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2020-01

「ムーンライト・サーファー」 (石川セリ 1979年)



「ムーンライト・サーファー」 (作詩・作曲:中村治雄)



☆ この曲のことをいろいろ調べてみたら(そういうことができる良い時代になった),かなり興味深かった。本人が陽水夫人だとか長女も歌手だとかそういうことは元々知っていたし,これがPANTAの作品であることも昔から知っていた。この一文だけでも相当ツッコミどころがあるのが面白いが,そういうのはじいさん探偵の余技みたいなものだ。

☆ Wikipediaを見てると,彼女の同学年に浜田省吾と山下達郎がいることが分かる(ちなみにこの三人の中では彼女が「お姉さん」になる)。PANTAはこの曲だとか松原みきに書いた曲だとかソロアルバムの『KISS』だとか彼のキャリアの中では最も商業音楽に近い立ち位置の時期でサヨク友達(笑)の平岡正明が思わず「パンタ、もとにもどれ」なんて一文を雑誌(『MM』か『本の雑誌』)に載せていた。

☆ イントロの70年代後半風からサビのラヴァーズ(ブルービートというか裏打ちというか)まで曲がスタイリッシュに決まっていて,『1980X』は何処に行ったんだという平岡の嘆息も分からないでもない(爆。ちなみにX=9であることは歴史が証明している)。でも「作家魂」ってそういうものでしょ(再爆)。

☆ この曲の「ゆらぎ感」は専ら彼女のヴォーカルによるところだけど,70年代前半の「湘南ソング」が割とアクの強い平山三紀「真夏の出来事」だったとすると,茅ケ崎の君(桑田佳祐)が占める前の「湘南」の風景はこの曲とかユーミンの「天気雨」なんかが近い感じがする。それにしても真夏に茅ケ崎から鎌倉まで湘南道路を走るのは当時は酔狂としか言いようがなかった(爆)。

☆ 「ムーンライト・サーファー」のB面は南佳孝の「ミッドナイト・ラブコール」(彼の『モンタージュ』に収録),あの頃って誰もが彼女に曲を書こうとしていて,それも粒ぞろいだから,ステディ(陽水)がいても,やっぱり「かぐや姫」だったのだろう(このネタで「ラブアタック」を思い出せればたぶんおそらく50代以上^^;)。

☆ でもこの曲,ちゃんと歌詩を見れば「挽歌」なんだな。そういうところも奥が深いと思う。



PS.敢えて「真冬のサーファー」に触れない作戦(自爆orz...)
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「Lowdown」 (ボズ・スキャッグス 1976年6月)


初出:2013年9月10日
シルク・ディグリーズシルク・ディグリーズ
(2013/03/06)
ボズ・スキャッグス

商品詳細を見る


☆ 今でこそAORを代表する名盤のように紹介される『シルク・ディグリーズ』だが,発売された当初はさほど注目を浴びたわけでなかった(最近出ているこのアルバムの邦盤にはその辺の解説も書かれていると思う)。アルバムからの先行シングル「イッツ・オーヴァー」はビルボードTop40にようやく顔を出した(最高位38位)のが精一杯だった。ところがクリーブランドのあるR&BステーションのDJがシングルカットもされてなかった「ロウダウン」を気に入って,何度もエアプレイしたことがきっかけとなり,この曲をかけるR&B局が増えていった。

☆ その話が伝わった米コロムビアは恐る恐るこの曲をシングル・カットしたのが76年6月。すると燎原の火のようにとは言わないが(笑)たちまち火がついて彼自身全く縁のなかったTop10ヒット(最高位第3位,R&B/ディスコチャート最高位第5位)となり,32歳の遅咲きヴェテラン・ミュージシャンを一気にトップ・スターの座に押し上げた。

Lowdown (Boz Scaggs / David Paich)




☆ ボズ・スキャッグスというミュージシャンはR&Bやサザン・ソウルをルーツに持っている(だから今世紀に入ってのジャズやソウル・アルバムへの展開は良くわかる)。またそのスウィート・ヴォイスは「バラードうたい」としては超一品である。つまり彼の歌は概して「重い」。ところが「ロウダウン」という歌だけが例外的に「軽い」のである。それが偶然選ばれたことで彼は世に出ることとなった。音楽の神様の気紛れには違いないのだろうが,なかなか興味深いことだと思う。ちなみにこの曲は1976年度のグラミー賞で最優秀R&B楽曲賞を獲得しているが,これは彼の獲得した唯一のグラミーである。


