2017-09

「Zanzibar(ザンジバル)」 (Billy Joel 1978年10月13日)



初出:2011年10月10日(訳詩追記)


Personnel
Billy Joel:piano, Vocals
Doug Stegmeyer:bass, background vocals
Liberty DeVitto:drums
Richie Cannata:saxophones, organ, clarinet
Steve Khan:electric guitar, acoustic guitar
Freddie Hubbard:flugelhorn and trumpet on "Zanzibar"
Mike Mainieri:vibes on "Zanzibar"

Zanzibar (Billy Joel)




Ali dances and the audience applauds
モハメド・アリの蝶のような舞いに,観客たちは拍手喝采する
Though he's bathed in sweat he hasn't lost his style
それでもヤツは汗まみれで風呂を使う時だってヤツの流儀を忘れたりはしない
Ali don't you go downtown
アリ,ダウンタウンに行ってみなよ
You gave away another round for free
あんたも次のラウンドをタダで楽しめるかもしれないぜ

Me, I'm just another face at Zanzibar
こちとらといやぁ,「ザンジバル」のお客に紛れているが
But the waitress always serves a secret smile
ウエイトレスのお姐さんはこっそり微笑んでくれる
She's waiting out in Shantytown
彼女はシャンティータウンのところでじっと待っていて
She's gonna pull the curtains down for me, for me
それからカーテンをさっと引くのさ,俺(おい)らのために,そう俺らのためにね

CHORUS
I've got the old man's car,
俺らは古き人のクルマを借りて
I've got a jazz guitar
ジャズギターなんか持っちゃって
I've got a tab at Zanzibar
ザンジバルの勘定書をいただいていく
Tonight that's where I'll be
今夜,俺らがいるべき場所のね

Rose, he knows he's such a credit to the game,
ピート・ローズ,ヤツは全くあの試合の称賛の的だった
But the Yankees grab the headlines every time
だけどニューヨーク・ヤンキーズは
いつだってスポーツニュースのトップ記事を握って離さない
Melodrama's so much fun
メロドラマはいつだってお楽しみだ
In black and white for everyone to see
良い意味でも悪い意味でも見てる方にとっちゃね

Me, I'm trying just to get to second base
俺らとくれば,どうやって二盗するか思案の最中で
And I'd steal it if she only gave the sign
彼女が知らん顔でサインを送りさえすれば,キッチリ決めてやるところ
She's gonna give the go ahead
彼女はそのまま続けてって来るので
The inning isn't over yet for me,for me
このイニングもまだ終わりじゃないってこと,俺らにとっちゃ,そう俺らにとっちゃね

CHORUS

Tell the waitress I'll come back to Zanzibar
ウエイトレス嬢に言わないと,ザンジバルに戻る時間だって
I'll be hiding in the darkness with my beer.
俺らは麦酒片手に暗がりに紛れるところ
彼女はシャンティータウンのところでじっと待っていて
She's gonna pull the curtains down for me, for me
それからカーテンをさっと引くのさ,俺らのために,そう俺らのためにね

CHORUS

☆ 生粋のNYっ子らしく,歌の中に野球の話が出てくる。当時は大リーグのことは良く知らなかったが,ヤンキーズくらいはさすがに知っていた。ローズはたぶんピート・ローズのことで,この年までシンシナティ(レッズ)にいたことが分かった。シンシナティはナ・リーグ(中部地区),ヤンキーズはア・リーグ(東部地区)だから,ローズがいかに活躍しようともここじゃヤンキーズの話題がいの一番さというのは大阪(東京・名古屋・広島・福岡・札幌)の土地柄みたいなものだろう。

2015年7月6日記(一部追記)

ニューヨーク52番街/ビリー・ジョエル
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☆ アフリカ大陸の東部,インド洋に面した国家のひとつがタンザニアで,むかし習ったときにタンザニアはタンザニーカとザンジバルという二つの地域に分かれていると教わった。それから何年か経ってビリー・ジョエルの新譜『ニューヨーク52番街』(1978年10月13日)に「ザンジバル」という曲が収められていることに気付いた。

☆ もちろんタンザニアにニューヨークがあるわけはなく,歌詩を聴いていると(その頃はアルバムを買う資金がないという理由でせっせとエア・チェックで新譜を記録していた)バーだかダイナー(軽食堂)の名前のようだった。ヤンキーズの野球の実況をしているのか何だかそういう歌詩も聞こえる。この曲から何年か後に世の中に「カフェバー」なるものが現れ,さらに数年後には「スポーツバー」だとか「キャバクラ」などというモノが現れた。最後の「お姐さん世界(ワールド)」は別にして(爆)訳詞と関係なく曲の世界がイメージできるようになっていた。

☆ いまではWikipediaを見れば,ザンジバルはインド洋上に浮かぶ諸島のことであり,ムスリム圏であり,19世紀には独立していた国家であって,タンザニアと別に独立するがすぐに連合国家となり(だからタンザニアは連合共和国)強い自治権をもって現在に至っていることだとか,この曲のことだとか,『機動戦士ガンダム』に出てくる架空の戦艦のことだとか,いろんなことが分かるようになった。

Wikipedia(英語版)の解説から
> The themes of "Zanzibar" include love of sports, love of alcohol and the singer's attempt to pick up a waitress.
> 「ザンジバル」の主題にはスポーツに対する愛情,アルコールに対する愛情,歌手のウエイトレス嬢をお持ち帰りしようとする努力などが含まれている。

☆ 謎の微笑みのウエイトレス嬢を「お持ち帰り」できたかどうかは,曲からはわからない。先ほどあえて「お姐さん」に言及したのはこういう訳(自爆)。

> According to producer Phil Ramone, Joel had written the music and had decided he liked the title "Zanzibar" for the piece, but had not figured out what to say about Zanzibar.
> プロデューサーのフィル・ラモーンによると,ジョエルは曲を書いた時,「ザンジバル」という言葉の語感が気に入りタイトルにつけたが,ザンジバルが特定のことを指していたという訳ではない。
> Ramone images of people watching television in a bar, and as a result Joel decided to make the song about activity in a sports bar named Zanzibar rather than about the country Zanzibar.
> ラモーンは人々がスポーツバーでテレビ中継を見ているところをイメージしていたが,その結果,ジョエルは(タンザニアの一地域としての)ザンジバルではなく,「ザンジバル」という名の賑やかなスポーツバーのことを曲にしようと決めたのだという。

☆ このアルバムのプロデューサーだったフィル・ラモーン(1934~2013)の述懐だ。やはりスポーツバーの名前が先に来ていてそういう地域(国家)があったのは後で知ったようだ。

> The lyrics include a number of contemporary sports references, including to heavyweight champion boxer Muhammad Ali, baseball player Pete Rose, and the baseball team the New York Yankees, who were the World Champions at the time.

