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2019-01

訳しにくい曲



☆ 訳しにくい曲には幾つかのタイプがある。ひとつはその時代の風俗に関する知識がないもの。これではその曲が流行った背景やその時代の流行,俗語などが分からない。ふたつめは歌詩に意味があまりない場合。これは詩というよりは詞(ことば)そのものである場合が多い。多くはリズムもしくは韻を踏むための詞であるので,そのニュアンスまで訳すことはかなり難しい。80年代にヒップホップが出てきた頃に,いとうせいこうが話していたように「ラップのアルバムの歌詞カード(訳詩)」は途轍もないものになる。

☆ それ以外にも物語性の強い作品の歌詩は訳しにくい。訳せないというより,どれが正しい訳なのかはリスナーに任されてしまうからだ。というより端(はな)から「正しい訳」なるものが存在し得ないと言っても良い。それゆえ「文学作品の解釈」同様のことがここでも起こる。文学作品の解釈に関する意見は村上春樹が書くように「うんざり」させられることも多いが,古典になった時にその価値が変わってくる。価値が変わるというのは先ほど書いたように「その時代を探る鍵」としての役割が自然と出てくるからだ。

Alone Again (Naturally) (Gilbert O'Sullivan 1972年2月18日)



☆ ギルバート・オ’サリヴァンのこの曲も淡々と綴られる物語が虚実の合間を揺蕩(たゆた)う「深さ」によって世界中のリスナーに響いたことは事実であるが,直訳するほど曲の物語からどんどん離れていってしまう気になる。訳しにくい曲だ。

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よみがえる言葉



☆ 1970年代の初め頃,ませた子供達は「いっぱしの」言葉を使いたがり,意味も分からず使い倒していた。やがてそういう「いっぱしな」言葉たちは俗語に簡単に淘汰されてしまう。俗語はその時代の最先端であり,どういう息遣いをしているかは別にしても生きた言葉であるがゆえに「流行語」の壁を乗り越えられれば,したたかに生き残ることになる。「いっぱしの言葉たち」の多くのものは前世代の俗語であったりする。例えば「ベイテイ」と聞いて「米帝国主義」の略であるというように。反面,既にこの時代にして「コクタイ」はその本義を問われる国體ではなく「国民体育大会」か「国会対策委員会」になっているというように。

☆ で,その「いっぱしの」言葉の中に「ファッショ」というのがあった。「ファシズム」と「ファッションショー」とを当時の子供たちがどの程度識別できていたかは別にして,独善的な相手(たいてい子供のことだから「虫が好かない相手」なのだが)の行動に対する非難として「ファッショだ!」などと口走っていたのである。

☆ ファシズムの本質めいた話をするには学が足りないのだが,この思想は徹底した「うちら」と「あいつら」という二分法がある。ファッショという言葉は束ねる=束になるというあたりにルーツがあるそうだが,ファシズムの二分法は長方形の中に円を描くとわかる。むかし数学で「集合(論)」を教えてもらった時に「全体」マイナス「集合」イコール「補集合」という絵が出てきたと思う。あれがファシズムで,○の内側と外側を区別するということになる。

☆ 実はファシズムはありとあらゆるところに形を変えて存在している訳で,それらの世界は共通して不寛容という特徴があるし,またそのほぼ全てが独善的である。すると,いにしえの「いっぱしの」子供言葉「ファッショだ!」というのは案外真実を衝いていることになる。

♪ 「The Boxer」 (Simon & Garfunkel 1969年3月21日)



The Boxer (Paul Simon)
I am just a poor boy
Though my story's seldom told
I have squandered my resistance
For a pocket full of mumbles, such are promises
All lies and jests
Still a man hears what he wants to hear
And disregards the rest

When I left my home and my family
I was no more than a boy
In the company of strangers
In the quiet of the railway station
Running scared,
Laying low, seeking out the poorer quarters
Where the ragged people go
Looking for the places
Only they would know

Lie la lie, lie la la la lie la lie
Lie la lie, lie la la la la la lie la la la la lie

Asking only workman's wages
I come looking for a job
But I get no offers
Just a come-on from the whores
On Seventh Avenue
I do declare
There were times when I was so lonesome
I took some comfort there, la la la la la la la

(interlude)

Lie la lie, lie la la la lie la lie
Lie la lie, lie la la la la la lie la la la la lie

Then I'm laying out my winter clothes
And wishing I was gone
Going home
Where the New York City winters
Aren't bleeding me
Leading me
Going home

In the clearing stands a boxer
And a fighter by his trade
And he carries the reminders
Of ev'ry glove that laid him down
Or cut him till he cried out
In his anger and his shame
"I am leaving, I am leaving"
But the fighter still remains, mmm...

