2017-08

「恋のバン・シャガラン」 (シルヴァー 1976年6月)


シルヴァー・ファーストシルヴァー・ファースト
(2014/06/25)
シルヴァー

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初出:2014年9月19日
☆ ポピュラー音楽にとっての1976年の位置付けは,洋楽の中で80年代に続く大きな流れが幾つか表面化した年だったと言えると思う。ニューヨークに起こったパンクが大西洋を渡りロンドンで(ファッションを巻き込んで)発火しつつあった。ジャズとロックとソウルはあからさまにクロスオーヴァーし始めた。ポスト・ヴェトナムの時代にディスコが炸裂しはじめていた。これらの流れから片方でニューウエイブが起こり,他方にフュージョンとAORとブラコンが起こった。

☆ シルヴァーの「恋のバン・シャガラン」はウエスト・コースト・ロックがAORに変わっていく時代を先駆けた作品のひとつだったと思う。当時は日本でもそれなりにヒットした曲だった。

Wham Bam (Shang-A-Lang) (Rick Giles) 3:32
全米最高16位(1976年10月)


Starry nights, sunny days
星の降る夜も,眩しい日差しの中でも
I always thought that love should be that way
ぼくは自分の恋がこのままであって欲しいと願っていた
Then comes a time that you're ridden with doubt
でも時が過ぎ,きみの中に疑いの心が募っていく
You've loved all you can and now you're all loved out
きみはきみにできるすべてのものを愛していたのに,その愛を今や遠ざけようとしている
Oooh-oooh baby, we've been a long, long way
ああ-ねえ,ベイビー。ぼくたちはずっとこの長い長い道を歩んできたんじゃないか
And who's to say where we'll be tomorrow
それなのに二人の明日は何処にあるのと誰が言うのかい
Well my heart says, no
ああ,ぼくも心ではこんな日が来るとは言いたくないよ
But my mind says, it's so
だけどぼくの気持ちの中にはそうなっても仕方がないのかなとも思えるのさ
That we've got a love
ぼくたちはまだ愛し合っているけれども
Is it a love to stay
この愛の中に本当に留まっていてもいいのだろうか

[Chorus]
We've got a wham, bam shang-a-lang
ぼくたちはほんの行きずりの
And a sha-la-la-la-la-la thing
ようなものになってしまったのかい
Wham bam shang-a-lang
ほんの通りすがりの
And a sha-la-la-la-la-la thing
ような仲になってしまったのかい

Looking at you I wanted to say
君の瞳を見つめながら,ぼくは言いたい
I think a little emotion goes a long, long way
ほんのささいな感情の行き違いが,こんなに長い間にこじれてしまったのか
Careful now don't get caught in your dreams
どうしようもないことに陥らないよう,今は心を配るしかないのか
Look out baby this is not what it seems
良く考えてみてベイビー,本当はそんな事じゃないんだ
Oooh-oooh baby, you've been so good to me
ああ-ねえ,ベイビー。きみはずっとぼくによくしてくれたじゃないか
But please don't make it what it's not
だけど,どうかそうじゃないって決めつけないでくれないか
Well, I thought we agreed on what we need
ああ,ぼく達はお互いを必要としているって思っているはずだろ
So listen to me and I'll tell you what we've got
だからぼくの言うことを聞いて,ぼく達がいままでに築き上げてきたものを話すから

We've got a wham, bam shang-a-lang
だけどぼくたちは,ほんの行きずりの
And a sha-la-la-la-la-la thing
ようなものになってしまったのかい
Wham bam shang-a-lang
ほんの通りすがりの
And a sha-la-la-la-la-la thing
ような仲になってしまったのかい

