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2019-12

「お富さん(春日八郎 昭和29=1954=年8月)」


初出:2006年10月7日

春日八郎ベストセレクション春日八郎ベストセレクション
(2007/04/11)
春日八郎

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「お富さん」 (作詩:山崎正 / 作曲:渡久地政信)


粋(いき)な黒塀(くろべい) 見越(みこ)しの松に 婀娜(あだ)な姿の 洗い髪(がみ)
死んだはずだよ お富さん 生きていたとは お釈迦様でも
知らぬ仏の お富さん エ-サォ- 玄冶店(げんやだな)

☆ 昭和歌謡というか戦後を代表する歌謡曲の第一級の作品である「お富さん」は,その軽快なテンポと春日八郎の歌唱がマッチして時代を超えたヒット曲となった(昭和29年リリース。この曲の潜在的な影響力があったのは,それから30年間ほどであろう)。

☆ かつて存在したお富さんの紹介サイトにもあるように(以前もどこかで書いた話だったと思うが),この作品の歌詞は江戸歌舞伎を題材に引いている。完璧だと思うので,そのサイト「昭和歌謡とわれらの世代」 by Ringo House の記述をそのまま引用する。

> この歌の歌詞は、歌舞伎の有名な演目である「与話情浮名横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし)の一場面「源氏店」(げんじだな)から題材を得ている。それまでの春日八郎の歌の傾向からすれば、いや、というより、バラエティに富んだ流行歌が数多く存在した歌謡曲全体を見渡しても非常に珍しいテーマであった。

> そして、この芝居で最大の見せ場が「源氏店」の場で、他人の妾であったお富さんと許されざる恋に落ちた与三郎は相手の男にばれてメッタ切りにあい、お富さんは海に落ちた。九死に一生を得た与三郎は三年後、松の木が見える黒塗りの塀の家で死んだはずのお富さんと出会うというシーン。そこで与三郎の「しがねえ恋の情けが仇」の名セリフが出てくるわけだが、山崎正の歌詞はこの部分を実にうまくメロディにはめ込んでいる。

☆ 説明文に誤記があるので朱字で訂正している。「玄冶店(げんやだな)」は当時の実在地名なので,当時の習俗上そのまま使うことは憚られた。そこで「冶」と字のつくりが似ている「治」(ちなみに「冶」という字の読みにも「じ」があるという複雑さ!)を使うと「げんじ」と呼べるので,これに「源氏」の字を当てるという鯔背(いなせ)ぶりだ。

☆ ここ数年「艶女(アデージョ)」とか「ちょい悪」とかの類の詰まんねえエセ日本語が氾濫しているが,もう少し江戸の鯔背(いなせ)に学んだらどうだと言いたい。こういう場面ですぐに「粋」を使いたがるが,女がで男は鯔背だ。だから昔「いなせなロコモーション」をシングルカットしたサザンの桑田は結果的に正解ということになる。婀娜(あだ)と艶(あで)やかは語感が近い。そして婀娜を辞書で引くと「女性の色っぽくなまめかしいさま」と書いてある。誰が考えても「婀娜女(アダージョ)」が正解だろう。(´∀`)


2019年11月28日付記

☆ この当ブログの古典(自爆)は,掲載当時それなりのレスポンスがあった(苦笑)。上記に紹介したサイトは既に無いためWikipediaのお富さんの項から引用する。

> 「お富さん」は作詞を山崎正、作曲を渡久地政信が担当し、当初キングレコードのスター歌手であった岡晴夫が歌う予定だったが、岡がコロムビアレコードに移籍したため、急遽若手の春日に歌わせたところ、リリースから4か月で40万枚、最終的に125万枚を売り上げるセールスとなり、春日の出世作となった。

