「ヤンキー」は「ツッパリ」とは相当違う。フミヤの「俺の伝説ベストテン」に旧国鉄の順法闘争だかスト権ストかなんかで機動隊のジュラルミンの盾に突っ込んだ話があって,ザ・ベストテンかどっかで「俺達くらいですよ。機動隊の盾に突っ込んだアイドルは」と話していた。だからこの項目だけでなくチェッカーズの項目の「ヤンキー」は「ツッパリ」と読み替えるべし。それ以外はこの指摘にほぼ納得。むしろギミックのない生歌が聴けた「ザ・ベストテン」とか「レッツ・ゴー・ヤング」(NHK)とか,そういう番組で聴くべきなのかもしれない。

#38 大沢誉志幸 「そして僕は途方に暮れる」
☆ 今さらだけど作詩:銀色夏生 / 作曲:大沢誉志幸は,80年代を代表するシンガー・ソングライター・チームのひとつかもしれない(例えば吉元由美=杏里のように)。大沢の代表曲であり,このラインの最高傑作のひとつかもしれない。そしてこの部分が「Wの悲劇」と並んでこの本のハイライトであることも明白だ。ただこの曲を彼の頂点にすることに個人的には異論があって,『SCRAP STORIES』(1987年)が彼の頂点だと思う。

#39 アン・ルイス 「六本木心中」
☆ 自らをアイコン化することに意識的だったのはアニーも同じだと思う。60年代末から70年代初めの弘田三枝子の位置に80年代の彼女はいたと思う。彼女も70年代前半には10年後の小泉今日子同様に「作られたアイドル像」に嫌気がさし,ショウビズとの距離を取ろうとした時代があり,「女はそれを我慢できない」でツッパリ歌謡の姐御版を作り上げ,その路線が「KATANA」(1988年4月21日)あたりまで続いている。もちろんハイライトはこの曲以降なのだが,その前に山下=竹内夫妻と組んだ作品を出したり,友人でもあった三浦百恵を引っ張り出して(W.A.がその動きを邪魔(封殺)したことも有名だが),アン・ルイスというブランドを作り始めていたと言える。しかし湯川れい子の書き方が不足していて彼女にも気の毒だ(個人的には好きじゃないのだが)。湯川が80年代前後から作詩にちょっかいをかけるようになって最初はとてもシュールな詩(「センチメンタル・ジャーニー」松本伊代)と真反対の詩(「街角トワイライト」シャネルズ)の振幅の中から最終的に「恋に落ちて」(小林明子)に辿り着くのだから,申し越しもう少し広い視野で見るべきだろうと思う。

特別篇Ⅴ 1984年までのYMO
☆ まず前提がおかし過ぎる(爆)。「日本の音楽シーンを「ヤンキー」概念から解放したこと それがYMOの功績である」だそうだ。ここでは「ヤンキー」という概念については触れない。しかし触れざるを得ない(苦笑)。著者によれば「知的なことはカッコいい」という機運を、80年代前半からの日本のカルチャーシーンに植え付けたことが音楽性以外の彼らの功績だそうである。
☆ う~ん。でもここはサブカルチャーやポストモダンや脱構築主義でイエロー・マジック・オーケストラを語る場なのかしらん?それでなくてもサブカルと言うならYMOと書いて「イモ」と読んだり,イエロー・マジック・オーケス虎という新種(珍種)のトラだ(確かこれは林美雄のパック・イン・ミュージックの「苦労多かるローカルニュース」ネタだったのではないか。)とか,そういうリスナー達こそサブカルの名に相応しいのではないだろうか。
☆ 音楽として実験音楽,現代音楽,環境音楽,ディスコ音楽にシンセサイザーが多用されるようになり,音楽の自動演奏がテーマに上がってきたこと。テクノの背景にはそれがある。当然工業化の進展とともにハイテクノロジー(高度化技術)が求められるようになったことはあるだろう。反面,はっぴいえんど以降の細野さんが松本さんとは違う形でショウビズとの関係を取り結びながら自分たちの演奏技術で食っていくという,「70年代型バンドマンのあり方」を模索し始めたところにその根源がある。近年,70年代にキャラメル・ママ=ティン・パン・アレーが手掛けたプロジェクトがCD化されているが,そこではバンドマンとしての技量をベースにいかに多くの周辺音楽(その大半はショウビズと絡んでいる)を取り込んでいったかが俯瞰できる。
☆ そうして技量を磨きつつテクノロジーと音楽はどのように融合していくべきかという課題がテクノポップの背景にあった。当時細野さんは「理想的な状態は頭の中で考えたことがそのまま音楽になることだ」という主旨の発言をしているが,ボーカロイドの登場は細野さんの予言を現実化したものと考えたい。せっかくYMOを媒介に考察するのだったらこういう話を書いてほしかった(ただし,いとうせいこう等について触れている部分はその通りだと思う。彼のミニ番組は802開局以前のFM大阪で長く続いたからね)。