I think you're seeing what I'm saying
たぶんきみはぼくが話している姿を眺めるのだろう
'Cause I hear you singing to the tune I'm playing
ぼくがこの曲を演奏するときに君がそれを口ずさんでいたから
Now that it's said and we both understand
でも今ではその歌詩はお互いが理解し話されたものとしてあるはずだ
Let's say our goodbyes before it gets out of hand
この事態が手に負えなくなる前にさよならを言うことになるのだろう
Bye, bye baby, I'd really like to stay
さよなら,ぼくのベイビー,本当はまだきみと一緒にいたかった
But we'll remember the best time in our lives
だけどぼく達はお互いの人生の中の最高の時を分かち合ったことはずっと覚えていくだろうね

We've got a wham, bam shang-a-lang
そしてぼくたちは,ほんの行きずりの
And a sha-la-la-la-la-la thing
ようなものになってしまうのかい
Wham bam shang-a-lang
ほんの通りすがりの
And a sha-la-la-la-la-la thing
ような仲になってしまうのかい

2017年8月23日付記
☆ この曲はワン・ヒット・ワンダーに近いが,確かにワンダフルな名曲で(全米最高位16位,全加最高位27位)日本でも結構オンエアされていた。76年の夏秋シーズンはこうしたヒット曲がかなり多かったと思う。この曲は年間チャートでも70位に入っているから,最高位に比べてヒットのスケールは大きかったとも言える。原題は「Wham Bam(もしくはWham Bam Shang-A-Lang)」で,意味は訳詩の通り(気になる人はアルクの「英辞郎」で「Wham Bam」を検索されたし=爆=)これでは邦題のつけようもなく,苦し紛れに "bam shang-a-lang"を人の名前に譬えて「恋のバン・シャガラン」という解ったような解らないようなタイトルに仕上がった。これはこれで傑作邦題だと思う。原意に近い邦題だったら「行きずりの恋(だったの?)」になっちゃうのでサマにならんな(爆)。

☆ そういう訳でこの曲に関する資料がとても少ない(だったらCDを買わんかい!>_<;)。ただ元々「緩め」の曲をストリングスでキュッと締めた編曲のセンスは特筆すべきだろう。このインパクトがマイナーコード大好きな本邦のリスナーにアピールした感じはある(歌詩が分かっていればもう少し受けたのではないかとも思う)。


PS.☆ この曲をフィーチャーした映画『Guardians of the Galaxy Vol. 2』が今年上映されるらしいという最新情報を英語版Wikipediaで見た。興味のある方はどうぞ。


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「So Long Mrs.」 (村田和人 1983年6月25日=アルバムリリース)


ひとかけらの夏ひとかけらの夏
2,808円
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☆ それは蒸し暑い夏の夜だった。ぼくは高校の友人の知り合いの彼女(同じ高校を出ていたが面識はなかった)と待ち合わせの約束をしていた。ぼくたちは一度だけデートの真似事をしていた。渋谷で会って当時宇田川町にあったタワレコに寄って,あまりに天気が良かったので神南のNHKを横目に代々木公園まで「ぼんやり」しに行った。帰り道にセンター街の喫茶店でお茶しながら,次の約束をした。その約束の日がその夜だった。

☆ 今さらどこで待ち合わせしたのか忘れてしまった。彼女が勤めていた会社は二重橋の近くで,家は武蔵境の駅から歩いたほうが近い三鷹にあった。ぼくは待ち合わせ場所にほぼ時間通りに着いたが彼女の姿はなかった。1980年代の初めにはソーシャル・ネットワーキング・サービスどころか携帯電話もポケットベルも実用品ではなかった。ぼくはその場所に30分ほど佇んでいた。当時の有名な政治家が「人待ちをするのに30分は待つべきだ」と書いていたのを読んでいたからだ。しかし予想した通り30分は蒸し暑く流れ去り,ぼくは彼女の実家に電話をかけた。彼女の弟とおぼしき男性にどこどこで30分待ったが来なかったので帰りますと伝えてほしい旨告げて,汗と失意に塗れながら帰った(自爆)。

