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2019-12

「Kiss of Life」 (SADE 1993年4月26日)


初出:2011年12月6日(2019年12月12日内容修正・追加)

SADE Kiiss of Life Cover

☆ シャーデーは寡作なバンドである。最初の三作こそ1984年(『ダイヤモンド・ライフ』)85年(『プロミス』)88年(『ストロンガー・ザン・プライド』)と続いたが,92年に『Love Deluxe』を出した後は,2000年『Lovers Rock』2010年『Soldior of Love』というペースだ。ライブも少なく,今年(注:2011年)10年ぶりのツアーを行っていて,今月(注:12月)の豪州,そして最後にドバイで終了ということで東アジアの予定はなかったのが残念だ。

Kiss of Life (1993年4月26日)
(Sade Adu /Stuart Matthewman / Andrew Hale / Paul Spencer Denman)


☆ この曲は『Love Deluxe』からの3枚目のシングルとして1993年4月にリリースされた。今回のツアーセット・リストにも入っている秀逸な小品である。このアルバムの後比較的長い休止時期があったのは彼女の個人的な事情(子育てなど)があったようだが,その辺の事情は最新のコンピレーション盤である『The Ultimate Collection』のライナーノーツに詳しい。興味がある方は是非一読を。

最高位
Billboard Hot100:78位,Hot R&B/Hip-Hop Songs:10位,Adult Contemporary:20位、全英:44位

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(2011/06/22)
シャーデー

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☆ こうやって聴いていると彼女の作品の中で最もクワイエット・ストーム色が強い作品だと思う。シャーデーはロンドンのクラブシーンから彗星のように登場したのでどうしても「お洒落系」と思われてしまうが,彼女(アドゥ)自身は明らかにそういう系ではなく,もっとナチュラルというかロハス的な人のように感じられる。シーンとの距離の取り方も意識的だし,70年代の後半にジョン(レノン)がやったことをもっとナチュラルな形でやり遂げてしまったような印象がある。ぼくにとってはそれは悪くないことだと感じられる。

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(2002/06/19)
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☆ 90年代に「クラブ」じゃなくて「大人ディスコ」があったら,こんな感じで踊る人がたくさんいたんだろうなと思う(^_^)。

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「Honey Coral Rock」 (Stuff 1979年)


ライヴ・スタッフ/スタッフ
¥1,080 Amazon.co.jp


初出:2015年4月13日

☆ All Musicなどを筆頭とする欧米音楽メディアが軽視しているが,日本では全く異なる高評価されたバンドのひとつがスタッフだと思う。スタッフの評価はあちらでは「優雅な課外活動」くらいなものだろう。腕っこきの売れっ子ミュージシャンが自分たちのやりたい音楽をやっているという図式が「優雅な課外活動」なんてステロタイプな評価につながるのは仕方がない。でもスタッフの最大の功績は,さまざまな音楽が重なり合い(クロスオーバー),混じりあった(フュージョン)時代に,音楽でいちばん大切なものは技巧ではなくグルーヴだということを身をもって示したことにあるのではないかと思う。

☆ 確かにスタッフは1980年あたりの東海岸のシーンの一断面ではある(3年くらい前の東京におけるキャラメル・ママ/ティン・パン・アレーのように)。しかし例えばポール・サイモンの『時の流れに』に聴かれるように,ミュージシャンの個性を引き立てながら独自の色合いは決して失わない,このバランスこそが腕っこきの腕っこきたるゆえんであり,ミュージシャンのバックという制約から解き放された時,スタッフのグルーヴは大きなうねりとなってシーンに足跡を残したのである。

Live:新宿厚生年金会館大ホール 1977年11月19日



2019年12月09日追記
☆ 「Honey Coral Rock」 はエリック・ゲイル(September 20, 1938 – May 25, 1994)の作品で彼のソロ作品にも同名の曲があるが,同名異曲という気がする。

『More Stuff』に収録のヴァージョン(5:09)



ゲイルのソロ作品『Negril』に収録の曲(4:02)




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あの話はどこにいった? (じいさん学 第5講)


☆ ローマ教皇フランシスコが来日した日の夜(2019年11月23日),NHKニュースを見ていたら,それまで「ローマ法王」という呼称を使っていたのを,今回から「ローマ教皇」に改める(政府の呼称変更に右に倣えしたとか云々)と話していた。確かにぼくがこどもの頃はパウロ六世が「法王」だったかと思うが,ずっと「ローマ法王」と呼んでいた。でもこれはおかしいのである。




☆ ローマ教皇は塩野七生の書名にあるように『神の代理人』であるから「法」は関係ない。だいたいここで「法」といえば,ユダヤ教の「律法」だったりイスラム教のそれだったりする。おそらく「法王(法皇でもない)」という呼称は仏教系の呼称に倣ったのだろう。だがしかし,正しい表現をすることは必要なことだ。とはいえ,ぼくたちが中学・高校で世界史を学んだ時にはいろいろな「変化」があった。