#42 井上陽水 「いっそセレナーデ」
#43 安全地帯 「恋の予感」
#44 中森明菜 「飾りじゃないのよ涙は」
☆ 陽水祭りだそうだ。これらは『9.5カラット』(1984年12月21日彼の2枚目のミリオンセラー)に続いていく作品集である。井上陽水に起きたことは「お酒が飲めるようになったこと」。「いっそセレナーデ」がサントリー角瓶のCMソング(本人出演)だったことがその証拠である(笑)。
☆ ぼくはフランキー(フランク・シナトラ)がビロードのような声だとすれば,井上陽水はシルクのような声だと思っている。共に声艶が勝負なのだが,その艶そのものが違う。声域の差もある(陽水の声域はシナトラより高い)。著者は吉田拓郎と比較しているが,それは声質一本でスティーヴィー(ワンダー)とマーヴィン(ゲイ)を比較するようなもので無理がある。この時代の拓郎の功績は篠島のコンサートを成功させ,その会場で長渕剛を表舞台に引っ張り上げたことであろう。
☆ ただ「陽水2.0」の領域については異論がある。それは1984年に突然用意されたのではなく,1981年『あやしい夜を待って』,82年『LION&PELICAN』で既に用意されていた。せっかく沢田研二に触れたのなら1982年の『MIS CAST』にも目配りしてほしかった。そうすれば陽水2.0なるものが1982年にはプロトタイプが出来上がっていて,83年の『バレリーナ』がそこから少し外れていることに気付いたはずだ。
☆ 著者は関西で84年頃から「ミュートマJAPAN」が見られるようになったことを記しているが,「恋の予感」などはさしずめヘヴィ・ローテーションだったことも覚えているかもしれない。この評価はこの本では「Wの悲劇」の次に良く出来ていて,玉置浩二と井上陽水の声質の違いを的確に表現している。ただ『9.5カラット』で陽水はこの北海道から出てきた後輩に挑むようなことはせず,あくまでイノウエさん流の「恋の予感」を歌っている。これの類比は「夏の終わりのハーモニー」のシングルと陽水の『クラムチャウダー』盤を比較すれば容易に解り得ることだ。
☆ 明菜が試みたことは売野雅勇的な「ツッパリ」(「十戒 1984 」の作品としての失敗を認識して)からどのように「変身」するかということだったと思う。この曲で見られる陽水の冷めた視線は同時期の作品で言えば「娘がねじれる時」とか「灰色の指先」とか「カナリア」などに如実に表れている(それがもう少しキツくなると「ミス・キャスト」や「ABCD」になるが,当時の明菜ではここまでは無理)。「飾りじゃないのよ涙は」は彼女の考えと作品とのバランスがうまく一致した成功作だったと思う。
☆ 著者はマイナーコードの明菜とメジャーコードの聖子を比較している。70年代なら一時期の山口百恵と桜田淳子なのだが,結局ジュンペーがマイナーコードに走ったので(「しあわせ芝居」ほか),モモちゃんの勝ちとなる。80年代は「バブルでド明るい」という誤解が蔓延っているのだが,明るい曲が強調されたのはむしろ不況真っ盛りの90年代だったのではないか?
☆ 「♪ダイヤと違うの涙は」の指摘は非常に鋭い。陽水はこの頃出したカセットブックのタイトルを「歌う見人」と名付けていた。見人(けんじん)とは見物人のことだろうが,見人=陽水らしい洞察力であり,その意図を見抜いた中川右介氏の指摘は明察である。