☆ それから数年後,ぼくは関西にいたが,なぜか彼女からエアメイルが来た。誰かお節介なヤツがぼくの転居先を教えたようだった。ぼくは不思議な気持ちでその葉書を読んだが,そこにどんなことが書いてあったかはすっかり忘れてしまった。たぶん差出地であるニューヨークの街のことと一緒に日本に戻ったら結婚する旨が書いてあったような気がする。

☆ どうしてだろう?とぼくは思った。彼女はあの日,残業仕事か会社の友達か将来の結婚相手との時間をぼくに優先した。もしかしたら最初から「けっちん」喰らわすつもりだったのかもしれない(ぼくはそういう状況に慣れていたから,そのことは特に恨めしく感じてはいなかった)。なのにどうして今頃とぼくは思った。この話はこれでお終いで,その後彼女がどういう人生を歩んだのかぼくは知らない。

「So Long Mrs.」 (作詩:安藤芳彦 / 作曲・編曲・歌:村田和人)
KBS (京都放送) 交通安全キャンペーン「第12回京都かたつむり大作戦」(1987年)のライブから


↓ こちらもお奨めします
https://www.youtube.com/watch?v=Knl0kW3Xcj0


☆ でもこのライヴ,師匠(山下達郎)の引用「ビッグ・ウエイブのテーマ(別名「魔法を教えて」)で締めるとはシブいねぇ(゚∀゚)。しかし1987年のKBSってバブル紳士の巣窟だったのでは...それはともかく,こういうシチュエイションの歌では大滝さんの「木の葉のスケッチ」(『EACH TINE』収録。ただし大滝さんの歌の主人公は元ヨメと出逢った)なんかもあるけど,たいてい商店街で出会うことになる彼女は左の薬指にリングをしているんだな。そうでないと歌詩にならないのかもしれないけど,切ないものですなあ。。。

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「夕立」 (井上陽水 1974年9月1日)


二色の独楽二色の独楽
2,160円
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☆ 昔まだアフロヘアーだったころの陽水にどこかのインタビュアーが「どうしてそんな髪形をしているのか」と訊いたので,彼は顔色一つ変えず「あることのしすぎだからです」と答えたそうだ。これはもちろん悪い冗談で,今だったら「なんたらハラスメント」の類である(笑)。陽水がアフロヘアーだったのは75年頃まで(フォーライフレコード設立時)だったような気がする。

☆ 「夕立」は「氷の世界」を裏返した作品だと思う。この頃は歌謡曲とフォークしかなかったので,この曲の括りは「フォーク」だったが,「氷の世界」同様にこれはソウルっぽいロックというしかない。ちなみに中村とうようの雑誌名を業界が乗っ取った「ニュー・ミュージック」という言葉は既に存在していたので,これからは「ニューファミリー」が「ニューミュージック」を聞く「ニューライフ」だとシャープの人(当時)は思ったかもしれない(笑)。ちなみに中村とうようがシャープが70年代後半にコーポレート・サインとして使っていたコピー「New Life Now」を死ぬほど毛嫌いしていたのは有名な話である。

「夕立」 (作詩・作曲:井上陽水、編曲:星勝)
(NHKホールライブ 1982/3/7)



☆ 井上陽水は矢沢永吉などと同じビートルズ・チルドレンだと思うが,忌野清志郎と親しかったせいか,この時期はかなりソウルフルである。後日RCを聴きだした頃,陽水が一種のゲートウエイの役割を果たしたかなと思う。

☆ 気になったことがあったので,例の役立たず(うたまっぷ)でこの曲の検索をした。しかしやはり役立たずにはこの曲が収録されていなかった。オワコンやなあ,うたまっぷ○| ̄|_。

☆ それで「歌詞タイム」で調べるとこうあった。
Wah・・・夕立だ

☆ このWahという部分も当時よく訊ねられていた。「あそこはなんと歌っているんですか?」。イノウエさんは「適当に歌っています」と答えたかったのだろうが前者のような「問題」にしたくなかったのか「さあ自分でもわかりません」とか答えて煙に巻いていた(笑)。個人的にはWaopと聞こえる。