2020年1月9日付記

☆ 去年(2019年11月17日)スティーヴ・ミラー・バンド「ロックン・ミー」のチャートを追いかけた時に気付いたが,この2曲のヒットのピークは近い。周囲を見渡せば「シェイク・ヤ・ブーティー」「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」「ディスコ・ダック」「運命'76(ザ・フィフス・オブ・ベートーヴェン)」など,まさにこの年でなければ出なかったであろうナンバー・ワン・ヒットがゾロゾロ(笑)。その中で異彩を光るのが『昼顔』ソング(爆)「アフタヌーン・ディライト」だったりする非常に騒々しいチャートだが,まだ前半はウイングスの「シリー・ラブ・ソング(心のラブ・ソング)」の長期No.1があり,お終いの方にはスティ-ヴ・ミラーのところでも触れたロッドの「今夜決めよう(トゥナイツ・ザ・ナイト)」がでんと控えている。

Billboard Hot 100 1976
7/3 82位(New Entry)→70位(7/10)→66位(7/17)→56位(7/24)→46位(7/31)→36位(8/7)→27位(8/14)→22位(8/21)→16位(8/28)→9位(9/4)→7位(9/11)→6位(9/18)→5位(9/25)→5位(10/2)→3位(10/9:最高位)→3位(10/16)→4位(10/23)→25位(10/30)→33位(11/6)→33位(11/13)→41位(11/20:3rd Single "What can I say":85位New Entry)→44位(11/27)→チャート外(12/6)

"What can I say"
11/20 85位(New Entry)→72位(11/27)→60位(12/6)※以下略(最高位42位)

☆ この曲が「特別なヒット」になったのは音楽の神様に導かれたのは確かだろうが(すべてのヒット曲(出世曲)に共通する)やはりディスコ音楽のカテゴリにピタッとはまるホワイト・ソウルだったことが大きいと思う。ボズ的には最初のシングル「イッツ・オーバー」の熱唱の方が似合っていたし,「何と言えばいいんだろう(What can I say)」もアルバムの中では割とアップテンポな曲だ(だから最後のシングルは「リド・シャッフル」になる)。要はダンスフロア向きの曲を選んでシングルカットしている。

☆ ところが日本では「港の灯(ハーバー・ライツ)」だったり「二人だけ(ウイアー・オール・アローン)」のようなどっちかといえばチークタイム向けの曲(笑)が大当たりして(CBSソニー洋楽部もちゃっかり「ソフト&メロウ」なんて名付けて)ボズ=ミスターA.O.R.みたいなイメージができあがったという気がする。結果論としてどちらもボズ・スキャッグスであるし,初期のソウルフルな歌唱のボズも現在の彼もまたボズ・スキャッグスという懐の深いミュージシャンの一部なんだなあと思っている。

PERSONNEL

Boz Scaggs – lead vocals
David Paich – keyboards
Fred Tackett – guitar
Louis Shelton – guitar
David Hungate – bass
Jeff Porcaro – drums
Carolyn Willis – background vocals
Marty McCall – background vocals
Jim Gilstrap – background vocals
Augie Johnson – background vocals
Joe Wissert – producer

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「水無し川」 (かまやつひろし 1975年11月)


初出:2012年3月11日

☆ ムッシュにとって『あゝ、我が良き友よ』(1975年4月5日)は,フォークの時代にごった煮の音楽世界を出しましたという作品だったのだろう。実際に「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」の「語り」は,シャンソン的というよりどこか東洋的幽玄を思わせる。「シンシア」でのよしだたくろうとのコラボから始まり,フォーク・ビレッジ(当時はスポンサーがライオンになっていたと思う)の司会(今でいえばDJというよりキャスター的)とこのアルバム。シングル「我が良き友よ」の懐古趣味的ヒットと一連の流れがあって,一方で「フォーライフ・レコード」旗揚げ事件から始まるショウビズに対するニューミュージックという「居場所」の登場と音楽よりそれを担う若者たちの意識が変化していく中,松本隆=吉田拓郎作品でフォーマットはフォークだが,意外と歌の中身はそういう世代の本音を見ていた感もあった。

「水無し川」(作詩:松本隆 / 作曲:吉田拓郎 / 編曲:瀬尾一三)