☆ 例えばユリウス・カエサル。この "塩野七生女史の永遠の憧れ人" は,ぼくがこどもの頃は英語読み(であることも当時は知らなかった)のジュリアス・シーザーだった。シーザーはシェイクスピアの戯曲ではシーザーだが,ローマ人であるがゆえ「ユリウス・カエサル」であるという理屈を当時聞いたことはなく(笑)シーザーの胸像の写真の下に「カエサル」と書いてあるのを見て最初は「?!」と思ったものだ。

☆ こういう話はたくさんある。今ではイスラム教と言っている宗教も,ぼくがこどもの頃(今日は基本的にこんな話が続く^^;)には「回教」と言われていた。回教とは何か?ウイグル(回紇や回鶻といった表記がある)族の宗教という意味だろう。世界史の教科書には唐代にシルクロード経由で様々な宗教が伝播していることが書かれており,祆教(ゾロアスター教),景教(ネストリウス派キリスト教),明教(マニ教)があった。イスラム教は当初「清真教」と呼ばれたが,ウイグルの人々が多く改宗したことから「回教」になったとWikipediaには書いてある。

☆ そういう意味で名称というものは正しいものに直した方が何かと都合が良いのだが,なかなかそうは問屋が卸さない。ある時,とある文学者がローズヴェルト(米国大統領。伯父の方はクマのぬいぐるみでお馴染みテディことセオドア・ローズヴェルト,甥はF.D.Rことフランクリン・デラノ・ローズヴェルト)が未だに「ルーズヴェルト」と表記されているのはおかしいと新聞のコラムに書いていたが,本人が別の箇所を書き間違えていたため,ぼくをはじめとする数人の問合せを受けて次号で訂正されていた。

☆ 人やモノの名前の呼び方は実際にその発音を聞かないと何とも言えない。数字はディジットなのに「デジタル」が定着し,マイルズ・デイヴィスは何時までたっても「マイルす」だと村上春樹氏は異議を唱え続けているし,オーストリアの首都はいつまでたってもヴィーンでもヴィエナ(英語読み)でもない「ういーん」だし。とキリがない。

You Know My Name (Look Up The Number) (Lennon / McCartney)




☆ この曲で終わらせる以上「最終回」ではないという覚悟の顕れであります(自爆)。

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【再掲】 全曲解説 「松原みき ベストコレクション」


初稿:2008年8月30日(閉鎖サイトのリンク消去済)

松原みきベスト・コレクション松原みきベスト・コレクション
(2008/07/16)
松原みき

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1. あいつのブラウンシューズ
2. It's So Creamy
3. Jazzy Night
4. 真夜中のドア/Stay With Me
5. SEE-SAW LOVE(シーソー・ラブ)
6. 愛はエネルギー
7. 三人で踊らない
8. Howa Howa Shuwa Shuwa -宇宙ネコの舌ざわり-
9. 夕焼けの時間です
10. WASH(ウオッシュ)
11. -CUPID-
12. Bay City Romance
13. 恋にお招ばれ
14. Caribbean Night
15. Love for Sale
16. ニートな午後3時
17. ハロー・トゥデイ(Hello Today)

☆ 松原 みき(まつばら みき、1959年11月28日 - 2004年10月7日)は歌手、作詞家、作曲家。 これはウィキペディアの書き出し。彼女が故人となって久しいが,初期の二枚を除いてオリジナルアルバムは再CD化されておらず,同時代の多くのミュージシャンやアイドルシンガー達が次々に「復活」しているのとは対照的にずっと忘れられた存在だった。同世代人でもあるあたしは,偶然彼女がデビューした頃から知っていたのでその事を長く残念に思っていた。まして彼女が所属していたシー・ソーというレーベルのディストリビュータでもあったポニー・キャニオンは「ぼくらのBEST」シリーズでこうした再評価の先頭に立ってきた会社だったから,その思いは特に強かった。今回,曲がりなりにも全期間から選曲されたBEST盤が登場したので,1曲ずつ思うところを書いてみようと思う。ベストが出ても本人がプロモートに登場することは永遠にない。だからこそ,この場所で思いのたけを少し語っても,天国の彼女が微笑んでくれるならそれで良いと思っている(いまさら迷惑だとは思って欲しくない^^;)。

=以下はウィキと最後に載せるサイトの記述を参考にしながら自分の記憶を加えて書いた=

1. あいつのブラウンシューズ
☆ セカンドアルバムに先行して発表された4枚目のシングル。杉真理の手による,ちょっとカントリー風味のあるポップな作品。amazonのレビュアー氏も指摘しているが,シングルヴァージョンだろうと思われる(アルバムは別ヴァージョン)。

2. It's So Creamy
☆ デビューアルバム『Pocket Park』(ちなみにこれは彼女が当時所属していた事務所の名前である)からの選曲。「真夜中のドア」に続くA面2曲目がこの曲だった。最初の曲のインパクトが強いのでそれを和らげるスムーズィな作品。

3. Jazzy Night
☆ セカンド・アルバム『who are you?』(小文字で書くのはThe Who1978年の偉大なる同名アルバムと区別するため^^)のA面最後(5曲目)に入っていた曲で,後に1981年に前後の脈略なくシングル・カットされた。ジャズィというコンセプトが彼女のバックグラウンドを見た三浦徳子(作詞家)のイメージであることは明らか。