☆ 最初に書いた「インタビュー」の話。質問者はアフロヘアーという髪型を知らず,「どうして髪の毛がそんなにチリチリなんですか?」と尋ねたのだったと思う。
☆ 今だったらYouTubeで70年代の「Soul Train」の動画が山ほどあるので,アフロヘアーが「ソウル革命」の一つの象徴であることは容易に分かると思う。陽水の髪型=ソウルとくれば出所は清志郎かなとおもうけれど,寡聞にして清志郎のアフロヘアーは見たことがない(たぶんしたこともないと思う)。ちなみに個人的に一番インパクトのあったアフロヘアーはロサンゼルスのレコーディングから帰ってきた時(だったと思う)の山口百恵で,周囲がすぐに元の髪型に戻させた(のではないだろうか=爆)。

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「8月17日」 (EPO 1987年4月21日=アルバムリリース)


GO GO EPOGO GO EPO
2,935円
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「8月17日」 (作詩・作曲:EPO)


☆ MIDIがエポの再発をなかなか進めないのでイライラしています(苦笑)。MIDI(Dear Heart)時代は言わば彼女の「商業作品至上主義」時代であり,ミュージシャン・エゴとの相克の時期だったことは,彼女自身が語っているところでもある。でもぼくは先ほどの「」の中から "商業" の2文字を消し去りたいと思う。それほど1985~90年の彼女の作品クオリティは凄かった(それ以降が劣るという意味ではまったくないが)。渋谷陽一もたまに彼女を捕まえて(=番組に呼んで)は「何故だか売れる○○○○,何故か売れないEPO」なんて冷やかしていた(それに対して彼女も「来たな,渋谷陽一」なんて返していて,まあノンビリした時代のようにも見えたのだけれど=笑=)。

☆ ストーンズの真似をしたわけではないだろう「Goning To A Go Go」から賑やかに始まる1987年作品『Go Go Epo』の静かなクロージング曲である「8月17日」は,85年(8月5日リリース)の「音楽のような風」の衣鉢を継ぎつつ,その後の彼女の音楽的方向性(『Supernatural』以降)を先取りしたものがあった。ここには静かに息づく情念がある。それは紅蓮の炎でもなくむしろ蒼い炎と呼んだ方がいいかもしれない。決して醒めているのではなく,ほのかな諦念を孕みつつ,記憶の彼方へと流れつつある「かつての恋人」の姿が映っている。

☆ この情景はなんだろう。黄昏,夏の日差しは強い余熱を残しながら去りつつある。それは主人公の終わった恋の余熱に似ている。友達にも戻れないままふたりは別れていく。失ったもの,失いつつあるもの,失ってしまってもう取り戻せないもの,そんなさまざまな感情が日差しの余韻と共に熱を保ちつつ,少しずつ消えていく情景だ。その切なさがアルバム全体の幕を下ろすに相応しい余韻だと言えるのだろう。



☆ きょうの小ネタ。メールボックスにアナゾンAnazon)」というところから「発送の連絡」が来ていた(爆)。

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「Purple Rain」 (Prince 1984年9月26日)




初出:2012年11月2日

Purple Rain (Prince)
I never meant 2 cause u any sorrow
I never meant 2 cause u any pain
I only wanted 2 one time see u laughing
I only wanted 2 see u laughing in the purple rain

Purple rain purple rain
Purple rain purple rain
Purple rain purple rain

I only wanted 2 see u bathing in the purple rain

I never wanted 2 be your weekend lover
I only wanted 2 be some kind of friend
Baby I could never steal u from another
It's such a shame our friendship had 2 end

Purple rain purple rain
Purple rain purple rain
Purple rain purple rain

I only wanted 2 see u underneath the purple rain

Honey I know, I know, I know times are changing
It's time we all reach out 4 something new
That means u 2
U say u want a leader
But u cant seem 2 make up your mind
I think u better close it
And let me guide u 2 the purple rain