Lie la lie, lie la la la lie la lie
Lie la lie, lie la la la la la lie la la la la lie
Lie la lie, lie la la la lie la lie
Lie la lie, lie la la la la la lie la la la la lie
Lie la lie, lie la la la lie la lie
Lie la lie, lie la la la la la lie la la la la lie
Lie la lie, lie la la la lie la lie
Lie la lie, lie la la la la la lie la la la la lie
Lie la lie, lie la la la lie la lie
Lie la lie, lie la la la la la lie la la la la lie
Lie la lie, lie la la la lie la lie
Lie la lie, lie la la la la la lie la la la la lie
Lie la lie, lie la la la lie la lie
Lie la lie, lie la la la la la lie la la la la lie
Lie la lie, lie la la la lie la lie
Lie la lie, lie la la la la la lie la la la la lie


☆「ボクサー」の歌詩を出来る限り正確にトレースしようと思ったのは,この曲の終末に築き上げられる巨大な音の壁が主人公の孤独の大きさを示していることを伝えたかったからだ。
☆ ぼくの思う最強の俗語は「やばい」だ。この江戸言葉は東京方言として生き残り,意味を七色に変化させて全国に定着した。米俗語(表現)では "awesome" がこれに当たる気がする。
ご参考➡https://eigobu.jp/magazine/awesome

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「Rainy Day Woman」 (松原みき 1980年9月21日=アルバムリリース)



☆ 彼女は髪をアップにしてオーバーオールを着ていた。ジャズっぽさを敢えて消して「きょうびの(=その当時の)ニュー・ミュージックのお姉さん」風になっていた。アルバムの作りもそういうところがあって方向付けの難しさを当時は感じたものだ。いまごろ分類すればやはりシティ・ポップだからAORという分類が正解かなとは思うけど。困ったことに美人でフォトジェニックの気もあったから,若手カメラマンにはいい獲物だったかもしれない(苦笑)。でも彼女の本質は紛れもなく歌手であり,歌手が歌手でいられなくなる(=キャラクター化し,ある種のアイコンになっていく)時代に住みにくかったろうことはほかの数人の同時代の歌手(歌謡曲側もニューミュージック側も)を見ても良く分かる。そのラインを抜けていくには松田聖子くらいの幸運が無ければ無理だったと今にして思うところだ。

☆ 曲の季節は本来的には秋風が吹くころなんだろう。松本隆の詩でいけば南佳孝「スコッチ・アンド・レイン」の雨が夏の終わり頃だろうから,それよりはもう少しあと,ちょうどアルバムがリリースされたころの情景に見える。でも歌詩を多少無視して見れば(夏にピークだった関係が冬まで続いていたとしたら)この季節でもさほど違和感はない。天野滋(N.S.P.)が歌ったように冬は本来「雨は似合わない」のだが,こういう曲だったら意外と似合うのではないか。

「Rainy Day Woman」 (作詩:松本隆/作曲:亀井登志夫/編曲:松任谷正隆)



☆ みき姐は「水も滴(したたる)る」系のコケットリーがあって,むかし近田春夫が河合奈保子を間違って評して言った「無意識過剰」にほど近いものがある。こういう色気は同性に嫌われるか支持されるか二分してしまうんだなあ。嫌う方の言い分はたぶん「色目を使う」とかそういうことになりそうな気がする(苦笑)。だけど「滴る色気」ってものは本人にとっては文字通り「無意識」のところがあって,90年代以降にバッシングされた幾人かの女優や女性タレントはそういう弾劾を理不尽なものと捉えていたに違いない。だって自分ではどうしようもないのだから。

☆ それにしても豪華なパーソネルをバックに,本人は泳ぐように歌っている。これも昔,林哲司がコラムに書いていたがレコーディング・スタジオに現れたみき姐の髪が濡れていたので理由を訊いたら「プールで泳いでから来た」とのこと(どうでも良いが彼女が通った学校も確か大阪のプール学園だ=笑=)。どおりで水も滴るのであった。