☆ 書けなかった曲について。
・ 松田聖子(#21,#31,#45)については著者の指摘にほぼ同意する。前回「ガラスの林檎 / Sweet Memories」について書いたが,結果としてあそこがセールスも含め松田聖子の頂点であったと思う。作品としては微妙な感もある「ガラスの林檎」を補って余りある「Sweet Memories」は大村雅朗の代表作として永遠に名が残るだろう。

Oh Sherrie (Steve Perry 1984年4月7日)
(Steve Perry / Randy Goodrum / Craig Krampf / Bill Cuomo)
最高位 全米第3位,全加No.1,全豪第5位 ※曲がすぐ聴きたい人は2:05あたりからどうぞ


☆ この本自体はまだ続くのだが,今回膨大に書いたので僕の方はここで打ち止めにする。
書いたところで誰に何の影響も及ぼさないのが無名人(Nobody)の定めなのだから(´_ゝ`)。

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「1984年の歌謡曲」考(その1 P.78まで)




☆ 最初に断らなければいけないことがある。この本は偶然知って購入したので著者の前著である『1979年の歌謡曲』を読んでいない。この本を読んだ方が『1984年の歌謡曲』に対するクリアーな評価ができる気はしているのだが,今からでは間に合わないので(だって今書きたい=モノ申したいんだもん(´∀`*))とりあえずそのまま書くことにする(=∀=)。

その1
#1 安全地帯 「ワインレッドの心」
☆ 本のコンセプトから外れるが,この曲の作詩をした井上陽水の解釈を比較してみると良い。陽水の『9.5カラット』のボツタイトルは『俺の方が上手い』だったらしいが(笑=だから9曲に自分が上手いというプラス0.5で9.5カラットになった=),この曲の歌い方でもそれは現れている。それは『9.5カラット』よりもライブ盤の『クラムチャウダー』の方がより良く分かるだろう。作詩家の目では歌の主役である「彼女」の脆(もろ)さ・儚(はかな)さを歌うには,情熱的に歌い上げるのではなく,静かに少しだけ距離をもって歌うことが似合っているのだ。

#2 わらべ 「もしも明日が」
☆ 言っていることは分かるが評価基準が意味不明である。この曲自体の持つ力を素直に評価してもこうなると思うが。

#3 中森明菜 「北ウイング」
☆ 明菜のシングルは「サザン・ウインド」までは買った(笑。ちなみに聖子は「ハートのイアリング」くらいまで)。ここに示された新たな事実も興味深いが,中森明菜は「どうやって自分をプロデュースしていくか」を考えた一人だったと思う。その事情はたぶん小泉今日子と五十歩百歩だったと思う(スタッフが貧弱)が,小泉が自分をアイコンとするという戦略を見つけていったのに対して,中森はあくまで「歌手・中森明菜」はどうあるべきかということが原点にあったのだろう。

#4 アルフィー 「星空のディスタンス」
☆ 著者の意見にほぼ同感である。アルフィーのベタなフォーク(「無言劇」とか)を知っているので,「メリー・アン」を聴くと「セパレイト・ウエイズ」(ジャーニー)が頭に浮かぶぼくもチョッとキツめのこの評価は良く分かる(笑)。

#5 テレサ・テン 「つぐない」
☆ この評価は今見ると?である。確かに当時,日本歌謡界に復帰した時期の鄧麗君は相当アンダーレイテッドだった。これをひっくり返したのはカラオケスナックでの長~い経験による(爆)。それにしても著者の取り上げている後期麗君の綺羅星のような歌謡曲群のきっかけはこの曲であり,もう少し「位置付け」を評価すべきではないのかと思う。それにしても「愛人歌謡」とはよく言ったものだ。それが60年代からずう~と続くある種の歌謡曲(=夜のお姐さん世界作品)のラインに位置付けるべきである。愛人歌謡というなら島津ゆたかの曲とかそういうのを挙げるべきだろう。