☆ 本音といえば,離婚騒動を抱えていた吉田拓郎が作品至上主義的シングル「となりの町のお嬢さん」で自身のフォーライフ旗揚げをしたことにこの曲を引用して,こっちの歌詩に拓郎のホンネがあるよね,なんてクレジットも見ずに若者(当時)は知ったか話で盛り上がったものだった。そういう連中が拓郎の次のシングルに飛び付いたのは言うまでもない。ただ,瀬尾一三の編曲によるこの曲のコーダは「明日に向かって走れ」的ではあるなあ。

2020年1月7日付記

☆ 松本隆は「都会の人」であり,彼がこの時代に描いた『微熱地図』は,都会人の目で見た「都会に来て,そこに住む人々の生活模様」だった気がする。それは阿久悠や阿木燿子的「時代の気分」とは微妙にずれていて,この「ずれ」は,はっぴいえんど以降の「割と普遍的な物語」を描いていくという彼の一貫した姿勢だという気もする(この時代の松本隆作品で「その色」が最も出ているのは筒美京平と組んだ太田裕美の一連の作品だと思う)。

☆ 瀬尾一三が上手くアレンジして都会っぽさを出しているものの,この曲は当時も今も「フォーク」と呼びならわされてきたポピュラー音楽のカテゴリにすっぽりとはまる作品だと思う。そのことは作曲者の吉田拓郎も意識していただろうと思うし「拓郎節」に見合ったフォークの形にしたのは,かまやつさんが拓郎と組んでヒットさせた「シンシア」の延長線上にこの曲を置けば男のメンタリティとしての「やさしさ」に触れざるを得ないからだろう(主人公の相手役の女のヒトは「黒い長髪」だし^^)。

☆ その肌触りが何とも心地良かったのは当時も今もあまり変わるところが無い(世代的なものだとは思っている)。だから「昭和歌謡」なんて言葉を好きなように使う人達には「この曲も広い意味での "昭和歌謡" だよ」と伝えたい。なぜならこの曲には今はない戦後昭和のエートスというかメンタリティがあるから。

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DTBWB「カッコマン・ブギ」のプロファイリング




カッコマン・ブギ
(作詩:奥山恍伸 / 作曲:宇崎竜童 1975年3月25日)
※タイトルをクリックすると同曲の「うたまっぷ」歌詩が別窓表示



初出:2007年1月21日(2020年1月2日リンク切れ修正)

☆ 「スモーキン・ブギ」で当てたダウン・タウン・ブギウギ・バンドが,余勢を駆って送り出した第二弾。。。ところが本来はB面だった曲が大当たりして,更に運命が変わってしまうところが激動の70年代に相応しい(笑)。ところでこの曲の歌詞は,ハヤリモノのオンパレードなので,分解する。

・ 銀座原宿六本木・・・今も昔もファッションというとこの辺り。渋谷新宿池袋に出番はなく,青山代官山は三下扱い。。。ということだろうか。逆にフォーク系は表参道原宿(吉田拓郎→山田パンダ「風の街」)となる。

バギー・パンツ(baggy pants)は,かつて存在したYahoo!ビューティーのファッションディクショナリーによると(以下の引用解説も全て同),オックスフォード・バッグスを原型として生まれた、股上が深く、ヒップから裾にかけて極端に太いシルエットをもつパンツ。バッグ(袋)のように太いというところから名付けられたもので、特に'73年頃に流行したことが知られている。また、これの裾を絞ってテーパード・シルエットとした感じのものをバギー・トップやトップ・パンツ、トップ・バギーなどとよんでいる。

ヒップボーンも同じ解説から類似項目の「ヒップ・ハンガー」を見ると,ヒップにひっかけてはく感じからこうよばれる股上の浅いパンツの総称。別に腰骨にひっかけてはく感じからヒップボーン・パンツ、また股上(ライズ)が浅いところからローライズ・パンツの名もある。’60~’70年代の若者向きのパンツに多く見られたもので、俗にローライザーともよばれた。ちなみに股上の深いタイプはハイライザーという。

・ ここでヒップ・ボンというのは腰骨のこと。腰骨のところで引っ掛けるようにズボン(ジーンズ)を履くのが当時ツッパリ連中の間で流行りだした。やがて昨年(2019年)の大晦日の「笑ってはいけない」に出てきたボンタンみたいな不細工な流行のツッパリファッションを経て,ヒップ・ホップ以降の兄(あん)ちゃんの流行品になっていく。