PERSONNEL
松任谷正隆(keyboards)
高水健司(bass)
林立夫(drums)
松原正樹(E. guitar)
吉川忠英(A. guitar)
ラリー須永(percussion)
ジェイク・H・コンセプション(flute)
タイム・ファイブ(chorus)←たぶん間違いない



☆ 近田が「考えるヒット」か何かで河合奈保子を評した理由はザ・ベストテンのようなTV放送で彼女の受け答えが異様に元気いっぱい(常にそうだった)ことだったのだが,あとで彼女がデビュー前に体育会の部活をやっていていたことが分かって,それが真相だということに落ち着いた。先輩ににらまれないように下級生は大きな声で返事するというマナーを先輩だらけの芸能界でも彼女は自分のコードにしていたというだけの話である。

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あれは86年あたりだったかな



☆ まだ当時勤めていた会社に車通勤できていた頃だったと思う。その頃のFM横浜はMMLT(モア・ミュージック・レス・トーク)を打ち出して成功していた。朝7時から早見優の持ち番組があって,その次の番組のテーマ曲がスクエアの「メリイルウ」だった。だからぼくは遅刻しないように車を寮から出す時にこの曲をよく聴いていた。

MERYLU (作曲:和泉宏隆)
1989.6.26大阪フェスティバルホール。コンサートツアー1989"WAVE"



☆ 会社に電車通勤していた頃は毎日2時間の残業が事実上の定時だった。よく考えれば,コンピューターはまだ一部しか導入されておらず(アップルコンピューターとかマイクロソフトとかインテルなんて会社のことは名前も知らなかった。会社に行く途中にヒューレット・パッカードが当時某社と合弁で出していた会社があったので,この社名だけは知っていた),いまの人が言う「昭和な(=高度経済成長時代の)仕事のやり方」をしていたのだと思う。いま思えば最初の上司は紛う事無きパワハラ体育会系だったし(失礼ながらK大体育会の典型的軍隊向き人材だったんじゃないのか),あの体験から体育会(的思考)は親ならぬ自分の仇になったのだが,内部通報制度もコンプライアンスも何もない時代だったからできることは何もなく今さらながら#me,tooを食らわせてやりたくなるのだ。

☆ いま思えば,当時は間違いなく自律神経失調症だったし軽度の抑うつ状態だったのだと思うが,車通勤(これをするためには常時3時間残業になっていたが)をするようになって音楽が気晴らしになった。ポピュラーソングが多く,トークの少ないFM放送が朝の親しい友人となったのもそういう経緯があったからだと思う。

☆ 何者にもなれなかったぼくが思うのは,30年前の曲を30日前の曲のように語れるようになること。そのときぼくの頭の中には30万曲のジュークボックスがあり,30万曲の「ともだち」がぼくを孤独から救い出してくれるということだ。

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「沖縄ベイ・ブルース」 (ダウン・タウン・ブギウギバンド 1976年11月5日)


初出:2013年2月2日

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(2003/12/03)
ダウン・タウン・ブギウギ・バンド

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「沖縄ベイ・ブルース」(作詩:阿木燿子 作曲:宇崎竜童)



☆ ウィキペディアでブギウギバンドのシングル・ディスコグラフィーを見ていたら全部知っていることがわかった(苦笑)。ミュージシャンでもバンドでも当たり(曲)が出れば狂ったように忙しくなるが,反面自分の言いたいことが言えるようにもなってくる。ブギウギバンドの場合は阿木=宇崎という最強のソングライターチームがポピュラリティの塀の上で反抗を叫びながら駆け抜けていた一時期があり(やがてもう少しコマーシャルベース寄りに収斂し,宇崎が「ファイティング」を冠した80年代に崩壊する)この曲はそのバランス取りが最も成功した作品だと思う。

☆ オキナワの抱える問題はその名を沖縄市と変えたコザに象徴される日本とアメリカの「戦後問題」でもある。阿木燿子にそれが見抜けたのはヨコスカという街の持つ同質性があったからだろう。また琉球テイストを軽く塗(まぶ)したボルト/スタックス・ソウル調の楽曲は当時は唯一無二だったし,宇崎の全作品中でも最上位に属する会心作だと思う。

☆ 前回の曲(放禁にはならなかったが,あまりに「生々しかった」ので,実質的にAB面を入れ替えてプロモートされた)といい,この曲といい,人間のやることの本質を穿つ作品は,その本質は世代に関係ない普遍的なものであることがわかる。その摂理にも近い事実に目を背けて空念仏にも等しいキレイゴトを塗布しようとするのもまた,人間という動物の本性であるのかもしれない。