> 「お富さん」は当時宴会で歌われていた猥褻なお座敷ソングに代わる、いくらか軽い調子で替え歌のしやすいものを狙って作曲した、と渡久地は述べている。沖縄出身で奄美大島育ちの渡久地は、四分の四拍子のリズムのなかに八分の六拍子をアクセントとして加えたブギウギのリズムを基に、手拍子や軽快なヨナ抜き音階など沖縄音楽・カチャーシーの要素と、チンドン屋のリズムの影響を受けた奄美新民謡の要素を織り込みながら曲を書いた。

☆ この曲は「チャ・チャン・ガ・チャン(「ガ」のところが休符)」のリズムで手拍子を打てる。このノリが戦後歌謡のグルーヴになった。

> 作詞の山崎はキングレコードからの復古調のものをという要求に応じて、戦前・戦中の諸芸能の世界では定番だった歌舞伎の『与話情浮名横櫛』(通称:切られ与三郎)からセリフを大量に取り入れている。ただし、山崎は特に歌舞伎に通じていた訳でもなく、作曲した渡久地に至っては「カブキは嫌いで、見た事もない」と述べている。「粋な黒塀」「見越の松」「他人の花」といった仇っぽい名詞句を何も知らない子供までもが盛んに歌ったが、 そのアウトロー的な歌詞は教育上の社会問題となり、NHKが子供が「お富さん」を歌う事の是非を問う討論番組を組むほどだった。

☆ 歌謡曲(ポピュラーソング)の歌詩というものは,いつの時代も物議を醸す(物が出てくる)。この後の大ヒット曲だって子供には「夜明けのコーヒーを二人がどういう状態で飲むのか」(「恋の季節」:作詩 岩谷時子 1968年7月20日)なんて気にも留めないし,「胸騒ぎの腰つき」(「勝手にシンドバッド」:作詩 桑田佳祐 1978年6月25日)がいかなるものかも想像すらしないものである。知らないから問題だというのは例の「寝た子を起こす」論になる訳だが,流行歌は取りあえず「時の流れに身を任せ」て消えてしまうから目くじらを立てるなとなっていく。討論番組を組むというのはそれだけ時代がナイーヴだったからで,こういう時代背景を考えずに単純に現代との対比やそれに基づく類比をしてはならないのである。

☆ ところが歌舞伎のポピュラリティーは現代より当時の方がもっとあったことは間違いない。実際,北村薫が父親のことを描いた『いとま申して』三部作を読んでいると昭和初期の歌舞伎(役者)は現代のロックミュージシャンと同じくらいのポピュラリティがあるし,歌舞伎自体も例えばクラシック音楽のような「教養としての素養」として扱われていたことが分かる。これが,ぼくが子供の頃には「伝統芸能」扱いとなり,少しずつ今の形に近くなっていった(その間には看板役者の代替わりも当然あった)。歌舞伎にポピュラリティがあったと言っても,それは「大人の娯楽」としてあったからで,子供が無邪気に口にするのは憚られる部分は,確かにあった。

☆ 「昭和歌謡」という言葉を簡単に使っている人達が意識しているかどうかは分からないのだが,古い流行歌のリズムは七五調が基本になっている。宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」が「ど演歌」と呼ばれたのは,彼のだみ声のせいだけでなく,リズムが七五調だったからだろう。もっとも中島みゆきは素知らぬ顔で「わかれうた」を七五調で書き,朗々と歌って大ヒットさせたという例外もある(笑)。

☆ 春日八郎は岡晴夫を意識してこの歌を朗々と歌い大ヒットさせた。実は戦後の混乱がまだ残っている時代は「暗い歌」より「明るい歌」が望まれたのだと思う。この歌の題材は全く明るくないにもかかわらず(実際こういうのを "修羅の道" という^^;),お座敷ソングになったのはまさにこの朗々とした歌いっぷりにあったのだと思う。

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二項対立(「EASY ACTION」(The Street Sliders 1987年7月22日))


☆ 世の中にThe Street Slidersの作品が無い(見たところ2014年再発盤含め,全て廃盤)という状況は少し勿体無いように思う。このバンドはキャラクターを立てる(ポストモダンの80年代に共通のテーマ)ことに成功し,記憶に残る活動をしてきたからだ。