Purple rain purple rain
Purple rain purple rain

If you know what Im singing about up here
Cmon raise your hand

Purple rain purple rain

I only want 2 see u, only want 2 see u
In the purple rain

Words : 2 = to,4 = for,u = you

Notes:(From English Wikipedia)
> After recording the song, Prince phoned Jonathan Cain from Journey asking him to hear it, worried it might be too similar to "Faithfully", a Journey single composed by Cain which had recently been in the charts. Cain reassured Prince telling him the songs only shared the same four chords.
☆ この曲のレコーディング後,プリンスはジャーニーのジョナサン・ケインのところへ電話をかけ,この曲を聴かせたうえで,ケイン作のジャーニーのヒット曲「フェイスフリー」に似てないだろうかと尋ねた。それに対してケインは「似てるとしてもそれは同じ4つのコードを使っているからだよ」と言い,彼を安心させたという。

2017年8月19日付記
☆ 7月8日付のJapan Mail Mediaで作家の冷泉彰彦氏がプリンスの死に関して非常に興味深い指摘をしている。
引用元 JMM [Japan Mail Media] No.957 Saturday Edition(2017年7月8日)
■ 『from 911/USAレポート』第745回
「アメリカを蝕む鎮痛剤中毒の闇」冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住)

> トランプ大統領は就任以来、多くの大統領令を発令しており、その多くはイスラム教信者の多い国からの入国禁止など極端な政策であったり、オバマ時代の政策を「引っくり返す」ためのものでした。ですが、3月29日に発令された「オピオイド濫用と戦う特別委員会設置令」は違います。
(中略)
> このオピオイドというのは鎮痛剤です。原材料はケシの実から抽出される成分ですから、モルヒネやアヘンの仲間ですが、米国では鎮痛剤として広く使われています。勿論、強い薬ですから医師の処方が必要です。では、どうして濫用が社会問題になっているのかというと、何よりもオーバードース(過剰摂取)による死亡事故が激増しているからです。
(中略)
> 一体どうしてこんな深刻な事態になってしまったのでしょうか?
> 1つには、余りにも安易に処方がされ続けたという問題があります。オピオイドは1990年代に鎮痛効果のある処方箋薬として利用が拡大し、21世紀に入ると製薬ロビーの活動などもあって、使用量がどんどん増えていったのです。本来は、末期ガンの緩和ケアなど、激しい痛みへの対処に使う薬ですが、例えば手術後の疼痛管理、出産後、骨折などといった中レベルの痛みの管理から、更には腰痛や慢性疼痛などの管理にまで処方箋が乱発されていきました。
(中略)
> 2つ目の問題は、行政がかなり甘かったということがあります。後述するフェンタニルの浸透という2016年以降、そしてその実態が明らかになってきた現在は「臨戦態勢」という雰囲気が出てきましたが、それ以前のオピオイド中毒だけの時点では「厳罰主義」が取れていなかったのです。
(中略)
> 3つ目ですが、昨年から急速に増えているフェンタニル、あるいは更に強力なカーフェンタニルという合成薬剤の問題があります。これはオピオイドの100倍あるいは1000倍という効果があり、それこそ皮膚を通じて吸収されただけでも効果があることから、末期ガン患者の緩和ケアなどに「しか」使えない強い薬です。ですから、これは、処方箋の乱発で出回っているのではありません。
> 今現在言われているのは、中国の化学メーカーが大量生産している薬剤が、主として2つのルート、1つはメキシコ経由、1つはカナダ経由で北米に入ってきているという説です。メキシコ経由のものは「大口」であって、一度に大量の薬剤が送られるとか、同時に錠剤製造マシンをセット販売するケースもあるというような報道があります。またカナダの場合はチェックが厳しいので乾燥剤のパックに詰めて偽装した小口のものが入ってきているそうです。
> どうして中国から入ってくるのかというと、中国では経済成長に従って近代的な医療が爆発的に普及した一方で、モルヒネとかオピオイドなどの「麻薬に類する」鎮痛剤に関しては厳しい規制があったわけです。そこで例えば手術後の痛みの緩和や、末期ガンなどの場合に投与する鎮痛剤としては「麻薬由来」のものではなく「純粋に人工的なもの」であれば認可されていたという米国とのカルチャーの違いがあったと考えられます。
> そこで当局の監視を逃れた一部のメーカーが、国際物流システムに乗せて北米への密売をやっていたようで、この件に関してはオバマ政権が中国に対して厳しい取り締まりを申し入れるとともに、カーフェンタニルの流通禁止措置を要求し、中国も事態を重く見て協調しているわけですが、既に相当量が流入しているのです。
> 具体的には、地下市場においてヘロインに混ぜて流通させるということですが、NBCの報道によれば現在この「フェンタニル混入のヘロイン」の「震源地」というのは、オハイオ州のモンゴメリー郡(郡庁所在地はデイトン)だそうで、人口50万の郡で、今年2017年の1月から5月で800人死亡(推定値、前年比では倍増)という悲惨な状況になっています。
> モンゴメリー郡の保安官事務所は、毎日運び込まれる死体を検死する一方で、徹底的な取り締まり体制を敷いているのですが、州間高速道路70号線75号線の交差する場所という、交通の「便利さ」が災いしてどんどん薬剤が流入する状況だそうです。
> 昨年2016年の4月に亡くなった歌手のプリンスの場合も、演奏家につきものの関節痛に対して鎮痛剤を処方される中で中毒症状に陥り、最終的にはフェンタニル混入の薬剤を服用して死亡しています。プリンスの場合は、フェンタニル混入の危険な薬剤であるにも関わらず錠剤の形状はオピオイド系の中程度の強度のものに似せていた「偽薬」であったようですが、服用に至った経緯はまだ良く分かっていません。
> いずれにしても、処方箋の乱発、行政の対応の甘さ、そして強力なフェンタニルの地下市場における爆発的な浸透という3つの要素が重なることで、年間7万から8万の死者という異常な事態になっているのです。ちなみに、死因は過剰摂取ですが、具体的には基本的に呼吸中枢をやられての呼吸不全による死亡です。