☆ モハメド・アリがレオン・スピンクスと2度戦い,一度失ったWBA世界ヘビー級王座を奪回したのがアルバム発売直前の9月15日のこと。ピート・ローズのシンシナティ・レッズはこの年ナ・リーグ西地区でロサンゼルス・ドジャーズに及ばず2位,もちろんビリーご贔屓のニューヨーク・ヤンキーズがそのドジャーズを降してワールド・シリーズを制したのはアルバム発売の僅か4日後,1978年10月17日のことだった。

2017年9月23日追記
☆ ザンジバル諸島はタンザニアの東沖合のインド洋に浮かぶ島。1963年にイギリスから独立し(ザンジバル王国),翌年のザンジバル革命を経てタンザニア連合共和国に合流したが,現在も強い自治権をもっている。我が家に英語の世界地図がありタンザニアの横のインド洋にわざわざ「ザンジバル」の名が記されている。旧宗主国としてはそういう扱いにした方がよいと判断したのだろうか?


☆ ビリーが『ニューヨーク52番街』をレコーディングしていたのは,1978年7~8月。その頃,モハメド(今だったら「ムハンマド」と表記すべき)・アリは同年2月15日にレオン・スピンクスに奪われた王座を奪回しようとしていた(シングル発売の1か月ほど前の9月15日にスピンクスと戦い,判定勝ちしWBA世界ヘビー級王座を奪回している)。
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「I'd Really Love to See You Tonight(秋風の恋)」 (England Dan & John Ford Coley 1976年5月)


初出:2013年10月22日
ヴェリー・ベスト・オブヴェリー・ベスト・オブ
(2012/06/13)
イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー

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☆ イングランド・ダンことダン・シールズはシールズ&クロフツで有名なジム・シールズの弟。彼が高校時代からの友人ジョン・フォード・コリーと組んだデュオが放った最大のヒット曲がこの曲。彼らはソフト・ロックがAORに移行していく時期を代表するデュオだが,AOR側が見落としているのか(あるいは本邦ではお馴染みのディストリビューションの問題)そのヒットの割に代表作の復刻もない,ちょっと気の毒な立場にある。

☆ デュオは1971年にデビューしているが数年の沈黙の後,76年に発表したアルバム『Nights Are Forever』からのファースト・シングル「秋風の恋」が予想外の大ヒット(全米最高位2位)となった。この後も数曲のTop10ヒットを持っているが,80年のデュオ解散後,ダン・シールズはカントリー音楽に転じかなりの成功を収めている(2009年没)。ちなみにこの曲ビルボード・イージーリスニング・チャート(アダルト・コンテンポラリー・チャートの前身のようなもの)では1位になっている(1976年8月21日)。秋風にはちょっと早い時期だった。

☆ ちなみに歌詩の大意は,むかし付きあっていた相手に久しぶりに電話をかけて「逢いたいから今夜こっちに来ない」と誘っている感がある(笑)。そういえば歌詩の中に「風」が出てくるのをしっかり捉えた邦題もなかなかイイ線行っていると思う。

2017年9月22日追記

秋風の恋秋風の恋
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I'd Really Love to See You Tonight (Parker McGee)


Hello, yeah it's been awhile
やあ,本当に久しぶりだね
Not much how 'bout you?
そっちは変わりないのかい
I'm not sure why I called
別に電話する用事もなかったんだけどさ
Guess I really just wanted to talk to you
何となくきみの声が聞きたかったんだよ

And I was thinking maybe later on
それでぼくは,あのあとちょっと考えてみたんだ
We could get together for awhile
もしぼく達がもう少し我慢して一緒にやっていればねって
It's been such a long time
なんだか随分時間が経ってしまったような感じだけど
And I really do miss your smile
でも,君の微笑みがなくなってしまってとても寂しく感じているんだ

I'm not talking 'bout movin' in
ぼくは物事を進めていいかどうか君に語る資格なんかないけれど
And I don't want to change your life
君の今の暮らしを変えてしまうようなこともしたくないけれど
But there's a warm wind blowing the stars around
こんな星空の下(もと),温かな風に吹かれていると
And I'd really love to see you tonight
どうしたって今夜君に逢いたいと思ってしまうのさ

We could go walking through a windy park
ぼく達は風の強い公園を二人で歩いたこともあった
Or take a drive along the beach
あの浜辺まで長いドライブにも出掛けたことや
Or stay a home and watch TV
部屋の中で二人でテレビ番組を見ていた日もあった
You see it really doesn't matter much to me
あの思い出達がぼくに関係無いことだなんて思わないだろう

I'm not talking 'bout movin' in
And I don't want to change your life
But there's a warm wind blowing the stars around
And I'd really love to see you tonight

I won't ask for promises
約束してくれなんて言うつもりはないから
So you won't have to lie
きみも自分の気持ちを偽らなくてもいいんだ
We've both played this game before
ぼく達はこんなゲームを昔二人でやっていたのさ
Say I love you
愛してると言ったり
Say goodbye
サヨナラさと言ったりしながら

I'm not talking 'bout movin' in
And I don't want to change your life
But there's a warm wind blowing the stars around
And I'd really love to see you tonight

I'm not talking 'bout movin' in
And I don't want to change your life
But there's a warm wind blowing the stars around
And I'd really love to see you tonight