4. 真夜中のドア/Stay With Me
☆ 作詞:三浦徳子,作・編曲林哲司というヒット・メイカーのペンによる,記念すべき彼女のデビュー曲。1979年,レコーディングの時は20歳そこそこの新人歌手だったのだが,とてもそうと思えない素晴らしいヴォーカルだ。この曲については稿を改めた方が良いので詳しくは書かないが,バッキングのパーソネルくらい(たぶんギターソロは松原正樹,ベースは後藤次利)書いて欲しかった。パラシュートのバッキングで一番有名な作品は松田聖子のデビューアルバム『SQUALL』だが(実際,新人歌手の松田にヴォーカルを取らせたパラシュートのアルバムという観がある=笑=),この作品の松原はバックに負けてない。どころか,伸びやかに歌い切っている。色々言うヤツがいるが,林哲司の作・編曲がキマッているのは事実だ。文句無く1979年の新人歌手のトップに立つべき作品だった。

5. SEE-SAW LOVE(シーソー・ラブ)
☆ 81年春のタイアップが不発に終わり,彼女にとって迷路に入る時期に発表された通算8枚目のシングル。4枚目のアルバム『myself』にも収録。最初に書いたようにシー・ソーは彼女が所属していたレーベルの名前。偶然だろうがちょっと冗談めかしている。このアルバム,実はAORファンには必聴盤の一枚である。なぜかと言えばL.A.の名うての手だれであるドクター・ストラット(Dr.Strut)が全面的にバックを買って出ているからだ。そのことは彼らが全曲に編曲家としてクレジットされていることからもわかる。こうした当時のAORやフュージョン的なサウンドは松原みきという歌手にはとても居心地の良いものだったのではないかと思う。この曲での彼女のヴォーカルは水を得た魚のように跳ねているから。

6. 愛はエネルギー
☆ 彼女のセカンド・シングルで,もちろんデビューアルバムにも収録(B面2曲目)。このシングルは後年,先ほどの「Jazzy Night」とカップリングで再発された。余談だが,この(オリジナルの)シングルジャケットは,当時WPB誌に彼女が初お目見えした時のグラビアショットのアウトテイクと思われる(衣装が同じだから)。デビュー曲と同じ作詞・作・編曲で,デビューの翌月に早くも発売されたが,これはごく普通の「ニュー・ミュージック風」作品。

7. 三人で踊らない
☆ これも4枚目のアルバム『myself』にも収録された曲。こんなスムーズな曲でも彼女のヴォーカルは滑らかで輝いている。松原みきという歌手はどちらかと言えばハスキィでスモーキィなヴォーカルが魅力だが,こんなシルキィなヴォーカルを取ったこともあることは特筆したい。

8. Howa Howa Shuwa Shuwa -宇宙ネコの舌ざわり-
☆ セカンド・アルバム『who are you?』はちょっと変な手触りがある。大真面目なA面に比べておもしろおかしい世界が展開されている(その中に彼女自身がペンを取った曲が入り,後半の作家としての活動の起点でもある)。お遊びとして軽く流すもよし。でもこのコンピレーションアルバム中,最長の作品なので,評価が分かれるかもしれない。

9. 夕焼けの時間です
☆ これもセカンド・アルバム『who are you?』B面からの選曲。amazonのレビュアーの不満点にCD化された音源からの重複が多いというのがあったが,逆に言えば今までCD化されていない音源が1曲だけCD化されることはまさか無いだろうと期待を持ってしまう。そんな意味でこの作品が意外に健闘すれば「ぼくらのBEST」の中に入ってくれるかもしれない。でもこの曲の彼女のシルキィ・ヴォイスは結構気に入っている。

10. WASH(ウオッシュ)
☆ これは初CD化された音源かもしれない。 「SEE-SAW LOVE」のカップリング曲。これも『myself』のセッションで収録された1曲なので,A.O.R.っぽさに溢れる作品だが,当時のシーンが「フュージョン」と呼ばれたように,ポップ・ロック・ブラックミュージック・ジャズといったいろんな音楽が交差(クロスオーヴァー)して,松原みきというヴォーカリストを触媒にしながら融合(フュージョン)していることがわかる。とても素直でチャーミングなヴォーカル。初CD化なら嬉しい限りである。

11. -CUPID-
☆ 3枚目のアルバム『CUPID』のタイトル曲で,B面のトップにあった曲。このアルバムはA面はDr.Strutを擁し初のL.A.録音。ただし全体のプロデュースはアレンジャーの大村雅朗氏が受け持っているようで,全曲のアレンジにクレジットされている。個人的にはこの曲の松原みきのヴォーカルは好きだ。この囁くようなコケティッシュでシルキィでありながらスモーキィでもある千変万化のヴォーカルは,そこいらの歌自慢のジャズ方面のお姐さま方を遥かに凌駕していた。