(後略)

☆ この記事は抑えた筆致でプリンスが薬禍の犠牲者である印象を与えている。そのことはせめてもの救いではあるが,いろいろなことを考えさせられた。彼の『パープル・レイン』の30周年盤が3年遅れ(かつミュージシャン自身の死後)発表されたことをせめてもの慰めに,改めて彼とその音楽的業績を追悼したいと思う。

R.I.P. Prince Rogers Nelson(June 7, 1958 – April 21, 2016)
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http://deaconblue.blog38.fc2.com/blog-entry-1517.html



☆ 『パープル・レイン』の30周年盤を聴いて思うのは「音がクリアになった」こと。例えば「When Doves Cry」などアナログ時代に聴いていたあの熱っぽい湿気の高さがすっかり取り払われて,非常にスッキリしている。それは「薄味」になったということではなく,この湿度高く妙にユルいファンクが,革新さを増して迫ってくる感覚があった。『パープル・レイン』は無意識のターゲットである『スリラー』に対置した曲があって,「When Doves Cry」は「ビリー・ジーン」,「Let's Go Crazy」は「(今夜は)ビート・イット」,タイトル曲はタイトル曲と言えると思う。当然ミネアポリス勢は若さをトレードマークに革新を叫ぶ訳だが(苦笑),その意図が今回のリマスターでより明確に輪郭を掴めることは素晴らしいと思う。唯一素晴らしくないことは,そこに殿下の姿がないことである。殿下にはあっちでもマイケルと張り合ってもらいたい,「俺の方が凄いんだぜ」と。

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朱夏(その2) 「嵐の季節」 (甲斐バンド 1978年10月5日=アルバムリリース)




「嵐の季節」 (作詩・作曲:甲斐よしひろ)