☆ このデュオ最大のヒット曲は,76年夏に全米最高位2位(ビルボードHot100,キャッシュボックスは同4位)を記録。ちなみにNo.1はホワイト・ファンク・ディスコの名作ワイルド・チェリーの「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」でなかなか対照的な2曲が並んでいる(爆)。ちなみにビルボードのアダルト・コンテンポラリー・チャートでは当然No.1(苦笑)。他国ではカナダ5位(ここもアダルト・コンテンポラリーはNo.1),ニュージーランド15位,豪州25位,英国26位。


☆ ところで日本経済新聞の湯川れい子の「私の履歴書」が毎日読ませる(爆)。今日(9月22日)は大発見だった。「涙の太陽」が英語曲だということはサンディー(アンド・ザ・サンセッツ)がオリジナル盤をカヴァーしていたので知っていたが(個人的には当然安西マリアの「♪ぎ~らあ,ぎ~らあ,たいようが~」ヴァージョンなんだが(自爆)),まさかそれが「なんちゃって洋盤」で覆面とはいえ湯川れい子の作詩家処女作だったとは(驚愕)。

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夏服を脱ぐとき(朱夏⇒白秋)




☆ 誰も言わないので声を大にして言うのだけれど(自爆),1980年代の邦楽アルバムのTop10に入る(個人的に)『BOOGIE WOOGIE MAINLAND』(杏里1988年5月21日)の9曲目にしてシングル「SUMMER CANDLES」(1988年7月13日)のB面曲(ちなみに「SUMMER CANDLES」はアルバムを締める10曲目にして90年代前半の結婚式における新婦の友人代表選曲No.1らしいバラード)が「最後のサーフホリデー」だ。

☆ 以前『BOOGIE WOOGIE MAINLAND』のレビューで書いたように(そのうち再掲予定^^;),このアルバムは吉元由美(作詩)と杏里(作曲)と小倉泰治(編曲)で丁寧に作り上げた「お洒落な不良達のバイブル」である。この雰囲気は確かにバブル世代の息吹を濃厚に感じさせるところもある。だがそこには同時に10年前に三浦徳子や竜真知子が描いていた女性像がそのまま深化してセルフ(自己)をしっかり掴んだ彼女達の姿(あるいは世代のバトンを受け取った「次代の彼女達」)が見えるのである。吉元はアルバムに寄せたNoteでA面の彼女達がB面でどう変わっていくかをアルバムの主題として挙げている。この世代感覚は同時代の(専業)女性作詩家の中では銀色夏生と双璧だろうと思う。

「最後のサーフホリデー」
(作詩:吉元由美 / 作曲:ANRI / 編曲:小倉泰治)



☆ 曲の中にも対置されるコトバがある。「灼けてない」⇔「(素肌から)消していく」,「はしゃいでた頃の私達」⇔「さみしい大人」。前後が逆になっているのも上手い。現実(「灼けてない」)←過去(「消していく」),過去(「はしゃいでた」)→現実の方向(「さみしい」)と並べると,これがどうしようもないことであることは明白だ。終わらせなければならなかったから終わらせたのであって,終わった筈の記憶は記憶で無くなれば意味がなく,それはさみしいことだがどうしようもない。と循環してしまう。この心理の綾を軽めのビートに乗せて歌い切ったのは当時の彼女がそれなりに倖せの中にいたこともあるだろうし,それよりも自分の方向をしっかり掴み取った自信の方が大きかったのだと思う。

☆ でもこの曲を聴くと人はこうやって(たぶん他人に言えないほどに)傷つきながら季節を変えていくのだろうなと思う。夏服はもう着られないけれど(少なくとも今年は),まだ秋を迎えたわけではない。そんな中途半端な遣る瀬無さも幾分,曲の中に溶け込んでいるような気がする。だから最後に「SUMMER CANDLES」で締める必要があったのかもしれないが。


☆ たまたま7時のニュースを見ていたら安室奈美恵さんが引退を予告したことがニュースになっていた。産休から復帰し第一線にカムバックしてからの活躍も印象が強く残っている。40歳になったことを期にそういうことを決めた、という話だった。

☆ 興味深かったのは(見ていた)NHKの女性アナウンサーが彼女にかなり影響を受けたようなことを話していたことで,じゃあその昔は分厚いヒールのブーツを履いていたのかなとか,家に帰ったらご主人に「きみはアムラーだったの?」と言われる(かもしれない)光景などつまらないことをいろいろ考えてしまい,つくづくジジイってヒマ人なんだと自己嫌悪(自爆)。

☆ もう一つ興味深かったのは彼女が引退期日を特定していること。それもなぜか来年の今月今夜(2018年9月20日=彼女の41歳の日)ではなく4日前の9月16日(とNHKのアナウンサーは話していた)だという。このことに何となく引っ掛かりを覚えたのであった。

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「New Kid In Town」 (Eagles 1976年12月7日)




初出:2006年12月31日 (2013年9月18日再掲)
New Kid In Town
(Don Henley, Glenn Frey, J.D. Souther)


There's talk on the street; it sounds so familiar
街角から聞こえる話し声は,いつもと変わらないようにみえるけど
Great expectations, everybody's watching you
みんながお前を見る目は好奇心に満ちあふれている
People you meet, they all seem to know you
お前が出会う人々は皆,お前のことを昔から知っているようにみえるけど
Even your old friends treat you like you're something new
お前の古い友達たちですら,お前を何か新しい者としてもてなしてくれるだろう
Johnny come lately, the new kid in town
時代は変わってしまった。新しいやつがここにもやって来る
Everybody loves you, so don't let them down
みんなお前を歓迎しているんだ。だから彼等をがっかりさせないでくれ

You look in her eyes; the music begins to play
音楽が鳴りだしたら,お前はあの娘の瞳に釘付け
Hopeless romantics, here we go again
やるせない片思いで終われば,また出直すだけなのさ
But after awhile, you're lookin' the other way
だけど,お前はすぐに別の道に辿り着いて
It's those restless hearts that never mend
やっぱりやるせない心を落ち着きなく持て余すことになる

Johnny come lately, the new kid in town
時代は変わってしまった。もう新しいやつらの時代なんだ
Will she still love you when you're not around?
お前が傍に居なくても,あの娘はお前を慕い続けてくれるだろうか?