☆ 彼等の代表作を聴けば,このバンドが主に1970年代前半(『スティッキー・フィンガーズ』から『ブラック・アンド・ブルー』まで)のローリング・ストーンズのアーシーで粘っこい音を彼らなりに消化してアップデートしていたことが理解できよう。それは単純なコピーではなく,醸し出すグルーヴによってそろそろ始まりつつあった当時のバンドブームを先駆し,差別化することに成功した。Wikipediaのこのバンドの項には,次のような評価があり,ほぼ賛成だ。

> ブルースを基調にした音楽性と、時代に媚びることのない姿勢は、2000年の解散までぶれることがなかった。

「Easy Action」 (Joy-Pops / 村越弘明)



☆ Joy-Popsは,HARRY(村越弘明)と蘭丸(土屋公平)の共同名義。歌詩が物議を醸したのは昔の話で(笑),「じいさん学」のところで触れたように「風刺には批評性が必要」という条件は満たしている。本来的には「ウチら」と「お宅ら」の二項対立をテーマにしているから,いまみちともたか(バービーボーイズ)の詩の世界に近い。カリカチュアの対象には「それで商売してるんだろ?」という皮肉な問いかけもあれば,「お宅らは勝手にやれば。ウチらはウチらでやらしてもらうから。でもまあ、なんかださいよね。お宅さぁ」くらいのは滲んでいるだろう。そういう毒をあっさりというかちゃっかり自分のものにしているしたたかさこそ,当時の「差別化とセグメンテーション大好きな」ポストモダンな人たちに受けただろう。シンプルにキャーキャー言ってる関東圏の女の子達の方が,よほど純粋でよかったのだが(爆)。

☆ くどいけど(自爆)「毒」のあり方をもうひとこと。二項対立は一神教に見られるように人類にとってかなり長いテーマである。算数だか数学だかで「集合」論の基礎を学んだ時に「集合と補集合」という話があったが,一神教の教義はあれに収まる(神様の世界と,「それ以外」)。「ウチら」と「お宅ら」の差異・差別化は「大きな物語」を捨てるというポストモダンのベースにある考え方に則っているから,特にロックンロール以降のこの音楽のようなカウンターカルチャー出身の文化活動には背骨のようなものでもあるし,そこに気付かないまま「オータナティヴ」を気取ると,逆にこの曲のターゲットになってしまうというピエロ的な展開すらありうる。

☆ 「ウチら」の引き立て役としての「お宅ら」は同時に「ウチら」の限界であり,アキレス腱である。そこまで承知したうえでこの二項対立を使わないと「木乃伊取りがミイラになる」ことに気付かないだろう。偉そうに愛だの人生だの語ろうが,目先の流行りに振り回されながら自己満足に浸るのも,「お宅ら」で勝手にやってよ(=EASY ACTION)。「ウチら」はウチらで気楽にやらさせてもらいまっさ(=EASY ACTION)。つまり野暮を野暮と言わずに(言えば自分も野暮になってしまう)切り抜けるってことを二項対立を使って軽く揶揄しているところが,決まってるのだ。

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「Biggest Part of Me」 (Ambrosia 1980年5月19日)



☆ 「回帰」とは一般にはもとの位置または状態に戻ること、あるいはそれを繰り返すこと(Wikipedia)とある。回帰の一番分かり易い例がいわゆるファッション(流行物)だろう。これを直線的に捉えればレトロ(回顧)となるが,大抵の場合螺旋状に捉えられている。螺旋状というのは平面に表せばよくあるマネジメントサイクルのようなものであり,それを三次元的に表す理由は社会進化論的「上からの視点(目線などともいう^^;)」が無意識に潜んでいるからだろう。