12. Bay City Romance
☆ 5枚目のアルバム『彩』からの作品。当時のイメージだとザ・ホテル・ヨコハマから見える氷川丸を思い出させる。前の曲もそうだが,こういう曲を歌わせた時の松原みきのヴォーカルは別人のようにうまい。Aメロからサビに入る短いブリッジの歌い方など凡庸な歌手ならさらっと歌い流してしまうところを,感情を細かく詰めながら小さく丁寧に畳み込んでいく。だから,サビになると押し詰めた感情が解放され,伸びやかに聴こえるのだ。それがサビの最後の切れを良くする。テクニックというより持って生まれた感性の鋭さ,天賦の才能というしかない。そしてこのヴォーカルをもう二度とリアルに耳にすることが出来ないのだ。そのことは限りなく寂しい。

13. 恋にお招ばれ
☆ キャニオン時代の最後のアルバム『LADY BOUNCE』(オリジナルとしては9枚目)からの作品。カシオペアの向谷実がアレンジを担当し野呂一生や和泉常寛の名前も見える。アルバム自体がちょっと毛色の変わった作品であり,ファンの評価も分かれている。ただしジャケットはこれが一番というの(デビュー盤の裏ジャケットもなかなかよかった)が通り相場のようである。ちょっと悪戯っぽくキャプキャピした感じが彼女のイメージにはミスマッチだ。本当は結構こんな感じの女性だったのかもしれない。

14. Caribbean Night
☆ 帯についていたコピーが「お・ま・た・せ!」だった『COOL CUT』(オリジナルとしては7枚目のアルバム)からの選曲。彼女はミュージシャンのアイドル的なところがあるのか,色々なミュージシャンがプロデュースを手掛けている。このアルバムは元四人囃子の森園勝敏がプロデュースしている。ちょっと異国情緒なのは「Bay City Romance」にも通じているが,こちらはもっと「熱帯」ふう。こういう曲ではクールでハスキィでなくスウィートでちょっとウエッティなヴォーカルが聴けるのも楽しい。

15. Love for Sale
☆ 今回ようやく音源が登場した8枚目のオリジナルにして初の全曲カヴァーアルバム『Blue Eyes』の冒頭を飾るコール・ポーターの名曲。彼女がジャズ畑の秘蔵っ子的な存在であったことを改めて思い起こされるこの『Blue Eyes』は,彼女のディスコグラフィー上も単なる「企画物」として流されてしまうが,とんでもない。これこそ再発が一番に待たれる作品だと思う。その証拠にこのアルバムをプロデュースしたのは他ならぬ前田憲男氏であるからだ。他の歌手が「ミュージック・フェア」や「サウンド・イン・S」に出て来てスタンダードを歌っても「ゲスト」に過ぎない。でもこのアルバムの松原みきは,たとえ「サウンド・イン・S」でEVEやタイム・ファイブを従えても楽々と歌い切ってしまうだろう。それくらいの力はあるということを明瞭に示している。一日も早い,再発を望む。若いジャズを志す女性歌手の卵達のためにも。

16. ニートな午後3時
☆ 5枚目のシングル。「資生堂 '81春のキャンペーンソング」としてヒットが期待されたが,カネボウの矢野顕子(「春先小紅」)に惨敗を喫し,恐らく彼女のその後のキャリアに暗い影を落とすきっかけとなってしまった曲。悪い曲ではない。三浦徳子の描く女性は,80年代に入ったばかりのこの時代の女性に相応しい「自立した女」であった。結局こういう女性が80年代をリードしていき,朝日新聞あたりが「元気印」などとヨイショしながらバブル崩壊を招いていくのだが(女性にも朝日新聞にも何の罪も無い)。小田裕一郎の曲もエッジが効いていて悪くない。あえて言えば矢野顕子という「相手」と彼女が関わっていたYMOの盛時で時期も悪かった。そういう事に過ぎない。

☆ そして玄田なんたらとか言う「学者のオッサン」が英国から「NEET」なんて「クズな略号」を仕入れては「学業」と称して「喧伝した」ばかりに,この曲,そして松原みきの名前までが地に堕された事には,腹立たしさを超えて殺気を覚える。だからこの曲についてはレビューは書けないし,書かない。
【2019年12月5日付記 その後別稿にてこの曲についても記載しています。】

17. ハロー・トゥデイ(Hello Today)
☆ これもシングルだけの曲。1980年4月に発表されたサード・シングルで,B面の「街はいつもパーティね」は大村雅朗のペンであるが思い切りマンハッタン・トランスファーしている(笑)。そのせいか,その後のツアーではこの曲(「街はいつもパーティね」)ではなく「トワイライト・ゾーン」をしっかり歌っていた(それも良かった)。少し前に「夜スタ」と思われる「You Tube」を見つけたので紹介したことがある。

☆ アルバムの選曲としては『REVUE』(オリジナルとしては6枚目)とビクター移籍後唯一のアルバム(歌手としてのキャリア上も最後のオリジナルアルバム)『Wink』が抜けているのが不満。また「倖せにボンソワール」や「Paradise Beach」が抜けているのは残念に思う。

☆ でもこうして本当に久しぶりに松原みきの音源を聴いていると,彼女が歌手として遺して来たもののほんの一部でも世の中に出る機会を得たことを嬉しく思う。歌手として,後年は作家として才能の全てを開花させる機会を得られないまま,若くして病で亡くなった彼女のことを思うと,この作品集がきっかけになって,少しでも多くの人に彼女のミュージシャンとしてのメッセージが届けばいいと思う。もう二度と花束をステージの上にいる彼女に手渡すことは出来ないのだから。。。