There's so many things you should have told her,
お前にはあの娘に伝えるべき事がたくさんあるというのに
but night after night you're willing to hold her,
それなのに夜ごと夜ごとお前は彼女を抱きしめようとするだけ
Just hold her, tears on your shoulder
ただ抱きしめるだけ,そして彼女の涙がお前の肩を濡らすだけ

There's talk on the street, it's there to remind you,
街角でお前のことを思い起こさせるように噂話が聞こえる
that it doesn't really matter which side you're on.
でもそれはどのみち大したことじゃない
You're walking away and they're talking behind you
お前が通り過ぎた後で聞こえる話し声からは
They will never forget you 'til somebody new comes along
誰か新しいヤツが来るまで,皆お前のことを忘れたりはしないのさ

Where you been lately? There's a new kid in town
最近,どこにいたのさ?また新しいヤツがやって来たのに
Everybody loves him, don't they?
皆そいつのことに首ったけなんだろう,違うのかい?
Now he's holding her, and you're still around
今じゃあの娘のハートはあいつがガッチリ掴んでいる,そしてお前はただその周りをうろつくだけ
Oh, my, my
ああ。何てえこったい。

There's a new kid in town
新しいヤツがやってくる
Just there's a new kid in town
そうさ,新しいヤツがやって来る
Ooh, hoo
Everybody's talking 'bout the new kid in town
皆新しいヤツの噂でもちきりさ
Ooh, hoo
Everybody's walking' like the new kid in town
皆新しいヤツの真似をして歩いていやがる

There's a new kid in town
新しいヤツがやって来る
I don't want to hear it
そんな話は聞きたくない
There's a new kid in town
新しいヤツがやって来る
I don't want to hear it
そんな話は聞きたくない
There's a new kid in town
新しいヤツがやって来る
There's a new kid in town
新しいヤツがやって来る

There's a new kid in town
新しいヤツがやって来る
Everybody's talking 'bout
皆,噂で持ちきりさ
There's a new kid in town
新しいヤツがやって来る
People start walkin'
皆がそっちへ歩き出す
There's a new kid in town
新しいヤツがやって来る
There's a new kid in town
新しいヤツがやって来る
There's a new kid in town
新しいヤツがやって来る
There's a new kid in town
新しいヤツがやって来る

【Note】
Johnny come lately
・ イディオム。時代に遅れた者。時代おくれ。
  ここでは更に強意で「時代は変わってしまった」と意訳。

☆ カントリー(もしくはラテン)・フレイヴァー溢れるこの曲「New Kid In Town」 は,発売当初からその「モデル」について,いろいろと言われていた。典型的な説は,これは当時「Rich Girl」が大ヒットしていたホール&オーツのダリル・ホールのことを指しているのだというものだ。もっともイーグルスのデビューが1971年なら,ホール&オーツのデビューも1972年である。ホール&オーツの初期は不遇と言っても良かったが,74年には「She's Gone」で初ヒット,翌75年の「Sara Smile」で初のTop10と,キャリアの面では決してワン・ヒット・ワンダーでも「New Kid」でもない。

☆ そこで「Hotel Calfornia」の解釈に戻る。「Hotel Calfornia」の悪夢が,西海岸の音楽業界の現実に触れているとするなら,「New Kid」もまた,新たにショウビズの街に入り込んできた新参者を描いているのではないか。つまりこの曲には特定のモデルが居るのではなく,夜の男を描いた「Hotel Calfornia」と表裏一体になっているのではないか。だから
Johnny come lately, the new kid in town(時代は変わってしまった。もう新しいやつらの時代なんだ)
という一節が光るのではないかと思う。

☆ それは緩い曲調とは異なり,淡々と語られる物語(普遍的な話としても十分に通用する)に,そこはかとなく流れる優しさは,十分に傷ついた者だけが語ることができるような痛みを隠しているようにも感じる。そしてそこに暖かさを感じるのは,グレン・フライのリードにパイ皮のように柔らかく重ねられたコーラス・ワークのせいだろう。今思えば『Hotel Calfornia』からこの曲を先行してシングル・カットしたことは,戦術として正解だったと思う。曲順通りタイトル曲からカットしていたら,この曲の印象が翳んでしまったことだろう。

☆ ひと言付け加えておくが,共作者としてJ.D.サウザーの名前が挙がっている。彼の持ち味でもあるマイルドさが,この曲を味わい深いものにしているのだと思う。

2017年9月18日追記
☆ Wikipedia英語版のこの曲の項目を見ると,J.D.サウザーが最初にこの曲のコーラス部分を書いたそうだ。サウザーによるとこの曲に取り組み始めた時にはヒットの予感がしたが,どのようにすればいいか分からなかったという。数年後,サウザーはヘンリーとフライと一緒に『ホテル・カリフォルニア』に収録する曲を作っていた時にこの曲のことを思い出し,三人で残りの部分を書き上げたとある。あとこの曲が世に出た時,これは(『明日なき暴走』でいっせいを風靡していた)ブルース・スプリングスティーンが曲のモデルだと噂されたことがあったが,サウザーはそれを否定したという話もあった。また日本版ウイキペディアには曲のモデルがホール&オーツだとグレン・フライが認めた旨の記載もある。

PERSONEL
Glenn Frey(November 6, 1948 – January 18, 2016): Lead vocals, acoustic guitar
Don Henley(July 22, 1947 –): Drums, percussion, harmony & backing vocals
Don Felder(September 21, 1947 –): Lead guitars
Joe Walsh(November 20, 1947 –): Fender Rhodes electric piano, Hammond organ
Randy Meisner(March 8, 1946 –): Bass guitar, guitarrón mexicano, backing vocals

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「Movin' Out (Anthony's Song)」(Billy Joel 1978年5月21日=Japan Release Side-B)


初出:2006年3月12日



Movin' Out (Anthony's Song) (Billy Joel)


Anthony works in the grocery store
アンソニーはコンビニで働きながら
Savin' his pennies for someday
将来のための小銭を貯めこんでいる
Mama Leone left a note on the door,
帰ってみると,ママ・レオーネがドアのところに書置きを挟んでいた
She said,
そこにはこう書いてあった
"Sonny, move out to the country."
「ソニー,田舎に引越しましょう。」
Workin' too hard can give you
根をつめて働き過ぎると,
A heart attackackackackackack
いつか心臓発作で死んでしまうわよ。
You oughta know by now
そろそろ気付かなくちゃ。
Who needs a house out in Hackensack?
ハッケンサック郊外の一戸建なんて誰に必要だというの?
Is that all you get for your money?
そんなもののためにお金を溜め込んでいるの,貴方は?

