2017-04

「日曜日はストレンジャー」 (石野真子 1979年1月25日)


本日TEXT ONLY



☆ 石野真子の4作目のシングル(作詩:阿久悠 / 作・編曲:筒美京平)である。この作品はアイドル・ポップスの作り方の一例として非常に分かりやすいと思う。まず曲から。この曲のWikipediaにも記載があるようにイントロの前半はフォー・トップスの「It's the Same Old Song(1965年7月9日)」の引用だが,Mighty Clouds of Joyの「タイム」(のベースライン。似た発想は「ヒゲダンス」だな)も同じラインを使っている。要はこのピョンピョン飛び跳ねる音が石野のフレッシュ感(まだ2年目で人気も確立しつつある段階)に合っているという判断があったのだと思う。ここで筒美京平が考えたことは「石野真子に60年代モータウンのポップな部分と当時の流行であるディスコビートをかけ合わせたらどうなるか」ということだったと思う。

☆ フォー・トップスの引用はこの時代に少し見られ(山下達郎は怒っていたようだが)同じ筒美京平作・編曲の田原俊彦「原宿キッス」(1982年5月8日)のイントロは「I Can't Help Myself (Sugar Pie Honey Bunch)」のベースラインをお手本にしている(どこかの女の子のライターがこの曲名に気付かず「モータウンの引用だ」と書いていて=ぼくも見たことがある=どうもそれを山下達郎が見て,自分の番組でとんでもないと怒っていたのだが(理由は不明。小杉理宇造氏のラインから近藤真彦に曲を提供したことと何か関係があったのかもしれないが,考え過ぎだろうか=爆=))。

☆ ここでのポイントはモータウンの二番煎じにしないこと。実際に80年代に近づくにつれて60年代のモータウン楽曲のリバイバルが米英で起きている(ストーンズのように延々と取りあげていたバンドは別にしても)。ポピュラー音楽における60年代モータウンの価値が単なる黒人のティーンエイジャーや黒人音楽好きの白人ティーンエイジャーのためだけのものでなかったことが,この再評価で分かってくるのだが,この時代はその一つ前。だからドクター・ドラゴン(筒美京平)は,数年前から取り組んでいたディスコ風楽曲のアーキテクチャをここに持ち込んだ。そのことは「陽性」のはつらつとしたイメージで石野真子を売り「直し」たかった事務所の意向にも合っていたと思う(「陽性」を強調したかったのは,たぶん先行する榊原郁恵と大場久美子に追いつき,マイナーコードのラインを選んだ石川ひとみに対抗するため)。

☆ で,阿久悠の歌詩。これはタイトルからも明白なようにビリー・ジョエル「The Stranger(1978年3月21日=日本で発売。オリコン最高位2位と英語版Wikipediaに記載)」の引用。大昔このタイトルを面白おかしく解釈した投書を見たことがあるが,阿久悠はビリーの歌詩をちゃんと読み込んでおり,歌詩のテーマである「変身願望」だけをいかにも女の子然としていた石野真子に今で言うコスプレ的に(本当はこの言葉を使うことに若干の抵抗がある)試してみたのである。

☆ 手練れ(てだれ)が「(女性アイドルが歌うような)女の子の歌詩」を書く時には,その曲を聴いている(当時はテレビだけでなくラジオでシングルがかかることもプロモーションだった)ターゲットの諸君にどれだけ「深読みをさせるか」ということを考え抜いている。もちろんそんな曲ばかりではないが,おそらく松本隆は全く意識せずに松田聖子「秘密の花園」の歌詩を書いたかといえば,そんなことはないだろうと思ってしまう(爆)。

☆ 石野真子の1年目の3曲はどちらかといえば「後からついてきます」的な大人し目の(でも案外意志は強そうな)女の子を描いていた。しかしそのラインは少女主義時代(ぼくの「独自研究」 具体的には1978・9年)の石川ひとみともろに被ってしまう。ここで方向転換するなら石野の個性が伸ばせると判断して当然だと思う(実際にそれは成功して「あの時点までは」ちゃんとトップアイドルの近くまで行った)。阿久悠が書いたのは「私だって実はすごいんです」ということをさりげなく石野にアピールさせることであり,それはディスコの様式を借りて彼女の陽性の部分を全開にさせた筒美京平の曲作りの方向とも一致している。