2019年12月5日付記
「愛はエネルギー」 (1979年12月5日 作詩:三浦徳子 / 作曲:林哲司)



☆ 奇しくもリリースから40年経ちました。まあそう意味では懐メロですね。

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「Special to Me」 (Bobby Caldwell 1978年)


Special to Me (Bobby Caldwell / Marsha Radcliffe)


Wikipedia(英語版)の彼の項目に,ものすごく興味深いことが書いてある。

> Bobby Caldwell was born in Manhattan, but grew up in Miami.
ボビー・コールドウエルはマンハッタン生まれだがマイアミで育った。
> His mother sold real estate and one of her clients was reggae singer Bob Marley; Caldwell and Marley became friends.
彼の母親は不動産売買をしており,その顧客の一人にレゲエ・シンガーのボブ・マーリィがおり,コールドウエルはマーリーと仲良くなった。
> Growing up in Miami exposed Caldwell to a variety of music such as Haitian, Latin, reggae and R&B.
マイアミで育つ中,コールドウエルはさまざまな音楽の影響を受けた。それはハイチ音楽,ラテン音楽,レゲエ,そしてリズム&ブルースだった。

☆ この記述は彼が単にAOR(アメリカではアダルト・コンテンポラリー・ミュージックになるとわざわざ注釈がついている)やブルー・アイド・ソウルで売ってきた訳でも,目先を変えるためにレゲエに挑戦した訳でもないことが分かる。そしてこの解説にはさらに興味深いことが書いてある。

> Singer Boz Scaggs advised Caldwell to write songs for other musicians after TK Records shut down.
ボズ・スキャッグスは(コールドウエルがレコードを出していた)TKレコーズが倒産した後で彼に他のミュージシャンに曲を書くことを提案した。

> Caldwell wrote "The Next Time I Fall", which became a hit for Amy Grant and Peter Cetera,and songs for Roy Ayers, Chicago, Natalie Cole, Neil Diamond, Roberta Flack, Al Jarreau and Boz Scaggs.
コールドウエルは "The Next Time I Fall" という曲を書きエイミー・グラントとピーター・セテラ(元シカゴ)がデュエットしたその曲はヒットを記録した。彼はまたロイ・エアーズ,シカゴ,ナタリー・コール,ロバータ・フラック,アル・ジャロウそしてボズ・スキャッグスに曲を提供した。

☆ ボビー・コールドウエルが出てきた時,ボズ・スキャッグスのコピーであるかのような冷めた見方があった。だからボズが80年代前半の休息期間を経てボビーの「ハート・オブ・マイン」をタイトルにしたアルバムを発表した時,それらの人が腰を抜かしたのは言うまでもない(笑)が,Wikipediaのこのエピソードは,もっと知られても良いのではないかと思う。

☆ このWikipediaの記述から分かったことが幾つかある。

(1) ボビー・コールドウエルがTKレコードからデビューした理由
→・マイアミに住んでいて,そこにあった独立系レーベルだった。
 ・KC&ザ・サンシャインバンドが大当たりして新人を抱える余力があった。
 ・R&B,ソウル系の音に強く,ボビーの音楽志向に合っていた。
→だから白人であることが分からないようジャケットをイラストにした。
(翌年,テキサス州サンアントニオ出身のミュージシャンが同じ手法を用いた。クリストファー・クロスだ。)

(2) ボズがボビーの作品を取り上げた理由
→・TKレコードが81年に破産した時,ボズ自身が一時リタイア中で音楽から離れていた。
(聞いた話ではロブスター料理のお店などをやっていたらしい。)
 ・ボズ自身,ヒットを掴むまで下積みが長かったし,AORも,この時は既にトレンドでなかった。
(この時代は明らかにビート優位のダンス音楽の時代(そこにMTVが割り込んでくる)であり,ブルー・アイド・ソウルは「ロックン・ソウル」のホール&オーツやピーター・セテラ時代のシカゴなどを数少ない例外として,総じて不振となり始めていた。)
 ・ボズはボビーの作曲能力を評価していた。

『Bobby Caldwell』(1978)
Billboard Top200
189位(New Entry:1978.11.18)⇒最高位21位('79.3.10・17)

Album PERSONNEL
Bobby Caldwell – vocals, keyboards, guitar, bass
Benny Latimore – keyboards
Alfons Kettner – guitar
Steve Mele – guitar
George "Chocolate" Perry– bass
Richie Velazquez – bass
Ed Greene – drums
Harold Seay – drums
Joe Galdo – drums

☆ この曲は日本では「まるでシングルのように」エアプレイがかかっていた人気曲だ(実際にシングルになっていた👇)。アルバムのオープニングでブルー・アイド・ソウルの定番のような滑らかな魅力的な作品だ。





☆ 上のYouTube(CBSソニーがディストリビュートしたTK盤シングルの方)コメント欄が当時六本木などのデスコでお遊びになったお歴々の暖かいメッセが見られ「時代」を感じさせる。ま,一方にはこの手の輩を「なんクリ野郎」と呼んで締めてた人達(その可能性が高いのがゲージツ家のクマこと篠原勝之氏など)もおった訳で,この時代までは軟派と硬派という分類が有効だったと思わざるを得ない(爆)。