And it seems such a waste of time
それが時間を無駄にするだけに思えるなら
If that's what it's all about
もしもそれが貴方の人生のすべてだというのなら
Mama, If that's movin' up then I'm movin' out.
ママ,それが勝ち組の人生だというのなら,ぼくはここから立ち去るだけさ
Mmm, I'm movin' out. Ooh-hoo, uh-huh, mmmm
Mmm,僕は出て行くだけさ,Ooh-hoo, uh-huh, mmmm

Sergeant O'Leary is walkin' the beat
サージェント・オライリーはビートで働いているが
At night he becomes a bartender
夜はバーテンダーの職につく
He works at Mister Cacciatore's down
サリヴァン通りを下り
On Sullivan Street
医療センターを越えたところにある
Across from the medical center
Cacciatore'sの店だ

Yeah and he's tradin' in his Chevy for a Cadillacacacacacacacac
彼は自分のシボレーをキャディ(ラック)に買い替えたくって仕方ない
You oughta know by now
でもそろそろ気付かなくちゃいけないのさ
And if he can't drive
もしも車をほんの少しでも傷つけずに
With a broken back
この街を走り回りたいのなら
At least he can polish the fenders
せいぜい休日の車磨きに精を出す程度の事にしかならないって事に

And It seems such a waste of time
そんなことは時間の無駄じゃないか
If that's what it's all about
もしもそれが自分の人生だというのなら
Mama, If that's movin' up then I'm movin' out.
それで満足だというのなら,ママ,ぼくはここから立ち去った方がましだよ
Mmm, I'm movin' out. Ooh-hoo, uh-huh, mmmm
Mmm,僕は出て行くだけさ,Ooh-hoo, uh-huh, mmmm

You should never argue with a crazy mi-mi-mi-mi-mi-mind
ムキになって言い返しちゃダメだよ
You oughta know by now
そろそろ気付かなくちゃいけない
You can pay Uncle Sam with the overtime
アンクル・サムの小屋(この国)のために働き詰めで
Is that all you get for your money?
人生の全てを金儲けのために賭けているのかい?

And if that's what you have in mind
それだけが貴方の頭の中を占めていることだったら
yeah if that's what you're all about
もしもそれが自分の人生だというのなら
Good luck movin' up 'cause I'm movin' out.
成功を祈るよ,でもぼくはここからおさらばさせて貰おう
Mmm, I'm movin' out. Ooh-hoo, uh-huh, mmmm
Mmm,僕は出て行くだけさ,Ooh-hoo, uh-huh, mmmm

I'm movin' out...
ぼくは先に行くよ...

☆ いつの世の中でも,功名を求める人は多い。功名ビジネスというのもまた盛んで,我こそは成功者という人物に限って,本を出し講演会を開くことがいつの間にかビジネスの中心になっている。いまどき一番の暴落株言葉である「カリスマ何とか」のご登壇に下々は黙って見上げるのみであろう。

☆ でもそんなことはどうでもいいじゃないか。勝手に成功して,勝手にマスコミに持て囃され,勝手に堕落して,勝手に没落すればいい。出来ることなら,復活せずに静かに消えてもらいたいとは思うけど(爆)。そんな人生模様が,この曲から鮮やかに浮かび上がってくる。どうせ俺達はラテンなキリギリスだよ。でも一所懸命に生きているんだから,それでいいじゃないか。ここには,ニートも下流社会もない。日々の暮らしに追われる普通の人々の姿が鮮やかに描かれている。それは1977年のニュー・ヨーク・シティの人間模様だったかもしれない。でも勝ち組からニートまで揃った2006年の日本より,よほど共感を感じるのだ。

2011年11月26日付記
☆ 自分で言うのも恥ずかしいが,5年半以上も前に書いたことからいまだに一歩も前進出来ていない(爆笑)。むしろ世の中の方が余程悪くなっている気がするほどである(再爆)。

☆ 1970年代の半ば高校1年相当の英語(Reader)のテキスト教材の中に「アメリカ人は動き回るのが好きだ」という話題があった。そのリーダーを読んだのは残念ながら1976年の春学期だった。2年遅かったら,この曲を聴いていたら,そのレッスンだけは相当良い成績が取れたに違いない(失笑)。まるでこの歌のことを暗示したような内容だったのだから!

2013年4月29日付記
R.I.P. Philip "Phil" Ramone (January 5, 1934 – March 30, 2013)

(いずれも内容は2006年3月12日と同一)

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「High Gear」 (Niel Larsen 1979年)



ハイ・ギアハイ・ギア
1,620円
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☆ トミー・リピューマ(July 5, 1936 – March 13, 2017)がその名を上げたのはワーナー時代のジョージ・ベンソン『ブリージン』(1976年5月)だが,大活躍となったのはA&M傘下のホライゾン・レコードにいた1978~9年だろう。リピューマは彼が事実上立ち上げたクロスオーヴァー/フュージョンの若手アーチストを探しに日本に訪れカシオペアとYMOを発掘した。後者がクロスオーヴァーでないのは明白だが(爆),いずれにせよリピューマの手柄である。その後の彼のキャリアに輝きを添えるのはナタリー・コールの『アンフォゲッタブル』(1991年6月11日)だが、それはまた,別の話。