☆ とまあ,ウダウダ書いてきて結論は何かというと,アイドルポップスにとって必要なことはその歌手にとってどういうラインをメインストリームに据えるかということ。いつもいつも書いて恐縮だがダイアナ・ロスが不承不承歌った「愛はどこへ行ったの?」や「ベイビー・ラブ」でスプリームス(シュープリームス)が突然トップアイドルに躍り出ても「ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラブ」を貰うまでは彼女は内心半信半疑だったに違いない。あの曲の譜面を貰って初めてダイアナは自分がスターの座に届いたことを実感したのだと思う。そこまで来れば彼女はそれ以降にどんな曲(例えば「ラブ・チャイルド」みたいな曲)が来ても何とも思わなかっただろう。(アイドル)歌手をメインストリームに据えるとは実にそういうことなのである。



☆ これ書いた後にフォー・トップスの「It's the Same Old Song」を聴いていたら,大滝(詠一)さんがこの曲の間奏からのアイディアを「バチュラー・ガール」(稲垣潤一/大滝詠一)に引用しているのに気付いた。今更ながら。。。

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ソングライター・チームの変遷(その1)





☆ コカコーラのボトラーがファンタの宣伝に「ファンタスティック」というコピーを使っていたのは,70年代も初めの方だったと思う。この宣伝は彼らのターゲットと思われるティーンエイジャーの聴取率が高かった日曜日の昼のラジオ番組にはしっかり入っていた筈だ(笑)。もっともその宣伝効果はファンタジーの形容詞はファンタジックではなくファンタスティックであることを多くの学生に教えたのだから,そこいらの学校や塾の英語教師以上だったかもしれない。

☆ エルトン・ジョン(作曲家)とバーニー・トーピン(作詩家)は1970年代を代表するソングライター・チームのひとつである。もっともエルトンが70年代初頭のシンガー・ソングライターのムーヴメントの中から英国で頭角を現した過程や,実際にこのチームはエルトンの諸作品を創っていくことがメインの作業であったことを思えば,ロックがポピュラー音楽の主流として機能分化していく70年代を象徴していたともいえる。日本でも吉田拓郎や矢沢永吉のように作曲家であるが作詩家ではないソングライターは数多くいたので,彼らにとって重要なことはいかに優れた作詩家をパートナーにつけるかということになる。エルトンとバーニーはその最大の成功例であり,そうであるが故に80年代前半のエルトンの不振の遠因ともなった。

Someone Saved My Life Tonight (Elton John / Bernie Taupin)



☆ 邦題「僕を救ったプリマドンナ」は,おそらく曲の初めに「プリマドンナ」という歌詩があるから,これをインパクトにしたのだろう。直訳すれば「誰かが僕を今夜救ってくれた」なので,やや意味不明な邦題の方が耳に残るということか。この曲に限らず,このソングライターチームの特色は「大きなストーリーをそのまま大きなバラードで表現する」ところにあった(だから少し前の土曜に選んだ曲は数ある例外のひとつ)。エルトンのベストはそのキャリアを反映して数多くあるが,この曲とか「人生の壁」とか「僕の瞳に小さな太陽」とかそういう曲ばかりを選んだバラード・ベストを作れば,大半がこのチームの手による作品となるだろう。

Someone Saved My Life Tonight (1975年6月23日)
NOTES (英語版Wikipediaを参照した)
☆ この曲は全米チャート史上初めて初登場1位となったエルトンの9枚目のスタジオアルバム『Captain Fantastic and the Brown Dirt Cowboy(邦題:キャプテン・ファンタスティック)』から唯一シングル・カットされた曲。全米最高位はビルボード第4位,キャッシュボックスNo.1,全英22位(ほかにカナダ2位,ニュージーランド13位など)。トーピンの描く歌詩はまだ無名のミュージシャンだった頃のエルトンとトーピンとの出会いやその後の無名時代の苦悩を描いている。

☆ 70年代半ばに6分45秒もの壮大なバラードはラジオ局向きではないと彼が所属していたMCAレコーズはシングルカット盤の編集を依頼したがエルトンはこれを断った。一部の国でこの曲のチャートアクションは芳しくないのはそのせいである。ところでこの曲の邦盤はどうだったのだろうか?実はこの時期のエルトンのシングルはどれも演奏時間がやたら長く,当時ディストリビュートしていた東芝EMIは困った挙句33 1/3回転のシングルを発売したことがある(確かビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンズ」のカヴァーだったかと)。でもまあ,よくよく考えてみれば東芝EMIはオデオンもしくはアップル(レーベル)からビートルズの「ヘイ・ジュード」をシングルにしているのだから(当然カットなぞしていない7分盤),別に困ることもなかったのではないか(爆)。