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言ってはいけないこと=さかしまの定義 (じいさん学 第4講)



☆ プライドの高い人とか国なんてのが,世の中にはある。自尊心と書くくらいだから「自分第一主義」の気配がする(笑)。ところがプライドの中には厄介なものが混じっている。そういうのを「さかしまのプライド」という。

Saturday in the Park (Robert William Lamm)


☆ 「さかしま」って何だ?「さかさま」の間違いじゃないのか。確かに「逆さま」のことではあるのだが,元々は1冊の本に遡るようだ。ジョリス=カルル・ユイスマンス(Joris-Karl Huysmans, 1848年2月5日 - 1907年5月12日)の作品 À rebours に訳者の澁澤龍彦が付けた邦題『さかしま』が起源らしい。

☆ 「さかしま」という言葉にはどことなくひねくれ感が漂っている。素直に「さかさま」と書けばいいところを,ざわざわ「さか(し)ま」と書くのである。Wikipediaのこの書物の項にはこう解説してある。

> 1884年に刊行され、象徴主義、デカダンスの作品として、モーリス・メーテルリンク、ポール・ヴァレリーやオスカー・ワイルドなどに影響を与えた。「さかしま」は「逆さま」「道理にそむくこと」といった意味(英訳では"Against the Grain"または"Against Nature")。「デカダンスの聖書」とも評される。

☆ さて今度は「デカダンス」である。とある女性(名前はあえて挙げない)のビヨン...いや止めておこう。そういう意味ではなく「退廃」でしょという声が聞こえそうだから(苦笑)。で,しつこく「デカダンス」の項目に移ると

> デカダンス(フランス語: décadence)は退廃的なことである。
> 特に文化史上で、19世紀末に既成のキリスト教的価値観に懐疑的で、芸術至上主義的な立場の一派に対して使われる。フランスのボードレール、ランボー、ヴェルレーヌ、イギリスのワイルドらを指す(デカダン派を参照)。

☆ デカダンスの立ち位置は啓蒙主義⇒ロマン主義の流れにあるだろう(ぼくは学者ではないので細かいことは分からん^^)。既存のものへの懐疑から理性優先主義とその反動としてのロマン主義があり,既成秩序への疑念が様々な形で表面化してきたのが19世紀末だと思われる。社会主義や無政府主義もそうだろうし,デカダンスも同じとは言わないが既存の「キリスト教的価値観」への異議申し立て(ここにはたぶんマックス・ヴェーバーのプロテスタンティズムも包含されるのだろう。要は昔々ゲージツ系の若者達がまるで共産主義者のように「プチブル(小市民)」と嗤い飛ばしたあの態度みたいなやつ)なのだろうと思う。

☆ そう考えていくと「さかしまのプライド」は一見プライドを放棄しているようにみえて,実はもっと強固にプライドを維持していることになる。こういうところには用心して近づかない方がよさそうに思える。その典型的な話がやくざに関する話だ。

Gangsters (The Specials 1979年5月4日)



☆ この話はどれほど多くのノンフィクション・ライターが口を揃えるように書いているだろうか,という話だ。とても単純な話で

: やくざに向かって「やくざ」と言ってはいけない。
: やくざが「やくざ」と自称するのは構わない。

☆ あたりまえのことだ。「やくざ」とは「役に立たない」という意味だから,たかだか取材相手から "あなた方「役立たず」の皆さんは..." などと言われたら,それこそ看板で生きている人間の看板に泥を塗りつけるようなことだから。では,なぜ極道の皆様は自ら「役立たず」を意味する「やくざ」を自称するのだろう?

☆ これが「さかしまの定義」である彼らのプライドだということになる。「やくざ」という言葉を本物のやくざに使っていいのは,やくざ本人を別にすれば生涯のカウンターパートであろうマル暴の刑事ということになる。この辺はミステリ/ハードボイルド/警察小説などでおなじみの「文法」であるはずだが,改めて「さかしまのプライド」の強固さに対する感慨を覚えるのである。

☆ やくざの話とは関係ないのだが,日本のロックにもこうした「さかしまのプライド」を描いた名作がある。

TWO PUNKS (作詩・作曲:森山達也)



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「Black Friday」 (Steely Dan 1975年5月)



☆ スティーリー・ダンが初来日したのはリユニオン後の1994年だったが,確かそのセットリストに「Black Friday」が入っていて,背景映像にチッカーテープ(株価が右から左に流れるもの(日経CNBCで見られる))が流れていて思わず笑ってしまったのを覚えている。

☆ 世の中に "Black ○○day" は6種類あると思われる。7種類でないのは日曜日には市場が無いからで,日曜日は残念なことに "Bloody"(流血の)という日が数多ある。以下Wikipedia英語版で一部を紹介する。