☆ ポピュラー音楽も「音楽」の一翼を担う(?)存在として,この螺旋状のパターンを辿っているように思えた(80年代くらいまでは。ただし,そのあとのシーンについては,ぼくが個人的に知らないので評価できないだけの話)。回帰パターンはまずシンプルな形から始まり,やがて複雑な形に向かい,同時に分化する。そしてある程度分化が進んだところで最初の形への揺り戻しが起きる。個人的なポピュラー音楽リスナー史からこういうパターンを導き出している。

☆ ロックンロール(カントリー/ヒルビリー音楽とブルーズ/リズム&ブルースのマリアージュとしての)からスタートしたロック音楽は,そのルーツへの再接近(フォークロック,カントリーロック/ブルースロック)や分化(アヴァンギャルド/アートロック,プログレッシヴ・ロック,ハードロック/ヘヴィ・メタル・ロック,ソフト・ロック)を経てロックンロール・リヴァイバル/パンク・ロックで揺り戻される。50年代からの四半世紀はざっくりこういう流れだったように思う。

☆ もちろんロック音楽と並行してリズム&ブルースから進化したソウル音楽や,モダン・ジャズから発展したクロスオーヴァー現象(フュージョン音楽)があり,そのバックグラウンドにカウンター(ヒップ)カルチャー⇒サブカルチャーの流れがあった(芸術から薬物までの多彩な共演者を含む)。本来こういうことは「文化史」として相互・総体的に取り上げるべきことであるにもかかわらず,文化人類学を筆頭に史学(音楽史・文学史・美術史・風俗史)などの専門家たちはせっせと自分たちの壺を大きくすることに血道を上げているので当事者へのオーラルヒストリー採取すら全然進まないまま「風化」の憂き目に遭おうとしている。なさけないことだ。

Biggest Part Of Me (David Pack) Album version


☆ アンブロージアやジノ・ヴァレリがプログレッシヴ・ロックからAORと称されるソフト・ロックに移行してきた(ように見える)のは,プログレッシヴ・ロックの方法論に大きな変化が起きたからだと思う。その引き金を引いたのはロック側で言えばスティーリー・ダンであり,ジャズ側でいえばウエザー・リポートやボブ・ジェームズであるように思う。

☆ 以前ディープ・パープルのところで書いたように,プログレッシヴ・ロックの本質は「新奇なことを行うこと(シド・バレットの時代のピンク・フロイド)」から「複雑で構成力のある音楽世界を描き出すこと(イエスの『クロース・トゥ・ズィ・エッヂ』など)」に変わっていった。複雑で構成力のある音楽だったらメインストリーム・ロックになっていく70年代前半のロックの主要作品(言うまでもなく「ハイウエイ・スター」だったり「ステアウエイ・トゥ・ヘヴン」,或いは「ボーン・トゥ・ラン」だったりする訳だが)の特徴でもある。

☆ その昔のモンキービジネスなお歴々がミュージシャンの才能をこき使って(搾取というより収奪して)シンプルで分かり易いティニーホップ(10代向け使い捨て音楽(および金蔓)と彼らは思っていた)からスタジアム/オーデトリアムでの巨大ツアーを併せ持つビッグ・ビジネスにポピュラー音楽「産業」が進化していく背景に,この「複雑化」及び「構成力の進化(深化)があった。

☆ そうすると「アメリカン・ハード・プログレッシヴ・ロック(ところで "アメリカン・プログレ・ハード"って何なん?)」という音楽ジャンルは「複雑で構成力に富み(=ちゃんと聴かせるところは聴かせて)」その凄さ(=新しさ+分かり易さ)で人気を得るポピュラー音楽ということになる。

☆ プログレッシヴ・ロックが「分かり易さ(ポピュラリティ)」に目覚めた時点がAORのスタートの一端であったと思う(もう片方はニューソウル⇒スウィート・ソウル⇒ソフト&メロウ路線からのアプローチ)。口の悪い奴らは「かくして彼等は両方とも仲良くAORに回収されました」と言うかもしれんが,そうじゃないぞ(苦笑)。