☆ ライブで叩き上げてきたミュージシャンは絶対的に強い。70年代の日本ではそんなミュージシャン達がごろごろしていた。しかもマネージメントが近いところに集まっていて,それはこの国のショウビズを歌謡曲からニュー・ミュージックを経てJ-POPに移動させる原動力となった。そのラインにいたミュージシャンは井上陽水であり忌野清志郎であり浜田省吾であり山下達郎であり,そして甲斐よしひろだった。このラインの背景にひとつの事務所が浮かんでくるが,今さらショウビズの話はしない。なぜなら名前を挙げたミュージシャン達は全て浮き沈みはあったがライブで徹底的に鍛えられ(生きている者は皆)現役のミュージシャンであるからだ。

☆ フォークブームの掉尾を飾るように上京しヒット曲にも恵まれたものの,一時的なブームの後で長いロードで鍛え上げざるをえない時代を越え,ようやく手応えを感じ始めた時,本当のスポットライトが注ぎ込む。それはフォークがニュー・ミュージックとパッケージを変えることで音楽のあり方を変えることを求められる代わりにシーンへの切符を次々に渡されるという状況だった。もともとの「フォーク・ブーム」とは関係無いところから音楽を目指した者達は,語るべき言葉と音を用意しシーンの中に堂々と乗り込んでいく。それは短かった春の次にやって来る「夏の時代」だった。

☆ 誰とは書かないが,この時代にデビューしたある作家のことを思い出す。上目で睨みつける顔を肖像写真に使っていたのは彼が描く小説の世界と濃密な関係があったのだろうが,その地べたからの視線(目線?そんな「へたれたコトバ」は当時存在しなかった)は世の中を捉まえようとする作家の強烈な意思を感じさせた。そういう人は当然今も現役で怒涛の如く書き続けているし,近影をみても本質は変わらない視線に相変わらず射竦(すく)められることになる。

☆ この世界に似ているのだ。このアルバムに流れる甲斐よしひろの視線あるいは視点が。それは明らかに自分の目の前に来た夏を捉まえんとする視点である。この意思があってCMのタイアップは成功を約束されたのであろう。しかし大事なのは露出の機会ではなく,捉まえる意思の強さなのである。

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朱夏 (「サンシャイン ロマンス」 (オリジナル・ラブ 1993年5月7日)から)


EYESEYES
2,366円
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Wikipedia の解説
> 青春とは、元は春を表す言葉である。古代中国の五行思想では、「春」には「青(緑)」が当てられる。同様に、「夏」を「朱(赤)」、「秋」を「白」、「冬」を「玄(黒)」に当て、それぞれ「青春(せいしゅん)」、「朱夏(しゅか)」、「白秋(はくしゅう)」、「玄冬(げんとう)」という。これらは季節を表す言葉であり、これが転じて、日本では特に「青春」について人生における若く未熟で、しかしながら元気で力に溢れた時代を指すようになった。ちなみに、「青春」以外が人間の年代を表す言葉として用いられることは、一般的な用法ではない。

☆ 木原龍太郎の詩の視点からこの曲を読み解くと,前年の作品「THE VENUS」(1992年4月8日)の延長線も窺えるが,実際は違うのではないかと思う。「THE VENUS」の描く "夏の終わり" は,彼にとっての「(青)春の終わり」だったのではないか。そしてこの曲の夏は文字通り「朱夏のはじまり」としての夏だったのではないかと思われるのだ。

「サンシャイン ロマンス」 (作詩:木原龍太郎 / 作曲:田島貴男)
(Original 1993.05.07 Release /
※ “New Version” 1993.12.08 Release)


☆ それは「THE VENUS」のヒロインが水平線にその姿を消した=ひとつの季節の黄昏=後に,新たに生まれていく季節(とうぜん別のヒロインが主人公の横にいる)を象徴するものとして彼女の姿があり,さらにまた「いつかは暮れる世界と憂う人々にさよならを告げ」ることで,新しい季節を受け入れていく主人公の姿が見えるからでもある。そういう意味で二つの作品の間には「人生の季節」の移り変わりが潜んでいるのだ。だからここに歌われる「夏」は単なる季節としての「夏」ではなく,人生の夏の日,つまり「朱夏」なのである。