#6 チェッカーズ・ザ 「涙のリクエスト」
☆ 福岡の音楽シーンは市内,北九,久留米に大別される。チェッカーズはプロとして上京する前は久留米のシーンで活動していた。著者の取り上げ方はビートルズの下手なもじりだが,案外,図星の部分もある。あと「ギザギザハートの子守唄」の「退屈退治」のコピーに触れたのは秀逸(関西でもやっていたのか,(ミュートマ)JAPAN?)。

#7 杉山清貴&オメガトライブ 「君のハートはマリンブルー」
☆ 彼等が所属していたのは日テレの資本が入っていたVapだったから,最初の曲(「サマー・サスピション」)ではザ・トップテンにも出ていたし,それなりにタイアップは揃っていた。この曲での著者の「康珍化の歌詩」の特徴分析は非常に優れている。

特別編Ⅰ 1984年までの沢田研二
☆ ノーコメント。この時代の渡辺プロダクションについては基本的に話したくない。

#8 松田聖子「Rock'n Rouge」
☆ 間違っているかもしれないが,「(アイドル)歌手=化粧品デーモデル」の第1号ではなかったか?この後は小泉今日子とか国生さゆりとか80年代には豊富で90年代は吉田美和までチャレンジした(爆)。著者の指摘はほぼ正しい。ただし「Sweet Memories」は最初からの両A面曲ではない。最初は「ガラスの林檎」のB面だった(初期盤シングル所有)。その後サントリーがペンギンのアニメーションCMを使いその曲が「Sweet Memories」だったから両A面にして出し直したのである(後期盤シングル所有)。結果として大村雅朗の代表曲にもなり,彼が早世した直後に松田聖子がトリビュートとしてライブでこの曲を披露したのは有名はエピソードである。しかしこの話はこの本の主題からは外れている(´∀`*;)ゞ。

#9 吉川晃司 「モニカ」
☆ この曲(パロディ)を紹介する「ひょうきんベストテン」で司会役のS(現在一般人のため当時の芸名をイニシャル化)が歌詩の一部を使って下ネタをしきりと言っていたことでも有名な曲(自爆)。というより,Nobodyをノーボディ(無名人)から有名にした曲。確かに著者の指摘のようにこの曲から「憎まれそうなNewフェイス(麻生祐未!)」までのキッコーは佐野元春のコピー的なノリはあったと思う。それだけなら不快に感じるところ,この評価はその辺の細かいところまで触れており,なかなか良い内容だった。

#10 郷ひろみ 「2億4千万の瞳」
☆ 井上大輔(その後井上忠夫に戻した)についての記述で「ネグレスコ・ホテル」(BORO)に触れてないのは残念過ぎる。歌詩についての分析はほぼ同感。

#11 小泉今日子 「渚のはいから人魚」
☆ これは小泉が可哀想だ。確かに秋元康だったら「なんてったってアイドル」だろうし,いまだにそれで食っているのだから感想も感慨の欠片もないが,小泉がその氏名も含めて康珍化を当初物凄く嫌っていた(ヘアスタイルぶつ切り事件)のは良く知られた話だ。「そういう曲」で人気を確立した過程はダイアナ・ロス(譜面をもらってガッカリした「愛はどこに行ったの」が全米No.1になってスプリームス(シュープリームス)の快進撃が始まった)に似ている。半笑いは著者の独創だろうが,自作の言葉に溺れてないか?

#12 しぶガキ隊 「喝!」
☆ ノーコメント。これは聴いてないので。

#13 中原めいこ 「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」
☆ カネボウ化粧品のCMコピーに関する分析はさすがだと思ったが,少し穿ち過ぎの感もあった。つまり曲の分析ではなくギョーカイ分析に終始していることだ。中原めいこについて書くならせめて川島なお美に提供した「GEMINI」あたりから書き起こすのがシンガー・ソングライターに対する礼儀だろう。

#14 中森明菜 「サザン・ウインド」
☆ 先に書いたようにこの曲が明菜のシングル個人的買い納めの作(自爆)。イエスの「ロンリーハート」は曲は知っているが,そんなところまでは気付きもしなかった。イエスというバンドにもバグルスやZTTレーベルの曲調にも興味が持てなかったからだ。それにしても明菜は相当色んな音を聴きこんでいたのだと思った(誰かが平岡正明に教えてあげればよかったのに)。