PERSONNNEL

David Pack – vocals, guitars
Joe Puerta – bass guitar, harmony vocals, backing vocals
David C. Lewis – fender Rhodes, piano, Prophet
Christopher North – organ
Royce Jones – percussion, harmony vocals, background vocals,
Burleigh Drummond – drums, percussion, harmony vocals, backing vocals
Ernie Watts – saxophone

最高位
全米
Billboard Hot 100 3位
アダルト・コンテンポラリーチャートも3位
Cashbox Top100 2位
Radio & Record No.1



☆ この時代,ビルボードのチャートを提供していたのはミュージックラボ誌で,オリジナル・コンフィデンス誌が提供していたのがラジオ&レコード。キャッシュ・ボックスは日曜深夜24時からレコード針のナガオカが提供するチャート番組をJFN4局(東京・大阪・愛知・福岡)で小林克也のDJで放送していた。

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「Mind Games」 (John Lennon 1973年10月29日(米)11月16日(英))


初出:2012年9月14日
マインド・ゲームス(ヌートピア宣言)マインド・ゲームス(ヌートピア宣言)
(2010/10/06)
ジョン・レノン

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Mind Games (John Lennon)

We're playing those mind games together
Pushing the barriers planting seeds
Playing the mind guerilla
Chanting the Mantra peace on earth

We all been playing those mind games forever
Some kinda druid dudes lifting the veil
Doin' the mind guerilla
Some call it magic the search for the grail

Love is the answer and you know that for sure
Love is a flower you got to let it, you got to let it grow

So keep on playing those mind games together
Faith in the future outta the now
You just can't beat on those mind guerillas
Absolute else where in the stones of your mind

Yeah we're playing those mind games forever
Projecting our images in space and in time

Yes is the answer and you know that for sure
Yes is surrender you got to let it, you got to let it go

So keep on playing those mind games together
Doing the ritual dance in the sun
Millions of mind guerillas
Putting their soul power to the Karmic wheel

Keep on playing those mind games forever
Raising the spirit of peace and love
(I want you to make love, not war, I know you've heard it before)

Personnel
John Lennon: vocals, guitar, slide guitar
David Spinozza: guitar
Ken Ascher: keyboards
Gordon Edwards: bass
Jim Keltner: drums

Confer
Sowing The Seeds Of Love (Tears For Fears 1989年8月29日)




シーズ・オブ・ラヴ+4(紙ジャケット仕様)シーズ・オブ・ラヴ+4(紙ジャケット仕様)
(2010/02/24)
ティアーズ・フォー・フィアーズ

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2019年10月18日追記

☆ 1973年。ヴェトナム反戦運動にウォーターゲート事件がクロスしてアメリカは揺さぶられていたと思う。日本だって連合赤軍事件で決定的に支持を失った新左翼運動は内ゲバの中で明らかに退潮し,保守派は巻き返しというより相手の失策を見ながら自らの基盤をただ強化し続けていた。この構造が後年『永続敗戦論』や『言ってはいけない』の世界を構成していくのだけれど,まずはラブ&ピースは商業的には元気だったと思っている。

☆ 個人史を言えば本当の意味でポピュラーロックを聴き始めた時期だったので,ジョンの曲もメッセージより曲の持つ雰囲気に惹かれたと言えるかもしれない。メッセージがそれなりに分かるようになり,ヴェトナム戦争もリチャード・ニクソンも近過去の歴史分析の対象になった後では,ジョンの言うLoveがヘイトやホステリティと戦う概念であることも理解されるし,ローランド・オーザバルとカート・スミスが80年代末にジョンが「マインド・ゲームス」で歌った "mind guerilla" として,彼が蒔くことのできなかったThe Seeds Of Loveを自分達が代わりに蒔くのだと力強く宣言する背景も分かる。

☆ たしかに腐敗した権力や政治家も「敵」かもしれないが,本当の敵は「憎しみ」や「嫌悪」であると。

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「雨の日と月曜日は(Rainy Days and Mondays)」 (カーペンターズ 1971年4月23日)【7月7日校正2稿】