☆ 田島貴男の曲は「楽曲至上主義」の代表的作品ではあるが,60年代の歌謡曲(例えば原信夫が作曲して美空ひばりが歌った「真赤な太陽」(1967年5月25日)を典型とする)からの継承がハッキリ窺える。それは日本のポピュラー音楽が豊穣なものであることの証明に他ならないと思うのだ。

PERSONEL
オリジナル・ラヴ ORIGINAL LOVE
田島貴男 : ヴォーカル、コーラス、ギター
宮田繁男 : ドラムス
木原龍太郎 : キーボード
森宣之 : サックス
村山孝志 : ギター

プロデューサー : 田島貴男
アレンジメント : オリジナル・ラヴ
<ゲスト・ミュージシャン>
ベース : 沖山優司
パーカッション : 三沢またろう
トランペット : 荒木敏男
トロンボーン : 村田陽一
テナー・サックス : 平原まこと
コンピューター・プログラミング : 岸利至

レコーディング・エンジニア : 森岡徹也 (SME) 太田安彦 (SME)
ミキシング・エンジニア : 太田安彦 (SME)
マスタリング・エンジニア : 中里正男 (ONKIO HAUS)

沖山優司 appears by thecourtesy of PONY CANYON, VIBRASTONE


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日本経済新聞 2017年(平成29年)8月10日号(朝刊 第47221号)


カバーズカバーズ
2,057円
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☆ 日本経済新聞の1面コラム「春秋」に忌野清志郎の名前が載っている。1988年6月22日の『COVERS』発売中止広告の話だ。コラムニストは東芝の有価証券報告書(PwCあらた監査法人が同日=2017年8月10日に提出予定。実際に「有報」は提出されたが,コラムが予見した通り「限定つき適正」意見に「救われた」ようである。それは半ばどうでもいいのだが,反原発をテーマに「ラブ・ミー・テンダー」を歌っているかの記載になっているが,これは正しくない。

☆ 「サマータイム・ブルース」は明らかに反原子力発電所がテーマで,人気(ひとけ)が無い海岸で泳いでいて,どうして誰も泳がないのかとあたりを見回したら原子力発電所が立っていたからだという歌詩は,確かにアルバム発売前年のソ連・チェルノブイリ原子力発電所事故や10年ほど前の米・スリーマイル島原子力発電所事故をモチーフにしている。

☆ これに対し「ラブ・ミー・テンダー」は反核ソングであり,原子力発電所は(表面上)関わっていない。東芝EMIがこのレコードの発売を中止した背景は,昨今の同社の窮状に繋がる「原子力ムラ」からの圧力があったことは容易に想像できる(コラムニストの指摘通り)。しかし反核には二つの意味が隠されていると思われる。ひとつは米ソの(といいつつ「主役」は米国の)核兵器にある。もうひとつは,原子力の平和利用という大義名分でプルトニウムをせっせと貯めこんでいく作戦を取った当時の自民党政権(この時は竹下登に代わっていたが,実際に推し進めたのは中曽根康弘であり,その知恵袋になった面子が讀賣新聞社の歴代の首脳陣である)に対しても吐かれた「毒舌」であったからだ。

☆ コラムが皮肉に触れているように,東日本大震災は福島原子力発電所事故を引き起こしたが,幸か不幸か忌野清志郎が癌で亡くなったのはその2年ほど前のことだった。そして「ラブ・ミー・テンダー」の矛先は(彼が後年タイマーズの曲として痛罵した)北朝鮮に移り,東芝はERの中にいる。

☆ こんなコラムが載るほど世の中は大きく変わってしまったのかと立ちすくんでいるのだ。

Three Mile Smile (エアロスミス 1979年11月1日=アルバムリリース)
(Steven Tyler/ Joe Perry)



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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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