☆ 彼がホライゾンで手掛けた一人にニール・ラーセンがいて,ラーセンが二つのフルムーン(バンド)の間のソロ・キャリアとして残した2枚のアルバム『Jungle Fever』と『High Gear』は彼のプロデュース作である。

High Gear (Niel Larsen)



PERSONEL
Key.Neil Larsen
G.Buzz Feiten
B.Abraham Laboriel
Ds.Steve Gadd
Perc.Paulinho DaCosta
Ts.Michael Brecker

テーマ:Musically_Adrift - ジャンル:音楽

音楽を評論するということ


初出:2007年4月29日 (一部改稿)
☆ 音楽を評論するということには幾つかの側面がある。そのひとつにはその音楽の成り立ちという視座がある。その応用では歌の「ことば」と「曲」を分けて,それぞれの成り立ちを捉えることがある。それはその音楽あるいは作品に至る過程(社会的背景から音楽家の個人史に至るまで)を考察することでもある。

☆ そのような評論の場面において,好ましくない見本が幾つかある。ひとつはまず結論ありきの「論評」である。最初からある結論に到達することを目的とした議論である。例えば「流行歌は低俗だ」という結論があったとして,その結論に向けて自分に都合の良い証拠を探し回るような姿勢である。この実例はさる高名な文芸評論子(彼の業としては新聞記者であった時代が余りにも長いので,文芸評論家としては短命であった。ただし書評氏としては超一流であったことは否定しない)が,自分の勤めていた新聞の中で歌謡曲を罵倒する特集記事を三週間近くに亘り掲載した「百目鬼事件」がその代表である。ぼくは百目鬼恭三郎(注:元朝日新聞記者・「風」の筆名での週刊新潮の書評は有名。故人)を書評家として評価はするが,この時の恨みだけは絶対に忘れない。

☆ 最近もSo-Netのウエブログに似たような記事を見たことがある(注:2007年かどうかは忘れた)。その投稿者はAとBの曲が部分的に似ていることについての反論をさまざまな形で提示していた。その論旨自体は納得性があり興味深く思ったが,ぼくにはその人(性別不詳)が,なぜそこまで「ムキになって否定するのか」がどうしても理解できなかった。「タモリ倶楽部」に「空耳アワー」という名物コーナーがあるが,似たようなフレーズや同音の出だしなどということは音楽にはありふれた話で(「ミスティ」と「引き潮」の最初三音は全く同じとかね),音楽というのはその音のアイディアをどう展開していくかが重要であり,他人のヒット曲のフレーズを無断借用したかどうかに拘るのは,自分はいろんな曲を知っているということを自慢したいからという深層心理の裏返しに過ぎないと思っている。こういうのは「批評ごっこ」であり評論とは何の関係もない。

☆ じゃあお前は「○○万歳(マンセー)」しか認めないのかと問われたら,そちらの方が音楽に限っては「毒が薄い」分マシだろうと答えたい。しかしそれも音楽を評論するという次元には程遠い「批評ごっこ」に過ぎないだろう。かつてぼくが役立たずなアイドル評論を「オリコンウイークリー」に投稿していた頃,「ファンになったら痘痕(あばた)も笑窪(えくぼ)かい?」と罵詈雑言を浴びせたヤツがいた。ぼくはその時は何も書かなかったが,そいつは自分が支持する「だれとかさん」と松田聖子を無理矢理比較したり,別の「だれとかさん」を褒め称えるのに御丁寧にも,もう一度「同じようなこと」を書いたから,チョッとカチンと来て反論したら,そういうことを書いてきた。

☆ 相対主義なんかで音楽を評論した気になるのは,愚の骨頂というより「私は馬鹿でございます」と世界中に宣伝しているようなものである。AとBを比較してどっちが良いなんて「偏差値教育」の成れの果てみたいな話で音楽を語るなよ。それは「スネークマンショー」のネタにもあった「良いものもあれば悪いものもある」のギャグと何ら変わらない。

☆ ぼくは淀川長治さんの映画解説が好きだった。淀長さんは映画が好きで好きでそのままそれを職業にしたようなヒトだった。だから「淀長さんは良いことしか言わない」と当時から良く悪口を書かれていた。でも,好きでもない映画を見て「これはあそこがダメだった」とばかり言って何が面白いのだろう。映画も大衆音楽も娯楽である。娯楽は楽しむものであって,楽しめないものに時間も言葉も費やすべきではない。ぼくは訳知り顔の「自称評論家」よりもどしろうとでも「これが好きなんだ」と言える人の発言の方が余程信用できる。たとえそれが「批評」レベルであったとしても,そっちの方が見ていて役に立つと思う。

☆ 音楽評論(演劇・映画でもそうだが)は,目と耳と頭と心で感じたものを文字で表す作業である。生半(なまなか)な努力では,絶対にオリジナルには勝てない。その厳しさもなくただ「あてがい扶持」を頼って駄文を書き流している「自称評論家」(新聞雑誌記者に多い)を見てると,腹の底から吐き気がする。小僧の感想文に支払う金なんか,どこにもないのだ。
=続く=

初出:2007年5月4日 (大幅改稿)



☆ いまは閉鎖され跡形もなくなったとある音楽サイトに書かれた投稿があった。

☆ ぼくもあの「集団リンチ事件」のことを忘れないし,目が黒い限り絶対に許さない。そして事の顛末を書き連ねることで「音楽を評論すること」の本質について彼等「職業音楽評論家」達に刃(やいば)を突きつけたいと骨の髄,腹の底から考えているからである。

☆ 事の起こりは,このアルバムである。



☆ このアルバムでトーキング・ヘッズの四人は,アフリカン・アメリカンのリズム隊を大胆に導入した。その傾向は,このアルバムの前の作品『Fear of Music』に既に現れていた。おそらくその後のTom Tom Clubの作品から考えて,デヴィッド・バーン(David Byrne:Guitarist/vocalist)の趣味というより,ヘッズのリズム隊を受け持っていたクリス・フランツ(Chris Frantzd:rummer)とティナ・ウエイマウス(Tina Weymouth:bassist)の嗜好だったと考えられる。