Rainy Days and Mondays (Paul Williams / Roger Nichols)

Talkin' to myself and feelin' old
Sometimes I'd like to quit, nothin' ever seems to fit
Hangin' around
Nothin' to do but frown
Rainy days and Mondays always get me down

What I've got they used to call the blues
Nothin' is really wrong, feelin' like I don't belong
Walkin' around,
Some kind of lonely clown
Rainy days and Mondays always get me down

Funny, but it seems I always wind up here with you
Nice to know somebody loves me
Funny, but it seems that it's the only thing to do
Run and find the one who loves me
(No one who loves me)

What I feel has come and gone before
No need to talk it out
We know what it's all about
Hangin' around
Nothin' to do but frown
Rainy days and Mondays always get me down

【Short interlude】

Funny, but it seems that it's the only thing to do
Run and find the one who loves me

What I feel has come and gone before
No need to talk it out
We know what it's all about
Hangin' around
Nothin' to do but frown
Rainy days and Mondays always get me down
Hangin' around
Nothin' to do but frown
Rainy days and Mondays always get me down

☆ Wikipedia 英語版のこの曲の解説より
> The song was composed in 1971 by the then fairly unknown composers Roger Nichols and Paul Williams. It was released as the first track on the album Carpenters, popularly known as the Tan Album, and the B-side on the single is "Saturday", written and sung by Richard Carpenter.
> この作品は1971年に当時は全く無名の作詩・作曲家チームだったロジャー・ニコルズとポール・ウイリアムズによって作られた。この曲はTan Albumとして名高いカーペンターズの同名アルバムの1曲目に収録されており,シングルのB面曲「Saturday」は作者でもあるリチャード・カーペンターが自ら歌っている。

☆ プロジェクトとしてのカーペンターズ,またそのキーマンとしてのリチャード・カーペンターの「目利き力」が,このグループを凡百のポピュラーソンググループと隔絶させている。ニコルズ/ウイリアムズ(彼らはどちらも詩と曲が書けるという意味ではレノン=マッカートニーに近いソングライター・チームだと思う)を事実上世の中に送り出した。リチャードの目利き力はこの後レオン・ラッセルやニール・セダカなど様々なソングライターの作品を取り上げていった。

☆ カーペンターズは70年代前半のミドル・オブ・ザ・ロードであり,その正統性がユーミン流に言えばプチブルジョワジー好みの音楽(小市民ポップス=一種のポリティカル・コレクトネスのポピュラー音楽的なアイコン(象徴))としていわれなき(多分にイデオロギーがかった)揶揄と非難を受けてきた。そのことが彼らの音楽の「正当性」を失わせ,現代に至るまで極めてアンダーレイテッドな評価に甘んじていることは度し難いと強く感じている。

☆ 70年代前半にリチャードとカレンが取り上げたのは小市民の「良い子(娘)」のための健全なポップスなどではない。個化・孤独化する都会生活の中でささやかに生きていく人たちに寄り添う音楽だ。その歌詩の主題はミニマリズムを遥か手前で予期しているし,彼ら自身はみずからが受けた「世間的(ステロタイプな)非難や揶揄」を理不尽なものと感じつつ,答えを音楽で示していくと決めた一種の作品至上主義がある。そこには厳しい孤独があり,カレンの死に繋がる非情さもあった。

☆ 時代的誤解と過小評価の問題は60年代だったらビーチ・ボーイズやキンクスも当てはまる。もっともカーペンターズは基本的な立ち位置がショウビズの線上にあるから60年代のバンドの過小評価とはまた別の問題を抱えていると言える。それはロックとソウルを中心とするポピュラー音楽の分化過程に起因している。

☆ ただ彼ら兄妹が見出してレコード盤に刻み込んだ「現在の孤独」は上っ面のポピュラー音楽として消化された後に,パンドラの匣の底に佇んでいる。それは50年近くたった今でも変わらぬ光を鈍く放っている。

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Author:deaconblue
「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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