☆ ちなみにこのシングルの前のシングル(1975年2月24日リリース)「フィラデルフィア・フリーダム」(全米No.1・・・記憶違いでなければ全米チャート史上初の初登場第1位シングル曲である)も,オリジナル5分38秒でエディット5分20秒というなんだか訳の分からないシングルエディットをしている。この曲のバックグラウンドはキング夫人(ビリー・ジーン・キング 60~70年代の名高いテニスプレーヤー)があることを英語版Wikipediaに記述がある。曲名が何でも彼女が所属したテニスクラブだとのことで,なんだかスティーリー・ダンの「ディーコン・ブルース」に出てくるアラバマ大の「クリムゾン・タイド」みたいである(笑)。

Philadelphia Freedom (Elton John / Bernie Taupin)



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「Why Can't We Be Friends?」 (War 1975年4月)



Why Can't We Be Friends?
(Papa Dee Allen, Harold Ray Brown, B. B. Dickerson, Lonnie Jordan, Charles Miller, Lee Oskar, Howard E. Scott)
最高位:全米第6位(ビルボード),第5位(キャッシュボックス)、全加第6位



Why can't we be friends?
Why can't we be friends?
Why can't we be friends?
Why can't we be friends?

I've seen you 'round for a long long time
I remembered you when you drank my wine

Why can't we be friends?
Why can't we be friends?
Why can't we be friends?
Why can't we be friends?

I've seen you walking down in Chinatown
I called you but you could not look around

Why can't we be friends?
Why can't we be friends?
Why can't we be friends?
Why can't we be friends?

I paid my money to the welfare line
I see you standing in it every time

Why can't we be friends?
Why can't we be friends?
Why can't we be friends?
Why can't we be friends?

The color of your skin don't matter to me
As long as we can live in harmony

Why can't we be friends?
Why can't we be friends?
Why can't we be friends?
Why can't we be friends?

I'd kind of like to be the President
So I can show you how your money's spent

Why can't we be friends?
Why can't we be friends?
Why can't we be friends?
Why can't we be friends?

Sometimes I don't speak right
But yet I know what I'm talking about

Why can't we be friends?
Why can't we be friends?
Why can't we be friends?
Why can't we be friends?

I know you're working for the CIA
They wouldn't have you in the Mafi-A.

Why can't we be friends?
Why can't we be friends?
Why can't we be friends?
Why can't we be friends?
...
☆ 1975年4月。春の遠足だったと思うが,観光バスで往復した帰りのバスの中でサイゴン陥落のニュースを聞いた。ベトナム戦争の終結だった。米クリントン政権がベトナム社会主義共和国を承認するのはそれから20年以上経った1995年7月である。

☆ ヴェトナム(の敗戦)はアメリカ人のプライドに大きな傷痕を残したが,この曲が暗示する問題はそれ以外にも二つもある。ひとつは米ソ冷戦構造であり,いまひとつは白人と黒人の対立だ。前者に関してはこの年(1975年)7月17日,ソ連の宇宙船ソユーズ19号とアメリカの宇宙船アポロ18号が地球を周回する軌道上で史上初の国際ドッキングに成功(アポロ・ソユーズテスト計画)した際に,この曲が演奏されたというエピソードがある。

☆ 少し前にも触れたように,70年代半ば白人と黒人の対立は抜き差しならない方向に進んでいた。この曲に遅れること3か月,アース,ウインド&ファイアーは映画『暗黒への挑戦』からそのタイトル曲「That's the Way of the World」を発表。美しいバラードの形を借りて人種差別の不合理さを婉曲にかつ強く非難している。この曲の歌詩はそれに比べても直截なところがある。この時期既にリチャード・ニクソンは辞任しジェラルド・フォードが後を受けて米大統領職に就いていたが,ニクソンが引いた監視網は少なくとも残っていたのではないだろうか。そのことをこの曲の歌詩は笑い飛ばしているが,当然その背後には激しい怒りが渦巻いていたはずだ。

☆ この曲が優れているのは,そうした怒りを内に孕みつつも,我々はこの現実に甘んじていいのか?と問いかけているところにある。それは4月4日に書いた「宇宙のファンタジー」にも通底するし,人種差別とは別の要因として浮かび上がってきた宗教対立にもまた通じることである。そういう意味でこの曲の意義はもっと評価し直すべきなのかもしれない(ある意味それは我々がちっとも進歩していないという実に残念な現実を表しているとも言えるのだが,中東や東アジアの地政学に絡む話でもそう簡単に冷静に慣れない悲しい現実があるので,よくよく考えてこの曲を聴き直した方が良いと改めて思っている。

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それは無意識の覚悟だったのか?