Monday
28 October 1929 – Stock markets in the United States began to crash, prior to Black Tuesday.⇒いわゆる「大恐慌」のとどめの2日の片方(翌日に続く)。
19 October 1987 – Black Monday (1987) Stock markets around the world crashed, shedding a huge value in a very short time.⇒いわゆる「ブラック・マンデー」。
29 September 2008 – September 2008 stock market crash. Following the bursting of the US Housing Bubble, stock markets around the world crashed, leading to the Great Recession.⇒いわゆる「リーマン・ショック」に係わるもの。

Tuesday
29 October 1929 –いわゆる「大恐慌」のとどめの2日のもう片方。

Wednesday
16 September 1992 –いわゆる「ポンド危機」。負けたのはイングランド銀行,勝ったのはジョージ・ソロスとスタンレー・ドラッケンミラー(クオンタム・ファンド):『ビッグ・ミステイク』によると,スターリング・ポンド売りのアイディアはドラッケンミラーの発想でソロスはそれを大々的にやるよう指示したという。

Thursday
October 24, 1929, the start of the Wall Street Crash of 1929 at the New York Stock Exchange. "Black Tuesday" was the following week on October 29, 1929.⇒あまりにも有名な「暗黒の木曜日」。

Friday
October 25, 1929

Black Friday (shopping) Wikipedia 日本版より
ブラックフライデー(英語: Black Friday)とは、11月の第4木曜日の翌日にあたる日のことである。小売店などで大規模な安売りが実施される。
アメリカ合衆国では感謝祭(11月の第4木曜日)の翌日は正式の休暇日ではないが休暇になることが多く、ブラックフライデー当日は感謝祭プレゼントの売れ残り一掃セール日にもなっている。買い物客が殺到して小売店が繁盛することで知られ、特にアメリカの小売業界では1年で最も売り上げを見込める日とされている。また、年末商戦の幕開けを告げるイベントでもある。
日本語では黒字の金曜日とも訳される。

KARAOKE


お手本
Black Friday (Walter Becker / Donald Fagen)


Billboard Hot 100 1975年
5/24:76位(New Entry) ⇒ 5/31 63位 ⇒ 6/7 52位 ⇒ 6/14 43位 ⇒ 6/21 37位(最高位) ⇒ 6/28 37位 ⇒ 7/5 42位 ⇒ 7/12 100位外

PERSONNEL
Donald Fagen – Lead vocals, piano, keyboards
Walter Becker – Bass & guitars. Lead guitar on “Black Friday”
Special Guests:
Hugh McCracken – Guitars
Denny Dias – Guitars
Rick Derringer – Guitars
Dean Parks – Guitars
Elliott Randall – Guitars
Larry Carlton – Guitars
Michael Omartian – Piano & keyboards
David Paich – Piano & keyboards
Victor Feldman – Vibraphone & percussion
Wilton Felder – Bass
Chuck Rainey – Bass
Jeff Porcaro – Drums & dorophone
Michael McDonald – Background vocals

テーマ:Musically_Adrift - ジャンル:音楽

「お富さん(春日八郎 昭和29=1954=年8月)」


初出:2006年10月7日

春日八郎ベストセレクション春日八郎ベストセレクション
(2007/04/11)
春日八郎

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「お富さん」 (作詩:山崎正 / 作曲:渡久地政信)


粋(いき)な黒塀(くろべい) 見越(みこ)しの松に 婀娜(あだ)な姿の 洗い髪(がみ)
死んだはずだよ お富さん 生きていたとは お釈迦様でも
知らぬ仏の お富さん エ-サォ- 玄冶店(げんやだな)

☆ 昭和歌謡というか戦後を代表する歌謡曲の第一級の作品である「お富さん」は,その軽快なテンポと春日八郎の歌唱がマッチして時代を超えたヒット曲となった(昭和29年リリース。この曲の潜在的な影響力があったのは,それから30年間ほどであろう)。

☆ かつて存在したお富さんの紹介サイトにもあるように(以前もどこかで書いた話だったと思うが),この作品の歌詞は江戸歌舞伎を題材に引いている。完璧だと思うので,そのサイト「昭和歌謡とわれらの世代」 by Ringo House の記述をそのまま引用する。

> この歌の歌詞は、歌舞伎の有名な演目である「与話情浮名横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし)の一場面「源氏店」(げんじだな)から題材を得ている。それまでの春日八郎の歌の傾向からすれば、いや、というより、バラエティに富んだ流行歌が数多く存在した歌謡曲全体を見渡しても非常に珍しいテーマであった。

> そして、この芝居で最大の見せ場が「源氏店」の場で、他人の妾であったお富さんと許されざる恋に落ちた与三郎は相手の男にばれてメッタ切りにあい、お富さんは海に落ちた。九死に一生を得た与三郎は三年後、松の木が見える黒塗りの塀の家で死んだはずのお富さんと出会うというシーン。そこで与三郎の「しがねえ恋の情けが仇」の名セリフが出てくるわけだが、山崎正の歌詞はこの部分を実にうまくメロディにはめ込んでいる。

☆ 説明文に誤記があるので朱字で訂正している。「玄冶店(げんやだな)」は当時の実在地名なので,当時の習俗上そのまま使うことは憚られた。そこで「冶」と字のつくりが似ている「治」(ちなみに「冶」という字の読みにも「じ」があるという複雑さ!)を使うと「げんじ」と呼べるので,これに「源氏」の字を当てるという鯔背(いなせ)ぶりだ。