#15 小林麻美 「雨音はショパンの調べ」
☆ この曲のレビューは世代の違いもあるが全く承服できない(爆笑)。確かにガゼボの曲は名曲の類ではないし,こうした原曲を離れた日本語翻案というのも80年代には古めかしくもあったかもしれない。しかしそれをティセ(セイコーの女性向けウォッチ)のCMと無理やり結びつけて一面的な評価をされても,ああこの人は当時CBSソニーが20代の若いサラリーマンをターゲットに早朝の時間帯にこの曲だとか浜田省吾の「Money」だとかのスポットを売ったいたことも知らなければ,小林麻美のPV(時々YouTubeで見かけるがいつも削除されている)のエロティズムも全然知らずに,90年代後半の古内東子とかを評する感覚でこれを書いているなというのが見えてしまうからである。
☆ ついでに言えば「雨音はショパンの調べ」のシングルジャケットのイラストを表紙にした(もう少し下の方まで描いていた)彼女のエッセイ集『あの頃,ショパン』なんてのがあったことも多分知らないだろうな。

#16 岡田有希子 「ファースト・デイト」
☆ ユッコのデビュー曲である。この曲もミュートマJAPANで何度も見た。竹内まりやの作品として低い評価だが,それはないだろう。竹内がユッコが亡くなった後で1992年に出した『Quiet Life』の中でわざわざ献辞を付けて彼女への提供曲「ロンサム・シーズン」をセルフカヴァーしたのはなぜか?そういうことも考えずに軽々しく書くべきではないと思う(確かに広末涼子のアイドルデビュー曲は指摘の通りだと思うが^^;)。
☆ それから86年の事に関しても写真週刊誌の話なんか書いてほしくなかった。あの頃はそういう「配慮のない」時代だった。だからこそ久米宏が「ニュースステーション」で「若い人たちにお願いする。決して死んではいけない。」と呼びかけたのだ。個々の時代にはその時代特有の背景があり,後生がそれを評価するときはそういう時代周りのことには留意すべきであり,まして「くちびるNetwork」ではなく「ファースト・デイト」を評するのにその話ばかり持ち出すのは下種の勘繰り以外の何でもなく,もはや批評の名にも値しない。著者がショウビズやそこから生まれるものを対象にモノを書いて食っていくつもりならこのことを一生肝に銘ずるべきであると,ぼくは考える。


↑ 7位の曲に注目

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「日曜日はストレンジャー」 (石野真子 1979年1月25日)


本日TEXT ONLY



☆ 石野真子の4作目のシングル(作詩:阿久悠 / 作・編曲:筒美京平)である。この作品はアイドル・ポップスの作り方の一例として非常に分かりやすいと思う。まず曲から。この曲のWikipediaにも記載があるようにイントロの前半はフォー・トップスの「It's the Same Old Song(1965年7月9日)」の引用だが,Mighty Clouds of Joyの「タイム」(のベースライン。似た発想は「ヒゲダンス」だな)も同じラインを使っている。要はこのピョンピョン飛び跳ねる音が石野のフレッシュ感(まだ2年目で人気も確立しつつある段階)に合っているという判断があったのだと思う。ここで筒美京平が考えたことは「石野真子に60年代モータウンのポップな部分と当時の流行であるディスコビートをかけ合わせたらどうなるか」ということだったと思う。

☆ フォー・トップスの引用はこの時代に少し見られ(山下達郎は怒っていたようだが)同じ筒美京平作・編曲の田原俊彦「原宿キッス」(1982年5月8日)のイントロは「I Can't Help Myself (Sugar Pie Honey Bunch)」のベースラインをお手本にしている(どこかの女の子のライターがこの曲名に気付かず「モータウンの引用だ」と書いていて=ぼくも見たことがある=どうもそれを山下達郎が見て,自分の番組でとんでもないと怒っていたのだが(理由は不明。小杉理宇造氏のラインから近藤真彦に曲を提供したことと何か関係があったのかもしれないが,考え過ぎだろうか=爆=))。