・ アフロヘアー。ひと言で言えばパパイヤ鈴木みたいな髪型。70年代の終盤(に,ジョン・トラボルタが出てくる)まで圧倒的にディスコで流行った。なんせ山口百恵ですら一度だけ挑戦した(数日で元に戻されてしまったが^^;)という記録が残っている。

・ ラメラメシャツ。ラメが入っているシャツ。。。では解説になってないか(笑)。ラメクロス (lame-cloth)を引用しておくと,金属糸(ラメ、ラメ糸)を部分的に使った織物のこと。金属糸には、金、銀、アルミなどの箔を、漆で和紙にはり合せた切箔のものと、これを普通糸と撚り合わせたものがある。最近はポリエステル・フィルムにアルミを蒸着したものなどが多い。用途はイブニング・ドレス、ブラウス、縁飾り、婦人用帽子、袋物など。

ロンドン・ブーツ (London boots)。当然1号2号は関係ない。これも引用する。底とヒールが極端に厚く高くなったロング・ブーツで、’70年頃にロンドンでうまれ、当時流行ったグラム・ロックのミュージシャンたちによって履かれたことから一般化した。ユニオン・ジャック(英国の国旗)や爬虫類(はちゅうるい)を部分使いにしたものなど、派手に過激な感じのものが代表的で、主にベルボトム・ジーンズと組み合せて用いられた。’70年代の代表的な風俗ファッションのアイテムで、現在でもロックを愛好する人たちの一部で見られる。

・ いちばん分かりやすい例は,デヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』(及びそのジャケット)だろう(爆)。興味深いのは,当時70年代前半。日本ではロックだけでなくフォークをやっていたミュージシャンの間でもベルボトム・ジーンズと厚底のロンドンブーツは定番に近かった。要するに誰にでも流行っていたのである。



・ スリーピース。今はチョッキと言ったら嗤われるというより骨董品でも見る目で見られるようだが(苦笑),ヴェストとチョッキは絶対に違うものだと思っている。ジャケット+チョッキ+スラックス。この三つ揃い(スリーピーセズ)が本当のスリーピースだろう。ちなみにヴェストの解説を見ると,「胴着、チョッキ」の意で、シャツなどの上に着用する袖のない胴着のこと。イギリスではウエストコート、フランス語ではジレという。まあそういうことなのである。

= ここから2016年11月26日追記・2020年1月2日再掲 =
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの謂れはここに示したWikipediaで見てもらうとして,70年代前半のロックンロール・リバイバルを代表する三つのバンド(キャロル・クールス・DTBWB)のひとつである。ロックンロール・リバイバルはロックという複雑化しつつある音楽(プログレッシブ・ブルーズ・ハード・ソフト)に対するアンチテーゼであり,一面でニュー・ソウルに対するファンクの対抗(ジェームズ・ブラウンやスライやラリー・グレアムやジョージ・クリントンなど)やドゥー・ワップ・リバイバル(ディオン)とも相通じる部分があった。またその本質が反商業化であればパンク・ロックの胎動とも言えたし,ことさら日本ではまるでジェームズ・ディーンの『理由なき反抗』の亡霊の如く「ロック=不良の音楽」という馬鹿げた図式(モット・ザ・フープルが「ロックンロール黄金時代」で罵倒した)が罷り通っていた。その辺の今に延々と続くくだらないパターナリズムを反映したエピソードは,NHKとキャロルの因縁とか掃いて捨てるほどあるが,ここでは書かない。

☆ 確かにジェームズ・ブラウンを見に行った若き日の山下達郎がリーゼントのお兄さん達に長髪を引っ張られたなんて物騒な時代(70年安保の熾火かもしれない)ではあったが,宇崎竜童のやりたかったことはブルーズ・ロックの現在形であり,ファーストアルバムから発禁食らって何となく強面イメージが出来た不幸もあり(音の方向性は全然違うが頭脳警察みたいだ),そこから転じたブギウギ作品群は逆に軽薄短小を先取りしつつ,(後年の宇崎のベースとなる)世相風刺をしっかり挟み込んだ作品集でもあった。

☆ 今で言う「スマート」や「クール」の語源は,1950年代後半の石原裕次郎の時代(それは同時にロックンロールやロカビリーの親世代でもある)なら「いかす」で,(その変形のリバイバルが90年代の「いかすバンド天国」),それから長いこと「格好良い⇒カッコイイ」がそれに代わった。そういえば「ダサい」が生まれたのはこの少し後である。ここに描かれた70年代の流行服飾風俗は何となく一巡して(コギャルの愛した「どデカブ-ツ」などの変異はしたが)90年代後半に)その一巡も終わり,今はまたダサい状態に近いのかもしれない。で,この曲のエンディングがエルヴィスのパロディで終わるのもそうした世代感の反映でもあると思う。