☆ ここ数年「艶女(アデージョ)」とか「ちょい悪」とかの類の詰まんねえエセ日本語が氾濫しているが,もう少し江戸の鯔背(いなせ)に学んだらどうだと言いたい。こういう場面ですぐに「粋」を使いたがるが,女がで男は鯔背だ。だから昔「いなせなロコモーション」をシングルカットしたサザンの桑田は結果的に正解ということになる。婀娜(あだ)と艶(あで)やかは語感が近い。そして婀娜を辞書で引くと「女性の色っぽくなまめかしいさま」と書いてある。誰が考えても「婀娜女(アダージョ)」が正解だろう。(´∀`)


2019年11月28日付記

☆ この当ブログの古典(自爆)は,掲載当時それなりのレスポンスがあった(苦笑)。上記に紹介したサイトは既に無いためWikipediaのお富さんの項から引用する。

> 「お富さん」は作詞を山崎正、作曲を渡久地政信が担当し、当初キングレコードのスター歌手であった岡晴夫が歌う予定だったが、岡がコロムビアレコードに移籍したため、急遽若手の春日に歌わせたところ、リリースから4か月で40万枚、最終的に125万枚を売り上げるセールスとなり、春日の出世作となった。

> 「お富さん」は当時宴会で歌われていた猥褻なお座敷ソングに代わる、いくらか軽い調子で替え歌のしやすいものを狙って作曲した、と渡久地は述べている。沖縄出身で奄美大島育ちの渡久地は、四分の四拍子のリズムのなかに八分の六拍子をアクセントとして加えたブギウギのリズムを基に、手拍子や軽快なヨナ抜き音階など沖縄音楽・カチャーシーの要素と、チンドン屋のリズムの影響を受けた奄美新民謡の要素を織り込みながら曲を書いた。

☆ この曲は「チャ・チャン・ガ・チャン(「ガ」のところが休符)」のリズムで手拍子を打てる。このノリが戦後歌謡のグルーヴになった。

> 作詞の山崎はキングレコードからの復古調のものをという要求に応じて、戦前・戦中の諸芸能の世界では定番だった歌舞伎の『与話情浮名横櫛』(通称:切られ与三郎)からセリフを大量に取り入れている。ただし、山崎は特に歌舞伎に通じていた訳でもなく、作曲した渡久地に至っては「カブキは嫌いで、見た事もない」と述べている。「粋な黒塀」「見越の松」「他人の花」といった仇っぽい名詞句を何も知らない子供までもが盛んに歌ったが、 そのアウトロー的な歌詞は教育上の社会問題となり、NHKが子供が「お富さん」を歌う事の是非を問う討論番組を組むほどだった。

☆ 歌謡曲(ポピュラーソング)の歌詩というものは,いつの時代も物議を醸す(物が出てくる)。この後の大ヒット曲だって子供には「夜明けのコーヒーを二人がどういう状態で飲むのか」(「恋の季節」:作詩 岩谷時子 1968年7月20日)なんて気にも留めないし,「胸騒ぎの腰つき」(「勝手にシンドバッド」:作詩 桑田佳祐 1978年6月25日)がいかなるものかも想像すらしないものである。知らないから問題だというのは例の「寝た子を起こす」論になる訳だが,流行歌は取りあえず「時の流れに身を任せ」て消えてしまうから目くじらを立てるなとなっていく。討論番組を組むというのはそれだけ時代がナイーヴだったからで,こういう時代背景を考えずに単純に現代との対比やそれに基づく類比をしてはならないのである。

☆ ところが歌舞伎のポピュラリティーは現代より当時の方がもっとあったことは間違いない。実際,北村薫が父親のことを描いた『いとま申して』三部作を読んでいると昭和初期の歌舞伎(役者)は現代のロックミュージシャンと同じくらいのポピュラリティがあるし,歌舞伎自体も例えばクラシック音楽のような「教養としての素養」として扱われていたことが分かる。これが,ぼくが子供の頃には「伝統芸能」扱いとなり,少しずつ今の形に近くなっていった(その間には看板役者の代替わりも当然あった)。歌舞伎にポピュラリティがあったと言っても,それは「大人の娯楽」としてあったからで,子供が無邪気に口にするのは憚られる部分は,確かにあった。

☆ 「昭和歌謡」という言葉を簡単に使っている人達が意識しているかどうかは分からないのだが,古い流行歌のリズムは七五調が基本になっている。宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」が「ど演歌」と呼ばれたのは,彼のだみ声のせいだけでなく,リズムが七五調だったからだろう。もっとも中島みゆきは素知らぬ顔で「わかれうた」を七五調で書き,朗々と歌って大ヒットさせたという例外もある(笑)。

☆ 春日八郎は岡晴夫を意識してこの歌を朗々と歌い大ヒットさせた。実は戦後の混乱がまだ残っている時代は「暗い歌」より「明るい歌」が望まれたのだと思う。この歌の題材は全く明るくないにもかかわらず(実際こういうのを "修羅の道" という^^;),お座敷ソングになったのはまさにこの朗々とした歌いっぷりにあったのだと思う。

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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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