☆ ここでのポイントはモータウンの二番煎じにしないこと。実際に80年代に近づくにつれて60年代のモータウン楽曲のリバイバルが米英で起きている(ストーンズのように延々と取りあげていたバンドは別にしても)。ポピュラー音楽における60年代モータウンの価値が単なる黒人のティーンエイジャーや黒人音楽好きの白人ティーンエイジャーのためだけのものでなかったことが,この再評価で分かってくるのだが,この時代はその一つ前。だからドクター・ドラゴン(筒美京平)は,数年前から取り組んでいたディスコ風楽曲のアーキテクチャをここに持ち込んだ。そのことは「陽性」のはつらつとしたイメージで石野真子を売り「直し」たかった事務所の意向にも合っていたと思う(「陽性」を強調したかったのは,たぶん先行する榊原郁恵と大場久美子に追いつき,マイナーコードのラインを選んだ石川ひとみに対抗するため)。

☆ で,阿久悠の歌詩。これはタイトルからも明白なようにビリー・ジョエル「The Stranger(1978年3月21日=日本で発売。オリコン最高位2位と英語版Wikipediaに記載)」の引用。大昔このタイトルを面白おかしく解釈した投書を見たことがあるが,阿久悠はビリーの歌詩をちゃんと読み込んでおり,歌詩のテーマである「変身願望」だけをいかにも女の子然としていた石野真子に今で言うコスプレ的に(本当はこの言葉を使うことに若干の抵抗がある)試してみたのである。

☆ 手練れ(てだれ)が「(女性アイドルが歌うような)女の子の歌詩」を書く時には,その曲を聴いている(当時はテレビだけでなくラジオでシングルがかかることもプロモーションだった)ターゲットの諸君にどれだけ「深読みをさせるか」ということを考え抜いている。もちろんそんな曲ばかりではないが,おそらく松本隆は全く意識せずに松田聖子「秘密の花園」の歌詩を書いたかといえば,そんなことはないだろうと思ってしまう(爆)。

☆ 石野真子の1年目の3曲はどちらかといえば「後からついてきます」的な大人し目の(でも案外意志は強そうな)女の子を描いていた。しかしそのラインは少女主義時代(ぼくの「独自研究」 具体的には1978・9年)の石川ひとみともろに被ってしまう。ここで方向転換するなら石野の個性が伸ばせると判断して当然だと思う(実際にそれは成功して「あの時点までは」ちゃんとトップアイドルの近くまで行った)。阿久悠が書いたのは「私だって実はすごいんです」ということをさりげなく石野にアピールさせることであり,それはディスコの様式を借りて彼女の陽性の部分を全開にさせた筒美京平の曲作りの方向とも一致している。

☆ とまあ,ウダウダ書いてきて結論は何かというと,アイドルポップスにとって必要なことはその歌手にとってどういうラインをメインストリームに据えるかということ。いつもいつも書いて恐縮だがダイアナ・ロスが不承不承歌った「愛はどこへ行ったの?」や「ベイビー・ラブ」でスプリームス(シュープリームス)が突然トップアイドルに躍り出ても「ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラブ」を貰うまでは彼女は内心半信半疑だったに違いない。あの曲の譜面を貰って初めてダイアナは自分がスターの座に届いたことを実感したのだと思う。そこまで来れば彼女はそれ以降にどんな曲(例えば「ラブ・チャイルド」みたいな曲)が来ても何とも思わなかっただろう。(アイドル)歌手をメインストリームに据えるとは実にそういうことなのである。



☆ これ書いた後にフォー・トップスの「It's the Same Old Song」を聴いていたら,大滝(詠一)さんがこの曲の間奏からのアイディアを「バチュラー・ガール」(稲垣潤一/大滝詠一)に引用しているのに気付いた。今更ながら。。。



2017年5月1日追記

☆ ところで,この曲はどうだろう?XTCの1979年4月発売(英国)のシングル「Life Begins At The Hop」。コリン・モールディング作のこの曲はXTCのサード・アルバム『Drums & Wires』の先行シングルだったが,LP時代の英国盤には収録されず,米国盤に収録された。ザ・カーナルことコリンの曲だから彼がベースを弾いているのだが,このベースライン。どうだろ?