親愛なる者へ親愛なる者へ
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☆ 中島みゆきの『親愛なる者へ』は,1979年3月21日に発売された。みゆきにとって5枚目のアルバムであり,初のNo.1獲得アルバムでもある(前年の秋から冬にかけてシングル「わかれうた」が彼女にとって初めてのNo.1シングルとなった)。ニュー・ミュージック・ムーブメントにいちばん勢いのある時期であり,1位にはほとんど障害もなかったが,おそらくこのアルバムが結果として今に続く中島の音楽世界の基盤になったのではないかとぼくは思っている。

☆ アルバムとしての『親愛なる者へ』は機会を改めて書きたいと思うが,上に書いた考えの根拠がアルバムのラストに置かれたタイトル曲(正確には「断崖-親愛なる者へ-」)にあると確信しているからだ。

うたまっぷ 中島みゆき 断崖-親愛なる者へ-
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=57692

☆ 「アザミ嬢のララバイ」から「わかれうた」を経てこの曲に繋がる(そして「悪女」へと続いていく)中島みゆきの詩の世界には,明らかに「夜のお姐さん」の雰囲気が濃厚にある(彼女たちの化粧の噎(む)せかえるような「あれ」だ)。この濃厚さは化粧品会社が自然に若い女性全体に拡散させてしまったので,今では戯画的な部分を除いてそんなものは残っていない。だからこの世界は70年代末の濃厚さを独特のものとして感じるしかなく,いずれそれは古典(的な文化・風俗)になっていくものであろう。

☆ その濃厚さを残していくことが歌姫たる中島みゆきの使命となったと書けば書き過ぎの誹(そし)りは免れないだろう。しかしどう考えても酌婦・娼婦の唄でしかない「アザミ嬢」が示した覚悟はこの曲でこう語られている。

> だけど死ぬまで春の服を着るよ
> そうさ寒いとみんな逃げてしまうものね (そう)みんなそうさ

☆ そして「いま崩れゆく崖の上」に立つ「彼女」は,もはや自分のことを「そ(う)して あたしは いつも 夜咲く アザミ」と自嘲することすらない。「(そう)みんなそうさ」と言い切る覚悟があるからだ。みゆきの詩には明らかに弱者たる自分がある。この歌詩をみて「いじめ」だの「ハラスメント」だのという問題が先取りされているなどとしたり顔で語るより,むしろそうした問題が本質的な人間の性(さが)に起因するものではないかと疑わせる事実があるのだ。

☆ 誰が見てもインチキでしかない「春の服」(春が意味=隠喩するモノも,別にある)を着る覚悟を示すことで,中島みゆきは「この世界」に別れを告げたのだ。それは崩れゆく崖の上に立ちながら

> 流し目を使う 昔惚れてくれた奴に

そして思わず呟くのだ。

> あぁ なさけないね

☆ これは「引かれ者の小唄」ではない。覚悟を決めた人間の照れ笑いなのだ。見ている者はいっしょにその苦笑いに付き合ってあげなければならないだろう。

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「抱きしめたい」はタイトルの通り訳すべし



☆ ぼくたちが本格的にビートルズを聴き始めた頃(1970年代初頭),「抱きしめたい(I Want To Hold Your Hand)」の訳の「説明」に確かこんなことが書いてあった。To Hold Your Handという表現は(当時のモラル高い世の中を反映した)控え目な表現だと。これはビートルズの正式盤では通説となっているようで「君の手を取りたい」系の訳詩がついている。

I Want To Hold Your Hand (Lennon-McCartney)



↑ Performed Live On The Ed Sullivan Show 2/9/64 とあるように生歌です

☆ じゃあなぜ曲のタイトルは「抱きしめたい」なのか?理由は簡単で "I Want To Hold Your Hand" だからだ。言い換えれば,この曲のどこにも "I Want To Take Your Hand" なんて歌詩は書いてないからである。I Want To Hold Your Hand.とは今日流に言えばハグしたいという意味だからだ。光景を思えば容易に解ると思うが「抱きしめる」と「抱き合う」は全然違う。ハグする場合はそのまま抱き合う形になるかもしれないが,抱きしめる=抱く+締めるなのだ。分からなければ(言葉で表すと煩わしいのだけれど)少年少女まんがのシーンを思い起こせばいい。たいてい主人公(ヒロイン)の女の子は突っ立っている。両手を下に降ろしている。相手役の男の子は(十中八九駆け寄ってくるのだが)女の子を抱きしめる。絵柄的には身体を抱きしめているわけだけど,降ろした両手も一緒に抱きしめているでしょ。両手だから複数じゃないのかって?野暮だね(苦笑)。彼女の手(腕全体を含む)=彼女そのものでしょ。単数でいいじゃないの(^o^)。

☆ だからあの部分はこう訳すべきだと思っている(自主研究)
君のことを抱きしめたいんだ
君を,抱きしめたい

↓ 本日の確信犯


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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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