2019年1月2日追記

☆ ちょうど横でウイーン・フィルのニューイヤー・コンサートを優雅に放送している(1月1日20:30頃)。19世紀末のウイーンは「踊りの都」であったろうと思う。ウイーン菓子というとどうしてもチョコレート系に目が行ってしまうのだが,そういうものをカフェでつまんだら自分だってお洒落に見えるかもしれない(という妄想)。

☆ それはそれとして先日に引き続き阿木=宇崎作品になる。沖縄の戦後史を考えた時,この曲の頃はまだ返還されて日も経たず,むしろそれが強調されていた部分があったと思う。こういう言い方が良くないのを承知して書くが,その毒消しは80年代に入って外国(グアム・サイパン,これにハワイを加えても先の世界大戦を象徴する場所であることを覆い隠して「海外旅行ブーム」で「毒消し」していたのだが)まで手が届かない若者のビーチリゾートとして各航空会社がせっせと都会の若者(半分以上が女性)を集客して沖縄に送り込むことで進めていった。

☆ ブギウギ・バンドの作品では代表曲「港のヨーコ・ヨオハマ・ヨコスカ」でも行き着く先は米海軍第7艦隊の基地がある横須賀だったし(そういうエピソードも曲の中にある),この曲でもコザ(沖縄市)とかが容易に想像がつく。この曲がリリースされる少し前には米軍横田基地回り(というより大滝さんが住んでいた福生)が舞台の村上龍『限りなく透明に近いブルー』が芥川賞を獲ると同時に社会現象になっていた。これらがこの曲のバックグラウンドに間違いなく含まれている。

☆ 矢部宏冶がせっせと書いている『知ってはいけない』シリーズの2冊の新書本で分かるような状態が戦後日本の「影」なのだが(白井聡の『永続敗戦論』もほぼ同じ座標軸の上にある),阿木・宇崎夫妻もこのラインの問題意識はかなり高い。この曲で置き去りにされる主人公の女の子が越えていく海は東シナ海ではなく太平洋そのものであり,相手は海兵隊の兵士だろうと容易に想像がつく。阿木がここで書きたかったのは「置き去りにされる女の子」の話であるが,ここ数年の沖縄を巡る問題を見る時,女の子はオキナワそのものの隠喩に見えてしまうのが皮肉な話だと思う。



☆ 曲調は完全な60年代アトランティック・ソウル(ボルト/スタックス)系をベースに沖縄音楽風のフレイバーを載せるという見事な編曲。この頃からブギウギ・バンドはもともとあった自己主張を強め,世に出た当時の「軽さ」を意識的に断ち切って本来の「渋線狙い」になっていくが,この時期が一番充実していたように思う。

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「ロックンロール・ウィドウ」 (山口百恵 1980年5月21日)【追記あり】


☆ Wikipediaのこの曲の解説を見ていると,今世紀になってからのカヴァーが多いことが分かる。また若い女性歌手のカヴァーが多いことも同時に分かる。このことが意味しているのは曲の今日性というより,キャラクターとしての「ロックンロール・ウィドウ」が自立したとも考えられる。そう。この曲は彼女の30枚目にして唯一のノベルティ・ソングであるとともに,今日的な言葉でいいかえれば「コスプレ・ソング」だからである。

☆ まず全体がロックンロール(ロックビジネス=産業ロック)のパロディである。阿木燿子も宇崎竜童もかつてのGS周辺からのショウビズの表も裏も知っているので(ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのシングルなら「商品に手を出すな」を聴けば分かる),ここで語られるパロディが真実と紙一重というよりほぼ表裏の関係にあることなど承知の上である。まして阿木は歌と演技の間でマネジメントサイクルを回すように成長してきた山口の個性に対して最大限の「遊び」で応えたといえる。

☆ 何回か書いたがこの曲に対して平岡正明は魂消(たまげ)たらしく「結婚前の百恵を寡婦にした」と面白がっていたが,その設定からして当時はパロディ以外の何とも思われなかった筈で,この「遊び方」に世間は平岡のように感心したのだろう。やはり電子の網目の中ではこんな遊びはもはや許されないだろうし,今の若い娘が188(=(48+46)*2)人がかりでも,この曲には勝てないだろう。それは歌手や曲が偉いからでも何でもなく,「そういう世の中」になってしまったということだ。