☆ ツナギ(自動車工場の整備服)が象徴するのは,揃いの衣装がなくてという懐事情とは別に,この音楽が誰に支持されていたかの象徴でもある。それは結果として宇崎や矢沢を長年困らせることにもあったが,上から目線の連中よりは...とは思ってしまう。この時代にはまだ「敵」なるものがそれなりに見えていた時代で,全員を豊かにするという幻想作戦が効果を発揮したことが,それを見失させ,「No.1としての日本」という冷静な分析本をよく読みもせずにのぼせ上がった挙句が平成大バブルとガラバゴス・ジャパンであったとすれば,これほどカッコワルイことも無いであろう。





☆ ざっくりの生歌生演奏でこれくらいだから,当時の「プロミュージシャン」に要求されるものはそれなりに厳しかったとも言える。とはいえ伴奏は結構締っていると思う。あと曲間の早口言葉はハナモゲラ的ではあるが勿論無関係。



☆ ロックンロール・リヴァイバルが米国で流行らなかった理由は,ディスコとアメリカン・ハード・プログレッシヴ(後のメインストリーム・ロック)とアメリカン・メタルのせいだろうと思う。ニューヨーク・パンクはどっちかといえばアート/サイケデリック・ロック色が強く,シンプルなロックンロールはラモーンズ,モダン・ラヴァーズ,ハートブレイカーズあたりになるのだろう。

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「Gold」 (Spandau Ballet 1983年8月5日=英,11月1日=米)


初出:2011年5月8日

True: Special EditionTrue: Special Edition
(2010/06/21)
Spandau Ballet

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Gold (Gary Kemp)


追記:2019年12月25日
☆ ニュー・ロマンティックスというムーヴメントは英国では一種のアイドル的ムーヴメントだった。70年代で言えば似たようなムーヴメントはグラム・ロックになると思う。両者に共通していることは,バンドが主導権を握り(デヴィッド・ボウイすら "ジギー・スターダスト" として彼のバンド「スパイダーズ・フロム・マース」を率いていた)ティニー・ホッパーと謗(そし)られながら,優れた楽曲を残していることではないか。

☆ 『ザ・クイーン・イズ・デッド』を発表した頃のジョニー・マー(ザ・スミス ギタリスト)のインタビューで彼が「歌が上手い歌手」として(肯定的ではなく)引用したのがトニー・ハドレーであったように,バンドとしてのスパンダー・バレエは人気実力が相まって充実した作品を送り出していた。このバンドはニュー・ロマンティックスの中でエレポップ的なデビューをしたが(好敵手だったデュラン・デュランもまた同じく),途中からファンク/ソウルに音楽的方向性を変えていった。理由はハドレーのヴォーカルにある。彼の力量でエレポップは「役不足」だった。

Gold (LIVE The Old Grey Whistle Test 1983)



☆ ぼくの個人的印象は1970年代のアイドル歌謡(日本)の最も良い部分が実はここに飛んでいったように思えてならない(笑),大貫憲章などは苦い顔をしていたが(爆),彼らの創った音はポピュラー音楽的分かり易さ(それは70年代日本の歌謡曲が同時並行的に米英のポピュラー音楽を即座に吸収して自家薬籠中の物にしたような)であり,実はこの流れは00年代以降のK-POPに明らかに繋がっていると感じている(もちろんそれは「メロディ系」「作品至上主義」的な音楽に限られるが)。

Gold live at IOW Festival 2010


Spandau Ballet
Tony Hadley (lead vocals)
Gary Kemp (lead guitar, backing vocals)
Martin Kemp (bass guitar, backing vocals)
Steve Norman (saxophone, backing vocals)
John Keeble (drums, backing vocals)

最高位
2位:英国 3位:フランス,オランダ 4位:スペイン
8位:ニュージーランド 9位:豪州 12位:カナダ(アダルトコンテンポラリー:27位)
29位:全米(Billboard Hot100,ダンス:8位・アダルトコンテンポラリー:17位)
※ダイアトーン・ポップス・ベスト10でNo.1になっているはず(^^)


Merry Christmas

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deaconblue

Author:deaconblue
「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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