☆ このリズム隊のアプローチに噛みついた人物がいる。当時『Rocking On』編集長だった渋谷陽一だ。その評価は酷評そのものだった。記事を持っている訳ではないので正確には書けないが,アフリカン・リズムを安直に導入したそのアプローチを「クソだ」と批判した。ぼくは詳しい事情は知らないから,ヘッズの方法論がクソだと渋谷が断じた論拠には賛成しかねる。少なくともその後のヘッズやトムトムクラブのアプローチを見る限り,導入したものを消化して血肉としたことは事実であり,その結果が『Speaking in Tongues』で初めてヘッズは米国でのポピュラリティを得ることになった。



☆ しかしこの「トーキングヘッズはクソだ」に極めて不快感を感じた評論家がいた。今野雄二である。今野にしてみれば自分の美学,言い換えれば自分の顔にクソを塗られた思いであっただろう。その怒りは解らないでもない。しかし,率直に物言いをした渋谷に対して今野の反撃は明らかに陰湿だった。今野は渋谷に直接反論する代わりに,渋谷お気に入りのミュージシャンの個別攻撃を開始した。坊主憎けりゃ袈裟(けさ=坊さんの法衣)まで憎しという訳だろうが,それでは議論にはならない。今野には悪いがまさしくオカマの喧嘩である(爆)。

☆ 結論を言えば,ぼくも「ヘッズがクソだ」と言った渋谷の目の方が節穴だったとは思う。しかし,今野のやり方は昨今(注:2007年現在)どこぞの国の「裏サイト」で流行っているような低脳を絵に描いたようなやり方だと思う。ファンの多い(レッド・)ゼップは批判できないから,ロバート・フリップを悪し様に腐す様は,やはり大のオトナのやる事とは思えなかった。

☆ 当然,一国一城の主である渋谷は自分の雑誌で今野を個人攻撃した。曰く「何か流行りそうなものがあれば,今野雄二が太鼓を叩いてやって来る」。これまた完膚なきまでに相手を叩きのめす悪し様な目を背けたくなるような感情の塊のような「中傷記事」だった。結局こうやって渋谷と今野の対立はそれぞれの拠点である『Rocking On』と『ミュージック・マガジン』の間の壮絶な内ゲバとなったのである。

※ゲバとはドイツ語のGewalt(暴力)のことで,内ゲバとは反体制の学生運動が分裂する中で,かつて共闘していたセクト同士が相手を攻撃し,しまいには暴力団の出入りのような実力行使に走っている(現在も続いており,公安警察がそれをマークしている)行為を指す。ここではもちろん最大級の皮肉として引用した。

☆ その文脈の中で,最初に引用した『Don't Stand Me Down』の集団リンチ事件が勃発した。当時の『ミュージック・マガジン』には四人のレビュアーがひとつのアルバムを合評する「クロスレビュー」と言うコーナーがあったが,そこを舞台にあろうことか『ミュージック・マガジン』の編集長であり発行人(注:当時)である中村とうよう(東洋)本人が先頭に立って,上に引用したような言論暴力を振るったのである。

☆ だからぼくはあれ以来『ミュージックマガジン』を手に取っていない。『レコード・コレクターズ』は興味深い特集が幾つもあったが,今まで一冊も買ったことがない。これからも買わないだろう(注:この措置は大滝詠一氏の追悼号をもって解除した)。ただし中村東洋が岩波新書から出した『ポピュラー音楽の世紀』だったか,あの本だけは参考のために買った(注:数年前に読了したが非常に参考になる本だった)。そして90年代を過ぎて,ぼくはこの忌まわしい思い出と共に「ポピュラー音楽の世紀」に自ら幕を下ろした積りだった。


☆ そんなぼくが今頃になってポピュラー音楽のレビューを書くことが出来るのは,やや皮肉な気持ちがする。ただ,だからこそ,これは言っておきたいのだが,音楽評論は「独立したひとつの所為」である。それをどんな形であれ「他の目的に利用するな」。それをやった者は魂をどこかに売り飛ばした者である。そんなヤツの「評論」は金輪際読まない。読みたくもない。そしてぼくは自分の目が黒いうちはそんな評論はただの一本だって書きたくない。それが自分の心を捉えた流行音楽というものへの最低限の礼儀であると,ぼくは思っている。今回,名を挙げて断罪した何人かの音楽評論家は確かにぼくの音楽観に多かれ少なかれ影響を与えてきた。ぼくはそのことまで「都合良く消去」したりはしない。しかし,彼等がやったことは,ぼくの心を深く傷つけた。そのことは事実だし,何度でも書くが,目の黒いうちは,絶対にそのことをぼくは忘れない。それが音楽評論の真似事をやっている駄文書きの最低限のプライドであるから。

2017年9月13日追記



☆ これを書いた後でぼくが耳にした話はもっと下らない「おはなし」だった。当時(ヘッズが『'77』でメジャーシーンに登場した頃)から渋谷と今野はそれぞれの見地からこのグループの音楽的前衛性と将来性を評価してきた。例えば今野はイギリスでXTCが登場した時に「イギリスのトーキング・ヘッズのようなバンド」と評していた(もっとも今野がバリー・アンドリュース在籍時のXTCを知っていたかどうかは分からない)。

☆ ぼくが聞いた話は『リメイン・イン・ライト』での黒人ミュージシャンとのコラボを渋谷は当初評価していたものの,今野のべた褒め評価を知ってその評価を変えたというものだ。今野は故人だし今さら渋谷に訊くわけにもいかない(この辺「問題のレベル」も含めて桑田佳祐と長渕剛の確執に実によく似ている)。きっかけがどうであれ,この人々が「やらかした」ことは音楽評論どころか「音」を「楽しむ」ことの極北にしかなりえないと,ぼくは感じている。

☆ 音楽とはその音楽を作り出す者とそれを聴く者との対話である。対話が成立しないのであれば,その音楽を聞かなければよく,そのことを他人に伝える必要もない。そもそも対話になっていないのだから,評価などできるはずもない。それでは音楽評論家という職業は成立しないじゃないかというなら,それは甘い認識だ。