↓ Wikipediaの解説にあるパフォーマンス(気合の入りまくった生歌・生演奏をどうぞ CX「夜スタ」)



☆ 歌と演技のフィードバックが山口百恵を短期間で進化させたことは間違いないと思っている。これは70年代に限らず女性アイドルの売り方のスタンダードなのだが,80年代にこれが壊れたのはポストモダンによる差異化・差別化とビデオによる再生文化,その後のディジタル化・ネット化とテクノロジーの進歩によってアイドルなるものの機能分化が進み,住む場所が増える代わりに敷居も低くなる,つまりレッドオーシャン化したということに他ならない。だから上に書いた188人の中の誰かが70年代にいた(言い換えればかの女の親の世代にいた)としたら,その時代の中でも山口百恵がどれだけの彗星(消え方も含めて)であったか思い知っただろう。その時,かの女は21世紀的な「アイドル」を目指しただろうか?

作詩:阿木燿子 / 作曲:宇崎竜童 / 編曲:萩田光雄



☆ 女優としての山口百恵が最後まで演じることができなかったのがコメディで,本人のキャラクターもあったとは思うが(ギャグ番組のゲストではそれなりにこなしていたし,一部ファンには有名な「タンタンタヌキ」事件も本人に意外と天然ボケの面があるということで好意的に取られていた)しかしキャラクターとしての山口百恵はシャープで現代的な面と古風で情緒的な面を上手く引き出すことで成立していたのでコメディエンヌとしての資質を問われることはなかった。

☆ これに気付いてシングルの主人公キャラクターをコメディ寄りに動かして成功したのが75年の桜田淳子で(本来,かの女のほうが女優志向は強かったし,コメディエンヌとしての素質も高かったと思う),そういう事情もあって山口百恵のシングルでコメディタッチの作品は誰も考えつかなかったと思う。そのギリギリの線を狙ったのがこの曲の本来的な立ち位置ではないか。

☆ この曲のパロディについてもう少し細かく見ていく。レコード演奏で思い知らされるが,バックは完全な「70年代ロック」である。リズム隊が強力で,間奏ではリードギターが歌を押しのけようと自己主張する。さらに全体的な「荒っぽさ」は明らかにパンク/ニュー・ウエイブを意識している。歌手の方はおそらく彼女のキャリアの中でこれ以上ないソウルフルな歌い方(明らかに事務所の先輩である某女性歌手を意識している)で決め,この「決め」が歌が導く歌手のキャラクタライズの要因となっている。

☆ まだアイコンが宗教画(イコン)だった時代に,無意識のパロディですべて先取りしているのである。この時代にそういうコスチュームは使えなかったとはいえ,5,6年後だったら彼女の衣装はおそらくレザーだっただろう。後付けと嗤われてもそこまで見通せるから「コスプレ・ソング」と言い切れるのである。そして作家陣は異なるものの,この曲のアプローチは1980年代後半に一世を風靡する「カタカナ演歌」(アン・ルイスら)の源流と目して良いと思われる。加えてこの曲に先立つ4月1日に「裸足の季節」で歌手デビューする松田聖子に次代の主軸が移っていくことも付言しておきたい。

☆ ぼくは昔,まだどこぞの大きな掲示板がない時代に,その当時あったとある掲示板のトピックに「山口百恵は未完の大器だ」と書いたら,若いHNから誤解されチョッと説明する羽目になった(彼(たぶん彼だろう)はそれで納得してくれた)。いまでも同じ思いがあるし,未完のものが未完で終わっても良いこともあるのだと,百恵さんの生き方を見てつくづく思うのである。



☆ しかし1980年とはいえ,ど真ん中の歌謡曲の歌詩に堂々と「エクスタシー」なんて入れて,阿木さんもようやるわ(#^.^#)。ちなみに「タンタンタヌキ事件」は,その歌を歌わされかけた10ン歳の山口百恵が「キンタ」までしか歌わなかったと芸能マスコミのインタビューの時に答えた話(エピソード)∵キンタ+「ま」でよ。

【2019年1月2日追記】
☆ 本文で歌と演技のフィードバックと書いたが,山口百恵の最後の4曲(ここでの最終曲は「さよならの向う側」)は歌手:山口百恵のシングル(盤)としての集大成で,例の「起承転結」の構成に直すと3曲目のこの作品は「転」に当たる。だから少しぐらい思い切った「遊び」があって良い訳で,たぶん彼女もそういうことは意識してレコーディングやパフォーマンスをしてきたと思う。