Life Begins At The Hop (Colin Moulding)



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ソングライター・チームの変遷(その1)





☆ コカコーラのボトラーがファンタの宣伝に「ファンタスティック」というコピーを使っていたのは,70年代も初めの方だったと思う。この宣伝は彼らのターゲットと思われるティーンエイジャーの聴取率が高かった日曜日の昼のラジオ番組にはしっかり入っていた筈だ(笑)。もっともその宣伝効果はファンタジーの形容詞はファンタジックではなくファンタスティックであることを多くの学生に教えたのだから,そこいらの学校や塾の英語教師以上だったかもしれない。

☆ エルトン・ジョン(作曲家)とバーニー・トーピン(作詩家)は1970年代を代表するソングライター・チームのひとつである。もっともエルトンが70年代初頭のシンガー・ソングライターのムーヴメントの中から英国で頭角を現した過程や,実際にこのチームはエルトンの諸作品を創っていくことがメインの作業であったことを思えば,ロックがポピュラー音楽の主流として機能分化していく70年代を象徴していたともいえる。日本でも吉田拓郎や矢沢永吉のように作曲家であるが作詩家ではないソングライターは数多くいたので,彼らにとって重要なことはいかに優れた作詩家をパートナーにつけるかということになる。エルトンとバーニーはその最大の成功例であり,そうであるが故に80年代前半のエルトンの不振の遠因ともなった。

Someone Saved My Life Tonight (Elton John / Bernie Taupin)



☆ 邦題「僕を救ったプリマドンナ」は,おそらく曲の初めに「プリマドンナ」という歌詩があるから,これをインパクトにしたのだろう。直訳すれば「誰かが僕を今夜救ってくれた」なので,やや意味不明な邦題の方が耳に残るということか。この曲に限らず,このソングライターチームの特色は「大きなストーリーをそのまま大きなバラードで表現する」ところにあった(だから少し前の土曜に選んだ曲は数ある例外のひとつ)。エルトンのベストはそのキャリアを反映して数多くあるが,この曲とか「人生の壁」とか「僕の瞳に小さな太陽」とかそういう曲ばかりを選んだバラード・ベストを作れば,大半がこのチームの手による作品となるだろう。

Someone Saved My Life Tonight (1975年6月23日)
NOTES (英語版Wikipediaを参照した)
☆ この曲は全米チャート史上初めて初登場1位となったエルトンの9枚目のスタジオアルバム『Captain Fantastic and the Brown Dirt Cowboy(邦題:キャプテン・ファンタスティック)』から唯一シングル・カットされた曲。全米最高位はビルボード第4位,キャッシュボックスNo.1,全英22位(ほかにカナダ2位,ニュージーランド13位など)。トーピンの描く歌詩はまだ無名のミュージシャンだった頃のエルトンとトーピンとの出会いやその後の無名時代の苦悩を描いている。

☆ 70年代半ばに6分45秒もの壮大なバラードはラジオ局向きではないと彼が所属していたMCAレコーズはシングルカット盤の編集を依頼したがエルトンはこれを断った。一部の国でこの曲のチャートアクションは芳しくないのはそのせいである。ところでこの曲の邦盤はどうだったのだろうか?実はこの時期のエルトンのシングルはどれも演奏時間がやたら長く,当時ディストリビュートしていた東芝EMIは困った挙句33 1/3回転のシングルを発売したことがある(確かビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンズ」のカヴァーだったかと)。でもまあ,よくよく考えてみれば東芝EMIはオデオンもしくはアップル(レーベル)からビートルズの「ヘイ・ジュード」をシングルにしているのだから(当然カットなぞしていない7分盤),別に困ることもなかったのではないか(爆)。

☆ ちなみにこのシングルの前のシングル(1975年2月24日リリース)「フィラデルフィア・フリーダム」(全米No.1・・・記憶違いでなければ全米チャート史上初の初登場第1位シングル曲である)も,オリジナル5分38秒でエディット5分20秒というなんだか訳の分からないシングルエディットをしている。この曲のバックグラウンドはキング夫人(ビリー・ジーン・キング 60~70年代の名高いテニスプレーヤー)があることを英語版Wikipediaに記述がある。曲名が何でも彼女が所属したテニスクラブだとのことで,なんだかスティーリー・ダンの「ディーコン・ブルース」に出てくるアラバマ大の「クリムゾン・タイド」みたいである(笑)。

Philadelphia Freedom (Elton John / Bernie Taupin)



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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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