☆ 淀川長治氏が真のプロフェッショナル映画評論家だった理由は,どんな映画(ヒットしなくても,逆にヒットしたけど世間的には駄作とされる作品)でも,どこか評価に値するシーンを見つけ出す(映画を最後まで集中的に見ていかないと見つからないだろう)ところにあった。それは無理やり「帳面消し」をしているからではない。彼が映画が好きで「映画の魅力」を信じているからである。評論でメシが食いたければそこまで相手を好きになるしかないのだ。

☆ この記事を書いた後,奇しくも当事者の二人(今野雄二,中村東洋)が同じ死に方(自死)をした。だからどうだとは言わない。生き残ったぼくは,自分の音楽の聴き方を示すことで死者に対しても正当に抗議を続けていく。それは彼らが愛した音楽が,ぼくのそれと「同じ天に存在すること」をぼくが信じているからである。ポピュラー音楽の未来のために,僕は誇りを持って敢えてこの旧稿を再びここに示すのである。


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The Doors 「Light My Fire(ハートに火をつけて)」 (ドアーズ 1967年4月24日)


初出:2006年9月23日



Light My Fire
(Jim Morrison, Robbie Krieger, John Densmore, Ray Manzarek)


You know that it would be untrue
嘘だと思っているんろ
You know that I would be a liar
ぼくが騙していると思っているんだろ
If I was to say to you
もし君にこう告げたら
Girl, we couldn't get much higher
もっともっと,気持ち良くなれる

Come on, baby, light my fire,
こっちに来て,ぼくを燃やしてくれ
Come on, baby, light my fire,
こっちに来て,ぼくを燃やしてくれ
try to set the night on fire.
この夜を,愛の炎の中に投げ込んでくれ

The time to hesitate is through,
ためらっていないで
no time to wallow in the mire,
ぬかるみに足を取られないで
try now we can only loose,
今、お互いの心を解き放たなければ
and our love become a funeral pyre.
ぼく達の愛なんて,あっという間に終わってしまう

Come on, baby, light my fire,
こっちに来て,ぼくを燃やしてくれ
Come on, baby, light my fire,
こっちに来て,ぼくを燃やしてくれ
try to set the night on fire.
この夜を,愛の炎の中に投げ込んでくれ

The time to hesitate is through,
ためらっていないで
no time to wallow in the mire,
ぬかるみに足を取られないで
try now we can only loose,
今、お互いの心を解き放たなければ
and our love become a funeral pyre.
ぼく達の愛なんて,あっという間に終わってしまう

Come on, baby, light my fire,
こっちに来て,ぼくを燃やしてくれ
Come on, baby, light my fire,
こっちに来て,ぼくを燃やしてくれ
try to set the night on fire.
この夜を、愛の炎の中に投げ込んでくれ

You know that it would be untrue
嘘だと思っているんろ
You know that I would be a liar
ぼくが騙していると思っているんだろ
If I was to say to you
もし君にこう告げたら
Girl, we couldn't get much higher
もっともっと,気持ち良くなれる

Come on, baby, light my fire,
こっちに来て,ぼくを燃やしてくれ
Come on, baby, light my fire,
こっちに来て,ぼくを燃やしてくれ
try to set the night on fire... × 4
この夜を、愛の炎の中に投げ込んでくれ


(訳者メモ)
☆ Ed Sullivan Show(エド・サリヴァン・ショー)に出演した時、Jim Morrisonが歌詞の「higher」(大麻などによる精神の高揚を意味する隠語として70年代まで嫌われていた)を、敢えて歌ったという有名なエピソードは、後年オリバー・ストーンが映画『DOORS』でも描いている。この映画にも例の如く賛否両論あるけれど、少なくともこの曲の誕生についてのエピソードが活写されているところは良いと思う。

↓ オリバー・ストーン監督作品『ドアーズ』



☆ 歌詞を見てもらえばよくわかるが、韻の踏み方がきれいだ。「liar」と「higher」、「mire(マイヤー)」と「pyre(パイヤー)」。この言葉を発する時のJimのヴォーカルも蠱惑(こわく)的で、「higher」が邪推と関係無く、彼の美的センスからもとても譲れなかったのは、思うに当然のことだったのだろう。

2017年9月11日付記
☆ ぼくは画家のいない「神ってる」という昨今の流行語が嫌いなのだが(笑),確かにこの曲でのドアーズの4人(プラス1人は下のPERSONEL参照)は,このチープな流行語を意外にリアルな存在として感じさせるものがあると思う。要するに言葉の本来的な意味で「神懸っている」のである。

☆ この曲,正確には曲のイントロに「引きずり込まれた」のは,曲が実際にヒットしていた大昔かもしれない。それくらいこの曲は「一発で耳に付いた」。それはなんだか呪術的(その頃はそんな言葉は知らなかったが)で,どこか恐ろしくもあり,それ以上に魅力的でもあった。この曲に関しては全くこう言わざるを得ない「好きになるのに理由がいるか?」

☆ 知覚の扉には近づいたことも無い凡人のぼくでも,この曲からは日常は感じられない。歌詩を見れば日常のことを歌っているのに,曲と演奏がそれ(日常に塗れること)を拒んでいる。のんびりした言い方をすれば浮世離れしているのであり,もう少しリアルに言えば鬼気迫るであり,ぶっちゃけ言えばラリってるとしか言いようがないのだ(笑)。

☆ 麻薬(合成麻薬)はしかし,この曲の中では触媒(カタリスト)に過ぎない。この曲が示しているものはその幻影の表皮を剥いだ生々しい肉であり,感情や情念であり,関係性であるのだと思う。ここまでぶつけ合うことをすれば,(麻薬の力があろうがなかろうが)人間はどこかで壊れてしまうであろう。それはジム・モリソンというひとりの人間にも言えたことではなかったのかと思うのだ。

PERSONEL
Jim Morrison – lead vocals
Ray Manzarek – Vox Continental combo organ, keyboard bass
Robby Krieger – Gibson SG electric guitar
John Densmore – drums
Session musician Larry Knechtel – bass guitar, credited by Robby Krieger



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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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