☆ だからレコードやステージで彼女が示す「ノリ」も勿論「計算された演技」であり,パロディという評価はそうしたものの全体を示している。彼女が最後のステージで舞台にマイクを置いたという行為は自ら「歌手:山口百恵」を葬り去る儀式であり,いったん「それ」をやった以上「芸能界」に顔を見せるのは筋違いだと感じた先輩歌手はその意味で間違っていない(だからって実力で圧をかけるのはどうかと思うぜ和田さん)。もっともこの曲のパロディがデビューから70年代前半に至る「真正歌手」時代の自分に向けられていると和田が解釈したなら,その後の「圧のかけ方」にもそれなりの正当性があるとは思うが,それでもやはり「いただけない」。

☆ それを言えば82年代組辺りから後の「職業としてのアイドル歌手」が次々と復帰してくるのは「均等法」以降だからとでも言うのだろうか?まあ新年早々,そこまで言うことはないか(自爆)。


謹賀新年

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Musically_Adrift '77 Presents Selected Musicians 第3夜 RC SUCCESSION



「ダーリン・ミシン」(1981年12月24日 日本武道館)



「トランジスタ・ラジオ」



「スローバラード」(1980.04.05.久保講堂 Featuring 小川銀次)



「雨上がりの夜空に」(1980.04.05.久保講堂)








音楽無罪

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Musically_Adrift '77 Presents Selected Musicians 第2夜 山口百恵(バス通り裏編)



「ちっぽけな感傷」 (6th Single 1974年9月1日)
(作詩:千家和也 / 作・編曲:馬飼野康二 オリコン最高位:第3位)



「白い約束」 (11th Single 1975年12月21日)
(作詩:千家和也 / 作曲:三木たかし / 編曲:萩田光雄 オリコン最高位:第2位)



「パールカラーにゆれて」(14th Single 1976年9月21日)
(作詩:千家和也 / 作曲:佐瀬寿一 / 編曲:船山基紀 オリコンNo.1)



「赤い絆」(20th Single 1977年12月21日)
(作詩:松本隆 / 作曲:平尾昌晃 / 編曲:川口真 オリコン最高位:第5位)



「謝肉祭」(29th Single 1980年3月21日)
(作詩:阿木燿子 / 作曲:宇崎竜童 / 編曲:大村雅朗 オリコン最高位:第4位)



「ロックンロール・ウィドウ」(30th Single 1980年5月21日)
((作詩:阿木燿子 / 作曲:宇崎竜童 / 編曲:編曲:萩田光雄 オリコン最高位:第3位)





バス通り編選曲:
①「としごろ」(1st Single 1973年5月21日) ⇒14Y.O.
②「ひと夏の経験」(5th Single 1974年6月1日) ⇒15Y.O.
③「ささやかな欲望」(10th Single 1975年9月21日) ⇒16Y.O.
④「横須賀ストーリー」(13rd Single 1976年6月21日) ⇒17Y.O.
⑤「夢先案内人」(17th Single 1977年4月1日) ⇒18Y.O.
⑥「秋桜」(19th Single 1977年10月1日) ⇒18Y.O.
⑦「いい日旅立ち」(24th Single 1978年11月21日) ⇒19Y.O.
⑧「しなやかに歌って」(27th Single 1979年9月1日) ⇒20Y.O.
⑨「さよならの向こう側」(31th Single 1980年8月21日) ⇒21Y.O.
⑩「曼珠沙華」(16thスタジオアルバムタイトル曲=1978年12月21日) ⇒19Y.O.

☆ この人が急成長したのは75年の秋から冬にかけてだろう。74年が「百恵ちゃんの年」だったことから75年もそのまま続くと思われたが,ジュンペー(桜田淳子)の巻き返しと岩崎宏美の登場でかなり苦しい1年だったと思う。だけどそういう時期があって76年に一気にこの時代の代表曲をものにする。バス通り裏編の選曲は作詩・作曲・編曲のペアリングの妙にポイントを置いているのだけれどお分かりいただけましたでしょうか?

☆ バス通り裏編の最後の曲に関しては,来年レビュー予定。この年齢になってまさか山口百恵のレビューをするとは思わなかった(笑)。

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deaconblue

Author:deaconblue
「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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